第9話 小さな発明家と、お騒がせな相棒
はちがAEGISに来てから、数日が過ぎた。
あの模擬戦と、そのあとの長い一日を思い返すと、まだ少し頬が熱くなる。それでも、ここで過ごす時間は止まらずに流れていた。最初は呼ばれるたびに身構えていた名前も、今では、自分へ向けられた声だとすぐに分かる。
いろはたちは、最近忙しいらしい。
一方、はちの住まいは、相変わらずいろはとレイの部屋だった。空き部屋がないため、今も二人と一緒に暮らしている。
二人と同じ部屋へ帰る生活は、まだ始まったばかりだ。けれど、戻る先が決まっていることは、思っていた以上に心を落ち着かせてくれた。忙しそうにしている姿を見ると、邪魔をしたくない気持ちと、何か手伝えることはないかという気持ちが、同じくらい湧いてくる。
(そういえば、ヴィリノがいないな……まだ病院かな?)
ふと、そんなことを考える。
会っていない相手のことまで考えるようになったのだと、はちは自分で少し意外に思った。もっとも、今ここで考えても、様子が分かるわけではない。浮かびかけた疑問をひとまず胸に留め、作業台へ視線を戻す。
けれど、今は目の前の作業に集中しなければならない。
はちは、技術室にいた。
目の前には、道具と材料、それから作業の続きを待つ機器がある。並んだものを見ていると、次に何をしたいかが自然と思い浮かんだ。慣れない暮らしの中でも、こうして手を動かせる場所があるのはありがたい。はちは台の前で、そっと肩の力を抜いた。
世話になっているいろはたちの役に立ちたいし、作ってみたいものもいろいろある。
ただ守られているだけで一日を終えるより、出来ることがあれば形にしたかった。いろはが言ってくれた、力になりたいという言葉も覚えている。自分の方から何かを返せるなら、まずは使い慣れた知識と、この両手からだと思った。
魔導師として使うデバイスにも、すでに手を加えてあった。SIAの部品を応用し、必要な機能を組み込んだのだ。
使う場面を思い浮かべながら、必要な働きを選び、手元へ収まる形にしていく。頭の中の知識を、実際に触れられるものへ変える時間は楽しい。完成したところを見直すたびに、はちはつい、次はここも、と考えてしまうのだった。
(これで、俺も魔導師の仲間ですね)
その呼び方を自分に重ねると、少しだけ気分が浮き立った。ここでは、科学と魔法が同じ暮らしの中にある。知っていたことと、実際に使えることが一つずつ結びついていくのは、やはり嬉しかった。
ただし、少しばかり困ったことがある。
「はぁ〜……」
はちがため息をつくと、声が返ってきた。
『どうしたのですか、はち様。ため息なんかついて』
声の主は、デバイスに導入したAI――シアだった。
作業台に向けていた目を、はちは声の方へ動かした。こちらの小さな息まで拾って、律儀に返事をしてくれる。誰に聞かせるつもりもなかったため息が、こうして会話の始まりになることには、まだ少し不思議な感じがした。
「いや……ちょっと考え事ですよ、シア……」
『そうですか。悩みがあるのでしたら、ご相談ください』
言葉だけを聞けば、頼もしい相棒だった。困り事があると察し、話を聞こうとしてくれる。その丁寧な受け答えに、はちは危うく、思っていることをそのまま相談しそうになった。
主人を気遣ってくれる、その性格はありがたい。
一人で手を動かしていても、声を出せば応じる相手がいる。作業に入り込んだあとで話しかけられると、自分がどんな顔をしていたかまで気づかされる。はちはその心遣いを嬉しく思いながら、返事をする前に少し迷った。
ありがたいのだが――。
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」
(実際は、大丈夫ではないんだけどね)
悩みを聞いてくれる相手が、悩みの中心でもある。今はその説明を始める気力がなく、はちは口元へ曖昧な笑みを残した。シアの声には、こちらが何を考えているか察したような調子は、少しも混じっていなかった。
『そうですか』
はちは、ひとまず考えるのをやめた。
このまま考え込んでいても、作業は進まない。はちは目の前の道具へ手を伸ばし、気持ちを切り替えた。少なくとも、作りたいものの形は、はっきりしている。
そろそろ、発明を始めよう。
材料を選び、位置を確かめ、組み合わせる。手元へ意識を集めると、先ほどまでのため息も遠ざかっていった。使う時に扱いにくくないかを思い浮かべながら、はちは一つずつ作業を進める。
細かな箇所を見直しているうちに、また別の工夫が浮かぶ。思いついたことを形にし、確かめてから次へ移る。その繰り返しに夢中になっているあいだは、室内の静かな音も、ほとんど気にならなかった。
◇
「出来た!」
作業を終え、はちは顔を上げた。
集中していた分だけ、声が思ったよりも大きく響いた。はちは一度指を開き、それから完成品を眺め直す。考えていた通りのものが目の前にあると、確かめる前から、つい口元が緩んでしまった。
これで、いろいろと不便なことも減るはずだ。
頭の中に知識があっても、候補を目の前へ並べて見られるのは便利だ。どの一枚を使うか考える時にも、その働きを整理しておける。はちは、実際に使う場面を思い浮かべながら、作業台の上の端末を見つめた。
作ったものの一つは、手のひらに収まる薄型のカード管理補助端末だった。
持ち上げてみると、指の間に薄い輪郭が収まった。大きく場所を取らず、必要な時に手元で確かめられる。作る前に思い描いていた使い勝手を、はちは端末の向きを変えながら、もう一度頭の中で辿った。
ただし、この端末にカードを収納するわけではない。
カードを収めているのは、アテナから受け取った右手中指の指輪だけだ。はちは、その指輪へ一切手を加えていない。
右手を見ると、指輪はいつもと同じ場所にあった。はちはその姿を確かめてから、左手に持った端末へ目を戻す。今回手を動かして作ったのは、カードを選ぶまでの手間を減らすための道具だった。
今回作った端末は、登録したカードの情報を整理し、名前や種類、能力から目的の一枚を検索するためのものだった。
名前が決まっている一枚を探す時も、欲しい働きから候補を眺める時もある。そのどちらにも使えるよう、情報の並びを考えておいた。ここからは、考えた通りに動くかどうかを、自分の手で確かめる番だった。
「さて、テストしてみますか」
はちは小型端末を手に取り、起動させる。
端末を支える手を落ち着かせ、はちは少し顔を近づけた。組み上げる時とは違う緊張がある。どこを見るかは分かっているのに、最初の反応を待つ短いあいだだけは、やはりそわそわしてしまう。
「カードリスト、展開!」
端末から光が広がり、空中へカードの一覧が投影された。
板状の端末から離れた光が、はちの目の前に広がった。作業台の向こうに、整理した情報が並んで見える。はちはその端から中央へと視線を動かし、見たかった項目が追いやすいかを確かめた。
カード名だけでなく、種類や能力による絞り込みもできる。音声検索にも対応していた。
ずらりと並んだ候補から目で探すだけでなく、声で指定すれば、手元の動きを止めずに済む。はちは一覧を眺めながら、最初に呼ぶ名前を決めた。試す一枚として、すぐに顔が浮かぶ相手がいた。
「セレスティアを検索」
はちの声に反応し、一覧が切り替わる。
その中央へ、セレスティアのカード情報が表示された。
見慣れた名前を中央に見つけ、はちは小さく頷いた。声に出したものと、目の前に示されたものが一致している。ほかの情報に紛れることなく、目的の一枚へ辿り着けたのを確かめて、口元の笑みが深くなった。
「検索成功ですね」
確かめたかったのは、一覧を広げるところから、目的のカードを手にするところまでの使い心地だった。はちは検索結果を見たまま、次の動きへ移る。指輪へ向ける意識と、目で確認する情報が、ここで繋がっていた。
目的のカードを確認したはちは、右手中指の指輪へ意識を向ける。
すると指輪からセレスティアのカードが現れ、はちの手元へ収まった。
取り出したカードは、裏向きのまま指の間に収まっている。はちはそれを支え、端末の表示と手元を交互に確かめた。一覧から一枚を選び、指輪から取り出す。続けて行った動きも、無理なく繋がっていた。
カードの収納と取り出しを行うのは、あくまでもアテナから受け取った指輪。
新しく作った端末は、その作業を補助するだけである。
表示されている情報を見ながら、はちは指の間にある一枚をそっと支え直した。カードを選ぶ時の手助けには、これで十分だった。道具を作る前に思い描いた使い方が、今はそのまま、手元で出来ている。
「では、クローズ」
投影されていたカードの一覧が消え、端末は元の薄い板状へ戻った。
広がっていた光がなくなると、視界の向こうに、元の作業台が戻ってきた。持っている端末の薄さも変わらない。使う時だけ一覧を広げられることを確かめ、はちは手の中の道具を少し持ち直した。
「成功です!」
はちは満足そうに頷いた。
考えていたものが、ちゃんと日常の道具になった。その手応えが嬉しい。小さな端末を眺めているうちに、完成まで指先へ集めていた力も抜け、はちは満足げに肩を下ろした。
『いっぱい作りましたね……』
シアの言葉に、はちは作業台を見渡した。
カード管理補助端末以外にも、完成したものがいくつも並んでいる。
手元の一つへ集中していたせいで、周りに並んだものの多さを忘れていた。作業を始めた時には空いていた場所まで、今は完成品が占めている。はちは台の端から端へ目を動かし、それから、自分の両手を見た。
(うん。ちょっと作りすぎちゃった)
一つずつなら、作っておきたいと思ったものばかりだった。けれど、こうしてまとめて眺めると、なかなかの量である。出来たことへの満足に、少しばかりの苦笑が混じった。
「そうですね。シア、ディスクの展開を頼めますか?」
これらを収めるには、あれを使うしかないだろう。
使い終えたものを、台の上へ積んだままにはしたくなかった。この場所にはノエルの道具もある。次に作業する時のことも考え、必要な空間を戻しておこうと、はちは並んだ完成品へ目をやった。
『了解』
シアが応じる。
先ほどまでと同じ、落ち着いた返答だった。はちは左腕を少し持ち上げ、作業台の周りへ目を配った。完成品を前にしている今は、まず片づける場所を用意したかった。
左腕に装着したSIAが展開し、その外側に魔力ディスクが形成された。
腕時計型の本体の外側へ、光が円を描いて広がる。はちはその形が整うのを見守った。左腕のそばに出来た魔力ディスクを確かめてから、右手中指の指輪へ意識を移す。
はちは右手中指の指輪へ意識を向け、必要なカードを呼び出す。
念じるだけで、指輪の表面からカードが一枚ずつ現れ、はちの手元へ収まっていった。
指輪から現れる一枚を、はちは慣れた手つきで受け止める。必要なものを取り出す感覚は、さっきの検索の時と変わらない。手元に揃ったカードを確かめ、今度は左腕の外側へ視線を移した。
はちはカードを裏向きのまま手に取り、魔力ディスクへ表向きにセットする。
光の盤面に置かれたカードへ、はちは目を落とした。作ったものを片づけるだけでも、この世界では、こうして魔法へ手を伸ばせる。発明していた時とは違う期待に口元を緩め、発動の言葉を続けた。
「収納魔法カード、発動」
目の前に、黄金の櫃が現れる。
作業台のそばに現れた黄金色が、はちの視界を明るくする。さっきまで完成品を見比べていた目で、今度は櫃の中を確かめた。片づける手間を考えていたところへ、収める先が用意されているのはありがたかった。
はちは、作ったものをその中へ収めていった。
一つを手に取り、中へ置き、また次へ手を伸ばす。物が並んでいた台の上に、少しずつ元の空間が戻ってきた。作った直後のものを収めるたび、はちはその形を確かめるように、軽く指を添えていた。
こちらも、収納できる量に限りはない。
『これは、ほとんど容量制限のない収納庫ですね』
(シア……どこから、その情報を持ってきたの?)
便利さを確かめているところへ、妙に的確な感想が飛んできた。はちは一瞬、手を止める。聞き返そうかとも思ったが、片づけかけたものが目に入り、ひとまずそちらへ意識を戻そうとした。
そんなことを思いながら、はちはふと違和感を覚えた。
作業の途中から、服の感触が変わっている。
自分の姿へ視線を落とした。
そこにあったのは、作業に取り掛かる前とは違う服だった。目に入るエプロンまで、見間違いではない。はちは一度瞬きし、もう一度見下ろしてから、ようやく声を上げた。
「わふっ! ちょっ、シア! 何で自分、メイド服になっているんですか!」
そう。
これこそが、シアの困ったところだった。
独断で、はちの服を勝手に変えてしまうのだ。
ため息に気づいて、悩みを聞こうとしてくれた声を思い出す。その気配りを、なぜこちらへは向けてくれないのだろう。はちは自分の服を確かめたまま、作業を始める前に考えていた困り事を、しみじみと思い返していた。
『可愛すぎますよ、はち様』
褒め言葉を受け取ったところで、着替えさせられたことへの返事には困る。はちには喜ぶ余裕などなかったが、シアの声はまったく迷っていなかった。その明るさが、今は何とも恨めしかった。
(この子は……!)
「元に戻してください!」
『嫌です』
(即答かよ……)
返事が来るまでに、考え込んだ様子さえなかった。はちは口を開きかけたまま、少しだけ固まる。いったん聞き間違いを疑っても、耳に残っているのは、実にきっぱりした拒否だった。
「何でですか!」
理由は、何となく分かっている。
それでも、聞かずにはいられなかった。
こちらには、元の服で作業をしたいという、ちゃんとした希望がある。シアならそれも聞き取っているはずだ。それでも戻らない服と、落ち着いたままの返答を前に、はちは次の言葉を待った。
『はち様が可愛いからです』
(ですよね〜……)
予想していた通りの理由を、少しも隠さず告げられてしまった。はちは反論の言葉を探し、結局、一度目を閉じる。今この瞬間だけは、返事が正確なことを褒める気持ちにはなれなかった。
これさえなければ、完璧なのに。
呼びかけには応じるし、作業の様子も見てくれる。頼りになるところは、もういくつもある。それだけに、服を変える件でこちらの意思を聞いてくれないことが、どうにも釈然としなかった。
こんな恥ずかしい格好のまま、作業を続けるつもりはなかった。
はち自身が何を着たいかは、ここまでのやり取りから、すっかり置き去りにされている。今の服を褒められても、その希望は変わらない。はちはもう一度だけ自分の姿を見下ろし、今度は確実に戻してもらおうと決めた。
はちは、にっこりと笑った。
言い返しかけていた口元を整え、声を出す前に一度間を置いた。作業をしていた時と同じくらい、落ち着いた顔になったつもりだった。ただし、考えていることは、さっきまでとは少し違う。
「シア……今すぐ解体されるのと、今すぐ元に戻すの。どっちがいいですか?」
笑顔の背後に、黒い気配がにじむ。
怒鳴るよりも、静かな声の方がよく響く時もある。はちは笑顔を崩さず、返事を待った。元に戻してほしいという希望は、先ほどから一度も変わっていない。
シアの表示が、激しく点滅し始めた。
さっきまでの即答とは違う、慌ただしい反応だった。はちはその点滅を見つめたまま、口を挟まなかった。今度こそ、こちらの言葉がちゃんと届いたらしい。
『すみません! はち様、今すぐ戻しますので! 解体だけは勘弁してください!』
「分かればよろしい!」
今度は、明るく笑う。
服は、すぐに元へ戻った。
見下ろせば、よく知っている服に戻っていた。はちは袖へ目をやり、先ほどのエプロンがなくなっていることも確かめる。ようやく普段どおりの姿だと思うと、頬へ集まっていた熱も少し落ち着いた。
はちは自分の姿を確かめ、息をついた。
(はぁ〜……この能力を持っていても、何でこうなったのかは分からないんだよな……)
知識を使って物を作る時には、必要な形や手順を思い浮かべられる。それなのに、相棒とのこんなやり取りでは、何度も言葉に詰まってしまう。はちはもう一度だけシアの表示を見て、それから作業台へ視線を戻した。
◇
シアとのやり取りを終え、はちは次のシステム作成に取り掛かった。
片づけられた台を前にすると、気持ちも改めて整ってきた。さっきまでの騒ぎを引きずったままでは、先へ進めない。はちはモニターへ向き直り、これからまとめたい内容を頭の中へ呼び戻した。
SIAの展開機構をカスタムするためのシステムプランだ。
頭の中で思い描けるものも、システムのプランとして残すなら、順序立てて示す必要がある。どの働きをどう繋ぐか、自分で見直した時にも分かるようにしておきたい。はちは画面を眺めながら、まず書き進めるところを決めた。
完成した道具を手にする時とは、また違う楽しさがあった。まだ形になっていない部分も、目の前へ並べれば、次に考える場所が見えてくる。
モニターを見ながら、キーボードを打ち込む。
文字が増えていくにつれて、周りへ向けていた注意が、また画面の中へ集まっていく。一度手を止めて並びを見直し、それから続きを入力する。はちの視線はモニターと指先のあいだを行き来し、キーボードの音が室内へ重なっていた。
その時だった。
「失礼する……」
誰かが技術室へ入ってきた。
聞こえてきた声に、はちは顔を上げかけた。けれど、打ちかけていたところが気になり、まず指先で続きを追ってしまう。今の作業に入り込んでいた意識は、まだすっかり外へ戻っていなかった。
「わふ? はい、どうぞー」
作業を続けたまま、気の抜けた返事をする。
「むっ? お前、何をしている? ここは子供が来るような場所ではないぞ」
はちは手を止めた。
注意されて初めて、自分が相手の顔も見ずに答えていたことに気づいた。指先が止まると、耳に届く声の輪郭もはっきりする。作業中の気安さが、はちの顔からすっと引いた。
(しまった……まだ、この人とは顔を合わせていない)
振り向き、慌てて名乗る。
いろはたちには伝わっていることも、まだ会っていない人には通じない。当たり前のことが、集中していた頭から抜け落ちていた。はちは少し背筋を伸ばしたが、慌てた声までは、すぐに整えられなかった。
「わ、わふっ、すみません。自分はAEGISに保護してもらっている、安藤はちです」
「そうか、お前が……すまない。私はレオノーラだ」
相手は、そう名乗った。
レオノーラの声にあった厳しさが、名乗りのあいだだけ少し和らいだ。はちは相手の顔を見ながら、その名前を胸の中で繰り返す。ようやく挨拶が出来たと思ったところへ、続く注意が届いた。
「しかし、子供がこんなところに来るのは感心しないぞ?」
(そういえば、レオノーラさんは俺の能力を知らないんだっけ……)
出来ることを話せば、作業をしていた理由も伝わるかもしれない。はちは一瞬、モニターの方へ目を動かした。けれど、説明を始めるために口を開くより先に、あの日の四人の顔が思い浮かんだ。
いろはたちとの約束を思い出す。
秘密を話す前には、相手の顔を見ることさえ怖かった。話し終えたあと、変わらず受け止めてもらえて、泣いてしまったことも覚えている。今ここで作業が出来るようになっても、あの時に託した思いまで軽くなったわけではなかった。
ここで、自分の能力を説明するわけにはいかない。
誰にまで話すかを、自分から決めて頼んだのだ。守ってもらっている約束を、その場の都合で広げることは出来なかった。目の前の相手が厳しく見えることと、秘密を話してよいかどうかは別のことだ。はちは説明しかけた言葉を飲み込んだ。
「わふ……すみません……」
はちは謝った。
何も分からず作業をしていたわけではない。それを伝えられないもどかしさは、少しだけ残った。それでも、ここで言い争いたいわけでもなかった。はちは相手の声を受け止め、頭を下げた。
(とりあえず、今日はここまでかな)
画面の中には、まだまとめている途中の内容がある。続きを考えたい気持ちはあったが、今は区切りをつけることにした。作りたいものがあるからといって、何もかも一度で終わらせる必要はない。
「分かればいいんだ。ところで、はち。ノエルはいないのか?」
「ノエルさんなら、どこかへ出掛けましたよ」
ノエルは外出していた。
はちは、その留守番をしていたのだ。
技術室も、自由に使っていいと言われていた。
はちにとっては、いつものように作業をしていたつもりだった。けれど、初めてここで会った相手からは、事情の分からない子供に見える。そのずれを考えると、さっきの注意の仕方にも、少し納得がいった。
「そうか……お前は、ただ留守番をしていただけか。偉いな……」
レオノーラは少し微笑み、はちの頭を撫でた。
頭へ伸びてきた手に、はちは一度だけ瞬きをした。さっきまで注意していた声の主が、今はすぐそばで微笑んでいる。髪の上へ触れる手まで優しいと気づくと、強張っていた肩も、ゆっくり下がった。
はちは目を細める。
撫でられるたびに、身構えていた気持ちがほどけていく。初めて会う人の前なのに、思わず顔が緩んでしまいそうだった。はちはそれを誤魔化すように、少し顎を引いた。
(最近、頭を撫でられるのに慣れたのかな……何か、気持ちいいけど)
「わふ……」
少し頬を赤くして、レオノーラを見上げた。
照れくさくなっても、急に避ける気にはなれなかった。ちゃんと留守番をしていたと分かって、褒めてくれている。そのことは伝わってきたから、はちは上手く言葉を返せないまま、小さく声を漏らしていた。
「ここは私が引き受けるから、お前は部屋に戻るといい」
帰るように促す声にも、最初に注意された時ほど身構えずに済んだ。留守番のことまで引き受けてもらえる。はちはレオノーラを見上げ、作業台へ残しているものを思い出してから、素直に頷いた。
「分かりました……それでは、失礼します」
留守番を引き受けてくれるのなら、ここを離れても大丈夫だ。はちは頷き、作成途中の内容を持ち帰るためにまとめた。先ほどまでの慌ただしい名乗りとは違い、今度は落ち着いて挨拶をすることが出来た。
はちは作成中のシステムを持ち、技術室を出た。
技術室を離れる時も、今日作ったものと、まだ途中のプランが頭にあった。発明は思っていた通りに進んだが、そのあとまで思い通りになるわけではない。相棒との一件を思い出しかけ、はちは小さく口元を引き結んだ。
「ああ」
レオノーラが軽く手を振って見送る。
見送る手へもう一度顔を向けてから、はちは歩き出した。最初の厳しい声を聞いた時とは、少し違う気持ちになっている。能力の話は出来なくても、挨拶を交わし、名前を覚えた相手が、また一人増えた。
はちは、そのまま部屋へ戻った。
帰る先は、今日もいろはとレイと一緒に使っている部屋だった。技術室で触れていたものを思い返しながら、はちは、次に続きを進める時のことを考える。まだ完成していないプランにも、手を入れたいところは残っていた。
技術室で過ごした時間は、発明をして、シアに振り回され、初めて会う人と挨拶をした記憶として、はちの中へ収まっていった。
自分が運命の歯車を動かしたことも知らずに。
――第9話 END――




