第10話 故郷の食卓と、忍び寄る思惑
技術室を出た俺は、いろはさんとレイさんの部屋へ戻ると、さっそく作業机に向かった。
持ち帰ったものを手元へ置くと、技術室で考えていた続きを、また少しずつ思い出した。途中で止めていた部分ほど、気になってしまう。座って画面へ向かえば、その先まで仕上げたい気持ちが、すぐに戻ってきた。
レオノーラさんに子供扱いされて追い出された――というわけではない。あの人は、俺が技術室で留守番をしているだけだと思っていたのだ。事情を知らないのだから、あれは当然の対応だろう。
頭を撫でてくれた手つきまで思い返すと、腹を立てる気にはなれなかった。説明出来ないことがあるのは、こちらの事情でもある。今日交わした挨拶は、ちゃんと覚えておこう。それから俺は、目の前の作業へ気持ちを切り替えた。
それより今は、途中になっていた作業の続きだ。
机の上に小型端末を置き、持ち帰ったデータを呼び出す。表示されたのは、SIAの展開機構をカスタムするためのシステムプランだった。
さっきまで入力していた箇所を辿り、その先の空白を見る。頭の中では繋がっていても、画面に残っているものは、まだ途中だ。あとで見返した時にも分かるよう、順番を整えながら、俺は続きを書き進めた。
えっ、どうしてそんなものを作っているのかって?
万が一のためですよ、万が一。
世界は一つではない。無数に存在し、互いに繋がっている。
ならば、いつかいろはさんたちが任務で、Spirit Legendsの精霊カードと深く関わる世界へ行く可能性だってある。その時、現地の戦闘方式やカードシステムに対応できる装備があれば、きっと役に立つ。
想像してみると、見知らぬ場所でも、いろはさんたちがそれぞれの装備を手に立つ姿が浮かぶ。その時に使えるものを、今のうちに用意しておく。実際にそんな日が来るのかは分からなくても、出来る備えがあるなら、作っておきたかった。
もちろん、これは俺のSIAそのものを複製するシステムではない。カードの精霊を実体化させる中枢部分も、厳重に切り離してある。
あくまでも、既存のデバイスへ魔力ディスク型の展開機構を追加するためのカスタムプランだ。
その境目は、曖昧にしておくわけにはいかない。必要な機構を渡すために、渡してよい範囲を確かめる。精霊たちと関わる部分にまで繋がっていないか、俺は画面の中の設計を、もう一度目で追った。
「ここを繋いで……制御式は独立させる。安全装置も三重にして……」
指先を動かすたび、画面の中で複雑な術式と設計図が組み上がっていく。
一か所を整えると、隣の部分との繋がりが見えやすくなる。そこでまた手を止め、設計図と制御式を見比べた。組み上がる速さよりも、最後に何を渡すのかを、ちゃんと確かめておきたかった。
実際に使われるかどうかは分からない。それでも、備えが無駄になるとは限らない。
最後の確認を終え、俺は保存キーを押した。
保存されたデータを眺めると、ようやく肩の力が抜けた。技術室から持ち越していた続きを、ひとまず最後まで形に出来たのだ。指先を机の上で開いてから、俺は画面に向かって、小さく息を吐いた。
「よし、完成!」
『お疲れさまでした、はち様』
左腕のSIAから届いたシアの声に、俺は小さく頷いた。
労ってくれる声は、いつもどおり丁寧だった。さっきの技術室でのやり取りを思い出しそうになったが、今は素直に受け取っておこう。完成したものを前にしていると、その一言が、いつもより少し嬉しく聞こえた。
「ありがとうございます、シア。では、これをかえでさんに届けましょう」
完成したシステムプランを携帯端末へ移し、俺は隊長室へ向かった。
◇
隊長室の前で立ち止まり、扉を軽く叩く。
「かえでさん、ちょっといいですか?」
「はち? どうしたん?」
返事を聞いて中へ入ると、かえでさんは机いっぱいに広げた資料と向き合っていた。端末にはいくつもの報告書が開かれ、見るからに忙しそうだ。
目に入る資料の多さに、思わず歩幅を小さくした。自分は一つのプランを仕上げただけで満足していたが、こちらには、まだ仕事の山がある。呼びかけに返事をしてもらえたことへ、改めてありがたさを感じた。
長居はしない方がよさそうですね。
「はい。実は、これを渡しに来ました」
俺は携帯端末からデータを転送した。
かえでさんが受け取り、表示された説明に目を通す。
読み進める顔を見ているうちに、完成した時とは違う緊張が湧いてきた。自分が分かるように書くことと、誰かに伝わることは、少し違う。俺はかえでさんの反応を待ちながら、携帯端末を持つ手を落ち着かせた。
「ふむ……『SIA展開機構カスタムシステムプラン』か。既存のデバイスに、魔力ディスク型の展開機構を追加する……なかなか面白そうやけど、使い道はあるんか?」
「念のためですよ」
俺は素直に答えた。
「世界は繋がっています。いつか、これを使う可能性があるかもしれませんから」
Spirit Legendsと同じように、精霊カードが存在する世界。
あるいは、カードを用いた戦闘が当たり前になっている世界。
そんな場所がどこかにあったとしても、俺は驚かない。
目の前で使ってもらう予定が決まっているわけではない。だから、使えるようにしておく理由を、今の言葉で伝えておきたかった。かえでさんの顔を見ながら、俺は説明を終えて、返事を待った。
「さよか」
かえでさんはもう一度データを眺め、それから俺を見た。
「ほんなら、これは上に通してみるけど……大丈夫なん?」
その質問が、システムそのものではなく、俺の秘密についてだということはすぐに分かった。
さっきまで設計の内容を追っていた意識が、一気にこちらへ戻ってきた。出来たものを渡すことと、能力を明かすこと。その二つを、かえでさんも分けて考えてくれている。それが分かると、喉の奥に残っていた緊張を意識した。
「大丈夫です。提案先や扱いについては、かえでさんにお任せします。ただ……」
「はちの能力については伏せる。そこは分かっとるよ」
かえでさんは安心させるように笑った。
「任せとき。上層部には、余計なことが知られんようにしとくから」
こちらが言い切る前に、分かっていると返してくれた。任せてほしいと言ってくれる顔を見て、俺はようやく息をついた。あの時に交わした約束は、秘密を話した場だけで終わらず、今も守ってもらえていた。
「……ありがとうございます」
俺は深く頭を下げた。
「では、失礼します」
「ああ。また結果が出たら知らせるな」
隊長室を後にする。
閉じた扉の向こうには、また、かえでさんの仕事が待っている。俺が渡したものも、その中の一つになるのだろう。手元から離れたデータの行く先を考えながら、少しだけ背筋を伸ばして歩いた。
この時の俺は、完成したシステムが役に立てばいいと、それだけを考えていた。
まさか、その小さな提案が、思いもよらない方向へ運命を動かすことになるなど――誰一人、予測してはいなかった。
◇
薄暗い執務室。
男は、端末に並ぶAEGISの活動報告へ目を通していた。
画面を照らす光が、男の顔の一部を浮かび上がらせていた。視線は報告の項目を辿り、技術に関わる記載へ来ると、しばらく止まる。先へ進めても、また気になった箇所へ戻り、同じ文面を読み直した。
最近、AEGISはアルカディアへ大きく貢献している。
その成果自体に異論はない。問題は、提出される技術の水準だった。
どれも既存の技術体系から、わずかに外れている。
優秀な技術者がいる。それだけでは説明のつかないものが増え始めていた。
成果を示す数字や説明を読み進めるほど、その違和感は薄れるどころか、形を持ち始めた。何があって、この変化が生じたのか。男は端末に視線を留め、自分の知らない事情があるはずだと考えていた。
(AEGISは、我々上層部に何かを隠している)
報告書には、安藤はちという少女を保護したと記されている。
少女は特殊なカードと、それを実体化できる未知の装置を所持していたらしい。
解析も試みられた。だが装置には極めて強固な保護機構が組み込まれており、外部から中枢へ到達することはできなかったという。
中枢へ届かなかったという記載に、男の目が細くなる。分からないままにしておくには、そこで示されている働きは大きすぎた。保護機構の強固ささえ、その内側にあるものの価値を、男へ想像させていた。
(その装置を解析し、こちらの技術で再現できれば……大きな戦力になる)
カードから戦力を呼び出す装置。
もし量産が可能になれば、アルカディアの防衛体制は一変する。
それが本当に世界を守るための力になるのなら、見過ごすべきではない。
少なくとも、男はそう信じていた。
その想像の中では、まだ手にしてもいない技術が、防衛を支える力として並べられていた。未知の部分が残っていることよりも、再現出来た場合の大きさへと、考えは傾いていく。男は報告の続きを読みながら、その可能性を手放さなかった。
(解析の鍵は、あの娘が握っているはずだ)
問題は、どうやって少女をこちらへ引き渡させるか。
他の上層部の者たちはAEGISを信頼し、現場の判断を尊重している。正面から要求したところで、受け入れられる可能性は低い。
男はそこまで考え、画面から一度だけ目を離した。誰もが自分と同じ判断をするわけではないことは、分かっている。だからこそ、正面から話を持ち込んだ先にある答えも、容易に想像出来てしまった。
(だが、私はあの連中を信用していない)
とりわけ、安藤はちの保護を主導する隊長を、男は敵意のこもった目で見ていた。
過去に問題を起こした者の言葉を、なぜ皆が無条件に信じられるのか。男には理解できなかった。
積み上げられた現在の成果を見ても、男の中にある疑いは動かなかった。信頼を置く人々の判断より、かつて問題があったという事実の方が、重く感じられている。端末へ戻した目には、その隔たりを埋めようとする気配はなかった。
これは私欲ではない。
アルカディアを守るためだ。
未知の技術を、管理できない一部隊へ預けたままにしておくわけにはいかない。
少女には気の毒だが、多少強引な手段もやむを得ない。
保護されている少女を、こちらへ引き渡させる。そのための強引さを思い浮かべても、男は考えを引き返さなかった。守るべきものの大きさを、自分の中で繰り返し確かめるように、報告書を見つめていた。
(決行は、AEGISによるあの娘の保護体制が解かれた時だ)
男は報告書に映る小さな少女の写真を見つめる。
技術の説明を読んでいた時と同じ目が、写真の上に留まっていた。そこにいる少女が何を望んでいるのかを尋ねる代わりに、男は、まだ来ていない機会について考え続けた。
(その時こそ、あの娘を――)
◇
隊長室から戻った俺は、今度は部屋のキッチンに立っていた。
いろはさんたちは、まだ仕事から帰ってきていない。
俺はこの部屋に居候させてもらっている身だ。寝る場所を用意してもらい、食事の面倒まで見てもらうばかりでは落ち着かない。
帰ると決められる場所があって、お帰りと言ってくれる人もいる。そのことには、もう何度も助けられていた。二人が忙しそうにしている姿を思い出すと、帰ってきた時に少しでも楽が出来るよう、何か用意しておきたくなった。
だから、せめて家事くらいは手伝いたかった。
「さて、何にしましょうか」
冷蔵庫と食材を確認しながら考える。
使えそうなものへ目をやるうち、頭の中にいくつかの料理が並び始めた。温かいうちに食べてほしいものも、じっくり作っておきたいものもある。あれも作れる、これも出来そうだと考えているうちに、少し楽しくなってきた。
せっかくなら、転生前の故郷の味にしよう。
名前を思い浮かべただけで、味まで一緒に蘇ってくる。どこへ行っても忘れないつもりでいたものを、この部屋で作れる。それが嬉しくて、俺は食材の並びをもう一度確かめた。
そう決めた俺は袖をまくり、調理を始めた。
ゴーヤーを切り、豆腐の水気を取る。鍋では豚肉をじっくり煮込み、別の器では味噌を調える。
切ったゴーヤーの緑が、まな板の上に並んでいく。豆腐を扱う時には手の力を緩め、煮込んでいる鍋の様子にも目をやった。今度は目の前の具材から、手を動かした分だけ料理が出来ていく。その変化を追ううちに、調理へすっかり気持ちが入り込んだ。
包丁の音と、具材を炒める音。
一つの鍋へ意識を向けているあいだにも、隣から別の音が聞こえる。火のそばを離れず、出来上がりを思い浮かべながら手を動かした。さっきまで設計図でいっぱいだった頭の中は、今では食卓へ並べる料理で埋まっていた。
やがてキッチンいっぱいに、懐かしい香りが広がっていった。
香りが届くたび、調理しているはずの自分まで、食べるのが待ち遠しくなる。二人はどんな顔をするだろう。そう考えると、次に皿へ移すものを選ぶ手にも、自然と力が入った。
◇
「できた♪」
食卓へ並んだ料理を見て、俺は満足げに頷いた。
皿を並べ終えると、キッチンに立っていた時には見えなかった全体が、ようやく目に入った。湯気の向こうに、それぞれ違う色合いの料理が並んでいる。見ているだけで、故郷の味をいくつも思い浮かべられた。
ゴーヤーチャンプルー。
豆腐チャンプルー。
そうめんチャンプルー。
柔らかく煮込んだてびちに、豚の角煮。それから、ご飯によく合う油味噌。
炒めた料理の香りに、じっくり煮込んだ豚肉の香りが重なる。ご飯と一緒に食べてもらいたいと思うものまで揃い、食卓は、なかなか賑やかな眺めになっていた。作っている時に欲張った分が、そのまま皿の数になったらしい。
うん。どれもおいしそうにできた。
ただし――。
「……作りすぎましたね」
二人分どころか、何人集まっても食べ切れそうにない量だった。
皿を一つずつ見ているうちは、どれもよく出来たと思っていた。けれど、食卓の端から端まで眺め、ここへ座る人数を思い浮かべると、さすがに気づく。発明の時といい、夢中になっているあいだの俺は、量の見積もりが少し甘いのかもしれない。
どうしましょう。
本気で悩み始めた、その時。
「ただいまー」
「ただいま」
扉が開き、いろはさんとレイさんが帰ってきた。
扉へ向いた途端、悩んでいたことより先に、お帰りと言いたくなった。二人の姿が見えるだけで、待っていた相手が戻ってきたのだと実感する。料理の量の相談は、そのあとでも間に合う。
「あっ、お帰りなさい」
俺が出迎えると、いろはさんが足を止め、部屋に満ちた香りを吸い込んだ。
「あれ? うーん、いい香り♪」
「本当だ」
レイさんも食卓へ視線を向け、目を丸くする。
二人の視線が、食卓の上に留まっている。良い香りだと言ってもらえたことにほっとしながらも、味を確かめてもらうのは、まだこれからだ。俺は顔と料理を見比べ、少しだけ落ち着かない気持ちになった。
「これ、はちが作ったの?」
「はい。お口に合うか分かりませんけど」
この世界にも沖縄料理はあるようだが、二人が食べ慣れているかは分からない。
自分が好きなものだから、二人にもおいしく食べてもらえたら嬉しい。けれど、好みまで同じとは限らない。さっきまで満足して眺めていた皿を、今は、二人の目から見たらどうだろうと考えてしまった。
「そんなに気を遣わなくてもよかったのに」
いろはさんが苦笑しながら、手のひらをひらひらと振る。
気を遣わせたかったわけではないので、今度はこちらが慌ててしまう。二人が帰ってくるまでに出来ることをしておきたかった。その気持ちをどう伝えるか考えて、俺は小さく手を振り返した。
「いえいえ。自分、居候ですし。それに、何かお礼をしないと気が済みませんから」
俺にできることは、まだそれほど多くない。
だからこそ、できることで返したかった。
忙しい二人の仕事には、まだ、どこをどう手伝えばいいのか分からないこともある。でも、食卓を用意することなら出来る。帰ってきた時に食べられるものがあるだけで、今日の終わりが少し楽になったらいいと思った。
「ふふっ。ありがとう、はち」
レイさんが優しく微笑み、俺の頭を撫でる。いろはさんも反対側から髪を撫でてきた。
「わふ……」
最近、頭を撫でられることに慣れてきた気がする。
少し恥ずかしいけれど、嫌ではない。
左右から髪へ触れる手に、思わず肩の力が抜けた。ありがとうと口にしてもらうだけで、さっきまでの調理の時間が、ずいぶん報われる。ちゃんとお礼をしようとしたのに、またこちらが優しくしてもらっていた。
「でも、作りすぎた気がします」
俺が食卓を振り返ると、二人も料理の量を改めて確認した。
「確かに多いね」
「そうだね。三人では食べ切れないかも」
三人揃って考え込む。
皿を前に黙っている二人と、俺とで、同じように食卓を眺める。味よりも量のことで相談するとは、作り始めた時には思っていなかった。どれかを片づけるべきかと迷ったところで、部屋の外から音が届いた。
その時、まるで狙ったように扉が叩かれた。
「はち、いるか?」
「かえでさん?」
なんというグッドタイミング。
いろはさんが扉を開けると、そこには仕事を終えたらしいかえでさんが立っていた。
「かえでちゃん、どうしたの?」
「いやな。はちから提案してもろたプラン、ひとまず承認が下りたから、その報告に――」
そこまで言ったところで、かえでさんの視線が食卓へ吸い寄せられた。
用事を伝えていた顔が、途中で止まった。かえでさんも、香りと料理の量には気づいたらしい。俺は承認という言葉にほっとしかけたまま、その視線の先を一緒に追った。
「……なんや、この沖縄料理は」
料理を見ただけで分かるんですね。
すごい。この世界にも本当に沖縄が存在するんだ。
聞き慣れた地名が、かえでさんの口から自然に出てきた。自分の中に持ってきたものが、この世界の言葉にも繋がっている。その感覚が面白くて、俺は料理の量で困っていたことを、ほんの少し忘れた。
「はちが作ったんだよ」
レイさんが教えると、かえでさんは驚いた顔で俺を見る。
「ほんまか! 私、沖縄料理をこうして見るんは初めてや」
「そうなんですか? なら、少し持って帰ります?」
作りすぎて困っていたところだ。ちょうどいい。
けれど、かえでさんは少し考えたあと、もっといい案を思いついたように笑った。
持ち帰ってもらえれば助かる、というところまでは考えていた。その先を思いついた顔を見て、俺は言葉を待つ。かえでさんの笑い方には、こちらまでつられて期待してしまうような明るさがあった。
「そうやなあ……どうせなら、みんな呼ばへん?」
「みんな、ですか?」
「いろはとレイも今日は珍しく揃っとるしな。レオノーラたちも呼んで、みんなで食べた方がええやろ」
「それ、いいね♪」
いろはさんがすぐに賛成する。
「うん。みんなで食べた方がおいしいよ」
レイさんも頷いた。
二人とも、もう誰かと一緒に食べるところを思い浮かべているらしい。さっきは多すぎると思っていた料理が、今は、みんなを呼べる分だけある料理に見えてくる。皿の数は変わらないのに、俺の気持ちはずいぶん軽くなった。
確かにその通りだ。それに、この量なら人数が増えた方が助かる。
「それに、はちはレオノーラたちと、まだちゃんと会ってへんやろ?」
かえでさんの言葉に、俺は小さく首を傾げた。
「レオノーラさんなら、今日、技術室で会いましたよ」
「ほんまか?」
「はい。自分が留守番をしている子供だと思って、部屋に戻るよう言われました」
「ああ……レオノーラらしいなあ」
かえでさんが苦笑する。
技術室で注意された時の声と、そのあと頭を撫でてくれた手が、また思い浮かぶ。俺の話を聞いたかえでさんの反応を見ると、あの人の人柄が少し分かる気がした。今度は、もっと落ち着いて顔を合わせられるかもしれない。
「ほんなら、まだ会ってへん子たちも一緒に呼ぼか」
ほどなくして連絡を受けた仲間たちが集まり、静かだった部屋は一気に賑やかになった。
扉が開くたびに挨拶の声が重なり、部屋の中の話し声も増えていった。食卓へ目を向ける人、空いている場所へ移る人。その間を見ているうちに、俺も、誰に何を渡そうかと自然に手を動かしていた。
食卓を囲み、料理を取り分ける。
取り分けるために皿が動き、湯気の向こうで顔が見える。自分が作ったものを、誰かの前へ置く。その小さな動きのたび、味はどうだろうかという緊張が、また胸へ戻ってきた。
最初は見慣れない料理を興味深そうに眺めていた人たちも、ひと口食べた途端に表情を明るくした。
口へ運んだ人の顔を、つい目で追ってしまった。何か言われるより先に、表情が変わるのが分かる。見ているこちらの肩まで、ほんの少し緩んだ。
「おいしい!」
「この苦みがええな」
「豚肉も、すごく柔らかい」
一つの皿だけでなく、違う料理の方からも声が上がった。おいしいと思う場所は、それぞれ少しずつ違うらしい。その反応を聞いているだけで、次はどの料理へ手が伸びるのか、こちらまで気になってしまった。
あちこちから聞こえる言葉に、俺の胸が温かくなる。
転生前に親しんだ故郷の味を、今は別の世界で、大切な人たちと囲んでいる。
見慣れていた料理の向こうにいるのは、この世界で出会った人たちだ。同じ味を口にしながら、今ここで初めて生まれる会話をしている。懐かしい香りがするのに、目の前の時間は、俺にとって新しかった。
なんだか不思議だった。
でも――こういうのも悪くない。
作りすぎた料理を前にした時には、早く量を減らす方法を考えていた。それが今は、誰かが取り分ける手を見ているだけで嬉しい。多く作ってしまったことも、今日に限っては、悪いことばかりではなかったらしい。
「はち、これ本当においしいよ」
いろはさんにそう言われ、俺は少し照れながら笑った。
「ありがとうございます♪」
言い終える前から、笑顔になっているのが自分でも分かった。気を遣ってもらっているのかと考えるより先に、嬉しさが出てしまう。いろはさんの前の皿を見て、俺はようやく、ちゃんと食べてもらえているのだと実感した。
結局、作りすぎたと思っていた料理は、みんなできれいに平らげられた。
料理が並んでいた場所には、空いた皿が残っていた。さっきまで食べ切れるだろうかと悩んでいたのが、少しおかしい。誰かが手を伸ばすたびに減っていた料理は、いつの間にか、きれいになくなっていた。
食事会が終わり、それぞれが満足そうに帰っていく。
俺は空になった皿を見つめ、ほっと息を吐いた。
まだ少し、話し声が耳に残っている。作業机に向かっていた時には、今日の終わりがこんなふうになるとは思わなかった。空の皿を見ながら、みんなの顔を一つずつ思い返す。用意してよかったと、もう一度、そう思った。
この穏やかな時間の裏側で、俺を狙う者が動き始めていることなど、知る由もなく――。
こうして、転生してから数日目の夜は、賑やかに更けていった。
――第10話 END――




