第53話 三人の成長
時系列:過去回想――ガルデローベ社で働き始めてから、さらに時間が過ぎた頃。
朝は、それぞれの仕事。
午後は、レティシアさんによる魔法の指導。
そして、時間があるときには、ヘルカイザーさんとの模擬戦。
ガルデローベ社で過ごす私達の生活には、少しずつ、そのような流れができていました。
目覚めたばかりの頃には、知らないことばかりでした。
研究所の設備も、新しく得た身体のことも、自分達を再生した方のことも。
いまも、何もかも理解したわけではありません。
ですが、一日を過ごす中に、自分がすることがあり、教わることがありました。
働くと決めたからといって、それだけで、求める力が身に付くわけではありません。
実際に学び、試し、自分に足りないものを知る。
そういう時間を、私達は、少しずつ重ねていたのです。
以前と同じではなくなったことがある。
そう感じる瞬間も、増えていました。
ただ、それが、何もかも都合よく進むという意味ではないことも、よく分かっていました。
何しろ、相手は、あの方ですから。
「ほらほら♪」
ヘルカイザーさんの声が、訓練所へ響きました。
その小さな白い身体が、ひょい、と動きます。
大きく飛び退いたわけではありません。
攻撃の通る場所から、必要なだけ、身体を外した。
そう見える動きでした。
「……くっ!」
こちらの狙いは、空を切りました。
私は、彼の位置を目で追います。
そこにいる。
見えているのです。
ですが、見えていることと、当てられることは、やはり違いました。
「その程度では、自分には当たりませんよ♪」
穏やかな声が、続きます。
こちらが動き、攻撃を仕掛け、そのあとで聞こえてくる余裕のある言葉。
初めて戦った日から、この方の厄介さは、少しも変わっていないようでした。
「くそっ! また、避けられた!」
リュミナが、悔しそうに声を上げました。
狙いを外された直後の彼女は、言葉にも、その気持ちが出ます。
勢いよく踏み込んだ分だけ、手応えのない空間を前にした悔しさも、大きいのでしょう。
「まったく! ちょこまかと動きおって!」
ヴェルシアも、苛立ちを隠してはいませんでした。
堂々と力を示したい相手にとっては、なおさら、落ち着かない動きなのかもしれません。
ですが、そう言いたくなる気持ちは、私にも分かります。
ヘルカイザーさんは、小柄な身体を、よく使っていました。
必要以上に動かず、こちらの攻撃をかわす。
大きく移動してくれれば、次の位置も、もう少し読みやすいのでしょう。
けれど、彼は、こちらの願うようには動きません。
避けたあとにも、まだ、余裕が残っています。
少し傾くだけで、当たらない。
それは、こちらから見れば、ほんの少しの差です。
あと、わずかに狙いが違えば。
もう少し早ければ。
そう考えたくなる距離でもありました。
ですが、その、あと少しが、簡単には埋まりません。
こちらが放つ場所を変えても、彼は、それを受け止めるような顔をせずに、また外してしまうのです。
小さく見える回避が、実際には、こちらの動きを見切った結果なのだと分かるたびに、その差を思い知らされました。
しかも、この方には、次元神の能力まであります。
目で捉えている場所だけを考えればよい相手ではありません。
どれほどの手段を残しているか、私達が、すべて知っているわけでもない。
ただ正面から力を押し出しているだけでは、到底、勝てないでしょう。
そう考えながら、私は、二人を見ました。
リュミナは、悔しがっています。
王も、苛立っています。
ですが、そこで、各々が思うままに力を重ねればよいとは、もう、考えていませんでした。
以前と、まったく同じではない。
そのことを、私達は、ここで確かめる必要がありました。
相手の強さは、変わっていない。
いまも、容易には攻撃が届かない。
それでも、だから自分達も何も変わっていない、と決めてしまうのは、早いのでしょう。
同じように外された一撃の中にも、その前に何を見て、どう動いたかという違いはあります。
正面の相手ばかりを見ていると、視野が狭くなります。
いつ動くか、どこを狙うか。
そのことへ集中するほど、隣にいる二人の動きを、すでに知っているつもりで扱ってしまう。
ですが、二人は、私の都合に合わせて置かれたものではありません。
それぞれが、彼へ挑もうとしています。
その動きを、きちんと見る。
自分が放つものと、どのようにつながるかを考える。
三人でいるのですから、互いの存在を、ただ人数として数えていては、足りないのでしょう。
私は、正面へ向けていた注意の一部を、二人にも向けました。
もちろん、その分だけ、彼を見ることを疎かにしてよいわけではありません。
こちらがよそへ目を向けている間にも、彼は動けます。
見なければならないものが増えたからこそ、ひとつのことへ固まり過ぎないようにする。
その感覚は、まだ、簡単にできるとは言えませんでした。
ですが、意識しなければ、始まりもしないでしょう。
私は、ヘルカイザーさんの動きを追いながら、リュミナの位置を確かめました。
次に、王へ目を向けます。
こちらが動くとき、二人は、どこにいるか。
その二人が動けば、彼は、どこへ注意を向けるか。
自分の攻撃だけを考えているときには、見ていなかったものがありました。
力を集める前に、見なければならないことがある。
それを、いまは、少し分かっているつもりでした。
「……リュミナ」
私は、小さく声を掛けました。
長く説明するための呼び掛けでは、ありませんでした。
彼女がこちらへ注意を向けた、その間に、返事が来ます。
「分かってる!」
すぐに、動きました。
リュミナが、ヘルカイザーさんへ向かって距離を詰めます。
速さを生かした、まっすぐな接近。
その勢いは、変わっていません。
彼女が持っているよさを、捨てたわけではないのです。
ですが、私の見ているものは、以前とは違いました。
彼女が当てられるかどうかだけを、見ているのではありません。
彼が、どう避けるのか。
そこから、次の動きへ、何がつながるのか。
リュミナの接近を、私自身の準備の始まりとして見ていました。
「いっくよー!」
彼女の声が、響きました。
ヘルカイザーさんは、そちらへ注意を向けます。
リュミナが迫る。
その軌道から外れるように、彼の身体が、わずかに傾きました。
「おやおや♪」
また、あの動きです。
慌てた様子のない、小さな回避。
リュミナの速さだけを見ていれば、それで、また同じ結果になったのかもしれません。
ですが、その瞬間に、別の声がしました。
「今だ!」
ヴェルシアでした。
彼女が、別の方向から魔力を放ちました。
リュミナの接近へ合わせた、次の攻撃。
こちら側へ力を向けるのではなく、彼が対応した、その先へ向けられています。
「……ほう?」
ヘルカイザーさんの視線が、そちらへ動きました。
私は、その変化を見ていました。
リュミナだけに向いていた注意が、王へ移る。
避けたところで、すぐに次の攻撃がある。
そこで、彼の動きが、さらに続いていく。
ですが、本命は、まだ、そこではありません。
私は、放ちたい気持ちを、一度、抑えました。
いま、彼の注意が動いた。
それなら、すぐ撃てばよい。
そうしたくなるところですが、ただ急げば、王の一撃と同じところへ重なるだけになるかもしれません。
私が受け持ちたいのは、その先です。
先に動く二人を、追い越すために準備しているのではありません。
空いた場所へ、自分の攻撃を置く。
その違いを、意識しました。
私が焦って放てば、せっかくつながりかけた動きが、また、それぞれの攻撃へ戻ってしまう。
だから、二人が何を作ったかを、最後まで見なければなりませんでした。
早い方がよい場面でも、ただ早ければよいとは限らない。
速さを生かすリュミナがいるからこそ、私には、その速さに続く役目があるのでしょう。
私は、彼が向けた視線と、身体の向きを、確かめていました。
私の中では、すでに、魔力が収束していました。
目の前の光景から離れないようにしながら、放つための準備を進めています。
集めることへ集中し過ぎれば、二人の動きを見失う。
逆に、動きだけを追っていれば、必要なときに、私の魔法が間に合わない。
その両方を、保たなければなりませんでした。
リュミナが動く前から、彼女の位置を見ていたのも、そのためです。
王の魔力が放たれてから、ようやく準備を始めるのでは、遅い。
次が来ることを考え、その中に、自分の一撃を置こうとしていました。
自分の魔法が、十分に整った瞬間だけを選ぶのではありません。
相手の注意が、二人へ向いたとき。
その動きの先を狙えるとき。
そこへ、準備を合わせる。
言葉にすれば短くても、実際には、いくつものものを同時に見ている感覚でした。
彼は、どちらへ動くのでしょう。
リュミナをかわしたあと、王の攻撃へ、どう対応するのでしょう。
私は、その先を読もうとしました。
確かな未来が見えているわけではありません。
必ずここへ来ると、知っているのでもありません。
ただ、二人の動きと、彼が見せた反応から、次の場所を考える。
その場所へ、私の一撃を届かせるのです。
訓練で標的へ当てるときには、標的の位置が分かっていました。
いまは、相手の動きを読み、まだ空いている場所へ、狙いを定めようとしています。
その違いを感じながらも、収束させた魔力を乱さないようにしました。
余分に力を足すことだけを考えては、いけない。
いま、私が見るべきなのは、その一瞬です。
力が整っていることと、放つ時機が合うこと。
どちらか片方だけでは、つながらないのでしょう。
「……いきます」
私は、静かに告げました。
リュミナ。
ヴェルシア。
そして、私。
三人の動きが、初めて、一つの流れとしてつながっていく。
そう感じました。
誰かの攻撃が終わるのを待ってから、自分の力を示すのではありません。
先に動いた相手の作ったものを、次の者が受け取り、さらに、次へつなげる。
リュミナの速さも、王の攻撃も、私にとって、ただ傍らで起きていることではありませんでした。
その二つがあるから、いまの狙いができるのです。
私は、彼が逃げる方向を読み、そこへ向かって、魔法を放ちました。
「……ブラストファイヤー!」
砲撃が、一直線に走りました。
訓練所の空気が、震えます。
集めた力が、私の手を離れ、狙った先へ伸びていく。
もう、放ったあとです。
ここから、その軌道を見ながら、結果を待つしかありません。
リュミナの動きが、そこへつながっている。
王の一撃も、その間を作っている。
その上へ重ねた、私の砲撃。
届くでしょうか。
私は、ヘルカイザーさんを見つめました。
自分の放った魔法の光だけではなく、その向こうにいる、彼の姿を見失わないようにします。
当たったと思い込みたい気持ちがないといえば、嘘になるでしょう。
ですが、思い込んだところで、結果は変わりません。
最後まで、確かめなければなりませんでした。
黒い翼が、大きく羽ばたきました。
バサッ、と音が響きます。
彼の身体が動き、砲撃の進む先から外れました。
私の放った力は、そのまま、彼を捉えることなく通り過ぎます。
……やはり。
私は、小さく息を吐きました。
届かなかった。
狙いを読んで重ねても、かわされてしまいました。
初めて一つにつながったと感じた動きにも、彼は、対応したのです。
あの方へ、一撃を当てる。
その目標から見れば、今回も、できなかったという結果でした。
喜ぶには、早かったのでしょう。
そう考えかけたとき、彼の表情が、少し変わりました。
「おや?」
ヘルカイザーさんが、わずかに目を細めます。
「……ふむ」
そのあと、満足そうに頷きました。
私は、その仕草を見ていました。
いつものように、届かないと告げられるのでしょうか。
あるいは、狙いの足りなかったところを指摘されるのでしょうか。
こちらへ向けられた声は、そのどちらとも、少し違いました。
「今のは、なかなか良かったですねぇ♪」
「……え?」
私は、思わず聞き返しました。
褒められるとは、考えていなかったのです。
攻撃は、外れました。
彼は、無事にかわした。
その直後に、良かったと言われる。
自分が受け取ろうとしていた結果と違う返事が来たので、一瞬、意味をつかみ損ねてしまいました。
彼は、私達三人を見渡しました。
「以前よりも、連携が良くなっていますよ♪」
連携。
褒められたのは、私一人ではありませんでした。
彼の目は、三人を見ていました。
いま放った砲撃だけを、よいと言ったのでもない。
その前から続いていた動き全体へ、言葉を向けていたのでしょう。
私は、そのことに、少し安心しました。
自分だけが、一つにつながったと感じているのではなかった。
放つまでの短い間に、二人の動きが、自分の狙いへ続いているように感じました。
その感覚を、すぐに説明する言葉は、見つからなかったのです。
ですが、連携、と言われると、今の一度を、もう一度、たどることができました。
避けられたという結果の中へ、埋もれかけていたものがある。
それを、彼の一言に、拾い上げられたようにも感じられました。
できていないことだけを見るのでも、できた気になるだけでもない。
どこが変わったかを知ることで、次に何をつなげるかも、考えられるのですね。
その言葉を聞いて、私は、いまの動きを思い返しました。
自分の一発だけでなく、その前にあった、二人の動きも。
短く声を掛けたとき、リュミナは、分かっていると返しました。
そして、彼女が接近すると、王が、その先へ攻撃を重ねた。
私は、二人が動いている間に準備をし、相手の動きを読んで放ったのです。
それぞれが、同じ相手へ向かっている。
ただ、それだけならば、以前も、そうでした。
ですが、いまは、隣の者の動きを、自分の動きの中へ含めていました。
自分の番を待っていたのではない。
同じ流れの、次を受け持とうとしていたのです。
以前の私達は、自分の力へ、もっと強く頼っていたのでしょう。
相手を倒すため。
自分の力を証明するため。
そのことを考えるとき、自分が何を放てるかへ、意識が向いていました。
もちろん、いまも、それが要らなくなったわけではありません。
リュミナの速さがある。
王の攻撃がある。
私が、収束させた魔力を放てる。
その一つ一つがなければ、今の動きも、成り立ちませんでした。
ですが、それぞれが持っているものを、どう合わせるか。
そこへ、考えが向くようになったのです。
誰か一人が、全員分の力を持つのではありません。
私がリュミナの速さを、そのまま得たわけでもない。
王の魔法を、自分のものとして放ったわけでもありません。
それでも、二人の動きがあったから、私の狙いは作られた。
そのことを、いまの一度の攻撃で、確かめられたように感じました。
なるほど。
これも、強さなのですね。
攻撃を当てられなかったから、何もできていない。
そう決めてしまいそうになっていました。
ですが、彼は、私達が、以前とどう違うかを見ていたのでしょう。
当たったかどうかだけではなく、その前に、何をしていたかを。
レティシアさんの指導でも、似たようなことがありました。
標的へ当たった一発へ、無駄を減らせると指摘された。
成功したと思っていても、見直すところがあったのです。
今度は、その逆でした。
当たらなかった一撃の中にも、変わったところがある。
結果の一つだけでは、自分が見落とすものがあるのですね。
私は、少しだけ、肩の力を抜きました。
相手へ届かなかった悔しさは、あります。
それでも、その手前で、私達にできたこともある。
両方を、そのまま受け取ればよいのでしょう。
どちらか一つを、なかったことにする必要は、ありませんでした。
「……ふふっ」
小さく、笑みが漏れました。
勝ったわけではありません。
ですが、少し嬉しかったのです。
自分達が重ねてきた時間が、いまの動きに表れていた。
そして、それを、相手にも認めてもらえた。
そのことは、次へ向かうために、十分な意味を持っていました。
「やったー!」
リュミナが、嬉しそうに跳び上がりました。
「ヘルカイザーに、褒められた!」
こちらは、私よりずっと分かりやすい喜び方でした。
先ほどまで、また避けられたと悔しがっていた声が、今度は、明るく弾んでいます。
その変わり方に、私は、少し微笑ましくなりました。
彼女にとっても、嬉しいことだったのでしょう。
何度も、あと少しで届かない相手です。
そこから、良くなっていると言われた。
その言葉を、すぐに喜べるのも、彼女らしいところでした。
「ふふん!」
王も、得意げに胸を張りました。
「当然だ! 我らの力を、見くびるでないぞ!」
いつもの、堂々とした声です。
ですが、その言葉の中には、我ら、とありました。
自分一人の力を、示したときの言い方ではありません。
私は、その短い言葉へ、少しだけ目を留めました。
同じ相手を倒したい。
その気持ちは、三人にありました。
そこから、一緒に動くことへつながってきた。
彼の言葉を受けた王の胸の張り方も、いまは、そのことへの喜びに見えました。
ヘルカイザーさんは、楽しそうに笑いました。
「おやおや♪」
喜ぶ二人を見ている、小さな白い顔。
その余裕は、相変わらずです。
私達が成長したと認めたからといって、急に、追い詰められた様子を見せるわけではありませんでした。
それも、分かっていました。
あの方との距離を、少し測り直せたのであって、いま越えたわけではないのです。
ですが、次に告げられた言葉には、やはり、驚いてしまいました。
「では、次は、もう少し難しくしましょうか♪」
「……え?」
私は、思わず目を見開きました。
もう少し、難しく。
いまでも、攻撃を当てられてはいません。
三人の動きがつながったと感じ、ようやく、その点を認めてもらったところです。
そこから、さらに、難しくするのですか。
褒められた言葉を受け取って、少し、落ち着こうとしていたところでした。
ですが、どうやら、この方にとっては、よくなったことを確かめれば、その次へ進めるのでしょう。
できたことを認める。
そのうえで、もっと難しいことを求める。
その二つが、少しも矛盾せずに並んでいるようでした。
私は、彼の表情を見ました。
冗談でおっしゃっているようには、見えません。
いつもの笑顔です。
そして、模擬戦の続きをするつもりでいるのでしょう。
次には、何をするのか。
どのくらい難しくなるのか。
考えたいことは、いくつもありました。
ですが、二人の返事の方が早かったのです。
「よーし! やってやる!」
リュミナが、やる気をみなぎらせて構えました。
つい先ほど、跳び上がって喜んでいたと思えば、もう、次の攻撃へ気持ちを向けています。
難しくなるという言葉を、ためらう理由には、しなかったのでしょう。
「望むところだ!」
ヴェルシアも、負けじと声を上げました。
得意げにしていたところから、そのまま、挑戦を引き受ける姿勢へ変わっています。
褒められた直後だからこそ、さらに示したくなったのかもしれません。
そのような勢いは、二人とも、相変わらずでした。
私は、二人を見ました。
まったく。
本当に、元気な二人ですね。
そう思う一方で、その返事を聞いていると、こちらも、ためらってばかりはいられなくなります。
二人が動けば、私にも、受け持つところがある。
いま、ようやく感じたばかりの流れを、私のところで止めたくはありませんでした。
もちろん、勢いだけで何とかなるとは、思っていません。
難しくなるのであれば、なおさら、見なければならないことがあるのでしょう。
リュミナが、どう動くか。
王が、どこへ合わせるか。
そして、彼が、それへどう応じるか。
自分の魔法を整えながら、そこを見続けなければなりません。
ですが、そのことを考える気持ちは、初めてここへ来たときとは、違っていました。
強さを確かめるためだけではありません。
いまの自分達に、何ができるのかを試したい。
その先で、どこまでできるようになれるのかを、知りたい。
そういう思いが、ありました。
避けられた一撃を、悔しがるだけで終わらせない。
認められた連携に、満足して止まらない。
次には、もう少し、届くようにする。
求める力が遠くても、いまの動きを見直すことは、できるのでしょう。
私は、もう一度、ヘルカイザーさんへ向き直りました。
「……分かりました」
静かに、魔力を集中させます。
先ほどと同じように、集める力へ注意を向けながら、二人の位置も意識しました。
自分一人で完結する準備ではありません。
次の動きへ、つなぐための準備です。
「次こそ、当ててみせます」
声にすると、その願いが、少し、はっきりしました。
当てたいのは、以前から同じです。
ですが、いまは、私の力だけを見てほしいのではありませんでした。
リュミナが動き、王が合わせ、私が、その先を狙う。
その流れの先で、彼へ届かせたいのです。
ヘルカイザーさんは、にっこりと微笑みました。
「ふふっ♪ その意気ですよ」
返ってきた声は、やはり、余裕のあるものでした。
それでも、先ほどまでと、同じように聞こえたわけではありません。
届かないと告げられるだけの時間から、少し進んだことを、私自身が感じていたからでしょう。
私達は、まだ、彼へ勝てません。
攻撃を当てることさえ、簡単ではありませんでした。
ですが、最初に戦った日と同じ場所へ、何も変わらず立っているのでもありません。
仕事をし、学び、試す。
そうして過ごした時間の中で、自分達の動きが変わっていく。
それぞれが持つ力を頼るところから、その力を合わせるところへ。
いま、私達は、その変化の途中にいたのです。
決して砕け得ぬ力。
その答えを、一度の訓練で見つけたわけではありません。
けれど、三人でつないだ一つの流れが、強さの一つになり得ることは、知りました。
それは、ここで過ごす前の私には、まだ、分かっていなかったものでした。
私は、二人の気配を確かめながら、正面の相手を見据えました。
次の一撃へ向けて、意識を整えます。
何が難しくなるのかは、これから分かるでしょう。
その前に、いまの自分にできる準備を、済ませておくのです。
こうして、私達は、少しずつ、成長していきました。
――第53話・了――
『転生した主人公が次元神になる』
第2部・ヘルカイザー襲来編
第54話 小さな幸せ
時系列:過去回想――ガルデローベ社での新生活。ある日の夕方、仕事と訓練を終えたあと。
休憩室へ向かいながら、私は、その日の訓練を思い返していました。
レティシアさんからは、新しい魔力制御の方法を教えていただきました。
知っているつもりの魔法にも、まだ、自分が意識していなかった部分があります。
説明を受け、確かめ、扱ってみる。
その中で得た感覚を忘れないよう、歩きながら、もう一度、たどっていました。
少々、疲れましたね。
仕事も、訓練も終えた身体には、その日の分の重さが残っています。
けれど、ただ消耗しただけの一日ではありませんでした。
できなかったことや、教えられたことを思い返すと、その疲れにも、過ごしてきた時間があるように感じられたのです。
リュミナは、相変わらず元気でした。
悔しがるときも、喜ぶときも、その気持ちが、声へよく表れます。
王も、少しずつ、連携を意識して戦うようになっています。
三人で同じ相手へ向かうとき、二人の動きを考えることが、以前より自然になりました。
そして、ヘルカイザーさんは。
……まあ、相変わらずですね。
私達の変化を認めたあとで、さらに難しくしようと、にこやかにおっしゃる方です。
いまでも、簡単に攻撃を当てられる相手ではありません。
ですが、あの方の声へ、ただ圧倒されるばかりの時間でもなくなってきました。
届かなかった理由を考えることも、次へ何をつなぐかを考えることも、少しずつ、私達の中に増えています。
充実した一日でした。
そう思いながら、私は、休憩室の扉を開きました。
「……おや?」
中へ目を向けたところで、思わず、声が漏れました。
ソファに、ヘルカイザーさんが座っていました。
そして、その隣に、ミリアさんがいます。
いえ、ただ並んで座っているのではありませんでした。
彼女は、彼へ寄り掛かっていたのです。
すぅ、と、静かな寝息が聞こえました。
眠っていらっしゃるのですね。
それが分かると、自然に、こちらの動きも小さくなりました。
扉を開ける前には、誰かが眠っているとは思っていませんでしたから。
私は、部屋の様子を確かめながら、声を落としました。
「……ヘルカイザーさん?」
彼が、こちらへ視線を向けました。
小さな白い身体は、動かないままでした。
黒い翼も、背中へ静かに畳まれています。
「……おや、セリシアさん」
返ってきた声も、いつもより小さなものでした。
「お仕事は、終わりましたか?」
「はい。先ほど、終わりました」
私は、静かに頷きました。
訓練所で交わす声とは違う、短いやり取りです。
すぐ隣で聞こえる寝息を乱さないように、こちらも言葉を選ぶより先に、音を控えていました。
「それは、お疲れ様でした♪」
ヘルカイザーさんが、小さく微笑みました。
そのあと、隣で眠るミリアさんへ、目を向けます。
「どうやら、少々、遊び疲れてしまったようですねぇ」
「……そのようですね」
私も、彼女を見つめました。
穏やかな寝顔でした。
何かを心配しているような、険しいところはありません。
ヘルカイザーさんへ、ためらいなく身体を預けています。
眠っているのですから、相手の動きを見て、どう対応するかを考えているわけでもないのでしょう。
彼は、その隣で、静かに座っています。
寄り掛かられた身体を動かさず、起こさないように声を落として、私へ返事をしている。
何か大きなことが起きているわけではありませんでした。
それでも、私は、その光景から、すぐに目を離せませんでした。
中庭で遊ぶ二人を見たことはあります。
追い掛ける声と、楽しそうな笑い声。
その明るさを、私は、すでに知っていました。
ですが、遊んだあとには、こういう時間もあるのですね。
疲れて、眠る。
そのそばで、相手は、動かずにいる。
私は、ミリアさんの寝息へ耳を傾けました。
小さく、規則的な音です。
大きな笑い声がなくても、ここで穏やかに過ごしていることは、伝わってきました。
不思議ですね。
そう、感じました。
かつて、私達が求めていたものは、破壊と混沌に満ちた闇でした。
そこへ帰ることが、魂の渇きを潤すと考えていたのです。
なぜ求めるのかを、一つずつ問い直すこともなく、それが自分達の進む先なのだと信じていました。
そして、この方に、本当の闇を見せられました。
何も、見えない。
周囲の音も、自分の身体の感覚も、確かめられない。
その中で、絶望や恨みだけが、絶えず、内側へ流れ込んでくる。
あそこに、安らぎはありませんでした。
あの時間を思い出せば、いまでも、そう思います。
私は耐えられず、助けを求めました。
戻った訓練所で二人の顔を見られたときのことも、覚えています。
ですが、いま、目の前にあるものは、どうでしょう。
静かな休憩室。
ソファで眠る、ミリアさん。
その隣にいる、ヘルカイザーさん。
聞こえるのは、穏やかな寝息と、小さく抑えた会話です。
何も見えないわけではありません。
誰かの苦しみだけが押し寄せてくるのでもない。
窓から差す光の中に、二人の姿が、確かに見えていました。
同じ方が、そこにいます。
闇を見せた方が、眠る相手を起こさないよう、座っています。
そのことを、私は、何度か、頭の中で確かめていました。
何をもって安らかだと言うのか。
言葉だけを考えていたときには、分からなかったことが、あるのでしょう。
少なくとも、いま、この部屋へ入ってきた私は、ここから離れたいとは思いませんでした。
小さな寝息が続く、そのそばで、もう少し、過ごしていたかったのです。
目の前の穏やかさを見ているうちに、もう一つ、聞きたいことが浮かびました。
再生されたばかりの頃にも、尋ねたことはあります。
ですが、ここで過ごす時間が増えるにつれ、その問いの中身も、少し変わっていました。
「……ヘルカイザーさん」
「……はい?」
「一つ、よろしいでしょうか?」
「もちろんですよ♪」
彼は、静かな声で答えました。
私は、言葉を選びました。
ミリアさんを起こさないようにというだけでは、ありません。
自分が何を聞きたいのか、きちんと伝えたかったのです。
「なぜ……私達に、ここまでしてくださるのですか?」
彼が、少しだけ首を傾げました。
「……と、言いますと?」
私は、顔を上げ、説明を続けました。
「私達は、もともと、闇の欠片でした。あの戦いで、消滅したはずの存在です」
彼が知らないことを伝えているのではありません。
私達自身よりも、彼の方が、消えたあとの経緯を知っていました。
それでも、そこから話さなければ、いまの問いを、うまく形にできない気がしました。
「あなたは、私達へ、新しい身体を与えてくださいました」
私は、自分の手へ、少しだけ目を落としました。
光となって消えたはずの身体で、いま、ここにいます。
仕事をし、魔法を扱い、歩いて休憩室へ来た。
それができること自体、彼が与えた仕組みから始まっているのです。
「仕事を与え、魔法を学ぶ機会まで、用意してくださいました」
身体を得ただけで、話は終わっていませんでした。
働く場所があり、教えてくださる方がいる。
自分達を試す相手もいます。
どう強くなるかを知らなかった私に、考え、学び、動ける時間が、与えられていました。
私は、彼へ視線を戻しました。
「……なぜですか?」
ヘルカイザーさんは、少しだけ考える仕草をしました。
私は、返事を待ちます。
知っている言葉が返ってくるかもしれません。
まだ聞いていない理由があるのかもしれない。
どちらだと決め付けず、彼が口を開くのを待ちました。
「以前も、言ったでしょう?」
穏やかな声でした。
「あなた達の願いを、叶えただけですよ♪」
願い。
その言葉を聞き、私は、カプセルの中での会話を思い出しました。
身体が欲しい。
もう一度、あの白い魔導師と戦いたい。
彼は、私達が、そう願っていたのだと教えてくれたのです。
確かに、それは、私の願いでした。
消える前、あの少女へ向かって、伝えた言葉があります。
次にまみえることがあれば、砕け得ぬ力を手にして、あなたと戦いたい。
次があるかさえ分からないまま、そう言いました。
その続きを考えられる身体を、彼は与えました。
だから、願いを叶えただけだという返事には、筋が通っています。
何も違わないのかもしれません。
それでも、いま尋ねた私には、もう少し、知りたくなるところがありました。
「……それだけ、なのですか?」
思わず、問い返していました。
自分の聞きたいことを、まだ、言い切れていないのでしょうか。
身体を作り、働くよう勧め、教わる場を用意する。
その一つ一つを、ここで実際に過ごして知ったからこそ、簡単な一言では、受け取り切れないように感じていたのです。
彼は、にっこりと微笑みました。
「ふふっ♪ 強くなりたいのでしょう?」
「……はい」
そこへは、迷わず答えられました。
強くなりたい。
その気持ちは、変わっていません。
白い魔導師へ、もう一度、向き合いたい。
いま得た身体で、今度こそ、届くものを手にしたい。
「なら、頑張ればよいだけですよ♪」
返事は、やはり、簡潔でした。
何か隠れていた答えを、詳しく聞かされたわけではありません。
けれど、こちらへ向けられた言葉を聞いていると、いま自分にできることまで、分からなくなる必要はないのだと思えました。
願いがある。
学ぶ機会も、あります。
それなら、取り組む。
答えのすべてを先に知らなくても、今日の訓練で、直せたことはありました。
仲間と動き、以前よりつながるものができたことも、確かです。
私は、小さく頷きかけました。
その前に、ヘルカイザーさんが、付け加えます。
「ただし、仕事は、ちゃんとしていただきますがねぇ♪」
「……ふふっ」
思わず、笑ってしまいました。
声が大きくならないように気を付けながら、それでも、口元は緩んでいます。
なるほど。
そういう方でしたね。
強くなるために頑張る。
ただし、仕事も、きちんとする。
こちらの願いについて話していたところへ、働く側としての務めが、しっかり戻ってきました。
その言い方が、何とも、この方らしく聞こえたのです。
魔法を学ぶことばかりに気を取られ、引き受けた仕事を疎かにしてよいわけではありません。
私も、そのつもりはありませんでした。
だから、そこへ、きちんと返事をします。
「承知しました。これからも、精一杯、努めさせていただきます」
「それは、頼もしいですねぇ♪」
彼が、微笑みました。
私は、その返事を聞きながら、今日の仕事を思い返していました。
終えたことがあり、教わったことがある。
次に向けて、頑張ろうと思えることもある。
目覚めたばかりの頃には、そんなふうに一日を振り返る自分がいるとは、考えていませんでした。
「……ん……」
小さな声がしました。
ミリアさんが、わずかに身じろぎをしたのです。
私は、そちらを見ました。
起こしてしまったのでしょうか。
声を抑えていたつもりでも、会話が長くなったからかもしれません。
「ヘル……」
ヘルカイザーさんも、彼女へ顔を向けました。
「……おや? どうしました?」
「……まだ……遊ぼ……」
瞼は、閉じられたままでした。
どうやら、寝言のようですね。
私は、そっと、口元を緩めました。
遊び疲れて眠っても、まだ、遊びたいのでしょうか。
何を夢に見ているのかは、分かりません。
ですが、いま眠りながら呼んだ名前と、そのあとの言葉が、この日の楽しさを、そのまま残しているように聞こえました。
ヘルカイザーさんも、小さく笑いました。
「ふふっ♪ ええ。また、遊びましょうね♪」
起こさないように、静かな声でした。
返事を聞き取ったかどうかは、分かりません。
ミリアさんは、また、すぅ、と寝息を立て、そのまま眠り続けました。
それだけのやり取りです。
大きく呼び掛けることも、返事を確かめることも、ありませんでした。
ですが、私は、その短い会話を、しばらく覚えていたいと思いました。
夢の中の誘いへ、また遊ぼうと答える。
そういう返事の仕方も、あるのですね。
ミリアさんは、幸せそうでした。
そう感じることに、難しい説明は要りませんでした。
寝顔と、寝息と、小さな寝言。
そのどれもが、見ているこちらの気持ちまで、静かにしてくれるようでした。
◇ ◇ ◇
そのあと、休憩室の扉が開きました。
「セリシアー!」
「……はい?」
リュミナが、顔を覗かせます。
声は、いつもの明るさでした。
仕事と訓練を終えた私が、少し疲れたと思っていた同じ夕方です。
彼女には、まだ、あれだけの元気が残っているようでした。
「何してるのー?」
その後ろから、ヴェルシアも姿を現しました。
「まったく。探したぞ、セリシア」
「……すみません」
私は、小さく頭を下げました。
探していたのですね。
部屋へ来て、会話をしているうちに、思っていたより時間が過ぎたのかもしれません。
私は、二人へ目を向けてから、ソファの方を確かめました。
先に、リュミナの視線が、そちらへ動きます。
「あっ! ミリア、寝てる!」
見たことが、そのまま声になっていました。
驚いたのは、分かります。
私も、部屋へ入ったとき、思わず声を出しましたから。
ですが、寝ていると分かったのでしたら、声の方も、少し、合わせていただきたいところです。
「……静かにしてください、リュミナ」
「……あっ」
彼女が、慌てて口元を押さえました。
自分の声の大きさへ、ようやく気付いたのでしょう。
大きくなりかけた言葉を、自分の手で止めるような仕草でした。
その様子が、何とも可愛らしく、私は、思わず笑ってしまいました。
もちろん、こちらも、声を抑えます。
静かにしてほしいと伝えた私が、笑って起こしてしまっては、仕方がありませんから。
リュミナの明るさは、いつもと同じです。
ですが、眠っている相手に気付けば、慌てて口を押さえる。
その小さな変化を見ていると、この部屋に合わせて、彼女も、声を小さくしてくれるのだと思いました。
「何を、集まっているの?」
今度は、レティシアさんでした。
彼女も、休憩室へやって来たのです。
私は、そちらへ目を向けました。
いつの間にか、ここへ、人が集まっていました。
最初に入ってきたときには、ソファの二人だけだった部屋です。
そこへ、私が来て、リュミナと王が来て、今度はレティシアさんが来た。
誰かが眠っているというだけの光景を、いまは、みんなで見ています。
レティシアさんの目が、ソファへ向きました。
眠るミリアさんを見て、小さく、目を細めます。
「……あら」
「ふふっ♪ 少々、遊び疲れてしまったようですねぇ」
ヘルカイザーさんが、微笑みました。
私へ教えてくださったときと同じように、穏やかな声です。
「……そう」
レティシアさんが、そばへ近付きました。
そして、眠るミリアさんの顔を覗き込みます。
その表情には、魔法の指導をするときの厳しさも、実験について注意するときの険しさも、ありませんでした。
「……本当に、よく遊んだのね」
優しい声でした。
私は、少し離れたところから、その横顔を見ていました。
いつも、私達の魔法をよく見て、直すところを教えてくださる方です。
ですが、いまは、教えるために見ているのではないのでしょう。
眠る相手の様子を確かめ、微笑んでいる。
そこにあるものは、声の違いだけでも伝わってきました。
「……お母さん……」
ミリアさんが、小さく呟きました。
眠ったままでした。
瞼を開き、目の前にいる方を確かめたわけではありません。
それでも、その声は、そばへ来たレティシアさんへ届きました。
「……大好き……」
レティシアさんの動きが、一瞬、止まりました。
私は、その短い間を、見ていました。
返事を考え込んでいるようには、見えません。
不意に届いた言葉を、そのまま、受け止めているようでした。
そして、彼女は、静かに微笑みました。
「……ええ。私もよ、ミリア」
小さな声でした。
眠っている相手へ、無理に届かせようと声を大きくすることもありません。
聞こえたかどうかを、確かめることもない。
ただ、私もよ、と返したのです。
私は、その光景を見つめていました。
リュミナも、王も、この部屋にいます。
ヘルカイザーさんは、変わらずソファに座っています。
その隣で、ミリアさんが眠り、レティシアさんが、優しく答えた。
何かを勝ち取った場面では、ありませんでした。
力を示したわけでも、大きな願いを告げたわけでもない。
それなのに、胸の中へ、静かに届くものがありました。
……ああ。
そうか。
私達は、今まで、知りませんでした。
誰かと、一緒に仕事をすること。
自分が引き受けたことを終えて、そのあとに、誰かと顔を合わせること。
何かを教わり、できていないところを知り、試してみること。
仲間と訓練し、うまくつながった動きを、三人で喜ぶこと。
叱られたり、褒められたりすること。
思いどおりにならずに悔しがり、その様子を見た誰かへ、つい笑ってしまうこと。
そして、こちらも、笑うなと注意されること。
その一つ一つを、ここへ来てから、私達は経験していました。
特別な出来事として、覚えようとしたものばかりではありません。
ある日の朝や、午後の訓練の中で、起きたことです。
そのときには、そのときのこととして受け止めていました。
ですが、いま、静かな部屋で、みんなの顔を見ていると、それらが、一緒につながって感じられました。
働き、学び、訓練をする。
ときには、遊ぶ。
そうして過ごした一日の終わりに、また、顔を合わせているのです。
誰かと、穏やかな時間を過ごす。
それだけのことが、これほど、心を満たしてくれるものだったのですね。
魂の渇きを潤したいと、私は、求めていました。
何をどれだけ得ればよいのかも、十分に分からないまま。
ですが、いま、この部屋で感じているものは、何かを喰らって得たものではありません。
目の前にいる方々と、同じ時間を過ごしている。
そのことから、生まれているのでした。
すべての問いに、答えが出たわけではありません。
私が何者かという話も、力を求める理由も、簡単に消えてなくなるものではないでしょう。
けれど、それらの答えが全部そろわなければ、こういう時間を持てないわけではありませんでした。
いま、ここにいる。
そのことだけでも、分かるものがあったのです。
「……ふふっ」
気付けば、微笑んでいました。
「……どうしたの、セリシア?」
リュミナが、不思議そうに首を傾げました。
私が何を考えていたかは、分からなかったのでしょう。
目の前の光景は、彼女にも同じように見えているはずです。
ですが、私の中で、いま何がつながったかまでは、言葉にしなければ伝わりません。
「いえ……何でもありません」
私は、静かに首を横へ振りました。
うまく説明できないだけ、というのも、少し違いました。
ただ、いまは、この時間を、長い説明へ変えたくなかったのです。
リュミナは、まだ、不思議そうな顔をしていました。
それでも、私は、それ以上、言葉を重ねませんでした。
笑っている理由を、すべて伝えなくても、一緒に、ここにいられる。
そのことも、いまは、ありがたく感じられました。
◇ ◇ ◇
かつて、私は、白い魔導師へ言いました。
決して砕け得ぬ力を、この手にして、あなたと戦いたい。
あの願いは、今も、変わっていません。
もう一度、向き合いたいのです。
敗れたときの自分とは違う力で、あの方と戦いたい。
そのために、私は、いまも学んでいます。
ですが、ここで過ごすうちに、私の中には、それだけではないものも増えていました。
リュミナがいます。
王がいます。
レティシアさんがいて、ミリアさんがいる。
そして、私達へ、新しい身体と、ここで過ごす時間を与えてくださったヘルカイザーさんがいます。
再戦への願いと、ここで感じているものを、どちらか一方だけにする必要はないのでしょう。
強くなりたいという気持ちは、確かにあります。
同じように、いま見ている顔や、聞いている声を、失いたくないとも思っています。
この日常が、いつまで続くのかは分かりません。
先のことを、すべて知っているわけではありませんから。
ですが、少なくとも、いまの私には、ここで過ごす時間を大切にしたいという気持ちがありました。
それは、消える前には、知らなかった願いです。
あのときの私は、彼女へ言葉を残し、光となって消えていきました。
次があるとは、分かっていませんでした。
それなのに、もう一度戦いたいと願った。
その願いから、いま、こんな場所へつながっています。
再び身体を得た。
それだけでも、信じ難いことでした。
ですが、身体を得たあとに、どのような時間を過ごすのか。
そこに、いまの私を作っているものがあるのでしょう。
いつか、あの白い魔導師と、また、まみえる日が来たなら。
私は、胸を張って伝えたいと思いました。
あの戦いのあとも、私は、生きていたのだと。
仲間と過ごし、教わり、試しながら、成長してきたのだと。
そして、今度こそ、あなたと対等に戦える力を、この手にしたのだと。
その日が来れば、いま願っているとおりの言葉を伝えられるでしょうか。
まだ、分かりません。
対等に戦えるかどうかも、いま、決められることではない。
だからこそ、これからも、学び、努めたいと思いました。
ただ、以前と同じように、力だけを求めているつもりではありませんでした。
強くなるまでの間にも、一日があります。
その日に出会う声があり、顔がある。
気付けば、思い返すと笑ってしまう出来事も増えている。
それらを失わずに、私は、もう一度、あの方へ向き合いたいのです。
……ふふっ。
楽しみですね。
その日が、訪れるのが。
私は、窓の外へ視線を向けました。
穏やかな夕暮れの光が、差し込んでいます。
部屋の中では、ミリアさんが眠っていました。
そばには、みんながいます。
少々、疲れたと思いながら来た休憩室で、私は、今日の終わりへ、新しく、覚えておきたいものを得ていました。
何か大きなものを成し遂げたという話ではありません。
静かな寝息を聞き、短い会話をし、仲間が集まってきた。
ただ、それだけの時間です。
けれど、私は、それを、失いたくないと思っていました。
……今日も。
良い一日でした。
――第54話・了――
『転生した主人公が次元神になる』
第2部・ヘルカイザー襲来編
第55話 再び交わる運命
時系列:現在――アルカディアでの対峙。セリシアが、自分達の再生と研究所での日々を語り終えた直後。
「……これが、私達が、再び生まれた理由です」
セリシアは、静かに、そう告げた。
私は、すぐには返事ができなかった。
風が髪を揺らして、ようやく、いま、自分がどこにいるのかを、あらためて感じる。
アルカディアの空。
目の前には、セリシアがいる。
隣にはレイがいて、その向こうには、リュミナの姿があった。
長い話だった。
聞き始めたとき、私が知りたかったのは、消滅したはずの彼女達が、どうして存在しているのかということだった。
あの戦いで闇の欠片は消えたはず。
それなのに、目の前には、成長した二人がいる。
その理由が、知りたかった。
答えは、私が想像していたより、ずっと長い時間につながっていた。
消えたあとの残滓が、ヘルカイザーさんへ吸収されたこと。
記憶に相当する情報が残っていて、それを修復し、新しい身体が与えられたこと。
かつてとは違う仕組みで、彼女達が、もう一度、動けるようになったこと。
それだけでも、簡単には信じられない話だった。
だけど、彼女の話は、そこで終わらなかった。
ガルデローベ社で、働くことになった。
レティシアさんに魔法を教わり、ヘルカイザーさんと模擬戦をして、三人で、少しずつ連携を覚えた。
荷物を運んで騒ぎになった朝も、魔力の加減を叱られた午後もあった。
そして、ミリアちゃんと、一緒に遊んだ。
休憩室へ集まって、眠っている彼女を起こさないよう、声を小さくした。
そういう、何でもない日々を、過ごしていた。
私は、セリシアを見つめた。
いまここにいる理由として聞き始めた話の中に、仕事や訓練だけじゃなく、そん




