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転生した主人公が次元神になる  作者: ヘルカイザー
第2部

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第43話 アルカディアを襲う無数のハブ



 次元震の調査から、いろはが帰ってきて数時間が過ぎていた。

 はちは、少し困っていた。


 いろはの様子が、いつもと違う。

 傍にいるのに、何かを考え込んでいる。時折、記憶の中のものを確かめるように眉を寄せ、息を吐いていた。


 調査の途中で出会った人物が、原因らしい。

 名前は、ヘルカイザー。


 はちは、その名を心の中で繰り返した。

 聞いただけでは、どんな相手なのか分からない。だが、いろはがこれほど考え込んでいる以上、ただ珍しい相手を見つけただけではないのだろう。


 しばらく待っても、いろはは口を開かなかった。


 はちも、すぐには話を急がせなかった。調査から帰ってきたばかりなら、考えることがあるのかもしれない。そう思って様子を見ていたのだが、いろはの表情は、こちらが待つだけでは変わらなかった。

 何かを言い掛けるように顔を上げても、すぐにまた考えへ戻ってしまう。隣にいるはちへ気づいていないわけではない。それでも、意識の一部が、まだ出会った相手のところに残っているようだった。

 悩みを知れば解決できると、はちも思っていたわけではない。ただ、あんな顔をしたままでいるのを、放っておくのは難しかった。

 はちは顔を覗くようにして、そっと声を掛ける。


「いろはさん……何か、悩み事があるのですか?」


 いろはの肩が、びくりと揺れた。


「ふえ? うん! 大丈夫だよ!」


 慌てて、笑顔を作る。

 はちは、その顔を見上げたまま瞬きをした。

 大丈夫、と言われても、何を考えていたのかへの答えにはなっていない。


 いろはも、そのことには気づいたのかもしれない。

 何かを言おうと唇を開きかけた。


 その前に、通信が入った。


『いろはちゃん! はち! 今すぐテレビをつけてくれんか!』


 かなでの声だった。

 いつになく、切迫している。


「……え?」


 はちは、いろはと顔を見合わせた。

 テレビに何かが映っているのだろうか。

 理由を尋ねるより先に、言われたとおり電源を入れる。


 ピッ。


 画面が明るくなった。

 そこへ映し出された姿を見て、はちは首を傾げる。


『アルカディアの皆様♪』


 白くて、小さな身体。

 愛嬌のある顔立ち。

 背中には、悪魔を思わせる黒い翼がある。


『はじめまして〜♪』


 満面の笑みだった。

 ぬいぐるみが、そのまま動いて喋っているようにも見える。

 あまりにも明るい挨拶と、かなでの声の切迫ぶりが、すぐには結びつかなかった。


 ガタッ。


「ヘルカイザーさん!」


 いろはが、勢いよく立ち上がった。

 はちは、そちらを振り向く。


「……えっ?」


 あれが、ヘルカイザー。

 いろはを、先ほどから悩ませていた相手だった。


 はちは、もう一度画面を見た。

 小さな白い竜が、変わらず笑っている。


 いろはが名前を呼んだことで、ばらばらだった情報が繋がった。テレビをつけろと告げた通信。いろはの深刻な表情。そして、画面を占める、ふざけたほど明るい顔。

 はちは、その顔をよく見た。こちらは初めて見ている相手なのに、向こうはすでにアルカディア全体へ呼び掛けている。いろはとの出会いがどんなものだったのかを聞く前に、本人が放送へ現れてしまった。

 驚くはちと違い、いろはの目には警戒があった。面白い番組が始まったのではない。そのことだけは、二人の間ですぐに共有されていた。

 その顔を見るいろはの表情だけが、明らかに変わっていた。


『何ですか? テンションが低いですね〜』


 ヘルカイザーが、わざとらしく首を傾ける。

 こちらの声が聞こえているのかと思うような言い方だった。


『せっかくアルカディアの皆様にご報告するため、電波をジャックしたのに……』


 両方の前脚を、顔の近くへ持ち上げた。


『自分は、悲しいですよ?』


 しくしく、と泣く真似をする。

 はちは、口を開きかけて閉じた。

 どう見ても、嘘泣きだった。


 しかし、そんな仕草を笑って見ていることはできなかった。

 放送を乗っ取った、と本人が言っている。

 かなでの通信も、この映像を見せるためだったのだ。


 そして、画面の向こうから伝わってくるものがある。


(……何だ、このマイナスエネルギーは……?)


 はちの目が、僅かに細くなった。

 小さな白い姿から受ける印象と、その気配が噛み合わない。

 底の見えない、暗い穴を覗き込むようだった。


 顔の大きさも、笑っている口元も、画面に収まるものにすぎない。だが、感じ取るものの方には、同じような境目が見えなかった。

 いろはが先ほどまで考え込んでいた理由を、はちはまだ詳しく知らない。それでも、この相手を気軽に扱えないことは分かった。見た目や口調へ気を取られたままでは、何かを見落としてしまう。

 はちは、画面から目を離さなかった。マイナスエネルギーを感じるということと、相手が何をするか分かるということは別だ。今は、その動きを最後まで見ておくしかなかった。


 どこまで続いているのか、分からない。

 明るい声を聞いているのに、目を逸らして済ませられるものではなかった。


『さて……』


 ヘルカイザーが、ぴたりと嘘泣きをやめた。


『挨拶はこれくらいにしまして……アルカディアの皆様に、伝えたいことがあります♪』


 顔を上げると、また笑っていた。

 何か楽しみな予定でも告げるような顔だ。


『今からアルカディアの皆様に、お土産を差し上げますね♪』

「……お土産?」


 はちが、呟いた。

 いろはは、すでに画面を睨むように見ている。


 パチンッ。


 テレビから、乾いた音がした。

 ヘルカイザーが、前脚を動かしていた。


 その直後。


 ボトッ。


 何かが、床へ落ちた。


「……え?」


 はちは、足元へ顔を向ける。

 一つの細長い影が、そこで動いていた。


 ボトボトボトッ!


 続けざまに、降ってくる。

 一本ではない。次々と落ちた身体が、床でうねり始めた。


 最初の一匹を見つめていた視線が、次の落下へ引かれる。そちらへ顔を向ける間にも、別の影が落ちた。はちは足を引き、床へ広がり始めた動きを追った。

 さっきまで何もいなかった場所だった。歩いても、足を置いても気にする必要のなかった床が、今は見下ろしてからでなければ踏み出せない。

 いろはの立つ位置と、自分の足元。その間にも、細長い身体がある。テレビのお土産という言葉が、遅れて嫌な意味を持ち始めていた。


 鱗に覆われた、細長い身体。

 頭を持ち上げ、舌を揺らす、その姿。


「ハブ?」


 はちが、目を見開いた。

 なぜ、ここにいる。

 だが、その疑問に答えが出るより早く、外から声が聞こえた。


「うわあああっ!!」

「助けてくれぇぇぇっ!!」


 一人や二人ではなかった。

 あちらこちらから、別々の悲鳴が上がっている。

 はちが見た床の上だけで、起きていることではないらしい。


 いろはが、周囲へ目を走らせた。

 はちも、落ちてきた蛇から距離を取る。


 声は、途切れなかった。


「いやーっ! 来ないで!」

「離れなさいよ!」


 女性の悲鳴も、聞こえてくる。

 その身体には、ハブが巻き付いていた。

 腕へ絡み、脚へ回り、動こうとする方向を妨げる。

 服の上から振りほどこうとしても、なかなか離れない。


 一方で、別の声も混じり始めていた。


「痛ぇぇっ!!」

「咬まれた! 誰か助けてくれ!!」


 男性たちが、悲鳴を上げている。

 蛇を避けようとしていた者が、その場へうずくまる。

 近くにいた人々が驚き、別の方向へ逃げようとする。


 行こうとした先にも、ハブがいる。

 足を止めれば、後ろからも近づいてくる。

 いつもの通り道が、突然、安心して踏み出せない場所へ変わっていた。


 悲鳴の一つが遠ざかると、別の声が近くで上がる。どちらへ行けば安全なのか、誰もすぐには分からないようだった。

 女性たちは腕に巻き付いた身体を離そうとし、男性たちは足元の動きから距離を取ろうとしている。自分の周囲を確かめることに必死になるほど、ほかの人が動く先へ目が届かなくなる。

 はちは、外から届く声に顔を上げた。ここで見えている数だけを片づければ済むとは、もう思えなかった。放送が街へ呼び掛けた直後から、見えないところにまで同じ異常が広がっている。


 シュッ。


「……わふっ!?」


 一匹が、はちへ飛び掛かった。

 はちは反射的に身体を捻る。

 白い頬のすぐ脇を、細長い身体が通り過ぎた。


 間一髪だった。

 かわした先へ足を着き、次の一匹へ目を向ける。

 立ち止まって驚いている余裕は、もうなかった。


「いやーっ! 来ないで!!」


 いろはは、すでにバリアジャケットを展開していた。

 アークレイを構え、近づくハブを退けている。

 その声には、先ほどの体験を思い出したような切迫があった。


 杖を向ける動きは、止まっていない。怖くないわけではないのに、近づくものを退け、次の一匹へ向き直っている。

 はちは、その横顔を見た。悩みを尋ねたときには慌てて笑っていた人が、今は目の前の危険から視線を逸らさずにいる。それでも、蛇が近づくと声が裏返る。

 いろはが相手を知っていることは分かった。だが、今は詳しく聞いている場合ではない。二人とも、テレビを見るために止めていた身体を、次の行動へ動かさなければならなかった。


 一匹を遠ざけても、次が来る。

 そこへ向き直ると、また別の身体が床を進んでいた。

 いろはは杖を握り直し、はちの位置を確かめる。


『良いですねぇ♪ この悲鳴♪』


 テレビの声が、二人の間へ入った。

 画面の中で、ヘルカイザーが笑っている。


『良いマイナスエネルギーですよ♪』


 はちは、そちらを見た。

 嘘泣きではなく、今度は本当に楽しそうだった。

 足元に降った蛇と、外の悲鳴。その原因が、画面の中で笑っている。


(……こいつ)


 指へ、力が入った。

 だが、怒りを向けるだけではハブは止まらない。

 次の一匹が迫るのを見て、はちは左腕へ呼び掛けた。


「くっ……シア!」

『了解しました!』


 魔力の光が、はちを包む。

 戦闘に備えた装備が展開されると、左手首のSIAも起動した。

 本体が動き、その左外側へ青白い魔力ディスクが形成される。


 はちは右手中指の指輪型カードケースから、一枚のカードを取り出した。

 手元では、裏面が向いている。

 それを左腕の外側に浮かぶ魔力ディスクへセットした。

 表面が、光の中へ現れる。


「魔法発動! 光の剣で、動きを封じます!」


 無数の光の剣が、ハブの周囲へ降り注いだ。

 床へ次々と突き立ち、動こうとしていた身体を光で囲んでいく。

 蛇が身をくねらせても、その先へ進めない。


 はちは、近くの動きが止まったのを確かめた。


「……よし!」


 少なくとも、この周辺のハブは動けない。

 街全体が静かになったわけではないが、今の場所で次の一手へ移る時間はできた。


 光の剣の間で、蛇の身体が動く。だが、その先へは出てこない。はちは一匹だけではなく、周囲の範囲を確かめた。さっきまで足を置く先を選ばされていた場所に、僅かな余裕が戻る。

 いろはも、その変化を見た。次々に相手を退けるだけでは、別の一匹へ追われ続ける。動きを止められたことで、ようやく二人とも次のことへ意識を向けられた。

 ただし、外からの声は続いている。この場が落ち着いたことを、そのまま街の解決と考えることはできなかった。はちは手元のディスクを維持したまま、相棒を呼んだ。


「ステラ!」


 はちの声に、ステラが顔を向けた。

 光の剣と、はちの表情を見て、小さく頷く。


「わかった……」


 二人の声が、重なる。


「「ユニゾン・イン!」」


 淡い光が、身体を包んだ。

 ステラの姿が粒子へ変わり、はちの内側へ重なっていく。

 腰まで届く髪が銀紫色へ変わり、灰色の瞳へ澄んだ紫が宿った。


 同調した感覚の中で、はちは顔を上げる。

 あれだけのマイナスエネルギーだ。

 発信している相手を探す手掛かりにはなる。

 ここで蛇を払い続けるだけでは、街の混乱を止められなかった。


 魔力ディスクは、維持されている。

 はちは右手中指のカードケースから、次の一枚を取り出した。

 手に持ったカードの裏面を、そのままディスクへ運び、表向きにセットする。


 光が、広がった。

 その中心へ、巨大な白い竜が現れる。


 セレスティア。

 白い翼が大きく開き、二人の前へ、その背が向けられた。


「はちちゃん! 私も行くよ!」


 いろはの声に、はちが頷く。


「わかりました!」


 セレスティアの背へ乗る。

 白竜が翼を羽ばたかせると、身体が浮かび上がった。

 いろはも、その傍らへ並ぶ。


 上空へ出たはちは、眼下を見た。

 アルカディアが、混乱に包まれていた。


 通りを逃げる人がいる。

 その先を避けようとして、別のハブを見つけて立ち止まる人がいる。

 動けなくなった者の周りで、さらに声が上がっていた。


 いつもの街並みなのに、そこで暮らす人々の動きが違う。

 はちは、セレスティアの背で身を乗り出すように、その広がりを見た。


 そこへ、また声が届く。


 上から見れば、騒ぎの広さが分かった。一つの声へ近づこうとすると、別の場所でも人が走っている。巻き付かれた者を助けようとする周囲の人々も、次に現れた蛇へ動きを止められていた。

 セレスティアの背で、はちは街の道筋へ目を走らせる。見慣れた建物の間を、人々が普段とは違う速さで移動していた。買い物や用事のために歩いていたはずの道が、逃げるための場所になっている。

 いろはも、隣で下を見ていた。飛び立てば蛇から離れられる二人とは違い、地上では、その場から一歩進むために苦労している人がいる。はちはその様子を見ながら、発信元を探そうとしていた。


『あーあー。今、蛇に咬まれた方〜』


 ヘルカイザーの放送は、続いていた。


『今の蛇はハブですが……すぐには毒が回りませんよ〜』


 はちは、声の先を待った。

 安心させるための言葉ではない。画面越しに感じた気配が、そう思わせた。


『いずれは毒が回り、死にますけど♪』


 いろはの顔が、強張った。

 その言葉を聞いた人々の動きが、眼下で変わる。


『助かりたい方は、自分から薬を買ってくださいね〜♪』


 ヘルカイザーが示したのは、毒を治療するための薬だった。

 だが、続いた値段は、日常の買い物とはまったく違っていた。


『一本あたり、一千万しますけど……♪』


「…………は?」


 はちは、言葉を失った。

 蛇を撒き、その毒を恐れさせてから、薬を売る。

 それを、商売のように告げている。


 値段を聞いた直後、はちは一瞬、聞き違いかと思った。だが、放送はそれを訂正しない。命が助かるかどうかを告げられた人々へ、一千万という数字がそのまま突きつけられていた。

 今すぐそんな金を出せる者ばかりではない。出せなければどうなるのかという答えまで、ヘルカイザーは先に言っている。

 いろはは唇を引き結んだ。怖がらせた後で、逃れるための条件を差し出す。その言い方には、助けたい者の切迫がない。自分で始めた騒ぎを、都合のよい取引へ変えていた。


 いろはは、放送の声を聞きながらアークレイを握った。


 声のする画面へ向き直りたくなるのを、堪えているようだった。今は、その相手を睨んでも、目の前の人々が助かるわけではない。

 それでも、耳へ入る明るい声が、怒りを強くした。こちらが下へ目を向けるたびに、困っている人が見える。彼は、その反応を楽しんでいる。

 はちは、いろはの手元へ一度目を向けた。アークレイを構えるその指も、力が入っている。相手を止めたいという気持ちは、言葉にしなくても伝わってきた。

 自分を拘束したときも、ヘルカイザーは怖がる顔を見て笑っていた。

 今は、その相手が街全体へ広がっている。


 だが、二人が考えるより早く、眼下で新たな声がした。


「金をよこせぇぇぇぇ!!」


「……え?」


 はちは、声のした方へ目を向けた。

 一人の男性が、近くにいた人へ襲い掛かっていた。

 必死に手を伸ばし、金を奪おうとしている。


「なっ……!?」


 その一人だけでは、終わらなかった。


「金を出せ!」

「俺だって、死にたくねぇんだよ!!」


 別の場所でも、声が上がる。

 咬まれた男たちが、目の前の人々へ向かい始めていた。


 老人へ掴みかかる者がいた。

 銀行へ向かおうとする者がいた。

 友人らしい相手へ金を迫る者までいる。


 助かりたい。

 死にたくない。

 その恐怖が、別の誰かを傷つける行動へ変わっていった。


 蛇を避けるために逃げていた人が、今度は人から逃げることになる。金を出せと迫られ、後退した先にもハブがいる。

 はちは、その光景を上から見ていた。襲い掛かる側の必死な顔も、急に掴みかかられた側の驚きも、見えてしまう。

 咬まれたことが、他人を傷つけてよい理由にはならない。だが、死ぬと言われた者たちは、目の前の金へ追い詰められている。被害を受けた者が、別の被害を作り始めていた。

 はちは、声の上がる場所を一つずつ追った。蛇だけを見ていればよかった状況から、街全体の動きが変わってしまっていた。


(……まさか……)


 はちは、息を呑んだ。

 薬の値段を言えば、こうなると分かっていたのだろうか。

 自分で作り出した危険を止めるために金が要ると告げ、人々を追い詰めている。


「……くっ!」


 隣を飛ぶいろはが、苦しそうに顔を背けかけた。

 だが、すぐに下へ目を戻す。

 見たくないからといって、起きていることは消えない。


『おやおや……仕方がない人たちですね〜♪』


 ヘルカイザーの声が、響いた。

 自分のせいで起きている騒ぎを、他人事のように語る。


 はちは、歯を食いしばった。

 早く、止めなければならない。

 だが、目の前には、蛇と、傷ついた人と、争い始めた人々がいる。

 一つを止めれば、すべてが収まるようには見えなかった。


 そのとき、通信が入った。


『はち! 何とか、こちらで薬を作ることはできへんか?』


 かなでだった。

 はちは、眼下の状況を見ながら答える。


「作ることは簡単ですけど……時間が掛かり過ぎます……」


 薬そのものを作ることは、できる。

 だが、必要なのは一本ではなかった。

 街のあちこちで、人が咬まれている。

 これほどの人数へ行き渡らせる量を、すぐに揃えることはできない。


 作れるかどうかと、間に合うかどうかは、別の話だった。


 かなでが、その答えを聞いている。はちは通信を閉じる前に、必要なのが少人数分ではないことを、もう一度言葉の中で確かめた。

 作り方を考えるだけなら、できる。だが、眼下で声を上げている者たちへ一度に渡せる量を揃えるには、それに見合う時間が要る。その間にも、ハブは増え続けている。

 何かを作れば解決できると、言い切りたかった。かなでの問いに、すぐ任せてほしいと返せればよかった。はちは唇を結び、できることと、今すぐにはできないことを切り分けた。約束だけして、間に合わなかったでは済まない。

 はちは言い終え、眼下へ目を戻した。


『はい、毎度あり♪』


 ヘルカイザーの声が聞こえた。

 薬は、売れているらしい。

 誰かが金を払い、少なくとも一本を手に入れていた。


「やった……助かった……」


 一人の男性が、安堵の息を吐いていた。

 はちは、そちらを見た。


 その直後だった。


 ガブッ。


「ぎゃあああっ!?」


 男が、またハブに咬まれた。

 薬を手に入れたことは、蛇がいなくなったことを意味していない。


 安堵していた男性の声が、悲鳴へ変わった。はちはその切り替わりを見てしまった。

 助かったと思えた時間は、短かった。高い金を払って薬を手に入れても、すぐ近くにある別の危険は消えない。彼だけを取り囲む蛇が、特別に退いてくれるわけではなかった。

 いろはも同じ光景へ目を向けていた。二人の視線が、一瞬だけ合う。何が起きたのかを、確認し合う言葉は要らなかった。被害が終わらない理由が、今、目の前で示されていた。

 足元にも、通りにも、まだ次々と姿がある。


 はちは、目を見開いたまま男を見た。

 咬まれる。

 薬を買う。

 助かったと思ったところで、また咬まれる。


 今の騒ぎは、それを何度でも起こす。

 薬の量だけを考えていても、その間に新しい被害が増えていく。


(……キリがない!)


 はちは、周囲を見回した。

 先に、ハブを何とかしなければならない。

 だが、どこから出てきているのか。


 建物の上。

 道路。

 そして、空中。


 ありとあらゆる場所に、その姿があった。

 ただ大量に持ち込んだだけにしては、増え方がおかしい。


 目につくものを退けるだけなら、はちにもいろはにもできる。だが、見えている範囲の数を減らしても、それとは別の場所へ次が出るのでは、追いつけない。

 はちは、蛇がいる場所だけではなく、現れる瞬間を探そうとした。すでに道路を進んでいるものと、今そこへ来たもの。その違いが見えれば、辿る先があるかもしれない。

 セレスティアの羽ばたきに合わせ、視界が少しずつ動いていく。建物の上を見て、通りへ目を下ろし、また空中を確かめた。いろはも同じように、混乱の向こうへ目を凝らしていた。

 避けても退けても、別の場所へ現れている。


 はちは、セレスティアの背で視線を動かした。

 白い翼が、混乱する街の上を進んでいく。

 いろはも、周囲へ目を向けていた。


「はちちゃん……もしかして、あれかな?」


 声に、はちが顔を上げる。

 いろはの指が、ある場所を示していた。


「……え?」


 その先へ、目を向ける。

 空中に、一つの裂け目が開いていた。


「……あれは……!」


 ポン♪


 裂け目から、ハブが現れた。

 続けて、また一匹。

 さらに、その先にも姿が増える。


 はちは、よく見た。

 ただ中から出てくるだけではない。

 一匹のハブが、次々と増殖を繰り返していた。


 元になるものがあり、その周囲へ数が増えていく。

 そこから、街へ現れ続けているのだ。


 いろはの示した場所を、はちは見失わないようにした。ポン、と軽い調子でまた姿が生まれる。その小さな変化が、地上の大きな混乱へ繋がっていた。

 元が増え、増えたものが街へ降る。見えている数だけでは終わらない理由が、ようやく分かった。

 はちは、さっきまで探していた方向を考え直す。ヘルカイザー本人へ向かうことだけが、今の一手ではない。新しいハブを送り出す場所が分かれば、先にそこへ干渉できる。

 いろはは指を下ろし、はちの反応を見た。こちらも同じものを見つけたと分かると、また裂け目へ向き直った。


(……なるほど。あれが本体か……!)


 はちは、裂け目の位置を確かめた。

 出所がある。

 あそこへ手を打てれば、少なくとも新しく降ってくる流れを変えられるかもしれない。


「ステラ!」


 同調している相棒へ、呼び掛ける。


「ディメンションゲートを、あの裂け目の下に張れる?」

『問題ないよ……』


 静かな返事が、内側から届いた。

 はちの力を使うための同調は、維持されている。

 ステラは、その発動を補助する意思を返してきた。


「……よし!」


 はちは、小さく頷いた。

 眼下には、まだハブがいる。

 争いも、悲鳴も、終わっていない。

 だが、どこへ手を伸ばせばよいかは見えた。


 まだ、手段が成功したわけではない。街へ出たハブも、すでに毒を受けた人々も、そのまま残っている。

 それでも、次にすることが決まった。悲鳴を聞きながら、ただ目を動かし続けるだけの時間から抜け出せる。

 はちは左腕を確かめた。光の剣を使い、セレスティアを呼んだディスクは維持されている。同調した内側には、ステラの返事が残っていた。できると答えてくれた相棒とともに、狙う場所へ意思を向ける。

 白竜の背が、はちを支えていた。すぐ隣には、いろはがいる。混乱のただ中でも、二人が確かめた裂け目だけは、もう見失っていなかった。


 いろはが、こちらを向く。

 はちはその目を見てから、増殖を続ける裂け目へ視線を戻した。


「なら、行動を起こしますか!」


 セレスティアの白い背で、はちは真っ直ぐに出所を見据えた。

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