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転生した主人公が次元神になる  作者: ヘルカイザー
第2部

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第45話 次元神対次元神


 風が、三人の間を吹き抜けた。


 アルカディアの空は、腹立たしいほど晴れている。遠くの雲はゆっくりと流れ、眼下の草原には、先ほどまでと変わらない緑の波が広がっていた。

 その穏やかな景色を背に、小さな白い竜が浮かんでいる。

 左右の前脚には、二丁の漆黒のライフル。背中に広がる黒い翼も、足元に落ちる紫の影も、愛嬌のある顔立ちとはひどく不釣り合いだった。


「さて……いつでもどうぞ♪」


 ヘルカイザーは、笑っていた。

 相手が三人に増えても、いろはが魔導杖を向けても、その表情には何の変化もない。レイが見据えているのは銃口か、それとも、母の消息を知っているという彼の顔か。その両方なのだろう。握り締めた手に、力がこもっている。


 勝てば、レティシアの居場所を教える。

 その約束は、ほんの少し前に交わされたばかりだった。


 はちはダークアークレイを握る手を確かめた。

 ユニゾンによって銀紫色へ変わった髪が、頬をかすめる。紫の瞳は、ヘルカイザーの小さな動きを追っていた。

 左腕の外側では、SIAの魔力ディスクが青白く光っている。セレスティアの召喚は、まだ続いていた。


 頼れる相手が、そばにいる。

 それでも、安心してよい状況ではなかった。


(相手も次元神なんだよな……)


 街へハブを送り出していた裂け目は、こちらのゲートで塞いだ。だが、それだけで相手の力まで封じられたわけではない。

 空間を開く。攻撃を通す。別の場所へ逃がす。

 自分が普段使っている手段を、目の前の相手も使える。

 咲との模擬戦で頼りになった防御が、今度は攻撃を阻む側へ回るのだ。


 はちは視線を動かさず、二人へ念話を送った。


『いろはさん、レイさん』

『どうしたの? はちちゃん』

『あいつは、自分が引き受けます。隙ができたら……大きいのをお願いします』


 声に出さない相談だった。

 ヘルカイザーの注意を引き受け、その間にいろはとレイが攻撃を整える。正面から撃ち合うだけでは届かないのなら、彼が対応しきれない瞬間を作るしかない。

 はちは、短く付け加えた。


『合図を送ります』


 いろはは、すぐには返事をしなかった。

 白い竜の向こうで、幾重にも揺れた空間を思い出していた。五発のカートリッジを使った砲撃さえ、彼には届かなかった。その相手を、はち一人に引き受けさせる。

 作戦の意味は理解できる。だからこそ、頷くことにためらいがあった。


『……分かった。でも、無理したら駄目だよ』

『はい。分かっています』


 レイも、小さく頷く。

 母のことを確かめたい気持ちはある。それでも、はちを置き去りにして答えだけを求めるつもりはなかった。

 彼女の視線はヘルカイザーを捉えたまま、はちとの距離を確かめている。

 合図が来れば、すぐに動く。そのための位置だった。


 三人の間に、短い沈黙が落ちた。

 戦闘前の、張り詰めた静けさ。

 それを破ったのは、ずいぶん気の抜けた声だった。


「あっ、相談は終わりました?」


 はちの眉が、ぴくりと動いた。

 ヘルカイザーは口元へ前脚を添え、ふぁ、と大きな欠伸をしている。

 念話の内容まで聞かれたのか。それとも、動きを止めた三人を見て察しただけなのか。確かめる材料はなかった。

 分かるのは、待たされて退屈していると、わざわざ見せつけていることだけだ。


「誰も仕掛けてこないなら……」


 二丁のライフルが、わずかに持ち上がった。


「こちらから行きますね♪」


 ぽちゃん。


 場違いなほど小さな音が、空気に落ちた。

 はちの前に、透明な波紋が広がる。水滴を受けた水面のように、円が幾つも重なった。中心が内側へくぼみ、向こうの景色が引き延ばされていく。

 ピシッ、と亀裂が走った。


 同じ現象が、いろはの近くにも起きていた。

 レイの脇にも、空間の裂け目が口を開く。


「……っ!」


 一つを警戒している間に、別の一つが開いている。

 はちは反射的に身を引いた。


 直後、裂け目から細長い影があふれ出した。


 ハブだった。


 何匹もの身体が絡み合い、ほどけながら、三人へ向かって落ちてくる。先端で舌が揺れた。陽光を受けた鱗が、ぬらりと光る。


「またハブ!?」


 いろはの声が裏返った。

 肩へ落ちてきた、あの冷たい重み。身体に巻き付かれ、動きを封じられた感覚が、一瞬でよみがえる。

 しかし、今度は見ていた。

 アークレイを引き寄せ、斜めへ身体を滑らせる。つい先ほどまで顔のあった場所を、ハブの群れが通り過ぎた。


 レイも、素早く距離を取った。

 こちらへ伸びてくる身体をかわし、巻き付かれる前に射程の外へ出る。

 はちは白いフード付きジャケットの裾を翻し、すぐ脇を落ちていく影から逃れた。

 足先に、鱗の光がかすめる。

 ほんの少し遅れれば、服の上から絡み付かれていた。


「おやおや♪ よくかわせましたね」


 三人とも捕まらなかったことが、残念なのか、嬉しいのか。

 ヘルカイザーの笑顔からは、読み取れない。


 はちは息を整えるより先に、彼の前脚を見た。

 ハブを見てしまった。その一瞬で、銃口の位置が変わっている。


「でも……これはどうですかね?」


 二丁の黒い銃が、下方を向いた。

 はちの身体が自然に回避の姿勢を取る。銃口の向きから、光が通る軌道を読む。

 これなら、横へ抜けられる。


 低い砲声が響いた。


 まばゆいエネルギーの塊が、銃口を離れる。

 空気が押しのけられ、白い竜の前に光の筋が伸びた。

 だが、それは予想した軌道を最後まで進まなかった。


「次元神発動♪」


 弾の進路に、水面のような揺らぎが生まれる。

 裂け目が開き、撃ち出された光を丸ごと飲み込んだ。


(転送……!)


 はちが視線を戻した、その正面。

 今度は、手を伸ばせば届きそうな距離に、別の裂け目が開いていた。

 近い。

 それでも、一発なら避けられる。


 そう判断した瞬間、光がはじけた。


 一本の線だったはずの攻撃が、無数の細い光弾になって、裂け目から噴き出す。

 正面だけではない。左右へ、上下へ。散弾のように広がる光が、はちの逃げようとした空間まで塗り潰した。


「シールド!」


 咄嗟に張った魔力障壁が、視界を覆う。

 光弾が次々と衝突した。


 ドガガガガッ!


 衝撃が腕を伝い、肩へ突き上がってくる。

 一発を受け止めた場所へ、次の一発が重なった。障壁の表面に走る光が、ひびのように細かく割れる。

 耐えられない、と分かったときには、もう遅い。


 パキィンッ!


 防壁が砕けた。

 飛び込んでくる光を前に、はちは身体をひねる。障壁が稼いだ、わずかな時間。その間に見つけた隙間へ、ほとんど倒れ込むように飛び込んだ。

 肩の脇を、光が抜ける。

 翻った銀紫色の髪が、衝撃にあおられた。


「くっ……!」


 体勢を立て直す。息が、短く詰まった。

 シールドだけで受け止めようとしていたら、直撃していた。


 はちは、閉じかけた裂け目へ目を向けた。

 その奥に、何かが残っている。

 薄い、網のようなものだった。

 光の向こうへ張り渡されたそれが、空間の揺らぎに合わせて、かすかに形を変えている。


(あれか……!)


 転送された一発は、出口で突然増えたのではない。

 裂け目の内側に仕込まれた網が、エネルギーを細かく分け、広い範囲へばらまいたのだ。

 はちには、そう見えた。

 攻撃の向きだけでなく、広がりまで変えている。


 同じように空間を開いているのに、使い方が違う。

 知っている能力だからと、次の動きまで知っているつもりになってはいけない。


「これもかわすとは、すごいですねぇ♪」


 ヘルカイザーは、満足そうだった。

 はちがようやく整えた呼吸とは対照的に、声は少しも乱れていない。


 いろははアークレイを握り直した。

 今の攻撃を、自分が受けていたら。

 考えかけて、やめる。

 はちは回避した。ならば、こちらも次へ備えなければならない。

 ただ心配して見ているために、任せたのではない。


 レイは、ヘルカイザーの背後へ目を走らせた。

 攻撃を通す裂け目は、一つとは限らない。銃口だけを追えば、今のように別の方向から来る。

 三人とも、そのことを理解した。

 彼は一度の攻撃で、こちらの警戒する場所を増やしてしまったのだ。


 はちは、傍らの白い巨竜へ声を飛ばした。


「セレスティア!」


 大きな翼が開く。

 陽光を受けた身体が向きを変え、細長い首の先に、青白い光が集まり始めた。

 はちの左腕では、魔力ディスクが召喚を支える光を保っている。

 セレスティアは小さな主の声に応えるように、ヘルカイザーを真っすぐ捉えた。


 口元の光が膨らむ。

 周囲の空気が震え、低い唸りが風へ重なった。


「撃って!」


 青白い奔流が、空を貫いた。


 先ほどのライフルとは違う、太く、まばゆい光。

 それが一直線に、小さな白い竜へ迫る。

 ヘルカイザーは、軽く目を見開いた。


「おっと♪」


 黒い翼が、大きく羽ばたく。

 彼の身体は上へ跳ね上がった。

 ついさっきまで浮いていた場所を、セレスティアの砲撃が通り過ぎる。

 白い身体を、青白い照り返しが下から照らした。


 逃げた先へ、はちが杖を向けた。

 ダークアークレイの先端には、すでに黒い魔力が集まっている。


「このっ!」


 黒い魔力弾が放たれた。

 上昇を終えたばかりのヘルカイザーへ、一直線に飛ぶ。

 最初の砲撃をかわす方向を絞り、その移動先へ次の攻撃を重ねる。見ていたいろはにも、狙いは分かった。


 だが、ヘルカイザーは笑顔を崩さない。


「何の♪」


 ぽちゃん、と波紋が生まれた。

 黒い魔力弾の前に、次元の裂け目が開く。

 直撃するはずだった一発は、その奥へ消えた。


 空には、何も残らない。

 それを確かめたヘルカイザーが、感心したように頷く。


「なかなか良いコンボですねぇ。しかし……この程度の攻撃は、自分には効きませんよ?」


 はちは、答えなかった。

 効かないことは、分かっていた。

 だから、撃ったのだ。


 セレスティアの光へ目を向けさせ、次には黒い魔力弾を処理させる。

 こちらを見ているつもりのまま、彼の注意は、迫る二つの攻撃に向いていた。

 その間にも、はちは空間へ働きかけていた。


「……おや?」


 ヘルカイザーの視線が、わずかに横へ動く。

 何もないはずの場所に、虹色の縁が揺れていた。

 反対側にも、同じ光がある。

 上にも。下にも。そして、背後にも。


「これは……」


 彼を取り囲むように、幾つもの裂け目が開いていた。

 ディメンションゲートと、ディメンションボックス。

 二つを組み合わせ、周囲へ射線を通す。

 咲との模擬戦でも用いた手だった。しかし、目の前の相手に対しては、ただ並べるだけでは足りない。

 見せる攻撃を続け、その陰で、囲む準備を整える必要があった。


 はちの指が、杖を強く握った。

 相手が周囲を見た。

 その瞬間を、逃さない。


「これで終わりです!」


 裂け目の奥が、一斉に輝いた。


 無数の魔力弾が、あらゆる方向から撃ち出される。

 頭上から落ちる光。足元からせり上がる光。左右から交差し、背後から迫る光。

 空を埋める射線が、白い小さな身体へ集中した。


「ちょっ……」


 ヘルカイザーの声が、途中で途切れる。


 轟音。


 光と光が重なり、激しい爆発が空中で膨らんだ。

 衝撃波が風を押しのけ、いろはの髪を激しく揺らす。レイが片腕を上げ、吹き寄せる圧力から顔をかばった。

 白煙が、輪郭を失いながら広がっていく。

 その中心にいたはずの白い竜は、見えなくなっていた。


 はちは、杖を下ろさなかった。

 爆煙の中から視線を外さず、口を引き結んでいる。

 あれだけの数を、逃げ道を塞ぐように撃ち込んだ。

 普通の相手であれば、もう戦いを続けられないかもしれない。


「はちちゃん……」


 いろはが、ためらいがちに呼び掛けた。


「少し、やり過ぎじゃ……」

「私も、そう思う……」


 レイの声にも、戸惑いがあった。

 銃を向けてきた相手だ。街にハブを放ち、多くの人を苦しめたのも彼だった。

 それでも、先ほど見えていたのは、あまりに小さな身体だった。

 あの集中砲火の中へ消える姿は、二人に一瞬、別の心配を抱かせた。


「いえ……次元神には、これくらいしないと」


 はちは答えた。

 声には、勝ったという確信がない。


「それに……」


 言葉が止まる。

 煙の奥を見ようとして、紫の瞳が細められた。

 あの笑顔が、頭から離れない。

 攻撃の広がりまで変え、余裕を持ってこちらを眺めていた相手が、これで終わるだろうか。


(当たっていてくれれば……)


 願望を、判断に変えてはいけない。

 自分自身、窮地から何度も空間を使って抜け出してきたのだから。


「それに……何ですか?」


 すぐ近くで、声がした。


「……え?」


 いろはとレイが、同時に振り向いた。

 はちも、声の方へ顔を向ける。


 そこに、ヘルカイザーがいた。


 煙の中ではない。

 爆発が起きた場所から離れた、何もなかったはずの空中に、彼は浮かんでいた。

 両の前脚を背後へ回し、三人を眺めている。

 白い身体には、傷一つ見当たらなかった。

 毛並みさえ乱れていない。


 いろはの喉が、小さく鳴った。

 あれだけ撃たれて、無傷。

 心配した直後だったからこそ、その事実がいっそう重く感じられた。


 はちの背中へ、冷たいものが走る。


(当たる直前に……ゲートで逃げたか)


 転移した瞬間は、見えなかった。

 爆発の光に紛れたのか、それより前だったのか。

 ただ、ここにいる彼と、今も煙の残る場所を見比べれば、攻撃をかわされたことだけは明らかだった。


「なかなか面白い組み合わせをしますねぇ♪」


 ヘルカイザーは、愉快そうに告げた。

 はちが必死に組み立てた攻撃を、珍しい工夫でも見せられたように語っている。


「では、参考になったお礼に……自分も一つ、芸をやりますね♪」


 はちは、息を詰めた。

 さっきの網が脳裏をよぎる。

 今度は、どこへ裂け目を開くのか。どんな形に攻撃を変えるのか。

 杖を向け直し、相手の前脚へ目を凝らす。


 しかし、ヘルカイザーは、はちだけを見てはいなかった。


「それに、いろはさん達も、お暇そうですので♪」


 いろはの表情が引き締まる。

 こちらの動きまで、見られていた。

 はちの攻撃に合わせるため、二人が力を残していることを、どこまで察しているのだろう。

 レイも口を引き結んだ。

 ヘルカイザーは、そんな二人へ前脚を差し出した。


「これ……なーんだ?♪」


 そこにあったのは、銃ではなかった。

 いつの間にか黒いライフルは姿を消し、代わりに、二つのデバイスが握られている。


 いろはの目が見開かれた。

 レイが、わずかに前へ出る。


「あれは……」

「もしかして……」


 はちは、二人の横顔を見た。

 ただ珍しいものを見た顔ではない。

 見覚えがある。

 しかも、簡単には忘れられない相手に関わるものなのだ。


「よく覚えていましたね♪」


 ヘルカイザーは、二つのデバイスを軽く持ち上げた。


「そうですよ。これは、いろはさん達が倒した、あの残滓が使っていたデバイスです」


 いろはの指が、アークレイの柄へ食い込む。

 過去の戦いの中に置いてきたはずのものが、目の前にある。

 なぜ彼が持っているのか。

 いつ、どこで手に入れたのか。

 疑問は幾つも浮かんだが、ヘルカイザーは答えを待つつもりなどないようだった。


 はちも、その意味を理解し始めていた。

 直接その戦いに加わったわけではない。それでも、聞いた話と、二人の反応が結び付く。


 エクリプス。

 残滓から生まれた、彼女たち。


 はちの視線が、二つのデバイスへ戻った。

 こちらを挑発するために、ただ見せているだけなのか。

 それとも、まだ先があるのか。


「次元神には、こういう使い方もあるのですよ♪」


 声と同時に、デバイスが光を帯びた。


 ヘルカイザーの前脚を離れ、ゆっくりと浮かび上がる。

 二つは空中で静止し、その下へ、それぞれ魔法陣が広がった。

 幾何学的な紋様が輪を描く。

 幾重にも重なった線が光り、静かに回転を始めた。


 低く澄んだ音が、風の中へ伸びる。

 いろはは、光の中心から目を離せなかった。

 デバイスの下に、輪郭が生まれている。

 髪。肩。腕。

 何もなかった場所へ、人の姿が形作られていく。


 二つの人影が、光の中から現れた。


 はちが、思わず息を呑む。

 予想はしていた。

 だが、実際に目の前で姿を得ていく過程は、予想していたからといって平然と見ていられるものではなかった。


 先に、一人がゆっくりと目を開いた。


「珍しいですね……」


 落ち着いた声だった。

 長い髪を下ろした女性が、ヘルカイザーへ顔を向ける。


「あなたが、私達を呼ぶなんて」


 セリシア。


 いろはと、よく似た顔立ちだった。

 けれど、髪型も、まとっているバリアジャケットの色も違う。

 形は近くても、そこにいるのはいろはではない。

 静かな瞳でヘルカイザーを見る様子には、彼女自身の落ち着きがあった。


 そして、もう一人。


「ホント……どういう風の吹き回しなんだよ?」


 少し不機嫌そうに口を開いたのは、水色の髪の女性だった。

 顔立ちは、レイによく似ている。

 だが、こちらも同じ人物ではないと、すぐに分かる。言葉の調子にも、ヘルカイザーへ向ける視線にも、レイとは違う軽さがあった。


 リュミナだった。


 二人とも、はちが知識として思い浮かべていた姿より、大人びている。

 いろはやレイと同じように、年を重ねた姿。

 再び会う相手として、勝手に頭の中へ描いていた輪郭が、目の前の二人に置き換わっていく。


 ヘルカイザーは、驚かせることに成功したのが嬉しいようだった。


「いやですねぇ。たまには良いかな、と思いましてね?」


 二人へ向けていた前脚を、今度はいろは達へ向ける。


「それに……あなた達にとって、懐かしい人がいらっしゃいますよ♪」


 セリシアが、示された方を見た。

 その視線が、いろはの顔で止まる。

 次いで、彼女が握っているアークレイへ下りた。


「……ほう」


 驚きは、ほんのわずかだった。

 それでも、すぐに誰であるかを理解したことは分かった。


「確かに……懐かしい人ですね」


 いろはは、声を出せなかった。

 目の前の女性は、こちらを覚えている。

 成長した姿になっても、過去のことがなくなったわけではない。

 魔導杖へ向けられた視線が、そのことを、はっきりと伝えていた。


「姿形が変わっても、そのデバイスは覚えています。あなたも、大人になっていたのですね」


 セリシアの口元が、わずかに緩んだ。


「……当たり前ですけれど」


 静かな感慨を含んだ言い方だった。

 いろはもまた、目の前の姿と、記憶にある相手を重ねていた。

 名前を呼ぶには、まだ少し遠い。

 だが、見間違いだと言い聞かせられる距離でもなかった。


「そうだねー♪」


 リュミナは、もっと分かりやすく笑った。

 青い髪が、風に揺れる。

 彼女の視線は、レイを捉えていた。


「ホント、懐かしいなぁ」


 レイは、彼女から目をそらさなかった。

 驚きに足を止めていても、相手は待ってくれないかもしれない。

 似た顔をした二人が、空中で向かい合う。

 その片方だけが、楽しげに目を細めた。


「あいつらには、借りがあるしね♪」


 はちの胸に、嫌な予感が広がった。

 わざわざ二人を呼んだ理由。

 いろは達が暇そうだと言った理由。

 それらが、一つにつながっていく。


 ヘルカイザーは、その理解を待っていたように頷いた。


「でしょう♪ せっかくですから、彼女らと遊んできたらどうです?」


 軽い言葉だった。

 近くへ出かけるついでに、知り合いと会ってきてはどうか。そんな調子で告げている。

 しかし、その提案が何を意味するか、三人には分かっていた。


 セリシアが、いろはを見る。

 リュミナが、レイを見る。


 はちは、ダークアークレイを握り直した。

 自分がヘルカイザーを引き付け、その隙を二人に狙ってもらう。

 あの作戦を、根元から崩そうとしている。


「そうですね……」


 セリシアは、ゆっくりと頷いた。


「久しぶりに、外へ出られたことですし」

「こっちも、借りを返したいしね♪」


 リュミナは、すでに乗り気だった。

 デバイスを手に取り、レイとの間にある距離を測るように身構える。

 レイの唇が、きゅっと結ばれた。

 母の居場所を知る相手は、すぐそこにいる。

 それでも、彼だけを見ていればよい状況は、もう終わっていた。


「決まりですね♪」


 ヘルカイザーが、満足そうに言う。

 そして、二人へ念を押した。


「ただし……やり過ぎて、殺しては駄目ですよ」


 セリシアは、当然のことを確認されたように微笑んだ。


「分かっていますよ」


 リュミナも、軽く頷く。


「ヘルカイザーは、ホント、殺しとか嫌いだよね。約束は守るよ♪」


 はちは、思わず彼女の顔を見た。


(……殺しが、嫌い?)


 街へ放たれた、無数のハブ。

 治療薬を求めて右往左往していた人々。

 いろはから聞かされた、郊外での出来事。

 それらと今の言葉が、うまく重ならない。


 相手を傷つけることに、ためらいは見えなかった。

 恐怖に染まる顔を見て、楽しんでいた。

 そんな彼を知っているらしいリュミナが、ごく自然に、殺しを嫌うと口にしている。


 はちはヘルカイザーへ視線を戻した。

 否定する様子はない。

 二人の返事に満足したように、穏やかに頷いている。


 何を基準にしているのか。

 どこに線を引いているのか。

 今の短い会話だけでは、分からなかった。

 分からないまま、危険が減ったわけでもなかった。


「では……楽しんでくださいね♪」


 その言葉を合図に、二人が動いた。


 セリシアは、いろはへ。

 リュミナは、レイへ。


 デバイスを構えた二つの影が、それぞれの相手へ向かって飛ぶ。

 いろはは即座にアークレイを持ち直した。

 驚きも疑問も、まだ胸の中に残っている。

 それでも、目の前へ迫る相手に、無防備なままでいるわけにはいかなかった。


 レイも、リュミナへ向き直る。

 ヘルカイザーへ近付こうとするなら、まず彼女に対応しなければならない。

 そのことを、相手の進路がはっきりと示していた。


「……っ!」


 はちの口から、短い息が漏れた。

 二人に合図を送る隙を作るはずだった。

 なのに、その二人の前へ、別の相手を置かれてしまった。


 追うべきか。

 一瞬、視線が横へ動く。

 そのわずかな動きを、声が引き戻した。


「さて……」


 はちは、正面を見た。

 ヘルカイザーが、こちらを見ている。

 黒い翼が、ゆっくりと開いた。

 先ほどまでと変わらない笑顔なのに、今は、三人の間を隔てる壁のように見えた。


「はちさん。お待たせしましたね♪」


 待たせた、と彼は言った。

 こちらの攻撃をかわし、新しい相手を呼び、二人をそちらへ向かわせる。

 そのすべてを、自分の番が来るまでの支度のように扱っていた。


 はちは、杖を構え直す。

 左腕の魔力ディスクは、変わらず光を保っていた。

 ステラとのユニゾンも解けていない。

 使えるものは、まだある。

 それでも、最初に描いていた戦い方は、使えなくなっていた。


 いろは達の援護を前提に、無理に動くことはできない。

 二人は、それぞれ目の前の相手へ対応している。

 ヘルカイザーは、まさにその状況を作りたかったのだ。


(……思うつぼか)


 悔しさが、喉の奥へ引っ掛かった。

 同じ能力を持つ相手を崩すため、三人で隙を作るつもりだった。

 その相談の直後から、相手は笑っていた。

 どこまで見抜いていたのかは分からない。

 だが、今の配置だけは、こちらの望みとは正反対だった。


 眼下の草原に、風が走る。

 はちとヘルカイザーの間を、何も遮らずに吹き抜けていく。

 小さな白い竜が、ゆったりと身体の向きを整えた。


「では、続きを始めましょう♪」


 はちは答える代わりに、彼を見据えた。

 包囲しても、逃げられた。

 攻撃を重ねても、受け流された。

 今度は、二人との連携まで崩されている。


 それでも、ここで引くわけにはいかない。

 街に起きていることも、彼が口にした制圧の目的も、そのままにはできなかった。

 レイへ告げた、母の消息もある。


 紫の瞳が、ヘルカイザーの前脚を追う。

 銃がなくても、空間がある。

 何もない場所から、次の攻撃が現れる。

 もう、それを知っていた。


 向かい合う二人の間に、再び緊張が満ちた。

 遠くでは、いろはとレイが、それぞれ懐かしい相手を迎え撃とうとしている。

 彼女たちへ向けていた合図の代わりに、はちは正面の相手だけへ意識を絞った。


 ヘルカイザーの笑みが、わずかに深くなる。


 同じ次元を操る力を持つ者同士。

 その戦いは、彼が整えた舞台の上で、再び始まろうとしていた。


――第45話・了――

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