第49話 エクリプスの新しい日常
あの模擬戦から、しばらくの時間が過ぎました。
研究室で書類に目を通していると、ときどき、不思議な気持ちになります。
あのとき消えたはずの自分が、今は、こうして机の前にいる。
文字を読み、内容を確かめ、次の一枚へ目を移している。
もう一度身体を得たと知ったときには、考えていなかった時間です。
再生された身体で何をしたいかと問われれば、あの頃の私は、迷わず答えていたでしょう。
白い魔導師と、もう一度戦いたい。
そのために、決して砕け得ぬ力を手に入れたい。
その願いは、今も、なくなってはいません。
ですが、願いを持つことと、それを叶えるために何をするかは、別のことでした。
目の前の仕事を続けていると、その違いを、以前より考えるようになりました。
私達は、ヘルカイザーさんの提案を受け入れたのです。
ガルデローベ社で、働くことになりました。
私だけでは、ありません。
リュミナも、ヴェルシアも、同じように、ここでの生活を始めています。
消えたあとに得た新しい身体で、私達は、以前にはなかった一日を過ごすようになったのでした。
もちろん、提案を受け入れる前には、判断するための出来事がありました。
あの方と、初めて戦った日です。
模擬戦の結果は、三人まとめての敗北でした。
私も、リュミナも、ヴェルシアも。
彼を認めるために力量を確かめたいと願い、実際に挑んだのですから、その結果から目をそらすつもりはありません。
リュミナの速さ。
その攻撃へ重ねた、私の砲撃。
三人で相手をしているのだから、何か届くものがあるはずだと、どこかで思っていたのでしょう。
ですが、こちらの攻撃は、彼へ届きませんでした。
大剣から広がった闇。
その中に現れた、無数の龍。
逃げることも、防ぐこともできず、最後には私も意識を失いました。
いま思い返しても、鮮明に覚えています。
力量を知らないと言った自分が、どれほど少ないものだけを見て判断しようとしていたか。
そのことを、あの模擬戦で知りました。
小さな白い姿。
穏やかな声。
こちらの問いへ、楽しそうに答える表情。
それらから予想できる範囲を、彼の強さは、はるかに超えていたのです。
認めていないから、確かめる。
そう言うことは、できました。
では、確かめて分かったことを、自分がきちんと受け取れるか。
敗れたあと、私に必要だったのは、そのことだったのだと思います。
ヘルカイザーさんは、確かに強い。
少なくとも、私達が想像していた以上に。
そして、彼のもとにいれば、自分が求める力へつながる何かを見つけられるかもしれない。
力を与えると言われたから、何も考えずに従ったわけではありません。
問いを持ち、その答えを得るために戦い、敗れた。
そのうえで、ここにいることを選びました。
まだ分からないことがあるからこそ、確かめながら進もうと考えたのです。
働けば、すぐに答えが出る。
そのように思っているわけでもありませんでした。
私が求めるものを、自分自身、はっきりと言葉にし切れていないのですから。
ただ、同じことを繰り返しているだけでは、届かなかった場所へは届かない。
それは、もう、分かっていました。
そうして始まった、新しい生活。
その中で、私の手には、今、書類があります。
紙の上の文字は、急いで目を滑らせただけでは、うまく頭に入りません。
一つずつ確かめる。
読み終えたつもりになって、見落としていないか、もう一度考える。
戦うときのように一瞬の判断が求められるわけではありませんが、だからといって、適当に済ませてよいわけでもありませんでした。
慣れていないことは、慣れていないと分かります。
その分、気を付けることもできます。
少なくとも、仕事として引き受けたものを、分からないまま放っておくつもりはありませんでした。
戦いであれば、相手がいる。
こちらが何をしようと、その相手も動きます。
ですが、書類は、読んでいる私を待ってくれました。
急いでいるからといって、勝手に答えを教えてくれるわけではない。その一方で、こちらが読み直すことを邪魔するわけでもないのです。
自分の注意が、どこまで続くのか。
目を通した部分を、きちんと覚えているか。
派手な光も、勝敗の声もない作業の中では、そういうことが、思いのほか気になりました。
戦いとは違うから簡単だと、決めてしまうのは、早いのでしょう。
何をすれば終わったことになるのか。
自分では分かったつもりでも、本当にそうか、確かめる必要があります。
分からない部分を、そのまま読み飛ばしただけなら、目を通したという形だけが残る。
それでは、引き受けたことを済ませたとは、言えないように思いました。
私は、少なくとも、自分が何をしているかを分かったうえで、先へ進みたいのです。
働くと決めたことも、同じでした。
強い相手のそばへいれば、その強さが、知らないうちに自分へ移る。そんな都合のよいことを、期待しているわけではありません。
教えられることがあっても、それを理解するのは、私の側の仕事でしょう。
そう考えると、机の前で文章を読み直している自分も、少しだけ自然に思えました。
いま必要なことを、確かめる。
分からないところを、自分で見落とさない。
それができずに、欲しいものだけは必ず手にしたいと願っても、うまくはいかないのでしょう。
もっとも、そのようなことを考えていると、いつまでも読み終わりません。
書類の内容より、自分の考えに注意を使ってしまっては、本末転倒です。
私は、少しだけ姿勢を整えました。
いま向き合うのは、目の前の一枚。
願いについて考えるために、仕事の手を止めてしまうわけにはいきませんでした。
私は、手元の一枚へ目を落としました。
研究室の中は、今のところ、落ち着いています。
こうして腰を据えていると、自分が以前とは違う時間を過ごしていることを、あらためて感じます。
いつでも戦いだけが続いているわけではない。
何もかもを、強さで解決するわけでもない。
読み終えるまで、そこにある文字へ向き合う。
それも、ここで働く自分がすることでした。
力を求めて来た先に、書類仕事がある。
少し前の私へ、その話をしても、すぐには想像できなかったかもしれません。
けれど、いま机の前にいる私は、そのことを、特別おかしいとは思っていませんでした。
新しい場所で過ごすとは、知らなかったことを、一つずつ知ることでもあるのでしょう。
……もっとも。
私一人が落ち着いていたからといって、研究室の朝が、最後まで静かだとは限りません。
「セリシアー!」
よく通る声が、聞こえてきました。
聞き間違えるはずもありません。
リュミナです。
私は、書類から顔を上げました。
「……はい?」
「助けてー!」
朝から、随分と元気な声でした。
もっとも、本人は、元気だから叫んでいるつもりではないのでしょう。
切羽詰まっていることは、分かります。
ただ、こちらへ届く勢いだけでいえば、元気そのものなのです。
私は、手にしていた書類を見て、それから、入口へ目を向けました。
何かが起きたらしい。
そのことは、疑いようがありません。
ですが、助けてと言われただけでは、何を助ければよいのか、分かりませんでした。
呼ぶ声の大きさと、伝わる内容の量は、必ずしも同じではないのです。
「今度は、どうしました?」
そう尋ねる自分の声が、少し落ち着き過ぎている気もしました。
けれど、慌てる前に、事情を聞く必要があります。
こちらまで大きな声を出したところで、何が起きているかは分かりませんから。
研究室の入口から、リュミナが顔を覗かせました。
表情を見れば、余裕がないことは、すぐに分かります。
ただ、けがをした様子ではありません。
誰かと戦ってきたようにも見えませんでした。
「箱が! 箱が、崩れそうなんだよ!」
「……箱?」
私は、首を傾げました。
説明は、確かに一歩、進みました。
ですが、それだけでは、まだ、状況がうまく思い浮かびません。
箱が崩れる。
その言葉と、彼女の切迫した顔が、まだ結び付かなかったのです。
私は、リュミナの後ろへ、視線を移しました。
そこで、ようやく理解しました。
荷物が、山のように積み重なっていたのです。
比喩として少し大げさに言っているのではありません。
少なくとも、彼女が一度に運ぼうとした量としては、明らかに多過ぎました。
箱の上に箱。
さらに、その上にも箱。
積んだ時点では、どうにか形になっていたのでしょう。
ですが、今のそれは、安定しているとは言い難い状態でした。
いちばん上の箱が、傾いています。
その下の箱も、支える位置が、少しずつずれているように見えました。
ひとつひとつは箱でも、重なれば、まったく違うものになる。
そんな当たり前のことを、いま目の前で確かめさせられていました。
リュミナは、必死に支えています。
傾いた方へ気を取られると、別のところが、また、危うくなる。
そちらを直そうとして、最初の箱から意識が離れる。
見ているだけで、余裕がないことが分かりました。
「ちょっ……待って! 待ってってば!」
箱へ、待つようにお願いしているようでした。
残念ですが、相手は箱です。
事情を察して踏みとどまっては、くれないでしょう。
彼女自身も、そのくらいは分かっているはずです。
分かっていても、口から出てしまう。
それほど、今の状況に追われているのでしょう。
私は、もう一度、積み重なった荷物を見ました。
彼女の助けを求める顔と、その後ろの荷物を、交互に見ます。
本人が入口まで来られたことは、分かります。
ですが、来られたから、最後まで運べるとは限らない。
途中までは成功したという事実が、時として、その先も同じように進むと思わせてしまうのでしょう。
ここまで持ってきたのだから、あと少し。
あと少しだから、このままでよい。
そう考えたくなる気持ちは、想像できます。
けれど、箱の傾きは、本人があとどのくらい頑張るつもりかとは、関係がありませんでした。
待ってと言われても、少しずつ、位置を変えていく。
その融通の利かなさは、ある意味、徹底しています。
怒っている相手であれば、何を怒っているかを考えられます。
こちらの動きを読む相手なら、その読みの先を探ることもあるでしょう。
ですが、いま積み重なっている箱へ、そういう考え方は通じません。
荷物には、こちらを困らせる意志などないのです。
ただ、積まれた状態が、危うくなっている。
その相手に負けそうになっていると考えると、本人としては、ますます納得できないかもしれませんが。
いえ、勝ち負けではありませんね。
荷物を運ぶ目的は、箱より強いと証明することではありません。
きちんと運び終えることです。
リュミナも、そこは分かっているはずです。
ただ、運び終えるまでの手間を減らそうとして、かえって、その目的を遠ざけてしまった。
目の前の光景を説明するなら、そういうことになるのでしょう。
何回分を、一度にまとめようとしたのでしょうか。
運び始めたときの本人には、これくらい大丈夫だという見込みがあったのかもしれません。
ですが、その見込みが、入口まで続かなかったことは、目の前の様子から明らかでした。
「リュミナ……」
私は、小さくため息をつきました。
「一度に、運び過ぎです」
ほかに、言いようがありませんでした。
支え方を工夫すればよいという段階では、もう、ないように見えます。
そもそも、運ぶ量を減らしていれば、起きなかったことではありませんか。
リュミナは、こちらへ言い返しました。
「だって、何回も往復するの、面倒なんだもん!」
理由は、よく分かりました。
分かったからといって、賛成できるわけではありませんが。
往復する回数を減らしたい。
だから、一度に多く持つ。
そこまでは、考え方として、理解できます。
ですが、無事に運び終えられる量なのかという確認が、どこかへ抜け落ちていませんか。
何回も歩くのが面倒だからといって、途中で崩れそうな箱を支え続けることが、楽になるとは思えません。
現に彼女は、助けを求めているのです。
最初の手間を減らした結果、別の手間を増やしているようにしか見えませんでした。
もっとも、今、そこまで説明する時間があるかどうかは、別の問題でした。
リュミナの意識は、半分以上、頭上へ向いています。
こちらへ反論していても、箱から注意を外すことはできないのでしょう。
視線も、手も、落ち着きません。
私は、少しだけ眉を寄せました。
大丈夫でしょうか。
いちばん上の箱が、先ほどより傾いているように見えるのですが。
リュミナは、速く動くことができます。
あの模擬戦でも、迷わず相手との距離を詰めました。
ですが、速さがあることと、積んだ荷物が安定することは、違います。
ここで勢いよく動いたら、かえって、箱の方が付いてこないでしょう。
彼女が困っている理由は、力が足りないからではありませんでした。
運び方と、量。
いま必要なのは、そちらの話です。
私達が求めている力とは、随分と違うところで問題が起きていました。
いえ。
何でも、力の話へ結び付けるのも、よくありませんね。
単純に、荷物を積み過ぎた。
それだけのことです。
ただ、その単純なことを、彼女が何とかしようとしている姿を見ていると、少し複雑な気持ちにもなりました。
以前であれば、何を倒すか、どう戦うかを考えていました。
今、リュミナが真剣に相手をしているのは、積み上げた箱なのです。
本人は、面白がっていません。
むしろ、ひどく困っています。
ですから、私が勝手に和やかな出来事として眺めるわけにもいかないのですが。
それでも、こういうことで呼ばれる朝があるのだと、思ってしまいました。
戻ってくることができた、新しい身体。
それで、荷物を運び、運び過ぎて、困っている。
何とも、現実的な使い方です。
再生の仕組みについて説明を聞いていたときには、その先に、こういう光景があるとは想像していませんでした。
リュミナの表情を見て、私は、余計な考えを脇へ置きました。
感慨に浸っている場合ではありません。
今の彼女に必要なのは、新生活についての私の感想ではなく、崩れそうな荷物への対応でした。
「だからといって……」
言い掛けた、そのときです。
ガタッ。
嫌な音がしました。
リュミナの顔が、固まります。
私も、積み重なった箱へ目を向けました。
先ほどまで、かろうじて支えられていた形が、一瞬、変わったように見えました。
あ。
そう思ったときには、もう、遅かったのです。
「……あっ」
リュミナの声が、短く漏れました。
いちばん上の箱が、滑ります。
その動きに押されるように、下の箱も傾きました。
彼女が、慌てて支え直そうとします。
ですが、一つを押し戻すだけでは、全体のずれは止まりませんでした。
箱が、崩れます。
ドサッ。
続けて、ドサドサドサッ、と音が重なりました。
「あああああっ!」
リュミナの叫び声が、その間へ挟まります。
どうにか、最後まで支えようとしたのでしょう。
ですが、積み上げた荷物は、彼女の願いどおりには止まりませんでした。
さっきまで、縦に高くなっていたものが、今度は、下へ広がっていきます。
箱の山が、見事に崩れてしまいました。
私は、言い掛けた言葉を、途中で止めたまま見ていました。
だからといって。
その先へ、何を続けるつもりだったのか。
いまとなっては、言い切る意味も、あまりありませんでした。
すでに、起きてしまったのです。
運び過ぎない方がよいという注意は、次には役立つかもしれません。
ですが、崩れた箱を、崩れる前へ戻してはくれませんでした。
「セリシアぁ……助けてぇ……」
箱の下から、声がしました。
先ほどの呼び声とは、少し違います。
最初の声には、まだ、崩れるのを止めてほしいという切迫感がありました。
今度は、もう崩れてしまったあとの声です。
結果が変わったことで、助けてほしい内容も変わってしまったのでした。
私は、こめかみに指を添えました。
どうして、こうなるのでしょう。
いえ、理由は、聞きました。
何度も往復するのが面倒だったから。
その答えをもう一度思い返しても、やはり、今の状態の方が、手間が少なくなっているとは思えませんでした。
運んでいたはずの箱は、止まっています。
その下に、運んでいた本人がいる。
目的のために使っていたものへ、目的を果たす側が埋もれてしまいました。
少々、順番がおかしいようです。
本人へ、そのように説明しても、喜ばないでしょう。
今は、理屈を聞きたいわけではないことくらい、分かります。
ですから、私は、ため息をつくだけにしました。
書類へ目を通していた、静かな朝。
それは、もう、しばらく前の出来事のように思えました。
同じ研究室で、ほんの少しの時間しか経っていないのですが。
机の上と、入口の箱の山。
その二つを見比べると、研究室の中だけで、随分と違うことが起きているようでした。
リュミナは、確かに働こうとしていたのでしょう。
荷物を、一度にたくさん運ぼうとした。
その点を、否定するつもりはありません。
ただ、運ぼうとしたことと、無事に運べたことは、やはり別です。
いま、目の前にあるのは、後の方に失敗した結果でした。
その違いを、本人にも分かっていただけるとよいのですが。
もっとも、これほど分かりやすい形で困っていれば、私が言わなくても、少しは伝わるかもしれません。
「何を騒いでおるのだ!」
新しい声が、響きました。
ヴェルシアです。
今度は、彼女が姿を現しました。
研究室へ向けられた表情には、すでに、朝から騒がしいことへの不満が浮かんでいます。
「まったく! 朝から、騒々しいぞ!」
声そのものも、十分よく響いていました。
けれど、いま、それを指摘するのはやめておきます。
こちらへ来た理由は、静かにするよう注意するためなのでしょう。
その意図まで、分からないわけではありませんから。
リュミナは、すぐに反応しました。
「王様ぁ! 助けてぇ!」
助けを求める相手が、増えました。
本人にとっては、ありがたい登場だったのでしょう。
私は、入口の方を見ているヴェルシアへ、何から説明すべきか、少し考えました。
何度も往復するのが面倒だったことから、始めるべきでしょうか。
それとも、積み過ぎたという、短い説明だけで足りるでしょうか。
いずれにせよ、目の前の箱の山を見れば、結果の方は、すぐに分かるはずでした。
「……何?」
ヴェルシアが、声のする方へ目を向けます。
そして、箱の山を見下ろしました。
ほんの少し、間が空きました。
その間に、彼女の眉が、分かりやすく寄っていきます。
騒ぎを注意するために来たら、箱の下から、よく知る声が聞こえた。
事情を知らなくても、呆れたくなる光景ではあったのでしょう。
私は、口を挟まずにいました。
先ほど自分が尋ねたことを、今度は彼女も尋ねることになるのだろうと、何となく分かったからです。
箱が崩れた理由を聞く前に、そもそも何をしているのか、確かめたくなる。
目の前の状態は、そのくらい、仕事の途中には見えにくくなっていました。
ヴェルシアが、ゆっくりと口を開きました。
「……リュミナ」
「うん?」
返事は、すぐに来ました。
助けてほしいときの返答は、早いようです。
もっとも、今、彼女が会話へ加われること自体は、よいことなのでしょう。
箱の下からでも、調子は、よく知る彼女のままでした。
私が説明するより先に、本人へ問いが向かう。
それは、よいことかもしれません。
自分が何をしようとして、どうなったのか、本人の言葉で聞いた方が、分かることもあるでしょう。
少なくとも、彼女が運ぼうとしていたことは、間違いありません。
あとは、それを、いまの光景に合うように説明していただければよいのです。
ただ、リュミナの返答には、時折、こちらが思っていた道筋を飛び越えるところがあります。
説明してほしい部分へ届く前に、本人の中で話が終わってしまう。
今回も、そうならなければよいのですが。
私は、箱の山と、王の表情へ、そっと視線を移しました。
ヴェルシアは、その声へ向かって尋ねました。
「うぬは、何をしておる?」
責める前に、まず確かめる。
言葉としては、もっともな問いです。
ただ、その表情を見る限り、返事によっては、さらに声が大きくなりそうでした。
私は、リュミナが何と答えるのかを待ちました。
助けて、と繰り返すのでしょうか。
箱を運んでいたと、説明するのでしょうか。
あるいは、積み過ぎたと、少しだけ認めるのでしょうか。
こちらへ話した理由を、また一から伝える必要はありません。
まず、目の前の状況を説明すればよい。
そのくらいのことを、私は考えていました。
けれど、彼女の返事は、予想よりも短く、そして、随分と明るいものでした。
「お仕事!」
迷いがありませんでした。
確かに、最初は、そうだったのでしょう。
荷物を運ぶために、箱を持った。
ここへやって来たのも、その途中だった。
その意味では、間違いではないのかもしれません。
ですが、現在の状態まで含めて、その一言で説明してしまうのですか。
積み上げた箱を崩し、その下から助けを求めている、いまの状況を。
私は、ヴェルシアの顔を見ました。
返事を聞いて、その眉が、さらに上がっています。
ああ。
これは、来ますね。
そう思った、次の瞬間でした。
「どこがだ!」
研究室へ、声が響き渡りました。
先ほど、騒々しいと注意しに来た方の声が、朝の部屋を、いっそう賑やかにしています。
箱の山からは、リュミナの気配。
その前には、呆れた顔のヴェルシア。
そして私は、書類を手にしたまま、その二人を見ていました。
力を求め、もう一度の機会を得た私達。
新たな場所で始めた生活は、どうやら、戦いだけではできていないようです。
とはいえ、その感想を、今、わざわざ口にするつもりはありませんでした。
目の前の一言に、まず、頷きたくなったからです。
……まったく、そのとおりです。
――第49話・了――




