第8話 秘密の告白と、カードに込めた願い
模擬戦が終わり、SIAが煙を噴いた、その日。
はちは、いろはの前で正座していた。
膝の上に揃えた手を、はちはそっと握った。さっきまで勝ち筋を追いかけていた頭の中で、今は途切れた試合の最後ばかりが繰り返されている。煙に遮られた視界と、自分を受け止めてくれたいろはの腕。その先を考えると、ますます顔を上げにくかった。
説教は、まだ続いている。
(当然だよね……重要なこと、隠していたわけだし)
SIAも壊れた。
直せるとはいえ、だから問題がないわけではない。
装置のどこを直すかなら、考えられる。けれど、目の前の人がどれほど心配したかは、それだけでは済ませられなかった。膝に置いた指先へ視線を落としているうちに、いろはの言葉を受け止める返事まで遅れてしまう。
「はちちゃん、話聞いてる?」
「わふっ! ごめんなさい……」
「もう、駄目だよ! ちゃんと正直に話してくれなきゃ」
いろはは人差し指を立て、はちを注意した。
ぴんと立てられた指を、つい目で追った。その向こうにある顔は真剣で、いつもの柔らかさに甘えて誤魔化せる雰囲気ではない。はちは小さくなったつもりで、さらに肩をすぼめた。
「はい……」
「私たちにも出来ることがあるかもしれないんだし、私もはちちゃんの力になりたいのよ?」
はちは、いろはを見上げた。
叱る声の中に、力になりたいという言葉が混じっていた。そこだけが、妙にはっきりと耳に残る。壊れた装置のことを考えるばかりで、その言葉にどう答えたらいいのか、すぐには見つからなかった。
「わふ……」
「それに、怪我がなかったから良かったけど、一歩間違えたら大変なことになっていたかもしれないんだよ? そこのところ、分かっている?」
確かに、その通りだった。
あの程度で済んだから良かった。
いろはが本気で心配していたことも、分かっている。
倒れた自分には、その間のことが分からない。気がつくまで、いろはたちは無事かどうかさえ確かめ続けていたのだろう。そう思うと、今ここで叱られていることにも、ようやく別の重さが感じられた。
「返事は!」
「は、はい!」
考え込んでいたはちは、慌てて背筋を伸ばした。
(怒ると怖いよ……)
「なら、よろしい!」
いろはの顔に、笑顔が戻る。
それを見ると、はちはかえって申し訳なくなった。
ほっとするより先に、胸の奥がちくりとした。こちらがちゃんと返事をしただけで、いろははこんな顔をしてくれる。怒られているあいだよりも、その笑顔を見た今の方が、謝りたい気持ちは大きくなっていた。
「わふ……本当に、ごめんなさい……」
俯いた頭に、優しく手が置かれた。
いろはが、ゆっくりと撫でてくれる。
髪の上を通る手つきは、さっきまでの厳しい声からは想像できないほど穏やかだった。はちは身を固くするのをやめ、頭を少しだけその手に預ける。答えを急かす言葉は、もう降ってこなかった。
「分かってくれたならいいよ。もうしないよね?」
「はい……」
「なら、この話はもうおしまい♪」
いろははそう言って、はちを立たせた。
「では、行こうか」
「えっ? どこにですか?」
「技術室にだよ」
はちは、いろはと一緒に技術室へ向かった。
並んで歩くと、いろはの姿がすぐそばにあった。説教が終わったからといって、故障までなくなるわけではない。次に向かう場所を聞いて、はちはようやく、残っている問題へ意識を戻していた。
◇
「あっ、いろはさんにはちちゃん」
技術室には、ノエルがいた。
道具や機器の並ぶ室内で、はちの目は自然と作業台へ向かった。そこにある小さな腕時計型の本体は、訓練場で目にした時よりも静かに見える。大きな竜を呼び出していた装置が、今はノエルの手元に収まっていた。
「調子はどう?」
いろはが尋ねると、ノエルはSIAへ視線を向けた。
「本当に凄い技術ですよ。魔力消費を抑えることで、はちちゃん自身の負担も軽減しています」
(まあ、そうなるように作ったしね)
負担を少なくするために選んだ仕組みを、ノエルはきちんと見てくれている。そのことは嬉しかった。同時に、そこまで考えて作った装置を壊してしまった事実が、改めて目の前へ戻ってくる。
「そうなんだ」
「ですが……私たちの技術では、実現は難しいです。本当は、直してあげたいんですけど……」
ノエルは、落ち込んだ表情ではちを見た。
その手は、はちの頭を撫でている。
修理できないと告げる声には、技術者としての悔しさが滲んでいた。それでも、撫でる手の優しさは変わらない。はちはその手と作業台を交互に見ながら、胸の中で言葉を選んだ。
困らせるつもりではなかった。
けれど、壊れたままにもしておけない。
このままでは、精霊たちにも会えないのだ。
頬に近づいてきたセレスの顔が、ふと思い浮かぶ。装置の向こうには、呼べば応えてくれる相手がいる。故障を目の前にしていると、その当たり前だったやり取りまで、遠くへ置かれてしまった気がした。
「直せますよ」
「「えっ?」」
いろはとノエルが、同時に声を上げた。
二人の視線が、作業台からはちへと揃って移った。ためらいのない返事が、それほど意外だったらしい。はちは頷き、必要になりそうなものを目で探し始める。
はちは、作業に使えそうな道具へ目を向けた。
「ノエルさん、道具を借りてもいいですか?」
「は、はい。どうぞ……」
許可をもらい、はちは道具を借りた。
(さて。良い機会だし、ついでに魔力制御とフレームも強化させますか)
内部の処理能力を見直すだけでなく、手を入れられる部分は、この際に直しておきたかった。
試合の途中で止まった以上、元の状態に戻すだけでは同じ心配が残る。さっきの失敗を頭の中で辿りながら、はちは作業の順番を整えた。二人が見守る作業台で、手元の一つ一つへ意識を向ける。
◇
ノエルは、作業を始めようとするはちを見つめていた。
デバイスの製作やメンテナンスには、相応の知識と技術が要る。
それは、自分自身がよく知っている。
その自分に出来ない修理を、はちは出来ると言った。
ノエルは、自分の見立てと、はちの落ち着いた顔を見比べた。簡単に出来るとは言えない状態だった。そのはずなのに、これから修理に取り掛かる本人には、行き詰まっている様子が少しも見当たらなかった。
小さな身体が、材料を集め始める。
一生懸命な姿に、つい頬が緩みそうになった。
(可愛すぎます……って、いけない)
見守る口元を引き締め、ノエルは少し身を寄せた。今は、その小さな手が何をしようとしているのか、見落とさずにいたかった。
ノエルは、手元の材料へ意識を戻した。
ケーブル。
コネクター。
機械に使う、一般的な材料だった。
しかし、それだけでは直せないはずだ。
SIAは、実体化に関わるデータまで破損していた。以前と同じようには稼働できない。
傷んだ部品を取り替えることと、失われた働きを取り戻すことは、同じではない。材料を選ぶはちの姿を追いながら、ノエルの頭には、まだ埋まらない問題がいくつも浮かんでいた。
訓練場の装置を使えば、再現できる部分もあるかもしれない。
けれど、それで再現できるのは、物理的なものまでだ。
あの精霊たちは違った。
まるで命があるかのように、実体化していた。
はちの呼び声に応え、こちらの様子まで窺っていた竜の姿が蘇る。あの動きや反応を、目の前の小さな装置が支えていた。その事実を考えるほど、ノエルは腕時計型の本体から目を離せなくなった。
はちが、作業を始めた。
「「はやっ!」」
思わず、いろはと声が重なった。
はちの手が、迷いなく動いている。
一つの動きを追っているうちに、もう次へ進んでいる。道具を取る手も、材料へ伸びる指も迷わない。いろはが隣で息を呑む気配がしたが、ノエルはそちらを見る余裕さえ失っていた。
速いだけではない。
無駄がないのだ。
最初からすべての構造が分かっているかのように、作業が淀みなく進んでいく。
確かめるために止まる場所まで、はちの中では決まっているようだった。急いでいるから速い、という手つきではない。見慣れた作業のはずなのに、ノエルには、その先を予想することが出来なかった。
やがて、はちはモニターへ向かった。
「「えっ!?」」
今度は、キーボードを打つ音が響き始めた。
その速さに、ノエルは目を見張る。
画面に目を移してから、また指先を見る。その短いあいだにも、入力は先へ進んでしまう。機械に触れる小さな音が絶え間なく重なり、二人が何かを尋ねる隙間さえなくしていた。
(まさか……データを、最初から打ち直しているんですか?)
なぜ、そんな手間の掛かることを。
そう思っている間にも、入力は進んでいた。
そして、気づけば終わっている。
ノエルは、言葉を失った。
分からない箇所を聞こうと思うたびに、次の変化が起きていた。結果として、口を開く前に作業が済んでいる。ノエルはモニターを見つめたまま、やっとゆっくり息を吐いた。
◇
(さて。あとは、データを本体に流し込むだけ……おっと)
少し、容量が足りない。
はちはデータチップを、もう少し容量の大きいものへ交換した。
はちは交換したチップを確かめ、作業の続きを頭の中で辿った。ここまで進めて、最後の転送でつまずくわけにはいかない。止めていた指先を動かし、再びモニターへ向き直る。
改めて、データを転送する。
「終わりましたよ」
「「はやっ」」
(またハモったね)
はちは、二人を見た。
「後は、データ転送が終われば終了です」
いろはもノエルも、唖然としていた。
手元が落ち着いて初めて、はちにも二人の静けさが気になった。作業を追っていた時とは違う視線が、こちらに向いている。終わったと伝えたつもりなのに、場の空気は一向に緩まなかった。
先に我に返ったのは、いろはだった。
「はちちゃん? また何か隠しているでしょ?」
(そう来たか……)
だが、この能力を簡単に明かしていいとは思えない。
さっきまで、何を直すかだけに集中していた。必要なものを選び、知っている通りに手を動かした。その作業が二人の目にどう映るかを考えた途端、はちは言いかけた説明を胸の内へ引っ込めた。
「わふっ? ナンノコトデスカ?」
口から出たのは、見事に片言の返事だった。
自分でも、無理がある返事だと分かっていた。口にしたあとの沈黙が、ひどく長い。作業中には一度も止まらなかった思考が、今になって、都合のいい言葉を探して立ち往生していた。
「はちちゃん。私の目を見て?」
いろはは、はちの顔を両手でそっと挟み、自分へ向けさせた。
「わふっ……」
真剣な目が、こちらを見つめている。
頬を包む手は優しいのに、視線だけは少しも動かなかった。はちは目の前の瞳を見返し、それから、どこかほかに見られる場所がないかと迷う。技術室の機器の音が、やけにはっきり耳へ届いた。
はちの顔を、汗が伝った。
じっと見つめられる。
逸らしたくても、なかなか逸らせない。
(もう駄目だ……これ、かなりきついね……)
「わふ……」
先に根負けしたのは、はちだった。
視線が、横へ逃げる。
「やっぱり……怒らないから、正直に言って」
それでも、すぐには答えられなかった。
怒られないという約束は、ありがたい。それでも、その先に何が起こるかまでは分からない。話してしまえば、聞かなかったことには出来ないのだと思うと、喉の奥で言葉が止まった。
「わふ……どうしても?」
顔を下へ向けながら、尋ねる。
「どうしてもだよ!」
はちは、しばらく黙っていた。
話すのなら、せめて、誰にまで知られるのかは決めておきたい。
膝の上ではなく、今は身体の前で、はちは指を重ねた。思い浮かべた顔は、どれもこの短いあいだに優しくしてくれた人ばかりだった。その人たちになら、と考えても、声にするにはまだ少し勇気が要った。
「なら、約束してください……」
「言って」
「かえでさんと、レイさんと、ノエルさん……その三人といろはさん以外には、絶対に言わないと約束してください……」
不安を抑え切れず、はちは顔を上げた。
「どうして、私とかえでさんとレイさんとノエルさんだけなの?」
「他は、信用できませんから……もし上層部に知られたら、自分、何をされるか分かりません」
「そんなことないよ……みんな良い子だよ?」
はちだって、そう思っていた。
世話になった人たちが、良い人だということは分かる。
それでも、この秘密を知る人は、少ない方がよかった。
その人が善い人でも、さらに誰かへ伝えた先までは分からない。はちはいろはの顔を見つめ、言葉がきつく聞こえたかもしれないと思った。けれど、ここだけは曖昧なまま頷くことが出来なかった。
「自分だって、皆さんは良い人だと知っています……でも、自分が心を許した人にしか、言いたくないです」
「そっか……」
いろはは、少し微笑んだ。
「分かった。約束するよ」
はちは、ようやく息をついた。
張り詰めていた肩が、ほんの少し下がった。いろはは、話しにくい理由ごと聞いてくれたのだ。怖さが消えたわけではない。それでも、続きを口にするための息なら、今は吸うことが出来た。
「ありがとうございます……では、話します。真実を……自分の能力を……」
◇
いろはに、かえでとレイを呼んでもらった。
待っているあいだ、はちは何度も話の順番を考えた。かえでとレイの顔が見えると、一度は落ち着いたはずの胸が、また強く鳴る。いろはとノエルもいる。その顔ぶれを確かめてから、はちは息を整えた。
四人が揃ったところで、はちは、自分の能力を話した。
全世界の知識を持っていること。
材料さえあれば、何でも作れること。
修理の手際について尋ねられた時とは、口にする言葉の重さが違っていた。はちは一つずつ伝えながら、四人の顔を見た。途中で冗談にしてしまいたい気持ちを抑え、聞いてくれる四人に向かって、言葉を重ねていった。
それを聞いたノエルは、驚きと憧れの入り混じった目ではちを見つめた。
「凄いよ、はちちゃん!」
「ほんまやな……」
「そうだね……」
かえでも、レイも驚いていた。
まっすぐな驚きを向けられると、はちは少しだけ目を伏せた。喜んでくれることは嬉しい。けれど、そのまま頷いて終わるわけにはいかなかった。聞いておいてほしいことが、まだ残っている。
はちは、言葉を続けた。
「その気になれば、核でも作れます」
四人が、言葉を失った。
さっきまでの声が途切れ、室内の静けさが戻ってきた。はちは唇を一度結ぶ。四人がこちらを見ているうちに、続く言葉も、自分の意思ではっきりと伝えたかった。
「でも、安心してください。あんな大量殺戮兵器を作る気なんて、ありませんから」
はちは、静かに告げた。
前の人生を、沖縄で生きてきた。
核というものの恐ろしさを、軽く考えることなど出来ない。
その思いは、言葉に出さず胸の内に留めた。四人の前で今、伝えたいのは、この知識をどう使うつもりかということだった。はちは誰の顔からも目を逸らさず、返ってくる反応を待った。
だからこそ、話したくなかった。
これは、ある意味、自分が歩く兵器だと告げるようなものだった。
修理する姿だけを見て、便利だと思ってもらう方が、きっと楽だった。それでも、後から知ってほしくはなかった。はちは自分の言葉が四人に届くのを待ちながら、握っていた手をそっと緩めた。
「だから、条件を付けてきたの……」
いろはの言葉に、はちは頷いた。
「はい。上層部とかに情報が漏れたら、自分は強制的に保護されると思います」
そうなると決まったわけではない。誰かに命じられたこともない。それでも、可能性を考えるだけで身体が強張った。名前を呼ばれ、隣にいてもらえる今の場所を、手放したくなかった。
四人を見渡す。
「たった一日ですが、自分はここが好きになりました」
その言葉に、四人の表情が変わった。
昨日からの短い時間に、何度も名前を呼んでもらった。心配され、頭を撫でられ、叱られもした。その一つ一つを思い出すと、この場所を好きだという言葉は、ためらわずに口に出来た。
「自分も、この世界を盛り上げたい……だから、あのSIAにもロックを掛けていたんです」
あの仕組みを、悪用されたくなかった。
精霊たちに、そんなことをさせたくない。
セレスが近づいてきた時の顔を思い浮かべ、はちは作業台へ一瞬だけ目をやった。呼び声に応えてくれる相手だからこそ、仕組みを明かすことには慎重でいたかった。その気持ちは、四人の前でも変わらなかった。
「でも、あれは自分の身を守るものでしょ?」
「はい……でも、あのSIAは精霊カードにしか反応しません。複製されたカードでは、何の反応もしません」
複製されたカードと、精霊カード。その違いを、はちは言葉を区切って伝えた。説明を聞く四人の視線を受け止めながら、自分が恐れていることまで、きちんと伝わってほしいと思った。
それでも、仕組みそのものを改変されればどうなるか。
兵器として使われることを、はちは恐れていた。
「では、何のためにカードのデータを提供したんや?」
かえでが尋ねた。
隠したいと言いながら、カードのデータは渡している。そこに疑問を持つのは、もっともだった。はちはかえでの声を聞き、胸の中にあった、もう一つの思いへ意識を向けた。
はちは、彼女へ向き直った。
「かえでさん。カードゲームにとって、とても大切なことがあります。何か分かりますか?」
かえでは、考え込んだ。
「ヒントをあげます。みんなでトランプをして遊んで、何か感じることはありますか?」
いろはたちも、一緒に考え始める。
はちは先を続けずに待った。考える四人の顔を順番に見ていると、こちらまで少し落ち着いてくる。自分が大切にしていることを、同じ遊びの時間から思い浮かべてもらえたら嬉しかった。
しばらくして、かえでが降参した。
「あかん。ギブアップや」
「では、答えです」
はちは、四人を見た。
「人と人の繋がりです」
「「「「えっ?」」」」
意外だったのだろう。
四人の声が重なった。
「Spirit Legendsは、対戦することで、人と人が交流するきっかけになります。本気で戦ったり、トレードしたり、気軽に対戦したり……助け合ったり。いろいろな交流があるんです」
カードを挟んで、向かい合う。
ただ、それだけで始まる会話がある。
相手の手札を想像したり、次はどう出るかと考えたりする。そのあいだ、意識は自然と目の前の人へ向く。勝負が終わってからも、さっきの一枚について話せる。はちの記憶に残っているのは、そんな、遊びの続きを誰かと話していた時間でもあった。
「皆さんにも、そんな経験はありませんか?」
いろはたちは、納得したような表情で聞いていた。
四人は話を遮らず、はちを見ていた。さっきまで喉につかえていた言葉が、今は少しずつ外へ出ていく。カードの話をしていると、自分がこの世界で何をしたかったのかも、改めて確かめられる気がした。
「自分は、この世界に、温かみと思いやりのある……そんな素晴らしい世界になってほしいんです」
はちは、両親を亡くした頃のことを思い出していた。
友人たちが、よくカードゲームをしに来てくれた。
誰かが向かいに座り、カードを手にしている。それだけで、一人だった部屋に別の時間が流れ始めた。次の一枚を考え、友人の反応を見て、いつしか短い言葉を返している。寂しさが残る日にも、そうして顔を合わせてくれる相手がいた。そのことを、はちは今も覚えていた。
あの時間がなければ、今の自分はいなかったかもしれない。
はちにとって、カードはただ勝敗を競うためだけのものではなかった。
胸の中にあった記憶と、目の前の四人の姿が、静かに重なった。この世界でも、カードを挟んで笑い合う人が増えてほしい。その願いを口に出来たことに少し安堵して、はちは小さく顎を引いた。
しばらく、沈黙が続いた。
やがて、かえでが口を開く。
「分かった! 上には報告せえへん」
はちは、顔を上げた。
約束を求めはした。
けれど、本当に受け入れてもらえるかは分からなかった。
話しているあいだ、怖さを忘れていたわけではない。答えが返ってくる瞬間まで、指先には力が入っていた。かえでの言葉を聞いた今になって、はちは、その指がかすかに震えていることに気づいた。
「かえでさん、大丈夫ですか?」
立場を考えれば、簡単なことではないはずだ。
守ってもらえることへの安堵と、背負わせてしまうことへの心配が、同時に込み上げた。はちはかえでを見たまま、次に何を言えばいいのか分からずにいた。
「約束したからね♪」
いろはが、微笑む。
「仕方ないよ♪」
レイも、優しい声で続けた。
いろはからレイへ、はちの視線が移る。そこにいたノエルも、変わらず近くで見守ってくれていた。四人のこちらを見る優しさは、話し始める前と変わらない。そのことを確かめた途端、はちは息をうまく吸えなくなった。
「あ、ありがとう……ございまず……ひっく……」
言おうとした言葉が、途中で崩れた。
大粒の涙が、頬を伝う。
拭こうと思うより先に、次の涙が落ちてくる。ちゃんと話せたと、ほっとしたはずだった。なのに、お礼の言葉を作ろうとするたびに喉が詰まり、頷くことしか出来なくなってしまう。
(最近……涙もろいよね……)
そう思っても、止められなかった。
四人が「よしよし」と声を掛け、頭を撫でてくれる。
はちは、その手の温かさに包まれながら、しばらく泣いていた。
誰の手かを確かめる余裕もなく、はちは何度か小さく頷いた。泣いているあいだも、四人はそばにいた。撫でる手が離れても、また別の温かさが髪に触れる。その繰り返しに、張り詰めていた息が少しずつ整っていった。
◇
数分後。
少し落ち着いたはちは、まだ涙の残る目で四人を見上げた。
まだ声を出すと、少し震えそうだった。はちは一度唇を結び、ゆっくり息を吸う。四人が待ってくれているうちに、今度は最後まで言い切りたかった。
今度こそ、ちゃんと伝えたかった。
「ありがとう……ございます♪」
精いっぱい、笑顔を浮かべる。
「「「「はうっ」」」」
四人が、揃って妙な声を漏らした。
お礼への返事としては、聞き慣れない響きだった。はちは笑顔を浮かべたまま、四人の顔を順に見た。誰もすぐには、いつもの調子で言葉を返してくれない。
(あれ?)
はちは、目を瞬いた。
(何か、嫌な予感がするぞ……)
四人の身体が、ぷるぷると震えている。
さっきまでの静かな空気が、どこかへ行ってしまった。四人の視線が一斉にこちらへ集まっている。はちは、下がろうかと迷いながら、そろそろと身体の向きを変えた。
「もうあかん……」
「私も……」
「いろは……実は私も……」
「私もです……」
(まずい。これは――)
「「「「もう我慢できない!」」」」
逃げようとした時には、遅かった。
四人が一斉に、はちへ抱きついてくる。
一歩を踏み出すより先に、周りが埋まっていた。右を向いても、左を向いても、見知った顔が近くにある。はちは伸ばしかけた手を持て余し、どちらへ助けを求めるべきかと目を泳がせた。
「可愛いよ〜!」
いろはが、頬をすり寄せた。
「本当に、可愛すぎます〜!」
ノエルは、頭を撫で続けている。
「全くや」
かえでは後ろから、ぎゅっと抱きしめてきた。
「ごめんね、はち。でも、我慢できないの」
レイまで前から加わってくる。
助けを呼びたい相手が、全員こちらへ加わっていた。はちは口を開き、まず誰の名前を呼ぼうかと迷う。そのあいだにも、呼ぶつもりの顔がすぐ近くへ来てしまう。
「わふっ、ちょっ、いろはさん……ノエルさん……わふっ、レイさん、かえでさん……わふっ、やめ……」
「「「「無理!」」」」
(ハモった〜! すごいよ、この人たち!)
感心している場合ではなかった。
四人の返事は、修理を見て驚いていた時よりも、さらに揃っていた。こんなところで息の合い方を確かめたくはなかったのに、と、はちは心の中でだけ抗議した。
「わふっ、ちょっ、かえでさん! どこ触ってるんですか!」
「どこって、お腹や!」
その手が触れるたびに、くすぐったくて身体が跳ねる。
「わふっ……そこは、弱い……です……!」
(新発見だよ! まさか、こんなにお腹が弱かったなんて……!)
逃げ場は、どこにもなかった。
「不幸だ〜〜〜〜〜〜っ!」
はちの叫びが、技術室に響き渡った。
四人に囲まれたまま、はちは天井へ届きそうな声を上げた。さっきまで真剣な話をしていた場所とは思えない。技術室には、すっかり違う賑やかさが広がっていた。
◇
「いや〜、満足、満足♪」
かえでが、晴れやかな顔をしていた。
(どこぞの満足さんですか……)
「あの……その、ごめんね♪」
いろはが、少し笑顔を残したまま謝る。
「はち……ごめんね……」
「ごめんね!」
レイとノエルも、続けて謝った。
四人が顔を覗き込んでくる。はちは、返事をするための言葉を探すことさえ一休みしていた。視線だけをそちらへ向け、それから、またぼんやりと前を見る。
「…………」
はちからは、返事がない。
心の中で、ぽくぽく、ちーん、と音がした。
(これは……レイズを掛けても、生き返らない……)
もちろん、頭の中だけの話である。目の前の四人はすぐそこにいて、まだこちらの様子を窺っていた。はちは肩から力を抜いたまま、その顔ぶれを眺めていた。
そんな具合に、転生二日目は終わった。
そのあと、ノエルから技術のことをすべて教えてほしいと言われたが――。
はちは、「必要な時に」と答えて、その話を締めくくった。
修理の手元を追っていた時と同じ、まっすぐな熱意だった。はちはその視線に少し困りながらも、答えを変えなかった。すべてを一度には話せなくても、今は、自分の返事を聞いてくれる人が目の前にいた。
――第8話 END――




