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転生した主人公が次元神になる  作者: ヘルカイザー
第2部

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第79話 知恵の女神が持ち帰った報告



「それでは、私たちは、一度、神界へ戻ります」


アテナが告げると、はちは、手元の資料を持ち直した。


いろはたちへの説明を終え、少し時間が経っていた。


先ほどまで広げられていた図面は、目的ごとに重ねられている。


そのうちの一組を、はちはアテナへ差し出した。


「ゼウス様へ説明するとき、こちらを使ってください」


アテナは両手で受け取った。


貯蔵庫の構想。


取り込みプログラムの改修案。


そして、神界でなければ製作できない部分についての説明。


目を通した内容だった。


それでも、受け取るときには、紙の重さを改めて感じた。


「お預かりします」


はちは頷いた。


「自分たちは、こちらで準備できることを進めます。まだ、プログラムの書き換えはしませんので」


隣で、ステラも小さく頷く。


「……資料、待ってる」


「はい。私の方でも、当時の記録を確認してきますね」


アテナが答えると、ステラは、少しだけ表情を緩めた。


フィナも、はちたちへ向き直った。


「お返事が分かりましたら、また、お伝えしに参ります」


「お願いします」


はちは、丁寧に頭を下げた。


咲が、その隣から声を掛ける。


「気を付けてね。……って、帰る場所に言うのも変だけど」


フィナが、かすかに笑った。


「ありがとうございます。報告、きちんとしてきます」


アテナは、最後にはちを見た。


神界を出発するとき、この相手へ会うことまで予定していたわけではなかった。


ヘルカイザーの気配を追い、本人の言葉を聞く。


まずは、それが目的だった。


だが、今、持ち帰ろうとしているものは、その結果だけではない。


この世界で暮らしている者から託された、次の研究の案がある。


「許可については、ゼウス様のお考えを伺ってからになります」


アテナは、改めて伝えた。


「ただ、何のために必要なのかは、私から、お話しします」


「……はい」


はちは、まっすぐ頷いた。


アテナは、紙を丁寧に収めた。


やがて、神界へ戻るための光が開く。


フィナが、その前で、もう一度振り返った。


はちが、小さく手を振っている。


フィナも、手を上げた。


そして、アテナと共に、光の向こうへ歩み入った。


◇ ◇ ◇


神界の空は、変わらず明るかった。


歩き慣れた場所へ戻ってきたのだと、足元の感触で分かる。


目に入る柱も、遠くに続く道も、出発したときと同じだった。


フィナは、隣のアテナを見た。


彼女は、資料を収めた手元へ、一度、視線を落としていた。


「……アテナ様」


「はい」


「どこから、お話ししますか」


アテナは、少しだけ歩調を落とした。


「まず、ヘルカイザーさんと会えたことを。その後、ご本人から伺ったことと、アルカディアで分かったことを、お伝えします」


「……はい」


フィナは頷いた。


神界へ戻れば、気持ちも落ち着くだろうかと思っていた。


けれど、胸の中には、まだ、アルカディアで聞いた声が残っている。


白い竜の、穏やかな口調。


取り返しのつかない出来事を語るときの、低くなった声。


そして、はちが自分の過去を打ち明けたときの、いろはたちの返事。


一日のうちに起きたことが、簡単には並ばなかった。


「私も、聞いたことを、取り違えないようにします」


フィナが言うと、アテナは頷いた。


「お願いします。私が抜かしていることがあれば、補ってください」


フィナは、少し驚いた顔をした。


そして、背筋を伸ばす。


「はい」


二人は、ゼウスの元へ向かった。


通された先で、アテナは静かに頭を下げた。


「ゼウス様。ただいま、戻りました」


フィナも、その隣で礼をする。


ゼウスは、二人へ視線を向けた。


「……うむ。まずは、無事で何よりだ」


低い声が、静かな室内へ響く。


アテナが顔を上げると、ゼウスは、その手元を見た。


「話すことが、多くできたようだのう」


「はい」


アテナは答えた。


「ヘルカイザーさんと、再会できました」


ゼウスの目が、わずかに細くなった。


「……そうか」


短い返事だった。


それから、二人へ座るよう促す。


「順に、聞こう」


◇ ◇ ◇


アテナは、アルカディアでの再会について話し始めた。


自分たちが到着したとき、街には復旧の作業が見られたこと。


ヘルカイザーは街から離れた場所にいて、会話には応じたこと。


フィナも、言葉の切れ目ごとに、小さく頷いていた。


「私たちへ、攻撃を仕掛けることはありませんでした」


アテナが告げると、ゼウスは顎へ手を添えた。


「おぬしたちと、話す意思はあったのだな」


「はい。ただ、以前と同じ答えを期待しないでほしいと、初めにおっしゃっていました」


アテナは、あの白い顔を思い浮かべた。


執事のように礼をする姿。


会えて嬉しいと言いながら、互いの立場を曖昧にしない言葉。


「現在は、ガルデローベ社という会社に所属し、技術開発部長を務めています」


「会社……」


「研究資金が足りなくなったことが、入社のきっかけだったそうです」


ゼウスは、黙って聞いていた。


アテナは、続ける。


「ですが、今、そこで働いている理由は、資金だけではありません。マスター社長と呼ばれる方へ、ご自身の意思で忠誠を誓っていると、おっしゃいました」


「命じられて、仕方なく従っているのではない、と」


「はい」


アテナの返事は、明瞭だった。


事情を知れば、会社から引き離せるかもしれない。


報酬を用意すれば、今の仕事をやめるかもしれない。


自分に都合のよい想像を、報告へ混ぜてはいけなかった。


「ご自身の研究を評価され、必要な環境を得られた。そのことを、今も大切にしているようでした」


フィナが、静かに付け加える。


「お話しするときも、仕事に戻ることを、自然に考えていらっしゃいました」


ゼウスは、フィナへ目を向けた。


フィナは、少し緊張しながら続けた。


「誰かに許してもらえば帰れる、という様子ではありませんでした。……ご自分のいる場所として、お話しされていました」


ゼウスは、ゆっくり頷いた。


「なるほどのう」


アテナは、膝の上で手を重ねた。


研究室に戻れば、また、あの竜は働くのだろう。


会社へ役立つ技術を考え、新しいものを作り、成果を持ち帰る。


その行動の先に、アルカディアの制圧がある。


「現在の任務は、アルカディアにあるガーディアン組織、AEGISの制圧です」


アテナは、ゼウスを見て告げた。


「再会してお話しした後も、その任務をやめるとは、おっしゃいませんでした」


室内が、静かになった。


ゼウスは、少しの間、目を伏せた。


「友人との再会が、そのまま、任務の放棄へつながったわけではないか」


「……はい」


アテナは頷いた。


会えた。


言葉を交わせた。


知らなかった時間について、聞くことができた。


そのどれも、大切だった。


けれど、戦いが終わったわけではなかった。


◇ ◇ ◇


「アルカディアの被害についても、ご本人から説明がありました」


アテナの声が、少し低くなった。


「次元神の力を制御できなくなり、暴走したとのことです」


ゼウスが、顔を上げる。


「……制御を失った、と?」


「はい。ここまでやるつもりはなかった、と、おっしゃっていました」


ゼウスは、その言葉を繰り返さなかった。


続きを待つ。


「ただし、初めから攻撃する意思がなかったわけではありません。制圧のために行動し、その途中で、自分でも抑えられない規模の破壊へ至った……そのように伺いました」


アテナは、言い終えてから、一度息を整えた。


そこを混ぜれば、彼の選んだ行動まで、事故として扱ってしまう。


本人が望まなかったこと。


本人が選んで続けていること。


両方を、伝えなければならなかった。


「暴走の原因は、プラスエネルギーです」


ゼウスの視線が、アテナへ戻った。


彼女は、自分の手元を見た。


「以前、私が触れたとき、あの方が苦しんだことがありました。あのときは、何が起きたのか分かりませんでしたが……」


「うむ」


「その反応も、プラスエネルギーによるものだったと、今回、ご本人から聞きました」


長く、答えのなかった出来事だった。


術式は使っていない。


傷つけようとはしていない。


それでも、手を伸ばした相手が苦しんだ。


アテナは、その記憶を、今日、初めて原因と一緒に語った。


「現在は、ヘルカイザーさんご自身も、反応の正体を理解しています」


「それでも、暴走が起きたのだな」


「……はい」


アテナは頷いた。


「分かっていながら、離れる判断をしなかったことも、ご自身の問題として話されていました」


フィナの指が、膝の上で重なる。


あの場で聞いたときにも、胸が冷えるような話だった。


原因を知っている。


危険も、知らなかったわけではない。


それでも、起きてしまった。


「そして……今回が、初めてではありませんでした」


アテナが告げると、ゼウスの表情が変わった。


「二度目だと、おっしゃいました」


少し間を置く。


「最初の暴走では、一つの世界を滅ぼしてしまったそうです」


沈黙が落ちた。


遠くの物音さえ、聞こえなくなったように感じられた。


ゼウスは、アテナを見つめていた。


「……それは、本人から聞いたことか」


「はい。私たちが、直接見た出来事ではありません。今日の再会で、ご本人から伺いました」


フィナも、静かに頷いた。


「私も、その場で聞きました」


ゼウスは、長く息を吐いた。


消息を失っていた時間。


神界へ届いていなかった出来事。


その間に、友人の研究は進み、貯蔵庫は完成していた。


そして、一つの世界が失われている。


アテナは、ゼウスの返事を待った。


やがて、低い声がした。


「……知らぬ間に、という言葉だけで済ませてよい話ではないのう」


アテナは、目を伏せた。


ゼウスも、すぐには次の言葉を続けなかった。


◇ ◇ ◇


「その事故の後、あの方は、世界を救うという考えを手放したそうです」


アテナは、静かに話を続けた。


「以前は、すべてのマイナスエネルギーを自分へ集めれば、平和になると考えていらっしゃいました」


ゼウスは頷く。


「覚えておる」


「ですが、今の自分が、世界を救うという大義名分を掲げるのはおこがましい、と……」


アテナは、あの声を思い返した。


楽しげな調子を、少しだけ落とした言葉。


自分のしたことを、なかったことにはしていなかった。


「ご自身の起こした破壊と、その理想を、同じものとして語れなくなったようでした」


ゼウスは、目を細めた。


「では、己の行いを、正義として飾ってはいないのだな」


「少なくとも、私たちへは、そのようにお話しされました」


アテナは答えた。


「ですが、その後に選んだのが、会社への忠誠と、現在の仕事です。人々を傷つける行為をやめた、という意味ではありません」


自分で口にすると、胸が痛んだ。


彼は、何も分かっていないわけではない。


事故で失われたものを、単なる失敗作と同じように扱っていたわけでもない。


それでも、今の生き方を選んでいる。


「……私には、今も友人です」


アテナは、顔を上げた。


「再会できて、嬉しかったです。お話しできたことも……」


言葉が、一度止まる。


「けれど、あの方の仕事を、認めることはできません」


ゼウスは、アテナの顔を見た。


そこには、報告を終えて楽になったような表情はなかった。


むしろ、一つ語るたびに、本人の選択を受け止め直しているようだった。


「……会わぬ方がよかったと思うか」


ゼウスが尋ねた。


フィナが、思わずアテナを見る。


アテナは、静かに首を振った。


「いいえ」


答えは、早かった。


「会わなければ、今お伝えしたことを、知れませんでした。私の記憶の中にいるあの方だけで、考え続けていたと思います」


ゼウスは、何も言わずに聞いていた。


「苦しいお話もありました。ですが、再会できたことを、後悔はしていません」


アテナが言い終えると、ゼウスは小さく頷いた。


「……そうか」


フィナは、その隣で、そっと息を吐いた。


神界を出る前、危険だと止められても同行を願った。


今も、自分にできることが大きくなったとは思わない。


それでも、アテナが聞いた声を、自分も聞いている。


今日の報告を、彼女一人にさせずに済んだことを、静かに受け止めた。


◇ ◇ ◇


「そして、アルカディアで、もう一つ、大切なことがありました」


アテナは、収めていた資料を取り出した。


ゼウスの視線が、その紙へ移る。


「金城享司さんと、お会いしました」


「……あの世界へ転生させた者か」


「はい。現在は、安藤はちという名で暮らしています」


ゼウスは、二人の顔を見比べた。


「おぬしたちが会いに行ったのだな」


「咲さんという、前の世界からの知り合いの方へ案内をお願いしました」


アテナは答えた。


今の姿についての説明は、必要な範囲に留めた。


転生後の姿に手違いがあったことは、別途、きちんと整理する必要がある。


今、伝えるべきなのは、アルカディアで、はちが何をしようとしているかだった。


「はちさんは、いろはさんたちと、家族として暮らしていました」


アテナの声が、少し柔らかくなる。


「今日、ご自身の前世と、転生の経緯についても、自分の言葉で打ち明けられました。私たちも、その場に同席しています」


フィナが頷いた。


「驚いてはいらっしゃいましたが、責められることはありませんでした。今までと同じように、一緒に暮らしたいと……」


ゼウスは、静かに聞いていた。


「その者には、戻る場所があるのだな」


「はい」


アテナは頷いた。


いろはの声が、胸によみがえる。


また、後で。


一緒にご飯を食べよう。


特別な誓いよりも、日常へ続く言葉が、はちの緊張をほどいていた。


「それから、はちさんの相棒として、アイリスさんと再会しました」


ゼウスの目が、わずかに開く。


「……アイリスと?」


「はい。今は、はちさんからいただいた、ステラという名前を使っています」


アテナは続けた。


「ご本人がその名を大切にしているので、私たちも、今はステラさんと呼んでいます」


ゼウスは、少しの間、目を伏せた。


そして、頷く。


「うむ。本人の望む名で呼ぶがよい」


「はい」


アテナは、机へ資料を広げた。


「はちさんは、ステラさんと共に、次元神の力を扱っています」


ゼウスの視線が、図面の上で止まった。


「……そこで、今回の研究へつながるのか」


「はい」


アテナは、二つの丸が描かれた紙を、一番上へ置いた。


◇ ◇ ◇


「ヘルカイザーさんのお話をお伝えした後、はちさんは、貯蔵庫の仕組みに疑問を持ちました」


アテナは、紙の一点を指した。


プラスエネルギーの流入経路。


最初は、確定していない線として、点で描かれた箇所だった。


「マイナスエネルギーを蓄えるための装置に、なぜ、プラスエネルギーまで入り込むのか」


ゼウスは、図を見つめた。


「負のものを選んで集めるなら、性質の違うものが入り込む理由があるはずだ、ということか」


「はい。身体へ入るのか、貯蔵庫へ入るのか、共通の経路があるのか。その点から、考え直そうとしています」


アテナは、初期の構造について、はちへ説明したことを伝えた。


魂から分離する仕組み。


別の空間へ移す仕組み。


そこへ蓄える仕組み。


それらを、同じ目的にしか使えないと決めてよいのか。


「貯蔵庫には、マイナスエネルギー以外も扱える用途があるのではないかと、提案されました」


ゼウスは、顎へ手を添えた。


「……蓄えるという働き自体を、見直したのだな」


「ええ」


アテナは頷いた。


「また、現在の膨大なマイナスエネルギーに対して、流入するプラスエネルギーが少量であるため、反発を処理できず、制御が崩れるのではないか、と」


「それは、確かめられたことか」


「いいえ。現時点では、はちさんの仮説です」


アテナは、はっきり答えた。


「ただ、以前、私が触れたときには痛みが生じても、今回のような暴走には至りませんでした。その後、貯蔵量が増え、装置が完成した後に、世界を失う規模の事故が起きています」


ゼウスは、アテナを見る。


「差がどこにあるか、調べる手掛かりにはなるのう」


「はい」


アテナは、次の紙を広げた。


プラスエネルギーの貯蔵庫。


その文字を、ゼウスが目で追う。


「これを、別に作るのか」


「はい。プラスエネルギーを、いきなりヘルカイザーさんの中へ流し込む案ではありません。別の場所へ蓄え、量と流れを扱えるようにして、対策を検討します」


アテナは、はちと話したときの言葉を思い出した。


もっと強く当てればよい、とは言わなかった。


反発が起きるなら、その仕組みを調べようとした。


「暴走している力へ、さらに反応を起こさせるのではなく、扱うための仕組みを、こちらにも用意したいという考えです」


ゼウスは、ゆっくり頷いた。


「なるほど」


その声を聞き、フィナも少しだけ肩の力を抜いた。


◇ ◇ ◇


「ただし、はちさんとステラさんの次元神にも、マイナスエネルギーを取り込む性質が残っています」


アテナは、改修前の図を示した。


「そのまま、プラスエネルギーの貯蔵庫へつなぐことはできません」


「入り口だけ変えて、先が同じでは困るというわけだな」


「はい。判別し、取り込み、送るまでの処理を、合わせて書き換える必要があります」


ゼウスは、その図へ顔を近付けた。


アテナが続ける。


「はちさんは、ご自身の持つ全世界の知識を使い、次元神プログラムの改修方法を検索しました。その結果、必要な知識が見つかっています」


「……見つかったのか」


「はい。さらに、プラスエネルギーを蓄える貯蔵庫の設計も見つかりました」


アテナは、順に紙を並べた。


構想だけの丸から、複数の働きを示した図へ。


そして、製作のための設計へ。


机の上へ広げると、自分たちの話が、どのように進んだかも見えた。


ゼウスは、図の間へ目を動かした。


「知識があったから、問いを立てれば、方法へ辿り着けたのだな」


「はい。ただ、見つかった知識を使って、すでに改修したわけではありません」


アテナは付け加えた。


「現在は、元の構造と、変更する箇所を比較している段階です。ステラさんも、一緒に確認しています」


ゼウスは、顔を上げた。


「アイリス……ステラ自身の封印を解く話ではないのだな」


「はい。今回は、はちさんと共に扱っている力の、取り込みプログラムの改修です。ご本人が単独で能力を使えない封印とは、別に扱います」


「うむ」


ゼウスは頷いた。


アテナは、紙の端へ書かれた注意点を示す。


「また、貯蔵庫と扱う者を、直接つなぎ続ける構造も見直します。蓄えたものが本人へ流れ込む接続を、そのまま引き継がないためです」


ゼウスの目が、細くなった。


かつて、ヘルカイザーへ流れ込んでいたエネルギー。


わずかな流入が、長い時間をかけて、その判断の基準まで変えていった。


アテナは、その経路を止めようとしていた。


「同じ流入を、新しい研究へ持ち込まぬようにするか」


「……はい」


アテナは答えた。


フィナも、図の一つへ視線を向ける。


「はちさんは、操作のための経路と、エネルギーが通る経路を、分けて考えていました」


フィナの声に、ゼウスが顔を向けた。


「蓄えるものがプラスエネルギーであっても、本人へ流れ込む構造を、そのままでよいとは考えていませんでした」


ゼウスは、小さく頷いた。


「そこを忘れずにおるのなら、話は聞ける」


◇ ◇ ◇


アテナは、最後の資料を前へ置いた。


製作場所――神界。


ゼウスの視線が、その文字へ留まる。


「……ここで、作らねばならぬのか」


「はい。見つかった設計の製作条件を確認したところ、神界の環境と、作業に必要な設備が求められていました」


アテナは、製作の初めに当たる箇所を示した。


「図面や資料だけをアルカディアへ持ち込んでも、この部分は作れません。はちさんご自身が、こちらへ来て作業する必要があります」


ゼウスは、すぐには答えなかった。


資料を手に取り、前後の記述へ目を通す。


それから、先ほどの改修案へ視線を戻した。


アテナは待った。


フィナも、口を挟まずにいる。


「必要な設備については、どこまで分かっておる」


やがて、ゼウスが尋ねた。


「設計上の要件は、こちらへ記されています。実際に使用できるものと照らし合わせ、足りない部分を確認しなければなりません」


アテナは答えた。


「私も、当時の資料を確認し、初期の貯蔵庫を製作したときの環境と比較したいと考えています」


「なるほどのう」


ゼウスは、紙を机へ戻した。


アテナは、姿勢を正す。


ここからが、願い出るために持ち帰った話だった。


「ゼウス様」


呼び掛けると、ゼウスが顔を上げた。


「はちさんたちを、研究のために神界へ迎える許可をいただけないでしょうか」


静かな声だった。


「併せて、プラスエネルギー貯蔵庫の製作と、次元神プログラムの改修に必要な設備の使用を、お認めいただきたく存じます」


フィナも、隣で頭を下げた。


アテナは、視線を逸らさずに続けた。


「私の保管している資料だけでは、研究を進められません。作業する場所と、条件を満たす設備が必要です」


ゼウスは、アテナを見ていた。


「おぬしも、研究へ加わるつもりだな」


「はい」


答えに、迷いはなかった。


「初期の設計を知る者として、接続や流入の確認に協力します。はちさんからも、その点をお願いされています」


アテナは、膝の上で重ねた手を、そっと開いた。


「また同じように、後から気付くのではなく……今度は、作り始める段階から、確かめたいのです」


◇ ◇ ◇


ゼウスは、しばらく黙っていた。


机の上には、二つの時間が並んでいる。


神界で始まった、かつての研究。


アルカディアで考えられた、今の対策。


一方がなければ、もう一方も生まれなかった。


だからといって、同じ結果へ至らせてよいわけではない。


「アテナ」


呼ばれて、彼女が顔を上げる。


「これで、ヘルカイザーが、以前のように戻ると思っておるか」


フィナの手が、かすかに止まった。


アテナは、ゼウスを見つめた。


その問いへ、すぐに答えられるようになるまで、長い時間がかかった。


「いいえ」


アテナは答えた。


「長く浸透したものによって変わった価値観を、元へ戻す方法はありません。はちさんにも、そのようにお伝えしました」


ゼウスは、続きを待つ。


「今回の研究で、マスター社長への忠誠がなくなるとは考えていません。制圧を諦める保証もありません」


「では、何を止めようとしておる」


「ご本人の意思で続けている攻撃へ対抗すること。そして、ご本人にも制御できなくなる暴走から、周囲を守ることです」


アテナは、言葉を区切った。


「はちさんは、その両方のために、研究を提案しました」


ゼウスの視線が、図面へ落ちた。


アテナは、続ける。


「私自身は、友人に、再び望まぬ破壊をしてほしくありません。ですが、アルカディアで暮らす方々にとっては、それ以上に、自分たちの生活を守る必要があります」


いろはたちの顔を、思い出す。


戦いの傷と疲労を残したまま、はちの話を聞いていた。


神界へ行くという相談にも、心配を隠さず、返事をしていた。


「その方々へ、私の願いだけで、危険を引き受けてほしいとは言えません」


ゼウスは、小さく息を吐いた。


「……うむ」


アテナは、資料へ手を添えた。


「成功を約束することはできません。ですが、作るための知識が見つかり、製作する場所も分かりました。必要な条件を確認する機会を、いただきたいのです」


言い終え、アテナは頭を下げた。


フィナも、その隣で礼をした。


◇ ◇ ◇


「フィナ」


ゼウスが呼ぶと、フィナは少し驚いて顔を上げた。


「はい」


「おぬしは、どう考える」


フィナは、言葉を探した。


設計の細かな部分について、はちやアテナのようには説明できない。


何が動き、どこが難しいか、まだ分からないところが多い。


それでも、アルカディアで、見ていたことがある。


「……はちさんは、一人で決めて出発しようとは、しませんでした」


ゼウスは、黙って聞く。


「まず、いろはさんたちへ、何をするつもりか説明していました。ご自身の過去についても、隠していたことを謝って……」


フィナは、膝の上の手を、少しだけ緩めた。


「神界へ行けることになったら、改めて予定を相談すると、約束していました」


ゼウスの目が、アテナへ一度向いた。


アテナが、頷く。


フィナは、続けた。


「研究のためなら、ほかのことは後からでよい、とは考えていませんでした。だから……」


一度、息を吸う。


「こちらでも、必要なことを、一緒に確認して進められると思います」


言い切ると、少しだけ肩が上下した。


ゼウスは、フィナを見つめていた。


「おぬしは、何をする」


「資料の整理と、記録をお手伝いします。分からないところは、分からないまま伝えず、確認します」


フィナは答えた。


「アテナ様と、はちさんたちの力になりたいです」


ゼウスは、目を伏せた。


やがて、わずかに頷く。


「……分かった」


フィナは、その返事を聞いて、静かに頭を下げた。


◇ ◇ ◇


ゼウスは、改めて資料を手に取った。


製作の手順。


必要な環境。


改修しようとしている箇所。


すべてを、今ここで検証し終えたわけではない。


だが、研究を始めるために何を確認すべきかは、示されていた。


「……かつての貯蔵庫は、魂を救った」


ゼウスが、静かに言った。


アテナは、顔を上げる。


「その成果は、今も、なかったことにはならぬ。だが、作った者自身へ何が起きていたか、十分に見ておらなんだ」


アテナの指が、わずかに動いた。


「その後の行き違いも、わしの責任から外れるものではない」


捕獲。


排除。


命令が変わって届いたことを、ゼウスは、今も覚えていた。


アテナは、何も言わなかった。


「だからといって、次の研究を、償いの気持ちだけで進めてよいとも思わぬ」


ゼウスは、資料を机へ置いた。


「今回、何を作るのか。誰へ、何が流れるのか。どこまで分かり、何がまだ分からぬのか。そこを、確かめながら進めるのだ」


「……はい」


アテナは答えた。


ゼウスは、二人を見る。


「安藤はちとステラを、研究のため、神界へ迎えることを認めよう」


アテナの目が、わずかに開いた。


フィナも、思わず顔を上げる。


「そして、必要な設備の確認と、使用のための準備を許可する」


ゼウスは続けた。


「実際の製作は、設備と設計を照らし合わせてからだ。何が必要かを、担当する者と確認せよ」


アテナは、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


フィナも、同じように礼をする。


ゼウスは、少し声を和らげた。


「まだ、貯蔵庫が完成したわけではないぞ」


「……はい」


アテナは、顔を上げた。


「分かっています」


だが、進めるための場所が、今、認められた。


アルカディアで引かれた線が、神界の机の上でも、先へ延びた気がした。


「同行する者については、必要な役割を整理して、改めて知らせるがよい」


ゼウスは付け加えた。


アテナは頷いた。


咲を含め、誰が共に来るのか。


アルカディア側の予定と、留守の間のこと。


それらは、はちたちと相談して決める必要がある。


「はちさんたちへ、そのようにお伝えします」


「うむ」


ゼウスは頷いた。


「帰る場所があるのなら、帰るための研究として迎えよう。神界へ留め置く話と、取り違えられぬようにな」


アテナの胸が、少しだけ熱くなった。


「……はい。必ず、お伝えします」


◇ ◇ ◇


報告を終えて部屋を出ると、フィナが、長く息を吐いた。


「……許可、いただけましたね」


声を落として言うと、アテナは頷いた。


「はい」


手元には、持ち帰った資料がある。


紙の中身は、報告前と同じだった。


けれど、これから使える場所がある。


それだけで、次にすることが、はっきりしていた。


「まず、私の保管している資料を確認しましょう。その後、設備について、必要なところを照らし合わせます」


「はい。私も、お手伝いします」


二人は、アテナが資料を保管している場所へ向かった。


扉を開けると、見慣れた机と棚が目に入る。


何度も開いた箱。


繰り返し読み返した記録。


アテナは、その前で、少しだけ足を止めた。


ここへ戻ってくるたび、答えを探していた。


なぜ、あのとき気付けなかったのか。


なぜ、流入を止められなかったのか。


今日、探すものは、それだけではない。


「……こちらです」


アテナは、初期の貯蔵庫に関する資料を取り出した。


フィナが、机の上を空ける。


古い構造図を広げると、紙に残る線が、目に入った。


ヘルカイザーが説明した接続。


自分が、分からない箇所を尋ねたときの書き込み。


アテナは、指先を紙の端へ置いた。


懐かしさが、胸へ押し寄せる。


けれど、今は、そこに留まるために開いたのではなかった。


隣へ、はちの資料を並べる。


「……確かに、こちらの仕組みは違いますね」


フィナが、小さく言った。


アテナは頷いた。


「ええ。初めの図では、ここを、あの方ご自身の力で支えています」


指で、その箇所を示す。


「はちさんは、この接続を、そのまま残さないように考えていました」


フィナは、新しい図へ目を動かした。


古い図面を否定するためではない。


何が働き、何が問題になったのかを、確認するために並べる。


アテナは、必要な資料へ、一枚ずつ印を付けた。


記憶だけで描いた部分に、補わなければならない箇所がある。


その違いを、書き添えていく。


「こちらは、はちさんへ、説明し直さなければなりません」


「記録します」


フィナが、新しい紙へ筆を走らせた。


研究は、すでに始まっていた。


◇ ◇ ◇


資料を整理している途中、アテナは、一度、手を止めた。


新しい図面の端に、はちの書いた文字がある。


何を、どう集めるか。


プラスエネルギーを集めるために、誰かの大切な気持ちまで奪いたくない。


はちは、そう言っていた。


アテナは、その箇所を、報告の中でも伝え忘れていないか、思い返した。


装置の構造ばかりを説明すると、その向こうにいる相手が、小さな印になってしまう。


初めの貯蔵庫を作った頃にも、考えたことだった。


「……フィナ」


「はい」


「集め方についての資料も、必要な項目へ加えてください。感情そのものと、そこから生じるエネルギーを、どう扱うかについてです」


フィナは頷いた。


「はい。はちさんも、気にしていましたね」


「ええ」


アテナは、古い記録をめくった。


苦しみが減っても、大切なものを失わせてはならない。


その言葉を、今度は、プラスエネルギーを扱う研究の中でも確かめる。


同じ紙を読み返していても、今日、書き加える問いは違っていた。


フィナが、整理した項目を並べる。


「こちらで、最初にお伝えできる資料は、まとまりそうです」


「ありがとうございます」


アテナは、その紙を受け取った。


足りないものが、まだある。


設備の照合も、これからだった。


けれど、はちたちへ戻って伝えられることができた。


受け入れが認められたこと。


設備を確認し、使用へ向けて準備できること。


初期の資料が、今も残っていること。


アテナは、古い図面を丁寧に収めた。


その隣へ、新しい資料を重ねる。


◇ ◇ ◇


フィナは、まとめた記録を抱えた。


「……アルカディアへ戻ったら、はちさん、喜んでくださるでしょうか」


アテナは、その問いに、かすかに微笑んだ。


「きっと、すぐに、設備について尋ねられると思います」


フィナも、思わず笑った。


あの小さな少女は、知識が見つかったとき、明らかに表情を変えた。


設計を辿り、次の作業を考え、場所が神界だと知って、手を止めた。


今度は、その先を考えられる。


「……では、答えられることを、整理しておかなければいけませんね」


「はい」


アテナは頷いた。


ヘルカイザーが変わったことを、知った。


世界を救うという言葉を、今は使わないことも知った。


それでも、かつての発明が、何も残さず消えたわけではない。


救われた魂がいた。


図面が残った。


そして、その図面を元に、別のものを作ろうとする者がいる。


アテナは、資料を持つ手へ、静かに力を込めた。


友人を、過去へ戻すためではない。


これから起きることへ、向き合うために使う。


窓の外には、神界の明るい空が広がっていた。


アルカディアとは違う空。


はちが製作条件として見つけた、ここだけの環境。


その場所へ、今度は、研究をする者を迎える。


アテナは、フィナへ向き直った。


「設備の確認を終えたら、お返事を届けに行きましょう」


「はい」


フィナは、しっかり頷いた。


「お二人だけでなく、いろはさんたちにも、お伝えしないといけませんから」


「ええ」


アテナは答えた。


送り出す側にも、知らせなければならない。


ここへ来る者には、帰る場所がある。


ゼウスの言葉を、もう一度、胸の中で確かめる。


神界で、研究をする。


必要なものを作り、また、あの世界へ戻っていく。


そのための許可が、今日、下りた。


アテナとフィナは、資料を持って、次の確認へ向かった。


かつての研究室で引かれた線と、アルカディアの小さな机で引かれた線。


二つをつなぐ仕事が、神界で動き始めていた。


――第79話・了――

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