第61話 笑い転げる次元神
「さて……はちさん♪」
ヘルカイザーは、相変わらず穏やかな笑顔を浮かべていた。
「自分の推理は……当たっていますか?♪」
「…………っ!」
……まずい。
非常に、まずい。
はちは、目の前に浮かぶ小さな白いドラゴンを見つめながら、必死に平静を装っていた。
(……落ち着け、俺!)
まだ何も答えていない。
『全世界の知識』というスキルを持っていることも。
自分が転生者であることも。
一言だって認めていないはずだ。
口を閉じているだけで、守れていると思いたかった。
けれど、前の質問でも、そうだった。
何かのスキルを使っているのかと聞かれたときも、肯定したわけではない。
目を見開き、返事が遅れただけだ。
それを見て、相手は、当たりのようだと笑った。
いまも、同じ目が向けられている。
小さな黒い瞳は、こちらの言葉だけを待っているわけではないのだろう。
はちは、視線をそらしたくなった。
だが、そらせば、それも反応の一つに数えられそうだった。
笑ってごまかすには、顔がこわばりすぎている。
何も話さないでいることと、何も相手へ渡さないことは、同じではなかった。
左腕の魔力ディスクは、展開したままだ。
セレスティアも近くにいる。
それでも、この問いを代わりに防いでもらうことはできない。
返事をするのは、はち自身だった。
相手が何を知っているのか、その範囲が分からない。
こちらが話したことだけを考えていても、相手は、そこから先へ進んでしまう。
さっきの推理を聞いて、その怖さを思い知ったばかりだった。
はちは、白い竜の口元を見る。
満面の笑顔。
声は、穏やかだ。
追い詰めようとしているような厳しささえ、見えない。
それなのに、答えを求められるだけで、胸の内側が落ち着かなくなっていた。
……なのに。
(……何で、ここまで分かるんだよ!?)
目の前にいるのは、次元神を創り上げた張本人。
しかも、研究に研究を重ね、その能力を完成させたという人物だ。
だから、次元神について詳しいことは理解できる。
未完成の次元神を制御するために、何らかのスキルを使っていると推測したことも……まあ、まだ分からなくはない。
だけど。
(……全世界の知識まで言い当てるって、どういうことですか!?)
普通、そこまで分かります!?
ましてや、転生者だなんて!
あの人、こっちから何も聞き出していないんですよ!?
自分の反応を見て、勝手に答えへ近付いているだけなのだ。
……本当に。
(……研究者って、こんなに恐ろしい存在でしたっけ!?)
はちは、口元が引きつりそうになるのを必死に堪えた。
すると――。
「……ふむ」
ヘルカイザーが、再び右の前脚を口元へ添えた。
「そうなると……」
「……っ!?」
……え?
まだ何かあるんですか!?
「次元神を管理していた神界も、かなり限られてきますねぇ……」
「…………」
……神界?
今、神界って言った?
心臓が、嫌な音を立てた。
(……いや、待て)
神界について知っていること自体は、不思議じゃない。
さっきの昔話でも、神界の科学者たちが次元神の研究データを解析したと言っていた。
だから、神界の存在を知っているのは当然だ。
……そう。
まだ大丈夫。
ここまでは、まだ大丈夫なはず。
大丈夫、と考えても、根拠が増えるわけではなかった。
ただ、ひとつずつ、相手の言葉を確かめようとしていた。
神界を知っていることと、はちがどのように転生したのかを知っていることは、違うはずだ。
次元神の研究データが、神界へ届いた。
その話は、さっき聞いた。
だから、神界という言葉が出ただけで慌てる必要はない。
いまは、まだ、そこまでだ。
そう、頭の中へ線を引こうとする。
ヘルカイザーが口にしたことと、こちらが勝手に想像して怖がっていること。
その二つを混ぜれば、余計に落ち着かなくなる。
だが、白い竜は、はちが引いた線の手前で止まってはくれなかった。
右の前脚を口元へ添え、また何かを考えている。
次の言葉が出るまでの短い間が、妙に長く感じられた。
黙っているうちに、相手も黙る。
そんな都合のよい展開には、ならないらしい。
ヘルカイザーは、返事がなくても、考えることをやめなかった。
自分の知ることと目の前の状況を照らし合わせ、次に確かめるものを選んでいる。
はちには、その途中が見えない。
神界が限られてくると聞いても、それが、どの神界を指しているのかは分からなかった。
だからこそ、次に何を言われるのかが怖い。
驚かないようにしようと構えている、その準備を、また越えられてしまいそうだった。
はちは、必死にそう言い聞かせた。
だが、ヘルカイザーは小さく首を傾げると、何かを思い出したように頷いた。
「ふむふむ……」
そして。
「となると……大方……」
……やめろ。
何となく嫌な予感がする。
「アテナさん辺りですかね?♪」
――ドクンッ!!
「――っ!?」
……。
…………。
(……は?)
今。
何て?
はちは、一瞬、呼吸を忘れた。
……アテナ?
アテナさん?
(……何で!?)
何で、そこでアテナさんの名前が出てくるんですか!?
はちは、まだ何も話していない。
転生した経緯も。
神界で何があったのかも。
アテナさんとの関係だって、一言も説明していない。
それなのに……。
(……何で、アテナさんを知ってるんだよ!?)
名前の響きが、いつまでも耳に残った。
この場所で、聞くはずがないと思っていた名前だった。
この世界で知り合った人達へ、話しているのではない。
こちらから事情を説明したわけでもない。
それなのに、目の前の相手が、候補を挙げるような気軽さで、その名を口にした。
どうして、その名前へつながるのか。
はちは、推理の途中を追おうとした。
だが、次元神を管理していた神界が限られるという説明だけでは、こちらには、その先が見えない。
相手が何を知っていて、何と何を結び付けたのかが分からなかった。
その分からなさが、怖かった。
間違いだと言って退けるには、挙げられた名前が正確すぎる。
だが、当たりだと伝えるつもりもない。
はちは、声を出す前に、息を整えようとした。
その動きさえ、白い竜の前では、見られているように感じた。
全世界の知識を言い当てられたときには、次元神を制御する条件を知っているのだと考えた。
研究者なら、その仕組みへ詳しいだろう。
驚きながらも、そう考える余地はあった。
いま出てきたのは、技術の名前ではない。
はちが知っている、一人の名前だった。
こちらの能力を見ただけで、その相手へたどり着けるのか。
はちには、それが分からなかった。
アテナ、という響きだけが、考えの中へ何度も戻ってくる。
答えを出さないようにしているのに、聞いた名前への反応までは止められなかった。
ドクンッ!
ドクンッ!!
ドクンッ!!!
心臓が、急に速くなった。
耳の奥で、自分の鼓動が響いている。
……まずい!
顔に出すな!
絶対に顔に出すなよ、俺!!
何とか平静を装おうとしたが、身体が言うことを聞いてくれない。
すると――。
「……おや?」
ヘルカイザーの瞳が、わずかに細められた。
その視線が、こちらの顔をじっと観察している。
「……ふむふむ♪」
……見られた。
今の反応も、完全に見られた!!
「なるほど……」
ヘルカイザーは、満足そうに頷いた。
そして、再び前脚を口元へ添える。
「でしたら……」
……やめろ。
頼む。
それ以上は、本当にやめてください!!
しかし。
そんな自分の願いが届くはずもなく――。
「フィナさんがドジして、一緒に転移したとか?♪」
――ドクンッ!!!!
「――――っ!?」
……。
…………。
………………はあああああっ!?
(……フィナさん!?)
今度はフィナさん!?
しかも、ドジ!?
何で!?
何で、そこまで分かるんですか!?
(……いやいやいやいや!!)
おかしいでしょう!?
絶対におかしいでしょう!?
次元神を作った人物だから、その能力に詳しい。
それは分かる。
次元神を制御するためのスキルを推測できる。
それも、何とか理解しよう。
……だけど!
アテナさんの名前を言い当てて!
その直後にフィナさん!?
しかも、ドジまで言い当てるって!!
(……どこまで知ってるんだよ、この人!?)
一人だけでは、なかった。
アテナの名を聞いた驚きも収まっていないうちに、フィナの名前まで出た。
しかも、ドジをしたのではないかと言う。
はちは、反射的に、あの転生の経緯を思い浮かべてしまった。
言葉に出すつもりなど、ない。
それなのに、相手が差し出した推測が、思い出したくなるほど近いところへ届いていた。
まだ、質問の形をしている。
言い切っているわけではない。
そう思い直しても、胸の速さは変わらなかった。
相手は、この先も、こちらの反応を見て考えを進めるのだろうか。
それとも、もう、こちらが知らない何かを確信したのか。
どちらなのかさえ、見分けられない。
黒い翼が、小さく動く。
はちは、その動きを見て、ここが戦いの最中だということを思い出した。
だが、構え直すより先に、また、名前の響きが頭の中へ戻ってきた。
ドクンッ!
ドクンッ!!
ドクンッ!!!
ドクンッ!!!!
……やばい。
心臓が。
心臓が、ものすごい勢いで鳴っている!!
身体の内側から、激しい鼓動が伝わってくる。
胸の奥だけじゃない。
耳元にまで、脈打つ音が響いているような気がした。
(……ちょっと待ってください!?)
これ、本当に心臓が止まるんじゃないですか!?
いや!
止まるどころか、今にも飛び出しそうなんですけど!?
『……はち!?』
頭の中へ、ステラの声が響いた。
『落ち着いて!』
(……無理です!!)
はちは、心の中で叫び返した。
(……どうやって落ち着けって言うんですか!?)
アテナさんとフィナさんの名前を、こんなところで聞くなんて!
しかも、本人から教えたわけでもないのに!
『……でも、はち……』
ステラの声にも、戸惑いが混じっていた。
『まだ、何も答えてないよね……?』
(……そうですよ!!)
はちは、目の前のヘルカイザーを凝視した。
……そうだ。
何も答えていない。
何一つ、答えていないのだ。
なのに。
(……何で、全部バレてるんですか!?)
はちは、完全に混乱していた。
そして――。
「…………」
ヘルカイザーが、突然黙り込んだ。
……ん?
どうしたんだ?
先ほどまで、あんなに楽しそうに推理を続けていたのに。
急に静かになった。
その小さな黒い瞳が、こちらをじっと見つめている。
「……くっ」
……ん?
何だ?
今、変な声が聞こえたような……。
「……くくっ」
「…………?」
ヘルカイザーの身体が、わずかに震え始めた。
右の前脚を口元へ添え、何かを必死に堪えているように見える。
「……ふっ……ふふっ……!」
……え?
「……くくくっ……!」
……まさか。
この人。
(……笑ってる?)
前脚を口元へ添え、少し顔を傾ける。
白い身体が、細かく震えていた。
何かを仕掛ける動きとは違う。
先ほどまで考えを確かめるように動いていた前脚が、いまは、込み上げてくるものを押さえているらしい。
はちは、身構えたまま見ていた。
笑顔なら、最初から見ている。
攻撃を防いだときも、昔話を始めたときも、ヘルカイザーは笑っていた。
けれど、これは違う。
こちらへ見せるために浮かべたような、余裕の微笑みではない。
抑えようとしても、こぼれてしまう。
そんな笑い方だった。
なぜ。
さっきまで、こちらへ質問をしていたはずだ。
答えていないのに、今度は何をそんなに面白がっているのか。
はちは、返す言葉を失ったまま、その変化を追っていた。
「……ぷっ!」
ヘルカイザーが、小さく吹き出した。
そして――。
「……くっ……ふふふっ……!」
肩を震わせ、口元を押さえている。
……何ですか?
何が、そんなに面白いんですか?
はちは、思わず首を傾げた。
すると。
「……も……」
ヘルカイザーが、震える声を漏らした。
「……もう……」
そして――。
「もーダメ!! 我慢出来ない!!」
次の瞬間。
「あっははははははははははっ!!!!」
「――っ!?」
突然、大爆笑し始めた。
……えええええっ!?
ヘルカイザーは、小さなお腹を両の前脚で抱え、身体を大きく震わせていた。
「ひーっ! ひひひっ!!」
背中の翼をばたつかせながら、空中で身を丸める。
そして――。
くるんっ!
くるくるくるっ!
……は?
空中で転がり始めた!?
「だいずウケる!! あっははははっ!!」
「…………」
…………ん?
はちは、その言葉を聞いた瞬間。
別の意味で、完全に固まった。
……今。
何て言った?
(……だいず?)
……だいずウケる?
…………。
(……はあっ!?)
ちょっと待て。
それって――。
宮古島の方言じゃないですか!?
「…………っ!!」
はちは、思わずヘルカイザーを凝視した。
……いや。
聞き間違いじゃない。
確かに言った。
『だいずウケる』って!
前世の俺――金城享司は、宮古島出身だ。
だから、その言葉の意味はよく分かる。
『だいず』。
宮古島では、『とても』とか『ものすごく』という意味で使われる言葉だ。
つまり。
『だいずウケる』。
……ものすごく面白い、ということ。
もちろん。
意味が分からなかったわけじゃない。
聞き慣れた言葉だった。
説明されて、ようやく意味を知る言葉ではない。
耳に入った瞬間、何を言われたのかが分かった。
だからこそ、次の瞬間には、どこで聞いているのかが信じられなくなった。
故郷の言葉と、アルカディアの空。
その二つが、頭の中でうまく重ならない。
目の前には、白いドラゴンがいる。
背中には黒い翼があって、いまは、その翼をばたつかせながら笑っている。
どう見ても、以前の暮らしの中で言葉を交わしていた相手ではなかった。
それなのに、口から出た一言だけは、はちが知っている場所へつながっている。
懐かしいと感じるよりも、驚きが先だった。
ここで、その言葉を使う理由が分からない。
知っているはずの言葉が、知らない相手の口から聞こえたことで、また一つ、考えなければならないことが増えてしまった。
はちは、笑っている相手へ、目を凝らした。
聞き違いなら、その方が、まだ考えやすかった。
けれど、意味が分かったという感触まで、間違いにすることはできない。
自分だけが気付いたその言葉を、どう扱えばいいのか分からなかった。
分かるからこそ、驚いたのだ。
(……何で!?)
(……何でこの人、宮古島の方言を使ってるんですか!?)
はちは、口をぽかんと開けたまま、ヘルカイザーを見つめていた。
相手は、次元神。
しかも、最初の次元神を創り上げた張本人。
ガルデローベ社の技術開発部長で、アルカディアを制圧しに来た人物だ。
そんな相手が。
こんな異世界の空の上で。
突然。
前世の故郷の方言を使って、大爆笑している。
(……いやいやいや!?)
ちょっと待って!?
どういうこと!?
だが、自分の混乱など知るはずもなく――。
「どうや!! アテナさん!!」
くるんっ!
「珍し過ぎますねぇ!! あっははははははっ!!!!」
「…………っ!?」
……おいおいおいおい!!
まただ!
今度は『どうや』まで!?
(……何なんだよ、この人!?)
アテナさんの名前を知っている。
フィナさんの名前まで知っている。
自分が転生者であることも推理してきた。
そして、今度は宮古島の方言!?
(……まさか)
……いや。
ちょっと待てよ。
はちは、急に別の可能性を思い付いた。
(……この人)
(……俺が宮古島出身だったことまで、見抜いたんじゃないだろうな!?)
…………。
いやいやいや!
さすがに、それはないでしょう!?
そこまで分かったら、もう推理の域を超えてますよ!?
……ない。
ないですよね!?
そう思いたい。
思いたいのだが……。
「ひーっ! ひひひっ!!」
ヘルカイザーは、相変わらず笑い転げていた。
しかも。
「だ、だいず……ウケる……!!」
くるんっ!
「あっはははははっ!!」
……また言った。
また『だいず』って言った!!
(……くそっ!)
はちは、思わず頭を抱えたくなった。
せっかく転生して、別の世界で暮らしているというのに。
こんなところで故郷の言葉を聞くことになるなんて!
しかも!
相手は敵!
さっきまで、こっちと本気で戦っていた相手ですよ!?
(……どういう状況なんですか、これ!?)
『……はち?』
ステラが、不思議そうに呼び掛けてきた。
『どうしたの?』
(……ステラ!)
はちは、思わず心の中で叫んだ。
(……今、この人! 自分の故郷の方言を使ったんですよ!?)
『……故郷の?』
(……そうです!!)
『……でも、それがどうして……?』
(……それが分からないから困ってるんですよ!!)
もう、訳が分からない。
ヘルカイザーは、何者なんだ?
次元神を作った研究者。
それは分かった。
神界のことを知っている。
それも、まあ理解できる。
アテナさんやフィナさんについて何か知っている。
……これは、かなり気になる。
だが。
(……何で宮古島の方言まで知ってるんだ?)
偶然、言葉を知っているだけなのか。
それとも、宮古島に何か関係があるのか。
……分からない。
まったく分からない!
そんな自分をよそに――。
「あっははははははっ!!」
ヘルカイザーは、なおも笑い続けていた。
小さなお腹を抱えながら、空中でごろごろと転がっている。
……いや。
本当に、何をしてるんですか!?
さっきまでの上品な口調は、どこへ行ったんです!?
あの執事のような振る舞いは!?
完全に、腹を抱えて笑い転げているだけじゃないですか!!
「……ひーっ! もう……!」
ヘルカイザーが、息を整えようとした。
だが――。
「……あはっ!」
また吹き出した。
「駄目です……! 考えれば考えるほど……!」
そして、こちらへ視線を向ける。
「ハ、はちさん……!」
「……は、はい?」
「貴方……!」
そこまで言い掛けたところで。
「……ぷっ!」
また、笑いが込み上げてきたらしい。
「あっはははははははっ!!!!」
……話が進まない!!
はちは、思わずこめかみを押さえた。
……もう。
どうすればいいんですか、これ?
戦闘は、完全に中断している。
ヘルカイザーは、腹を抱えて笑い転げている。
しかも、自分の秘密が次々と推理されてしまった。
……いや。
それよりも。
(……アテナさんとフィナさん)
はちは、改めて二人の名前を思い浮かべた。
何故、ヘルカイザーは二人を知っているのか。
何故、フィナさんがドジをしたという推理に辿り着いたのか。
そして。
何故、それが分かった途端、あんなに笑い始めたのか。
「どうや!! アテナさん!! 珍し過ぎますねぇ!!」
「…………」
……しかも、これ。
単にアテナさんのことを知っているというだけじゃないですよね?
何だか……。
(……ものすごく、楽しそうに笑ってるんですけど!?)
いや。
笑っているのは最初から分かっている。
だけど。
その笑い方が、妙に引っ掛かる。
アテナさんの名前を出した途端、あの反応。
まるで、相手のことをよく知っているかのような口ぶりだ。
笑い声は、はちへだけ向けられているわけではないようだった。
ヘルカイザーは、ここにいないアテナの名を呼んでいる。
その言い方を聞くと、何かの事情を知っているのではないかと、思わずにはいられなかった。
ただ名前を知っているだけなら、どうして、珍し過ぎるなどと言うのだろう。
推測が当たったことを喜ぶだけなら、なぜ、アテナへ呼び掛けるのか。
はちには、そこが分からない。
二人の間に何があったのか。
この笑い声だけで決めることはできなかった。
目の前の反応を、勝手に昔話へ置き換えてしまうわけにはいかない。
それでも、何かがあるのではないかという疑問は残る。
ヘルカイザーは、まだ、何も説明していなかった。
(……もしかして)
(……アテナさんと、何かあったのか?)
はちは、そう考えずにはいられなかった。
だが、それ以上に気になることが、もう一つある。
(……宮古島)
そう。
さっきの方言だ。
ヘルカイザーが、どうして『だいず』なんて言葉を知っているのか。
……偶然なのか?
それとも……。
「……ヘルカイザーさん」
はちは、恐る恐る声を掛けた。
「……ひーっ! ひひっ……!」
……駄目だ。
聞いてない。
「……あの、ヘルカイザーさん?」
「くくっ……! あっはははっ!!」
……駄目だ、こりゃ。
完全に、笑いのツボに入ってしまっている。
はちは、呼び掛けた声の行き場を失って、しばらく黙った。
聞こえていないのか、返せないほど笑っているのか。
どちらにしても、いまの相手から、まともな説明は引き出せそうになかった。
戦いを再開すると言ったのは、ヘルカイザーだった。
その直後に質問を始め、推理をして、いまは笑い転げている。
こちらは、まだ、一度も満足な返事をしていない。
それなのに、相手の中では、いくつもの話が先へ進んでしまったらしい。
はちは、その進んだ先を見せてもらえていなかった。
分からないまま、相手の笑い声だけを聞いている。
先ほどまでの緊張を、どこへ置けばいいのか。
気を抜けばいいわけではないと分かっていても、同じ構えを続けることにまで、妙な気恥ずかしさが生まれた。
はちは、こめかみへ添えた手を、ゆっくりと下ろした。
とにかく、声が届くくらいには、笑いが収まってほしかった。
はちは、大きくため息を吐いた。
(……はぁ)
つい先ほどまで。
この人は、ディメンションウォールでこちらの攻撃を防ぎ、半壊するほどのダメージを受けても超再生で復活していた。
あれほど強大で。
あれほど厄介で。
どうやって倒せばいいのか、本気で悩んでいた相手なのだ。
それが今では――。
「だいずウケる!! あっはははははっ!!」
くるんっ!
くるくるくるっ!!
……空中を転がっている。
(……何なんだ、この温度差は!?)
はちは、頭が痛くなってきた。
しかも、今度は別の疑問まで増えてしまった。
ヘルカイザーとアテナさんの関係。
フィナさんについて知っている理由。
そして……。
宮古島の方言を使う理由。
(……この人、本当に何者なんだ?)
はちは、目の前の小さな白いドラゴンを見つめた。
……いや。
次元神だというのは、分かっている。
元々は人間だったということも聞いた。
研究者だということも、十分すぎるほど理解した。
だけど。
(……何で、俺の故郷の言葉が出てくるんだよ!?)
こんな異世界で。
次元神同士の戦闘中に。
まさか、宮古島の方言を聞くことになるとは……。
本当に、夢にも思わなかった。
『……はち』
ステラが、再び声を掛けてきた。
『……どうするの?』
「…………」
……どうするって。
そんなの……。
(……俺が聞きたいよ!!)
この状況で、一体どうしろって言うんですか!?
はちは、完全に途方に暮れてしまった。
そして――。
「あーっはははははははっ!! アテナさん!! だいずウケる!!」
……まだ笑っている。
「…………」
……もう。
本当に。
誰か、この次元神を止めてください!!
◇ ◇ ◇
だが、自分はまだ知らなかった。
ヘルカイザーが、何故アテナさんのことをあれほど笑っているのか。
そして――。
何故、宮古島の方言を知っているのか。
その答えを聞くには、まず目の前の次元神に笑うのをやめてもらわなければならなかった。
……いや。
本当に、いつまで笑ってるんですか!?
――第61話・了――




