第63話 笑顔の奥に隠された優しさ
――天城いろは視点――
ドォォォォンッ!!
「……くっ!」
私は、目の前で炸裂した魔力弾の爆風を避けながら、空中で体勢を立て直した。
「……流石ですね、いろはさん」
セリシアが、少し離れた場所からこちらを見つめている。
その手には、今もデバイスが握られていた。
「以前よりも、随分と動きが良くなっています」
「……セリシアもね」
私は、アークレイを構え直しながら答えた。
本当に強くなっている。
以前のセリシアとは、明らかに違う。
魔力の制御。
攻撃の精度。
それに、相手の動きを読む力。
……きっと、たくさん訓練してきたんだろうね。
さっきの魔力弾も、ただ私を狙ったものではなかった。
避ける先へ次の一発が置かれ、その外側には、移動をためらわせるように別の光が浮かんでいた。
一つ防いだから安全になるわけではない。
止まれば狙われ、急いで動けば次の射線へ入ってしまう。
それでも、こちらが思い切って踏み込んだ瞬間には、セリシアも無理に撃とうとはしなかった。
距離を取り直し、私の向きを確かめていた。
その落ち着きが、以前よりも手強かった。
私は呼吸を整えながら、彼女の手元を見た。
握られたデバイスは、少しも下がっていない。
次に動けば、また戦いになる。
だけど、いま、彼女を見て思い浮かぶのは、魔力の強さだけではなかった。
あの話をしていたときの声も、覚えている。
消えてしまうはずだった自分たちに、続きが与えられたこと。
知らない場所で働き、教わり、少しずつ暮らしを作っていったこと。
訓練の話と、日常の話。
セリシアは、そのどちらも大事そうに話していた。
強くなりたいと願ったから、鍛えた。
そして、その願いを聞いてくれた人がいた。
いま目の前にいる彼女の動きには、その時間が積み重なっているのだと思った。
(……あの人と、一緒に)
思い浮かべる相手は、一人だった。
それが、どうしても、私の知っている姿だけではつながらない。
人を傷つけて笑う姿を見てしまったからこそ、分からなかった。
同じ人と過ごした時間を、セリシアたちは、どうしてそんなに大切そうに話せるのだろう。
嘘を言っているようには思えなかった。
彼女たちは、ヘルカイザーさんをよく見せようと、無理に言葉を選んでいたわけでもない。
ただ、自分たちの暮らしについて話していた。
そのことが、ずっと胸に残っていた。
私は、セリシアが話してくれた過去を思い出していた。
消滅したはずのエクリプス。
ヘルカイザーさんに新しい身体を与えられ、ガルデローベ社で働くようになった三人。
レティシアさんから魔法を教えてもらい、ヘルカイザーさんと訓練して。
そして……。
ミリアちゃんと一緒に遊んだり、みんなで笑ったり。
そんな、穏やかな日常を過ごしていた。
(……不思議だね)
私は、少しだけ視線を動かした。
その先には、はちちゃんと向かい合うヘルカイザーさんの姿があった。
小さな白い身体。
背中に生えた悪魔のような翼。
そして、いつもの穏やかな笑顔。
……あの人。
本当に、何を考えているんだろう。
アルカディアを制圧するためにやって来た。
その目的を、本人の口から聞いている。
しかも、犯罪魔導師を容赦なく傷つけ、人々を恐怖に陥れるようなことまでしていた。
あんな行為は、絶対に許されない。
……だけど。
(……どうしてだろう)
私は、目の前に浮かぶヘルカイザーさんの姿を見つめた。
何かが、引っ掛かっていた。
初めて出会ったときから、ずっと。
あの人は、いつも笑っていた。
何をするときも。
誰かを傷つけるときでさえ。
まるで、それが楽しいことなのだとでも言うように。
……なのに。
(……あの瞳)
私は、あのときのヘルカイザーさんの顔を思い出した。
初めて自己紹介をしてくれたとき。
翼を広げ、右の前脚を胸元に添え、執事のように丁寧なお辞儀をしてくれた。
あの笑顔。
そして……。
時折、その奥に見えた瞳。
(……悲しそうだった)
どうしてそう感じたのかは、分からない。
でも、確かに。
あの人の瞳には、何か別の感情があるように思えた。
それに――。
セリシアたちの話。
ヘルカイザーさんは、彼女たちを復活させた。
身体を与えた。
仕事を与えた。
強くなりたいという願いに応え、訓練までしてくれた。
ミリアちゃんとも、楽しそうに遊んでいた。
(……それって)
私は、そっと息を呑んだ。
(……本当に、ただの悪い人がすることなのかな?)
もちろん、だからといって今までの行為が許されるわけじゃない。
そんなことは、分かっている。
だけど。
悪いことをした人の中に、優しさが残っていないとは限らない。
……そうだよね。
私は、もう一度ヘルカイザーさんへ視線を向けた。
(……あの人の本当の気持ち)
知りたい。
何故、あんなことをするのか。
何故、人々を苦しめるのか。
そして。
あの笑顔の奥に、何を隠しているのか。
「……いろはさん?」
セリシアの声で、私は我に返った。
「……あっ」
「また、余所見ですか?」
「……ごめんね」
私は、小さく謝った。
だけど。
今度ばかりは、どうしても気になってしまった。
「……セリシア」
「はい?」
私は、彼女を真っ直ぐに見つめた。
「一つ、聞いてもいい?」
「……何でしょう?」
「ヘルカイザーさんって……」
そこで、少しだけ言葉を探した。
「……本当は、優しい人なんじゃないかな?」
「…………」
セリシアの表情が、わずかに変わった。
驚いたような。
それでいて、何かを考えるような表情だった。
「……いろはさん」
セリシアは、静かに口を開いた。
「どうして、そう思われるのですか?」
「……分からない」
私は、正直に答えた。
「でも……」
ヘルカイザーさんへ視線を向ける。
「セリシアたちの話を聞いて、そう思ったの」
「…………」
「それに……あの人の目」
私は、胸元へそっと手を添えた。
「笑っているのに……時々、すごく優しい目をしている気がするんだ」
セリシアは、何も言わなかった。
ただ、静かに私を見つめていた。
……そして。
私は、決心した。
「……私、話してみる」
「……え?」
「ヘルカイザーさんと」
私は、アークレイを握り直した。
「ちゃんと、話してみたい」
セリシアは、すぐには答えなかった。
私は、彼女の顔を見た。
話してくれた日常について、もっと尋ねたい気持ちもある。
けれど、それは彼女から聞くだけでは足りないと思った。
(……本人に、聞かなくちゃ)
私の知っている行いと、セリシアたちが知っている暮らし。
どちらか片方をなかったことにはできない。
優しいところがあるなら、それで全部済ませてしまおうという話ではなかった。
アルカディアで苦しんだ人がいる。
怖い思いをした人がいる。
それを止めたいという気持ちは、最初から変わっていない。
ただ、止め方を、もう一度考えたかった。
砲撃を防がれたから、言葉に頼ろうとしているわけでもない。
あの強さを知っているからこそ、またぶつかる前に、聞いておきたかった。
何を思って、この世界へ来たのか。
仕事だという説明の向こうに、その人自身はいるのか。
(……話を、聞いてくれるかな)
不安はあった。
あの笑顔のまま、何でもないように断られるかもしれない。
以前にも目的を尋ね、返ってきた言葉に驚かされた。
それでも、まだ聞いていないことがある。
私は、アークレイを握る手に、もう一度力を込めた。
いまは、あの人が何を考えているのかを知りたかった。
私の思い込みなら、それも確かめなければいけない。
セリシアから視線を戻し、小さな白い姿を見つめる。
はちちゃんが、向かい合っている。
私は息を吸い、声が届くように顔を上げた。
◇ ◇ ◇
――アルカディア上空――
「さて、はちさん♪」
ヘルカイザーが、楽しそうに微笑んだ。
「続きを始めましょうか♪」
「……はい」
はちも、それに応えるように構え直した。
左腕のSIAは、今も展開されたまま。
魔力ディスクも、静かに回転している。
セレスティアも、こちらの指示を待っていた。
……だけど。
(……本当に、どうしたものか)
相手は、世界で最初の次元神。
しかも、その能力を自分で創り上げた張本人。
ディメンションウォール。
超再生。
次元を自在に操る能力。
……倒す方法が、まったく思い浮かばない。
それに。
アテナさん。
フィナさん。
宮古島の方言。
……あの人について、聞きたいことまで増えてしまった。
(……まったく)
本当に、厄介な人物だ。
そう考えていた、そのときだった。
「ヘルカイザーさん!!」
「……え?」
突然、聞き覚えのある声が響いた。
はちは、思わず振り向いた。
すると――。
「……いろはさん!?」
少し離れた空中から、いろはさんがこちらへ向かっていた。
その後ろには、セリシアの姿も見える。
……えっと。
今、戦闘中ですよね!?
「……おや?」
ヘルカイザーも、いろはさんへ顔を向けた。
そして、いつもの笑顔を浮かべる。
「これはこれは、いろはさん♪」
「……ヘルカイザーさん」
いろはさんは、こちらの近くで静かに停止した。
「少し……お話ししてもいいですか?」
「……お話?」
ヘルカイザーが、小さく首を傾げた。
「ふむ……」
それから、楽しそうに頷く。
「良いですよ♪」
……ええっ!?
(……また中断するんですか!?)
はちは、思わず目を丸くした。
……いや。
まあ、戦わずに済むなら、それに越したことはないんですけど。
だけど。
ついさっきまで、ヘルカイザーははちと戦う気満々だったはずだ。
それなのに。
今度は、いろはさんの話を聞こうとしている。
(……本当に、自由な人ですねぇ)
はちは、小さくため息を吐いた。
◇ ◇ ◇
――天城いろは視点――
「……ヘルカイザーさん」
私は、目の前に浮かぶ小さな白いドラゴンを見つめた。
「はい♪」
ヘルカイザーさんは、いつもどおりの笑顔を浮かべている。
……でも。
私は、その目を逸らさずに見つめ続けた。
あの人の、本当の気持ち。
笑顔の奥に隠されたもの。
……少しでも、知りたい。
「……ヘルカイザーさん」
私は、ゆっくりと口を開いた。
「どうして……こんなことをするんですか?」
「……おや?」
ヘルカイザーさんが、首を傾げた。
「こんなこと、とは?」
「……アルカディアの人たちを苦しめることです」
「…………」
「どうして、そんなことをするんですか?」
すると、ヘルカイザーさんは、小さく微笑んだ。
「以前も申し上げたでしょう?」
「……はい」
「お仕事ですよ♪」
……仕事。
確かに、そう言っていた。
ガルデローベ社のマスター社長からの命令。
AEGISを制圧するために来た。
……だけど。
「……それでも」
私は、首を横に振った。
「だからって、人を苦しめていい理由にはなりません」
「……ふむ」
ヘルカイザーさんは、黙って私の話を聞いていた。
「セリシアたちから、話を聞きました」
「……おや?」
「ヘルカイザーさんが、みんなに新しい身体を与えてくれたこと」
私は、ゆっくりと言葉を続けた。
「レティシアさんと一緒に魔法を教えてくれたこと」
「…………」
「それに……ミリアちゃんと遊んでいたことも」
すると。
ヘルカイザーさんの瞳が、ほんの少しだけ細められた。
「……なるほど」
そして、小さく笑った。
「セリシアさんから、随分とお話を聞いたようですねぇ♪」
「……はい」
私は、小さく頷いた。
「みんな、とても幸せそうでした」
「…………」
「……だから」
私は、ヘルカイザーさんを真っ直ぐに見つめた。
「ヘルカイザーさんにも、優しいところがあるんじゃないかって……」
そこで、少しだけ言葉を探した。
「そう、思ったんです」
「…………」
ヘルカイザーさんは、黙っていた。
私は、その瞳を見つめ続けた。
いつもの笑顔。
……だけど。
その奥に、一瞬だけ。
何かが揺らいだような気がした。
(……やっぱり)
私は、そっと息を呑んだ。
(……この人には、優しさがある)
そう思った瞬間、私は、少しだけ前へ身を乗り出していた。
でも、すぐに言葉が出たわけではない。
『優しい人ですね』。
それだけを伝えればいいのだろうか。
私は、ヘルカイザーさんのすべてを知っているわけではない。
セリシアたちが大切にしている人だからといって、アルカディアの人たちの恐怖が消えるわけでもない。
だから、ただ褒めて終わるつもりはなかった。
あの時間を知っているなら。
誰かと一緒に過ごし、笑い合うことができるなら。
これからも、そうして過ごせないのだろうか。
遠くの誰かではない。
セリシアたちという、すでにそばにいる人たちと。
私は、ヘルカイザーさんの返事を待ちながら、その顔を見た。
何を感じたのか、言葉にはしてくれない。
笑みは残っている。
けれど、さっきまでとまったく同じには見えなかった。
本当のところは、分からない。
私が信じたいものを、勝手に読み取っているだけかもしれない。
それでも、いま感じた小さな変化を、見過ごしたくなかった。
それが、私の勘違いなのかもしれない。
でも。
今は、その可能性を信じたかった。
「……ヘルカイザーさん」
私は、もう一度呼び掛けた。
「もう……やめませんか?」
「……おや?」
「アルカディアを制圧することも」
「…………」
「人を傷つけることも」
私は、静かに続けた。
「……やめてほしいんです」
ヘルカイザーさんは、しばらく私を見つめていた。
そして――。
「……ふむ」
小さく頷いた。
「なるほど」
その声は、先ほどまでと変わらず穏やかだった。
だが。
次の瞬間。
「……いろはさん」
「……はい?」
ヘルカイザーさんの声が、少しだけ低くなった。
「一つ、忠告しておきましょう」
「……忠告?」
「ええ」
その小さな瞳が、真っ直ぐ私を見つめる。
そして。
「その説得は、おやめになった方が良いですよ」
「…………え?」
私は、思わず聞き返した。
……どうして?
私が何か、変なことを言ったの?
すると、ヘルカイザーさんは静かに続けた。
「貴女のその言葉……」
そこで、少しだけ間を置く。
「自分にとっては、少々よろしくないものですので」
「……よろしくない?」
「ええ」
ヘルカイザーさんは、小さく頷いた。
そして――。
「プラスエネルギーですからねぇ」
「…………」
……プラスエネルギー?
私は、思わず首を傾げた。
「……それって」
希望。
信頼。
優しさ。
誰かを思いやる気持ち。
そういうもののこと……?
すると、ヘルカイザーさんは、ゆっくりと翼を畳んだ。
「いろはさん」
今度の声は、先ほどよりも真剣だった。
「これ以上は、やめなさい」
「…………っ」
……え?
私は、思わず目を見開いた。
いつもの穏やかな口調。
いつもの微笑み。
だけど。
その声だけが、明らかに違っていた。
「……ヘルカイザーさん?」
「忠告ですよ」
ヘルカイザーさんは、静かに答えた。
「これ以上続けると、取り返しが付かないことになりますよ」
「…………」
取り返しが付かない……?
どういう意味?
私は、ヘルカイザーさんを見つめた。
すると。
その瞳に、先ほどまでとは違うものを感じた。
……冷たさ?
いや。
違う。
(……この人)
私は、ゆっくりと息を呑んだ。
(……本当に、やめてほしいと思ってる?)
ヘルカイザーさんは、まだ攻撃してこない。
ただ、私へ忠告している。
これ以上はやめろ、と。
取り返しが付かなくなる、と。
……だったら。
「……ヘルカイザーさん」
私は、静かに口を開いた。
「それって……」
少しだけ考える。
「……私の言葉が、嫌なんですか?」
「…………」
ヘルカイザーさんは、答えなかった。
ただ、静かに私を見つめている。
「……それとも」
私は、さらに続けた。
「何か……怖いことが起きるんですか?」
「…………」
その瞬間。
ヘルカイザーさんの笑顔が、ほんのわずかに薄くなった。
……っ!
(……今)
私は、確かに見た。
その瞳の奥に、何かが揺れたように見えた。
……やっぱり。
(……何か、あるんだ)
私は、胸元へ手を添えた。
そして。
「……だったら」
ヘルカイザーさんを真っ直ぐに見つめた。
「なおさら、話してください」
「…………」
「何があるのか」
「…………」
「何が、そんなに嫌なのか」
私は、ゆっくりと言葉を続けた。
「……私に、教えてください」
すると――。
「……いろはさん」
ヘルカイザーさんの声が、さらに低くなった。
「今の自分の話を、聞いていましたか?」
「……はい」
「でしたら……」
その瞳から、いつもの愉快そうな色が薄れていく。
「説得をおやめなさい」
「…………」
……本当に。
やめてほしいんだ。
だけど。
私は、首を横に振った。
「……嫌です」
「…………」
ヘルカイザーさんが、わずかに目を細めた。
「……ほう?」
「私は……まだ、諦めません」
「…………」
私は、ゆっくりとアークレイを下ろした。
……もちろん。
警戒を解いたわけじゃない。
ヘルカイザーさんが危険な人物だということも、分かっている。
だけど。
今は、武器ではなく。
言葉で、向き合いたかった。
「ヘルカイザーさん」
私は、静かに呼び掛けた。
「セリシアたちと過ごしていたとき……」
「…………」
「ミリアちゃんと遊んでいたとき……」
私は、少しだけ微笑んだ。
「……楽しかったんですよね?」
「…………」
返事はない。
だけど、私は続けた。
「みんなが笑っている姿を見て……」
「…………」
「嬉しいって、思いませんでしたか?」
その瞬間。
ヘルカイザーさんの瞳が、わずかに細まった。
「…………」
……今の反応。
私は、見逃さなかった。
「……ヘルカイザーさん」
私は、ゆっくりと息を吸った。
「だったら……」
そして。
「そんな時間を、もっと大切にしてほしいんです」
「…………」
静かな風が、二人の間を吹き抜けた。
……お願い。
届いて。
私の言葉。
「誰かを苦しめなくても……」
私は、まっすぐヘルカイザーさんを見つめた。
「みんなと笑って過ごすことは、できるはずです」
「…………」
「ヘルカイザーさんだって……」
少しだけ、声が震えた。
それでも。
私は、言葉を止めなかった。
「優しく笑える人なんでしょう?」
そのときだった。
「…………っ」
ヘルカイザーさんが、初めて明らかに表情を変えた。
いつもの笑顔が、消えていた。
◇ ◇ ◇
――ヘルカイザー視点――
……なるほど。
これは……。
少々、困りましたねぇ。
私は、目の前のいろはさんを見つめていました。
……まったく。
本当に、困った方ですね。
先ほどから、随分と一生懸命に説得してくださっていますが……。
(……これは、いけませんねぇ)
私は、静かに自分の内側へ意識を向けました。
……やはり。
感じますね。
いろはさんの言葉。
その真剣な気持ち。
自分を信じようとする意思。
……希望。
……信頼。
……優しさ。
つまり。
(……プラスエネルギー)
まったく。
困りましたねぇ。
自分にとっては、非常に相性の悪いものなのですよ。
しかも、いろはさんは……。
本気です。
この方、本当に自分を説得できると思っていらっしゃる。
……おやおや。
少々、甘く見ていましたかねぇ。
ですが。
(……これ以上は)
私は、静かに息を吐きました。
……よろしくありませんね。
以前から申し上げているとおり。
自分は、無意味な争いを好みません。
ましてや。
取り返しの付かないことになると分かっているのなら、避けるべきでしょう。
だからこそ。
忠告しているのです。
「……いろはさん」
私は、もう一度呼び掛けました。
「これ以上は、本当にやめなさい」
「…………」
いろはさんは、黙ってこちらを見つめています。
その瞳に、迷いはありませんでした。
……ああ。
駄目ですねぇ。
この方。
まったく、諦めるつもりがない。
「……ヘルカイザーさん」
いろはさんが、小さく口を開きました。
「私は……」
そして――。
「あなたの中にある優しさを、信じたいんです」
「…………」
……。
…………。
……おやおや。
本当に。
困りましたねぇ。
私は、ゆっくりと目を閉じました。
……これは。
非常に、まずい。
ですが。
いろはさんは、その危険性を理解していないのでしょう。
……仕方ありませんねぇ。
私は、いろはさんの顔を見ました。
こちらの言葉が聞こえていないわけではありません。
忠告されたことも、何度もやめるよう伝えられたことも、この方は理解していらっしゃる。
それでも、続けているのです。
自分の中にある優しさを信じたい、と。
その気持ちが、取り繕ったものなら、ここまで気にする必要もなかったでしょう。
ですが、この方は、本気でそう思っている。
だからこそ、届いてしまうのですよ。
自分を信じようとする、その意思が。
内側に生じる反応を、知らないもののように扱うつもりはありません。
何が起きているのかは、分かっています。
プラスエネルギー。
先ほど、名前までお伝えしました。
自分にとって、よろしくないものだということも。
ですが、いろはさんは、その先を聞きたがっている。
何が嫌なのか。
何が起きるのか。
話せば、別の道があるのではないか。
……まったく。
どうやら、説明が足りなかったようですねぇ。
ただし、ここでさらに言葉を重ねれば、この方は、ますます自分へ向き合おうとするのでしょう。
すでに、その目がそう告げています。
私は、呼吸を整えました。
笑って受け流せば、それで済む段階ではありません。
だから、もう一度だけ。
今度こそ、この方に止まっていただかなければなりません。
私は、静かに目を開きました。
そして――。
「……いろはさん」
その顔を、真っ直ぐに見つめる。
「最後の忠告です」
先ほどまでの笑顔は、もうありませんでした。
「これ以上、続けないでください」
「…………」
「でないと、本当に取り返しが付かなくなりますよ」
……どうか。
ここで、やめてくださいね。
しかし――。
「……それでも」
いろはさんは、首を横に振りました。
「私は、やめません」
「…………」
……ああ。
そうですか。
私は、小さく息を吐きました。
……本当に。
困った方ですねぇ。
◇ ◇ ◇
――天城いろは視点――
「……私は、やめません」
私は、はっきりとそう告げた。
ヘルカイザーさんは、もう笑っていなかった。
その小さな黒い瞳が、静かに私を見つめている。
……怖くないと言えば、嘘になる。
あの人が、どれほど強いのか。
私は、もう十分すぎるほど理解していた。
はちちゃんの攻撃を防ぎ、半壊するほどのダメージを受けても、一瞬で再生してしまう相手。
それほどの力を持った人が、今。
笑顔を消して、私へ忠告している。
……だけど。
(……やっぱり)
私は、胸元へそっと手を添えた。
(……この人の中には、優しさが残っている)
それは、私の思い込みかもしれない。
勘違いかもしれない。
でも。
セリシアたちが話してくれた日常。
ミリアちゃんと過ごしていた時間。
そして、今。
私を傷つけるのではなく、何度も忠告しているヘルカイザーさんの姿。
……信じたい。
私は、ゆっくりと口を開いた。
「……ヘルカイザーさん」
「…………」
「私には、まだ分かりません」
正直に、そう答えた。
「どうして、プラスエネルギーがいけないのか」
「…………」
「どうして、取り返しが付かなくなるのか」
私は、一度だけ息を整えた。
そして。
「でも……」
ヘルカイザーさんを見つめる。
「あなたを、ただ倒せばいいとは思えないんです」
「…………」
「もちろん、今までしてきたことは許せません」
私は、はっきりと告げた。
「アルカディアの人たちを苦しめたことも」
「…………」
「はちちゃんと戦っていることも」
そこで、少しだけ言葉を区切った。
「……だけど」
胸の奥にある気持ちを、言葉にする。
「だからこそ、やめてほしいんです」
「…………」
「これ以上、誰かを苦しめないでほしい」
……お願い。
どうか。
届いて。
「……ヘルカイザーさん」
私は、小さく微笑んだ。
「もう一度、みんなと笑って過ごしませんか?」
「…………」
ヘルカイザーさんは、何も答えなかった。
ただ、静かに私を見つめている。
だけど。
その瞳には――。
先ほどまでとは、明らかに違うものが宿っていた。
(……ヘルカイザーさん?)
私は、思わず息を呑んだ。
……何だろう。
この感じ。
何かが、変わろうとしている。
そんな気がした。
けれど。
私は、まだ知らなかった。
自分の言葉が、ヘルカイザーさんにとってどれほど危険なものなのか。
そして。
プラスエネルギーを浴び続けた次元神に、何が起こるのかを。
それでも――。
私は、諦めなかった。
――第63話・了――




