第86話 変わらぬ神々とゼウスの手
――神界到着後・七日目/完成報告へ向かう道――
神界の研究棟に生まれた金色の次元門が、静かに閉じた。
プラスエネルギー貯蔵庫。
マイナスエネルギーだけを力の源としていた次元神へ、新しい可能性を与えるための装置。
その設計、製造、試験、ステラへの実装まで、すべての工程が終わった。
神界へ到着してから七日目。
はち達は、完成した貯蔵庫をゼウスへ報告するため、研究棟を出た。
「……終わったんですね」
フィナが、研究棟の扉を振り返った。
「終わったというより、ようやく始められるようになったのだと思います」
はちは、左手首のシアへ目を向けながら答えた。
装置は完成した。
プラスエネルギーだけでディメンションゲートを開くことにも成功した。
だが、それはヘルカイザーの暴走を止める準備が一つ整ったという意味でしかない。
完成した力を、どうやってヘルカイザーの中へ届けるのか。
膨大なマイナスエネルギーに覆われた貯蔵庫へ、どれほどのプラスエネルギーが必要なのか。
まだ、答えの出ていない問題が残っている。
「ハチ」
隣を歩いていたステラが、小さく呼んだ。
「はい?」
「難しい顔、してる」
「わふっ?」
はちは自分の頬へ手を当てた。
そんなに表情へ出ていたのだろうか。
「貯蔵庫は、ちゃんと動いてる」
「はい。問題なく動いていますよ」
「なら、今は喜んでもいい」
「……そうですね」
はちが微笑むと、ステラも僅かに目を細めた。
ステラの中には、これまで存在しなかった温かな光がある。
彼女自身の次元神としての能力は、今も封印されたままだ。
それでも、はちとユニゾンした時には、新しい貯蔵庫を通してプラスエネルギーを次元神の力へ変えられる。
過去に強制された力へ、今度はステラ自身の意思で新しい道を加えた。
その事実だけでも、七日間の研究には大きな意味があった。
「ステラさんの言うとおりです」
フィナが、二人の隣へ並んだ。
「今は、完成したことを喜びましょう。これだけのものを七日間で作ったのですから!」
「フィナ。声が大きいですよ」
先頭を歩いていたアテナが、静かに振り返った。
「す、すみません、アテナ様」
「ですが、言っていることには私も同意します」
アテナの表情も、研究を始めた時より柔らかくなっていた。
「はちさん。ステラ。改めて、完成おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「……ありがとう」
神界の白い回廊を、四人は並んで進んだ。
天井は高く、柱の間から金色の光が差し込んでいる。
雲の上に築かれた神殿群の中央には、ゼウスのいる大神殿がそびえていた。
研究棟から大神殿までは、それほど遠くない。
しかし、四人が中央広場へ入ったところで、周囲の空気が変わった。
近くにいた神々が、はち達へ視線を向けたのだ。
研究棟へ通っていた七日間にも、同じ視線を感じることはあった。
好奇心。
警戒。
人間が神界にいることへの疑問。
そして、ステラへ向けられる、冷たい視線。
これまでは、研究を急ぐ必要があった。
アテナも余計な衝突を避けるよう、最短の道を選んでいた。
だが、今日は大神殿へ向かう正式な報告の日である。
中央広場を避ける理由はなかった。
「あれが、人間の研究者か」
小さな声が、柱の向こうから聞こえた。
「ゼウス様の許可があるとはいえ、神界の設備を使わせる必要があったのか?」
「アテナ様も随分と肩入れされたものだ」
声の主は、こちらへ届いていないつもりなのだろう。
だが、静かな広場では、一つ一つの言葉がよく響いた。
フィナの翼が、僅かに強張る。
はちは歩みを止めなかった。
自分が人間であることは事実だ。
神界の者から見れば、突然現れた外部の研究者に見えるのも無理はない。
正式な許可を得ている以上、それだけなら聞き流してもよかった。
しかし、次に聞こえた言葉が、はちの足を止めた。
「それよりも、あの娘だ」
「作られた次元神へ、新しい力を与えたらしいな」
「偽物へ力を足して、何をするつもりなのやら」
「また制御を失えば、今度は神界まで滅ぼしかねん」
ステラの足が、一瞬だけ止まった。
表情は変わっていない。
それでも、はちには彼女の手が僅かに震えたことが見えた。
アテナも動きを止める。
知恵の女神の瞳が、声のした柱へ向いた。
そこにあったのは怒りよりも、深い疲労だった。
遠い過去にも、同じ言葉を聞いたことがある。
そんな表情だった。
「……行きましょう、ハチ」
ステラが、小さく告げた。
「私は、大丈夫」
「ステラ」
「もう、昔のこと」
確かに、三十万年前の出来事だ。
だが、今聞こえた言葉は過去のものではない。
今、この場所にいる神々が口にした言葉だった。
はちは、ステラの隣から一歩前へ出た。
「言いたいことがあるなら、こちらへ来て直接言ったらどうですか?」
広場が静まり返った。
「は、はちさん?」
フィナが慌てて声を掛ける。
アテナは止めなかった。
ただ、はちと柱の向こうにいる神々を黙って見ている。
しばらくして、三人の神が姿を現した。
一人は、長い灰色の髪を持つ男神。
一人は、青い法衣をまとった女神。
もう一人は、銀色の鎧を身につけている。
三人とも、はちより遥かに大きい。
人間の少女にしか見えないはちを前にしても、その表情から警戒は消えなかった。
「聞こえていたのか」
灰色の髪の男神が、低い声で言った。
「聞こえるように話していたのではないのですか?」
「人間が、神へ随分な口を利く」
「人間なら、間違っていることを指摘してはいけないのですか?」
「……何?」
男神の眉が動いた。
はちは、その反応にも構わず続けた。
「神界の設備を使う許可を出したのは、ゼウスさんです。研究の内容も、目的も、危険性も、アテナさん達から報告されています」
「それでも、我々には神界を守る責任がある」
銀色の鎧を着た神が前へ出る。
「かつて世界を破壊した次元神へ、新たな力を与えたのだ。警戒するなという方が無理であろう」
「警戒すること自体は間違っていません」
はちは、すぐに答えた。
「危険がないか確認するのも当然です。だから自分達は、七日間かけて何度も試験しました。緊急停止も、復元記録も用意しました」
「ならば――」
「でも、ステラを偽物と呼ぶことと、安全性を確認することは関係ありませんよね?」
銀色の鎧の神が黙った。
「ステラは、自分から次元神になったわけではありません。神に捕らえられ、実験台にされて、望んでもいない力を入れられたんです」
はちの声は大きくない。
怒鳴ってもいない。
それでも、広場にいる誰もが聞き取れるほど、はっきりしていた。
「力を制御する知識まで奪われた結果、暴走した。なのに、周りの神々はステラを助けるより先に、作られた神や偽物と呼んだ」
「その研究を行った神は、既に罰を――」
青い法衣の女神が口を開く。
「罰を受けたから、被害に遭ったステラまで責めていいのですか?」
「そのようなことは言っていない」
「先ほど、また制御を失えば神界を滅ぼすと言いましたよね」
「可能性の話だ」
「なら、正式な場で安全性を確認してください。本人へ聞こえる場所で陰口を言う必要はありません」
女神は、返す言葉を探すようにはちを見つめた。
はちは、さらに一歩も退かなかった。
「それに、ヘルカイザーさんの件もあります」
その名が出た瞬間、周囲の神々が僅かにざわめいた。
「あの人が世界を一つ滅ぼしたことは、消えません。今、アルカディアを制圧しようとしていることも止めないといけない」
「ならば、なおさら次元神は危険ではないか」
「危険な力を持っていることと、その人の存在を否定することは同じではありません」
はちは、灰色の髪の男神を真っ直ぐ見上げた。
「ヘルカイザーさんが変わっていった時、神界は何をしましたか?」
「……何が言いたい」
「話を聞こうとせず、捕獲命令を途中で排除命令へ変えて、攻撃しましたよね」
男神の顔から、僅かに余裕が消えた。
「あれは伝達に誤りが――」
「その誤りを止められなかったのは、神界です」
アテナが、静かに目を伏せた。
かつて、ヘルカイザーを救えなかった日。
神々の攻撃を止めきれなかった自分。
そして今、三十万年前と同じようにステラへ向けられた言葉。
「自分達で助けられなかった人を危険だと切り捨てて、今度は助けようとしている人の陰口を言う」
はちは、周囲にいる神々へ視線を動かした。
「それで、本当に神を名乗れるのですか?」
広場から、音が消えた。
男神の顔に怒りが浮かぶ。
「貴様……!」
「はちさんの問いに答えてください」
アテナの声が、静寂を切った。
男神が振り向く。
アテナは、はちの背後に立っていた。
表情は穏やかに見える。
しかし、その瞳には明確な失望が宿っていた。
「人間が神へ何を言ったかではありません。ステラが受けた苦しみを知りながら、何故、あなた達は今も同じ言葉を口にできるのですか?」
「アテナ様、我々は神界の安全を――」
「安全を語るのであれば、研究資料を確認してください。正式な審議を求めてください。ステラを偽物と呼ぶ必要はありません」
「……」
「三十万年前、私はステラを守れませんでした」
アテナは、ゆっくりとステラへ顔を向けた。
「神々の偏見を変えることもできなかった」
ステラは何も言わない。
アテナも、答えを求めてはいなかった。
「あれほど長い時間が過ぎました。それでも、あなた達は何も変わっていないのですね」
アテナが額へ手を添えた。
怒りよりも、悲しみが勝っている。
フィナは、その姿を心配そうに見つめた。
「アテナさん……」
はちが呼ぶ。
「申し訳ありません。あなたの言葉に困っているのではありません」
アテナは、額へ手を添えたまま答えた。
「三十万年前と同じ陰口を、もう一度聞くことになるとは思っていなかったのです」
「……そうでしたか」
「はちさんの言葉は、正しいです」
アテナは、神々へ視線を戻した。
「だからこそ、私は神界が変わっていなかったことを認めなければなりません」
灰色の髪の男神は、何かを言おうとした。
しかし、それより早く、広場へ別の声が響いた。
「アテナ様。フィナ様。安藤はち様。そして、ステラ様」
白い法衣をまとった神官が、大神殿へ続く階段の前に立っていた。
「ゼウス様がお呼びです」
「……もう話が届いたのですか?」
フィナが、小さく声を漏らした。
神官は、表情を変えずに一礼する。
「ゼウス様は、先ほどの会話も聞いておられました」
「わふっ……」
はちの肩が僅かに揺れた。
神々へ言った内容を後悔しているわけではない。
だが、神界の最高責任者にすべて聞かれていたと知れば、さすがに何も感じないわけにはいかなかった。
「自分、怒られますかね?」
「発言の内容に、誤りはありません」
アテナが答える。
「ただし、ゼウス様がどのように判断されるかは、私にも断言できません」
「ハチは悪くない」
ステラが、はちの袖を掴んだ。
「もし怒られたら、私も一緒にいる」
「ありがとうございます」
「私も一緒です!」
フィナも慌てて隣へ並ぶ。
「自分達は、最初から一緒に報告へ行く予定でしたよね?」
「あっ……そうでした」
フィナの翼が、恥ずかしそうに小さく動いた。
僅かに空気が和らぐ。
四人は神官の案内に従い、大神殿へ向かった。
◇ ◇ ◇
大神殿の最奥。
高い天井を持つ謁見の間に、ゼウスは立っていた。
玉座へ座ったままではない。
四人が入ってくるのを待つように、階段の下まで降りている。
その周囲には、先ほど広場にいた神々の姿もあった。
はちは、彼らが先に呼ばれていたことに気づいた。
「来たか」
ゼウスの低い声が響く。
「アテナ、フィナ。まずは七日間、ご苦労であった」
「ありがとうございます、ゼウス様」
アテナが頭を下げ、フィナもそれに続いた。
「ステラも、よくここまで来てくれた」
「……うん」
ステラは、はちの隣からゼウスを見上げた。
かつて自分を封印した神界の最高責任者。
当時、ゼウスは彼女の願いを聞き、自身の能力を封じた。
それでも、神界で過ごした記憶がすべて穏やかなものへ変わったわけではない。
「そして、安藤はち」
「は、はい」
はちが、一歩前へ出た。
ゼウスは、しばらく何も言わずにはちを見下ろした。
「先ほど、神々へ随分なことを申したそうだな」
「……すみません」
はちは、素直に頭を下げた。
「何故、謝る?」
「神界へ来たばかりの自分が、神様達へあんな言い方をしたので……」
「申した内容が、間違っていたと思うか?」
はちは、すぐに答えなかった。
自分が使った言葉を思い返す。
もう少し穏やかな伝え方はあったかもしれない。
だが、ステラへ向けられた言葉を聞かなかったことにはできない。
「……思いません」
顔を上げ、ゼウスを見る。
「言い方は悪かったかもしれません。でも、ステラが偽物と呼ばれる理由にはならないと思います」
「そうであろうな」
ゼウスが、はちの前まで歩み寄る。
大きな手が、ゆっくりと伸びた。
怒られると思ったはちが、思わず目を閉じる。
だが、その手は灰黒色の髪へ優しく触れた。
「わふっ?」
ゼウスは、髪を乱さないよう、はちの頭をゆっくり撫でた。
「よくぞ、ステラのために声を上げてくれた」
「……怒らないのですか?」
「正しいことを申した者を、何故叱る必要がある」
もう一度、大きな手が頭を撫でる。
はちは、少しくすぐったそうに目を細めた。
神界へ来る前、三提督から孫のように可愛がられていた時のことを、僅かに思い出してしまう。
どうして自分は、立場の高い年長者から頭を撫でられる機会が増えているのだろう。
そんな疑問が浮かんだが、今は口にしない方がよさそうだった。
「ゼウスさん」
「何だ?」
「自分は、ステラを守りたかっただけです」
「それでよい」
ゼウスは手を離し、今度はステラへ顔を向けた。
「今の名は、ステラであったな」
「……ハチが、つけてくれた」
「よい名だ」
「うん」
ステラが、ほんの僅かに胸を張った。
その様子を見たフィナの顔が緩む。
アテナも静かに見守っていた。
ゼウスは、謁見の間にいる神々へ向き直った。
「先ほどの研究に異議がある者は、今、この場で申せ」
誰も声を上げない。
「安全性に疑問があるのであれば、アテナが持ち帰った記録を確認せよ。追加の検証が必要だと判断したのであれば、正式に求めよ」
ゼウスの視線が、灰色の髪の男神達へ向いた。
「だが、被害を受けた者を偽物と呼ぶことを、神界の安全という言葉で飾ることは許さぬ」
「……申し訳ございません」
三人の神が頭を下げた。
「謝る相手が違う」
ゼウスが告げる。
三人は、ゆっくりとステラへ身体を向けた。
「ステラ殿。先ほどの発言を謝罪する」
「……」
ステラは、すぐには答えなかった。
許す義務はない。
その場の空気を整えるために、笑う必要もない。
はちも、返事を急かさなかった。
「……言葉だけでは、まだ信じられない」
やがて、ステラが静かに告げた。
「でも、もう同じことを言わないなら、それでいい」
「承知した」
三人は、もう一度頭を下げた。
ゼウスは、その姿を確認してからステラへ向き直る。
「三十万年前、お前を傷つけた神を止められなかったこと。そして、封印する以外の道を示せなかったこと」
ゼウスの声が、少し低くなった。
「神界の最高責任者として、改めて謝罪する」
「……ゼウスは、私の願いを聞いてくれた」
「それだけでは足りなかった」
「うん。足りなかった」
ステラは、迷わず答えた。
フィナが息を呑む。
しかし、ゼウスは怒らなかった。
「そうであろうな」
「でも、今はハチがいる」
ステラが、はちの袖を握る。
「アテナも、フィナもいる。だから、前より怖くない」
「……そうか」
ゼウスは静かに頷いた。
失われた三十万年を、今の謝罪だけで消すことはできない。
それでも、神界が過去の誤りを言葉にすることには意味がある。
アテナは、ステラとゼウスの会話を見ながら、胸元へ手を添えた。
神々の偏見は残っていた。
神界全体が変わったとは、まだ言えない。
だが、少なくとも、ステラはもう一人で立っていない。
「それでは、報告を始めましょう」
アテナが、静かに告げた。
◇ ◇ ◇
謁見の間の中央に、七日間の研究記録が展開された。
アテナが、研究の経過を順に説明する。
ステラに残された第二世代次元神の構造。
全世界の知識から現れた、四次元ポケットの設計図。
シアの情報具現化機能。
ヘルカイザーが次元神へ追加した、改造領域の技術。
それらを利用して、物体用の次元収納をプラスエネルギー用の貯蔵庫へ作り直したこと。
容量拡張、複数特性の保存、個別検索、マイナスエネルギーとの隔離、破損時の自動修復。
すべての試験結果が、光の記録として並んでいく。
「以上の検証を経て、プラスエネルギー貯蔵庫は完成しました」
アテナが報告を締める。
「そして、ステラの次元神へ実装済みです」
ゼウスは、光の記録を一つずつ確認した。
「ステラ自身の封印に影響は?」
「ありません」
はちが答えた。
「ステラ自身は、今も次元神の能力を使えません。自分とユニゾンした時に限り、契約を通して新しい貯蔵庫へ接続できます」
「既存のマイナスエネルギー貯蔵庫との干渉は?」
「それもありません。二つの貯蔵庫は異なる次元座標へ固定しています。隔離機構も常時動作しています」
「実際の次元能力は動かしたのか?」
「はい。プラスエネルギーだけでディメンションゲートを開き、物体転送に成功しました」
ゼウスは、しばらく研究記録を見つめた。
やがて、大きく頷く。
「見事である」
フィナの翼が嬉しそうに動いた。
「本当に、完成したのだな」
「はい」
はちも、今度は迷わず答えた。
「プラスエネルギー貯蔵庫は完成しました」
「ならば、ヘルカイザーの暴走を止められるのか?」
その問いに、はちはすぐには頷かなかった。
「まだ、完成したのは貯蔵庫だけです」
「何が足りぬ?」
「ヘルカイザーさんへ、プラスエネルギーを送り込む方法です」
はちは、ヘルカイザーの次元神構造を表示した。
中心にあるのは、膨大なマイナスエネルギーを蓄えた巨大な貯蔵庫。
その周囲を、複数の次元領域が守っている。
「普通に放てば、ディメンションウォールで消されます。別の座標へ送られる可能性もあります」
「お前の次元能力で、直接送り込むことはできないのか?」
「相手も次元神です。しかも、ヘルカイザーさんの方が次元神として過ごした時間は長い。相手の根幹へ直接干渉すれば、気づかれた瞬間に座標を閉じられます」
「では、どうする?」
ゼウスの問いに、はちは右手を空間へ差し入れた。
水面のような波紋が広がる。
そこから引き出されたのは、黒を基調とした砲撃デバイスだった。
漆黒の外装。
長い砲身。
かつて、いろはへ向けて放たれた黒い魔力の記憶を持つデバイス。
「ダークアークレイ……」
アテナが、その名を口にした。
「はい」
はちは、ダークアークレイを両手で支えた。
「このダークアークレイを原型に、複数の人が使えるデバイスシリーズを作ります」
「新しいシリーズも、ダークアークレイと呼ぶのですか?」
フィナの問いに、はちは漆黒の杖を見つめた。
「いいえ。これは、いろはさん達と戦うために作った名前です。今度作るものは、誰かを救うための光を運ぶデバイスですから」
はちは、三つの新しい設計領域を開いた。
「新しい名前は、ライトアークレイ。三つとも、ライトアークレイシリーズとして作ります」
「砲撃として、プラスエネルギーを放つのですか?」
「ただ撃つだけでは駄目です」
はちは、ダークアークレイの内部構造を表示する。
「通常の攻撃として認識されれば、次元の裂け目へ流されます。だから、砲撃の中に次元座標を固定する仕組みを入れます」
「着弾した瞬間、外側の魔力だけを消して、内部のプラスエネルギーを相手の貯蔵庫へ移すつもりですか?」
「その形が、一番可能性が高いと思います」
表示されたダークアークレイの隣へ、新たな三つの輪郭が現れた。
一つは、高出力の砲撃へ特化した長杖型。
一つは、高速戦闘の最中でもエネルギーを運べる機動型。
最後の一つは、仲間の防御と座標維持を補助する制御型。
「今のダークアークレイは、自分の魔力に合わせて調整してあります。でも、使用者の魔力波形を登録できる共通規格へ変更すれば、いろはさん達にも使ってもらえます」
「はちさん自身は、使用しないのですか?」
フィナの問いに、はちは首を横へ振った。
「自分には、別の役目があります」
はちは、ステラへ顔を向けた。
「戦闘中、自分はステラとユニゾンして、プラスエネルギー貯蔵庫を維持します。そこから各デバイスへ力を送り、砲撃の座標を固定する。異常が起きた時には供給を止めて、次元領域を閉じます」
そう言って、はちは左手首のSIAへ触れた。
「そのために、自分専用の制御デバイスも作ります」
「新しいデバイスを、ですか?」
「はい。ただし、別に持ち歩く形ではありません。制御機構をSIAの中へ組み込みます」
青白い魔力ディスクが、はちの左腕の外側へ展開された。
普段はカードの情報を読み取り、召喚や魔法の発動を助けるための機構。
そこへ新しい制御領域を追加し、戦場にあるライトアークレイ系列の状態を同時に表示する。
使用者ごとの魔力波形。
プラスエネルギーの残量と供給量。
砲撃へ登録した次元座標。
デバイス内部の負荷。
それらを一つの魔力ディスクから操作できる、はちだけの支援用デバイスだった。
「自分はSIAを通して、みんなのデバイスと繋がります。必要な人へ必要な量だけ送り、攻撃が逸れそうになったら座標を修正する。危険な負荷が出た場合は、こちらから強制停止します」
「SIAそのものを、全デバイスの中枢にするのですね」
「はい。プラスエネルギー貯蔵庫と前線を繋ぐ中継点にもします」
はちは、回転している青白い魔力ディスクへ目を落とした。
「ただ、このままでは戦場を移動しながら制御するのが難しいですね」
「ディメンションゲートを使うのでは駄目なのですか?」
「短い移動には使えます。でも、連続して座標を変えると、みんなへ繋いだ供給経路まで調整し直さないといけません」
はちは右手中指の指輪型カードケースへ触れた。
「せっかくSIAを改修するなら、飛行術式を記録したカードも作ります」
「ハチも、飛べるようになる?」
「その予定です」
新しいSIAの魔力ディスクは、二つの制御層を持つ。
内側の領域は、ライトアークレイ系列との接続と飛行術式を維持するための補助層。
外側の領域は、これまでどおり右手中指のカードケースから取り出したカードをセットし、召喚や支援魔法を使うための主操作層。
飛行カードを補助層へセットしても、セレスティアやアリアを呼び出すためのカード領域は塞がらない。
「空中から全員の位置を確認しながら、カードで援護します。これなら供給経路を保ったまま、戦況に合わせて移動できます」
「飛行、制御、カードの使用を同時に行うのですか?」
アテナの問いに、はちは小さく頷いた。
「そのための専用デバイスです。もちろん、演算の一部はシアにもお願いします」
『承知しました。二層式魔力ディスクの設計項目へ、飛行制御領域を追加します』
シアの返答と同時に、魔力ディスクの上へ翼を思わせる青白い術式が現れた。
まだ構想を示しただけの、小さな光。
だが、それはこれまで地上や次元門に頼って移動していたはちへ、新しい空への道を示していた。
「……ハチは、みんなを後ろから支える?」
「はい。ヘルカイザーさんの次元能力へ対抗しながら、複数のデバイスを同時に制御する必要があります。自分が前へ出て戦えば、貯蔵庫と座標の維持が不安定になりますから」
自分だけで何もかも行う必要はない。
いろはには、遠距離から大きな一撃を正確に撃ち込む力がある。
レイには、高速で戦場を駆け、仲間のために道を作る力がある。
かえでには、戦況を読み、全員の動きを一つへ結ぶ力がある。
それぞれの力を活かせるデバイスを作り、はちが後方からプラスエネルギーを供給する。
誰か一人へ、ヘルカイザーを止める責任を背負わせないための形だった。
アテナが、表示された構造へ目を向けた。
「しかし、この改修には通常の設備では足りませんね」
「はい。各デバイスの変換機構と、ステラの次元神をSIA経由で接続する必要があります。それに、使用者ごとの認証と、供給経路も作らないといけません」
「危険はあるのか?」
ゼウスが尋ねる。
「あります」
はちは、隠さずに答えた。
「接続を間違えれば、使用者側へエネルギーが逆流します。砲撃時に座標固定が崩れれば、いろはさん達の近くで次元の裂け目が開く可能性もあります」
「それでも、行うのだな?」
「ヘルカイザーさんを止めるために必要です」
はちは、ダークアークレイへ目を落とした。
「それに、このデバイスには以前から改修したい部分がありました」
過去の自分が、いろは達を信用できず、戦うために握った黒い杖。
今度は、いろは達へ託し、一人の次元神を救う可能性を届けるために使う。
同じ技術でも、使う者と、そこへ込める目的は変えられる。
「ゼウスさん。もう少しだけ、神界の設備を使わせてください」
ゼウスは、はち、ステラ、アテナ、フィナの順に見た。
「アテナ。必要な期間は?」
「共通規格とSIA用制御デバイス、それに飛行術式カードの設計に一日。三種類の試作に二日。安全確認を含めれば、最低でも五日は必要です」
「承知した」
ゼウスが、研究棟の使用許可を示す金色の印を開いた。
「神界の設備を、引き続き使用することを許可する」
「ありがとうございます」
はち達が頭を下げる。
「ただし、無理はするな」
ゼウスは、はちへ視線を戻した。
「七日間、ほとんど休まず研究を続けたと聞いておる」
「ちゃんと休みましたよ?」
「アテナ」
「睡眠時間は確保させました。しかし、起きている間は研究棟から離れようとしませんでした」
「アテナさん!?」
「事実です」
フィナが、こくこくと頷いている。
ステラも、はちの隣で小さく頷いた。
「ステラまで……」
「ハチ、夢の中でも設計を考えてた」
「わふっ!?」
「それは休んだとは言わぬ」
ゼウスの大きな手が、再びはちの頭へ乗った。
「今日は研究棟へ戻る前に、食事を取り、眠れ」
「でも、設計だけでも――」
「眠れ」
「……はい」
はちは、大きな手の下で素直に頷いた。
フィナが、口元を押さえながら笑っている。
ステラも、どこか満足そうだった。
アテナだけは、少し前まで頭を抱えていた神々の陰口を忘れてはいない。
それでも、今は目の前にある小さな光を守るように、静かに微笑んだ。
「はちさん。ゼウス様の命令です。今日は休んでください」
「アテナさんまで……」
「明日から、ライトアークレイシリーズとはちさん専用の制御デバイスの改修、飛行術式カードの開発を始めます」
アテナの言葉に、はちはようやく研究者の顔へ戻った。
「はい」
ダークアークレイを次元収納へ戻す。
黒い砲撃デバイスは、静かな波紋の向こうへ消えた。
次に取り出される時、それは一人で扱う武器ではなく、仲間へ力を託すシリーズの原型となる。
破壊するための黒い光から、救うための金色の光へ。
プラスエネルギー貯蔵庫の完成報告は、新たな改修計画の始まりとなった。
――第86話・終――




