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転生した主人公が次元神になる  作者: ヘルカイザー
第2部

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第80話 神界から届いた返事



技術室の机には、小さな鞄が一つ置かれていた。


まだ、何も詰めていない。


口を開けたままの鞄の横で、はちは、記録用の資料を揃えていた。


次元神プログラムの改修案。


プラスエネルギー貯蔵庫の設計。


確認しておきたい箇所を書き留めた紙。


アテナとフィナが神界へ戻ってから、はちは、手元でできる整理を進めていた。


隣には、ステラがいる。


「……これも、持ってく?」


小さな指が、一枚の図を示した。


改修する前の、取り込み部分の記録だった。


「はい。今の状態と比べるために、必要ですから」


はちは答え、その紙を別の束へ加える。


ステラは、重なった紙をしばらく見つめていた。


それから、机の上の鞄へ目を向ける。


「……まだ、入れない?」


「行けるかどうか、返事を待っているところですからねぇ」


はちは、少しだけ笑った。


「でも、準備できるものは、まとめておこうと思いまして」


ステラが小さく頷く。


はちは、左手首のシアへ目を落とした。


「記録の方は、どうですか?」


『改修前の構造と、検討中の変更箇所を、別々に保存しております。比較表示も可能です』


「ありがとうございます」


はちは頷いた。


知識は見つかった。


設計も、ある。


けれど、神界で作る必要があると分かった時点で、自分一人では進められない話になった。


今、あちらでは、何を話しているのだろう。


はちは、机の端に置いた筆を、指先で転がしかけて止めた。


待っているときまで、落ち着かない顔をしている。


咲が見ていたら、そう言われそうだった。


そのとき、シアが短い音を鳴らした。


『アテナ様より、ご連絡です』


はちが顔を上げた。


「つないでください」


表示が開き、アテナとフィナの姿が映る。


はちは、椅子へ座り直した。


「アテナさん。お疲れ様です」


『お待たせしました。ゼウス様への報告を終え、必要な資料と設備についても確認してきました』


ステラが、はちのそばへ身を寄せる。


アテナは、二人を見て微笑んだ。


『皆様へ、直接、結果をお伝えしたいのですが、お時間をいただけますか』


「……はい。かえでさんにも、連絡します」


はちは、すぐに頷いた。


聞きたいことが、喉元まで出かかっていた。


けれど、アテナは、いろはたちにも伝えると言っていた。


自分だけが、先に話を進めるつもりはなかった。


アテナの隣で、フィナが丁寧に頭を下げた。


『これから、アルカディアへ向かいます』


「お願いします」


通信が終わると、はちは、机の上の資料を持ち上げた。


ステラも顔を上げる。


「……お返事?」


「ええ。届くみたいです」


はちの声は、先ほどより少し明るかった。


◇ ◇ ◇


アテナとフィナが戻ってきたとき、部屋には、はちとステラ、咲が揃っていた。


いろはとレイも、かえでと共に席に着いている。


前の話し合いから、まだ長い時間が過ぎたわけではない。


いろはたちの疲労も、すべて癒えたわけではなかった。


それでも、迎える声は穏やかだった。


「お帰りなさい、アテナさん。フィナさんも」


いろはが声を掛けると、フィナは、少しだけ表情を緩めた。


「ありがとうございます」


アテナも、静かに頭を下げる。


「お時間をいただき、ありがとうございます。ゼウス様からのお返事を、お伝えに参りました」


はちは、膝の上へ両手を置いた。


その横顔を見て、咲が、かすかに口元を緩める。


研究の話をするときの顔と、返事を待つときの顔は、やはり違う。


今のはちは、ほんの少し、背筋を伸ばし過ぎていた。


アテナは、手にしていた資料を机へ置いた。


「まず、はちさんとステラさんが、研究のために神界へ来ることについて、許可をいただきました」


はちの目が、大きく開いた。


ステラが、隣で小さく身じろぎする。


「……行けるんですか?」


「はい」


アテナは、はっきり頷いた。


「そして、プラスエネルギー貯蔵庫の製作と、次元神プログラムの改修に必要な設備についても、確認と使用に向けた準備が認められました」


はちは、アテナの顔を見つめたまま、少しの間、何も言わなかった。


いろはが、その横顔を見る。


ようやく、はちの肩から力が抜けた。


「……ありがとうございます」


深く頭を下げる。


「ゼウス様にも、よろしくお伝えください」


「はい。お伝えします」


アテナは微笑んだ。


フィナも、ステラへ顔を向ける。


「ご一緒に、お迎えできます」


ステラは、はちとアテナを交互に見た。


「……はちと、一緒?」


「ええ。研究のために、お二人で」


返事を聞くと、ステラは小さく頷いた。


机の下で、はちの袖をつまんでいた指が、少しだけ緩んだ。


◇ ◇ ◇


「ゼウス様へは、どのようにお話しされたんですか?」


かえでが尋ねた。


アテナは、彼女へ向き直った。


「ヘルカイザーさんと再会したことと、ご本人から聞いた現状を報告しました。その後、はちさんの提案と、製作するための条件を説明しています」


「……あの人が、今も制圧を続けるつもりだということも?」


レイの問いに、アテナは頷いた。


「はい。そこを省いては、研究の目的まで違って伝わってしまいますから」


レイは、静かに息を吐いた。


「ありがとうございます」


アテナは、紙の一枚を手前へ引いた。


「今回の研究で、あの方の価値観が以前へ戻るとは考えていないことも、お伝えしました」


いろはは、黙って聞いていた。


あの白い竜の笑顔。


その奥に、悲しそうなものを感じたことがある。


けれど、それだけで、攻撃がやむわけではない。


アテナが語るときにも、そのことは変わっていなかった。


「ご本人の意思で行う攻撃への対策と、制御できなくなる暴走への対策。その両方を考えたいという、はちさんの意図を説明しました」


はちは、静かに頷いた。


「……はい。それで、お願いします」


かえでも頷いた。


「こちらとしても、その認識で研究を進めてもらいたいと思ってます」


「承知しました」


アテナは答えた。


それから、少しだけ表情を和らげる。


「ゼウス様からは、皆様へお伝えするように、と言葉を預かっています」


はちが顔を上げた。


「帰るための研究として、お迎えする。神界へ留め置く話ではない、と」


いろはの指先が、膝の上で止まった。


レイも、アテナを見る。


「……帰るための」


「はい。はちさんには、この世界に戻る場所があると、お伝えしましたので」


アテナの目が、いろはたちへ向いた。


「そのことを、ゼウス様も受け止めてくださいました」


いろはは、ゆっくり息をついた。


はちは、自分の隣を見る。


いろはの顔には、安心したような表情が浮かんでいた。


「……はい」


はちは、アテナへ向き直った。


「自分も、研究をして、戻ってくるつもりです」


その言葉に、レイが小さく頷く。


「うん。それを聞けて、よかった」


◇ ◇ ◇


アテナは、持ち帰った資料を広げた。


紙の色も、線の引き方も、はちが作った記録とは違う。


見た瞬間に、長く保管されていたものだと分かった。


「こちらが、初期の貯蔵庫の構造図です」


はちは、思わず身を乗り出した。


咲が、隣で笑いを堪える。


アテナも、その反応に気付き、少し微笑んだ。


「私の記憶で描いたものと、照らし合わせてきました。補わなければならない箇所が、幾つかあります」


「……ここですか?」


はちの指が、一つの接続へ向いた。


アテナが頷く。


「はい。この部分は、私の説明よりも複雑な処理が入っていました」


古い図と、はちの新しい図を並べる。


「魂から分離する処理と、空間へ移す処理の間ですね」


「ええ。記憶だけで一つにつないでしまっていたので、そこは訂正させてください」


はちは、紙へ短く書き込んだ。


「ありがとうございます。こちらも、記録を直します」


いろはは、二人のやり取りを見ていた。


許可が下りたと聞いたとき、はちは、ほっとした顔をした。


その直後には、もう、図面を追っている。


レイと目が合い、二人で、少しだけ笑った。


はちらしい。


知らなかった過去を聞いた後でも、こうして新しいことに目を輝かせる顔は、よく知っていた。


「……はちちゃん」


いろはが呼ぶと、はちが顔を上げた。


「はい?」


「続きは、技術室でゆっくり見てもいいんだよ?」


「……わふっ」


はちは、少しだけ気まずそうに背筋を戻した。


「すみません。つい、気になって」


「うん。分かるよ」


いろはは笑った。


「嬉しそうだったから」


はちは、否定しようとして、やめた。


代わりに、図面をそっと置き直す。


「……はい。実物を見せてもらえて、嬉しいです」


アテナは、その言葉を聞いて、紙の端へ目を落とした。


長く、後悔と共に読み返していた図面だった。


今日、受け取った相手は、これから作るもののために、嬉しいと言った。


アテナは、静かに頷いた。


「必要なところを、一緒に確かめていきましょう」


◇ ◇ ◇


設備についての説明は、その次になった。


アテナとフィナは、神界で確認してきた内容を、はちへ伝えた。


設計上の条件に照らして、使えるもの。


現地で、さらに確認しなければならない箇所。


持参しておいた方がよい、はち側の記録。


フィナが、一枚の紙を差し出す。


「こちらに、今、確認できていることをまとめました」


「ありがとうございます」


はちは、順に目を通す。


知識の中にある製作条件と、実際に用意される作業環境。


二つが、初めて具体的につながり始めた。


「こちらは、神界へ着いてから確認するんですね」


「はい。実際に使うはちさんにも、見ていただきたいと考えています」


アテナが答える。


はちは頷いた。


「分かりました。今の構造を比較できる記録と、シアの解析結果は持参します」


『必要なデータは、すでに整理しております』


左手首から声がした。


フィナが、少し驚いてから笑う。


「準備、進めていらっしゃったのですね」


「待っている間にできることは、ありましたから」


はちは答えた。


ステラも、机の上の紙へ指を置く。


「……変える前の、これも」


「はい。それも、持っていきます」


アテナは、ステラへ頷いた。


「私たちも、それと照らし合わせながら確認しますね」


ステラは、小さく頷き返した。


かえでは、説明を聞きながら、予定に関する紙を用意した。


「出発は、こちらの準備が整ってから、ということでええんですね」


「はい。皆様と相談して決めたいと思います」


「ほな、まず、持っていくものと、こちらで引き継ぐものを整理しましょうか」


はちは、研究資料から目を上げた。


「はい。技術室で、途中になっている作業もありますので」


かえでは頷く。


神界へ行けることになった。


けれど、今いる場所での役目まで、消えるわけではない。


はちも、そのことを分かっていた。


◇ ◇ ◇


「……同行する者については?」


レイが尋ねた。


アテナは、別の項目を示した。


「はちさんとステラさんの受け入れは、認められています。ほかに同行する方がいる場合は、役割を整理して、改めてお知らせすることになっています」


咲が、少しだけ姿勢を変えた。


はちは、その動きに気付いて顔を向ける。


「咲?」


「……一緒に行けたら、とは思ったわ」


咲は、素直に答えた。


はちは、何も言わずに聞いていた。


「でも、あなたが研究している間、こっちにも、やることはあるでしょう?」


咲の目が、いろはとレイへ向いた。


敵は、いなくなっていない。


ヘルカイザーも、エクリプスも、制圧を諦めたわけではない。


神界の話が進む部屋の外でも、アルカディアの日常と復旧は続いている。


「だから、今、勢いで決めるつもりはないわ。必要な役割を聞いてから、相談したい」


かえでが頷いた。


「そうしてもらえると助かるわ。こちらに残る人の予定も、調整せなあかんからね」


はちは、咲を見た。


前の世界では、いつも隣にいた幼馴染。


この世界で再会してからも、何かにつけて気に掛けてくれる。


その相手が、研究へ付いてくることだけを考えているのではなかった。


「……ありがとうございます」


「何で、あなたがお礼を言うのよ」


咲が、少し笑う。


「私も、この世界で暮らしてるんだから」


はちは、その言葉を聞いて、小さく頷いた。


アテナは、二人のやり取りを見ていた。


誰かを連れていく。


誰かが残る。


人数だけの相談ではない。


それぞれに、今、守っている場所と、引き受けていることがある。


「必要な準備と、現地での作業を、まず、もう少し詳しくお伝えします」


アテナが言った。


「その上で、同行についても、ご相談ください」


かえでは頷いた。


「お願いします」


◇ ◇ ◇


話し合いを終える頃には、はちの持参品の一覧ができていた。


改修前の記録。


比較用の資料。


必要な道具。


そして、日々の生活に使うもの。


最後の項目を見て、はちは、少しだけ首を傾げた。


「……そういえば、研究のことしか考えていませんでしたね」


咲が、すぐに顔を向ける。


「知ってたわ」


「即答ですねぇ」


「鞄の横に、図面しか置いてなかったもの」


はちは、反論できなかった。


いろはが、笑いながら声を掛ける。


「着替えも、ちゃんと用意しようね」


「はい」


「食事や、休む場所については、私たちからも説明します」


アテナが続けた。


はちは、少し安心したように頷いた。


「ありがとうございます。気が付いたら、ずっと作業していそうなので……」


「そこ、自分で分かってるのね」


咲が言う。


レイも、苦笑しながら、はちを見る。


「分かっているなら、休む時間も予定に入れておこうか」


「……はい」


はちは、素直に返事をした。


ステラが、隣で頷いている。


「……休む」


「ステラも、一緒にですよ?」


「……うん」


その短いやり取りに、フィナが微笑んだ。


神界へ来るのは、装置だけではない。


研究をする者が、そこで過ごす。


資料と設備の話に加えて、そのことも、受け入れる側で考えておかなければならなかった。


フィナは、自分の記録へ、短く書き添えた。


アテナが、その手元を見て頷く。


次に神界へ戻るときには、今日の相談結果も持ち帰ることになる。


「それでは、出発の予定は、必要な準備を確認して、改めて合わせましょう」


かえでが、資料をまとめた。


はちは、頭を下げる。


「お願いします」


いろはは、その顔を見た。


前の告白のときほど、緊張していない。


皆へ相談しながら進めることに、少しずつ慣れようとしているようだった。


◇ ◇ ◇


技術室へ戻ると、はちは、机の上へ二種類の図面を並べた。


自分が書き出した、新しい設計。


アテナが持ってきた、古い構造図。


アテナとフィナも、確認のため、しばらく同席している。


咲は、準備に必要なものを確かめに、いったん席を外していた。


はちは、古い図面へ、そっと指を近付ける。


「……ここを、ご本人が制御していたんですね」


「はい」


アテナが答えた。


「私は、その先の処理に気を取られていました。今、読み直すと、この接続が、ずっと図の中にあります」


はちは、彼女を見た。


アテナは、悔やむ言葉を続ける代わりに、図へ視線を戻した。


「今回、はちさんが使うものと、比較しましょう」


「……はい」


はちは頷いた。


過去の装置には、実際に働いた部分がある。


問題になったつながりもある。


その両方を確かめなければ、参考にすることさえできない。


シアの表示へ、同じ部分を開く。


「こちらが、自分たちの現在の状態です」


アテナは、紙と表示を見比べた。


ステラも、はちの隣から覗き込む。


取り込むものを選ぶ部分。


その後の処理。


力を使うためのつながり。


アテナが、記憶だけでは曖昧だった箇所を説明するたび、はちは、自分の記録へ訂正を加えた。


「……同じ名前の力でも、違いがありますね」


はちが呟く。


「ええ。だから、図面を、そのまま写すことはできません」


アテナの返事に、はちは頷いた。


「今の自分たちに、どう合わせるかですね」


フィナは、話し合いの項目を記録していた。


分かったことと、神界で確認すること。


紙の上では、別々の欄へ分けている。


「この部分は、現地での確認に入れますか?」


尋ねると、はちが頷いた。


「はい。今、ここでつなぐことはしません。設備の方と合わせて、確かめたいです」


「分かりました」


フィナは、書き添えた。


見つかった設計を前にしても、はちは、すべてを一度に動かそうとはしない。


ステラへも、確認するたびに声を掛ける。


その様子を、アテナは、静かに見ていた。


◇ ◇ ◇


「……アテナさん」


少しして、はちが声を掛けた。


「はい」


「古い資料を貸してくださって、ありがとうございます」


アテナは、図面から顔を上げた。


はちは、紙の端へ視線を落とす。


「大切に保管されていたものですよね」


「……はい」


アテナは、少し間を置いて答えた。


「何度も、読み返していました」


どんな思いで読んだのかを、すべて説明する必要はなかった。


はちにも、少しは伝わっているようだった。


「自分も、大切に扱います。必要な部分は記録して、元の資料に、勝手な書き込みはしません」


アテナは、思わず微笑んだ。


「ありがとうございます」


はちは、少しだけ眉を下げる。


「それにしても……」


「何でしょう?」


「こんなふうに、神界へ行くことになるとは思いませんでした」


フィナが顔を上げた。


はちは、手元を見ながら続ける。


「前に行ったときは、何が起きたのかも分からない状態でしたから」


アテナの表情が、わずかに変わる。


白い空間で目を開けた、金城享司。


自分が死んだと知り、それでも、そばにいた天使の怪我を心配した相手。


今、目の前にいるはちは、同じ記憶を持ちながら、次の作業の準備をしている。


「今回は、帰る予定を立てて、行けます」


はちは言った。


アテナは、その顔を見つめた。


はちは、少しだけ笑った。


「それが、何だか不思議ですねぇ」


フィナは、しばらく黙っていた。


やがて、静かに口を開く。


「……はい。今回は、研究をするために、お迎えします」


はちは、彼女へ頷いた。


「よろしくお願いします」


その返事に、フィナの肩から少し力が抜けた。


過去をなくすことはできない。


けれど、今、迎えるためにできる準備がある。


フィナは、記録へ目を戻した。


◇ ◇ ◇


夕方、研究資料を整理し終えたはちは、いろはたちのいる家へ戻った。


扉を開けると、奥から足音がする。


「はちお姉ちゃん!」


ヴィリノが、ぱっと顔を明るくした。


はちの胸元へ飛び込む前に、一度、足を止める。


手に資料を持っていることに気付いたらしい。


「お仕事、まだある?」


見上げて尋ねられ、はちは微笑んだ。


「今日は、いったん終わりです。ちょっと、これを置いてきますね」


「うん!」


ヴィリノは、嬉しそうに頷いた。


資料を置いて戻ると、今度は、小さな手が差し出される。


はちは、その手を取った。


奥では、いろはが、食卓を整えていた。


「お帰り、はちちゃん」


「ただいま戻りました」


レイも、顔を上げる。


「準備、進んだ?」


「はい。アテナさんに、図面の違いも教えてもらえました」


「そっか。続きは、ご飯のときに聞かせてね」


レイは微笑んだ。


はちは、その返事を聞いて、少しだけ立ち止まった。


前世のことを話した後も、家の中の声は、いつもと同じだった。


お帰り。


ご飯の用意ができるよ。


その一つひとつが、今日は、少しだけ胸へ深く届く。


「……はちお姉ちゃん?」


ヴィリノに呼ばれ、はちは顔を向けた。


「どうしました?」


「いろはママがね、お姉ちゃん、研究で、お出かけするって」


はちは、いろはへ目を向けた。


いろはは、そっと頷いた。


「詳しい予定は、まだ決めているところだって、お話ししてたんだ」


「……はい」


はちは、ヴィリノへ向き直った。


「新しい装置を作るために、少し、別の場所へ行くことになりそうなんです」


「遠いところ?」


「そうですねぇ。普段、出掛ける場所とは、少し違いますね」


ヴィリノは、繋いだ手を見下ろした。


それから、もう一度、はちを見上げる。


「帰ってくる?」


はちは、すぐに頷いた。


「はい。帰ってきます」


ヴィリノの指へ、少しだけ力が入った。


「じゃあ、帰ってきたら、一緒に遊ぼうね」


「ええ。何をして遊ぶか、考えておいてください」


はちが答えると、ヴィリノは、ぱっと笑った。


「うん!」


その声を聞き、いろはも表情を緩めた。


はちは、繋いだ手を見た。


神界へ行くことは、新しい研究へ進むことだ。


けれど、戻ってきてからの約束も、ここにある。


はちは、ヴィリノと一緒に食卓へ向かった。


◇ ◇ ◇


食事の席では、はちが、神界から届いた話を改めて伝えた。


難しい術式の説明はしなかった。


設備を使えるようになること。


アテナが、古い資料を持ってきてくれたこと。


ヴィリノにも分かる言葉を選ぶと、自分の中でも、何をするのかが整理された。


「その装置ができたら、みんな、助かる?」


ヴィリノが尋ねた。


はちは、一度、箸を置いた。


「助けるために、作ろうと思っています」


そう答える。


「まだ、できていませんけどね。うまく作れるように、これから、たくさん確認します」


ヴィリノは、真剣な顔で頷いた。


「じゃあ、応援する!」


「……わふっ。ありがとうございます」


はちは微笑んだ。


レイが、そのやり取りを見てから口を開く。


「はち。持っていくものは、まとめられそう?」


「はい。研究用のものは、だいぶ。生活に必要なものは、これからです」


「じゃあ、あとで一緒に見ようか」


「お願いします」


今までなら、自分でできると答えたかもしれない。


だが、今日は、手を貸してもらうことを、そのまま受け取れた。


いろはが、はちの前へ料理の皿を少し寄せた。


「まずは、ちゃんと食べようね」


「はい」


はちは、箸を持ち直す。


頭の中には、図面の線が残っている。


神界で確認したいことも、いくつもある。


それでも、今、目の前にある食卓へ、意識を戻した。


ヴィリノが、学校であったことを話し始める。


いろはが聞き返し、レイが笑った。


はちは、その会話に混じった。


研究のために出掛けることが決まっても、今日の夕食まで、なくなるわけではない。


そのことを、味わうように、ゆっくり食べた。


◇ ◇ ◇


食事の後、はちは、鞄の前へ座っていた。


昼間、技術室で開いていたものとは別に、生活に必要なものを入れるための鞄だ。


レイが、隣で、用意したものを確かめている。


「このくらいは、分けておいた方が使いやすいかな」


「……なるほど」


はちは、並べられたものを見て頷いた。


装置なら、どの部品を、どこへ収めるか考えられる。


自分の持ち物となると、思ったより迷う。


レイが、そんなはちを見て微笑んだ。


「研究の道具は、迷わず揃えるのにね」


「そちらは、使う順番が分かりますからねぇ」


「着替えも、使う順番はあるよ?」


「……確かに」


はちは、少しだけ笑った。


いろはが、近くへ腰を下ろす。


「どれくらいの間になるかは、現地で確認してからなんだよね」


「はい。作業に必要なことが、まだありますので。分かったら、連絡します」


いろはは頷いた。


すぐ帰れるとは、はちも約束していない。


分からない時間を、短いと言って安心させようともしていなかった。


それなら、自分も、今分かることを聞いていこうと思った。


「向こうへ着いたら、様子を教えてね」


「はい。設備について確認したことも、かえでさんへ報告します」


「うん。それとは別に、はちちゃんが、ちゃんと休めてるかも知りたいな」


はちは、いろはを見た。


それから、少しだけ眉を下げる。


「……研究の報告だけでは、駄目ですか」


「それも聞きたいけどね」


いろはは笑った。


「はちちゃんのことも、知りたいよ」


はちは、返事をするまで、少し間を置いた。


「……分かりました」


小さく頷く。


「そちらも、ちゃんと連絡します」


レイが、鞄のそばへ置いた一覧を見た。


「こっちで用意できるものは、少しずつ揃えていこう。出発の予定が決まってから、慌てなくて済むように」


「はい」


はちは、鞄の中へ、一つずつ物を収めた。


紙の図面とは、違う準備だった。


けれど、どちらも、神界へ行くために必要なものだった。


◇ ◇ ◇


その後、はちは、もう一度、シアの記録を開いた。


部屋の中へ、青白い表示が浮かぶ。


ステラが、隣へ来た。


「……まだ、お仕事?」


「確認だけです。今日は、もう、書き換えたりはしません」


はちは答えた。


ステラは、表示を見てから頷く。


元の構造。


変更を検討している部分。


新しい貯蔵庫の設計。


その端へ、今日、届いた設備の情報が加わっている。


最初に描いた二つの丸から、随分、資料が増えた。


はちは、それぞれを確かめる。


「……行けることになりましたね」


ステラが、顔を上げた。


「……うん」


「ステラは、何か、気になることはありますか?」


少しの間、返事はなかった。


ステラは、表示ではなく、はちの袖を見ていた。


「……知らないところ、ある」


はちは、静かに頷く。


「神界のことですか?」


「……覚えてないところも」


はちは、それ以上、記憶を辿らせようとはしなかった。


今日、アテナから届いた図面にも、自分たちがまだ分からない部分がある。


神界へ行けば、知らないものを見ることになるだろう。


「自分も、神界の研究設備を見るのは、初めてです」


はちは答えた。


「だから、分からないところは、一緒に聞きましょう」


ステラが、はちを見る。


「……一緒?」


「ええ。自分が分からないのに、知っているふりをしても、仕方ありませんからねぇ」


はちは、少しだけ笑った。


ステラは、しばらくその顔を見ていた。


やがて、小さく頷く。


「……分かった」


はちは、今日の記録を保存した。


『保存が完了しました』


シアの返事を確かめ、表示を閉じる。


光が収まり、部屋の中が静かになった。


「今日は、ここまでです」


はちが言うと、ステラも頷いた。


机の上には、持参する資料が重なっている。


そばには、準備の始まった鞄があった。


神界へ行く。


今度は、自分の意思で、必要なものを持って。


そして、研究をして、この世界へ戻ってくる。


はちは、紙の一番上へ、今日の日付と、確認した内容を書き添えた。


許可が下りたこと。


設備について、分かったこと。


これから、相談して決めること。


書き終えると、筆を置いた。


廊下の向こうから、ヴィリノの声がする。


いろはとレイが、それに答えていた。


はちは、その声へ顔を向ける。


「……行きましょうか」


ステラが、そばへ並んだ。


鞄は、まだ、完全には詰まっていない。


出発までに、確かめることも残っている。


けれど、行けるかどうかを待つ時間は、終わった。


アテナが届けてくれた返事が、次へ進む準備を始めさせていた。


はちは部屋の明かりを落とし、ステラと一緒に、家族の声がする方へ歩いていった。


――第80話・了――

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