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転生した主人公が次元神になる  作者: ヘルカイザー
第2部

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第53話 三人の成長



時系列:過去回想――ガルデローベ社で働き始めてから、さらに時間が過ぎた頃。


 朝は、それぞれの仕事。

 午後は、レティシアさんによる魔法の指導。

 そして、時間があるときには、ヘルカイザーさんとの模擬戦。


 ガルデローベ社で過ごす私達の生活には、少しずつ、そのような流れができていました。

 目覚めたばかりの頃には、知らないことばかりでした。

 研究所の設備も、新しく得た身体のことも、自分達を再生した方のことも。

 いまも、何もかも理解したわけではありません。

 ですが、一日を過ごす中に、自分がすることがあり、教わることがありました。


 働くと決めたからといって、それだけで、求める力が身に付くわけではありません。

 実際に学び、試し、自分に足りないものを知る。

 そういう時間を、私達は、少しずつ重ねていたのです。


 以前と同じではなくなったことがある。

 そう感じる瞬間も、増えていました。

 ただ、それが、何もかも都合よく進むという意味ではないことも、よく分かっていました。


 何しろ、相手は、あの方ですから。


「ほらほら♪」


 ヘルカイザーさんの声が、訓練所へ響きました。

 その小さな白い身体が、ひょい、と動きます。

 大きく飛び退いたわけではありません。

 攻撃の通る場所から、必要なだけ、身体を外した。

 そう見える動きでした。


「……くっ!」


 こちらの狙いは、空を切りました。

 私は、彼の位置を目で追います。

 そこにいる。

 見えているのです。

 ですが、見えていることと、当てられることは、やはり違いました。


「その程度では、自分には当たりませんよ♪」


 穏やかな声が、続きます。

 こちらが動き、攻撃を仕掛け、そのあとで聞こえてくる余裕のある言葉。

 初めて戦った日から、この方の厄介さは、少しも変わっていないようでした。


「くそっ! また、避けられた!」


 リュミナが、悔しそうに声を上げました。

 狙いを外された直後の彼女は、言葉にも、その気持ちが出ます。

 勢いよく踏み込んだ分だけ、手応えのない空間を前にした悔しさも、大きいのでしょう。


「まったく! ちょこまかと動きおって!」


 ヴェルシアも、苛立ちを隠してはいませんでした。

 堂々と力を示したい相手にとっては、なおさら、落ち着かない動きなのかもしれません。

 ですが、そう言いたくなる気持ちは、私にも分かります。


 ヘルカイザーさんは、小柄な身体を、よく使っていました。

 必要以上に動かず、こちらの攻撃をかわす。

 大きく移動してくれれば、次の位置も、もう少し読みやすいのでしょう。

 けれど、彼は、こちらの願うようには動きません。

 避けたあとにも、まだ、余裕が残っています。


 少し傾くだけで、当たらない。

 それは、こちらから見れば、ほんの少しの差です。

 あと、わずかに狙いが違えば。

 もう少し早ければ。

 そう考えたくなる距離でもありました。


 ですが、その、あと少しが、簡単には埋まりません。

 こちらが放つ場所を変えても、彼は、それを受け止めるような顔をせずに、また外してしまうのです。

 小さく見える回避が、実際には、こちらの動きを見切った結果なのだと分かるたびに、その差を思い知らされました。


 しかも、この方には、次元神の能力まであります。

 目で捉えている場所だけを考えればよい相手ではありません。

 どれほどの手段を残しているか、私達が、すべて知っているわけでもない。

 ただ正面から力を押し出しているだけでは、到底、勝てないでしょう。


 そう考えながら、私は、二人を見ました。


 リュミナは、悔しがっています。

 王も、苛立っています。

 ですが、そこで、各々が思うままに力を重ねればよいとは、もう、考えていませんでした。


 以前と、まったく同じではない。

 そのことを、私達は、ここで確かめる必要がありました。


 相手の強さは、変わっていない。

 いまも、容易には攻撃が届かない。

 それでも、だから自分達も何も変わっていない、と決めてしまうのは、早いのでしょう。

 同じように外された一撃の中にも、その前に何を見て、どう動いたかという違いはあります。


 正面の相手ばかりを見ていると、視野が狭くなります。

 いつ動くか、どこを狙うか。

 そのことへ集中するほど、隣にいる二人の動きを、すでに知っているつもりで扱ってしまう。

 ですが、二人は、私の都合に合わせて置かれたものではありません。

 それぞれが、彼へ挑もうとしています。


 その動きを、きちんと見る。

 自分が放つものと、どのようにつながるかを考える。

 三人でいるのですから、互いの存在を、ただ人数として数えていては、足りないのでしょう。

 私は、正面へ向けていた注意の一部を、二人にも向けました。


 もちろん、その分だけ、彼を見ることを疎かにしてよいわけではありません。

 こちらがよそへ目を向けている間にも、彼は動けます。

 見なければならないものが増えたからこそ、ひとつのことへ固まり過ぎないようにする。

 その感覚は、まだ、簡単にできるとは言えませんでした。

 ですが、意識しなければ、始まりもしないでしょう。


 私は、ヘルカイザーさんの動きを追いながら、リュミナの位置を確かめました。

 次に、王へ目を向けます。

 こちらが動くとき、二人は、どこにいるか。

 その二人が動けば、彼は、どこへ注意を向けるか。

 自分の攻撃だけを考えているときには、見ていなかったものがありました。


 力を集める前に、見なければならないことがある。

 それを、いまは、少し分かっているつもりでした。


「……リュミナ」


 私は、小さく声を掛けました。

 長く説明するための呼び掛けでは、ありませんでした。

 彼女がこちらへ注意を向けた、その間に、返事が来ます。


「分かってる!」


 すぐに、動きました。


 リュミナが、ヘルカイザーさんへ向かって距離を詰めます。

 速さを生かした、まっすぐな接近。

 その勢いは、変わっていません。

 彼女が持っているよさを、捨てたわけではないのです。


 ですが、私の見ているものは、以前とは違いました。

 彼女が当てられるかどうかだけを、見ているのではありません。

 彼が、どう避けるのか。

 そこから、次の動きへ、何がつながるのか。

 リュミナの接近を、私自身の準備の始まりとして見ていました。


「いっくよー!」


 彼女の声が、響きました。

 ヘルカイザーさんは、そちらへ注意を向けます。

 リュミナが迫る。

 その軌道から外れるように、彼の身体が、わずかに傾きました。


「おやおや♪」


 また、あの動きです。

 慌てた様子のない、小さな回避。

 リュミナの速さだけを見ていれば、それで、また同じ結果になったのかもしれません。

 ですが、その瞬間に、別の声がしました。


「今だ!」


 ヴェルシアでした。


 彼女が、別の方向から魔力を放ちました。

 リュミナの接近へ合わせた、次の攻撃。

 こちら側へ力を向けるのではなく、彼が対応した、その先へ向けられています。


「……ほう?」


 ヘルカイザーさんの視線が、そちらへ動きました。

 私は、その変化を見ていました。

 リュミナだけに向いていた注意が、王へ移る。

 避けたところで、すぐに次の攻撃がある。

 そこで、彼の動きが、さらに続いていく。


 ですが、本命は、まだ、そこではありません。


 私は、放ちたい気持ちを、一度、抑えました。

 いま、彼の注意が動いた。

 それなら、すぐ撃てばよい。

 そうしたくなるところですが、ただ急げば、王の一撃と同じところへ重なるだけになるかもしれません。

 私が受け持ちたいのは、その先です。


 先に動く二人を、追い越すために準備しているのではありません。

 空いた場所へ、自分の攻撃を置く。

 その違いを、意識しました。

 私が焦って放てば、せっかくつながりかけた動きが、また、それぞれの攻撃へ戻ってしまう。

 だから、二人が何を作ったかを、最後まで見なければなりませんでした。


 早い方がよい場面でも、ただ早ければよいとは限らない。

 速さを生かすリュミナがいるからこそ、私には、その速さに続く役目があるのでしょう。

 私は、彼が向けた視線と、身体の向きを、確かめていました。


 私の中では、すでに、魔力が収束していました。

 目の前の光景から離れないようにしながら、放つための準備を進めています。

 集めることへ集中し過ぎれば、二人の動きを見失う。

 逆に、動きだけを追っていれば、必要なときに、私の魔法が間に合わない。


 その両方を、保たなければなりませんでした。

 リュミナが動く前から、彼女の位置を見ていたのも、そのためです。

 王の魔力が放たれてから、ようやく準備を始めるのでは、遅い。

 次が来ることを考え、その中に、自分の一撃を置こうとしていました。


 自分の魔法が、十分に整った瞬間だけを選ぶのではありません。

 相手の注意が、二人へ向いたとき。

 その動きの先を狙えるとき。

 そこへ、準備を合わせる。

 言葉にすれば短くても、実際には、いくつものものを同時に見ている感覚でした。


 彼は、どちらへ動くのでしょう。

 リュミナをかわしたあと、王の攻撃へ、どう対応するのでしょう。

 私は、その先を読もうとしました。


 確かな未来が見えているわけではありません。

 必ずここへ来ると、知っているのでもありません。

 ただ、二人の動きと、彼が見せた反応から、次の場所を考える。

 その場所へ、私の一撃を届かせるのです。


 訓練で標的へ当てるときには、標的の位置が分かっていました。

 いまは、相手の動きを読み、まだ空いている場所へ、狙いを定めようとしています。

 その違いを感じながらも、収束させた魔力を乱さないようにしました。


 余分に力を足すことだけを考えては、いけない。

 いま、私が見るべきなのは、その一瞬です。

 力が整っていることと、放つ時機が合うこと。

 どちらか片方だけでは、つながらないのでしょう。


「……いきます」


 私は、静かに告げました。


 リュミナ。

 ヴェルシア。

 そして、私。


 三人の動きが、初めて、一つの流れとしてつながっていく。

 そう感じました。


 誰かの攻撃が終わるのを待ってから、自分の力を示すのではありません。

 先に動いた相手の作ったものを、次の者が受け取り、さらに、次へつなげる。

 リュミナの速さも、王の攻撃も、私にとって、ただ傍らで起きていることではありませんでした。

 その二つがあるから、いまの狙いができるのです。


 私は、彼が逃げる方向を読み、そこへ向かって、魔法を放ちました。


「……ブラストファイヤー!」


 砲撃が、一直線に走りました。


 訓練所の空気が、震えます。

 集めた力が、私の手を離れ、狙った先へ伸びていく。

 もう、放ったあとです。

 ここから、その軌道を見ながら、結果を待つしかありません。


 リュミナの動きが、そこへつながっている。

 王の一撃も、その間を作っている。

 その上へ重ねた、私の砲撃。


 届くでしょうか。


 私は、ヘルカイザーさんを見つめました。

 自分の放った魔法の光だけではなく、その向こうにいる、彼の姿を見失わないようにします。

 当たったと思い込みたい気持ちがないといえば、嘘になるでしょう。

 ですが、思い込んだところで、結果は変わりません。

 最後まで、確かめなければなりませんでした。


 黒い翼が、大きく羽ばたきました。


 バサッ、と音が響きます。

 彼の身体が動き、砲撃の進む先から外れました。

 私の放った力は、そのまま、彼を捉えることなく通り過ぎます。


 ……やはり。


 私は、小さく息を吐きました。

 届かなかった。

 狙いを読んで重ねても、かわされてしまいました。

 初めて一つにつながったと感じた動きにも、彼は、対応したのです。


 あの方へ、一撃を当てる。

 その目標から見れば、今回も、できなかったという結果でした。

 喜ぶには、早かったのでしょう。

 そう考えかけたとき、彼の表情が、少し変わりました。


「おや?」


 ヘルカイザーさんが、わずかに目を細めます。


「……ふむ」


 そのあと、満足そうに頷きました。

 私は、その仕草を見ていました。

 いつものように、届かないと告げられるのでしょうか。

 あるいは、狙いの足りなかったところを指摘されるのでしょうか。

 こちらへ向けられた声は、そのどちらとも、少し違いました。


「今のは、なかなか良かったですねぇ♪」


「……え?」


 私は、思わず聞き返しました。

 褒められるとは、考えていなかったのです。


 攻撃は、外れました。

 彼は、無事にかわした。

 その直後に、良かったと言われる。

 自分が受け取ろうとしていた結果と違う返事が来たので、一瞬、意味をつかみ損ねてしまいました。


 彼は、私達三人を見渡しました。


「以前よりも、連携が良くなっていますよ♪」


 連携。


 褒められたのは、私一人ではありませんでした。

 彼の目は、三人を見ていました。

 いま放った砲撃だけを、よいと言ったのでもない。

 その前から続いていた動き全体へ、言葉を向けていたのでしょう。


 私は、そのことに、少し安心しました。

 自分だけが、一つにつながったと感じているのではなかった。

 放つまでの短い間に、二人の動きが、自分の狙いへ続いているように感じました。

 その感覚を、すぐに説明する言葉は、見つからなかったのです。

 ですが、連携、と言われると、今の一度を、もう一度、たどることができました。


 避けられたという結果の中へ、埋もれかけていたものがある。

 それを、彼の一言に、拾い上げられたようにも感じられました。

 できていないことだけを見るのでも、できた気になるだけでもない。

 どこが変わったかを知ることで、次に何をつなげるかも、考えられるのですね。


 その言葉を聞いて、私は、いまの動きを思い返しました。

 自分の一発だけでなく、その前にあった、二人の動きも。

 短く声を掛けたとき、リュミナは、分かっていると返しました。

 そして、彼女が接近すると、王が、その先へ攻撃を重ねた。

 私は、二人が動いている間に準備をし、相手の動きを読んで放ったのです。


 それぞれが、同じ相手へ向かっている。

 ただ、それだけならば、以前も、そうでした。

 ですが、いまは、隣の者の動きを、自分の動きの中へ含めていました。

 自分の番を待っていたのではない。

 同じ流れの、次を受け持とうとしていたのです。


 以前の私達は、自分の力へ、もっと強く頼っていたのでしょう。

 相手を倒すため。

 自分の力を証明するため。

 そのことを考えるとき、自分が何を放てるかへ、意識が向いていました。


 もちろん、いまも、それが要らなくなったわけではありません。

 リュミナの速さがある。

 王の攻撃がある。

 私が、収束させた魔力を放てる。

 その一つ一つがなければ、今の動きも、成り立ちませんでした。


 ですが、それぞれが持っているものを、どう合わせるか。

 そこへ、考えが向くようになったのです。


 誰か一人が、全員分の力を持つのではありません。

 私がリュミナの速さを、そのまま得たわけでもない。

 王の魔法を、自分のものとして放ったわけでもありません。

 それでも、二人の動きがあったから、私の狙いは作られた。

 そのことを、いまの一度の攻撃で、確かめられたように感じました。


 なるほど。

 これも、強さなのですね。


 攻撃を当てられなかったから、何もできていない。

 そう決めてしまいそうになっていました。

 ですが、彼は、私達が、以前とどう違うかを見ていたのでしょう。

 当たったかどうかだけではなく、その前に、何をしていたかを。


 レティシアさんの指導でも、似たようなことがありました。

 標的へ当たった一発へ、無駄を減らせると指摘された。

 成功したと思っていても、見直すところがあったのです。

 今度は、その逆でした。

 当たらなかった一撃の中にも、変わったところがある。

 結果の一つだけでは、自分が見落とすものがあるのですね。


 私は、少しだけ、肩の力を抜きました。

 相手へ届かなかった悔しさは、あります。

 それでも、その手前で、私達にできたこともある。

 両方を、そのまま受け取ればよいのでしょう。

 どちらか一つを、なかったことにする必要は、ありませんでした。


「……ふふっ」


 小さく、笑みが漏れました。

 勝ったわけではありません。

 ですが、少し嬉しかったのです。

 自分達が重ねてきた時間が、いまの動きに表れていた。

 そして、それを、相手にも認めてもらえた。

 そのことは、次へ向かうために、十分な意味を持っていました。


「やったー!」


 リュミナが、嬉しそうに跳び上がりました。


「ヘルカイザーに、褒められた!」


 こちらは、私よりずっと分かりやすい喜び方でした。

 先ほどまで、また避けられたと悔しがっていた声が、今度は、明るく弾んでいます。

 その変わり方に、私は、少し微笑ましくなりました。


 彼女にとっても、嬉しいことだったのでしょう。

 何度も、あと少しで届かない相手です。

 そこから、良くなっていると言われた。

 その言葉を、すぐに喜べるのも、彼女らしいところでした。


「ふふん!」


 王も、得意げに胸を張りました。


「当然だ! 我らの力を、見くびるでないぞ!」


 いつもの、堂々とした声です。

 ですが、その言葉の中には、我ら、とありました。

 自分一人の力を、示したときの言い方ではありません。

 私は、その短い言葉へ、少しだけ目を留めました。


 同じ相手を倒したい。

 その気持ちは、三人にありました。

 そこから、一緒に動くことへつながってきた。

 彼の言葉を受けた王の胸の張り方も、いまは、そのことへの喜びに見えました。


 ヘルカイザーさんは、楽しそうに笑いました。


「おやおや♪」


 喜ぶ二人を見ている、小さな白い顔。

 その余裕は、相変わらずです。

 私達が成長したと認めたからといって、急に、追い詰められた様子を見せるわけではありませんでした。

 それも、分かっていました。

 あの方との距離を、少し測り直せたのであって、いま越えたわけではないのです。


 ですが、次に告げられた言葉には、やはり、驚いてしまいました。


「では、次は、もう少し難しくしましょうか♪」


「……え?」


 私は、思わず目を見開きました。


 もう少し、難しく。

 いまでも、攻撃を当てられてはいません。

 三人の動きがつながったと感じ、ようやく、その点を認めてもらったところです。

 そこから、さらに、難しくするのですか。


 褒められた言葉を受け取って、少し、落ち着こうとしていたところでした。

 ですが、どうやら、この方にとっては、よくなったことを確かめれば、その次へ進めるのでしょう。

 できたことを認める。

 そのうえで、もっと難しいことを求める。

 その二つが、少しも矛盾せずに並んでいるようでした。


 私は、彼の表情を見ました。

 冗談でおっしゃっているようには、見えません。

 いつもの笑顔です。

 そして、模擬戦の続きをするつもりでいるのでしょう。


 次には、何をするのか。

 どのくらい難しくなるのか。

 考えたいことは、いくつもありました。

 ですが、二人の返事の方が早かったのです。


「よーし! やってやる!」


 リュミナが、やる気をみなぎらせて構えました。

 つい先ほど、跳び上がって喜んでいたと思えば、もう、次の攻撃へ気持ちを向けています。

 難しくなるという言葉を、ためらう理由には、しなかったのでしょう。


「望むところだ!」


 ヴェルシアも、負けじと声を上げました。

 得意げにしていたところから、そのまま、挑戦を引き受ける姿勢へ変わっています。

 褒められた直後だからこそ、さらに示したくなったのかもしれません。

 そのような勢いは、二人とも、相変わらずでした。


 私は、二人を見ました。


 まったく。

 本当に、元気な二人ですね。


 そう思う一方で、その返事を聞いていると、こちらも、ためらってばかりはいられなくなります。

 二人が動けば、私にも、受け持つところがある。

 いま、ようやく感じたばかりの流れを、私のところで止めたくはありませんでした。


 もちろん、勢いだけで何とかなるとは、思っていません。

 難しくなるのであれば、なおさら、見なければならないことがあるのでしょう。

 リュミナが、どう動くか。

 王が、どこへ合わせるか。

 そして、彼が、それへどう応じるか。

 自分の魔法を整えながら、そこを見続けなければなりません。


 ですが、そのことを考える気持ちは、初めてここへ来たときとは、違っていました。

 強さを確かめるためだけではありません。

 いまの自分達に、何ができるのかを試したい。

 その先で、どこまでできるようになれるのかを、知りたい。

 そういう思いが、ありました。


 避けられた一撃を、悔しがるだけで終わらせない。

 認められた連携に、満足して止まらない。

 次には、もう少し、届くようにする。

 求める力が遠くても、いまの動きを見直すことは、できるのでしょう。


 私は、もう一度、ヘルカイザーさんへ向き直りました。


「……分かりました」


 静かに、魔力を集中させます。

 先ほどと同じように、集める力へ注意を向けながら、二人の位置も意識しました。

 自分一人で完結する準備ではありません。

 次の動きへ、つなぐための準備です。


「次こそ、当ててみせます」


 声にすると、その願いが、少し、はっきりしました。

 当てたいのは、以前から同じです。

 ですが、いまは、私の力だけを見てほしいのではありませんでした。

 リュミナが動き、王が合わせ、私が、その先を狙う。

 その流れの先で、彼へ届かせたいのです。


 ヘルカイザーさんは、にっこりと微笑みました。


「ふふっ♪ その意気ですよ」


 返ってきた声は、やはり、余裕のあるものでした。

 それでも、先ほどまでと、同じように聞こえたわけではありません。

 届かないと告げられるだけの時間から、少し進んだことを、私自身が感じていたからでしょう。


 私達は、まだ、彼へ勝てません。

 攻撃を当てることさえ、簡単ではありませんでした。

 ですが、最初に戦った日と同じ場所へ、何も変わらず立っているのでもありません。


 仕事をし、学び、試す。

 そうして過ごした時間の中で、自分達の動きが変わっていく。

 それぞれが持つ力を頼るところから、その力を合わせるところへ。

 いま、私達は、その変化の途中にいたのです。


 決して砕け得ぬ力。

 その答えを、一度の訓練で見つけたわけではありません。

 けれど、三人でつないだ一つの流れが、強さの一つになり得ることは、知りました。

 それは、ここで過ごす前の私には、まだ、分かっていなかったものでした。


 私は、二人の気配を確かめながら、正面の相手を見据えました。

 次の一撃へ向けて、意識を整えます。

 何が難しくなるのかは、これから分かるでしょう。

 その前に、いまの自分にできる準備を、済ませておくのです。


 こうして、私達は、少しずつ、成長していきました。


――第53話・了――



『転生した主人公が次元神になる』

第2部・ヘルカイザー襲来編


第54話 小さな幸せ


時系列:過去回想――ガルデローベ社での新生活。ある日の夕方、仕事と訓練を終えたあと。


 休憩室へ向かいながら、私は、その日の訓練を思い返していました。


 レティシアさんからは、新しい魔力制御の方法を教えていただきました。

 知っているつもりの魔法にも、まだ、自分が意識していなかった部分があります。

 説明を受け、確かめ、扱ってみる。

 その中で得た感覚を忘れないよう、歩きながら、もう一度、たどっていました。


 少々、疲れましたね。


 仕事も、訓練も終えた身体には、その日の分の重さが残っています。

 けれど、ただ消耗しただけの一日ではありませんでした。

 できなかったことや、教えられたことを思い返すと、その疲れにも、過ごしてきた時間があるように感じられたのです。


 リュミナは、相変わらず元気でした。

 悔しがるときも、喜ぶときも、その気持ちが、声へよく表れます。

 王も、少しずつ、連携を意識して戦うようになっています。

 三人で同じ相手へ向かうとき、二人の動きを考えることが、以前より自然になりました。


 そして、ヘルカイザーさんは。


 ……まあ、相変わらずですね。


 私達の変化を認めたあとで、さらに難しくしようと、にこやかにおっしゃる方です。

 いまでも、簡単に攻撃を当てられる相手ではありません。

 ですが、あの方の声へ、ただ圧倒されるばかりの時間でもなくなってきました。

 届かなかった理由を考えることも、次へ何をつなぐかを考えることも、少しずつ、私達の中に増えています。


 充実した一日でした。

 そう思いながら、私は、休憩室の扉を開きました。


「……おや?」


 中へ目を向けたところで、思わず、声が漏れました。


 ソファに、ヘルカイザーさんが座っていました。

 そして、その隣に、ミリアさんがいます。

 いえ、ただ並んで座っているのではありませんでした。

 彼女は、彼へ寄り掛かっていたのです。


 すぅ、と、静かな寝息が聞こえました。


 眠っていらっしゃるのですね。

 それが分かると、自然に、こちらの動きも小さくなりました。

 扉を開ける前には、誰かが眠っているとは思っていませんでしたから。

 私は、部屋の様子を確かめながら、声を落としました。


「……ヘルカイザーさん?」


 彼が、こちらへ視線を向けました。

 小さな白い身体は、動かないままでした。

 黒い翼も、背中へ静かに畳まれています。


「……おや、セリシアさん」


 返ってきた声も、いつもより小さなものでした。


「お仕事は、終わりましたか?」


「はい。先ほど、終わりました」


 私は、静かに頷きました。

 訓練所で交わす声とは違う、短いやり取りです。

 すぐ隣で聞こえる寝息を乱さないように、こちらも言葉を選ぶより先に、音を控えていました。


「それは、お疲れ様でした♪」


 ヘルカイザーさんが、小さく微笑みました。

 そのあと、隣で眠るミリアさんへ、目を向けます。


「どうやら、少々、遊び疲れてしまったようですねぇ」


「……そのようですね」


 私も、彼女を見つめました。

 穏やかな寝顔でした。

 何かを心配しているような、険しいところはありません。

 ヘルカイザーさんへ、ためらいなく身体を預けています。

 眠っているのですから、相手の動きを見て、どう対応するかを考えているわけでもないのでしょう。


 彼は、その隣で、静かに座っています。

 寄り掛かられた身体を動かさず、起こさないように声を落として、私へ返事をしている。

 何か大きなことが起きているわけではありませんでした。

 それでも、私は、その光景から、すぐに目を離せませんでした。


 中庭で遊ぶ二人を見たことはあります。

 追い掛ける声と、楽しそうな笑い声。

 その明るさを、私は、すでに知っていました。

 ですが、遊んだあとには、こういう時間もあるのですね。

 疲れて、眠る。

 そのそばで、相手は、動かずにいる。


 私は、ミリアさんの寝息へ耳を傾けました。

 小さく、規則的な音です。

 大きな笑い声がなくても、ここで穏やかに過ごしていることは、伝わってきました。


 不思議ですね。

 そう、感じました。


 かつて、私達が求めていたものは、破壊と混沌に満ちた闇でした。

 そこへ帰ることが、魂の渇きを潤すと考えていたのです。

 なぜ求めるのかを、一つずつ問い直すこともなく、それが自分達の進む先なのだと信じていました。


 そして、この方に、本当の闇を見せられました。

 何も、見えない。

 周囲の音も、自分の身体の感覚も、確かめられない。

 その中で、絶望や恨みだけが、絶えず、内側へ流れ込んでくる。


 あそこに、安らぎはありませんでした。

 あの時間を思い出せば、いまでも、そう思います。

 私は耐えられず、助けを求めました。

 戻った訓練所で二人の顔を見られたときのことも、覚えています。


 ですが、いま、目の前にあるものは、どうでしょう。


 静かな休憩室。

 ソファで眠る、ミリアさん。

 その隣にいる、ヘルカイザーさん。


 聞こえるのは、穏やかな寝息と、小さく抑えた会話です。

 何も見えないわけではありません。

 誰かの苦しみだけが押し寄せてくるのでもない。

 窓から差す光の中に、二人の姿が、確かに見えていました。


 同じ方が、そこにいます。

 闇を見せた方が、眠る相手を起こさないよう、座っています。

 そのことを、私は、何度か、頭の中で確かめていました。


 何をもって安らかだと言うのか。

 言葉だけを考えていたときには、分からなかったことが、あるのでしょう。

 少なくとも、いま、この部屋へ入ってきた私は、ここから離れたいとは思いませんでした。

 小さな寝息が続く、そのそばで、もう少し、過ごしていたかったのです。


 目の前の穏やかさを見ているうちに、もう一つ、聞きたいことが浮かびました。

 再生されたばかりの頃にも、尋ねたことはあります。

 ですが、ここで過ごす時間が増えるにつれ、その問いの中身も、少し変わっていました。


「……ヘルカイザーさん」


「……はい?」


「一つ、よろしいでしょうか?」


「もちろんですよ♪」


 彼は、静かな声で答えました。

 私は、言葉を選びました。

 ミリアさんを起こさないようにというだけでは、ありません。

 自分が何を聞きたいのか、きちんと伝えたかったのです。


「なぜ……私達に、ここまでしてくださるのですか?」


 彼が、少しだけ首を傾げました。


「……と、言いますと?」


 私は、顔を上げ、説明を続けました。


「私達は、もともと、闇の欠片でした。あの戦いで、消滅したはずの存在です」


 彼が知らないことを伝えているのではありません。

 私達自身よりも、彼の方が、消えたあとの経緯を知っていました。

 それでも、そこから話さなければ、いまの問いを、うまく形にできない気がしました。


「あなたは、私達へ、新しい身体を与えてくださいました」


 私は、自分の手へ、少しだけ目を落としました。

 光となって消えたはずの身体で、いま、ここにいます。

 仕事をし、魔法を扱い、歩いて休憩室へ来た。

 それができること自体、彼が与えた仕組みから始まっているのです。


「仕事を与え、魔法を学ぶ機会まで、用意してくださいました」


 身体を得ただけで、話は終わっていませんでした。

 働く場所があり、教えてくださる方がいる。

 自分達を試す相手もいます。

 どう強くなるかを知らなかった私に、考え、学び、動ける時間が、与えられていました。


 私は、彼へ視線を戻しました。


「……なぜですか?」


 ヘルカイザーさんは、少しだけ考える仕草をしました。

 私は、返事を待ちます。

 知っている言葉が返ってくるかもしれません。

 まだ聞いていない理由があるのかもしれない。

 どちらだと決め付けず、彼が口を開くのを待ちました。


「以前も、言ったでしょう?」


 穏やかな声でした。


「あなた達の願いを、叶えただけですよ♪」


 願い。


 その言葉を聞き、私は、カプセルの中での会話を思い出しました。

 身体が欲しい。

 もう一度、あの白い魔導師と戦いたい。

 彼は、私達が、そう願っていたのだと教えてくれたのです。


 確かに、それは、私の願いでした。

 消える前、あの少女へ向かって、伝えた言葉があります。

 次にまみえることがあれば、砕け得ぬ力を手にして、あなたと戦いたい。

 次があるかさえ分からないまま、そう言いました。


 その続きを考えられる身体を、彼は与えました。

 だから、願いを叶えただけだという返事には、筋が通っています。

 何も違わないのかもしれません。

 それでも、いま尋ねた私には、もう少し、知りたくなるところがありました。


「……それだけ、なのですか?」


 思わず、問い返していました。


 自分の聞きたいことを、まだ、言い切れていないのでしょうか。

 身体を作り、働くよう勧め、教わる場を用意する。

 その一つ一つを、ここで実際に過ごして知ったからこそ、簡単な一言では、受け取り切れないように感じていたのです。


 彼は、にっこりと微笑みました。


「ふふっ♪ 強くなりたいのでしょう?」


「……はい」


 そこへは、迷わず答えられました。

 強くなりたい。

 その気持ちは、変わっていません。

 白い魔導師へ、もう一度、向き合いたい。

 いま得た身体で、今度こそ、届くものを手にしたい。


「なら、頑張ればよいだけですよ♪」


 返事は、やはり、簡潔でした。

 何か隠れていた答えを、詳しく聞かされたわけではありません。

 けれど、こちらへ向けられた言葉を聞いていると、いま自分にできることまで、分からなくなる必要はないのだと思えました。


 願いがある。

 学ぶ機会も、あります。

 それなら、取り組む。

 答えのすべてを先に知らなくても、今日の訓練で、直せたことはありました。

 仲間と動き、以前よりつながるものができたことも、確かです。


 私は、小さく頷きかけました。

 その前に、ヘルカイザーさんが、付け加えます。


「ただし、仕事は、ちゃんとしていただきますがねぇ♪」


「……ふふっ」


 思わず、笑ってしまいました。

 声が大きくならないように気を付けながら、それでも、口元は緩んでいます。


 なるほど。

 そういう方でしたね。


 強くなるために頑張る。

 ただし、仕事も、きちんとする。

 こちらの願いについて話していたところへ、働く側としての務めが、しっかり戻ってきました。

 その言い方が、何とも、この方らしく聞こえたのです。


 魔法を学ぶことばかりに気を取られ、引き受けた仕事を疎かにしてよいわけではありません。

 私も、そのつもりはありませんでした。

 だから、そこへ、きちんと返事をします。


「承知しました。これからも、精一杯、努めさせていただきます」


「それは、頼もしいですねぇ♪」


 彼が、微笑みました。

 私は、その返事を聞きながら、今日の仕事を思い返していました。

 終えたことがあり、教わったことがある。

 次に向けて、頑張ろうと思えることもある。

 目覚めたばかりの頃には、そんなふうに一日を振り返る自分がいるとは、考えていませんでした。


「……ん……」


 小さな声がしました。

 ミリアさんが、わずかに身じろぎをしたのです。

 私は、そちらを見ました。

 起こしてしまったのでしょうか。

 声を抑えていたつもりでも、会話が長くなったからかもしれません。


「ヘル……」


 ヘルカイザーさんも、彼女へ顔を向けました。


「……おや? どうしました?」


「……まだ……遊ぼ……」


 瞼は、閉じられたままでした。

 どうやら、寝言のようですね。


 私は、そっと、口元を緩めました。

 遊び疲れて眠っても、まだ、遊びたいのでしょうか。

 何を夢に見ているのかは、分かりません。

 ですが、いま眠りながら呼んだ名前と、そのあとの言葉が、この日の楽しさを、そのまま残しているように聞こえました。


 ヘルカイザーさんも、小さく笑いました。


「ふふっ♪ ええ。また、遊びましょうね♪」


 起こさないように、静かな声でした。

 返事を聞き取ったかどうかは、分かりません。

 ミリアさんは、また、すぅ、と寝息を立て、そのまま眠り続けました。


 それだけのやり取りです。

 大きく呼び掛けることも、返事を確かめることも、ありませんでした。

 ですが、私は、その短い会話を、しばらく覚えていたいと思いました。

 夢の中の誘いへ、また遊ぼうと答える。

 そういう返事の仕方も、あるのですね。


 ミリアさんは、幸せそうでした。

 そう感じることに、難しい説明は要りませんでした。

 寝顔と、寝息と、小さな寝言。

 そのどれもが、見ているこちらの気持ちまで、静かにしてくれるようでした。


     ◇ ◇ ◇


 そのあと、休憩室の扉が開きました。


「セリシアー!」


「……はい?」


 リュミナが、顔を覗かせます。

 声は、いつもの明るさでした。

 仕事と訓練を終えた私が、少し疲れたと思っていた同じ夕方です。

 彼女には、まだ、あれだけの元気が残っているようでした。


「何してるのー?」


 その後ろから、ヴェルシアも姿を現しました。


「まったく。探したぞ、セリシア」


「……すみません」


 私は、小さく頭を下げました。

 探していたのですね。

 部屋へ来て、会話をしているうちに、思っていたより時間が過ぎたのかもしれません。

 私は、二人へ目を向けてから、ソファの方を確かめました。


 先に、リュミナの視線が、そちらへ動きます。


「あっ! ミリア、寝てる!」


 見たことが、そのまま声になっていました。

 驚いたのは、分かります。

 私も、部屋へ入ったとき、思わず声を出しましたから。

 ですが、寝ていると分かったのでしたら、声の方も、少し、合わせていただきたいところです。


「……静かにしてください、リュミナ」


「……あっ」


 彼女が、慌てて口元を押さえました。

 自分の声の大きさへ、ようやく気付いたのでしょう。

 大きくなりかけた言葉を、自分の手で止めるような仕草でした。


 その様子が、何とも可愛らしく、私は、思わず笑ってしまいました。

 もちろん、こちらも、声を抑えます。

 静かにしてほしいと伝えた私が、笑って起こしてしまっては、仕方がありませんから。


 リュミナの明るさは、いつもと同じです。

 ですが、眠っている相手に気付けば、慌てて口を押さえる。

 その小さな変化を見ていると、この部屋に合わせて、彼女も、声を小さくしてくれるのだと思いました。


「何を、集まっているの?」


 今度は、レティシアさんでした。

 彼女も、休憩室へやって来たのです。


 私は、そちらへ目を向けました。

 いつの間にか、ここへ、人が集まっていました。

 最初に入ってきたときには、ソファの二人だけだった部屋です。

 そこへ、私が来て、リュミナと王が来て、今度はレティシアさんが来た。

 誰かが眠っているというだけの光景を、いまは、みんなで見ています。


 レティシアさんの目が、ソファへ向きました。

 眠るミリアさんを見て、小さく、目を細めます。


「……あら」


「ふふっ♪ 少々、遊び疲れてしまったようですねぇ」


 ヘルカイザーさんが、微笑みました。

 私へ教えてくださったときと同じように、穏やかな声です。


「……そう」


 レティシアさんが、そばへ近付きました。

 そして、眠るミリアさんの顔を覗き込みます。

 その表情には、魔法の指導をするときの厳しさも、実験について注意するときの険しさも、ありませんでした。


「……本当に、よく遊んだのね」


 優しい声でした。

 私は、少し離れたところから、その横顔を見ていました。

 いつも、私達の魔法をよく見て、直すところを教えてくださる方です。

 ですが、いまは、教えるために見ているのではないのでしょう。

 眠る相手の様子を確かめ、微笑んでいる。

 そこにあるものは、声の違いだけでも伝わってきました。


「……お母さん……」


 ミリアさんが、小さく呟きました。

 眠ったままでした。

 瞼を開き、目の前にいる方を確かめたわけではありません。

 それでも、その声は、そばへ来たレティシアさんへ届きました。


「……大好き……」


 レティシアさんの動きが、一瞬、止まりました。

 私は、その短い間を、見ていました。

 返事を考え込んでいるようには、見えません。

 不意に届いた言葉を、そのまま、受け止めているようでした。


 そして、彼女は、静かに微笑みました。


「……ええ。私もよ、ミリア」


 小さな声でした。

 眠っている相手へ、無理に届かせようと声を大きくすることもありません。

 聞こえたかどうかを、確かめることもない。

 ただ、私もよ、と返したのです。


 私は、その光景を見つめていました。

 リュミナも、王も、この部屋にいます。

 ヘルカイザーさんは、変わらずソファに座っています。

 その隣で、ミリアさんが眠り、レティシアさんが、優しく答えた。


 何かを勝ち取った場面では、ありませんでした。

 力を示したわけでも、大きな願いを告げたわけでもない。

 それなのに、胸の中へ、静かに届くものがありました。


 ……ああ。

 そうか。


 私達は、今まで、知りませんでした。


 誰かと、一緒に仕事をすること。

 自分が引き受けたことを終えて、そのあとに、誰かと顔を合わせること。

 何かを教わり、できていないところを知り、試してみること。

 仲間と訓練し、うまくつながった動きを、三人で喜ぶこと。


 叱られたり、褒められたりすること。

 思いどおりにならずに悔しがり、その様子を見た誰かへ、つい笑ってしまうこと。

 そして、こちらも、笑うなと注意されること。


 その一つ一つを、ここへ来てから、私達は経験していました。

 特別な出来事として、覚えようとしたものばかりではありません。

 ある日の朝や、午後の訓練の中で、起きたことです。

 そのときには、そのときのこととして受け止めていました。


 ですが、いま、静かな部屋で、みんなの顔を見ていると、それらが、一緒につながって感じられました。

 働き、学び、訓練をする。

 ときには、遊ぶ。

 そうして過ごした一日の終わりに、また、顔を合わせているのです。


 誰かと、穏やかな時間を過ごす。

 それだけのことが、これほど、心を満たしてくれるものだったのですね。


 魂の渇きを潤したいと、私は、求めていました。

 何をどれだけ得ればよいのかも、十分に分からないまま。

 ですが、いま、この部屋で感じているものは、何かを喰らって得たものではありません。

 目の前にいる方々と、同じ時間を過ごしている。

 そのことから、生まれているのでした。


 すべての問いに、答えが出たわけではありません。

 私が何者かという話も、力を求める理由も、簡単に消えてなくなるものではないでしょう。

 けれど、それらの答えが全部そろわなければ、こういう時間を持てないわけではありませんでした。

 いま、ここにいる。

 そのことだけでも、分かるものがあったのです。


「……ふふっ」


 気付けば、微笑んでいました。


「……どうしたの、セリシア?」


 リュミナが、不思議そうに首を傾げました。

 私が何を考えていたかは、分からなかったのでしょう。

 目の前の光景は、彼女にも同じように見えているはずです。

 ですが、私の中で、いま何がつながったかまでは、言葉にしなければ伝わりません。


「いえ……何でもありません」


 私は、静かに首を横へ振りました。

 うまく説明できないだけ、というのも、少し違いました。

 ただ、いまは、この時間を、長い説明へ変えたくなかったのです。


 リュミナは、まだ、不思議そうな顔をしていました。

 それでも、私は、それ以上、言葉を重ねませんでした。

 笑っている理由を、すべて伝えなくても、一緒に、ここにいられる。

 そのことも、いまは、ありがたく感じられました。


     ◇ ◇ ◇


 かつて、私は、白い魔導師へ言いました。


 決して砕け得ぬ力を、この手にして、あなたと戦いたい。


 あの願いは、今も、変わっていません。

 もう一度、向き合いたいのです。

 敗れたときの自分とは違う力で、あの方と戦いたい。

 そのために、私は、いまも学んでいます。


 ですが、ここで過ごすうちに、私の中には、それだけではないものも増えていました。


 リュミナがいます。

 王がいます。

 レティシアさんがいて、ミリアさんがいる。

 そして、私達へ、新しい身体と、ここで過ごす時間を与えてくださったヘルカイザーさんがいます。


 再戦への願いと、ここで感じているものを、どちらか一方だけにする必要はないのでしょう。

 強くなりたいという気持ちは、確かにあります。

 同じように、いま見ている顔や、聞いている声を、失いたくないとも思っています。


 この日常が、いつまで続くのかは分かりません。

 先のことを、すべて知っているわけではありませんから。

 ですが、少なくとも、いまの私には、ここで過ごす時間を大切にしたいという気持ちがありました。


 それは、消える前には、知らなかった願いです。


 あのときの私は、彼女へ言葉を残し、光となって消えていきました。

 次があるとは、分かっていませんでした。

 それなのに、もう一度戦いたいと願った。

 その願いから、いま、こんな場所へつながっています。


 再び身体を得た。

 それだけでも、信じ難いことでした。

 ですが、身体を得たあとに、どのような時間を過ごすのか。

 そこに、いまの私を作っているものがあるのでしょう。


 いつか、あの白い魔導師と、また、まみえる日が来たなら。

 私は、胸を張って伝えたいと思いました。


 あの戦いのあとも、私は、生きていたのだと。

 仲間と過ごし、教わり、試しながら、成長してきたのだと。

 そして、今度こそ、あなたと対等に戦える力を、この手にしたのだと。


 その日が来れば、いま願っているとおりの言葉を伝えられるでしょうか。

 まだ、分かりません。

 対等に戦えるかどうかも、いま、決められることではない。

 だからこそ、これからも、学び、努めたいと思いました。


 ただ、以前と同じように、力だけを求めているつもりではありませんでした。

 強くなるまでの間にも、一日があります。

 その日に出会う声があり、顔がある。

 気付けば、思い返すと笑ってしまう出来事も増えている。

 それらを失わずに、私は、もう一度、あの方へ向き合いたいのです。


 ……ふふっ。

 楽しみですね。

 その日が、訪れるのが。


 私は、窓の外へ視線を向けました。

 穏やかな夕暮れの光が、差し込んでいます。

 部屋の中では、ミリアさんが眠っていました。

 そばには、みんながいます。


 少々、疲れたと思いながら来た休憩室で、私は、今日の終わりへ、新しく、覚えておきたいものを得ていました。

 何か大きなものを成し遂げたという話ではありません。

 静かな寝息を聞き、短い会話をし、仲間が集まってきた。

 ただ、それだけの時間です。


 けれど、私は、それを、失いたくないと思っていました。


 ……今日も。

 良い一日でした。


――第54話・了――



『転生した主人公が次元神になる』

第2部・ヘルカイザー襲来編


第55話 再び交わる運命


時系列:現在――アルカディアでの対峙。セリシアが、自分達の再生と研究所での日々を語り終えた直後。


「……これが、私達が、再び生まれた理由です」


 セリシアは、静かに、そう告げた。


 私は、すぐには返事ができなかった。

 風が髪を揺らして、ようやく、いま、自分がどこにいるのかを、あらためて感じる。

 アルカディアの空。

 目の前には、セリシアがいる。

 隣にはレイがいて、その向こうには、リュミナの姿があった。


 長い話だった。

 聞き始めたとき、私が知りたかったのは、消滅したはずの彼女達が、どうして存在しているのかということだった。

 あの戦いで闇の欠片は消えたはず。

 それなのに、目の前には、成長した二人がいる。

 その理由が、知りたかった。


 答えは、私が想像していたより、ずっと長い時間につながっていた。


 消えたあとの残滓が、ヘルカイザーさんへ吸収されたこと。

 記憶に相当する情報が残っていて、それを修復し、新しい身体が与えられたこと。

 かつてとは違う仕組みで、彼女達が、もう一度、動けるようになったこと。


 それだけでも、簡単には信じられない話だった。

 だけど、彼女の話は、そこで終わらなかった。


 ガルデローベ社で、働くことになった。

 レティシアさんに魔法を教わり、ヘルカイザーさんと模擬戦をして、三人で、少しずつ連携を覚えた。

 荷物を運んで騒ぎになった朝も、魔力の加減を叱られた午後もあった。


 そして、ミリアちゃんと、一緒に遊んだ。

 休憩室へ集まって、眠っている彼女を起こさないよう、声を小さくした。

 そういう、何でもない日々を、過ごしていた。


 私は、セリシアを見つめた。

 いまここにいる理由として聞き始めた話の中に、仕事や訓練だけじゃなく、そん

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