第84話 未完成の意味と、存在しない設計図
――神界到着後・二日目/第83話直後――
「……やっぱり、なんでだぁぁぁぁぁっ!!」
本日三度目となるはちの叫びが、神界の研究棟へ響き渡った。
次元神の根幹データ。
神界の研究設備でも解析できず、約三十万年という時間を経ても構造が明らかにならなかった領域。
その元になった発想が、四次元ポケットだった。
子供向けの物語に登場する、外見よりも遥かに大きな内部を持ち、必要な道具を取り出すことのできる不思議なポケット。
検索結果は、それと次元神の根幹構造が、異常なほど高い割合で一致していると示していた。
はちは操作卓へ両手をついたまま、しばらく動かなかった。
長い灰黒色の髪が、力なく肩から流れ落ちている。
「……ハチ」
ステラが、隣から袖を引いた。
「……生きてる?」
「生きていますよ……」
返事はあった。
ただし、声からは研究を始めたときの勢いが消えている。
フィナは心配そうに二人を見たあと、アテナへ小声で尋ねた。
「アテナ様。あの四次元ポケットというものは、それほど衝撃的なのでしょうか?」
「私にも、まだ分かりません」
アテナは表示された検索結果へ目を向ける。
「ですが、はちさんにとっては、神々にも解析できなかった力の根源に置かれているとは思わないものだったのでしょう」
「物語の道具……なのですよね?」
「そう伺いました」
二人の会話が聞こえたのか、はちの肩が僅かに震えた。
「そうですよ……」
はちは、ゆっくりと顔を上げる。
「物語の道具です。便利ですし、夢がありますし、一つくらい道具を使ってみたいと思ったこともありますよ」
そこで、目の前の次元神データを指差した。
「でも、世界を滅ぼせるほどの力の根幹に使うものではないでしょう!?」
「……世界を滅ぼせるかどうかは、使用する方の問題では?」
「冷静に返さないでください、アテナさん!」
「す、すみません」
アテナが反射的に頭を下げる。
その横で、フィナは笑いそうになった口元を両手で隠していた。
はちは、深く息を吐いた。
驚きが大きすぎて、先ほどは叫ぶことしかできなかった。
けれど。
検索結果を見続けていると、別の疑問が浮かんでくる。
単に、元の発想が意外だったというだけではない。
次元神を最初に完成させた人物。
ヘルカイザーが、何故この物語の道具を参考にしたのか。
「……何で、ヘルカイザーさんは四次元ポケットを参考にしたんですかねぇ」
今度の声は、先ほどまでよりも静かだった。
アテナの表情が変わる。
フィナも、口元から手を下ろした。
「……いえ。それ以前に」
はちは、四次元ポケットと表示された検索結果を拡大した。
「ヘルカイザーさんは、どうやってこれを作り上げたんです?」
「作り上げた……?」
「参考にするだけなら、誰にでもできます。外見よりも遥かに広い空間へ物を保存し、必要な物を取り出せる。そんな能力があれば便利だと考えることもできます」
だが。
思い付くことと、現実に動かすことは同じではない。
「四次元ポケットは物語の道具です。現実に製造するための設計図も、内部構造を示す資料もありません」
はちは、次元神の根幹データを指先でなぞった。
「なのに、ヘルカイザーさんは物語の設定を、実際に動く次元構造へ変えた。保存領域を作り、次元座標を維持し、必要な対象へ接続できる根幹まで完成させています」
「つまり……」
アテナは、はちが抱いた疑問へ気付いた。
「ヘルカイザーは、物語では語られていない技術を、自ら構築したということですか?」
「そうなります」
全世界の知識で検索しても、見つかったのは四次元ポケットが持つ性質だけだった。
製造方法は存在しない。
術式もない。
数式もない。
次元空間を安定させるための手順もない。
それでもヘルカイザーは、存在しない技術を現実へ引き出した。
「何を使って、物語の設定を実用データへ変えたんですか?」
はちの問いに答えられる者は、研究室にはいなかった。
「あの人だけが使える知識があるのか。それとも、一から必要な理論を作ったのか……」
次元神を完成させた研究者。
その技術力が異常であることは、以前から分かっていた。
だが、今まで考えていた異常さとは規模が違う。
既存技術を発展させたのではない。
現実には存在しない道具を元に、現実で動く技術体系そのものを生み出している。
「……本当に、どうやって作ったんですかねぇ」
はちの声には、呆れだけでなく、研究者としての警戒が混じっていた。
その方法が分からない限り。
自分達が次元神の根幹を補う際にも、同じ壁へ突き当たる可能性が高い。
これは、ヘルカイザーの過去を知るためだけの疑問ではない。
プラスエネルギーの貯蔵庫を完成させるためにも、避けては通れない問題だった。
「ヘルカイザーさんが参考にしたと、断定できるのですか?」
「次元神の第一世代を完成させたのは、あの人です」
はちは、検索結果と根幹データを並べる。
「それに、この部分は後から神界で加えられたものではありません。流出した研究データの中に、すでに存在していた構造です」
「では、ヘルカイザーさんの次元神にも……」
「同じ根幹が入っているはずです。ただし――」
はちは、表示された一致箇所を拡大した。
「自分達の次元神には、構造の一部しか残っていません」
アテナが画面へ近付く。
四次元ポケットを元にしていると判明した根幹。
その中には、幾つもの欠損領域が存在していた。
これまでは、解析不能な情報が並んでいると考えていた。
意味のない空白。
あるいは、再現実験の途中で壊れた部分。
だが、元になった発想が分かった今なら、見え方が変わる。
物を保存する領域。
保存した物を識別する領域。
必要な物へ瞬時に接続する検索領域。
外側の入り口を移動させても、内部空間との接続を維持する領域。
現在の次元神には、それぞれの機能を示す枠だけがある。
その枠の内側が、完全には埋まっていない。
「これは……」
アテナが、小さく息を呑んだ。
「未完成、ということですか?」
「……はい」
はちは、ゆっくり頷いた。
その言葉を口にした瞬間。
アルカディア上空で聞いた、ヘルカイザーの声が蘇る。
『はちさんが使っている次元神は、未完成ですねぇ♪』
あのときは、完成したものと比べて未完成だとしか説明されなかった。
何が足りないのか。
どうして神界の科学者たちは、流出したデータを完全に再現できなかったのか。
具体的な部分までは、分からないままだった。
「……そういうことだったんですね」
はちが呟く。
「ヘルカイザーさんが言っていた、未完成の意味」
「次元神のデータを、すべて再現できなかったから……」
フィナが続ける。
「いえ。それだけではありません」
はちは、欠損した領域を示した。
「神界の科学者達は、完全なデータを見ながら作業していたつもりだったはずです。流出したのは、ヘルカイザーさんが完成させた次元神の研究データでしたから」
「ですが、こちらには足りない部分があります」
アテナが言う。
「はい。データが最初から欠けていた可能性もあります。次元の狭間を流れている間に壊れた可能性もある」
はちは、そこで首を横へ振った。
「でも、それだけではないと思います」
「他に、何が?」
「読めなかったんです」
研究室が静かになる。
「神界の科学者達は、この根幹を解析できなかった。アテナさん達も、あとから解析を試みたけれど、できなかった」
「……はい」
「なら、ステラを次元神へ変えた研究者も、ここへ気付けなかったはずです」
アテナの瞳が、僅かに見開かれた。
ステラが、画面へ顔を向ける。
「……私を、実験体にした者も?」
「おそらく」
はちは、慎重に答えた。
「その研究者が、四次元ポケットを知っていたとは考えにくいです。知っていたとしても、流出したデータの根幹が、その物語を元にしていると見抜けなければ意味がない」
術式として解析する。
エネルギー経路として解析する。
次元干渉の数式として解析する。
どの方法を使っても、意味のある構造として読み取れない。
何故なら、その奥に置かれていたのは、神界の術式だけでは理解できない発想だった。
物語の中に存在する道具。
現実の技術ではないものを、実現するために組み上げられた根幹。
「神界の科学者達は、外側から確認できる結果を使って、次元神を再現したんだと思います」
空間を開く。
物を転送する。
攻撃を別の次元へ逃がす。
次元の中へ物を保存する。
流出したデータを動かし、結果を観測し、理解できる部分だけを別の術式へ置き換えていく。
「だから、似た能力は作れた」
はちは、ステラを見る。
「でも、根幹は再現できなかった。何を目的に作られた構造なのか分からないまま、外から見える機能だけをつないだ」
「……それで、未完成になった」
「はい」
ステラは、自分の胸元へ手を添えた。
未完成。
以前は、その言葉を聞くたび、自分の存在そのものを否定されたように感じていた。
望んで得た力ではない。
数え切れない苦痛を与えられ、人工次元神として作り変えられた。
その結果さえ、完成したものではなかった。
けれど、今は。
はちが見ているのは、ステラ自身の価値ではない。
彼女へ組み込まれた、技術の欠損だ。
「ステラ」
はちが呼び掛ける。
「未完成なのは、ステラではありませんよ」
「……うん」
「貴女へ勝手に組み込まれた、次元神の再現データです」
「……分かってる」
小さな返事だった。
それでも、ステラの胸元へ添えられた手から、少しだけ力が抜ける。
アテナは、そんな二人を見つめていた。
過去を変えることはできない。
ステラが受けた苦しみも、なかったことにはならない。
だが、長い間分からなかった事実が、ようやく一つの形を持ち始めている。
◇ ◇ ◇
「……そういえば」
はちは、別の記憶を辿るように呟いた。
「あの人は、研究データが流出した話をするとき、何と言っていました?」
シアが、過去の記録を検索する。
『該当する会話記録を表示します』
立体画面へ、アルカディア上空での会話が表示された。
『一度だけ、次元神の研究データが、外へ流れてしまったことがありましたねぇ』
『まったく……あの方は』
『天屋物さんのせいで、次元の狭間へデータが流れてしまったんですよ♪』
当時のヘルカイザーの声。
深刻な事故について話しているはずなのに、口調は軽かった。
さらに。
『……ああ。そういえば』
話を始める前に、確かにそう言っていた。
「忘れていたみたいな言い方ですね」
フィナが呟く。
「自分も、ずっと気になっていました」
はちは記録を停止した。
「完成させた次元神の研究データですよ? それが次元の狭間へ流出して、遥か過去へ届いた。普通なら、忘れられるような話ではありません」
「天屋物さんという方の事故だったのですね」
「はい。ヘルカイザーさんが、自分から流出させたわけではありません」
そこは、事実関係を整理しなければならない。
流出の原因となったのは、天屋物という人物の事故。
神界で第二世代の人工次元神を作ったのは、流れ着いたデータを発見した科学者達。
ヘルカイザーは、ステラを実験体にするよう命じていない。
そのことは、すでに本人へ確認している。
「ですが、流出したあと、必死に回収しようとした様子もありませんでした」
はちは、画面に残る根幹データへ視線を戻した。
「何故なのか、ようやく分かった気がします」
「解析できないと、知っていたのですね」
アテナが答えへ辿り着く。
「おそらく」
はちは頷いた。
「自分の次元神を完成させた本人なら、この根幹がどれほど特殊か分かっていたはずです。データだけを手に入れても、四次元ポケットを元にしていると気付かなければ解析できない」
「仮に気付いたとしても、物語にしか存在しない道具です」
「はい。仕組みを知らずに、完全な再現はできません」
だから。
ヘルカイザーは、流出したデータを回収できなかったとしても、すぐに同じ次元神が作られるとは考えなかった。
誰かがデータを発見しても。
高度な技術を持つ者が解析しても。
外側の機能を真似することはできるかもしれない。
しかし、完成形へは届かない。
「解析できるはずがないと、踏んでいたんです」
はちは静かに告げた。
「だから、あの人は忘れるほど気にしていなかった」
「その結果として、神界では未完成の次元神が生み出された……」
フィナの表情が曇る。
「そして、ステラさんが……」
その先は、言葉にならなかった。
技術が完成していなかったから、ステラの苦痛が軽かったわけではない。
むしろ。
不完全なデータを無理に再現しようとしたことが、実験を長引かせた可能性すらある。
はちは拳を握り掛け、ゆっくり開いた。
怒りの向かう先を、混ぜてはいけない。
ヘルカイザーが作った技術。
天屋物の事故による流出。
神界の科学者達が行った再現。
ステラを実験体にした研究者。
それぞれが別の行動を選び、その積み重なりが今へ続いている。
「ヘルカイザーさんが、どこまで予想していたのかは分かりません」
はちは言った。
「誰かが外側だけを再現することまで考えていたのか。未完成の次元神が生まれると想像していたのか。そこは、本人へ確認しなければ決められません」
「はい」
アテナが頷く。
「ですが、流出したデータが簡単には解析できないと知っていた可能性は高いと思います」
「自分も、そう思います」
はちは再び、四次元ポケットと表示された検索結果を見た。
「性格が悪いくらい、見事な隠し方ですよ」
「隠すために使ったのでしょうか?」
「最初の目的は、違うかもしれません」
必要な物を保存する。
外見より広い内部空間を持つ。
求めた道具を、瞬時に取り出す。
次元を扱う能力を考えるうえで、四次元ポケットという発想は確かに分かりやすい。
「もしかしたら、あの人も最初は『これを再現できたら便利だ』くらいに考えたのかもしれません」
はちは、過去のヘルカイザーを想像する。
発明品を作ることを楽しみ。
何かを思い付き。
どうすれば実現できるのかを考え始める研究者。
「そこから本当に形にした結果、ほかの者には意味の分からない根幹になった」
「本人だけが、元の発想を知っているから扱える……」
「はい。そして完成後には、解析を防ぐ役目まで果たした」
偶然だったのか。
そこまで計算していたのか。
今はまだ分からない。
ただ、次元神の第一世代と第二世代の違いは、見え始めていた。
◇ ◇ ◇
「……では」
アテナが、欠損した根幹データを見つめる。
「はちさんとステラさんの次元神を完成形へ近付けるには、ここを補う必要があるのですね」
「そうなります」
はちは答えた。
「プラスエネルギーの取り込み口だけなら、今の構造を残したまま書き換えられました。基本能力も動かせた」
だが、貯蔵庫との接続は違う。
外見の大きさに縛られない内部空間。
保存対象の識別。
必要な力を選び、瞬時に取り出す検索処理。
それらは、四次元ポケットを元にした根幹そのものへ関わっている。
未完成の構造へ、新しい貯蔵庫だけを接続しようとしても、最後の調整で食い違う。
「根幹へ、足りない部分を加えなければなりません」
「全世界の知識で見つけた内容を、先ほどのように書き換えるのですか?」
フィナの問いに、はちはすぐには答えなかった。
青白い魔力ディスクへ、新しい検索結果を表示する。
四次元ポケット。
その概要。
どのような物を保存できるのか。
どのように道具を取り出すのか。
物語の中で示された、さまざまな働き。
知識は存在している。
だが。
「……これ、設計図ではないんですよねぇ」
はちが呟いた。
「はい?」
「全世界の知識で見つけられたのは、四次元ポケットがどういう道具なのかという情報です」
何ができるのか。
どのように使われるのか。
物語の中で、どのように描かれているのか。
それらは検索できる。
しかし。
内部をどのような数式で作るのか。
次元座標を、どう固定するのか。
無数の道具へ、どのような識別情報を与えるのか。
使用者が求める物を、どう読み取るのか。
実物を作るための技術資料は存在していない。
「四次元ポケットは、物語の道具です」
はちは、改めて言った。
「物語の中では、すでに完成したものとして登場します。どうやって作ったのかまで、現実に再現できる形では説明されていません」
「……それでは」
フィナの声が小さくなる。
「足りないデータを、どこから持ってくるのですか?」
「そこが、新しい問題です」
はちは、ステラの次元神プログラムを表示した。
欠損している根幹領域。
その外側へ、新しく作ろうとしているプラスエネルギー貯蔵庫。
両者を繋ぐには。
物語にしか存在しない道具の概念を、実際に動作するデータへ変えなければならない。
「四次元ポケットを作るためのデータを、自分達で作る必要があります」
「……ハチが、作る?」
ステラが尋ねる。
「はい。ただし、それだけでは終わりません」
はちは、彼女を真っ直ぐ見た。
「完成させたデータを、ステラの次元神へ読み込ませる必要があります」
研究室の空気が変わった。
アテナが、すぐに表情を引き締める。
「ステラさんご自身へ、ですか?」
「正確には、ステラと自分がユニゾンした際に使っている次元神の根幹です」
「ですが、その根幹はステラさんの中にあるのでしょう?」
「はい」
だからこそ、簡単には進められない。
複製プログラムへ新しい処理を加えるのとは、意味が違う。
今度は。
ステラの中に残る未完成の次元神へ、これまで存在しなかった根幹データを読み込ませる。
失敗すれば、次元神の能力が使えなくなるだけでは済まない可能性がある。
彼女自身の意識。
はちとの契約。
ユニゾン機能。
封印されているステラ自身の次元神能力。
どこまで影響が及ぶのか、まだ分からない。
「危険です」
アテナが、はっきりと告げた。
「物語上の道具を元に、新しい根幹データを作る。そのうえで、ステラさんの中へ読み込ませるのですね」
「はい」
「完成したデータが正しいと、何を基準に確かめるのですか?」
「今は、基準そのものから作らなければなりません」
「では、すぐに実行することは認められません」
「無論です」
はちは、迷わず答えた。
「自分も、今すぐ本体へ読み込ませるつもりはありません」
アテナは、僅かに目を見開いた。
止められると思っていたのかもしれない。
だが。
これは、研究を早く進めたいという気持ちだけで触れてよい場所ではない。
「最初は、完全に切り離した模擬データで作ります」
はちは手順を書き出していく。
一つ。
四次元ポケットの機能を、次元神へ必要な範囲だけ定義する。
二つ。
物語上の表現を、次元座標と保存処理へ置き換える。
三つ。
ステラの次元神を複製した隔離プログラムへ読み込ませる。
四つ。
保存、検索、取り出し、容量拡張を繰り返し試験する。
五つ。
プラスエネルギー貯蔵庫へ接続し、反発や逆流が起きないことを確認する。
「それでも本体へ入れる前には、別の試験が必要です」
「……私が、いなくても試せる?」
ステラが、画面を見ながら尋ねた。
「途中までは」
はちは正直に答える。
「ですが、最後はステラとの接続を確認しなければなりません。次元神の根幹だけが動いても、貴女に負担が掛かるなら使えませんから」
「……そう」
ステラは、少し黙った。
アテナが、彼女の様子を心配そうに見守る。
「ステラさん。決めるのは、データが完成してからでも遅くありません」
「……うん」
「怖いと感じるのであれば、断ってよいのです」
「……分かってる」
ステラは頷いた。
それから、はちへ顔を向ける。
「ハチは、どうしたい?」
「自分は……」
はちは、すぐには答えなかった。
ヘルカイザーへ対抗するため。
プラスエネルギーの貯蔵庫を完成させるため。
次元神を、マイナスエネルギーだけに依存しない力へ変えるため。
進みたい理由はある。
けれど。
ステラを再び実験台にすることだけは、絶対にしたくない。
「作れるところまでは、作ります」
はちは静かに答えた。
「安全に使えると確認できるところまで、調べます」
「……そのあと?」
「ステラへ読み込ませるかどうかは、一緒に決めます」
「ハチが、決めるんじゃない?」
「自分だけでは決めません。これは、ステラの中へ入れるものですから」
ステラの金色の瞳が、僅かに揺れた。
「それに」
はちは続ける。
「貴女を次元神として完成させることが目的ではありません」
「……違うの?」
「自分達が必要としているのは、プラスエネルギーを安全に扱い、ヘルカイザーさんの暴走へ対抗する方法です」
未完成という言葉を消すためではない。
ヘルカイザーの完成形へ近付くためでもない。
まして、ステラの価値を証明するためでもない。
「必要な部分だけを作ります」
はちは、四次元ポケットの検索結果から、幾つかの機能を外した。
物語に登場する無数の道具。
時間に関わる機能。
別の世界へ直接干渉する機能。
次元神の貯蔵庫に必要のないものは、最初から対象にしない。
「自分達が作るのは、四次元ポケットそのものではありません」
外見より広い内部空間。
保存対象の識別。
必要なエネルギーを検索し、取り出す機能。
プラスエネルギーの量に応じて、安全に容量を変化させる仕組み。
「この四つを、次元神が読み込めるデータへします」
「物語の道具を、そのまま再現するのではないのですね」
アテナが確かめる。
「はい。そんなことを始めたら、何年掛かるか分かりません」
「……全世界の知識があっても?」
「存在しない設計図は、検索しても完成品では出てきませんよ」
はちは、少し困ったように笑った。
「分かっている情報から、使える形へ組み直す必要があります」
「それを、はちさんが?」
「シアと、ステラと。アテナさん達にも、お手伝いいただきたいです」
「無論です」
アテナは、すぐに答えた。
「危険を確認する役目も含め、最後まで協力します」
「私もお手伝いします」
フィナも続く。
「神界の古い研究記録を、もう一度すべて調べます。解析できなかった記録にも、今なら意味の分かる反応が残っているかもしれません」
「助かります」
はちは頷いた。
最後に、ステラを見る。
彼女は、画面に表示された欠損領域を見つめていた。
かつて、自分を苦しめた研究者達が埋められなかった場所。
ヘルカイザーが未完成と呼んだ理由。
その空白へ、今度は新しいデータを入れようとしている。
同じ実験ではない。
はちは、勝手に決めないと言った。
嫌なら断ってよいと、アテナも言った。
それでも。
怖くないわけではなかった。
「……私も、見る」
ステラが、ゆっくり口を開く。
「作っているところ、全部見る」
「はい」
「分からないこと、教えて」
「全部、説明します」
「……勝手に、入れない?」
「絶対に入れません」
はちの返事に、迷いはなかった。
ステラは、ようやく小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
次に必要な作業が、画面へ並べられた。
物語上の四次元ポケットが持つ機能を整理する。
その中から、次元神の貯蔵庫に必要な性質だけを抜き出す。
抽象的な設定を、数式と次元座標へ変換する。
保存と検索の仕組みを、プラスエネルギーに合わせて組み直す。
そして。
完成したデータを、ステラの次元神が読み込める形式へ変換する。
「……ここが一番難しいですね」
はちは、最後の項目を見つめた。
「データを作るだけなら、外側で何度でも試せます。ですが、ステラの次元神へ読み込ませるには、根幹が受け付ける形式でなければならない」
「現在の根幹は、解析できないのですよね」
「はい。入り口の形式すら、完全には分かっていません」
完成した情報を、どこから入れるのか。
読み込んだ情報を、どの領域へ固定するのか。
既存の能力を壊さず、欠損した部分だけを補うには、どの順序で反映するのか。
問題は増えていた。
「まるで、鍵穴が見えない扉へ、鍵を作ろうとしているようですね」
アテナの言葉に、はちは頷く。
「しかも、元になる鍵は物語の中にしかありません」
「……難しいです」
フィナが呟いた。
「ええ。難しいですよ」
はちは、画面へ新しい作業領域を開く。
「だから、一つずつ作ります」
まずは、必要な機能の定義。
次に、模擬データ。
その次に、隔離環境での試験。
ステラの本体へ触れるのは、すべてが終わったあとだ。
はちは、最初の項目へ文字を入力した。
『外部容積に依存しない、次元内貯蔵領域』
続けて、二つ目。
『保存対象ごとの識別情報』
三つ目。
『使用者の要求に応じた検索と選択』
四つ目。
『プラスエネルギー量に応じた、安全な容量拡張』
そこまで入力し、手が止まる。
「……これを、あのポケットから作るんですよねぇ」
「はい」
「……物語にしかないのに」
「はい」
「……最後はステラの次元神へ読み込ませる」
「その予定です」
アテナが一つずつ肯定するたび、はちの肩が下がっていく。
「やることが増えましたね」
フィナが、なるべく明るく声を掛けた。
「増えたどころではありませんよぉぉぉっ!」
はちは、頭を抱えた。
「貯蔵庫を作る前に、物語の道具を実用データへ変換して、そのデータを解析不能な次元神へ読み込ませる方法まで作るんですよ!?」
「……ハチなら、できる」
ステラが、隣で静かに言う。
はちの動きが止まった。
「簡単に言いますねぇ……」
「簡単じゃない。でも、ハチなら考える」
「……まあ、考えますけど」
「私も、一緒に考える」
ステラの声は小さい。
けれど、はっきりしていた。
はちは、頭から手を離す。
「……そうですね」
もう一度、作業画面を見る。
次元神が未完成だった意味は分かった。
ヘルカイザーが流出したデータを深刻に扱わなかった理由も、推測できた。
しかし。
答えを一つ見つけたことで、次に越えなければならない壁も明らかになった。
存在しない設計図。
解析不能な読み込み口。
ステラの中へ、新しい根幹データを入れる危険。
どれも、まだ解決していない。
それでも、何が足りないのか分からなかった昨日までとは違う。
作るべきものは、見えている。
「では、始めましょうか」
はちは椅子へ座り直した。
「四次元ポケットを、そのまま作るわけではありません」
青白い魔力ディスクの上へ、新しい設計領域が広がる。
「自分達に必要な次元貯蔵構造を、一から定義します」
シアが、設計補助機能を起動する。
『新規設計領域を確保しました』
「アテナさんは、神界で行われた過去の解析記録をお願いします」
「分かりました」
「フィナさんは、第二世代を作った研究者達が、どの部分を置き換えたのか調べてください」
「はい」
「ステラは、自分と一緒に根幹データを確認しましょう」
「……うん」
四人の前へ、それぞれ異なる記録が展開される。
研究は、次の段階へ入った。
プラスエネルギーを取り込むための書き換えから。
次元神の失われた根幹を補うための、新しい設計へ。
その先には、完成したデータをステラへ読み込ませるという、最も危険な工程が待っている。
はちは、最後にもう一度だけ確認した。
「ステラ。本当に、途中まで一緒に進めていいんですね?」
「……うん」
「怖くなったら、いつでも止めます」
「ハチも」
「わふっ?」
「ハチも、怖くなったら言って」
はちは、少しだけ目を丸くした。
それから、柔らかく笑う。
「分かりました」
一人で作り。
誰にも理解されないまま完成させた、第一世代の次元神。
流出したデータを解析できないまま、誰かを犠牲にして再現された第二世代。
今度は、そのどちらとも違う。
作られる側の意思を置き去りにしない。
分からないことを隠さない。
危険を確かめながら、必要なものだけを一緒に選ぶ。
次元神へ読み込ませる新たなデータは、まだ一文字も完成していない。
それでも。
はちとステラは、同じ画面を見つめていた。
物語の中にしか存在しない道具を。
現実に動く、安全な力へ変えるために。
――第84話・終――




