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転生した主人公が次元神になる  作者: ヘルカイザー
第2部

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第42話 二度目の警告



 いろはと別れてから、数時間が過ぎていた。

 ヘルカイザーは、アルカディアのとある平原に来ていた。


 緩やかな起伏の先まで、草原が続いている。

 風が吹くたび、草がさわさわと揺れた。

 空は青く、周囲には穏やかな景色が広がっていた。


 ヘルカイザーは、それを眺めながら先ほどの魔導師を思い出していた。

 天城いろは。

 白と紺の装備を纏い、アークレイを構えていた女性だ。


「なるほど……あれが、噂の魔王ですか」


 白い悪魔、とも言うらしい。

 少なくとも、向けられた砲撃には、相応の力があった。

 魔力量も、こちらを止めようとする姿勢も、印象に残っている。


 あれだけの魔力を収束させ、狙いを定めて放つ。そのための動きに、迷いは少なかった。止めると決めた相手へ向けて力を使い、こちらが応じなければ次へ移る。

 ヘルカイザーは、空を見上げた。いろはがいた場所を思い出すと、手にした杖の輪郭まで浮かぶ。彼女の目的は、自分とは違っていた。だが、相手の力がどの程度かを知るうえでは、短い出会いでも、見ておけるものはあった。

 それを脅威として嫌うよりも、次は何をするだろうと考えている。ヘルカイザーの興味は、その先へ向いていた。


 男への攻撃を中止しろと言い、制圧の宣言を聞いても引かなかった。

 武器を出せば、こちらへ杖を向ける。

 景色を破壊しようとすれば、すぐに止めようとした。


 ヘルカイザーの口元へ、笑みが浮かんだ。


「ふふっ……♪」


 なるほど。

 これからの仕事は、退屈せずに済みそうだ。


「さて♪ 次の娯楽……ではないですね」


 言い掛けて、自分で言い直した。

 遊びに来たわけではない。

 社長から指令を受けて、ガーディアンの制圧に来ている。

 あくまでも、仕事だ。


「次の作戦を考えますか。楽しみですね〜♪」


 改めて、平原へ顔を向ける。

 新しいプランを考えようとした、そのときだった。


「見つけたぞ!!」

「……おや?」


 背後から、怒鳴り声がした。


「さっきは、よくもやってくれたな!!」


 ヘルカイザーは、ゆっくりと振り向いた。

 そこには、一人の男が立っていた。

 どこかで見た顔だ。


 少しだけ目を細めてから、思い出す。

 先ほど、いろはの介入で逃げ出した男だった。


「……ほう?」


 今度は、一人ではなかった。

 周囲に複数の人物が集まり、こちらを見ている。

 仲間を連れて戻ってきたらしい。


 ヘルカイザーは、その顔ぶれから最初の男へ視線を戻した。


「おやおや……また、殺られに来たのですか?」


 男の身体が、びくりと震えた。

 目が合った瞬間、先ほどまでの経験が戻ったのだろう。

 それでも、今度はすぐに逃げ出さなかった。


 男は、背後の仲間がいることを確かめるように、僅かに目を動かした。自分が先頭に立っている。それでも、一人ではないという意識が、声を出す支えになっているようだった。

 ヘルカイザーは、その動きも見ていた。先ほどは自由になった瞬間、一目散に逃げた相手だ。今度は、自分の後ろにいる者たちまで、こちらへ向けている。

 数を増やせば、何かが変わると思ったのだろうか。問い掛けるまでもなく、男の構えが答えを示していた。


「つっ……強がりやがって……!」


 声を震わせながら、睨み返す。


「今回は、仲間もいるんだぜ!?」


 周囲の男たちが、一歩前へ出た。

 一人ではなかったことが、最初の男を踏み留まらせているようだった。

 ヘルカイザーは、取り囲もうとする動きを眺める。


「お前一匹で、何ができる!?」


 その言葉を合図に、男たちがバリアジャケットを展開した。

 光がそれぞれの身体を包み、戦闘用の装備を形作っていく。

 装備が整うにつれて、彼らの構えもはっきりした。


 話し合うために来たのではない。

 今度は、人数を揃えて戦うつもりなのだ。


「……ふむ」


 ヘルカイザーは、小さく息を吐いた。

 せっかく、いろはが止めてくれたというのに。

 逃げることができたのに、また目の前へ戻ってきた。


「せっかくガーディアンが、止めてくれたのに……」


 最初の男を、見据える。


「一度は、許してあげましたのに……」


 逃げたのを見送ったことを、ヘルカイザーはそう言った。

 口元にあった笑みが、少し薄くなる。


「二度目は、ないですよ?」


 声が、低くなった。

 先ほどまでの気軽さが、一瞬だけ引いている。

 ここで引き返すなら、それもよい。

 ヘルカイザーにとっては、それが最後の忠告だった。


 声が低くなった分だけ、周囲の草の擦れる音が耳に入った。誰かが一歩を踏み直す。男たちは装備を整えたまま、目の前の小さな身体を見ていた。

 引き返すための道は、まだ見えていた。攻撃を放つ前なら、ここで止めることもできる。ヘルカイザーは男の顔から視線を外さず、その返答を待った。

 だが、男は後ろにいる者たちの前で退くことを選ばなかった。震えを隠すように声を張り上げ、その声へ仲間の視線が集まった。


 男は、唇を震わせた。

 背後にいる仲間へ目をやり、それから大きく声を出す。


「うっ……うるせぇ!!」


 ヘルカイザーは、その顔を見ていた。


「皆! やっちまおうぜ!!」


 次の瞬間、幾つもの魔力弾が生まれた。

 男たちが、一斉に攻撃を放つ。

 正面から、左右から。光が、それぞれの軌道で迫ってきた。


 ヘルカイザーは、動かなかった。

 足元の草が、風に揺れている。

 男たちの放った魔力だけが、急速に距離を縮めていった。


「次元神発動!」


 短い声が、響いた。


 ぽちゃん。


 何もない空中へ、透明な波紋が生まれる。

 輪が重なり、ゆっくり広がっていった。

 その中心から、景色が内側へ引き込まれるように歪んだ。


 ピシッ。


 次元の裂け目が開く。

 飛来する魔力弾が、次々とその中へ飲み込まれた。


 一発も、ヘルカイザーへ届かない。

 横から迫った光も、正面を狙った弾も、すべてが消えていく。

 最後の一発が吸い込まれると、裂け目は静かに閉じた。


 魔力弾が途切れた後、男たちの腕だけが、まだ相手へ向いていた。攻撃が通る先を見ていた目に、小さな白い姿が戻ってくる。

 一斉に放ったのだから、どれかは当たるはずだった。少なくとも、避けるために動かせるとは思っていたのだろう。だが、相手の足元にあった草も、立つ位置も、大して変わっていない。

 ヘルカイザーは、次の攻撃を急いで返そうともしなかった。手を止めた彼らへ目を向け、その顔に理解が追いつくのを眺めている。その余裕が、撃った者たちをさらに黙らせた。


 そこには、小さな白い竜が立っていた。

 構えを崩すどころか、その場を動く必要さえなかった。


「なっ……!?」


 声を上げたのは、最初の男だった。

 仲間たちも、目を見開いている。

 攻撃を放った姿勢のまま、その先を見つめていた。


 狙った相手が小さすぎたのでも、避けられたのでもない。

 放った攻撃が、届く前になくなった。

 人数を揃えて撃ち込んでも、何も変わらなかったのだ。


「だから、言ったのに……」


 ヘルカイザーが、男たちへ目を向けた。


「あなたたちは……もう……」


 一度、言葉が途切れる。

 誰も、その続きを遮らなかった。


「後戻り、できませんよ……」


 その瞬間、空気が変わった。

 ヘルカイザーから、殺気が向けられる。


「ひっ……!?」


 男の顔が、恐怖へ歪んだ。

 先ほどまで相手を睨みつけていた目が、もう定まらない。


「ばっ……化け物……!」


 仲間たちも、次々に表情を変えた。

 一歩下がる者がいた。

 武器を構えたまま、動けなくなる者もいた。

 膝から力が抜け、地面へ尻餅をつく者までいる。


 ヘルカイザーの姿は、変わっていない。

 小さな白い身体と、背中の黒い翼。

 だが、もう誰も、その大きさだけを見て笑おうとはしなかった。


 最初の男も、仲間たちを振り返って声を掛けることができなくなっていた。先ほどまでは人数がいることを誇っていたのに、今はその人数でも届かなかった事実が、周りに立っている。

 ヘルカイザーの目が、ゆっくり一人ずつを見た。見返そうとした者の顎が引かれ、構えていた腕が強張る。

 白い顔が微笑んでいることは、もう安心の理由にならない。動かずに攻撃を消した相手が、今度は自分たちへ何をするのか。その想像が、足を止めていた。


「ふふっ……♪」


 笑みが、戻る。


「逃がしませんよ♪」


 片方の前脚が、持ち上がった。


 パチンッ。


 乾いた音に続いて、足元の草原が歪んだ。

 男たちが、慌てて周囲を見る。

 空も、遠くの景色も、静かな水面へ映したように揺れていた。


 そこへ、虹色の光が混じっていく。

 赤、青、緑、紫。

 幾重もの色が重なり、平原の輪郭を覆い隠した。


 どこへ目を向けても、見慣れた景色がない。

 草が揺れていた地面も、青空も、遠くの起伏も消えていた。


「なっ……!?」


 男たちは、自分の足元を見た。

 それから、ヘルカイザーを見る。

 彼だけが、この変化を当然のこととして受け止めていた。


 男の一人が、消えた平原の方へ顔を動かした。先ほどまでなら、そちらへ走れば距離を取れたはずだった。だが、今は、草原へ続いていた方向そのものが分からない。

 頭の上を見ても、青空がない。隣にいる仲間の姿だけが、さっきと同じだった。知らない場所にいるということを、見慣れた顔の怯え方で確かめている。

 ヘルカイザーは、小さな身体のままそこにいた。景色を変えた者だけが、何も失っていないように見えた。


「ここは……?」


 最初の男が、震える声で呟く。


「ここは、次元の中ですよ♪」

「……次元?」

「ええ。この中では、魔法が使えないですよ♪」


 男たちの顔が、さらに強張った。

 見知らぬ場所へ移され、頼みの力まで封じられる。

 その説明を聞いても、すぐに理解できる者はいなかった。


 ヘルカイザーは、周囲を確かめる彼らを見ている。

 だが、ここで驚くのは、まだ早かった。


 ざわ……。


 何かが動く音がした。


「……ん?」


 ざわざわ……。


 恐る恐る振り向いた男の顔が、固まった。

 周囲へ、無数の生き物が集まっている。


 シーサー。

 ヤシガニ。

 ハブ。

 そして、マングース。


 ヘルカイザーが今回連れてきた、沖縄四天王だった。


「な、何だ!? こいつらは……!」


 男たちの視線が、次々と動く。

 見た目の違う生き物が、同じように周囲を埋めていた。


 どれか一種類だけが現れたのではなかった。シーサーの輪郭へ目を向ければ、その近くでヤシガニが動く。さらに視線を下げると、ハブとマングースの姿があった。

 男たちは、自分たちを囲むものが何なのか理解しようとした。だが、姿の名前が分かったところで、この状況がどうにかなるわけではない。

 そこへいるだけなら、まだ目を逸らせたかもしれない。今は、こちらの動きを囲む位置に集まっている。生き物の姿を確かめるたびに、逃げられると思える隙間が少なくなっていった。

 一方だけを見れば、別の方向が気になる。

 逃げる道を探しても、視線の先にその姿があった。


 ヘルカイザーは、その全体を眺めていた。


「さて……自分に喧嘩を売った愚かさを、その身をもって学習しなさい♪」


 男たちへ向けてから、四天王へ顔を向ける。


「沖縄四天王!」


 生き物たちが、一斉にこちらを向いた。


「増殖して、この方たちの相手をしなさい♪」


 一匹が、二匹になった。

 二匹が、四匹になる。

 四匹が八匹になり、その先でも同じ変化が続いていく。


 男たちは、言葉を失った。

 もともと多いと思った数が、目の前で増えている。


 十。

 百。

 千。

 万。


 見渡す先を、同じ姿が埋めていく。

 百万、千万。

 やがて、その数は一億へ達した。


 それでも、増殖は終わらない。

 新しい個体が、次から次へと現れ続けていた。


 男たちの視線では、もう増え方を追いきれなかった。さっき何もいなかった場所を見れば、そこにも同じ姿がいる。その向こうにも、さらに奥にも、輪郭が重なっていた。

 目で数えようとする間に、その数が変わってしまう。十や百のときに感じた驚きは、すぐ役に立たなくなった。

 ヘルカイザーは、その増殖を止める指示をしなかった。生き物たちの向こうを眺め、男たちの反応を確かめる。命令を受けた四天王は、まだ増えていた。


「ひっ……!」


 最初の男が、小さく悲鳴を上げた。

 先ほどまで、こちらには仲間がいると叫んでいた。

 今はその人数など、目の前の光景では意味を持たなかった。


 逃げ場は、どこにも見えない。

 ヘルカイザーは、にっこりと笑った。


「……おっと。その前に♪」


 四天王を向かわせる前に、男たちへ薬を投与する。

 その動作は、合計十回。


「今から五時間の不死薬を、打っておきましょう♪」


 五時間。

 男たちは、その言葉と、周囲へ増え続ける生き物を見比べた。


「では♪ 目一杯、楽しんでくださいね♪」


 ヘルカイザーの顔は、明るかった。


「五時間の生き地獄を♪」


 増殖した四天王が、一斉に動き出す。

 次元の中へ、男たちの悲鳴が響いた。


 ヘルカイザーは、その場の相手を四天王へ任せることにした。

 ただし、最初に攻撃を仕掛けてきた男だけは別だ。

 まだ、こちらにも用事がある。


 彼はその男を連れて、次元の中を後にした。


     ◇


 平原へ戻ると、風が草を揺らしていた。

 青空も、遠くの起伏も、先ほどと変わっていない。

 次元の内側とは違い、こちらは静かだった。


 ヘルカイザーは、連れてきた男を地面へ下ろした。


 ドサッ。


「た、助けてくれ!!」


 男は、必死に見上げてきた。


「頼む!!」


 今度は、一人だった。

 強がるために見回せる仲間は、ここにはいない。

 男は、目の前の小さな竜へ頼み続ける。


「……ふむ」


 ヘルカイザーは、その顔を覗き込んだ。


「では……貴方に、最後の選択を与えましょう♪」

「……え?」


 男が、顔を上げる。

 ヘルカイザーは、ゆっくり言葉を続けた。


「貴方の命と、仲間たちの命……」


 少し、間が空いた。

 風が吹き、草が揺れる。


「どちらか、選びなさい♪」


 男は、ヘルカイザーを見つめていた。


「それによっては、考えますよ?」


 ヘルカイザーは、答えを待った。

 何を選ぶだろうか。

 今度こそ、すぐには答えないかもしれない。


 男の目が、ヘルカイザーと周囲の景色の間を動いた。ここには、仲間たちの姿がない。命を選べと言われた相手の顔も見えず、その向こうで何が続いているかも分からなかった。

 今、自分だけが平原へ連れ戻され、問い掛けられている。その違いが、答えを急がせたのかもしれない。

 ヘルカイザーは、男の口元を見ていた。返事をせかすことも、どちらを選べばよいかを教えることもしなかった。ただ、次に出てくる言葉を待っていた。


 だが、返事は即座に来た。


「俺の命だ」


 ヘルカイザーは、黙った。

 自分の命。

 男は、迷わずそう選んだ。


 仲間を連れて戻ってきて、その仲間を置いて助かろうとしている。

 そのことに対するためらいは、答えを聞く限り感じられなかった。


 男の声には、今度こそ助かりたいという切実さがあった。だが、その答えの中に、連れてきた者たちのことを気にする言葉はなかった。

 ヘルカイザーは、その短い返事を聞き終えても、すぐには頷かなかった。自分が問い掛けた二つの選択肢と、男が差し出した一つの答え。その間に、まだ何かが挟まるのを待った。

 しかし、男はヘルカイザーを見つめ返しているだけだった。助けてほしいのは自分だと、すでに選び終えていた。


 ヘルカイザーの目が、僅かに細くなる。

 残念だ。

 本当に、残念だった。


「貴方の命ですね♪」


 声だけは、穏やかだった。


「では……死になさい♪」


 次元の裂け目が、一瞬だけ開いた。

 その境界が男を襲い、身体の支えが失われる。

 悲鳴とともに、男は地面へ崩れ落ちた。


「ウギャアアアアッ!!」


 男は顔を歪め、ヘルカイザーを見上げた。


「なっ……何故……!? 約束が……違う……!」


 ヘルカイザーが、首を傾げる。


「おや? 誰も、助けるとは言っていないですよ?」

「……なっ!?」

「自分は、考えると言っただけです♪」


 男の顔が、怒りに変わった。

 助かると思った瞬間に、その期待を取り上げられた。

 歯を食いしばり、言葉を吐く。


「きたねぇ……!」


 再び、裂け目が開いた。

 男の悲鳴が、平原へ響いた。


 ヘルカイザーは見下ろしたまま、小さく息を吐く。


「人聞きが悪いですねぇ……簡単に仲間たちを売る貴方には、言われたくないですよ?」


 この選択には、別の結末も用意していた。

 もし男が、自分ではなく仲間の命を選んでいたなら、助けるつもりだった。


 仲間を裏切らない相手なら、考えは違った。

 だが、男は自分だけ助かる方を、迷わず選んだ。

 ヘルカイザーは、その答えを許すつもりがなかった。


 先ほどまで仲間の数を頼みにしていた顔を、ヘルカイザーは覚えていた。自分一人ではなく、皆で来たのだと男は叫んでいた。

 その皆が、助かるための問いには含まれなくなった。自分の命を選んだ瞬間に、男の中で何が残り、何が切り捨てられたのか。ヘルカイザーは、それを答えとして受け取っていた。

 男には、選択の裏にあった考えは分からない。目の前の相手が、どうして残念そうにしているのかも、理解できないままだった。


 男は、まだ睨み返していた。

 残った力で腕を向け、魔力を集中させる。


「くそがぁぁぁっ!!」


 魔力弾が、放たれた。


「……おや?」


 ぽちゃん。


 ヘルカイザーの目の前へ、波紋が広がった。

 その中心が歪み、漆黒の裂け目が開く。

 飛んできた魔力弾は、そのまま吸い込まれた。


「……なっ!?」


 男の目が、見開かれる。

 最後の攻撃も、相手へ触れなかった。


「無駄な足掻きを……」


 ヘルカイザーは、小さく呟いた。

 何度やっても、同じことだ。

 そろそろ、次へ移るとしよう。


 パチンッ。


 前脚を動かすと、景色が再び歪んだ。

 今度は、先ほどとは別の次元だった。

 平原が消え、男はまた見知らぬ空間へ連れていかれる。


「なっ……!?」


 周囲を見る男を、ヘルカイザーは眺めていた。

 薬の効果で、その身体の傷は再生していく。

 だが、恐怖までは消えていない。

 新しい場所へ来たことも、安心には繋がらなかった。


「さて……」


 そろそろ、あの子の出番だ。

 ヘルカイザーは、今回連れてきた相手を呼ぶことにした。


 男の前へ、一匹のヒヨコが現れた。


 黄色い、小さな身体。

 丸く、愛嬌のある姿。

 短い脚で、ちょこんと立っている。


 ガルデローベ社のマスコット、トロンベだった。


「…………」


 男は、ぽかんと口を開けた。

 しばらくヒヨコを見つめ、それからヘルカイザーへ顔を向ける。


「おい……」

「はい?」

「まさか……このヒヨコが相手だと言うなよ?」

「そうですよ?」


 ヘルカイザーは、当然のように頷いた。


「ちなみに……このトロンベに勝てたら、命を助けてあげても良いですよ♪」


 勝てたら、の話だ。

 ヘルカイザーはそう思いながら、男の顔を見た。


 男は、もう一度トロンベへ視線を落とした。

 傷は再生している。

 今、目の前にいるのは、小さなヒヨコだ。


「へっ……!」


 恐怖に強張っていた口元が、歪んだ。


「後で吠え面かくなよ!?」


 男が、立ち上がった。

 そのままトロンベへ駆け出していく。


 素手だった。


 ヘルカイザーは、その姿を見送った。

 相手がヒヨコだから、簡単に勝てると思ったのだろう。

 だが、トロンベへそのやり方で挑むのは、少々無謀だった。


 男が、殴りかかろうとした瞬間。


 ゲシッ!


「……がっ!?」


 男の身体が、大きく揺れた。

 何が起きたのか理解する前に、小さな黄色い姿が、次の動きへ移っている。


 ゲシッ! ゲシッ!


「いだっ!? いだだだっ!?」


 反撃しようとすると、その前に当たる。

 腕を振るよりも、トロンベの動きの方が速い。

 小さな身体からは想像できない鋭さで、次々に攻撃が届いた。


「なっ!? 何だ、こいつは!?」


 男が、距離を取ろうとした。

 だが、そこへもトロンベが追いつく。


 ゲシッ!


「ぐはっ!?」


 ヘルカイザーが、楽しそうに目を細めた。

 見た目だけで判断すると、こうなる。


 トロンベは、肉弾戦にめっぽう強かった。

 本気になれば、人間を軽く四回転させるほどの勢いで殴り飛ばせる。

 小さなヒヨコへ素手で挑んだ男は、その実力をまったく知らなかったのだ。


 男が腕を振ろうとする位置より、トロンベはずっと低いところにいる。小さすぎて困る相手だと思うより早く、その位置から鋭い動きが届いてしまう。

 追い払うつもりで出した手も、攻撃の勢いを止められない。男は大きく身体を動かし、その分だけ、また次の動きへ遅れた。

 ヘルカイザーは、そのやり取りを眺めていた。小さな黄色い姿を見て笑った口元が、今は引きつっている。相手の見た目が変わったわけではない。変わったのは、男の方の受け止め方だった。


 しかも、今日は機嫌まで悪かった。


「……おや?」


 トロンベの様子を見て、ヘルカイザーが思い出す。

 そういえば、まだ天屋物から餌を貰っていなかった。

 それなら、この勢いも納得できる。


 男の方は、そんな事情を知るはずもなかった。


「痛い! 痛い!!」


 悲鳴が、響く。

 ヒヨコを追い払うつもりだった男が、今は小さな身体に追い回されている。


「止めてください!!」


 ヘルカイザーが、少し目を見開いた。


「……ふむ」


 初めて、敬語になった。

 先ほどまでの威勢は、すっかり消えている。


 ヘルカイザーへ向ける呼び掛けも変わっていた。吠え面をかくなと叫んだ声と、止めてほしいと頼む声。その違いは、聞き分けようとしなくても分かるほどだった。

 男は、トロンベを見るために下を向き、助けを求めるために顔を上げる。そのたびに、小さな黄色い姿を視界から外してしまう。

 ヘルカイザーは、丁寧な言葉になったことには気づいた。それでも、相手を引き受けているトロンベへ、止めるよう命じることはしなかった。

 だが、それだけでトロンベの相手が終わるわけではなかった。


「それは、無理ですね♪」

「……えっ!?」


 ヘルカイザーは、トロンベへ目を向けた。

 小さな身体が、男の後を追っている。


「どうやら、トロンベは貴方をオモチャにするつもりみたいですので♪」


 これで機嫌がよくなるとよいのだが。

 ヘルカイザーは、そんなふうに考えていた。


「助けてください!! お願いします!!」


 男が、必死に叫ぶ。

 ヘルカイザーは、にっこり微笑んだ。


「では……トロンベが飽きるまで、頑張ってくださいね♪」

「そ、そんなぁぁぁぁ!!」


 男の悲鳴を背に、ヘルカイザーはその場を後にした。


     ◇


 次元の裂け目から、アルカディアの平原へ戻った。

 ヘルカイザーは、ゆっくり周囲を見渡す。


 青空。

 草原。

 穏やかな風。


 相変わらず、平和な場所だった。

 先ほどまでいた場所の騒ぎは、ここには届かない。

 ただ、草が揺れる音が聞こえていた。


 沖縄四天王には、男たちの相手を任せた。

 トロンベも、しばらくは退屈しないだろう。

 これで、ようやく次の作戦を考えられる。


「さて♪」


 ヘルカイザーが、笑った。


「次の作戦に取り掛かりますか♪」


 考えたのは、アルカディアへハブを大量に撒くことだった。

 女性へ懐き、近づいていくハブたち。

 街のあちらこちらで、その姿を見つければ大騒ぎになるだろう。


 いろはの驚いた顔が、思い浮かぶ。

 突然の出来事に、どうしてよいか分からなくなる人々。

 想像した光景に、ヘルカイザーの笑みが深くなった。


「素晴らしいマイナスエネルギーが、出来上がるでしょうねぇ♪」


 まだ、実行したわけではない。

 だが、次に試すこととしては、なかなかよさそうだった。

 制圧のために、できることは多い。

 その一つを思いついただけで、退屈せずに済みそうだと思えた。


 先ほどまで、頭を悩ませるほどの作戦を考えていたわけではなかった。だが、一つの案が浮かぶと、その結果を見てみたくなる。

 平原で聞こえるのは、草を撫でる風の音だ。今は静かな街も、ハブの姿があちこちへ現れれば、違った声を上げるだろう。ヘルカイザーが思い浮かべているのは、その変化だった。

 次にどんな反応を見るのか。何が起こるのか。制圧のための仕事と、その興味は、彼の中で自然に重なっていた。


「……ふふっ♪」


 小さな白い身体の背で、黒い翼がゆっくり広がる。


「お仕事を、続けるとしましょうか♪」


 ヘルカイザーは、次の作戦の準備に取り掛かった。

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