第68話 傷ついた世界と研究者の興味
――天城いろは視点――
――あれから、数日が経った。
ヘルカイザーさんたちが、次元の裂け目の向こうへ姿を消してから。
アルカディアでは、復旧作業が続けられていた。
――ガガガガガッ!
大型の作業機械が、崩れた瓦礫を運んでいく。
破壊された道路。
砲撃によって抉られた大地。
焼き払われた森。
そして、いたるところに残された、巨大な破壊の爪痕。
それらは、今もなお、この世界に刻まれていた。
「……ふぅ」
私は、復旧作業が行われている場所から少し離れた高台に座っていた。
膝を抱え、ぼんやりと遠くの景色を眺める。
……あの日。
空には、無数の次元の裂け目が広がっていた。
そして、そこから降り注いだ連結式魔導ライフルの砲撃。
はちちゃんが必死に防いでくれたおかげで、被害はさらに広がらずに済んだ。
だけど。
(……全部は、防げなかった)
私は、眼下の景色へ視線を落とした。
作業を続けるAEGISの隊員たち。
損傷した施設の修復。
破壊された大地の調査。
みんな、少しでも早く元の生活を取り戻そうと頑張っている。
……それなのに。
私は、ここにいる。
「…………」
本当なら、私も手伝わないといけない。
ガーディアンなんだから。
みんなを守る立場なんだから。
……だけど。
どうしても、身体が動かなかった。
(……私が)
あの人の忠告を、ちゃんと聞いていれば。
『これ以上は、やめなさい』
『プラスエネルギーですからねぇ』
『取り返しが付かないことになりますよ』
……何度も。
本当に、何度も言ってくれていた。
なのに。
私は……。
「……はぁ」
小さく息を吐いた。
(……どうして、やめなかったんだろう)
私は、ただ。
ヘルカイザーさんの中にある優しさを、信じたかった。
セリシアたちと過ごしていた日常。
ミリアちゃんと遊んでいた姿。
そして、あの人の瞳の奥に見えた、優しさのようなもの。
それを見て。
きっと、話せば分かってくれると思った。
……でも。
その気持ちが、あの人を苦しめてしまった。
「…………」
私は、両膝へ顔を埋めた。
(……ヘルカイザーさん)
あの人は、今頃どうしているんだろう。
セリシアに抱えられていたとき、ひどく弱っていた。
ちゃんと回復できたのかな。
……大丈夫なのかな。
そう考えた直後。
私は、自分の胸元をぎゅっと握り締めた。
(……こんなことを心配する資格、あるのかな)
ヘルカイザーさんは、アルカディアを制圧しようとした敵だ。
実際に、多くの人を苦しめた。
それは、変わらない。
……だけど。
あの人を暴走させたのは。
私の言葉だった。
「……ごめんなさい……」
誰もいない高台で。
私は、また小さく呟いた。
◇ ◇ ◇
「……ここにいたんだね」
「……え?」
突然、背後から声が聞こえた。
振り向くと、そこにはレイが立っていた。
その隣には、かえでちゃんもいる。
「……レイ、かえでちゃん」
「探したんだよ?」
レイが、少し困ったように笑った。
「また一人で、こんなところにいたんだね」
「……うん」
私は、小さく頷いた。
すると、かえでちゃんが私の隣へ腰を下ろした。
「……いろは」
「……なに?」
「まだ、あのことを考えてるの?」
「…………」
……答えられなかった。
だけど。
きっと、それだけで十分だったんだと思う。
かえでちゃんは、小さく息を吐いた。
「……いろは」
そして、静かに続けた。
「この前も言ったけど……あれは仕方なかったところもあるよ」
「…………」
「プラスエネルギーが、ヘルカイザーにとってあんなに危険なものだなんて……普通は分からないよ」
……うん。
それは、分かってる。
最初から知っていたわけじゃない。
まさか、誰かを救おうとする気持ちが、相手にとって猛毒になるなんて。
……考えもしなかった。
でも。
「……忠告は、されてたんだよ」
私は、ぽつりと呟いた。
「何度も……」
「……いろは」
「ヘルカイザーさん、何度もやめてって言ってた」
私は、顔を上げた。
「取り返しが付かなくなるって……」
胸が、苦しくなる。
「それなのに、私は……」
「……いろは!」
レイが、私の言葉を遮った。
「自分だけで、全部背負おうとしないで」
「…………」
「確かに、あの人の忠告を聞かなかったことは、考えないといけないと思う」
レイは、私の隣へしゃがみ込んだ。
「でも、アルカディアを攻撃したのはヘルカイザーだよ」
「…………」
「暴走していたとはいえ、その力を持っていたのも、あの人なんだから」
……レイ。
「全部、いろは一人の責任だなんて思わないで」
「…………っ」
私は、唇を噛み締めた。
……分かってる。
レイが、私を気遣ってくれていることも。
かえでちゃんが、心配してくれていることも。
……全部。
だけど。
(……やっぱり)
簡単には、割り切れないよ。
私は、再び視線を落とした。
「……ごめん」
その言葉に、二人は何も言わなかった。
ただ、静かに私のそばにいてくれた。
◇ ◇ ◇
――レイ・シルビア視点――
「…………」
私は、隣に座るいろはを見つめていた。
俯いたまま、ほとんど動かない。
……こんないろはを見るのは、辛い。
普段のいろはは、どんなときでも一生懸命だ。
誰かが困っていれば手を差し伸べるし、目の前で苦しんでいる人がいれば、放っておけない。
……だからこそ。
今回も、ヘルカイザーを説得しようとしたんだと思う。
あの人の中にある優しさを、信じて。
……だけど。
その結果が、あんなことになってしまった。
(……本当に、難しいよね)
私は、遠くに広がる復旧現場へ視線を向けた。
崩れた施設。
破壊された森。
修復作業を続ける人たち。
……もちろん。
あの出来事を、簡単に仕方ないで済ませることなんてできない。
だけど。
(……いろはを、このまま放っておくこともできない)
一人で責任を抱え込んで。
一人で後悔して。
ずっと、自分を責め続けている。
……そんな姿を、見ていたくない。
私は、かえでへ視線を向けた。
すると。
かえでも、同じような表情を浮かべていた。
……そうだよね。
きっと、考えていることは同じだ。
「……いろは」
私は、そっと声を掛けた。
「今すぐ元気になれなんて、言わないよ」
「…………」
「でも……」
少しだけ微笑む。
「一人で考えたいときでも、私たちがいることは忘れないで」
いろはが、ゆっくりと顔を上げた。
「……レイ」
「うん?」
「……ありがとう」
その声は、まだ小さかった。
……だけど。
私は、小さく頷いた。
「……うん」
今は、それでいい。
少しずつでいいから。
また、いつものいろはに戻ってほしい。
……そう、願っていた。
◇ ◇ ◇
――かえで視点――
(……いろは)
私は、隣にいるいろはを見つめていた。
レイの言葉に、少しだけ表情が和らいだように見える。
……でも。
まだ、心の奥では自分を責めているんだろうね。
今回の件。
確かに、ヘルカイザーの忠告を無視したことは、良くなかったと思う。
……だけど。
まさか、プラスエネルギーが猛毒になるなんて。
あんな結果になるなんて。
誰が、簡単に予測できただろう。
(……仕方ない、って言ったけど)
私は、そっと息を吐いた。
……本当は。
それだけで済ませていい話ではないことも、分かっている。
アルカディアには、現実に被害が出ている。
だから、事実と向き合わなければならない。
……でも。
(……いろはを、このままにしておくわけにもいかないよね)
ガーディアンとして。
そして、仲間として。
今、いろはに何ができるのか。
……それを、ちゃんと考えないと。
私は、もう一度いろはへ視線を向けた。
「……いろは」
「……なに?」
「復旧作業も、まだ続いてるから」
私は、穏やかに話し掛けた。
「落ち着いたら、また一緒に頑張ろうね」
「…………」
いろはは、少しだけ目を伏せた。
そして。
「……うん」
小さく頷いた。
……よかった。
まだ、元気になったわけじゃない。
だけど。
少なくとも。
一人で抱え込ませないようにしないと。
私は、そう心に決めた。
◇ ◇ ◇
――ヘルカイザー視点――
――ガルデローベ社・技術開発部。
私の研究室。
「……ふぅ」
私は、小さく息を吐きました。
まったく……。
今回は、実に酷い目に遭いましたねぇ。
目の前には、漆黒の空間が広がっています。
ここは、私が管理しているマイナスエネルギーの貯蔵庫。
無数の負の感情から生まれたエネルギーが、静かに蓄えられている場所です。
私は、その中心で目を閉じていました。
ゆらり……。
漆黒のエネルギーが、ゆっくりと私の身体へ集まってきます。
失ったマイナスエネルギーを補充するため。
そして――。
(……先ほどのプラスエネルギーを、完全に上書きするためですねぇ)
……まったく。
何とも面倒なことになりました。
いろはさんから向けられた、あの膨大なプラスエネルギー。
希望。
信頼。
優しさ。
……その他、実に厄介な感情の数々。
私にとっては、どれも猛毒なのです。
「……ふむ」
私は、ゆっくりと前脚を持ち上げました。
その周囲を、黒いエネルギーが取り巻いていきます。
少しずつ。
確実に。
身体の奥に残っていたプラスエネルギーの影響が、薄れていく。
……なるほど。
やはり、マイナスエネルギーを補充すれば、安定してきますねぇ。
「……ふぅ」
私は、もう一度息を吐きました。
……先ほどより、随分と楽になりました。
とはいえ。
まだ、十分ではありません。
完全に上書きするまでは、もう少し時間が必要でしょう。
私は、そのまま目を閉じました。
……しかし。
(……まさか、ですねぇ)
思い浮かぶのは、一人の女性。
天城いろはさん。
白と紺を基調とした衣装。
左右で結われた長い髪。
そして、まっすぐにこちらを見つめていた瞳。
……あの方。
本当に、困った方でしたねぇ。
「……ふふっ」
思わず、小さな笑みがこぼれました。
まさか。
こんな自分に向かって、あのような言葉を投げ掛けてくる人間がいるとは。
……予想外でした。
私は、長い間、さまざまな人間を見てきました。
その中には、優しい方もいらっしゃいましたし、愚かな方もいらっしゃいました。
自分の利益のために他人を利用する者。
仲間を簡単に裏切る者。
己の欲望に忠実な者。
……実に、さまざまです。
ですが。
(……いろはさん)
あの方は、少々違いましたねぇ。
私が何をしてきたのか。
何を目的としているのか。
それを、知っているはずです。
アルカディアを制圧しようとしていることも。
人々を恐怖に陥れていることも。
……それなのに。
『あなたの中にある優しさを、信じたいんです』
「…………」
……まったく。
私は、静かに目を開きました。
(……よくもまあ、あんなことを真正面から言えたものですねぇ)
普通なら。
あれほどの光景を見せられれば、恐怖するでしょう。
あるいは、怒りを向けるでしょう。
それが、当然の反応です。
……ですが。
いろはさんは、私の瞳を見つめていました。
何度も。
何度も。
そして――。
私の内側にあるものへ、言葉を向けてきたのです。
「……ふむ」
私は、静かに考え込みました。
……本当に。
予想外ですねぇ。
◇ ◇ ◇
しばらくして。
――シュウウウウ……。
貯蔵庫に漂っていたマイナスエネルギーが、ゆっくりと私の身体へ吸収されていきました。
そして――。
「……おや?」
私は、わずかに目を開きました。
……なるほど。
ようやく、ですか。
身体の奥に残っていたプラスエネルギーの影響が、完全に消えていました。
代わりに、馴染み深いマイナスエネルギーが満たされています。
魔力の流れも、安定している。
意識も、はっきりしています。
……ふむ。
これで、元どおりですねぇ。
「……ふぅ」
私は、大きく息を吐きました。
そして、ゆっくりと立ち上がります。
悪魔のような翼を、一度だけ広げました。
バサッ。
……問題ありません。
身体の動きも、正常。
魔力の制御も、正常。
次元神の能力にも、異常は見られません。
「……さて」
私は、静かに目を閉じました。
……しかし。
(……まだまだ、自分は甘いですねぇ)
今回の失態。
原因は、はっきりしています。
プラスエネルギーの危険性を知っていながら、対応を誤ったこと。
いろはさんへ忠告した。
一度ではありません。
何度も。
……それなのに。
私は、あの方が説得をやめてくださることを期待してしまった。
結果。
制御を失い、暴走した。
……まったく。
研究者として、実に情けない話ですねぇ。
「……反省しなければなりませんね」
私は、小さく呟きました。
危険性を把握していながら。
自らの状態を見誤った。
そして、周囲へまで影響を及ぼしてしまった。
……甘い。
実に、甘いですねぇ。
こんなことでは、我が社の技術開発部長として失格です。
「……ふぅ」
私は、再び息を吐きました。
……ただし。
今回の出来事には、もう一つ。
実に興味深い点がありました。
(……いろはさん)
私は、あの女性の顔を思い浮かべました。
私の正体を知らないはずの人間。
私の過去を、すべて知っているわけでもない人間。
それなのに。
あの方は、私の本質の一端を見抜いた。
しかも。
恐れるどころか。
真正面から、そこへ言葉を投げ掛けてきたのです。
「……ふふっ♪」
思わず、笑みがこぼれました。
……いやはや。
これは。
実に、面白い。
(……あの方は、一体何を見たのでしょうねぇ)
私の瞳。
私の振る舞い。
セリシアさんたちとの日常。
……それだけで、あの結論へ辿り着いたのでしょうか。
それとも。
何か、別のものを感じ取ったのでしょうか。
「……ふむ」
私は、前脚を口元へ添えました。
……興味深いですねぇ。
実に。
興味深い。
「……天城いろはさん、ですか」
思わず、その名前を口にしました。
……ふふっ♪
どうやら。
少々、調べてみる価値がありそうですねぇ。
ただし。
同じ失敗を繰り返すつもりはありません。
何しろ、今回は。
本当に酷い目に遭いましたからねぇ。
「……さてさて♪」
私は、いつもの穏やかな笑顔を浮かべました。
……少し、考えを改める必要がありそうです。
◇ ◇ ◇
――コンコン。
「……おや?」
研究室の扉が、軽く叩かれました。
「ヘルカイザーさん」
聞き覚えのある声。
セリシアさんですね。
「……どうぞ♪」
私が答えると、扉が開きました。
そこには――。
セリシアさん。
リュミナさん。
二人が揃って立っていました。
「……おやおや♪」
私は、思わず微笑みました。
「皆さん、お揃いで。どうされましたか?」
すると、セリシアさんが一歩前へ出ました。
「……ヘルカイザーさん」
その表情は、少々険しいですねぇ。
「お身体の様子を確認しに来ました」
「……ふむ?」
「先ほどまで、かなり弱っていらっしゃいましたから」
……なるほど。
様子を見に来てくださったのですね。
「ふふっ♪」
私は、小さく笑いました。
「ご心配をお掛けしましたねぇ」
すると。
「本当だよ!!」
突然、リュミナさんが声を上げました。
「もう! ヘルカイザーさんったら!!」
「……おや?」
「すっごく心配したんだからね!?」
リュミナさんは、頬を膨らませていました。
……おやおや。
随分とご立腹ですねぇ。
「申し訳ありませんねぇ♪」
私は、軽く頭を下げました。
「少々、失敗してしまいまして」
「少々ではありません!」
今度は、セリシアさんが声を強めました。
「あれだけの騒動を起こしておいて、少々で済ませないでください」
「……ふむ」
……確かに。
少々という表現は、適切ではありませんでしたねぇ。
「それは失礼しました♪」
私は、素直に頷きました。
「今回は、自分の見通しが甘かったようです」
「…………」
二人は、驚いたような表情を浮かべています。
……おや?
何でしょう?
「……ヘルカイザーさん」
セリシアさんが、静かに尋ねてきました。
「本当に、もう大丈夫なのですか?」
「ええ♪」
私は、にっこりと微笑みました。
「マイナスエネルギーの補充も終わりましたし、プラスエネルギーの影響も完全に上書きできました」
「……そうですか」
セリシアさんが、小さく息を吐きました。
……ふむ。
どうやら、少し安心してくださったようですねぇ。
「……よかった」
リュミナさんも、ようやく表情を緩めました。
セリシアさんは、私を見つめました。
「……もう、あのような無茶はなさらないでください」
「ふふっ♪」
私は、穏やかに微笑みました。
「肝に銘じておきましょう♪」
◇ ◇ ◇
「……さて」
私は、二人を見渡しました。
「ちょうど良いところへ来てくださいましたねぇ」
「……?」
セリシアさんが、首を傾げます。
「何か、ございましたか?」
「ええ♪」
私は、ゆっくりと両の前脚を背後へ回しました。
そして。
「今回の侵略プランを、少々変更しようと思いましてねぇ♪」
「…………え?」
最初に反応したのは、リュミナさんでした。
「変更?」
「ええ♪」
「アルカディアの制圧を、やめるの?」
その質問に、私は小さく首を横に振りました。
「おやおや♪」
……まったく。
そう簡単なお話ではありませんよ。
「任務そのものを放棄するわけではありません」
「……では?」
セリシアさんが、静かに尋ねてきました。
私は、小さく微笑みました。
「少しばかり、進め方を変えてみようと思いましてねぇ♪」
「…………」
二人が、顔を見合わせました。
……おや?
そんなに不思議でしょうか。
「……珍しいですね」
セリシアさんが、ぽつりと呟きました。
「ヘルカイザーさんが、ご自分から侵略プランを変更なさるなんて」
「ふふっ♪」
私は、楽しそうに笑いました。
「研究には、柔軟な発想も必要ですからねぇ」
「……研究?」
リュミナさんが、首を傾げました。
「侵略じゃないの?」
「お仕事ですよ♪」
私は、当然のように答えました。
「……はぁ」
セリシアさんが、小さくため息を吐きました。
……おやおや。
何でしょう、その反応は。
まあ、いいでしょう。
「ただし……」
私は、少しだけ声を改めました。
「プランを変更する以上、マスター社長へ報告する必要がありますね」
「……確かに」
セリシアさんが頷きました。
「では、まず社長の許可を得るということですね」
「そのとおりです♪」
私は、にっこりと微笑みました。
「さて……」
……早速、連絡するとしましょうか。
◇ ◇ ◇
――ヘルカイザー視点・続き――
私は、マスター社長との通信を開始しました。
――ピッ。
しばらくして。
通信が繋がりました。
『……ヘルカイザーか』
「はい♪」
私は、いつものように丁寧に頭を下げました。
「お疲れ様です、マスター社長♪」
『どうした?』
「実は、今回のアルカディア制圧の件で、ご報告がありましてねぇ」
『……ほう?』
私は、穏やかに続けました。
「侵略プランを、一部変更したいと考えております」
『……変更?』
「ええ♪」
通信の向こうで、わずかな沈黙が流れました。
そして――。
『……珍しいな』
「……おや?」
『お前が自分から、侵略プランを変更したいと言い出すとは』
……なるほど。
確かに、そうかもしれませんねぇ。
「ふふっ♪」
私は、小さく笑いました。
「今回は、少々興味深い出来事がありましてねぇ」
『……興味深い出来事?』
「ええ♪」
私は、目を細めました。
脳裏に浮かぶのは。
……天城いろはさん。
あの方の瞳。
そして、私へ投げ掛けてきた言葉。
『あなたの中にある優しさを、信じたいんです』
「…………」
……ふむ。
やはり。
少々、気になりますねぇ。
『……ヘルカイザー?』
「……おっと♪」
私は、すぐに意識を戻しました。
「失礼しました」
そして、穏やかに続けます。
「任務そのものを変更するつもりはありません」
『……ふむ』
「ただ、進め方を少々変えたいのです」
『……なるほどな』
通信の向こうで、マスター社長が考え込むような気配がしました。
私は、静かに返事を待ちます。
……さて。
どうなさるでしょうねぇ。
やがて――。
『……いいだろう』
「……おや♪」
『お前がそう判断したのなら、今回は任せよう』
「ふふっ♪」
私は、満足そうに微笑みました。
「ありがとうございます、マスター社長♪」
『ただし、任務は忘れるなよ』
「もちろんです♪」
私は、右の前脚を胸元へ添えました。
「我がガルデローベ社のため、引き続き任務に当たらせていただきます」
『……ああ』
そして。
『では、頼んだぞ』
「はい♪」
私は、優雅に頭を下げました。
「お任せくださいませ♪」
――ピッ。
通信が切れました。
「……ふぅ」
私は、静かに息を吐きました。
……さて。
これで、許可も得られましたねぇ。
私は、ゆっくりと顔を上げました。
そこには、セリシアさんとリュミナさんが立っています。
「……許可が下りたようですね」
セリシアさんが、静かに尋ねてきました。
「ええ♪」
私は、にっこりと微笑みました。
「マスター社長も、承諾してくださいましたよ♪」
「……そうですか」
セリシアさんは、小さく頷きました。
リュミナさんは、興味津々といった様子です。
「ねえねえ、ヘルカイザーさん!」
「はい?」
「それで、今度は何をするの!?」
……おやおや。
随分と気が早いですねぇ。
私は、小さく笑いました。
「ふふっ♪」
そして、両の前脚を背後へ回しました。
「それは、これから考えるお楽しみということで♪」
「えーっ!?」
リュミナさんが、不満そうな声を上げました。
「まだ決まってないの!?」
「方向性は決まっていますよ♪」
私は、穏やかに答えました。
「ただ、詳細については、もう少し検討したいところですねぇ」
「……なるほど」
セリシアさんが、小さく頷きました。
セリシアさんは、私を見つめました。
「……相変わらず、何をお考えなのか読めませんね」
「ふふっ♪」
……それは、褒め言葉として受け取っておきましょうか。
私は、静かに目を細めました。
……しかし。
(……天城いろはさん)
あの方。
本当に、不思議な人間ですねぇ。
私の危険性を知りながら。
私の本質の一端を見抜き。
そして――。
真正面から、あのような言葉を投げ掛けてくる。
……実に、興味深い。
「……ふむ」
私は、小さく頷きました。
……さてさて。
今度は、どのような反応を見せてくださるのでしょうねぇ。
「ふふっ……♪」
思わず、笑みがこぼれました。
今回の侵略は、少々面白いことになりそうですねぇ♪
◇ ◇ ◇
――天城いろは視点――
同じ頃。
私は、まだ高台に座っていた。
レイとかえでちゃんも、隣にいてくれている。
遠くでは、復旧作業が続いていた。
「…………」
私は、静かに空を見上げた。
青い空。
白い雲。
穏やかな風。
……あの日。
この空は、無数の次元の裂け目に覆い尽くされていた。
そして。
ヘルカイザーさんは、セリシアたちに連れられて、その向こうへ消えていった。
(……ヘルカイザーさん)
今頃、どうしているんだろう。
……もう、元気になったのかな。
それとも。
まだ、苦しんでいるのかな。
「…………」
私は、膝を抱え直した。
……また、会うことになるのだろうか。
もし、会えたとして。
私は、あの人に何を言えばいいのだろう。
……分からない。
今は、まだ。
答えが出なかった。
ただ。
あの人の最後の姿が、頭から離れなかった。
弱り切った身体。
それでも、自分の意思で攻撃を止めた姿。
そして。
セリシアに抱きかかえられ、次元の裂け目へ消えていった姿。
「……ヘルカイザーさん」
私は、小さく呟いた。
……次に会うとき。
あの人は、何を考えているんだろう。
何をしようとするんだろう。
……だけど。
その答えを、今の私は知るはずもなかった。
遠くでは、復旧作業の音が響いている。
私は、その音を聞きながら、静かに目を閉じた。
そして。
傷ついたアルカディアの空を、穏やかな風が吹き抜けていった。
――第68話・了――




