第83話 最後の調整と、まさかの原典
――神界到着後・二日目――
翌朝。
はちは、アテナとフィナ、そしてステラと共に、再び神界の研究棟を訪れていた。
昨日と同じ円形の研究室。
中央に設置された観測台。
その周囲を囲む操作卓と、何層にも重ねられた透明な隔離障壁。
見慣れたばかりの設備ではあるが、昨日とは違う緊張が室内を満たしていた。
昨日行ったのは、複製した次元神プログラムを使った試験だった。
プラスエネルギーを認識する。
取り込んだ力を、次元神の能力を動かすための出力へ変える。
その二つについては、安全な隔離環境の中で成功している。
今日からは、はちとステラが実際に使用している次元神のプログラムへ、変更した処理を一つずつ組み込む。
複製だけを動かしていた昨日より、慎重さが求められる作業だった。
「では、始めましょうか」
はちは観測台の前で立ち止まり、左手首へ目を向けた。
「シア。昨日の試験記録と、隔離保存している複製プログラムを表示してください」
『承知しました、ハチ様』
――カシュッ。
左手首のSIAが左外側へ展開する。
続いて、青白い魔力ディスクが形成された。
今回はカードを使用しない。
魔力ディスクは、シアと研究設備を接続し、膨大な情報を処理するために展開されている。
複数の立体画面が観測台の周囲へ浮かんだ。
昨日の試験結果。
プラスエネルギーの判別式。
変換処理の途中で起きた逆流。
それを防ぐために加えた切り替え命令。
そして、白金色の力で安定して動いた複製プログラム。
記録された数値を、はちは上から順番に確認していく。
「異常な変化はありませんね」
『隔離保存後、複製プログラムに新たな変質は確認されていません。昨日の最終状態を維持しています』
「分かりました」
はちは、隣に立つステラへ顔を向けた。
「ステラ。準備は大丈夫ですか?」
「……うん」
ステラは、はちを真っ直ぐ見つめる。
「ハチと、一緒にやる」
「無理を感じたら、すぐに教えてくださいね」
「……ハチも」
「わふっ?」
「ハチも、無理を感じたら止める」
「……はい」
先に釘を刺され、はちは素直に頷いた。
その様子を見たフィナが、小さく笑う。
「ステラさんが一緒なら、はちさんも無茶はできませんね」
「自分は、いつも安全を優先していますよ?」
「昨日、休憩の時間を三回忘れていました」
「それは集中していただけです」
「三回です」
「……わふっ」
逃げ道を塞がれ、はちは視線を逸らした。
アテナは口元を緩めたあと、表情を研究者のものへ戻す。
「はちさん。観測装置の準備は整っています」
「ありがとうございます」
「異常を検知した場合、私の判断でも試験を停止します。その点はご了承ください」
「無論です。自分達だけでは気付けない変化もあるかもしれませんから」
はちは観測台の中央へ移動した。
ステラも、その隣へ並ぶ。
二人の足元へ、白い術式が広がった。
身体の状態。
魔力経路。
次元神のプログラム。
それぞれを観測する光の輪が、ゆっくりと二人を囲んでいく。
「……ステラ」
「……うん」
二人は、同時に手を伸ばした。
「「ユニゾンイン」」
白金色の光が、研究室の中央を満たした。
ステラの身体が光へ変わり、はちの胸元へ吸い込まれていく。
はちの片方の瞳が金色へ変わった。
灰色と金色。
二つの色を宿した瞳が、目の前に展開されたプログラムを見据える。
その周囲には、虹色の混じった小さな次元の揺らぎが現れていた。
『ユニゾン状態を確認しました』
シアの声が響く。
『次元神プログラムは正常に起動しています。現在の力の源は、従来どおりマイナスエネルギーへ設定されています』
「切り替え前の状態を保存してください」
『保存しました』
「それでは、最初の処理を反映します」
はちは、昨日完成させた判別式へ指を伸ばした。
マイナスエネルギーを検知し、取り込み経路を開く既存の命令。
その手前へ、安全な切り替え領域を挿入する。
既存の処理を消すのではない。
異常が起きれば、すぐに元の経路へ戻せるように残したまま、新しい経路を追加する。
画面の一部が、紫色から白金色へ変化した。
「判別式、反映します」
『反映を確認。異常はありません』
「試験用プラスエネルギーをお願いします」
「はい」
アテナが、淡い金色の結晶を装置へ収めた。
神界の術式によって、プラスエネルギーと同じ性質を再現した試験用の結晶。
昨日よりも量は少ない。
今日は、実際のプログラムが正しく反応するかを確かめるだけだ。
装置から、細い金色の光が伸びる。
光は、はちの周囲に現れた虹色の揺らぎへ触れた。
「……来ます」
ステラの声が、ユニゾンしたはちの内側から聞こえる。
白金色の経路が開いた。
試験用のプラスエネルギーが、次元神のプログラムへ流れ込んでいく。
警告は出ない。
拒絶も、逆流も起きない。
最初の判別領域を通過し、変換処理の手前で静かに停止した。
「第一段階、成功です」
フィナが記録へ数値を書き込む。
だが、はちはまだ表情を緩めない。
「次へ進みます」
プラスエネルギーを、次元神の能力へ使用できる形へ変える処理。
昨日、最も時間の掛かった部分だった。
既存の変換処理は、マイナスエネルギーを前提としている。
そのままプラスエネルギーを流せば、異物として拒絶される。
拒絶されなかった場合でも、異なる性質の力が中核で反発する危険があった。
はちは、複製プログラムで完成させた新しい変換経路を開く。
「シア。変換出力を最低値に固定してください」
『最低値へ固定しました』
「では、開始します」
白金色の光が、ゆっくりと変換領域へ入った。
一つ目の処理を通過する。
二つ目。
三つ目。
昨日、逆流が起きた箇所へ近付く。
「……大丈夫」
ステラが、内側から呟いた。
「昨日の、嫌な感じはしない」
「こちらの観測値も安定しています」
アテナが答える。
白金色の光は、逆流を起こすことなく変換領域を通り抜けた。
その先。
次元神の能力を動かす中核へ、初めてプラスエネルギーが流れ込む。
はちの周囲へ、小さな波紋が生まれた。
ぽちゃん。
静かな水面へ、一滴の雫が落ちたような音。
何も存在しない空中で、透明な波紋が幾重にも広がっていく。
その中心へ、白金色の光が混じった。
「次元神の力が……」
フィナが息を呑む。
「プラスエネルギーだけで、動いています」
はちは、目の前の波紋を見つめた。
いつもの次元の揺らぎとは、僅かに色が違う。
虹色の中へ混じっていた暗い紫が薄れ、代わりに白と金の光が広がっている。
だが、空間を認識する感覚は変わっていない。
その向こうへ繋がる次元座標も、はっきりと感じ取ることができた。
「小規模のゲートを開きます」
「出力は最低値のままでお願いします」
「分かっています」
はちは波紋の中心へ手を伸ばした。
「ディメンションゲート」
空間へ、細い亀裂が走る。
白金色の縁を持つ、小さな次元の裂け目が開いた。
接続先は、研究室の中に用意された無人の隔離区画。
数メートル先の別空間が、裂け目の向こうに見えている。
揺れはない。
座標のずれもない。
通過させるものは、試験用に用意した小さな金属球だけだ。
はちは操作卓の球を手に取り、裂け目へ入れた。
球が消える。
直後、隔離区画の観測装置が反応した。
『転送対象の到着を確認しました。形状、質量共に変化はありません』
「成功です!」
フィナの表情が明るくなる。
アテナも、安堵したように息を吐いた。
「昨日の複製試験だけではありません。はちさんとステラさんの次元神も、プラスエネルギーを力として扱えています」
「……うん」
ステラの声にも、僅かな喜びが混じる。
「ハチ。できた」
「はい。ここまでは、順調です」
はちは、慎重に次元の裂け目を閉じた。
まだ喜ぶには早い。
最低出力で、小さなゲートを一度開いただけだ。
日常的に能力を使うためには、出力を上げても安定するよう調整しなければならない。
ディメンションゲート。
ディメンションウォール。
ディメンションボックス。
次元斬。
それぞれの能力は、同じ次元神の力を使っていても、必要な出力と処理が異なる。
そして。
プラスエネルギーの貯蔵庫を接続するには、一定量の力を長時間、安定して循環させる必要がある。
「次は、中間出力へ上げます」
「十分、間隔を置いてからにしましょう」
アテナが言う。
「今の試験結果を確認し、内部に負担が残っていないことを調べます」
「はい」
はちは素直に従った。
ユニゾンを維持したまま、観測値を一つずつ確認する。
魔力経路に異常はない。
ステラとの接続も安定している。
プラスエネルギーの残留もない。
変換に使用されなかった分は、新しく作った排出経路から安全に戻されていた。
休憩を挟んだあと、中間出力の試験を行う。
これも成功した。
次に、二つのゲートを同時に開く。
成功。
異なる座標へ順番に接続する。
成功。
飛来する試験用の魔力弾をディメンションウォールで受け止め、無人区画へ逃がす。
これも、問題なく成功した。
試験は、驚くほど順調に進んでいった。
◇ ◇ ◇
研究を始めてから、数時間。
予定していた試験の大部分が終了していた。
「ここまで、異常なしですね」
フィナが記録を見返す。
「最低出力、中間出力。ゲートの同時展開。座標変更。攻撃の転送。すべて成功しています」
「次元神の基本能力については、プラスエネルギーでも動かせると考えてよさそうです」
アテナも観測結果へ目を通す。
はちは、ユニゾンを解除していた。
隣には、元の姿へ戻ったステラが立っている。
長時間の試験を続けないため、一度休憩を挟んだのだ。
「残っているのは、最後の調整ですね」
はちは、一枚の画面を中央へ移動させた。
表示されているのは、次元神の中核と、これから作るプラスエネルギー貯蔵庫を繋ぐ予定の構造。
「基本能力は、必要な瞬間だけ力を流せば動かせます」
はちは、画面上へ短い光の流れを表示した。
「ですが、貯蔵庫を接続する場合、力を出し入れする経路を一定の状態で維持しなければなりません」
「蓄えるときと、使うとき。その両方で安定させる必要がありますね」
「はい。それに、貯蔵庫の容量は固定ではありません」
次元を利用して、外見上の大きさに縛られない内部空間を作る。
そこへ、プラスエネルギーを蓄える。
溜まる量に応じて内部空間を拡張し、使用した分だけ縮小する。
その変化を、次元神の中核と同期させる。
これが、最後に必要となる調整だった。
「昨日の複製プログラムでは、小さな容量までなら動きました」
はちは試験結果を表示した。
「ですが、一定量を超えると、内部空間の容量と、エネルギー量の計算が合わなくなります」
「今日の実際のプログラムでも、同じ現象が起きるかを確かめるのですね」
「無論、危険のない量で止めます」
アテナの視線を受け、はちは先回りして答えた。
休憩を終え、はちとステラは再びユニゾンする。
白金色の次元神プログラムを起動。
研究室の隔離領域へ、試験用の小さな貯蔵空間を作る。
最初の容量は、手のひらに乗る箱ほど。
そこへ、試験用プラスエネルギーを流し込んでいく。
一割。
二割。
三割。
内部は安定している。
容量を、少しだけ広げる。
箱ほどだった空間が、机ほどの大きさへ変わった。
「ここまでは、昨日と同じです」
はちは数値を追う。
五割。
六割。
貯蔵空間が、蓄えた量に合わせて広がっていく。
次元座標も固定されている。
エネルギーの漏出もない。
「順調ですね」
フィナが呟いた。
七割。
その瞬間。
画面の一部へ、赤い警告が現れた。
『貯蔵空間の内部容量と、記録上の占有量に差異が発生しました』
シアが報告する。
「拡張を停止。供給も止めてください」
はちは即座に指示した。
『停止しました』
異常が広がる前に、すべての流れが止まった。
隔離障壁も作動していない。
危険な反応ではない。
ただし。
貯蔵空間は、七割の位置から先へ進めなくなっていた。
「昨日と同じですね……」
フィナが表情を曇らせる。
「ええ」
はちは、警告の詳細を開いた。
実際に蓄えられているプラスエネルギーの量。
次元内の空間が認識している占有量。
外側のプログラムが計算している残り容量。
三つの数値が、それぞれ異なっている。
「補正処理を入れます」
はちは最初の修正を加えた。
実際のエネルギー量を基準に、空間側の数値を合わせる。
警告が一度消える。
だが、供給を再開した瞬間、別の場所へ同じ警告が現れた。
「では、空間の広さを基準に……」
計算の基準を変える。
今度は八割まで進んだ。
しかし、拡張した次元の一部が、空の領域として認識されなくなる。
供給停止。
巻き戻し。
別の方法を試す。
外側と内側へ同じ基準値を持たせる。
失敗。
エネルギーを小さな単位へ分け、個別に記録する。
途中までは成功。
だが、一定数を超えると検索処理が追い付かなくなり、貯蔵空間の拡張が止まる。
記録を階層化する。
今度は、取り出す側の経路が目的のエネルギーへ辿り着けない。
「……何故ですかねぇ」
はちは操作卓へ両手をついた。
危険な暴走は一度も起きていない。
プラスエネルギーの判別も、変換も成功している。
次元神の能力そのものも、正常に動いた。
なのに。
貯蔵空間を一定以上へ広げようとすると、必ず最後の部分で数値が食い違う。
それも、同じ場所で止まるわけではない。
一つを直せば、別の箇所が新たな基準を拒絶する。
まるで。
プログラムの奥にある何かが、はち達の調整を受け入れていないようだった。
◇ ◇ ◇
さらに二時間が経過した。
「……駄目です」
はちは椅子の背へ身体を預けた。
目の前には、失敗した調整案が並んでいる。
一つ目。
二つ目。
三つ目。
数えるのをやめたくなるほど、複数の方法を試した。
どれも、途中までは動く。
七割。
八割。
最も進んだものは九割を超えた。
しかし、最後の調整だけが完成しない。
内部容量と占有量。
保存した力の識別。
必要なときに取り出すための検索。
外側からは小さな接続口でありながら、内側では容量を拡張し続ける次元構造。
それらを一つの仕組みとして動かそうとすると、どこかが必ず食い違う。
「少し休みましょう」
アテナが言った。
「疲れた状態で続けても、見落としが増えるだけです」
「……はい」
はちは、反論しなかった。
ステラとのユニゾンを解除し、観測台から降りる。
フィナが用意した飲み物を受け取り、四人は研究室の端にある休憩用の席へ移動した。
しばらく、誰も話さなかった。
静かな研究室へ、装置の動く低い音だけが響いている。
「基本部分は、上手くいったんですけどねぇ」
はちが、画面を見ながら呟いた。
「プラスエネルギーを認識できる。次元神の力へ変換できる。ゲートもウォールも動かせた。それなのに、貯蔵庫へ繋ぐ最後の部分だけが合わない」
「プログラムの書き換え方が間違っているのでしょうか」
フィナが尋ねる。
「完全に間違っているなら、最初から動かないと思います」
はちは首を横へ振った。
「途中まで動くということは、方向自体は合っているはずです。ただ、こちらが理解できていない前提が残っている」
「前提……ですか」
「はい」
はちは、次元神プログラムの全体図を呼び出した。
表面上の命令。
その下にある、能力ごとの処理。
さらに奥。
次元を認識し、座標を定め、外側と内側を繋ぐ根幹部分。
ここだけは、昨日からほとんど変更していない。
変更できなかった、と言った方が正しい。
「この根幹部分です」
はちは、複雑に重なった光の塊を指差した。
「自分達は、この部分が出す結果を使って調整しています。ですが、中で何を基準に容量を決め、どうやって保存したものを識別しているのか、完全には分かっていません」
「そこは、全世界の知識で見つけた改修方法にも含まれていなかったのですか?」
「改修方法には、既存の構造を残して接続するように書かれていました。根幹を作り直す方法ではありません」
だから、途中までは動いた。
既存の構造が、次元空間を作り、保存し、必要なものを取り出す働きを担ってくれたからだ。
だが、最後の調整では、その既存構造が何を前提に作られたのかを理解しなければならない。
「……アテナさん」
はちは、向かいに座るアテナへ顔を向けた。
「神界では、この次元神のデータをどこまで解析していたんですか?」
アテナの表情が、僅かに曇った。
「私たちも以前、解析を試みました」
「以前?」
「はい。ステラさんがまだアイリスと呼ばれていた頃です」
ステラが、静かにアテナを見る。
「次元神の力が暴走したあと、同じことを繰り返さないために、複数の神々が構造を調べようとしました。どのような仕組みで次元へ接続し、どうしてあれほど多くの能力を一つの身体で扱えるのか」
「結果は?」
アテナは、すぐには答えなかった。
古い記憶を確かめるように、目の前の根幹データを見る。
「解析できなかったのです」
「……神界の設備でも?」
「はい」
アテナは、申し訳なさそうに頷いた。
「表面にある術式や、力が流れる経路は確認できました。能力を封じることもできました。ですが、次元神の根幹だけは、どの方式で調べても構造として読み取れなかったのです」
「壊れていたから、ではなく?」
「当時は、そう考えた者もいました。しかし、壊れているのであれば、結果だけが正確に出続ける理由を説明できません」
空間を開く。
物を転送する。
攻撃を別の場所へ逃がす。
次元の中へ物を保存する。
処理の一つ一つは、明確な結果を出している。
けれど、その根幹を解析しようとすると、意味のある術式として表示されない。
「私たちに分かったのは、次元神を作った者が、既存の神界の術式とは異なる考え方を使っているということだけでした」
「設計者本人の記録は?」
「ほとんど残っていません。残っていた資料も、自分の研究が正しいと主張する内容が中心で、根幹の発想については書かれていませんでした」
フィナが、悔しそうに視線を落とす。
「私も、アテナ様と一緒に資料を探しました。でも、見つけられませんでした」
「……なるほど」
はちは、もう一度データへ向き直った。
神界の解析技術でも、読み取れない。
全世界の知識にあった改修方法も、根幹を作り直さず、そのまま利用することを前提としている。
つまり。
この構造は、術式やプログラムとして正面から解析するものではない可能性がある。
「シア」
『はい、ハチ様』
「検索方法を変えます」
はちは席を立ち、観測台へ戻った。
「これまでは、次元神のプログラムを書き換える方法を検索しました。今回は違います」
『検索対象を指定してください』
「この根幹データの元になった発想を探します」
アテナが目を見開く。
「構造そのものではなく、何を作ろうとして、この形になったのかを調べるのですか?」
「はい。どんな技術にも、最初の発想があります」
遠くの場所へ、一瞬で移動したい。
目の前の攻撃を、別の場所へ逃がしたい。
外見上の大きさに縛られず、たくさんの物を保存したい。
必要なものを、必要な瞬間に取り出したい。
完成した構造だけを見ても分からないなら。
その構造が満たそうとした願いから、元を辿る。
「全世界の知識を使います」
はちは目を閉じた。
意識を、膨大な知識の海へ沈める。
次元。
空間。
収納。
転送。
外側より広い内部。
持ち運べる接続口。
必要な物を検索し、手元へ取り出す機能。
現在の次元神が持つ能力を、一つずつ言葉へ置き換えていく。
シアも、根幹データから読み取れる結果を検索条件へ加えた。
無数の情報が、はちの意識を通り過ぎる。
異世界の魔法。
失われた文明の道具。
空間を折り畳む理論。
小さな箱の中へ、巨大な倉庫を作る技術。
座標を持たない収納空間。
所有者の意思に反応し、目的の物を自動で選び出す仕組み。
近い。
だが、どれも根幹データと完全には一致しない。
「条件を追加します」
はちは、さらに検索を絞った。
「外見上は小さい。内部容量は、通常空間の制限を受けない。使用者が手を入れる、または意思を向けることで、必要な道具を取り出せる」
『条件を追加しました』
「時間と空間の制限を越えた収納。持ち運び可能。内部に多数の道具を保存――」
その瞬間。
検索結果の一つが、強く反応した。
次元神の根幹データと、異常なほど高い一致率を示している。
「……え?」
はちの声が止まった。
閉じていた目が、ゆっくりと開く。
灰色の瞳が、目の前に表示された文字を捉えた。
瞬きもしない。
呼吸まで忘れたように、画面を見つめている。
「はちさん?」
アテナが呼び掛ける。
返事はない。
フィナとステラも、はちのそばへ近付いた。
「……ハチ?」
ステラが服の袖を引く。
それでも、はちは画面から目を離さない。
根幹データ。
検索結果。
構造の一致箇所。
次元の向こうへ内部空間を作る。
小さな入り口から、必要な道具を取り出す。
どれだけ外見が小さくても、内部には大量の物を保存できる。
使用者の求める物へ、検索処理が自動的に接続する。
ディメンションボックス。
武器の保存。
座標を越えた取り出し。
次元神の能力へ組み込まれたそれらの仕組みが、表示された一つの概念と次々に重なっていく。
「はちさん」
アテナが、もう一度呼んだ。
「何が表示されたのですか?」
「…………」
はちの口が、僅かに動く。
「……四次元ポケット」
「はい?」
「この次元神の根幹データ……」
はちは、信じたくないものを読むように、もう一度画面を見た。
検索結果は変わらない。
一致率も、誤表示とは思えないほど高いままだ。
「元になった発想が……四次元ポケットです」
「よじげん……ぽけっと?」
フィナが、不思議そうに首を傾げた。
アテナも、その言葉を知らないらしい。
「それは、どの世界の神具ですか?」
「神具ではありません」
「では、古代文明の遺産でしょうか?」
「それでもありません」
はちは、力なく首を横へ振った。
「自分がいた世界の、物語に登場する道具です」
「……物語?」
「青い猫型のロボットがお腹に付けているポケットです。中には色々な不思議な道具が入っていて、必要なときに取り出せるんです」
「猫型の……」
「ロボット……?」
アテナとフィナが、揃って瞬きをする。
ステラだけが、表示された構造をじっと見つめていた。
「……便利そう」
「便利ですけどね!?」
はちが、思わず振り向いた。
「確かに便利ですよ! 子供の頃、一つくらい道具を貰えるなら何がいいかって、誰でも考えますよ! でも、これは次元神ですよ!?」
画面を指差す。
「神界の皆さんが解析できなかった、次元神の根幹ですよ! 世界を破壊できるほどの力を持った仕組みの大元が、四次元ポケットってどういうことですか!?」
「ですが、構造は一致しているのですよね?」
アテナが、慎重に尋ねる。
「一致していますよ! 嫌になるくらい一致しています!」
はちは画面を次々と切り替えた。
「外側より内側が広い! 大量の物を保存できる! 必要な物を検索して取り出せる! 使用者のすぐそばに入り口がある! 全部そのままです!」
「ディメンションボックスも、その発想から……?」
「おそらく、そうです!」
はちは頭を抱えた。
これまで、自分が便利に使ってきたディメンションボックス。
武器を保存し、必要な瞬間に取り出す能力。
どれだけ入れても、外見上の大きさが変わらない次元収納。
何故、そのような仕組みが次元神へ備わっているのか。
深く考えたことはなかった。
次元を扱えるのだから、そのくらいできても不思議ではないと思っていた。
だが。
順番が逆だったのかもしれない。
次元神だから、ディメンションボックスを使えるようになったのではない。
四次元ポケットのような仕組みを実現しようとして、その構造が次元神の根幹へ組み込まれた。
「なんでだぁぁぁぁぁぁっ!!」
はちは、その場へがっくりと項垂れた。
長い灰黒色の髪が、床へ向かって流れ落ちる。
「何で次元神を作ろうとして、四次元ポケットを参考にするんですかぁぁぁっ!」
研究室へ、はちの叫びが響き渡った。
フィナは、どう声を掛ければよいのか分からず、両手を胸元で合わせている。
アテナも、知恵の女神として何か意味のある言葉を返そうとした。
だが。
四次元ポケットを知らない。
猫型のロボットも知らない。
そもそも、物語の道具を参考にして作られた神の力へ、どのような顔をすればよいのかも分からない。
「……はちさん」
「はい……」
「その物語は、研究者へ大きな影響を与えるほど、優れた内容だったのですね」
「そういう綺麗なまとめ方をしないでくださいぃぃぃ……」
はちの声から、完全に力が抜けた。
ステラが隣へしゃがみ込む。
「……ハチ」
「何ですか、ステラ……」
「元が、便利なポケットでも……今の力は、ハチと私のもの」
「……そうですね」
「だから、嫌いにならなくてもいい」
「嫌いにはなりませんよ。ただ……」
はちは、ゆっくり顔を上げた。
「衝撃が大きすぎるんです」
神々にも解析できなかった次元神の根幹。
数十万年にわたり、暴走と封印の原因となってきた力。
ヘルカイザーも、ステラも、そして今のはちも使用している、次元を支配する能力。
その原点が。
まさか、子供の頃から知っていた物語のポケットだとは、誰が想像できるだろうか。
◇ ◇ ◇
はちが立ち直るまで、少し時間が必要だった。
フィナが新しい飲み物を用意する。
アテナは、検索結果を記録媒体へ写した。
ステラは、項垂れたはちの隣から離れなかった。
「……ですが」
しばらくして、アテナが画面を見ながら口を開いた。
「この発見によって、最後の調整が上手くいかなかった理由も見えてきたのではありませんか?」
はちは、机へ伏せていた顔を少しだけ上げた。
「……どういうことですか?」
「はちさんたちは、貯蔵空間を一つの大きな容器として調整していました」
「はい」
「ですが、この四次元ポケットというものは、道具を一つずつ保存し、必要な物を選んで取り出す仕組みなのですよね?」
「……あっ」
はちが身体を起こした。
画面を見る。
先ほどまで何度も失敗していた、最後の調整。
プラスエネルギーを、均一な一つの力として貯蔵する。
量に応じて空間全体を拡張し、減れば縮小する。
はち達は、貯蔵庫を液体を溜める巨大なタンクのように扱おうとしていた。
だが、根幹の設計思想が四次元ポケットなら。
内部にあるものは、一つの塊として管理されていない。
道具ごと。
種類ごと。
一つ一つへ識別情報を与え、必要なものへ個別に接続する。
「だから、一つの容量として計算しようとすると、内部の検索処理と食い違った……?」
『可能性は高いと考えられます』
シアが答えた。
『根幹プログラムは、保存対象を個別の項目として認識しようとしています。一方、これまでの試験では、プラスエネルギー全体を単一の保存対象として扱っていました』
「一定量を超えると、内部では複数の項目へ分けようとする。でも、自分達の外側の処理は一つのエネルギーとして計算し続ける」
「その差が、最後に現れていたのですね」
アテナが頷く。
はちは立ち上がり、失敗した調整案を見直した。
エネルギーを小さな単位へ分けたときだけ、他の方法より先へ進んでいた。
あの方法は、根幹の考え方に最も近かったのだ。
途中で検索処理が追い付かなくなったのは、分割単位が細かすぎたため。
一つ一つを道具のように扱う必要はない。
性質。
供給元。
取り込んだ時間。
使用目的。
プラスエネルギーを幾つかのまとまりへ分け、それぞれに識別情報を与えれば。
「……直せるかもしれません」
はちの灰色の瞳に、研究者としての光が戻った。
「プラスエネルギーを一つの大きな塊として溜めるのではなく、一定の単位ごとに区切って保存します」
「必要なときは、その中から条件に合うものを選ぶのですね」
「はい。全体の容量は、保存した単位の合計から計算する。内部空間を一つの箱として広げるのではなく、保存項目が増えるたびに必要な領域だけを追加します」
新しい構造が、画面上へ描かれていく。
今まで一本だった貯蔵経路が、途中で複数の区画へ分かれる。
それぞれの区画には、保存するプラスエネルギーの情報が記録される。
取り出すときは、次元神の能力に必要な量を検索し、複数の区画から集めて中核へ送る。
「これなら、四次元ポケットの検索処理を壊さずに利用できます」
「……利用するんですね」
フィナが、恐る恐る尋ねた。
はちの手が止まった。
「…………」
もう一度、画面を見る。
根幹データ。
四次元ポケット。
驚くほど高い一致率。
「使えるものは使いますよ!」
はちは、半ば自棄になったように叫んだ。
「どうせ次元神の中へ入っているんですから! 今さら全部作り直すより、安全に利用した方がいいです!」
「ハチ、立ち直った」
「立ち直ってはいません! 受け入れただけです!」
ステラの言葉へ、はちが即座に返す。
アテナは、口元へ手を添えた。
「……笑っていませんか?」
「いいえ。次の方法が見つかって、安心しただけです」
「目が笑っていますよぉぉぉっ!」
研究室へ、再びはちの声が響いた。
だが。
先ほどまでとは違う。
最後の調整を阻んでいた、見えない前提。
神界の技術でも解析できなかった、次元神の根幹。
その正体を知ったことで、新しい改修方法が見えてきた。
あまりにも意外で。
あまりにも身近で。
はちにとっては、頭を抱えずにはいられない原典だったけれど。
「……次は、保存単位の決定からですね」
はちは、新しい設計画面を開いた。
「今日は、まだ試しませんよ」
アテナが先に告げる。
「分かっています。設計だけです」
「本当ですか?」
「……設計だけです」
「今、少し間がありました」
「気のせいです」
フィナとステラが、揃ってはちを見る。
「……わふっ」
三人の視線に負け、はちは椅子へ座り直した。
今日の実験は、最終調整の直前で止まった。
プラスエネルギーによって次元神を動かすことには成功した。
しかし、貯蔵庫と接続するための安定化は完成していない。
それでも。
失敗の理由は、もう見えない壁ではなかった。
次元神の根幹は、保存したものを一つずつ識別し、必要なものを検索して取り出す構造を持っている。
その設計思想を残したまま、プラスエネルギーを扱える形へ変える。
次に進むべき道は、確かに見つかった。
はちは、新しい設計を書き始める前に、もう一度だけ検索結果へ目を向けた。
そこには、変わらず同じ言葉が表示されている。
四次元ポケット。
「…………」
はちは数秒、黙り込んだ。
そして。
「……やっぱり、なんでだぁぁぁぁぁっ!!」
本日三度目の叫びが、神界の研究棟へ響き渡ったのだった。
――第83話・終――




