第71話 譲れぬ一撃、その果てに
――アルカディア上空――
空を走る光が、幾度も交差した。
いろはとセリシア。
レイとリュミナ。
かえでとヴェルシア。
互いに離れた場所で繰り広げられる三つの戦いは、時間が経つにつれて激しさを増していた。
最初の攻防で確かめた間合いへ、今はためらいなく踏み込んでいる。
相手が何を得意としているかは、知っている。
だからこそ、それをさせないための一撃が飛んだ。
砲撃の収束を、射撃が妨げる。
回り込もうとした先へ、刃が振り抜かれる。
防御を固めれば、その外側から次の魔法が迫る。
誰も開始の合図を待ち直さない。
態勢が整うまで、攻撃を控えてくれる者もいなかった。
「……ずいぶん、変わりましたねぇ」
少し離れた空で、ヘルカイザーが呟いた。
背後へ回した前脚は、そのまま。
六人を眺める白い小さな身体には、武器も浮かんでいない。
はちは、その姿と戦場を交互に見ていた。
「……三人を鍛えたのは、貴方でしょう?」
「ええ♪ ですが、教えたことを実際の戦いで使えるかどうかは、また別のお話ですからねぇ」
穏やかな声だった。
次の瞬間、遠くで魔力が弾ける。
はちの視線が、そちらへ動いた。
いろはが空中を押し戻され、セリシアが追い掛けている。
ヘルカイザーは、動かない。
その事実を確かめても、はちは彼から完全に注意を外さなかった。
いま手を出していないことと、敵でなくなったことは違う。
目の前には、三つの戦場。
傍らには、もう一人の敵。
そのどちらも見失わないよう、はちは息を整えた。
◇ ◇ ◇
――天城いろは視点――
右肩をかすめた魔力弾が、背後で弾けた。
「……っ!」
痛みを振り払うように、私は身体をひねる。
視線の先で、セリシアがデバイスを振った。
来る。
そう判断して高度を落とした瞬間、足元から光が跳ね上がった。
「くっ……!」
アークレイを下へ向け、障壁を展開する。
ぶつかった魔力弾の衝撃で、腕が大きく跳ねた。
それでも、止まれない。
さっきまでいた高さを、別の光が貫いた。
防御した場所へ留まっていれば、次はあれを受けていたはずだった。
私は横へ流れながら、魔力弾を撃ち返す。
セリシアは最初の一発を避け、続く二発を障壁で受けた。
その間にも、もう移動を始めている。
(……隙が、小さい)
攻撃が終わったからといって、こちらの番になるわけじゃない。
撃ちながら次の位置を選び、私が狙いを定める頃には、そこから離れようとしている。
以前よりも、ずっと厄介だった。
「……どうされました、いろはさん」
距離を保ったまま、セリシアが告げる。
「受けるばかりでは、終わってしまいますよ」
「……分かってる!」
私はアークレイを引き寄せ、前へ向けた。
桃色の光が連続して走る。
セリシアはその間を縫い、斜め下へ抜けようとした。
そこへ、追わせていた一発を回す。
「……っ!」
セリシアの進路が、わずかに変わった。
いま。
私は身体ごと向きを変え、空いた場所へ射撃を重ねた。
彼女の障壁に光がぶつかり、その輪郭が揺らぐ。
でも、破れない。
視界の端で、新たな魔力弾が輝いた。
私は攻撃を切り上げ、急いで横へ飛ぶ。
頬のすぐ近くを、熱い魔力が通り過ぎた。
追い詰めたつもりだった。
だけど、その間にも反撃を用意されていた。
「……簡単には、いかないね」
「こちらの言葉です」
セリシアの呼吸も、少し乱れていた。
デバイスを握る手に、力が入っている。
その袖には、先ほどの攻防でついた傷が見えた。
私だけが無傷で戦えていないわけじゃない。
でも、それで安心なんてできなかった。
相手は、まだ倒れていない。
次の一撃でこちらが止まれば、そのまま押し切られる。
そう思わせるだけの強さが、いまのセリシアにはあった。
私は短く息を吸った。
ヘルカイザーさんのこと。
あの日、自分が引き起こしてしまったこと。
考えなければいけないことは、いくつも残っている。
だけど、いま向き合っているのはセリシアだ。
彼女は、私を倒すために攻撃している。
ここで迷って負ければ、それで済む話ではなかった。
守るべき場所が、背後にある。
私はアークレイを握り直した。
「……セリシア」
「はい」
「ここから先へは、行かせないよ」
セリシアの目が、細くなる。
「……でしたら、止めてみてください」
返事と同時に、彼女の魔力が膨らんだ。
複数の光が、一斉に迫る。
私は正面の一発を弾き、残る射線から身を引いた。
肩が痛む。
腕も、重い。
それでも、アークレイの先端は下げなかった。
逃げ続けていては、終わらない。
この射撃の連なりを越えて、こちらの一撃を通す。
私は迫る光の間へ、飛び込んだ。
◇ ◇ ◇
――レイ・シルビア視点――
リュミナの姿が、目の前から消えた。
追い掛けるより先に、身体を動かす。
振り向きざまに受けた一撃が、手にしたデバイスを大きく震わせた。
「……くっ!」
「ついてきた!」
リュミナの声が近い。
だけど、そこにはもういない。
交わした刃の感触が消えるより早く、彼女は私の横へ抜けていた。
振り抜かれる光を、辛うじてかわす。
完全には避け切れなかった。
脇腹に衝撃が走り、息が詰まる。
「……っ、はあ!」
それでも、反撃した。
こちらの刃先が、リュミナの腕をかすめる。
「わっ……!」
声を上げながらも、彼女は飛び退いた。
距離が開く。
私は、追わなかった。
呼吸を立て直しながら、次の動きを見つめる。
速さで追い掛けるだけでは、振り回される。
それは、ここまでの攻防ではっきりしていた。
以前のリュミナなら、踏み込んでくる勢いを利用できた。
だけど、いまは違う。
こちらが応じる直前に角度を変える。
追撃すると見せて、一度引く。
同じ入り方を繰り返すことが、減っている。
それでも、攻撃へ踏み切る勢いは失われていなかった。
「……まだ、いけるよね?」
リュミナが、こちらへ刃を向ける。
額に汗が浮かんでいた。
さっきかすめた腕を、ほんの一瞬だけ握り直している。
「……そっちこそ」
「もちろん!」
短い答え。
その直後、彼女が動いた。
正面から来る。
私は刃を構えた。
だけど、リュミナはぶつかる直前に身を沈めた。
下から。
そう思わせて、さらに外へ回る。
(……そこ!)
私は足の向きを変え、身体を追従させた。
視線だけで追えば間に合わない。
刃が来る位置へ、構えごと移す。
鋭い衝突音が鳴った。
「……っ!」
「止めた……!」
リュミナの顔が、目の前にあった。
互いに押し込む。
力を緩めた方が、先に崩れる。
彼女の腕が震えている。
私の方も、余裕なんてなかった。
先ほど受けた脇腹の痛みが、呼吸のたびに響く。
それでも踏み込んだ。
押し返す力に合わせて、リュミナが離れる。
私は逃がさないよう刃を振った。
彼女も、下がりながら撃ち返す。
光が弾けた。
衝撃で、二人の間に距離が生まれる。
追撃へ移ろうとして、私は一度だけ大きく息を吐いた。
もう、何度も同じ攻防を続けられない。
リュミナも、それを感じているようだった。
こちらを見つめたまま、構えを変える。
刃へ魔力が集まり始めた。
「……これで、抜くよ」
軽い言い方ではなかった。
真っ直ぐにこちらを見据えた目に、迷いはない。
私を倒し、その向こうへ進むための一撃。
ならば、避けてやり過ごすだけでは駄目だ。
私も、デバイスへ魔力を注いだ。
これまでの交差で乱れた呼吸を、できる限り整える。
彼女の速さを、甘く見てはいない。
次の踏み込みも、いままでで一番鋭いだろう。
だから、最後まで見る。
速い光だけではなく。
その光の中で、どこへ刃を向けているのかを。
私はリュミナから、目を逸らさなかった。
◇ ◇ ◇
――かえで視点――
正面の障壁が、軋んだ。
「……重いなぁ、もう……!」
声を漏らしたところへ、次の魔力が押し寄せる。
私は高度を落とし、直撃を避けた。
その先を、別の光が塞いだ。
ヴェルシアは、ただ大きな魔法を放っているだけではない。
逃げる方向を狭め、その場所へ強い一撃を重ねてくる。
下がるだけでは、動ける場所がなくなる。
私は射線の切れ目へ向けて、魔法を放った。
押し寄せる光の一部が崩れ、視界が開く。
そこを抜ける。
だけど、待っていたようにヴェルシアがこちらへ向き直った。
「その程度で、逃れたつもりか!」
「逃げるだけやと思わんといて!」
私は身をひねりながら、次の魔法を撃った。
ヴェルシアが障壁を張る。
正面からぶつかった魔力が、大きく弾けた。
彼女の身体が押される。
その隙に、距離を取り直した。
腕が痛い。障壁を維持していた指先が、まだ痺れている。
でも、向こうも同じだった。
ヴェルシアは肩で息をしながら、こちらを睨んでいた。
最初の堂々とした立ち姿は、崩れている。
それでも、その目は伏せられていなかった。
「……しぶとい」
「お互い様や」
短く答え、私は魔力を整える。
無駄に撃てば、先に尽きる。
それくらい、力を使っていた。
かといって、攻撃をためらえば押し込まれる。
ヴェルシアは、こちらが立て直すのを待たない。
再び魔力が集まった。
私は撃ち出される位置を見て、防御を展開する。
衝撃が腕から肩へ抜け、歯を食いしばった。
(……まだ、上がるんか)
息を乱していても、彼女の攻撃は弱まっていない。
むしろ、余計なものが削がれていた。
大きな動きで威圧するより先に、必要な場所へ魔力を送っている。
ここまで積み重ねた攻防の中で、さらにこちらへ合わせてきていた。
強くなった。
それを認めることと、負けていいことは違う。
相手は、ガーディアンに敵対している。
いまここで止めなければ、その力がどこへ向くか分からない。
私は障壁を解き、横へ流れた。
すぐに、攻撃を返す。
ヴェルシアが迎え撃った。
魔力同士の衝突が、空を震わせる。
「……我は、負けぬ」
光の向こうから、声が聞こえた。
「今度こそ、貴様を超える」
私は、杖を握り締めた。
「……そう簡単には、超えさせられへんな」
ヴェルシアの周囲へ、強い魔力が集まり始める。
小さな射撃ではなかった。
これまでの攻防を終わらせるための、大きな魔法。
その構えを見た私は、短く息を吸った。
止める。
いろはちゃんやレイも、それぞれの相手と戦っている。
こっちが崩れれば、二人の戦いにまで影響する。
余力を残して勝てる相手ではない。
それでも、ここを譲るわけにはいかなかった。
私は残る魔力を、静かに集め始めた。
◇ ◇ ◇
――アルカディア上空――
はちの頬へ、細かな風が当たった。
三つの戦場で膨らむ魔力。
先ほどまで交わされていた射撃とは、密度が違う。
『……はち』
ステラの声が響く。
『みんな、大きいのを使うつもりだね』
『……ええ』
はちは、短く答えた。
いろはたちの疲労も見えていた。
構えを直す動きが重く、攻撃の合間には息を継いでいる。
エクリプスの三人も、同じだった。
どちらか一方が、余裕を持って追い込んでいるわけではない。
次の激突で、どちらが崩れてもおかしくなかった。
「……いよいよ、ですか」
ヘルカイザーが、静かに告げる。
はちは、そちらへ視線を向けた。
白い前脚は、まだ背後にある。
武器を取り出す気配も、空間を開く兆しもなかった。
見届けると言った。
そして、本当に見ている。
だからこそ、はちは彼の瞳へ一瞬だけ注意を留めた。
三人が不利になれば、どうするのか。
勝敗が決まった後、何をするつもりなのか。
まだ、分からない。
確かなのは、ここで彼を見失ってはいけないということだけだった。
空の向こうで、アークレイが強い光を放った。
◇ ◇ ◇
――天城いろは視点――
細かな魔力弾が、視界を埋めた。
セリシアの姿が、その向こうへ隠れる。
だけど、何をしているかは分かった。
強い魔力が、一点へ集まり始めている。
私は最後の射撃を放ち、迫る光の一部を弾いた。
その隙間を抜けながら、アークレイを構える。
肩へ、衝撃が走った。
「……っ!」
一発、避け切れなかった。
腕が下がりかける。
私は歯を食いしばり、先端を前へ戻した。
ここで構えを崩せば、間に合わない。
光の向こうで、セリシアがデバイスを向けていた。
その先に集まる魔力が、空気を震わせる。
「……いろはさん!」
私も、彼女へ狙いを定めた。
足元の空に魔法陣が広がる。
アークレイへ集めた魔力を、逃がさないよう収束させる。
散らせば、負ける。
強く放つだけでも、足りない。
相手の中心へ、真っ直ぐに通す。
私はセリシアを見据えた。
「――はあああっ!」
ほとんど同時だった。
二つの砲撃が、空を裂いた。
真正面からぶつかる。
眩い光が、二人の間で膨れ上がった。
「……くっ……!」
反動が、腕へ食い込んだ。
押し返される。
私は姿勢を低くし、アークレイを支え直した。
両腕が震えている。
光の境目が、少しずつ近付いてきた。
(……強い……!)
セリシアの砲撃は、細い一点へ力を集中させていた。
広がって散ることがない。
こちらの中心を、そのまま突き破ろうとしている。
私は魔力の流れを整えた。
ただ注ぎ込むだけでは、収束が乱れる。
押されているからといって焦れば、その一瞬で崩される。
息を吐く。
もう一度、狙いを定める。
「……まだ……!」
少しだけ、光の境目が遠ざかった。
だけど、すぐに止まる。
向こうも、押し返してきていた。
互いの砲撃が、激しく揺れる。
このまま続けば、どちらが先に尽きるか。
それだけの勝負になる。
私はアークレイを握る指へ、力を込めた。
先端が、ほんの少し振られている。
さっき肩に受けた一撃のせいだった。
そこを、身体ごと支え直す。
逃げていた魔力が、中心へ戻った。
「……届けっ!」
一瞬。
ぶつかり合う光の中に、細い道が見えた。
私の砲撃が、セリシアの砲撃をわずかに押し分ける。
向こうの光も、最後まで消えなかった。
肩と脇腹へ、衝撃が抜けた。
「……っ!」
視界が揺れる。
それでも、アークレイを離さなかった。
残る魔力を、正面へ送り切る。
眩い閃光が、すべてを覆った。
音が遅れて、耳を打つ。
砲撃が途切れたとき、私は大きく後ろへ流されていた。
「……はっ……はぁ……!」
息が、うまく続かない。
腕が上がらない。
アークレイを握っている感覚さえ、少し遠かった。
それでも、顔を上げる。
光の薄れていく向こうに、セリシアがいた。
彼女はデバイスを持ち上げようとした。
だけど、その腕は途中で止まった。
「……まだ……」
小さな声が、聞こえた気がした。
次の瞬間、彼女の身体が傾く。
飛行を支えていた魔力が、散った。
「セリシア……!」
私は動こうとした。
でも、自分の身体も大きく揺れた。
態勢を保つだけで、精一杯だった。
セリシアのすぐ下に、水面のような波紋が生まれる。
空間が開いた。
落ちかけた彼女の身体が、その向こうへ静かに受け止められた。
ヘルカイザーさんだ。
攻撃ではない。
もう戦えなくなったセリシアを、回収した。
私はそちらを見たまま、荒い息を繰り返していた。
勝った。
だけど、そう思うまでに時間がかかった。
あと少し、構えを支え直すのが遅れていたら。
最後まで魔力を通せなかったら。
崩れたのは、私の方だった。
◇ ◇ ◇
――レイ・シルビア視点――
いろはたちの砲撃が、遠くで空を照らした。
私はそちらを見なかった。
見れば、その瞬間に抜かれる。
リュミナの周囲で、魔力が強く輝いていた。
彼女の身体が、わずかに沈む。
来る。
「――いっけええっ!」
光が、一直線に迫った。
さっきまでの揺さぶりがない。
小さく角度を変える余地すら、攻撃の速さへ回したような踏み込み。
私は真正面へ、刃を振り出した。
「――はあっ!」
激突した瞬間、腕に痺れが走る。
重い。
速いだけじゃなかった。
ここまでの攻防で何度も受けた一撃より、ずっと深く押し込んでくる。
刃と刃の接点から、光が噴き出した。
リュミナの顔が、見える。
歯を食いしばっていた。
引くつもりがないのは、私も同じだった。
だけど、正面から押し合うだけでは止め切れない。
この速さと力を、全部受け止めようとすれば。
腕の方が、先に耐えられなくなる。
(……逸らす)
私は刃の角度を、わずかに変えた。
重なっていた光が、肩口へ滑る。
激痛。
身体の片側が、大きく引かれた。
「……っ!」
深い衝撃だった。
思っていたよりも、ずっと。
だけど、目は閉じなかった。
リュミナの刃が、こちらへ食い込む。
その軌道をずらしたことで、彼女の正面に、ほんのわずかな隙間ができていた。
その一瞬へ、残る力を通す。
「……はああっ!」
振り抜いた刃が、リュミナの防御へぶつかった。
止められる。
そう思った直後、彼女の障壁に亀裂が走った。
リュミナも、すべてを攻撃へ注いでいた。
こちらを貫くための一撃に、力を集中させていた。
だから、戻す時間が足りなかった。
「――っ!」
光が、弾ける。
二人の身体が、互いを追い越した。
私は、そのまま前へ流れた。
姿勢を立て直そうとして、肩から腕へ痛みが走る。
「……う、っ……!」
刃を振り抜いた腕が、下がった。
息を吸う。
脇腹も、痛い。
飛行を維持するための魔力を、必死に繋いだ。
後ろを、振り返る。
リュミナは、少し離れた場所にいた。
こちらへ向き直ろうとしている。
だけど、その身体がうまく動いていなかった。
「……もう、一回……」
デバイスを持ち上げようとする。
その先に、小さな光が灯った。
すぐに、消えた。
「……あれ……?」
リュミナの身体が、下へ落ち始めた。
私は飛び出そうとして、止まった。
彼女の下に、空間の裂け目が開いていたからだ。
落下する身体が、その中へ収まる。
少し離れた場所で、白い小さな竜がこちらを見ていた。
私はデバイスを握り直そうとした。
指に、うまく力が入らない。
リュミナの攻撃は、確かに私へ届いていた。
あれを完全に受け止められたわけでも、かわし切れたわけでもない。
ほんの少し、こちらの一撃が深く通った。
その差でしか、なかった。
「……はぁ……っ」
私は息を吐きながら、ゆっくりと高度を落とした。
空を飛び続けることさえ、もう苦しかった。
◇ ◇ ◇
――かえで視点――
二つの戦場で、大きな光が弾けた。
その気配は、分かった。
だけど、確認する余裕はなかった。
目の前でヴェルシアが、魔力を解き放とうとしていた。
「――これで、終いだ!」
空に広がる魔法の輪郭が、強く輝く。
私は杖を向けた。
距離も、向きも、もう変えられない。
ここで逃げれば、整えた魔力を崩して追撃を受ける。
迎え撃つ。
そう決めて、残る力を注いだ。
「――はああっ!」
放たれた二つの大きな魔法が、正面からぶつかった。
視界が、光で埋まる。
耳の奥が、低く鳴った。
「……く、うっ……!」
腕から肩へ、重圧が食い込む。
押し合っているだけなのに、身体ごと持っていかれそうだった。
飛行を支える魔力まで、そちらへ吸われそうになる。
私は、歯を食いしばった。
足元を保つ。
正面の魔法を、崩さない。
どちらか一方を手放せば、その瞬間に終わる。
向こうから、ヴェルシアの声が聞こえた。
「……退けっ!」
魔力の圧が、さらに強まる。
こちらの光が、わずかに凹んだ。
私は杖を支え直す。
指先が震えていた。
まだ、残っていたのか。
そう思った。
ここまでぶつけ合って、それでも最後に押し込んでくる力がある。
彼女の執念を、軽く見ていたつもりはない。
それでも、いま受けている重さには、息を呑んだ。
負けられない。
向こうがそう思っていることは、分かる。
だけど、こちらにも譲れないものがある。
「……退くんは……そっちや……!」
声を絞り出しながら、魔力を送り直す。
大きく広げ過ぎない。
押されて薄くなった部分へ、力を戻す。
一つずつ、繋ぎ止める。
ヴェルシアの魔法が、激しく揺れた。
向こうも限界が近い。
でも、まだ崩れない。
私は息を吸おうとして、咳き込んだ。
その一瞬、腕が下がる。
光が、近付いた。
(……あかん……!)
杖を持ち上げる。
膝が折れそうになるのを、必死に堪えた。
ここで緩めれば、間に合わない。
もう一度だけ。
私は残っていた力を、正面へ押し出した。
「――通れぇっ!」
光の境目が、動いた。
ほんの少し。
それから、もう少し。
押し戻されかけていた魔法が、ヴェルシアの正面へ届く。
彼女も、最後まで引かなかった。
その周囲で魔力が膨らみ、こちらの一撃へぶつかる。
すべてを押し返そうとした、その光を。
私の魔法が、辛うじて越えた。
衝撃が、空を叩いた。
「……っ、あ……!」
身体が後ろへ弾かれた。
私は杖を握ったまま、空中で大きく体勢を崩した。
魔力を集め直そうとして、うまくできない。
目の前の光が、ゆっくり薄れていく。
ヴェルシアは、そこにいた。
構えた腕を、そのまま保とうとしていた。
だけど、デバイスの先から光が消える。
「……我、は……」
その身体が、傾いた。
すぐ下で空間が揺れる。
私は反射的に杖を向けた。
けれど、そこから攻撃が出ることはなかった。
ヴェルシアの身体が、裂け目の向こうへ受け止められる。
その姿が見えなくなってから、ようやく私は大きく息を吐いた。
吐いた途端、全身から力が抜けそうになった。
「……はぁ……っ……」
勝った。
でも、もう一発と言われても無理だった。
杖を下げることさえ、いまは怖い。
下げたら、そのまま身体まで落ちてしまいそうだった。
◇ ◇ ◇
――アルカディア郊外――
三つの戦場から、大きな魔力の光が消えた。
最後まで飛行を維持していたのは、いろは、レイ、かえでだった。
だが、その姿は勝利を喜べる状態から遠い。
いろははアークレイを抱えるようにして息を継ぎ、レイは片腕を下げたまま高度を落としている。
かえでも、杖を支えにするような姿勢を崩せずにいた。
はちは、三人の位置を確かめた。
その視界の端で、空間が静かに揺れる。
「……さて」
ヘルカイザーが、ようやく前脚を動かした。
そこへ集められていたのは、敗れたエクリプスの三人だった。
それぞれの下に開いた裂け目は、落下する身体を受け止め、こちらへ移すためのものだった。
勝敗が決まる前に、攻撃を逸らしたわけではない。
相手の魔力へ、何かを加えたわけでもない。
最後の一撃まで、ヘルカイザーは手を出さなかった。
そして、戦えなくなった三人を、いま回収している。
「……セリシアさん。リュミナさん。ヴェルシアさん」
穏やかな呼び掛けだった。
セリシアが、かすかに目を開く。
焦点が合うまで、少し時間がかかった。
「……ヘルカイザー、さん……」
「ええ。見ておりましたよ」
その言葉に、彼女の唇が動いた。
「……申し訳、ありません……」
「今は、喋らなくて結構です」
ヘルカイザーは短く答えた。
いつものような笑い声は、続かなかった。
ただ、三人の様子を順に確かめている。
リュミナは目を閉じていた。
ヴェルシアも、腕を上げようとして、途中で力を失っている。
すぐに戦闘へ戻れる者は、一人もいなかった。
はちは、彼らから視線を外さない。
「……連れて帰るつもりですか」
「そのために、回収したのですよ」
ヘルカイザーが顔を向ける。
はちはその前へ出るように、少しだけ位置を変えた。
背後には、降りてきたいろはたちがいる。
こちらへ攻撃するのであれば、まず自分が受ける。
その位置だった。
白い竜は、その動きを見ていた。
「ご心配なさらずとも、今日はこれ以上、こちらから手を出すつもりはありませんよ」
「……その言葉だけで、安心はできませんけどね」
「でしょうねぇ」
ヘルカイザーは否定しなかった。
かえでが、荒い息の間から声を出す。
「……こっちも、貴方らの制圧を認めたわけやないで」
「承知しております」
返事は、淀みなかった。
「今回の決着と、我が社の仕事は、別のお話ですから」
いろはの手が、アークレイを握り直した。
それを、ヘルカイザーは目だけで見た。
武器を出そうとはしない。
「……それでは。三人を休ませなければなりませんので」
前脚が、軽く上がる。
水面へ雫を落としたように、空に波紋が生まれた。
中心が歪み、漆黒の裂け目が開く。
はちは、その縁を見つめた。
いろはたちも、黙って身構えている。
誰も背を向けなかった。
ヘルカイザーは三人を伴い、裂け目の手前へ進む。
途中で一度だけ、戦いの終わった空を見た。
「……あと、少しでしたねぇ」
誰へ向けた言葉なのかは、分からなかった。
セリシアたちへか。
それとも、勝者たちへか。
問い返す前に、白い身体が裂け目の向こうへ消えた。
続いて、空間が閉じる。
残されたのは、傷ついた六人のうち、立ち続けた三人とはち。
そして、ようやく静かになった空だった。
◇ ◇ ◇
「……いろはさん!」
裂け目が閉じた直後、はちが振り向いた。
いろはの身体が、大きく揺れていた。
慌てて肩を支える。
「……ありがとう、はちちゃん」
「無理に動かないでください」
レイも地面へ降りると、その場で片膝をついた。
かえでは少し離れたところで、杖を握ったまま目を閉じている。
三人とも、すぐには言葉が続かなかった。
はちはそばへ寄り、それぞれの顔を確かめる。
意識はある。
呼び掛けにも、答えられる。
それでも、戦いを続けられる状態ではなかった。
「……通信を入れます。まず、皆さんの手当てを」
いろはが、小さく頷いた。
レイは肩へ手を添えて、短く息を吐く。
かえでも、ようやく杖を下げた。
その手が震えていることに、はちは気付いた。
誰も、圧倒して勝ったわけではない。
相手の大技を受け止め、こちらも深い衝撃を受けながら、最後の一撃を通した。
わずかに残った力で立っている。
「……強かったね」
いろはが、ぽつりと呟いた。
レイが頷く。
かえでも、息を整えながら同意した。
そこに、再会を喜ぶ余裕はなかった。
敵が去ったことへ、気を緩めることもできない。
彼女たちは、また来るかもしれない。
今度は、ヘルカイザーも戦うかもしれない。
はちは三人を見渡してから、閉じた空間のあった場所へ目を向けた。
いまは、そこに何もない。
それでも、あの白い竜が告げた言葉は残っていた。
今回の決着と、我が社の仕事は別。
勝利によって、敵対関係が終わったわけではなかった。
◇ ◇ ◇
――ヘルカイザー視点――
三人を連れて戻ると、私はまず、その身体を休ませることにしました。
セリシアさんの返事は、まだ弱いものでした。
リュミナさんも、ヴェルシアさんも、すぐに立ち上がれる状態ではありません。
……まったく。
最後まで、力を使い切りましたねぇ。
敗北は、敗北です。
ほんの少し届かなかったからといって、その結果が変わるわけではありません。
ですが。
私は、先ほどの激突を思い返しました。
セリシアさんの砲撃。
リュミナさんの踏み込み。
そして、ヴェルシアさんが最後まで崩さなかった魔法。
いろはさんたちは、そのすべてを余裕で退けたわけではありませんでした。
むしろ、一歩間違えれば逆になっていたでしょう。
「……ふむ」
だからといって、私が手を加える理由にはなりません。
あれは、三人が自ら選んだ再戦です。
勝ちを望んだからといって、私が勝たせて差し上げるのでは、何のための決着か分からなくなってしまいますからねぇ。
セリシアさんが、こちらへ目を向けました。
「……次、は……」
「そのお話は、起きてからにしましょう」
私は静かに答えます。
「三人とも、まずは休みなさい」
返事は、かすかでした。
それでも、言葉が届いたことは分かりました。
これ以上、いま何かを尋ねる必要はありません。
私は三人のそばを離れ、振り返りました。
敗北した事実は、明日になっても残っています。
それをどう受け止めるかも、すぐには決まらないでしょう。
……ですが。
その続きを考えるためにも、休む時間は必要ですねぇ。
「さて……」
私は、前脚を軽く持ち上げました。
三人の回収は終わりました。
ならば、私は少し場所を変えるとしましょうか。
目の前の空間へ、透明な波紋が広がります。
水面のように揺らいだ中心から、漆黒の裂け目が開きました。
翼を動かし、その向こうへ進む。
次に視界が開けたとき、周囲に三人の姿はありませんでした。
アルカディアの戦場からも離れた、静かな場所。
私はゆっくりと翼を畳みました。
「……ふむ」
今日は、なかなか興味深いものを見せていただきましたねぇ。
そう考えながら、私はしばらく、その場に留まることにしました。
◇ ◇ ◇
――アテナ――
アテナは、静かに目を開いた。
思い返せば、いくつもの言葉が浮かんでくる。
けれど、そのどれを口にすればいいのか、まだ答えは出ていなかった。
知っていること。
知らないまま過ぎてしまったこと。
そして、今になってようやく気付いたこと。
そのすべてを、一度に片付けることはできない。
それでも。
何も言わないままでいることを、これ以上、当然のように選びたくはなかった。
アテナは顔を上げる。
胸の奥に残るためらいは、消えていない。
それを抱えたまま、彼女は一歩を踏み出した。
――第71話・了――




