第77話 知識が示した、神界への道
◇ ◇ ◇
アテナの引いた線を、はちの指先が辿っていた。
魂から負のエネルギーを分離する部分。
別の空間へ移す部分。
そして、蓄えたものと、空間を操る者とのつながり。
机の上には、紙が増えている。
正確な設計図にはほど遠い。それでも、先ほどまで言葉だけだった仕組みが、少しずつ形になっていた。
「こちらが、私の覚えている範囲です」
アテナが筆を置く。
「当時の資料があれば、この辺りも確認できるのですが……」
「ありがとうございます。十分、参考になります」
はちは答えた。
けれど、その目は図面から離れなかった。
新しい貯蔵庫。
そこへ、プラスエネルギーを集める。
その案を形にするには、蓄える場所だけでは足りない。
何を取り込み、どう運び、どこへつなぐか。
先ほど自分で書き出した問いが、今度は、はち自身へ返ってきていた。
「……やっぱり、ここですね」
小さな呟きに、咲が顔を上げる。
「何か問題があるの?」
「貯蔵庫を作れても、自分たちの力をそのまま使うわけにはいかなさそうです」
はちは、隣へ目を向けた。
ステラが、こちらを見上げる。
「……ステラ?」
「うん。ステラと一緒に使っている、次元神の方です」
はちは、紙へ新しい丸を描いた。
その丸のそばへ、『取り込み』と書く。
「自分たちの次元神にも、マイナスエネルギーを取り込む仕組みが残っています」
アテナの指が止まった。
「……享司さんの方にも、ですか」
「はい。それも含めて、これまでは制御していました」
負の感情を糧として、力を増す性質。
はちは、その存在を知らずに力を使っていたわけではない。
自分の力を理解するために、知識を使った。
どう扱えばよいかを確かめ、ステラと共に制御してきた。
しかし、今回作ろうとしているものは、その運用を変える。
「今までは、今ある仕組みを使っていました。でも、プラスエネルギーを集めるなら、取り込むものを選ぶところから変えないといけません」
「力を扱えることと、その性質を書き換えることは違う……ということですね」
アテナの問いに、はちは頷いた。
「はい。負のエネルギーを受け入れる仕組みへ、そのまま別のものを流そうとしても、うまくいくとは限りませんから」
咲は、二つの丸を見比べた。
貯蔵庫を新しくする。
だからといって、そこへ運ぶ側まで新しくなるわけではない。
「入れ物だけ作り替えても、取り込む方が元のままでは駄目なのね」
「ええ。しかも、今回は逆の性質です」
はちは、筆先で『取り込み』の文字を囲んだ。
「プラスエネルギーを取り込む要素を入れるには、次元神のプログラムを書き換える必要があります」
フィナが、少しだけ身を乗り出した。
「……それは、できるのですか?」
はちは、すぐには答えなかった。
できるかどうか。
試しに動かしてみれば分かる、という話ではない。
はちは、ステラへ向き直った。
「ステラ。力の取り込みを扱っている部分について、もう一度、確かめたいんですけど……いい?」
ステラは、はちと、机の上の紙を交互に見た。
「……今、変えるの?」
「いいえ。まずは、どう変えればいいかを調べます」
はちは答えた。
「分かったことは、ステラにも見てもらいたいです」
小さな沈黙の後、ステラは頷いた。
「……うん。一緒に見る」
◇ ◇ ◇
はちは、左手首へ目を落とした。
「シア。解析内容を整理したいので、表示をお願いできますか」
『承知しました。記録用の表示を展開します』
左腕の外側へ、青白い光が広がった。
召喚用のカードは取り出していない。
展開された表示には、はちが整理している項目が並んでいく。
取り込む対象。
力の流れる先。
制御するための接続。
ステラは、はちのすぐ隣で、その光を見つめた。
彼女自身の封印を解く作業ではない。
今、はちと共に使っている力について、その働きを確かめる。
アテナも、その違いを確かめてから、表示へ視線を向けた。
「……ここは、負のエネルギーを力へ結び付ける部分ですね」
「はい」
はちは頷く。
「空間を開く部分だけを参考にできればと思ったんですが、実際につなぐなら、こちらの経路も整理しないといけません」
図面へ、短い線を加える。
「ヘルカイザーさんの貯蔵庫には、ご本人へエネルギーが流れる接続がありました。自分たちの方も、そのまま新しい貯蔵庫とつないでいいのか、確かめる必要があります」
アテナの表情が引き締まった。
先ほど、直接つなぎ続ける構造を避けたいと話した。
それは、接続する側の仕組みを知らずに実現できることではない。
はちは、自分の胸元へ手を添えた。
力を扱うことには慣れている。
けれど、使い慣れた働きだからこそ、見直さなければならない部分がある。
「……さて」
はちは、小さく息を吐いた。
「少し、探してみます」
「探す?」
咲が聞き返した。
「全世界の知識で、です」
フィナの顔が上がった。
アテナも、はちを見る。
はちは、少しだけ困ったように笑った。
「ダメ元ですけどね。次元神を制御する方法なら分かります。でも、性質を変える改修となると……探す内容も、違ってきますから」
咲の視線が、机の上の図へ向いた。
「だから、先に、何を変えたいのか整理していたのね」
「はい。今までの使い方とは、目的が違います」
はちは、目を閉じた。
全世界の知識。
転生するときに、自分が望んだもの。
この世界で、最初のデバイスを作ったときにも、力になった知識だ。
今、探したいのは、既存の力を大きくする方法ではない。
負のエネルギーを取り込む仕組み。
その受け入れ方を、別の性質に対応させる方法。
はちは、頭の中で問いを絞った。
(……次元神プログラム。エネルギー取り込み部分の改修)
浮かんでくる知識の中から、必要なものを辿る。
次元の制御。
エネルギーの判別。
変換。
接続。
普段は一つの力として扱っているものが、異なる働きへ分かれていく。
はちの眉が、わずかに動いた。
その様子を、咲は黙って見ていた。
途中で声を掛けようとはしなかった。
やがて、はちが目を開ける。
「……ありました」
低い声だった。
フィナが、思わず聞き返す。
「見つかったのですか?」
「はい」
はちは、表示へ手を伸ばした。
「取り込みのプログラムを、書き換える知識です」
◇ ◇ ◇
青白い表示に、新しい図が加わった。
はちは、浮かんだ知識を整理しながら、必要な箇所を書き出していく。
先ほどまでの単純な丸とは違う。
複数の処理が線で結ばれ、流れに沿って並んでいた。
アテナが、その一つへ目を留める。
「これは……エネルギーの性質を判別する部分ですか?」
「はい。取り込む前に、何を通すのかを決めています」
はちは、次の箇所を示した。
「そして、通したものを、どのように扱うか。どこへ送るか。そこまで合わせて変える必要があります」
咲が、図を覗き込んだ。
「負のエネルギーという指定を、正のエネルギーへ書き換えるだけではないのね」
「それだけで済むなら、助かるんですけどねぇ」
はちは、小さく肩を下げた。
「入口を変えても、先が元のままなら、また問題が起きます。受け入れた後の処理まで、そろえなければいけません」
ステラが、光の上へ指を近付けた。
「……ここも?」
「うん。こちらが、取り込んだものを送る部分です」
「……流れる先」
「そうです。作ろうとしている貯蔵庫へ送るのか、それ以外へ流れてしまうのか。そこも確認します」
ステラは、しばらく図を見つめていた。
そして、別の線を指した。
「……はちに、来るところ」
はちの視線が、その線へ移る。
アテナも、同じ箇所を見た。
貯蔵庫から本人へ流れ込んだ、あの経路。
今、目の前の図にも、操る者と力とのつながりがある。
「はい。ここを、どう扱うかですね」
はちは答えた。
「力を使うための接続と、蓄えたものが流れ込む接続を、同じように残していいわけではありません」
アテナが、ゆっくり頷いた。
「先ほどの疑問に、戻ってくるのですね」
「ええ。だから、この知識は使えそうです」
はちの声に、少しだけ明るさが戻った。
何を変えなければならないか。
その候補が、ようやく、言葉だけではなくなった。
はちは、元の構造と、改修する場合の構造を並べた。
すぐに動かすためではない。
どこが変わるのかを、ステラと一緒に確かめるためだった。
「……ここを変えたら、ステラが自分で力を使えるようになるの?」
咲が尋ねる。
はちは、首を振った。
「それは別です。ステラ自身の能力を封じているものを、解除する作業ではありませんから」
ステラも、小さく頷いた。
アテナは、その返事を聞いて、表情を少し緩める。
新しいことができるかもしれない。
その期待で、彼女の封印まで一緒に扱ってしまうわけにはいかなかった。
「今、必要なのは、プラスエネルギーを扱うための仕組みです」
はちは言った。
「それ以外の部分まで、まとめて変えるつもりはありません」
ステラの指先が、はちの袖へ触れた。
「……分からないところ、教えて」
はちは、彼女へ顔を向ける。
「もちろんです」
返事をしてから、もう一度、並んだ図を見た。
検索は、確かに手掛かりを返してくれた。
だが、その手掛かりを使う先には、まだ、作るものが必要だった。
「……次は、貯蔵庫の方ですね」
◇ ◇ ◇
「そちらも、探せるのでしょうか」
アテナが尋ねた。
はちは、机の上の紙へ目を戻した。
プラスエネルギーの貯蔵庫。
少し前に、自分で書いたばかりの名前だった。
「試してみます」
今度は、先ほどより早く、問いを絞れた。
何のために作るのか。
何を蓄えるのか。
扱う者と、どう接続するのか。
アテナが語った初期の仕組みと、全世界の知識にある構造を照らし合わせる。
取り出す。
移す。
蓄える。
その中から、今回必要な働きを辿る。
はちは、机へ置いた手を止めた。
「……これも、あります」
咲が、思わず顔を上げた。
「貯蔵庫の設計も?」
「はい。プラスエネルギーを蓄えるための設計です」
フィナの口元が、明るくなる。
「それでは……作れるのですね?」
はちは、返事をしかけた。
知識の中には、構造がある。
必要なものも、製作する手順もある。
それを一つずつ辿りながら、表示へ書き出していく。
複雑な図が、目の前に広がった。
アテナは、息を呑んだ。
初期の貯蔵庫に似た働きがある。
けれど、同じものを写した図ではない。
扱うものが違う。
その違いに合わせて、受け入れ、保持する仕組みも変わっている。
「……こちらが、貯蔵する空間」
アテナが呟いた。
「はい」
「その外側へ、制御するための仕組みを……」
「ええ。取り込むものに合わせて、こちらも組み直す必要があります」
はちは、設計の流れを辿った。
取り込み側の改修。
貯蔵庫へ送る経路。
保持する仕組み。
そこから利用するための制御。
別々に探した知識が、少しずつ結び付いていく。
はちの指が動き、表示へ項目が加わる。
それに合わせ、アテナが、紙の上へ確認したい箇所を書き留める。
いつの間にか、二人の返事は短くなっていた。
「こちらは?」
「後からつなぐ部分です。先に、貯蔵する空間の方を安定させます」
「初期の装置では、この辺りもご本人が制御していました」
「なら、違いを見たいですね。資料があれば、比較できます」
「はい。そこを、確認する資料に加えましょう」
咲は、そのやり取りを見ていた。
さっきまで、過去について話していた女神。
隣には、今の姿になる前から知っている幼馴染。
二人が、同じ図面へ向かっている。
はちが小さく眉を寄せると、アテナも、そこへ視線を動かす。
アテナが気付いたことを口にすると、はちの指が止まる。
咲は、紙をもう一枚、机の中央へ置いた。
「書くところ、足りなくなりそうね」
「……あ。ありがとうございます」
はちは、そこで初めて、少し顔を上げた。
その表情を見て、咲は笑った。
「やっぱり、こういうのは好きなのね」
「……まあ、それは否定しませんけど」
はちは、再び図へ目を戻した。
作りたいものの形が見えてくる。
必要な作業が、順序を持って並び始める。
それは、研究の中でも、胸が弾む時間だった。
だが、はちの指は、ある項目へ辿り着いたところで、ぴたりと止まった。
「……わふっ?」
◇ ◇ ◇
「どうしたの?」
咲が尋ねた。
はちは答えず、表示をもう一度見直す。
必要なもの。
組み立てる順序。
初めに作る部分。
その下に続く、製作環境。
「……ちょっと待ってください」
はちは、その項目を大きく表示した。
フィナが、覗き込む。
アテナの目も、同じ箇所へ向いた。
そこに示されていた場所は、アルカディアではなかった。
神界。
はちは、しばらく、その文字を見つめた。
「……ああ。そういうことですか」
小さく呟き、椅子へ座り直す。
咲が、はちの顔を見る。
「作る場所が、神界なの?」
「……はい」
「こちらの技術室では、できない?」
「設計どおりに作るなら、神界での製作が必要になります」
フィナの笑顔が、驚いた表情へ変わった。
先ほどまで、図面が見つかったことを喜んでいた。
だが、必要なのは、材料と手順だけではなかった。
「……場所まで、条件に入っているのですね」
アテナが、ゆっくりと言った。
「ええ」
はちは、その前後を読み直した。
単に、研究室の名前が書かれているわけではない。
貯蔵する空間を形にし、仕組みを成立させるための製作条件だった。
はちは、手順の初めへ戻る。
「後から、置き場所だけ変えればいいという話でもなさそうです。少なくとも、ここを作る段階では、神界の環境が必要です」
そう言って、設計の基礎となる部分を示した。
アテナが、その箇所を見つめる。
自分が覚えている研究室。
そこで広げた図面。
実際に動いていた装置。
それらが、今、製作条件という言葉で結び付いた。
「……私たちが初めの装置を作ったのも、神界でした」
アテナが言った。
はちは、顔を上げた。
「はい。お話を聞いて、そこも気になっていました」
「当時は、そこにいるのが当たり前でしたから……」
アテナは、表示へ目を戻した。
研究室がある。
道具がある。
必要な資料も、そばにある。
その中で成立していたものを、別の世界で作る。
環境そのものを条件として捉え直すと、見え方が変わる。
「こちらへ設計図を持ってくれば、同じように作れるとは限らないのですね」
「ええ。材料さえそろえば、というものばかりではありませんから」
はちは、少しだけ肩を落とした。
最初にシアを作ったときは、森にあった部品を集めた。
知識と、手元にあるものを結び付けて、形にした。
今回は、手元にないものの中へ、作業する場所まで含まれている。
咲が、もう一度、文字を見た。
「……神界かぁ」
その声に、フィナが顔を向けた。
咲も、転生するときには、あの場所へ行っている。
アテナとフィナに会ったのも、そこでだった。
だが、生きている今の自分たちが、研究のために訪ねる。
それは、同じ話ではない。
ステラが、はちを見上げた。
「……遠い?」
はちは、その問いに、少し考えた。
「距離だけでは、説明しづらいですねぇ」
答えてから、アテナへ目を向ける。
「自分の判断で、勝手に行っていい場所でもありませんし」
アテナは頷いた。
神界へ向かう。
その必要が生まれたことと、実際に迎え入れられること。
二つの間には、まだ、確かめるべきことがあった。
◇ ◇ ◇
はちは、表示の端へ、新しい項目を並べた。
次元神プログラムの改修。
プラスエネルギー貯蔵庫の製作。
製作場所――神界。
最後の文字を見て、はちは小さく息を吐く。
「……だいぶ、大事になってきましたねぇ」
咲が、呆れたように笑った。
「貯蔵庫を一つ作る話から、神界へ行く話になったものね」
「最初は、資料をお借りできればと思っていたんですけど」
「資料だけでは、足りなかったと」
「はい」
はちは、素直に頷いた。
アテナは、机の上へ置かれた紙を見つめていた。
自分は、神界へ戻って資料を確認するつもりだった。
その資料を、はちの研究へ役立てられればよいと思っていた。
だが、はちが見つけた知識は、別の道を示している。
研究をする本人が、神界へ行く。
そのために、自分には何ができるのか。
「……ゼウス様へ、お話しする必要があります」
アテナが言った。
はちは、彼女へ向き直る。
「やはり、そうなりますよね」
「はい。私だけの判断で、お連れする約束はできません。事情と目的をお伝えして、迎え入れることが可能か、確認しなければ」
「分かりました」
はちは頷いた。
残念そうな顔ではなかった。
必要な段階を、一つ確かめた顔だった。
「では、何をするために行きたいのか、説明をまとめます」
その言葉に、アテナの肩が少し緩む。
行き方を教えてほしい。
今すぐ連れていってほしい。
そう頼まれれば、どう答えるべきか迷っただろう。
はちは、まず説明するための紙を、自分の前へ引き寄せた。
「それから、こちらの皆さんにも報告しなければいけません」
はちは続けた。
「神界へ行くために、突然いなくなったら、いろはさんたちに心配をかけますから」
咲の目が細くなった。
「……本当よ」
「何ですか、その念の押し方」
「あなた、研究のことを考え始めると、先へ進むのが早いのよ」
「今回は、ちゃんと話しますよ」
「今回は、って言ったわね?」
はちは、返事に詰まった。
フィナが、思わず笑いかけて、口元を手で押さえる。
ステラは、はちの袖をつまんだまま、小さく呟いた。
「……お話、してから」
「はい。分かってます」
はちは頷き、紙へ視線を戻した。
行くことは、まだ決まっていない。
だが、何を頼むべきかは、見えてきた。
◇ ◇ ◇
「享司さん」
アテナが呼び掛けた。
「先ほど、プログラムを書き換える知識が見つかったとおっしゃいましたね」
「はい」
「製作する場所が決まるまで、その変更も待つのでしょうか」
はちは、表示へ目を向けた。
改修前と、改修する場合の構造。
その隣には、貯蔵庫の設計がある。
「今は、変更する内容の整理までにします。貯蔵庫の方と、合わせて確認したいですから」
ステラへ、視線を移す。
「取り込めるようにしても、送る先ができていなければ、困ります」
ステラが、小さく頷いた。
アテナも、二つの図を見比べる。
「順番が、大切なのですね」
「はい。作るものが増えたので、なおさらです」
はちは、製作手順の横へ、短い言葉を書き加えた。
現状の確認。
改修内容の比較。
貯蔵庫との接続確認。
その先へ進もうとして、手を止める。
「……ここからは、場所と設備が分かってからですね」
アテナが頷いた。
「私も、神界にある資料と照らし合わせます。こちらの図だけでは、当時との違いを思い違いしてしまうかもしれません」
「お願いします」
はちは、紙を一枚差し出した。
「アテナさんが、先ほど教えてくださった部分も、ここへまとめておきます」
アテナは、その紙を受け取った。
自分の覚えていることが、はちの見つけた知識と並んでいる。
古い接続。
新しい取り込み方。
そして、別の性質を蓄える貯蔵庫。
どれか一つだけでは、今の計画にはならなかった。
アテナは、紙の端をそっと押さえた。
「……あの方と研究していた頃にも、同じように、何枚も紙を広げました」
はちは、顔を上げた。
アテナは、かすかに微笑む。
「その頃は、今日のようなお話をする日が来るとは、思っていませんでした」
その声を聞き、はちは、すぐに返事をしなかった。
自分たちが作ろうとしているものは、友人の力への対策でもある。
アテナが協力すると言った意味を、軽く受け止めるわけにはいかない。
「……資料、大切に使います」
はちは答えた。
アテナは、ゆっくり頷いた。
「はい。私も、一緒に確認します」
◇ ◇ ◇
「でも……」
フィナが、少し迷うように声を出した。
全員の視線が、彼女へ向く。
「全世界の知識には、そこまで含まれているのですね」
はちは、瞬きをした。
「……フィナさん?」
「いえ、その……神界で作るものの設計まで見つかるとは、私も、今、改めて驚いてしまって……」
言いながら、声が少し小さくなる。
はちは、しばらくフィナを見ていた。
「自分に、その力をくださった側ですよね?」
「は、はい」
「……ですよねぇ」
咲が、堪えきれずに笑った。
アテナも、困ったように眉を下げる。
「フィナ。今は、見つかった知識を確認する方へ戻りましょう」
「はい……」
フィナは、姿勢を正した。
はちは、少しだけ口元を緩める。
「まあ、助かっているのは本当です。これがなければ、改修方法を探すだけでも、ずっと時間がかかったでしょうから」
フィナが、顔を上げた。
はちは、表示された図へ目を戻す。
「ただ、知識があっても、全部がその場でできるわけではありませんね」
今までも、そうだった。
部品があれば、組み立てられる。
必要なものが足りなければ、揃えなければならない。
今回は、知識が、作業する場所まで示した。
便利な答えであると同時に、次へ進むための課題でもある。
「……それでも、どこへ行けばいいか、分かりました」
はちが言うと、フィナは小さく頷いた。
「はい」
「だから、まずは、そこへ行けるように考えます」
咲が、机の上へ並んだ紙を見た。
「随分、はっきりしてきたわね」
「ええ。さっきまでは、作れるかどうかも分かりませんでしたから」
はちは、二つの図を見比べた。
プログラムの書き換えに必要な知識がある。
貯蔵庫の設計もある。
あとは、それを現実の作業へ移すために、必要な条件を満たす。
何も分からないまま、敵の力の大きさを見上げていたときとは違う。
はちは、左腕の表示を、記録として整理していった。
◇ ◇ ◇
「シア。この二つは、分けて記録してください」
『改修案と、貯蔵庫の設計案ですね』
「はい。元の構造と、変更する箇所を比較できるようにお願いします」
『承知しました』
表示が切り替わり、項目が整っていく。
はちは、それを確かめてから、机の上の紙へ番号を付けた。
アテナが記憶を元に描いた図。
プログラムを書き換えるための検討。
貯蔵庫の設計。
神界での製作条件。
ばらばらだったものが、一つの研究の資料になっていく。
ステラは、その作業を見ていた。
「……ステラのところ、残る?」
小さな問いに、はちが顔を向ける。
「元の仕組みの記録ですか?」
ステラは頷いた。
「……変える前の」
「もちろん、残します。何を変えたのか分からなくなったら、困りますから」
はちは、比較の表示をもう一度開いた。
変更前。
変更を検討している部分。
二つを並べて見せる。
「それに、ステラと確認したことも、ちゃんと書いておきます」
ステラの目が、表示へ戻った。
しばらく見つめてから、小さく返事をする。
「……うん」
アテナは、その横顔を見ていた。
アイリスと呼んでいた頃の記憶。
今、ステラとして、はちの隣にいる姿。
今日、再会できたことさえ、まだ胸の中で落ち着いていない。
その相手と、次の研究について話している。
アテナは、急に、はちが最初に言った言葉を思い出した。
今できることを、一緒に確かめたい。
それは、ステラを装置の一部として数える言い方ではなかった。
「……ステラさん」
アテナが呼ぶと、ステラは顔を上げた。
「資料を持ってきたら、また、一緒に見ていただけますか」
ステラは、少しだけ首を傾げる。
「……分かるところ、少ないかも」
「構いません。私も、確認し直さなければならないところがありますから」
ステラは、はちを見た。
はちが頷くと、アテナへ向き直る。
「……見る」
その返事に、アテナは微笑んだ。
◇ ◇ ◇
窓の外の光が、机の端へ伸びていた。
咲が、紙を重ね直す。
「今日は、ここまででも、随分進んだんじゃない?」
はちは、表示を見てから、頷いた。
「……そうですね」
「その返事、まだ続きを考えてるでしょう」
「少しだけです」
「やっぱり」
咲は、呆れたように笑った。
はちは、最後の一枚へ、説明に必要なことを書き始めた。
ヘルカイザーの暴走について分かったこと。
プラスエネルギーの貯蔵庫を作る目的。
そのために必要な、取り込みプログラムの改修。
そして、神界での製作。
書き終えると、アテナへ差し出す。
「ゼウス様へお話しするとき、これも使ってください。足りないところがあれば、直します」
アテナは、目を通した。
最後まで読んでから、はちを見る。
「……承知しました。私からも、今日、伺ったことをお伝えします」
「ありがとうございます」
「ただ、許可については、まだ、お約束できません」
「はい。それは、分かっています」
はちは、まっすぐ答えた。
アテナは、紙を丁寧に重ねた。
神界を出るとき、自分はヘルカイザーに会いたいと願った。
危険だと分かっていても、本人へ直接、話を聞きたかった。
そして、アルカディアで再会した。
そこから、咲を通じて、享司に会った。
ステラにも、再び会えた。
今、その出会いの先で、神界へ持ち帰る新しい話ができている。
かつての研究が、今の戦いへつながっていた。
そして、今の研究が、再び神界へつながろうとしている。
「……アテナさん」
はちが呼んだ。
アテナが顔を上げる。
「自分たちも、神界へ行く必要がありそうです」
先ほどから話していたことだった。
けれど、改めて言葉にされると、その重みが違った。
はちの隣には、ステラがいる。
少し離れた椅子で、咲も、こちらを見ていた。
アテナは、静かに頷いた。
「ええ。そのために、まず、私からお話ししてまいります」
はちは、小さく頭を下げた。
その後で、左腕のシアへ目を向ける。
「こちらも、かえでさんに連絡します。皆さんへ、研究のことを説明する時間をいただかないと」
『通信の準備をいたします』
「お願いします」
表示の片側が、通信の準備へ切り替わった。
咲が、机の上の資料を一枚、はちの手元へ戻す。
いろはたちへ説明するときにも、必要なものだった。
「省かずに、話すのよ?」
「……分かってます」
はちは答え、神界という文字を見た。
答えが見つかれば、すぐに作れると思っていた。
だが、見つかった答えは、ここではない場所を示していた。
それでも、道はできた。
次元神のプログラムを、プラスエネルギーへ対応させる知識。
新たな貯蔵庫を形にするための設計。
その作業を行う場所。
はちは、一つずつ、頭の中で確かめた。
そして、通信へ向き直る。
「……かえでさん。少し、ご相談したいことがあります」
小さな机の上から始まった研究は、アルカディアの技術室だけでは収まらなくなっていた。
はちが手にした知識は、次の行き先を示している。
かつて、白い竜と知恵の女神が、同じ図面を囲んでいた場所。
神界へ。
――第77話・了――




