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転生した主人公が次元神になる  作者: ヘルカイザー
第2部

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第56話 ディメンションウォール



時系列:現在――アルカディア上空。いろはとレイがエクリプスとの戦いを再開した一方、はちはヘルカイザーとの交戦を続けていた。


 ドォォォォンッ!


 空中に膨れ上がった爆煙を、銀紫色の髪がかすめた。


「……くっ!」


 はちは身をひねり、爆風から逃れる。

 白いフード付きの上着が激しくはためいた。黒いスカートの裾を押さえる暇もなく、飛行の姿勢を整え、すぐさま相手の位置を確かめる。


 小さな白い竜は、少し離れた空にいた。

 黒い翼をゆったりと動かし、こちらを眺めている。


 距離を取れたからといって、息をつけるわけではなかった。

 あの前脚が動くか。

 あるいは、近くの空間が揺らぐか。

 そのどちらも見落とさないよう、はちは紫色の瞳を細めた。


(……強い)


 認めたくなくても、認めるしかなかった。

 だが、それだけでは、目の前の相手を言い表せない。


 こちらの一撃をかわす間合い。

 次元の裂け目を展開する場所。

 反撃へ移るまでの、短い間。


 一つずつは、見える。

 何をしているのか、まったく理解できないわけではない。

 それなのに、実際に向き合うと、わずかな判断の差を突かれてしまう。


 攻撃が通ったと思えば、その先にもう相手がいない。

 次の手を考えようとすれば、こちらの動きに合わせた反撃が来る。

 同じように次元へ干渉できる力を持っていても、使い方まで同じになるわけではなかった。


(……こいつ、絶対に戦い慣れてる)


 はちは奥歯を噛み締めた。

 先ほどから、考えることばかり増えている。

 距離。角度。転送の出入口。

 相手の姿へ目を向けながら、その周囲の空間まで気にしなければならない。

 ただ前を見て撃てばいい相手ではないことを、十分すぎるほど思い知らされていた。


「おやおや♪」


 対して、ヘルカイザーの声には疲れがなかった。


「どうしました、はちさん?」


 愛嬌のある顔で、にこにこと笑っている。

 先ほどの爆発まで、ちょっとした余興だったと言いたげな表情だ。


「先ほどから、随分と考え込んでいらっしゃるようですが?」


「…………」


(そりゃ、考えるだろ!)


 どうすれば、その笑顔を崩せるのか。

 どうすれば、これ以上アルカディアへ手を出させずに済むのか。

 こちらは、そのために必死なのだ。


 軽口へ律儀に答える余裕などない。

 はちは呼吸を整え、相手を見据えたまま構え直した。


 その反応を眺めて、白い竜は小さく笑う。


「ふふっ♪ では、少し趣向を変えましょうか」


「……趣向?」


 嫌な予感がした。

 次の攻撃に備え、はちはすぐに視線を巡らせる。


 だが、何かが飛来するより先に、相手の周囲で空間が揺れた。


 ――ぽちゃん。


 音を伴う水面を思わせる、小さな波紋。

 何もない空中へ、透明な円が生まれた。


 一つ。

 その隣に、もう一つ。


 重なり合う輪が広がり、白い竜の輪郭を、かすかにゆがめていく。

 はちは身構えた。

 裂け目が開く。

 そう思ったのだ。


 しかし、見慣れた漆黒の口は現れなかった。


「……?」


 波紋は消えず、その場へとどまった。

 ゆらり、と揺らぐ空間が、薄い膜の形を取る。

 向こう側の姿は透けて見えるのに、輪郭だけが、どこかずれている。


 空そのものを一枚、切り取って立てたようだった。


 魔法の障壁とは違う。

 魔力の光が強く輝いているわけでも、厚みのある壁がそびえているわけでもない。

 それでも、相手との間に、何かが隔てられたことだけは分かった。


「何ですか……それは」


「ディメンションウォール♪」


 ヘルカイザーは、両の前脚を背後へ回した。

 そのまま、透明な膜の向こうから、はちを見つめる。


「これを突破できますかねぇ?」


 挑発するような言葉だった。

 こちらへ武器を向けることさえせず、防御を見せつけている。


 はちは、相手の前へ広がった膜を見た。

 その奥には、小さな白い身体。

 少なくとも、いまは、逃れるために移動する様子もない。


(……随分と余裕だな)


 だったら、その余裕ごと崩してやりたい。

 ただし、腹を立てた勢いだけで突っ込むつもりはなかった。

 正体が分からない壁へ、いきなり自分の身体を近付けるわけにはいかない。


 まずは、確かめる。


「セレスティア!」


 呼び掛けに、白竜が応えた。


「グオオオオッ!」


 大きな翼が広がる。

 開かれた口元へ、青白い光が集まり始めた。


 はちは、その光を横目に確かめ、再び壁へ意識を戻した。

 セレスティアのブレスを、正面から受け止めるつもりなのか。

 それとも、到達する直前に、別の手を使ってくるのか。


 どちらであっても、見逃すわけにはいかない。


「――いってください!」


 ドォォォォォッ!


 青白い奔流が、空を貫いた。

 真っすぐに、ヘルカイザーへ向かっていく。


 眩しい光の縁が、はちの頬を照らした。

 これまでにも幾度となく頼りにしてきた、セレスティアの一撃だ。

 威力を疑っているわけではない。


 だが、壁へ到達した、その瞬間。


 ザァァァ……。


「……え?」


 光が、横へ流れた。


 正面を貫くはずだった奔流が、透明な膜に沿って向きを変えていく。

 壁の表面には、幾重もの波紋が広がっていた。

 押し寄せる光を受けながら、薄い膜が揺れる。

 その揺らぎの向こうで、白い竜は動かなかった。


 受け止めて、耐えている。

 それだけの光景には見えない。


 攻撃の流れそのものを、そらされている。


 はちは目を見開いた。

 どれほど光が押し寄せても、その先にいる相手へ届かない。

 セレスティアの一撃は、膜を貫けないまま周囲へ流れ、やがて途切れた。


 残されたのは、まだわずかに揺れている壁。

 そして、その内側に浮かぶ、小さな白い姿だった。


「……効いてない?」


「なかなか良い威力ですねぇ♪」


 感想まで、穏やかだった。

 はちは、思わず眉を寄せた。


「ですが、ディメンションウォールを突破するには、少々足りませんねぇ」


「…………」


 普通の魔力障壁なら、威力を高めることで押し切れるかもしれない。

 しかし、いま目にした反応は、それとは違っていた。

 光は、壁を押し込んでから止まったのではない。

 相手へ届く前に、進む方向を変えられてしまったのだ。


 もっと強い一撃を放てばいい。

 そう簡単に決めてしまうことはできなかった。


(……厄介すぎるだろ)


 はちは、左腕へ一瞬だけ目を落とした。

 SIAの本体は、左手首へ固定されたまま。

 腕の外側には、青白い魔力ディスクが展開している。

 そこへセットしたカードが、いまもセレスティアの召喚を維持していた。


 白竜は消えていない。

 次の指示を待って、そばにいる。


 手段がなくなったわけではないのだ。

 効かなかった一撃の結果に、いつまでも気を取られてはいけない。


 はちは、もう一度、透明な壁を見据えた。

 ブレスがぶつかった場所には、まだ波紋が残っている。

 大きな輪が薄れ、その上を、小さな揺れが追い掛けていた。


 ただ、眺めるのではなく。

 先ほど、何が起きたのかを確かめようとする。


 正面の膜。

 流されていった光。

 重なり合った、いくつもの輪。


 その、一部分で。


(……ん?)


 はちの視線が止まった。


 壁の中に、妙な場所があった。

 周囲とは、わずかに違う。

 同じように揺れているはずなのに、その小さな部分だけ、膜が続いていないように見える。


 はちは瞬きを抑え、目を凝らした。

 見失いそうなほど、小さい。

 しかも、大きさが変わっていた。

 波紋が重なるたびに、広がったかと思えば、また縮む。


(穴……なのか?)


 そう思ってから、すぐに、結論を急ぐなと自分へ言い聞かせた。

 向こう側が透けて見える壁なのだ。

 空間のゆがみが、偶然、そう見えているだけかもしれない。

 防御に隙があると思い込み、そこへすべてを賭けるには、まだ早かった。


 けれど、見なかったことにはできない。

 少なくとも、壁全体が、まったく同じ状態を保っているわけではなさそうだった。


 確かめる必要がある。


 はちは、小さく息を吸った。


「……セレスティア。もう一度、お願いします」


 白竜が、ヘルカイザーへ顔を向けた。

 再び、口元へ光が集まっていく。


 その様子に、壁の内側から声が飛んだ。


「おやおや。また同じ攻撃ですか?」


 ヘルカイザーが、首を傾げている。

 一度では納得できなかったのかと、からかうような口調だった。


 はちは、答えなかった。

 いまは、目を離せない。

 相手の表情よりも、あの小さな部分を見ていたかった。


(そう思うなら、そのまま思っていてくれ)


 同じ攻撃を繰り返す。

 確かに、そのとおりだ。

 だが、こちらが、何を見ようとしているのかまで伝える必要はない。


「いきます!」


 ドォォォォンッ!


 セレスティアのブレスが、再び壁へ叩き付けられた。


 白い竜は、避けなかった。

 前脚を背後へ回したまま、同じ場所に浮かんでいる。


 ザァァァァッ!


 またしても、光の流れが変わる。

 正面へ届くはずだった力が、膜の表面へ沿って広がっていった。

 壁には、いくつもの波紋が走る。


 はちは、その中の一点だけを見ていた。


 輪と輪が重なる。

 薄い膜が、大きく揺れる。


 そして――。


(見えた!)


 小さな穴が、一瞬、広がった。


 ただ光がゆがんだのではない。

 揺れる膜が重なって戻る、その短い間。

 そこだけ、壁がない。


 次の瞬間には、また小さくなっていた。

 見逃してもおかしくないほどの変化だった。

 けれど、最初からそこを見続けていた、はちには分かった。


 同じ現象が、起きた。


 ブレスが終わる。

 波紋が、少しずつ小さくなっていく。

 ヘルカイザーの身体には、相変わらず傷がなかった。


 それでも、はちは、先ほどと同じ気持ちではなかった。


(……穴がある)


 防御全体を壊す必要はないのかもしれない。

 その一瞬を突いて、内側へ攻撃を通せれば。


 ただ、気付いたからといって、すぐ当てられるわけではない。

 相手は、こちらが近付くまで黙って待ってくれるとは限らない。

 小さな穴の前へ回り込み、狙いを定める。

 そんな分かりやすい動きをすれば、警戒されるだろう。


 それに、穴が広がる時間は短かった。

 離れた場所から撃てば、到達したときには、もう閉じかけているかもしれない。


 必要なのは、位置と、タイミング。

 そして、こちらの本命を、できるだけ遅くまで悟らせないことだった。


 はちは、白い竜へ視線を戻した。

 相変わらず、にこにこと笑っている。


 その前へ、正面から同じ攻撃を重ねるだけでは駄目だ。

 もう一段、仕掛ける。


 使えるものは、すでにある。

 セレスティアのブレス。

 自分の魔力弾。

 そして、離れた場所へ攻撃の出口を置ける、ディメンションゲート。


 はちは、頭の中で、その順番を組み立てた。

 一つだけを成功させればいいのではない。

 どこから撃ち、いつ通し、何につなげるのか。

 その流れを、相手の目の前で実行する必要があった。


 慎重になりすぎて、好機を失うわけにもいかない。

 はちは、短く息を吐いた。


(……よし)


     ◇ ◇ ◇


「ヘルカイザーさん!」


 声を掛けると、白い竜が顔を向けた。


「はい♪ 何でしょう?」


「その壁……本当に、絶対に破れないんですか?」


 はちは、透明な膜を示した。

 見つけた場所へ視線が寄りすぎないよう、相手の顔を見る。


 ヘルカイザーは、小さく首を傾げた。


「さあ、どうでしょうねぇ♪」


 肯定もしない。

 否定もしない。


「試してみれば、分かるのではありませんか?」


「……そうですね」


 はちは、静かに頷いた。


「では、試させてもらいます!」


 周囲の空間へ、意識を向ける。


 ――ぽちゃん。


 空中へ、波紋が生まれた。

 中心がゆがみ、次元の裂け目へと変わる。


 一つ。

 二つ。

 三つ。


 ヘルカイザーの周囲へ、出入口が展開されていく。

 正面だけではなく、横にも、斜めにも。

 透明な壁を囲むように、その位置を定めた。


「……ほう?」


 ヘルカイザーが、興味深そうに目を細めた。


「また、先ほどの技ですか?」


 次元の裂け目による包囲。

 確かに、初めて見せるものではない。

 だからこそ、相手は、すでに知っている攻撃の一つとして受け止めるかもしれなかった。


 はちは、余計な説明を加えなかった。

 同じことをしていると思わせられるなら、その方がいい。


「いきます!」


 黒い魔力弾を放つ。

 光は、手前の裂け目へ吸い込まれた。


 シュンッ!


 次の瞬間、別の場所から飛び出す。

 続けて、もう一発。

 さらに、違う角度からも。


 ババババッ!


 幾つもの黒い光が、白い竜へ殺到した。


 しかし、ヘルカイザーは、動かない。

 前へも、後ろへも。

 薄い膜の内側に、とどまっている。


 キィンッ!


 魔力弾が、壁へぶつかった。

 そこを中心に、透明な輪が広がる。

 別の一発も、その隣で弾かれた。


 ドドドドッ!


 衝突するたびに、表面が揺れる。

 だが、どの弾も内側へ届かなかった。

 角度を変えても、壁の向こうにいる相手へ通らない。


「ふふっ♪ この程度では……」


 余裕の声が聞こえた。


(ええ。それは、分かってますよ)


 はちは、攻撃を続けながら、膜の揺れを見ていた。

 いま放っている魔力弾だけで、突破できるとは考えていない。

 違う角度から飛来する攻撃へ、相手の意識を向ける。

 その中へ、必要な出口を紛れ込ませる。


 幾つもの裂け目のうち、一つ。

 それだけは、小さな穴が広がる場所の、すぐ手前に置いてあった。


 まだ、そこから本命を撃たない。

 早まれば、ただ壁へぶつかるだけだ。


 はちは、そばにいる白竜へ意識を向けた。

 セレスティアは、口元へ光を集めていた。

 青白い輝きが、次第に強くなっていく。


 魔力弾によって生まれた、小さな波紋。

 それだけでは、狙う隙間が十分に広がらない。

 先ほどと同じ、大きな揺れを起こす必要があった。


「セレスティア!」


「グオオオオッ!」


 はちは、その瞬間を選んだ。


「――今です!」


 ドォォォォンッ!


 白竜のブレスが、ディメンションウォールへ押し寄せた。

 黒い魔力弾とは違う、太い光の奔流。

 正面へ、まともに叩き付ける。


 ザァァァァッ!


 光が、壁に沿って流れた。

 幾重もの波紋が広がり、それまでの小さな揺れへ重なっていく。


「おやおや。また同じことを……」


 白い竜が、笑っている。

 先ほども防いだ一撃だ。

 どれだけ繰り返しても同じだと、そう思っているのかもしれない。


 はちは、答えなかった。

 呼吸を浅くして、目を凝らす。


 波紋が、走った。

 揺らいだ膜の一部が、わずかに開く。


 ここだ。


(――今!)


 黒い魔力弾を、一発。

 すでに展開してある裂け目へ向けて、放った。


 シュンッ!


 手前の空間へ吸い込まれた光が、離れた出口から飛び出す。

 そこは、壁のすぐ近く。

 小さな穴の、真正面だった。


 遠くから狙っていたら、間に合わない。

 だから、出口を近付けておいた。

 届くまでの距離を、できるだけ短くするために。


「……おや?」


 ヘルカイザーの目が、わずかに開いた。


 気付かれた。

 はちは、そう感じた。

 それでも、もう撃っている。

 魔力弾は、出口から穴へ向かって、真っすぐに進んでいた。


 通れ。

 いまだけでいい。


 黒い光が、揺れる膜の切れ目へ飛び込んだ。


 ――シュバッ!


「……っ!」


 弾かれなかった。

 横へ流されもしなかった。


 ディメンションウォールの、内側へ。

 はちの放った魔力弾が、入り込んだ。


 ドォンッ!


 小さな白い身体へ、黒い光が直撃する。


 ヘルカイザーの姿勢が、大きく揺れた。

 背後へ回していた前脚が動き、翼の向きが変わる。

 それと同時に、透明な膜の表面へ、大きなゆがみが走った。


(……崩れた!)


 喜ぶのは、まだ早い。

 はちは、唇を引き結んだ。

 壁へ一発を通せたことだけで、終わらせるつもりはなかった。


 あの防御が、整い直す前に。


「セレスティア!」


 声へ、白竜が応える。

 その口元には、すでに、次の光が集まっていた。


 黒い魔力弾を通して終わりではない。

 内側へ衝撃を与え、壁を乱す。

 そこへ、もう一度、大きな一撃を重ねる。


 はちは、相手から目を離さなかった。


「今です!」


 ドォォォォォォッ!


 青白い奔流が、空を走った。

 今度は、揺らいだ壁の隙間へ。

 先ほどまで光をそらし続けていた膜を抜け、その内側へ突き進む。


 ヘルカイザーが、こちらを向いた。


 しかし、今度は、間に合わなかった。


 ――ドガァァァァァンッ!


 凄まじい閃光が、白い竜の姿を包み込んだ。

 爆発が膨れ上がる。

 続けて押し寄せた衝撃が、空気ごと、はちの身体を押した。


「……っ!」


 はちは、咄嗟に身体をかばい、距離を取った。

 セレスティアも、大きく翼を広げて後退する。


 轟音が、遅れて耳を打った。

 視界には、眩しい光の名残が焼き付いている。

 それでも、はちは顔を背けきらなかった。

 爆煙の中心があった場所を、見失わないようにする。


 あそこに、相手がいた。

 黒い魔力弾は、確かに内側へ通った。

 それによって壁が乱れ、セレスティアのブレスも届いた。


 作戦は、実行できた。


 だが、爆発したというだけでは足りない。

 先ほども、攻撃が相手へ届いたように見えて、違っていたことがある。

 煙に隠れた姿を見ないまま、勝ったと決め付けるわけにはいかなかった。


(……どうだ?)


 はちは、息を整えながら待った。

 爆煙が、ゆっくりと流れていく。

 まだ見えない中心へ、視線を据える。


 左腕の魔力ディスクは、展開したままだ。

 セレスティアも、隣にいる。

 相手が何かを仕掛けてきても、動けるようにしておかなければならない。


 やがて、薄れた煙の向こうに、白いものが見えた。


「…………」


 はちは、目を見開いた。


 ヘルカイザーの身体が、大きく損なわれていた。


 小さな白い姿の、片側。

 その一部が失われ、片方の黒い翼も、ほとんど形を残していない。

 薄い煙が、その輪郭から立ち上っていた。


 壁の向こうで、前脚を背後へ回し、笑っていた姿ではなかった。

 攻撃が届いたことは、もう、疑いようがない。


「……やった……?」


 はちの口から、小さな声が漏れた。


 喜びより先に、驚きがあった。

 見つけた穴を通し、そこから、さらに一撃を重ねた。

 その結果が、いま、目の前にある。


 けれど、構えは解かなかった。

 あの姿になっても、まだ、空中にいる。

 こちらが気付いていない何かを、持っているかもしれない。


 安心していいのか。

 もう止められたと考えていいのか。


 その答えを見つけるより早く、声が聞こえた。


「……おやおや」


「……っ!?」


 はちは、肩を強張らせた。

 損なわれた身体のまま、ヘルカイザーがこちらを見ている。


 そして、その声は。

 悲鳴でも、うめき声でもなかった。


「これは……驚きましたねぇ♪」


 感心したような、穏やかな声だった。


 はちは、言葉を失った。

 思っていた反応と、違いすぎる。

 少なくとも、あの状態で、そんな調子の声が返ってくるとは考えていなかった。


「まさか、ディメンションウォールの穴を突いてくるとは……」


 白い竜が、ゆっくりと頷く。


「なかなか良い作戦でしたよ、はちさん♪」


 褒められている。

 そのこと自体が、ひどく場違いに感じられた。

 壁の隙間を突かれたことよりも、その手順を面白がっているように聞こえる。


(……何なんだよ)


 はちは、思わず身構え直した。

 当たったはずだ。

 実際に、相手の身体は、あれほど損なわれている。

 それなのに、なぜ、まだ、こちらを評していられるのか。


 ヘルカイザーが、小さく笑った。


「ですが……残念でしたねぇ♪」


 その直後だった。


 ――ポンッ♪


「…………は?」


 間の抜けた声が、はちの口から漏れた。


 元に戻っていた。


 たった、いま。

 ほんの一瞬前まで、大きく損なわれていた白い身体が。

 形を失っていた黒い翼も、その輪郭も。


 すべて、何事もなかったかのように、そこにある。


 はちは、瞬きをした。

 もう一度、相手を見る。


 傷がない。

 薄い煙も消えている。

 目の前に浮かんでいるのは、先ほどまでと同じ、小さな白い竜だった。


 黒い翼が、軽く羽ばたく。

 二つとも、そろっている。


「……え?」


 見間違いではない。

 傷ついた身体を、確かに見た。

 攻撃が通った瞬間も、爆煙が晴れたあとの姿も。


 それが、いまは、どこにも残っていなかった。


「ふふっ♪」


 ヘルカイザーが、にっこりと微笑んだ。


「超再生ですよ♪」


「……超、再生……?」


 はちは、その言葉を繰り返した。

 意味は分かる。

 目の前で起きたことも、その言葉で説明できるのだろう。


 だが、理解したからといって、すぐ受け入れられるわけではなかった。


(いやいやいや……!)


 何だ、それは。

 あれだけの攻撃を受けて。

 身体の一部まで失われていたのに。


 それを、あんな軽い音ひとつで、元に戻すのか。


 回復するまでの隙を突こうにも、いま見た速さでは、その隙を捉えられていない。

 治り始めたと気付くより先に、すでに終わってしまっていた。


 ヘルカイザーは、両の前脚を背後へ回した。

 壊れた壁のことなど気にしていないかのように、こちらを見つめる。


「なかなか楽しませていただきましたよ、はちさん♪」


「…………っ!」


 はちは、歯を食いしばった。

 冗談ではない。


 適当に撃って、たまたま当たったわけではなかった。

 防御を見て、変化を確かめ、同じ攻撃を重ねて穴を見つけた。

 複数の出口を用意し、本命を紛れ込ませた。

 セレスティアの力も借りて、ようやく、壁の内側へ届かせたのだ。


 その工夫が、間違っていたわけではない。

 作戦は、成功した。

 防御を突破し、相手へ一撃を加えられた。


 なのに、相手は、元の姿で笑っている。


 攻撃が届かなかったときとは、違う重さが、胸へ落ちた。

 隙を見つければ、倒せる。

 そう思いかけた、その先に、もう一つの壁があった。


(……超再生)


 あの力があるかぎり、同じことを繰り返しても、終わらないかもしれない。

 一度は通せた手段を、次も同じように使えるとは限らないのだ。

 穴を狙ったことまで、すでに知られている。


 こちらが知ったこともある。

 相手へ、攻撃が絶対に届かないわけではなかった。

 ディメンションウォールには隙があり、そこを突くことはできた。


 それは、確かだ。

 いまの結果を見て、その事実まで失ったことにしてはいけない。


 だが、届くことと、倒せることは、別だった。


 はちは、相手の顔を見た。

 焦りは、ない。

 怒りさえ、見えない。

 身体を損なわれたことを、もう済んだ出来事として扱っている。


 力の大きさだけでなく、その受け止め方も、普通ではなかった。


(……どうすれば、倒せる?)


 考えても、すぐには答えが出てこない。

 いま見た再生が、何に支えられているのか。

 どこまで続けられるのか。

 こちらには、まだ分かっていなかった。


 分からないことを、都合のいい推測で埋めるわけにはいかない。

 次は治らないかもしれない。

 もう一発なら、何とかなるかもしれない。

 そう願って撃つだけでは、また、同じ笑顔を見ることになりかねなかった。


「……おや?」


 ヘルカイザーが、小さく首を傾げる。


「どうしました、はちさん。もう終わりですか?」


 はちは、顔を上げた。


 終わり。

 その言葉を、ここで受け入れるつもりはない。


 いろは達も、戦っている。

 街で起きたことも、相手が口にした制圧の目的も、なくなってはいない。

 目の前の一人を止める必要があることは、先ほどまでと同じだった。


「……まだです」


 短く、答えた。


 左腕のSIAを確かめる。

 青白い魔力ディスクは、いまも展開されている。

 そばでは、セレスティアが次の指示を待っていた。


 まだ、戦える。

 はち自身も、白竜も、ここにいる。

 打てる手が、すべてなくなったわけではない。


 ただし、同じやり方の繰り返しでは駄目だ。

 防御を抜くだけで終わらないのなら、その先まで考える必要がある。


 はちは、ゆっくりと息を吐いた。

 乱れた気持ちを、呼吸と一緒に整えていく。


 驚いたままでは、次へ移れない。

 腹を立てたまま力任せに撃てば、相手が望むとおりになってしまうかもしれない。


 目の前で起きたことを、覚えておく。

 壁の穴。

 通った魔力弾。

 直撃したブレス。

 そして、一瞬で元に戻った身体。


 どれも、同じ相手が見せたものだ。


(……本当に、厄介な相手だな)


 はちは、紫色の瞳で、白い竜を見据えた。


 ヘルカイザーは、そんな様子を見て、楽しそうに笑っていた。


「ふふっ♪」


 その顔から、余裕の笑みが消えることはなかった。


――第56話・了――

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