第85話 白き研究者の改造領域と完成した光
――神界到着後・二日目/第84話直後――
神界の研究棟に、青白い光が幾重にも浮かんでいた。
一つは、全世界の知識が検索結果として示した四次元ポケットの設計図。
もう一つは、ステラの中に残された第二世代の次元神データ。
その間には、はちが新たに開いた模擬設計領域がある。
三つの構造は、同じ空間へ重ねられていた。
「まずは、内部空間の維持機構から確認しましょう」
はちが、左腕のシアへ指先を近づけた。
青白い魔力ディスクがゆっくり回転する。
その動きに合わせ、四次元ポケットの設計図から、必要な領域だけが中央へ移動した。
外側の容積に制限されない、次元内貯蔵領域。
内部の座標を固定する機構。
収納対象を登録し、位置を管理する検索領域。
そして、使用者が求めた対象を瞬時に選び出す制御。
設計図は、細部まで揃っていた。
かつては、物語の中に登場する不思議な道具としか考えていなかった。
しかし、今、それは製造工程を持つ技術資料として、はちの目の前にある。
「……見れば見るほど、本当に設計図ですねぇ」
『内部構造、材料情報、製造手順、安全基準を確認しました』
シアの声は、いつもと変わらない。
驚きを隠せないのは、はちの方だった。
「自分の元いた世界では、これを見ても『作れるはずがない』で終わっていましたからね」
「はちさんにとっては、存在しない道具だったのですか?」
アテナが尋ねた。
「自分が生きていた場所では、そうでした。でも、こちらの世界では違う」
はちは、シアの魔力ディスクを見下ろした。
「自分は、元になった作品を知っていたから、シアをこの形にしました。魔力ディスクだって、作品の知識を自分の技術で再現したものです」
作品と現実の境界は、世界が変われば同じ形では残らない。
はちが物語だと思っていた世界にも、実際に生きている者達がいる。
その世界で完成した技術なら、全世界の知識の中に含まれていても不思議ではなかった。
「……それで、今からこの設計図を使うのですね?」
フィナが、期待と不安の混じった声で尋ねた。
「はい。ただし、そのまま作るわけではありません」
はちが指を動かす。
四次元ポケットの設計図から、必要な領域が順に抽出された。
後に残ったのは、内部空間の維持、対象の登録、検索、取り出し、容量の拡張に関わる構造だった。
「四次元ポケットは、基本的に物体を収納するための道具です。自分達が必要としているのは、プラスエネルギーを蓄積するための貯蔵庫です」
形のある道具と、感情から生まれるエネルギー。
同じ空間へ収めるとしても、登録と維持の方法はまるで違う。
物体なら、質量、容積、材質、形状を記録できる。
だが、プラスエネルギーは常に同じ状態ではない。
生まれた感情によって、波形も密度も変化する。
蓄積している間に、別の感情から生まれたエネルギーと融合する可能性もある。
「そこを、自分達で変換します」
はちは、模擬設計領域の中央へ小さな空間を作った。
まだ、ステラの本体とは接続していない。
研究棟の設備内だけで動く、完全に独立した試験空間である。
「シア。第一段階の変換をお願いします」
『承知しました』
青白い光が、抽出された設計データを包む。
物体の大きさを測る項目が消え、代わりにエネルギー密度の測定項目が入る。
材質を記録する領域は、波形と感情特性の記録領域へ変わった。
収納物の位置を固定する処理は、エネルギーの拡散を防ぐ封じ込め機構へ変更される。
一つずつ、新しい構造が作られていった。
アテナは、その過程を黙って見ていた。
フィナも、今回は余計な声を上げない。
ステラだけが、はちの隣で小さく首を傾げていた。
「……これで、入る?」
「まずは試してみましょう」
はちは、シアの魔力ディスクの上へ右手をかざした。
攻撃に使う魔力ではない。
小さな光を作るだけの、弱いプラスエネルギー。
ステラとフィナが、研究を進めようとするはちへ向けた信頼。
その感情の一部が、淡い光となって指先へ集まった。
「収納開始」
光の粒子が、模擬貯蔵領域へ入った。
青白い輪郭が、それを包む。
光は消えない。
漏れ出す様子もない。
数値は安定している。
「……入りましたね」
はちが、少しだけ表情を明るくした。
「取り出してみます」
検索項目へ、先ほどのプラスエネルギーを指定する。
貯蔵領域の中で、光が動いた。
記録した識別情報に従い、取り出し口へ近づいてくる。
だが。
取り出し口へ触れた瞬間、淡い光が形を崩した。
「わふっ!?」
光の粒子が散り、貯蔵領域の内側へ広がった。
完全に失われたわけではない。
しかし、元の状態ではなかった。
感情特性を示す波形が乱れ、集まっていた光が、ただの魔力に近い状態へ変化している。
「失敗、でしょうか……」
フィナが、声を小さくした。
「はい。収納はできても、取り出す際に性質を維持できていません」
はちは、漂う光を見つめた。
物体なら、取り出しの前後で形を保てる。
だが、エネルギーは、境界を通過する際に状態が変化する。
内側で保存できても、外側へ戻すときに同じものでなくなる。
それでは、プラスエネルギーを蓄えているとは言えない。
「……ハチ」
ステラが、データの一角を指差した。
「こっち、光ってる」
「わふ?」
指された先にあったのは、第二世代の次元神データだった。
プラスエネルギーが形を崩した直後。
これまで反応を示さなかった領域が、僅かに点滅していた。
「シア。今の反応を拡大してください」
『承知しました』
点滅した領域が、別の画面へ抽出される。
それは、四次元ポケットの設計図には存在しない構造だった。
幾つもの次元座標が網状に組まれ、中央の空白領域へ接続している。
座標の数は一定ではない。
流れ込んだ力の性質に応じて、必要な数だけ増えていく。
その動きは、収納よりも、何かを一度別の形にしてから再構築する処理に近かった。
「これは……」
はちは、四次元ポケットの設計図と見比べた。
一致する場所は、ほとんどない。
しかし、次元神の中では、確かに内部空間と取り出し口を繋ぐ位置にある。
まるで、収めた力を一度解き、外側で元の状態へ戻すための通路のようだった。
「アテナさん。この領域を見たことは?」
「ありません」
アテナは、すぐに答えた。
「私達が解析を試みたとき、その部分はまったく反応を示しませんでした」
「神界の記録にもないのですか?」
フィナが尋ねる。
「少なくとも、私が確認した資料の中にはありません」
はちは、さらに拡大した。
表面上は、意味のない情報の羅列に見える。
同じ座標が幾度も書かれ、処理の順序も不揃いだった。
実際に力が入ったときだけ、情報が正しい位置へ動き始める。
停止した状態を見ても、動作の意味は読み取れない。
「動かすまで、正しい構造が現れない……」
はちが、静かに呆いた。
「こんな作り方、普通はしませんよ」
シアが、構造の動作記録を作る。
プラスエネルギーが崩れた時間。
座標の順序。
力の波形が変化した瞬間。
それらを照合すると、一つの働きが見えてきた。
その領域は、収納対象をそのまま内部へ置いているのではない。
対象の性質を記録し、次元内で維持できる疑似的な存在情報へ変換している。
取り出す際は、記録した性質に従い、外側で元の力を再構築する。
それなら、形のないエネルギーでも保存できる。
形も密度も変化する感情エネルギーを、取り出しの後まで同じ性質で保つことができる。
「……これが、ヘルカイザーさんの改造領域」
はちは、その言葉をゆっくり口にした。
四次元ポケットの設計図にはない。
神界の科学者達が作った第二世代でも、正しく再現されていない。
第一世代を作った本人が、四次元ポケットの技術を次元神へ変えるために加えた、独自の処理。
その一部が、ステラの中に残っていた。
「でも、ありますよ」
フィナが、画面へ顔を近づけた。
「未完成だと言われた次元神の中にも、その方法が残っているのでしょう?」
「残ってはいます。ただ、このまま使うのは危険です」
はちは、点滅する領域の奥を示した。
そこには、僅かな黒い光が絡みついている。
マイナスエネルギーと似た波形。
第二世代を作った研究者達が、理解できないまま機能を再現しようとした痕跡。
そして、元の第一世代が、マイナスエネルギーを主な力として使うための偏り。
「この改造領域は、マイナスエネルギーに適した状態です。これをそのままプラスエネルギーに使えば、また反発が起きます」
「では、この領域も書き換えるのですね」
アテナの声が、少し厳しくなる。
「書き換えるというより、この動作を参考に、新しい変換領域を作ります」
「残っているデータを使わないのですか?」
「ヘルカイザーさんの処理をそのまま複製したら、同じ偏りまで引き継ぐ可能性があります」
それでは、今回の研究を始めた意味がない。
マイナスエネルギーとプラスエネルギーの反発を抑えるために、新しい貯蔵庫を作る。
その根幹へ、マイナスエネルギーを優先する処理をそのまま入れれば、新たな不安定要素が生まれる。
「必要なのは、ヘルカイザーさんの答えを使うことではありません」
はちは、改造領域の動作記録だけを別の画面へ移した。
「この領域が、何をしているのか。その働きを確認し、プラスエネルギーに適した新しい処理を作ります」
その言葉を聞いたステラが、画面とはちを交互に見た。
「……ハチが、作る?」
「はい」
「ヘルカイザーの真似、しない?」
「しません」
はちは、ステラの金色の瞳をまっすぐ見た。
「あの人の技術は参考にします。でも、自分達の力を、あの人と同じ形にするつもりはありません」
ヘルカイザーの次元神は、マイナスエネルギーの蓄積を前提に発展した。
結果として、ヘルカイザー自身の心と力へ、長い時間をかけて影響を与えている。
はちが目指すのは、それを打ち消すための力だ。
同じ道を辿る理由はない。
「でも、一から作るのは難しいですよね?」
フィナが、改造領域の複雑な動きを見ながら言った。
「難しいですよ。こんなの、普通なら作ろうとも思いません」
「では、どのように?」
はちは、左腕のシアへ目を向けた。
そこにある青白い魔力ディスクは、今も設計図を表示している。
「ここで、シアを作った経験が使えるかもしれません」
「シアさんを?」
「自分のカード召喚は、カードに記録された情報を魔力へ変換し、現実の存在として具現化しています」
右手中指の指輪型カードケース。
左手首に装着したシア。
そして、青白い魔力ディスク。
はちは、カードをディスクへセットすることで、記録された情報を魔力構造へ変えている。
召喚中は、カードが持つ性質と、具現化した存在の状態を一致させ続ける。
その機能は、ヘルカイザーの改造領域と、すべて同じではない。
しかし、情報を力へ変え、その性質を維持するという点では似ている。
「ヘルカイザーさんの方法を複製するのではなく、シアの情報具現化を、貯蔵用に変えるんです」
カード情報を魔力へ変える。
貯蔵する際は、逆にプラスエネルギーの性質を情報化する。
取り出す際は、記録した情報から、元のプラスエネルギーを再構築する。
方向を反対にすれば、シアがすでに持っている技術を応用できる可能性があった。
『逆変換機能の設計を開始しますか?』
「お願いします」
シアの魔力ディスクが、今までよりも強く光った。
新しい設計領域が開く。
左側には、四次元ポケットの内部空間。
右側には、シアの情報具現化機能。
中央には、プラスエネルギーを情報化し、元の状態へ戻す新しい変換領域。
三つの構造が、はちの目の前で接続されていく。
無論、すぐに完成するような単純なものではない。
情報化する際に、プラスエネルギーの性質をどこまで記録するのか。
同じ感情から生まれた力でも、個体差を別の情報として扱うのか。
蓄積中に性質が変化した場合、元の状態と現在の状態のどちらを優先するのか。
決めなければならない項目は、次々と増えていった。
「また、やることが増えています……」
フィナが、画面に並ぶ項目を見て呆いた。
「増えていますよ。そりゃもう、清々しいくらいに」
はちは苦笑した。
だが、少し前まで感じていたような、手掛かりのない不安ではない。
今は、元になる設計図がある。
ヘルカイザーが加えた改造領域の働きも、少しだけ見えた。
そして、はち自身が作ったシアの中に、応用できる技術がある。
少なくとも、何を試すべきかはわかっていた。
「……ハチ」
ステラが、はちの裾を引いた。
「今度は、できそう?」
「まだ、できるとは言えません」
はちは、ごまかさずに答えた。
「でも、やってみる価値はあります」
「……うん」
ステラは、新しい設計領域を見つめた。
自分の中へ、いずれ入るかもしれないデータ。
それでも、今はまだ彼女の本体には触れていない。
はちは約束を守っている。
模擬設計領域で、失敗しても彼女に影響が出ない方法を選んでいる。
「はちさん」
アテナが、静かに声を掛けた。
「ヘルカイザーの改造領域には、まだ多くの情報が隠されているのでしょうか?」
「間違いなく」
はちは、点滅するデータを見た。
「今見えたのは、取り出しの失敗に反応した一部だけです。別の条件を与えれば、また異なる構造が現れるかもしれません」
「そのすべてを解析するのですか?」
「いいえ」
はちは、首を横に振った。
「ヘルカイザーさんの次元神を完全に再現するのが目的ではありません。自分達が必要としているのは、プラスエネルギーを安全に蓄積し、必要なときに取り出すための構造だけです」
すべてを知ろうとすれば、何年掛かるかわからない。
それ以上に。
ヘルカイザーの技術を追ううちに、自分達の目的を見失うわけにはいかない。
「必要な働きだけを確認します。そして、自分達の技術で作り直します」
「それなら……」
アテナは、画面に向けていた視線をはちへ戻した。
「私達も、必要な記録を探します」
「お願いします」
「第二世代の研究者達が、この領域をどのように扱ったのか。解析できなかったとしても、実験中の反応は残っているはずです」
「私も探してきます!」
フィナが、久しぶりに大きな声を上げた。
その勢いで翼が広がり、すぐ後ろの装置へぶつかりそうになる。
「フィナ」
「はい!?」
「まず、翼を閉じてください」
「……はい」
アテナに静かに注意され、フィナは翼を小さくたたんだ。
はちは、そのやり取りを見て僅かに笑う。
張りつめていた空気が、少しだけ柔らかくなった。
◇ ◇ ◇
それから、数時間が過ぎた。
四次元ポケットの設計図。
シアの情報具現化機能。
ヘルカイザーの改造領域が示した、エネルギーの情報化と再構築。
三つの情報を参考にした、最初の試作データが完成していた。
『試作変換領域、起動準備完了』
シアの報告に、はちが姿勢を正した。
アテナとフィナも、古い研究記録を持って戻っている。
ステラは、先ほどと同じ位置に立ち、模擬設計領域を見上げていた。
「これから、二回目の収納試験を行います」
はちは、最初の試験と同じ量のプラスエネルギーを作った。
淡い金色の光が、指先へ集まる。
「収納開始」
光は、新しい変換領域へ入った。
性質、波形、密度、生成時の感情特性が、情報として記録されていく。
光は、その記録に対応する形で貯蔵領域へ収まった。
数値は安定している。
先ほどのような拡散もない。
「取り出します」
はちが指定すると、貯蔵領域の奥で光が動いた。
記録された情報が、取り出し口へ送られる。
新しい変換領域が、情報から元のプラスエネルギーを再構築する。
淡い光が、元の形を保ったまま外側へ現れた。
「……出ました」
フィナが、目を大きくした。
「波形を確認します」
はちは、まだ成功だと言わない。
シアが、収納前と取り出し後の情報を照合する。
感情特性。
波形。
密度。
内部に含まれる微細な魔力構造。
項目が一つずつ確認されていく。
『差異、許容範囲内です』
その言葉が響いた瞬間、フィナの顔が一気に明るくなった。
「できたのですか!?」
「最小構成の試験は成功です」
はちも、ようやく息を吐いた。
だが、はちはそこで次の試験へ進まなかった。
「今日は、ここまでにします」
最小構成が成功したからこそ、急いではいけない。
収納した光が時間と共に変質しないか。
貯蔵領域そのものに負荷が残っていないか。
一晩かけて観測しなければ、次の段階へ進むことはできなかった。
四人は交代で数値を確認しながら、金色の光を見守った。
そして翌朝。
収納したプラスエネルギーに変質はなく、貯蔵領域にも異常は見つからなかった。
「それでは、容量拡張試験を始めます」
はちが、模擬貯蔵領域へ新しい指示を送る。
次の試験は、容量の拡張。
先ほどの十倍。
百倍。
千倍。
段階的に注ぎ込まれるプラスエネルギーに合わせ、内部空間が広がっていく。
外側の設備に変化はない。
内部の次元容量だけが、蓄積量に応じて拡張する。
『容量拡張機構、正常に動作』
「引き続き、複数特性の同時蓄積へ移ります」
はちが用意したのは、三種類のプラスエネルギーだった。
ステラとフィナが向けてくれた、信頼。
アテナが研究の進展に抱いた、希望。
はち自身が、みんなと共に答えへ進んでいることで得た、安堵。
色も波形も異なる三つの光が、同時に貯蔵領域へ入った。
新しい変換領域が、それぞれの特性を記録する。
三つの光は同じ場所へ入りながら、互いの性質を侵さない。
識別情報ごとに独立した領域が作られ、必要な光だけを選択できる。
「信頼のエネルギーだけを指定」
金色の光が外側へ戻る。
希望と安堵の光は、貯蔵領域の中に残った。
『検索、選択、再構築、すべて正常です』
その日も、はちは結果を出した直後に次へ進まなかった。
三種類の光を貯蔵したまま、さらに一晩観測する。
翌日、三つの性質は混ざらず、保存時と同じ状態を保っていた。
ここまで来て、ようやく最も危険な試験へ進む準備が整った。
「次は、マイナスエネルギーとの隔離試験です」
研究棟の空気が、少し緊張した。
アテナが、模擬設計領域へ目を向ける。
「本物のマイナスエネルギーを使うのですか?」
「ごく少量だけ。それも、過去の研究記録に保存されていた模擬波形です」
ヘルカイザーの貯蔵庫と同等の力を使う必要はない。
まず確認すべきなのは、二つの力が近接した際、互いの領域へ侵入しないことだった。
黒い光が、模擬貯蔵領域の外側へ現れる。
内部にあるプラスエネルギーが、僅かに揺れた。
すぐに、新しい隔離機構が動作する。
二つのエネルギーの間へ、無色の次元膜が幾重にも展開された。
プラスエネルギーは、金色の光を保っている。
黒い光も、隔離膜の向こうから進んでこない。
『隔離状態、安定』
その瞬間。
はちが、マイナスエネルギーの波形を一時的に強めた。
「わふっ!?」
フィナが驚く。
黒い光が隔離膜へぶつかり、周囲の空間が軸んだ。
一枚目の膜が消える。
二枚目が波打つ。
それでも、三枚目がプラスエネルギーを守り、同時に新しい膜が補充された。
黒い光が元の強さへ戻る。
消えた膜も、数秒後に再生した。
『急激な出力変化に対する自動補修、正常に動作』
「……はちさん」
アテナの声が、低くなった。
「今のは、事前に説明するべきです」
「すみません……」
はちが、素直に頭を下げた。
「急に強くなる場合も確認しておきたくて……」
「理由は理解しました。ですが、次は先に言ってください」
「はい……」
フィナは、胸へ手を当てて大きく息を吐いた。
「でも、全部成功したのですよね?」
「模擬環境での基本試験は、すべて成功です」
はちは、試験結果を一つの画面へ集めた。
容量拡張。
複数特性の同時蓄積。
個別検索と取り出し。
急激な出力変化。
マイナスエネルギーとの隔離。
すべてが、定めた安全基準を満たしていた。
はちは、試作データを完成形として固定する。
『プラスエネルギー貯蔵庫プログラム、完成』
シアの声が、研究棟に響いた。
それから二日間。
はち達は完成したプログラムを何度も見直した。
同じ試験を条件を変えて繰り返し、意図的に一部の機構を停止させ、復旧機能も確かめる。
アテナは神界の設備で独自に計算を行い、シアの結果と照合した。
フィナはステラと行動を共にし、試験が彼女の心へ負担を残していないかを確かめた。
どの検証でも、危険な異常は現れなかった。
そして、神界へ到着してから七日目の朝。
四人は、次元神の根幹へ実装するため、再び研究棟へ集まっていた。
だが。
ステラの中へは、まだ入っていない。
プログラムが完成したことと、次元神の根幹へ実装できたことは、同じではなかった。
「……ハチ」
ステラが、はちを見上げた。
「これから、私に入れる?」
研究棟が静かになった。
はちは、すぐに答えない。
ステラの顔を見た。
不安は、きっと消えていない。
彼女は、過去に自分の意思を無視され、実験台にされた。
今、はちが同じことをすれば、どれほど安全なデータでも意味がない。
「ステラ。本当に、進めてもいいんですね?」
「……うん」
「怖いなら、止めます」
「怖い」
ステラは、正直に答えた。
「でも、ハチと一緒なら、進みたい」
はちの灰色の瞳が、僅かに揺れた。
「私の中に入るもの、全部見た」
「はい」
「失敗したところも、ハチが作り直したところも、見た」
「……はい」
「だから、決めた」
ステラが、はちの手へ自分の手を重ねた。
「ハチ。私と、一緒にやって」
はちは、その手を強く握らない。
逃げられないように押さえることもしない。
ただ、ステラが自分の意思で置いた手の温度を確かめた。
「分かりました」
はちは、アテナへ顔を向けた。
「実装を始めます」
「……承知しました」
アテナは、それでもすぐに設備を動かさない。
「緊急停止術式。データの逆流防止。実装前の根幹に戻すための復元記録。すべて、準備します」
「お願いします」
「フィナ」
「はい!」
「ステラさんの意識波形を監視してください。僅かでも異常があれば、すぐに報告を」
「はい、アテナ様!」
研究設備の周囲へ、幾重もの防護術式が広がった。
金色の神力が、ステラとはちの周囲を包む。
はちは、ステラの手を握ったまま、静かに呼び掛けた。
「ステラ」
「……うん」
「ユニゾンイン」
「ユニゾンイン」
二人の声が重なった。
ステラの身体が、柔らかな金色の光となってはちへ溶け込む。
はちの片方の瞳が、灰色から金色へ変わった。
黒を基調としたバリアジャケットが展開され、周囲に虹色を含んだ次元の揺らぎが現れる。
だが、今は戦うためではない。
二人の意識が重なった状態で、次元神の根幹へ接続するためだ。
『プラスエネルギー貯蔵庫プログラム、読み込みを開始します』
シアの声が響く。
青白い魔力ディスクから、金色の光の線が伸びた。
はちとステラの中にある、次元神の根幹へ接続する。
最初に、新しい貯蔵領域の座標が登録された。
次に、プラスエネルギーを識別する入り口。
情報化と再構築を担う変換領域。
マイナスエネルギー貯蔵庫から完全に独立させるための隔離機構。
一つずつ、根幹へ追加されていく。
『進行率、二十五パーセント』
はちの胸の奥が、僅かに重くなった。
マイナスエネルギーの領域が、新しい光に反応している。
黒い波形が押し寄せ、新しい貯蔵庫へ触れようとする。
すぐに、隔離機構が動作した。
無色の次元膜が広がり、黒い波形の進行を止める。
「ステラ、大丈夫ですか?」
『……大丈夫。ハチも、そばにいる』
「はい。ずっといます」
『進行率、五十パーセント』
次元内部に、二つの領域が形成された。
一方は、既存のマイナスエネルギー貯蔵庫。
もう一方は、今、新しく作られているプラスエネルギー貯蔵庫。
二つの領域は互いへ干渉せず、まったく別の次元座標へ固定されていく。
『進行率、七十五パーセント』
金色の光が、はちの中へ流れ込んだ。
ステラが感じている信頼。
アテナとフィナが、二人の成功を願う心。
研究棟にある、小さくても確かなプラスエネルギー。
それらが、新しい入り口へ向かう。
金色の光は情報化され、性質を保ったまま貯蔵庫へ収められた。
マイナスエネルギーの領域は、その光に触れない。
二つの力は、反発しない。
食い合うこともない。
それぞれの場所で、安定している。
『進行率、九十五パーセント』
忽然、ステラの意識波形が大きく揺れた。
「ステラ!」
『……怖い』
ステラの声が、はちの内側で響いた。
過去の記憶が、一瞬だけ彼女の心に浮かんだのだろう。
拘束され、意思を無視され、次元神へ変えられた時間。
新しいデータが自分の中へ入る感覚が、その記憶と重なった。
はちは、読み込みを急かさない。
ステラの意識だけを見つめた。
「止めますか?」
『……』
「今なら、まだ安全に戻せます」
『……ハチは、勝手に決めない?』
「決めません」
『私が、進みたいと言ったから?』
「はい」
短い沈黙があった。
フィナは、意識波形の揺れを見ながら、すぐに止められるよう手を構えている。
アテナも、緊急停止術式を起動した状態で待っていた。
『……進む』
ステラが、自分で答えた。
『怖いけど、ハチと進む』
「分かりました」
はちは、読み込みを再開した。
『進行率、百パーセント』
最後のデータが、次元神の根幹へ固定された。
金色の光が広がる。
黒い波形は、隔離領域の向こうへ静かに収まった。
二つの貯蔵庫が、同じ次元神の中に存在しながら、互いの力を侵さない構造として完成した。
『実装完了』
『プラスエネルギー貯蔵庫、正常に起動』
『プラスエネルギーを、次元神の新たな力の源として登録しました』
シアの報告が、研究棟へ響き渡った。
しばらく、誰も声を出さなかった。
「……ステラ」
『うん』
「大丈夫ですか?」
『大丈夫……ハチの中、あったかい』
はちは、大きく息を吐いた。
ユニゾンを解除する。
金色の光が、はちの中から離れた。
ステラが元の姿へ戻り、はちの目の前へ降り立つ。
その身体に異常はない。
意識波形も安定している。
契約、ユニゾン機能、封印されたステラ自身の能力にも、予期しない変化はなかった。
「ステラさん……」
フィナが、恐る恐る名前を呼ぶ。
「……なに?」
「本当に、大丈夫ですか?」
「うん」
ステラは、自分の胸へ手を当てた。
「前と違う光、ある」
アテナの表情が、僅かに緩んだ。
「成功、したのですね」
「最後の動作確認が残っています」
はちは、まだ完成と言い切らなかった。
もう一度ステラとユニゾンし、実際にプラスエネルギーを使って次元神の能力を動かす必要がある。
ステラは、その言葉を聞いても逃げなかった。
「もう一回、やる」
「……お願いします」
二人は、再びユニゾンした。
はちの片方の瞳が金色に変わる。
今度は、シアからデータを送らない。
はちとステラの中に実装されたプラスエネルギー貯蔵庫を、その場で起動する。
研究棟に存在する、信頼と希望のプラスエネルギーが新しい入り口へ集まった。
金色の光として、次元内部へ蓄えられる。
「ディメンションゲート」
はちの目の前に、小さな波紋が広がった。
水面に光を落としたような、金色と虹色の揺らぎ。
波紋の中心が歪み、小さな次元の門が開いた。
黒いマイナスエネルギーは、一度も流れてこない。
プラスエネルギーだけが、門の座標を支えている。
門の向こう側には、研究棟の隣室が見えていた。
はちは、机の上に置いてあった小さな空の記録結晶を手に取った。
次元の門へ入れる。
結晶は門の向こうへ消え、数秒後、隣室の受取台へ静かに現れた。
『座標誤差、ゼロ』
『転送対象への損傷、ありません』
『プラスエネルギーのみで、次元神の基本能力が正常に動作しました』
シアの報告を聞き、はちは門を閉じた。
金色の波紋が、静かに消えていく。
しばらく待っても、異常は起きなかった。
貯蔵庫の内部も安定している。
ステラの意識波形にも、変化はない。
「……完成、です」
はちの声が、小さく研究棟へ響いた。
ユニゾンを解除した瞬間、フィナがステラへ駆け寄った。
「ステラさん!」
「……わふっ」
ステラは、フィナの勢いに驚いたように瞳を大きくした。
フィナはその手前で止まり、抱きつく代わりに両手を強く握る。
「よかったです……本当に、よかったです……」
「……うん」
アテナは、二人のそばへゆっくり近づいた。
はちが開いた完成データを見る。
プラスエネルギー貯蔵庫。
それは、ヘルカイザーのマイナスエネルギー貯蔵庫と対になる、新しい次元構造だった。
同じ技術をそのまま反転させたものではない。
物語から現れた設計図。
白き研究者の改造領域。
はちとシアが作り上げた、情報と魔力を繋ぐ技術。
それらを使い、ステラと意思を確かめながら作った、四人の答え。
「はちさん」
アテナが、穏やかな声で呼び掛けた。
「お疲れ様でした」
「いえ……自分だけでは、完成していませんよ」
はちは、ステラ達を見た。
「アテナさんが安全設備を用意してくれた。フィナさんがステラの状態をずっと見ていてくれた。ステラが、自分の意思で一緒に進んでくれた」
そして、シアが幾つもの技術を一つの構造へ組み上げた。
「だから、みんなで完成させた貯蔵庫です」
ステラが、はちの隣へ立った。
「……ハチ」
「なんですか?」
「今度の力、暖かい」
はちは、少しだけ目を細めた。
「それなら、よかったです」
完成した貯蔵庫の中で、金色の光が静かに増えていた。
信頼。
希望。
安堵。
誰かを守りたいと願う心。
ヘルカイザーの暴走へ対抗するための力は、この日、神界で完成した。
それは、彼を倒すためだけの力ではない。
マイナスエネルギーだけを抱え込んだ次元神へ、別の道があると示すための力。
白き研究者が、一人で辿り着けなかった答え。
はちとステラは、その光を共に持つ存在となった。
――第85話・終――




