第88話 白き研究者が見つめる光
――ヘルカイザー視点――
エクリプス達が天城いろはさん達に敗れてから、五日が過ぎました。
その間、アルカディアは静かなままです。
少なくとも、表面上は。
ガルデローベ社が一時拠点として用意した施設。その最深部にある自分の作業室では、幾つもの半透明な画面が宙に浮かんでいました。
画面に映っているのは、兵器の設計図ではありません。
AEGISの施設構造でも、アルカディアの防衛網でもありません。
ただ一人。
天城いろはという女性に関する記録です。
「ふむ……」
前脚で画面を送り、新しい映像を表示します。
そこには、崩れた建物から住民を救出するいろはさんの姿が映っていました。
古い災害記録のようですねぇ。
周囲では火災が発生し、救助に使える通路もほとんど残っていません。
いろはさんは砲撃で壁を破壊することもできたはずです。
ですが、建物の強度と内部の人間へ及ぶ危険を考え、その方法を選んでいない。
自ら狭い隙間へ入り、崩れかけた天井を魔力で支えながら、一人ずつ外へ運び出しています。
「効率が悪いですねぇ」
自分なら、建物全体を空間ごと固定します。
それでも足りなければ、救助対象だけを転送すれば良い。
いろはさんの方法は時間が掛かり、本人への負担も大きい。
実に非効率的です。
ところが、最後の一人を救い出した彼女は、疲れた顔を見せるより先に、泣いている子供の前へ膝をつきました。
『もう大丈夫だよ』
泥と煤で汚れた顔で、穏やかに笑っています。
子供がいろはさんへ飛び付き、声を上げて泣き始めました。
彼女は急かさず、その背中を撫でています。
「…………」
自分は映像を止めました。
戦闘能力を調べる資料としては、価値が低い記録です。
砲撃の出力も、移動速度も、魔力消費量も正確には残っていない。
けれど、天城いろはという人物を調べる資料としては、妙に目が離せませんでした。
保存項目へ印を付け、次の記録を開きます。
今度は市街地で起きた小規模な魔導事故。
その次は、暴走した輸送機の停止作業。
さらに、AEGISへ保護された次元漂流者への対応。
どの記録でも、いろはさんはよく似た動きをしています。
最初に周囲の安全を確かめる。
次に、最も危険な場所へ自分が入る。
最後まで残り、全員が帰ったことを確認してから現場を離れる。
力を誇示する場面はありません。
自分の功績を語る場面もありません。
映像の端で仲間に叱られている記録なら、幾つもありましたが。
『いろは! また一人で無茶をしたでしょ!』
『ご、ごめん、レイ……』
『謝ればええって話やないで。自分が倒れたら、助けた人かて悲しむんやからな』
『うん……次から気を付けるね』
そう答えながら、いろはさんは困ったように笑っています。
「次も同じことをしそうな顔ですねぇ」
自分は小さく笑いました。
実際、その後の記録でも似た行動を取っています。
注意を理解していないわけではない。
自分の命を軽く見ているとも少し違う。
危険な瞬間に、自分が行くことを自然に選んでしまうのでしょう。
それは勇敢という言葉だけで説明できる性質なのでしょうか。
あるいは、自分を後回しにする癖なのか。
「興味深いですねぇ……」
画面の隅へ、新しい仮説を書き込みました。
しかし、確定の印は付けません。
記録だけで人間の内側を断定するのは、研究ではなく思い込みですからねぇ。
仮説は、観察によって確かめる必要があります。
◇ ◇ ◇
公開記録の確認を終えた自分は、別の画面を開きました。
今映っているのは、今日のアルカディアです。
小型観測機が、市街地の上空から送っている映像でした。
武装は搭載していません。
魔力もほとんど発しないため、普通に飛ばしていればAEGISの警戒網へ引っ掛かる可能性は低いでしょう。
無論、施設内部へ入れるつもりもありません。
今調べたいのは機密情報ではなく、任務から離れた天城いろはという人物です。
「さて。今日は何をしているのでしょうねぇ♪」
観測機の視界を、市街地の中央へ向けます。
人々が行き交う大通り。
店の前で商品を選ぶ人。
広場を走り回る子供達。
空中交通路を行き来する車両。
その中から、目的の魔力反応を探しました。
すぐに見つかります。
いろはさんは、レイさん、かえでさん、ヴィリノさんと一緒に市場を歩いていました。
今日は非番なのでしょう。
バリアジャケットではなく、普段着です。
両手には買い物袋。
その隣では、ヴィリノさんが菓子店の窓へ顔を近付けています。
『いろはママ! これ、おいしそう!』
『本当だね。でも、さっきもお菓子を買ったでしょう?』
『あれはみんなで食べる分だよ。これはおうちで食べる分!』
『同じやないか』
かえでさんが笑い、レイさんも肩を揺らしています。
いろはさんはしばらく悩んだあと、結局店へ入りました。
「押しに弱い、と」
調査項目へ追加しておきましょう。
ただし、重要度は最低です。
四人が店を出た直後、通りの反対側で荷物が崩れました。
年老いた店主が積み上げようとしていた木箱です。
いろはさんは買い物袋をレイさんへ預け、すぐに駆け寄りました。
かえでさんも続き、二人で木箱を積み直していきます。
レイさんは袋を持ったまま周囲の通行を整え、ヴィリノさんは転がった果物を拾っていました。
誰も指示を出していません。
相談もしていません。
それでも四人は、自分のすることを迷わず選んでいます。
「なるほど……」
エクリプス達との戦いは、三組に別れた一対一でした。
セリシアさんといろはさん。
リュミナさんとレイさん。
ヴェルシアさんとかえでさん。
隣の戦場へ加勢する者はおらず、それぞれが自分の相手へ全力を注いだ。
ですから、あの勝敗を仲間同士の連携だけで説明することはできません。
それでも、今見ている光景には価値があります。
戦場から離れたところで、いろはさん達が何を見て、どのように動くのか。
日常に現れる人柄を知れば、対峙した際の判断にも繋がるでしょう。
「いろはさんは、やはり最初に動くのですねぇ」
記録を保存します。
ですが、自分の指が次の操作へ進む前に、いろはさんが急に足を止めました。
『……どうしたの、いろは?』
レイさんが尋ねます。
『ううん。今、誰かに見られていたような……』
「おや?」
いろはさんが空を見上げました。
視線が、観測機のいる方角へ近付いてきます。
正確な位置までは捉えていないはずです。
観測機は建物の陰へ移動させていますし、魔力反応も最小限に抑えています。
それでも、いろはさんはしばらく空を見つめていました。
『何も見えへんけどなぁ』
『気のせいかな……』
『最近はいろいろあったから、少し疲れてるんだよ。今日は早く帰ろう』
『そうだね』
四人は再び歩き始めました。
自分は観測機をさらに遠ざけます。
「感覚も鋭いようですねぇ」
わずかな異物感を察したのでしょうか。
あるいは、自分が彼女へ向けていた視線に、何か余計なものが混ざったのか。
「…………」
胸の奥が、僅かにざわつきました。
痛みではありません。
マイナスエネルギー貯蔵庫の異常でもない。
もっと小さく、温かな反応。
自分の内側へ残っている、あの不要な要素が動いたときに近い感覚です。
以前、アテナさんから聞かされた言葉が脳裏をよぎりました。
プラスエネルギー。
ヘルカイザーという次元神が暴走する原因になった、異質な力。
「……まさかねぇ」
自分は胸元へ前脚を当てました。
反応は、もう消えています。
ただ映像を眺めただけです。
いろはさん達が店主を手伝い、笑いながら去っていった。
それだけの光景から、自分の中にプラスエネルギーが生まれるとは考えにくい。
「観測機の信号が混線したのでしょう」
原因の候補を一つ書き込みます。
けれど、削除はしませんでした。
説明できない現象を、都合の良い理由で消すのは研究者のすることではありません。
今後も同じ反応が起きるのか、記録しておくべきでしょう。
◇ ◇ ◇
観測を終えたあと、自分はエクリプス達のいる区画へ向かいました。
五日前と同じ部屋。
扉の前へ立つと、中から小さな音が聞こえます。
映像を再生する音。
椅子を動かす音。
そして、何かを言い争う声。
「だから、あそこで私がもう一歩速く踏み込めば、レイの反撃より先に届いたのよ!」
「その結果、戻す力を失ったのでしょう。記録にも残っています」
「セリシアだって、最後は押し切られたじゃない!」
「……否定はしません。私の収束は、最後の瞬間に僅かに乱れました」
「二人とも、自らの戦いへ集中しろ。我とて、かえでを越えられなかった理由を探している」
五日前とは随分違いますねぇ。
自分は扉を開きました。
三人が一斉にこちらを向きます。
セリシアは端末の前。
リュミナは椅子から立ち上がり、画面の一点を指しています。
ヴェルシアは壁際ではなく、二人のすぐ隣にいました。
机の上には、三つの戦闘記録から書き出した情報が幾つも並んでいます。
「おやおや♪ 随分と賑やかになりましたねぇ」
「……聞いていたの?」
リュミナが気まずそうに尋ねます。
「扉の外まで聞こえていましたよ」
「うっ……」
「ですが、五日前より良い顔になりましたねぇ」
三人の表情に、敗北の悔しさは残っています。
それでも、ただ沈んでいた頃とは違う。
目が前を向いています。
セリシアが画面へ視線を戻しました。
「三つとも、最後の一撃で決まりました」
「しかも、圧倒されたわけではない」
ヴェルシアが告げます。
「いろはも、レイも、かえでも、勝利した直後には戦いを続けられる状態ではなかった」
「あと少しだったのよ」
リュミナが拳を握ります。
「私の刃はレイに届いてた。あいつは全部を防いだんじゃない。自分から軌道をずらして、傷を負ってでも反撃を通したの」
画面へ、リュミナとレイさんが交差した瞬間が映りました。
レイさんは攻撃を完全に防ぐことを捨て、刃の角度を変えています。
肩へ深い衝撃を受けながら生まれた一瞬へ、自分の攻撃を通した。
リュミナさんは速さも威力も上回りかけていた。
ですが、全力を前へ注いだため、反撃へ障壁を戻す時間が足りなかった。
「ならば、貴女に必要なのは速さの追加ではありませんねぇ」
「……分かってる」
リュミナは唇を尖らせます。
「攻撃した直後でも動けるようにする。今度は、あいつの反撃より先にもう一度動く」
「良い答えです♪」
次に、セリシアが自分の記録を開きました。
いろはさんとの砲撃が正面から激突しています。
収束率は、セリシアの方が僅かに高い。
途中までは、いろはさんの光を押し戻していました。
しかし、いろはさんは肩に受けた傷で揺れていた砲身を身体ごと支え、逃げかけた魔力を再び中心へ戻した。
最後まで収束を崩さなかった光が、セリシアの砲撃を僅かに越えています。
「私の計算に誤りはありませんでした」
セリシアは静かに告げました。
「出力も、収束も、いろはさんに届いていた。けれど、私は計算した結果を出すことだけに集中し過ぎた」
「対して、いろはさんは崩れた状態から、もう一度狙いを作り直した」
「はい。想定外が起きたあとの修正で、私は負けました」
失敗の理由を口にする声は、まだ悔しさを含んでいます。
それでも、セリシアは画面から目を逸らしませんでした。
「ならば次は、完全な条件だけを前提にしません。姿勢、魔力経路、デバイスの軸。そのどれかが崩れても、残った要素で収束を維持します」
「よろしい♪」
最後に、ヴェルシアが自分の記録を正面へ出しました。
かえでさんとの大魔法が、空の中央で押し合っています。
ヴェルシアは最後まで強い圧力を保ち、相手の光を一度は押し戻した。
それでも、かえでさんは薄くなった箇所へ魔力を戻し続けました。
広がり過ぎた力を整え、一箇所ずつ繋ぎ直し、最後の僅かな出力でヴェルシアの正面へ到達した。
「我は力で負けたとは思っていない」
「ええ。記録上の最大出力は、ほぼ同じです」
「だが、かえでは押されてから術式を立て直した。我は押し返すことだけを考え、揺らいだ箇所へ力を戻すのが遅れた」
ヴェルシアが目を細めます。
「次は、ただ巨大な力を叩き付ける戦いにはせぬ。崩されてもなお、形を保つ術を得る」
「三人とも、自分の敗因は見えたようですねぇ」
自分は、三つの記録を並べました。
これは三対三の戦闘ではありません。
三組の一対一。
誰かの失敗を、仲間の動きで補える勝負でもなかった。
だからこそ、三人はそれぞれ、自分自身を越えなければなりません。
セリシアには、想定外から収束を作り直す力。
リュミナには、全力の一撃を放った直後にも次へ移れる余力。
ヴェルシアには、押し合いの中で術式を保ち続ける精密さ。
違う相手に負け、違う課題を持ち帰ったのです。
ヴェルシアが、僅かに口元を緩めました。
「ヘルカイザー」
「はい?」
「我らに、訓練区画の使用許可を」
「休息は、もうよろしいのですか?」
「十分だ。これ以上部屋に籠もっていても、敗北は変わらぬ」
セリシアも端末を閉じます。
「次にいろはさんと戦うなら、同じ私では挑みません」
リュミナは胸の前で拳を握りました。
「私だって、次はレイに負けない」
三人の顔を順に確認します。
悔しさを消したわけではない。
敗北を忘れたわけでもない。
その痛みを、前へ進むための理由へ変えようとしています。
「良いでしょう♪」
自分は訓練区画の使用権限を三人へ送りました。
「ただし、力を上げるだけの訓練は禁止です」
「どういうこと?」
「三人には、それぞれ別の訓練を行っていただきます」
「一緒に訓練するんじゃないの?」
「あの戦いも一対一でしたからねぇ。まずは、自分の課題を自分の力で越えなさい♪」
リュミナの顔が引きつります。
「セリシア。貴女には、砲身を意図的に傾け、魔力経路を乱した状態から標的へ当てる訓練を用意します」
「……分かりました」
「リュミナ。貴女は最大加速の直後、回避と防御を連続で行いなさい。攻撃だけで終了した場合は失敗です」
「うっ……かなりきつそう」
「ヴェルシア。貴女には出力を一定に保ちながら、崩れる術式を何度も修復していただきます。力で押し切れば標的が消え、最初からやり直しです」
ヴェルシアは僅かに眉を寄せます。
それでも、しばらく考えたあとで頷きました。
「承知した」
「よろしい♪ それでは始めなさい」
三人は部屋を出ていきました。
先頭を歩く者はいません。
三人が横に並び、訓練区画へ向かっています。
「さてさて……」
立ち直る兆しは見えました。
次に必要なのは、その意志を本物の力へ変える時間です。
◇ ◇ ◇
それから数時間後。
自分は作業室で、エクリプス達の訓練記録を確認していました。
セリシアの最初の砲撃は、標的の中心から十二センチ外れました。
二度目は七センチ。
リュミナは最大加速の直後に回避へ移れず、模擬弾の直撃を受けています。
ヴェルシアは出力を上げ過ぎ、維持するはずの標的を三度も消滅させました。
どの訓練も、最初から成功とはいきません。
「ふふっ……♪」
予想どおり、簡単にはいきませんねぇ。
ですが、誰一人として訓練をやめようとはしていません。
失敗するたびに映像を確認し、短い相談をして、すぐに次へ進んでいます。
三人の間にあった距離は、少しずつ狭くなっていました。
画面を閉じようとした、そのときです。
机の端に置いていた通信装置が、低い音を鳴らしました。
ガルデローベ社からの定期通信です。
自分は訓練記録を端へ移し、通信回線を開きました。
空中へ現れた画面には、マスター社長へ提出する報告項目が並んでいます。
アルカディアの防衛戦力。
AEGISの活動状況。
エクリプス達の損傷と回復。
制圧計画の進行度。
そして、自分の次元神に発生した異常の有無。
最後の項目へ一瞬だけ目を留めました。
異常がないとは言い切れません。
昼間に感じた、あの小さな反応があります。
ですが、原因も規模も確定していない段階です。推測を事実のように書けば、社長の判断を曇らせることになるでしょう。
自分は『詳細調査中』と記入し、観測値だけを添付しました。
エクリプス達についても、敗北を隠すことはしません。
三人が天城いろはさん達に敗れたこと。
肉体的な損傷は修復済みであること。
精神状態を考慮し、作戦行動を一時停止していること。
現在は各自の敗因に応じた訓練へ入ったこと。
すべてを記録します。
失敗を伏せ、順調という言葉だけを並べる報告に価値はありませんからねぇ。
最後に、任務継続の意思を問う欄がありました。
自分は迷わず、『継続』を選びます。
天城いろはさんへ興味を持ったからといって、自分の立場を忘れたわけではありません。
自分はガルデローベ社技術開発部長。
今の居場所を与え、研究の機会を与え、力を使う目的を与えてくださったマスター社長へ、忠誠を誓っています。
アルカディアへ来た理由も、AEGISを調べる理由も、その任務を果たすためです。
個人的な好奇心が加わったとしても、命令より上へ置くつもりはありません。
「自分は、自分の仕事を続けるだけですよ」
報告書を送信します。
しばらくして、受領を示す短い返答が届きました。
命令の変更はありません。
制圧計画を続行。
期限は、最初に告げられたとおり三年間。
ならば、焦る必要はない。
一度の敗北で戦力を使い潰すより、次の勝利へ必要な時間を使う方が合理的です。
通信画面を閉じた直後。
作業室の観測装置が、微かな反応を示しました。
「……おや?」
アルカディアの外側。
次元境界のさらに先から、細い振動が届いています。
攻撃ではありません。
次元震と呼べるほど強くもない。
何かが一度だけ、膨大な力を流した痕跡。
しかも、その波形には見覚えがありました。
「次元神……?」
自分の力とは少し違います。
けれど、根にある構造は近い。
アテナさんと再会したときに感じた、あの少女の力。
アイリス。
今は、ステラと呼ばれていましたねぇ。
「神界で何かをしているのでしょうか」
観測範囲を広げます。
しかし、振動はすでに消えています。
残っているのは、僅かな金色の痕跡だけ。
自分の次元神が持つ色とは違う。
それを調べようとした瞬間、胸の奥が再びざわつきました。
昼間より、少しだけ強い反応です。
マイナスエネルギー貯蔵庫の深部。
長い間、異物として残り続けている要素が、遠い光へ応えるように動いている。
「…………」
自分は観測記録を保存しました。
偶然と判断するには、同じ日に二度起きています。
ですが、まだ情報が足りません。
次元境界の向こうで何が作られたのか。
なぜ、それに自分の内側が反応したのか。
今の段階で答えを決めるべきではないでしょう。
「調べることが増えましたねぇ♪」
いろはさん。
エクリプス達の成長。
神界から届いた、次元神に近い振動。
そして、自分の中で動いたプラスエネルギーの要素。
一つずつなら、小さな変化です。
けれど、すべてが同じ方向へ進んでいるようにも見えます。
自分が知らないところで、何かが形になろうとしている。
「面白い……」
自然と笑みが浮かびました。
警戒すべき状況です。
ガルデローベ社の任務を果たす者として、見過ごすことはできません。
それでも、研究者としての興味が消えることもありませんでした。
未知の技術。
未知の選択。
未知の結果。
それらが、自分の前へ現れようとしています。
「マスター社長から任された三年間……退屈する暇はなさそうですねぇ」
自分は立ち上がり、部屋の奥に保管していた一つの装置へ近付きました。
黒い金属で作られた、小さな球体。
まだ完成していません。
これは攻撃兵器ではなく、対象の感情とエネルギー変化を観測するための装置です。
いろはさんを調べるため、数日前から作っていました。
ただ眺めるだけでは、人の本質までは見えない。
予想外の状況で、何を選ぶのか。
守れるものに限りがあるとき、どこへ手を伸ばすのか。
その選択を知るには、条件を整える必要があります。
無論、今すぐ動かすつもりはありません。
エクリプス達の訓練が終わり、自分の観測装置も完成してからです。
次の行動では、ただ街を騒がせるだけでは意味がない。
いろはさん達の力。
エクリプス達が身に付けようとしている、新しい強さ。
そして、自分の胸に起きた反応。
すべてを確かめられる形にしなければなりません。
「さて……どのような舞台にしましょうかねぇ♪」
球体の表面へ前脚を置きます。
紫色の光が走り、未完成の術式が浮かび上がりました。
そこへ、先ほど保存したいろはさんの行動記録を読み込ませます。
救助を優先する。
市民の安全を最初に考える。
仲間を信じる。
敵であっても、すぐには切り捨てない。
ならば、そのすべてが同時に問われる状況を作れば良い。
「貴女は、そのとき何を選ぶのでしょうねぇ……天城いろはさん」
恋愛感情ではありません。
好意と呼ぶにも、あまりに冷たい関心です。
研究者が未知の現象へ向ける純粋な探究心。
けれど、その奥で微かに動いた光だけは、自分にもまだ説明できませんでした。
作業室の外から、訓練再開を告げる音が届きます。
エクリプス達が、次の訓練へ入ったようですねぇ。
自分は球体の術式を閉じ、再び訓練記録へ画面を切り替えました。
セリシアの砲撃は中心との差を三センチまで縮めています。
リュミナは加速直後の模擬弾を、初めて一発だけ避けました。
ヴェルシアの術式も、先ほどより十秒長く形を保っています。
まだ不安定。
完成には遠い。
それでも、確かに前へ進んでいました。
神界では、はちさん達が新しい光を形にしている。
アルカディアでは、いろはさん達が帰りを待っている。
この拠点では、敗れたエクリプス達が再び立ち上がろうとしている。
そして自分は、そのすべてを知らないまま、次の舞台を作り始めた。
いずれ光は交わります。
そのとき、自分の次元神に何が起きるのか。
天城いろはさんは何を選ぶのか。
エクリプス達は、それぞれが敗れた相手を越えられるのか。
「ふふっ……♪」
答えは、まだ先です。
だからこそ、確かめる価値がある。
白い小さな竜の姿をした自分は、画面の光を紫色の瞳へ映しながら、静かに笑い続けました。
ガルデローベ社の技術開発部長として。
マスター社長から任された制圧任務を果たす者として。
そして、未知を前にすれば手を伸ばさずにはいられない、一人の研究者として。
次の行動を始める日は、確実に近付いていました。
――第88話・終――




