第6話 鏡の中の真実と、模擬戦への招待
――翌日。
精霊カードとSIAについては、安全確認のため、ノエル・アークスが調査を担当することになった。
昨日は、次々に起こることへ対応するだけで精一杯だった。
今日は、その中で使っていたものを、改めて確かめる時間になったらしい。
はちは手元とノエルを交互に見て、先に確認しておきたいことを伝えた。
「見てもらう範囲は、必要なところだけでお願いします」
「分かりました。確認できる範囲で進めましょう」
その返事を聞いてから、はちは右手へ意識を向けた。
もちろん、カードをすべて預けるわけではない。
指輪型のカードケースは、右手中指に収まったままだ。
中にあるものを一度に並べるのではなく、必要になった分だけを取り出す。何を確認してもらうのか、自分でも分かっている状態で進めたかった。
はちは右手中指の指輪型カードケースから、必要なカードだけを自分で取り出し、確認してもらった。調べてもらうのは、魔力反応や構造など、安全確認に必要な最低限の範囲だけだ。
SIAについても同じだった。
昨日、森で作ったばかりの試作機だ。
自分では動かせることを確かめているが、周りから見れば、初めて見る装置でもある。何をするものなのか、確かめたいと思うのは自然なことだろう。
ただ、だからといって、すべてを見せると決めたわけではなかった。
外部から確認できる部分なら構わない。けれど、中枢部分や、詳しい製作の経緯まで話すつもりはなかった。
はちは、説明できるところだけを順に示した。
口に出す前に、一度、話す内容を確かめる。昨日、かえでにも伝えた範囲を、ここで曖昧にするつもりはなかった。
ノエルは、その説明へ目を向けていた。
ノエルは、目の前の機器を見て驚いていた。
さっきまでとは、見つめる時間が違った。
一度目を向けて終わりではなく、確かめてから、また同じ箇所へ視線が戻ってくる。はちは、その変化を横から見ていた。
興味を持たれていることだけは、よく分かった。
眼鏡の奥の目が、次第に研究者のそれへと変わっていく。
何か尋ねられるのではないかと、はちは少しだけ背筋を伸ばした。
説明を求められたら、どこまで答えるか。そんなことを考えているうちにも、ノエルの視線は機器へ注がれている。
目の前のものに集中している様子が、かえって少し気になった。
(怖い怖い……)
はちは内心で身構えたものの、ノエルは必要以上のことを聞かなかった。
はちが話せる範囲を示すと、確認もその範囲で進んでいく。
興味があることと、無理に聞き出そうとすることは違うのだろう。
必要なやり取りを終える頃には、はちも最初ほど身を固くしていなかった。
それには、少しほっとした。
ひとまず、こちらの話を受け止めてもらえた。
はちは手元を確かめながら、肩の力を抜いた。説明を終えて、ようやく頭の中に少し余裕ができる。
ところが、その余裕へ真っ先に浮かんできたのは、装置とは別のことだった。
◇
「しかし……昨日はビックリしたな……」
安全確認を終えても、はちにはまだ、別の衝撃が残っていた。
眠って起きれば、昨日の出来事が少しは遠くなると思っていた。
実際、慌ただしさは落ち着いている。けれど、あの驚きだけは、思い出すたびに新しかった。
はちは一度、何も言わずに天井の方へ目を向けた。
思い出すだけで、ため息が出る。
あれは昨日、風呂に入ろうとした時のことだった。
◇
「はぁ……また顔がぐしゃぐしゃだよ……」
レイの腕の中で、思い切り泣いたあと。
彼女は仕事へ戻り、はちは一人になっていた。
気持ちは少し落ち着いた。けれど、涙の跡が残った顔は、どうにも気持ちが悪い。
泣きすぎたあとの顔は、何となく重かった。
もう一度洗って、すっきりしたい。レイに受け止めてもらったことで、気持ちは少し軽くなったが、頬に残る感覚まで消えるわけではない。
そのとき考えていたのは、本当に、それくらいのことだった。
「しょうがない。ついでにお風呂入ろう……涙でベトベトして気持ち悪いし……」
そうして向かった浴室には、大きな鏡があった。
目を向けると、鏡の中にも、こちらを見ている姿があった。
今まで会った人たちは、自分を見て何度も驚いていた。どんなふうに見えていたのか、落ち着いて確かめるには、ちょうどいい。
はちは、自然とそちらへ近づいた。
「お、大きい鏡あるじゃん。ついでにちゃんと確認しよう……」
これまで、自分の姿を落ち着いて確かめる余裕はなかった。
森で目を覚まし、カードケースを見つけ、SIAを作った。
精霊を呼び出してからは、アリアとのやり取りに、突然の攻撃、いろはとの出会い。ここへ来てからも、話すことばかりだった。
周りの人の顔は何度も見たのに、自分の姿をゆっくり見る時間は、ようやく今になってできたのだ。
はちは鏡の前に立ち、そこに映る姿を見つめた。
見慣れた前世の顔は、そこにはなかった。
顔を少し傾けると、向こうも同じように動く。別の誰かがいるのではなく、これが今の自分なのだと分かる。
はちは、まだ少し不思議な気持ちのまま、鏡を見た。
腰まで伸びる灰黒色の髪。
灰色の瞳。
そして、小柄な身体。
相手が目線を下げて話しかけてくる理由も、こうして見ると分かる気がした。
自分では普段どおり話していたつもりでも、向こうから見える姿は以前と違う。
それでも、このときは、まだ見た目の問題だと思っていた。
「本当……誰が見ても女の子にしか見えないな……」
いろはたちが間違えるのも、無理はない。
あれほど驚かれたことには、ようやく納得しかけていた。
可愛いと言われても、こちらでは確かめようがなかった。今なら、みんなが何を見てそう言っていたのかは、少し分かる。
ただ、それと自分が何者なのかは、別の話のはずだった。
だが、見た目がどれだけ女の子でも、自分は男だ。
はちはそう思っていた。
――思っていたのだ。
「……あれ?」
自分の身体を確かめ、動きが止まった。
考えていたことと、確かめたことが、うまくつながらなかった。
一度、頭の中で言葉にしようとする。けれど、その言葉が浮かびかけると、すぐに別の考えが割り込んだ。
何か勘違いしているだけではないのか。
はちは、すぐには結論を受け止められなかった。
まだ、頭がぼんやりしているのかもしれない。
疲れているせいで、何かを勘違いしているのかもしれない。
そんな考えが浮かんでは消えた。
昨日から、驚くことばかりだったのだ。
今だって、落ち着いているつもりで、まだ疲れが残っているのかもしれない。
そう考えれば、見直してみる理由にはなった。
はちは少し間を置いてから、もう一度、目の前の事実へ向き合った。
「…………」
鏡に映る自分を見る。
もう一度、確かめる。
けれど、結論は変わらなかった。
女の子に見えるだけではなかった。
身体そのものが、女の子になっていた。
昨日、何度も口にした言葉が、頭の中をよぎった。
自分は男です、と。間違われるたびに、そう訂正してきた。
外見だけの話だと思っていたから、迷いもなかった。
その前提が違っていたのだと分かっても、次に何を考えればいいのか、すぐには分からなかった。
「え……?」
理解するまで、数秒。
実際には、もっと長く感じられた。
言葉が出るより先に、頭の中がいっぱいになる。昨日のやり取りも、転生するときの希望も、今、鏡の前に立っている自分も、全部が一度に浮かんだ。
そのあと、浴室に絶叫が響き渡った。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
◇
(拝啓、母上様。父上様)
はちは遠い目をした。
(俺――女になってました)
まさか、ここまでとは思わなかった。
希望を聞かれたとき、どう答えたかは覚えている。
そのつもりで新しい人生へ送り出されたはずだった。
ところが、知らない世界に来ただけでは済んでいなかったらしい。
はちは、その考えを途中で止め、また一つ息を吐いた。
あの絶叫を聞いて、いろはとかえでが飛んできた。
二人とも、最初は本気で心配していた。何かあったのかと尋ねられ、はちは、どうにか事情を説明したのだが――。
説明しようとすると、自分でも言葉に詰まった。
何がどう違っていたのか。どうして今まで気づかなかったのか。考えることは多いのに、答えとして口にできることは、ひどく少なかった。
いろはとかえでは、その話を聞いて、互いの顔を見た。
「…………」
「…………」
二人は、しばらく固まっていた。
こちらも、どんな返事が来るのか分からないまま待っていた。
驚かれるのは予想していた。自分だって驚いている。
だが、そのあとでどうすればいいのかは、はちにも分からなかった。
二人が動き始めると、はちは思わず顔を上げた。
そして、なぜか抱きしめられた。
しかも、よしよしと頭を撫でられながら。
肩の近くに手があり、頭の上にも優しい感触がある。
慌てていた二人が落ち着いてくれたことは分かった。悪いことを言ったと責められているわけでもない。
けれど、自分が説明したことへの返事としては、どう受け取ればいいのだろう。
(何で!?)
慰めてくれているのだろう。
それは分かる。
分かるのだが、はちとしては、それで解決する話でもなかった。
撫でてもらえば落ち着くことと、起きたことを理解できるかどうかは別だった。
二人が優しくしてくれるほど、文句の言い方まで分からなくなる。
はちは何か言おうとして、結局、ため息に変えてしまった。
なお、身体が変化した理由については、『次元震の影響らしい』ということで話を通してある。
それは、周りへ伝えるための説明だった。
本当に何が起きたのか、自分で納得できたという意味ではない。
はちは、その違いを胸の中だけに留めた。考え込んでも、ここで本当の事情を話すわけにはいかなかった。
本当の事情を説明するわけにはいかない。
神様に転生させてもらったことも、その時に姿の希望を伝えたことも、胸の内にしまっておくしかなかった。
「はぁ〜……落ち込むなぁ……」
最後の希望まで消えていた。
これから先のことを考えかけて、はちはやめた。
昨日の自分の返事を、一つずつ思い出しても仕方がない。
かといって、今すぐ何も気にしなくなるのも無理だった。
考え始めれば、また同じところへ戻ってしまう。はちは視線を手元へ落とし、別のことを探した。
(……今考えたら、絶対に立ち直れない)
ひとまず、目の前のことに集中しよう。
昨日、作ったばかりのSIAがある。
こちらには、確かめておきたいことも、手を入れたいところも残っていた。
何もかも一度に受け止めようとするより、まず一つ、できることを進めたい。
はちは机の方へ向き直った。
はちは、気持ちを切り替えるように息をついた。
「さて……そろそろ始めますか」
左腕からSIAを外し、机の上へ置く。
手首にあったものが机へ移ると、今度は装置全体を落ち着いて見られた。
昨日は限られた部品を組み合わせ、まず動く形にすることを優先した。
動いたから、そのまま使った。
今なら、もう一度、作ったところを順にたどれる。
今回は、試作機の強度をしっかり上げておきたかった。
一度の使用に耐えたことと、このあとも同じように使えること。
その二つは、まとめて考えてはいけない気がした。
はちは外装の内側へ目を向け、どの部分から見直すかを確かめた。
フォースリフレクトは、一度、問題なく使えた。
あのとき、攻撃を受け止めて返せたのは事実だ。
だが、今、目の前にあるのは、そのとき使った装置でもある。作った直後の状態だけを頭に思い浮かべても、十分ではない。
はちは実物を見ながら、考え直した。
しかし、それだけで十分とは言えない。
耐久性も、連続使用した際の状態も、まだ確かめられていないのだ。
使うたびに、同じように動いてくれるか。
負荷が掛かったあとも、経路や接続に無理が出ないか。
知識として分かることがあっても、実際に組み上げたのは、自分の手元にあるこの一台だった。
確かめられるところは、確かめておきたい。
はちは内部を確認し、魔力経路を調整していった。
目で追い、指先で確かめ、組み合わせた箇所を見直す。
頭の中の構造を思い出すだけでなく、目の前の部品と一つずつ照らし合わせた。
急いで組んだときには、それで十分だと思っていたところにも、改めて見ると気になる箇所がある。
はちは、手を止めずに作業を続けた。
補強できる箇所を、一つずつ見直す。
一か所を変えたら、その周りも確認する。
強くすることだけに気を取られて、ほかの部分が使いにくくなっては困る。本体は左手首へ装着して使うものだ。
腕の外側へ展開する仕組みも含めて、元の動作を妨げないように整えていった。
作業に意識を向けている間は、先ほどまでのため息も止まっていた。
次に確かめる箇所が見つかれば、視線はそちらへ動く。
指先へ意識を向けている間は、鏡の前の出来事を繰り返し考えずに済んだ。
はちは、一つ終えるたびに小さく息をつき、また次へ手を伸ばした。
すぐに答えの出ないこととは違って、こちらには、今やれることがあった。
やがて、調整を終えたはちが顔を上げる。
最後に、手を入れた箇所をもう一度確かめた。
置いていた部品も、外していたところも、元の位置へ戻っている。
はちは手元から顔を離し、できあがった装置を見た。思わず、声が明るくなった。
「出来た♪」
これなら、前よりは負荷に耐えられるはずだ。
もちろん、机の上で見直しただけでは、まだ十分ではない。
ちゃんと動かしてみて、手を入れる前との違いを確かめたい。
はちは、さっきまでとは違う意味で、次に何をするかを考え始めていた。
あとは、実際に動かして確認したい。
そう思ったところで、声が掛かった。
「はちちゃん、何してるの?」
振り向くと、いろはとレイが来ていた。
作業へ集中していたせいか、声を掛けられるまで意識が手元へ寄っていた。
はちは顔を上げたまま、二人の姿を確かめる。さっきまで考えていたことを説明するのは、今なら難しくなかった。
「あ、いろはさん、レイさん。今SIAのメンテナンスをしていたところですよ〜」
はちは答えながら、SIAを左腕へ装着した。
机の上にあった本体が、再び左手首へ収まる。
固定した位置を確かめ、手を軽く動かしてみた。いま調整したものを身につけると、早く動作を見たくなる。
はちは、そのまま二人へ顔を向けた。
「進み具合はどう?」
いろはが、その手元へ視線を向ける。
「ちょうど強度の調整が終わりました。これから動作テストをしようかと思ってたところです」
さて、どこで試そうか。
作るための場所と、使って確かめる場所は同じとは限らない。
手元の動作を見るだけで済むのか、それとも、もっと広いところがいいのか。
はちはその辺りから考えようとしていた。
はちが考え始めるより先に、いろはが言った。
「それなら、ちょうど良い場所があるよ」
(マジですか!)
「本当ですか? どこです?」
「今から私達もそこへ行くから、一緒に行こっか」
いろはは、笑顔で誘った。
行き先を知っている相手が、ちょうど一緒に行こうと言ってくれている。
知らない場所を探して歩かずに済むのはありがたい。何より、今は調整したばかりのSIAを動かしてみたかった。
考えるより先に、返事が出た。
「はい、行きます!」
はちは即答した。
――その直後、少しだけ引っ掛かった。
(あれ? このパターン、どこかで……)
何だろう。
何か、嫌な予感がする。
親切に誘ってもらったこと自体は、何もおかしくない。
むしろ助かっている。
それなのに、いろはの笑顔を思い出すと、動作確認だけでは終わらないような気がした。
はちは左腕へ一度目を落とし、そのまま二人の後を追った。
◇
しばらく、いろはたちの後をついて歩いた。
歩きながら、まだ少し気になっていた。
行き先を示してもらえている以上、あれこれ考えても仕方がない。それでも、試してみたいという気持ちと、何か待っていそうな予感が、頭の中で並んでいた。
到着したとき、後の方の予感に、ひとまず答えが出た。
そして、到着した場所を見たはちは、思わず声を漏らした。
「あー……」
訓練区画だった。
はちは、目の前に広がる場所を見渡した。
机の上で装置を眺めていたときとは、ずいぶん距離の感覚が違う。
確かに、ここなら動きを確かめられそうだ。いろはが、ちょうどいい場所だと言ったことにも納得できた。
できたのだが、別の想像まで、あまりに簡単についてきた。
動作テストには、確かに向いているだろう。
手を入れたものを試せるのは、願っていたことだった。
そのためにここへ来たのだから、場所を見て困る理由はないはずだ。
だが、訓練区画という言葉から連想するものは、単に装置を起動して終わる場面だけではなかった。
問題は、その先だ。
(しまった。これ、模擬戦フラグが立ったんじゃない?)
「はは……」
乾いた笑いが漏れた。
さらに、その視界へ四人の姿が入ってくる。
神楽坂ユイナ。
水城セナ。
御影レン。
白峰ノア。
AEGISの新人魔導師チームだった。
はちは四人の姿を、順に確かめた。
ここへ来たばかりの自分にとっては、まだ、名前を知っていることと、実際に向かい合うことの間に距離がある。
それでも、いろはが四人へ声を掛けるのを見れば、このあと何が始まりそうなのかは、何となく分かった。
(……ですよね〜!)
「みんな、集合!」
いろはが声を掛けると、四人がこちらへ集まってきた。
「紹介するね。この子が、AEGISで保護することになった安藤はちちゃん」
紹介を受け、はちは深々と頭を下げた。
まずは挨拶をしなければならない。
そう思うと、姿勢だけは自然と改まった。相手の方を見て、名前を伝えようとする。
はちは息を整え、口を開いた。
「わふっ! 自分、安藤はちです! よろしくお願いしまふ!」
(……噛んだけどね)
言い直すべきか、一瞬迷った。
しかし、改めて言い直せば、今の言い間違いを自分で確かめることになる。
はちはどうにか表情を保ち、次の挨拶を待った。せめて、相手の名前は聞き逃さないようにしたかった。
どうして、こういう時に限って。
そんな内心をよそに、四人から順番に挨拶が返ってきた。
「水城セナです。よろしく」
短い挨拶が返ってきた。
はちは、その声と顔を結びつけるように目を向けた。
「神楽坂ユイナ! よろしくね!」
今度は、明るい調子の声だった。
同じように名乗っていても、相手が変われば、その響きも変わる。はちは頷きながら聞いた。
「御影レンです。よろしくお願いします」
「白峰ノアです……よろしくお願いします」
四人の名前を聞き終え、はちは改めて顔を上げた。
自分だけが挨拶をして終わりではない。これで、目の前の相手へ、名前で声を掛けられるようになったのだ。
そう考えると、少しだけ気が楽になった。
顔を上げたはちは、四人へ視線を向けた。
何だか、全員から微妙に見られている気がする。
何を考えているのかまでは分からなかった。
さっき噛んだせいだろうか。それとも、別のところを見られているのだろうか。
はちは自分から何か付け足すべきか迷い、結局、そのまま相手の反応を見ていた。
(……気のせい?)
気にするべきか迷っていると、いろはが口を開いた。
「早速だけど、はちちゃん」
(来た)
笑顔のいろはを見る。
「SIAの動作確認も兼ねて、模擬戦してみようか?」
(ほらな。そんな予感がしたよ)
予感は、見事に的中した。
広い場所へ来た時点で、そうなるかもしれないとは思っていた。
それでも、実際に口にされると、やはり少し構えてしまう。
はちは、笑顔のいろはから、左腕のSIAへ視線を移した。
すると、ユイナが少し驚いた様子で、いろはへ尋ねた。
「え? でも、いろはさん。この子、昨日保護されたばかりなんですよね?」
「そうなんだけど、SIAのメンテナンスが終わったみたいだからね。安全を確認しながら試運転しておきたいの」
なるほど。
ちゃんと試験目的ではあるらしい。
単に勝ち負けを決めたいと言われているわけではない。
調整した装置を動かし、様子を確かめる。それは、はち自身がやりたかったことだった。
ユイナの問いにいろはが答えたことで、ひとまず、その目的ははっきりした。
はち自身も、調整後のSIAを試したいと思っていた。
その点では、良い機会なのだろう。
ただ、一つ確認しておきたいことがある。
場所も、試してみたいことも分かった。
残っているのは、相手だ。
ここにはいろはもレイも、四人の新人魔導師もいる。誰と向き合うのかによって、考えることは変わるだろう。
はちは、そこだけは先に聞いておこうと思った。
「それはいいですが……一体誰とやるのですか?」
嫌な予感は、まだ消えない。
「とりあえずは――」
いろはは、四人のうちの二人を見た。
「ユイナとセナね」
(二人だと!?)
はちは、心の中で叫んだ。
相手がいるとは分かっていた。
それでも、二人だと聞かされると、一人と向き合う場面を思い浮かべていたのだと気づく。
ユイナとセナ。はちは、今、名前を聞いたばかりの二人へ順に目を向けた。
(さすがいろはさん。最初から容赦ないですね!?)
試運転と聞いて、少し安心しかけた自分が甘かったのかもしれない。
それでも、逃げる理由もなかった。
調整を終えたSIAを、自分で使って確かめたい。
そこは、ここへ来る前から変わっていない。
二人と同時に向き合うと聞いて戸惑ってはいるが、せっかく用意された機会でもある。はちは一度だけ息を吐き、返事を決めた。
「分かりました……」
はちは、二人へ向き直った。
見ている相手が、二人に絞られる。
先ほどまで挨拶をしていたときとは、目を向ける意味も違っていた。
これから、この二人と模擬戦をするのだ。
はちはそのことを確かめるように、もう一度、左腕へ意識を向けた。
(まあ、試運転だし。負けても良いのかな?)
左腕のSIAを起動する。
カシュッ。
腕時計型の本体が、左腕の外側へ展開した。
続いて、その外側に円形の魔力ディスクが形成される。
机の上では、内部の経路や組み合わせを見ていた。
今は、身につけた本体の外側へ、実際に盤面が形になるところを見ている。
調整前にも見た光景だ。それが同じように目の前へ現れると、まずは一つ、確かめられた気がした。
はちは、右手中指の指輪型カードケースへ意識を向けた。
必要なカードが、一枚、手元へ現れた。
手に持っている間は、裏面を向けたまま。
指先には、カードの角の感触があった。
右手中指の指輪から取り出したものを、その手で持っている。昨日、森で繰り返した手順の続きだ。
はちは握り直しすぎないように、持つ位置を落ち着けた。
まだ、ディスクにはセットしない。
魔力ディスクを展開することと、カードをセットすること。
その二つは、別の動作だ。
はちは右手を落ち着けたまま、前を見た。いまは、調整したSIAと、これから向き合う相手の両方を、意識に置いておきたかった。
はちはカードを手に、ユイナとセナの前へ進み出た。
(さて。どこまでやれるかな)
考えるだけでは、まだ分からない。
手を入れたところが実際にどう働くのか。自分が、それを使ってどこまで動けるのか。
確かめるための場所と相手が、ようやく目の前にそろった。
はちは背筋を伸ばし、呼吸を整えた。
調整を終えたSIA。
そして、目の前には二人の魔導師。
挨拶を返してくれたばかりの相手が、今度は試運転の相手になる。
不思議な進み方だと思った。
昨日、目を覚ましたときには、今日ここに立つことなど考えていなかった。けれど、今、足を止めているのは自分の意思でもある。
はちは、手の中のカードを保ったまま、前を向いた。
はちは、二人へ視線を向けた。
こうして――。
AEGISでの、はちにとって最初の模擬戦が始まった。
――第6話 END――




