↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生した主人公が次元神になる  作者: ヘルカイザー
第2部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
41/90

第41話 もう一人の次元神



 ヘルカイザーが去ってから、数時間が経っていた。

 AEGISへ帰還した天城いろはは、かえでたちへ報告を行っていた。


 室内にいるのは、見慣れた顔だった。かえでが報告を聞き、隣ではレイがいろはへ向き直っている。それだけで、郊外にいたときとは呼吸の仕方が少し変わった。

 だが、帰ってきたからといって、あの短い時間に起きたことまで整理されるわけではない。目の前で消えた砲撃も、突然身体を拘束された感触も、まだ記憶に新しかった。

 いろははアークレイへ一度目を落とし、それから顔を上げた。自分だけが見ていたものを、今度は二人へ伝えなければならない。驚いたことと、確かに起きたことを混同しないよう、最初に調査の経緯から話し始めた。

 かえでは、途中で結論を急がなかった。レイも口を挟まずに聞いている。その静けさの中で、いろはは一つずつ言葉を選んだ。


 発端は、アルカディア郊外で観測された次元震だった。

 調査へ向かった先で二つの影を見つけ、漂流者かもしれないと近づいた。

 だが、そこにいたのは、拘束された犯罪魔導師と、小さな白い竜だった。


 いろはは、そのとき見たことを順に伝えた。

 男性が、もう抵抗できない状態だったこと。


「その人は、知ってる相手やったん?」

 かえでの問いに、いろはは首を振りかけ、言い直した。

「最初は分からなかった。逃げたときに顔が見えて……犯罪魔導師だって気づいたの」

 言葉にすると、その順序は明確だった。素性を知って近づいたのではない。助けを求める声があり、拘束されている姿があったから、止めに入った。

 男がどんな者だったのかと、目の前の行為を止める必要があったのかは、同じ話ではなかった。いろははその区別を、曖昧にしたくなかった。

 レイが、小さく頷いた。かえでの視線も、先を促すようにいろはへ戻る。説明を聞く二人がそこを取り違えていないと分かり、いろはは男の置かれていた状態から、白い竜の反応へと話を進めた。

 それでも白い竜は攻撃を続けようとし、制止を受けると、楽しみを邪魔されたように振る舞ったこと。


 その相手が、ガルデローベ社の技術開発部長を名乗ったことも。


「……会社の、技術開発部長」

 レイが、その肩書きを繰り返した。

「うん。そう名乗ったの」

 いろはの記憶には、名乗り方まで残っていた。翼を広げ、前脚を胸元へ添え、丁寧に頭を下げる。何かを隠すために慌てて捻り出したような名乗りではなかった。

 しかし、堂々と名乗ったからといって、その肩書きの中身まで分かるわけではない。いろはが今伝えられるのは、彼が何者だと自称したかだけだった。

 ガルデローベ社。ヘルカイザー。技術開発部長。

 三つの言葉を順に確かめるような間が、報告の中へ挟まった。どれも耳慣れない情報だったが、だからこそ聞き落とすわけにはいかない。かえでは目を逸らさず、いろはが続きを話すのを待っていた。


 聞いたことのない会社だった。

 だが、本人の名乗りも、目的を告げた声も、アークレイの記録には残っている。

 いろはは、それを自分の感想だけで説明しようとはしなかった。


 人間だと告げられたときのことも、話した。いろはが礼儀正しさに驚いた途端、その考えを見透かしたような言葉を返されたことも。

「心を読まれた、ってこと?」

 レイが尋ね、いろはは少し迷ってから答えた。

「そう思った。でも、本当に読めるのかは分からない。顔に出てたのかもしれないし……」

 あのときは驚きが先に来た。だが、報告では、驚いたことをそのまま能力の断定にはできなかった。本人の口から聞いたのは、人間だという説明と、身を守るためだという短い答えだけだ。

 かえではその違いを確かめるように頷いた。人間としての姿も、その理由の詳しい説明も、いろはは見聞きしていない。報告に残せるのは、名乗りと同じく、彼がそう言ったということだった。


 目の前に、戦闘データが映し出されていた。

 画面の中には、小さな白い身体がある。

 愛嬌のある顔立ち。背中に広がる、悪魔を思わせる黒い翼。


 ぬいぐるみのようにも見える姿だった。

 それなのに、本人は人間だと言った。

 身を守るために、その姿をしているのだとも。


 画面の中で、その小ささはよく分かった。男と同じ場所へ立っていても、背丈も輪郭も違う。遠くから見つけたときに、人影を二人と数えかけたことさえ、今は不思議に思えるほどだった。

 いろはが顔を向けると、レイも白い姿を見ていた。大きな怪物が暴れていたという報告なら、もっと簡単に恐ろしさを想像できたかもしれない。けれど、そこに映っているのは、愛嬌のある小さな顔なのだ。

 可愛らしいと思ったことまで、なかったことにはできなかった。実際に近づいたときにも、最初はドラゴンだと驚き、その姿に一瞬気を取られた。

 その後で何を見たのかを話すとき、同じ顔の印象をどう伝えるべきか、いろはは少し迷った。


 かえでは、画面を見つめていた。

 レイも、映し出された姿から目を離さない。


 いろはにとっては、つい先ほど見た顔だ。

 だが、こうして室内の画面に映ると、現地で感じた違和感が、また別の形で戻ってきた。

 丁寧に頭を下げた相手と、男を苦しめていた相手。

 どちらも、この白い竜だった。


 かえでの顔にも、似た戸惑いがあった。眉を寄せているのに、視線は小さな顔と、彼が立つ場所の間を何度か行き来していた。

「見た目だけやと、分からへんな……」

 低い声だった。

 いろはは頷いた。目の前で会話した後でさえ、礼儀正しい返事に、つい普通の受け答えをしてしまった。怖い相手だと分かっているのに、声を聞くとその認識が僅かに揺れる。

 それは、危険がなかったという意味ではなかった。むしろ、警戒していなければならない理由を、何度も思い返さなければならなかったのだ。

 レイは黙って記録を見ていた。いろはがどこで戸惑ったのかを、姿だけではなく、その前後の行動と重ねて確かめているようだった。


 そして、報告の中でも、最も説明の難しい場面がある。


 もう一人の、次元神。


「そんな……ありえない……」


 かえでが、信じられないという顔で呟いた。

 いろはも、その反応をすぐに否定することはできなかった。

 自分だって、目の前で起きるまでは考えもしなかったのだから。


 かえでの呟きに、いろははすぐ返事をしなかった。「そうなんだよ」と肯定するだけでは、自分の見たものまで、推測で塗りつぶしてしまいそうだった。

 次元神という言葉は、いろはたちにとって遠い噂ではない。はちと暮らし、その力を知っているからこそ、別の相手が同じ名を口にしたことが重かった。

 いろはは、画面へ目を戻した。驚いているのは自分一人ではなかった。そのことに少しだけ落ち着く一方で、分かる者が増えたわけではないとも感じた。

 かえでもレイも、まだヘルカイザー本人とは話していない。だから、まず見てもらわなければならない。自分が何に驚き、どうしてその言葉を持ち帰ることになったのかを。


 映像が、問題の場面へ進む。

 空にいるヘルカイザーへ、いろはの砲撃が迫っていた。

 五発のカートリッジを使い、アークレイから放った魔力の奔流。


 いろはは、発射直前の音まで思い出した。続けて作動する内部機構。先端へ集まる魔力。両手で支えたアークレイの重さ。

 あのときは、地上へ向けられた銃口を止めようとしていた。ヘルカイザーが景色を眺めた後で破壊しようと言い、二丁のライフルを連結した。その先に広がっていた大地へ、撃たせるわけにはいかなかった。

 だから、目の前の相手へ狙いを定め、砲撃を放った。画面では、その一連の動きが途切れずに繋がっている。

 レイの目が、桃色の光を追った。かえでは口を閉じ、相手がどう対応するのかを見ている。いろはだけが、次に起きることを知っていた。それでも、この場面を見る直前には、自然と肩へ力が入った。


 それを前にして、白い竜は逃げようとしない。


『次元神発動!』


 記録された声が、室内へ響いた。

 いろはは、無意識に指へ力を込める。


 画面の中で、空間に波紋が生まれた。

 水のない場所に、透明な輪が広がっていく。

 その中心が歪み、やがて漆黒の裂け目が開いた。


 桃色の砲撃が、吸い込まれる。

 ヘルカイザーへ命中するはずだった光は、一度も彼へ触れなかった。

 最後の光が消え、裂け目が閉じる。


 青空だけが、残った。


 室内に、すぐ次の言葉は出なかった。画面の中で起きた変化が大きすぎて、見終えた直後の空白まで、三人の間へ持ち込まれたようだった。

 砲撃を受け止めたのなら、ぶつかる場所があったはずだ。避けたのなら、光はその先へ進んだはずだった。だが、見えていた奔流は空間の中へ消え、後には変わらない空が残っている。

 かえでが、僅かに前へ身を寄せた。いろはも同じ場所を見ていた。すでに閉じた裂け目の先に何があったのか、画面を見続けても分からない。

 ヘルカイザーの姿だけは、はっきり残っていた。砲撃の前と後で、彼のいる場所は大きく変わっていない。あれだけの光が向かった相手が、何事もなかったようにそこにいる。それが、かえでの言葉をさらに奪っていた。


 かえでは、言葉を失っていた。

 先ほどまで疑っていたというよりも、信じがたいものを、そのまま目の前に示されてしまった顔だった。


 いろはも、画面を見続ける。

 現地で砲撃を放ったときには、狙った相手へ届くと思った。

 だが、飲み込まれた瞬間には、命中した手応えどころか、何かへぶつかった感覚さえなかった。


 自分の放ったものが、別の場所へ消えてしまった。

 その感覚が、映像を見ているだけで蘇る。


「……受け止めたんやなくて、消したんか」

 かえでが、ようやく口を開いた。

「うん。私には、どこかへ吸い込まれたように見えた」

 いろはは、見えた範囲のことを答えた。消滅させたのか、転送したのか。その先まで確かめられたわけではない。

 ただ、裂け目の手前で魔力がなくなったのではなく、その中へ流れ込んでいったことは覚えている。ヘルカイザーへ届くはずの道が、別の場所へ繋ぎ替えられたようだった。

 答えながら、いろはは左手の指を少し緩めた。アークレイを構えていない今も、あの砲撃を放った腕の感覚が残っている。自分のしたことが、そのまま自分の知らない現象へ変わった。見直すほど、その違和感が鮮明になった。


(……やっぱり、はちちゃんの能力に似ている)


 思い出すのは、はちの使う次元の力だった。

 見えている距離や、攻撃の進む方向だけでは測れない力。

 同じ名前を口にした相手が、よく似た現象を起こしていた。


 はちの顔が、自然と思い浮かんだ。家で話しているときの声。驚いたときの「わふっ」という返事。そして、その小さな姿からは想像しにくい力。

 力を持っていることと、そばにいて怖いことは、いろはの中では同じではなかった。はちが何を大切にしているのか、誰を心配して動くのかを知っているからだ。

 目の前の画面にいる相手については、それを知らない。知っているのは、男へ向けた行為と、制圧すると告げた言葉、そして、砲撃を消した瞬間だった。

 似た力を見たからといって、同じように声を掛ければよいわけではない。そのことも分かっている。それでも、見慣れた力に似ていたという印象だけは、切り離せなかった。


 ただの偶然だと片づけるには、共通点が多すぎる。

 かといって、その場で同じものだと断定できるほど、事情を知っているわけでもなかった。


 帰り際のことを考えても、疑問は残る。ヘルカイザーは、制圧をまた今度にすると言った。時間はまだあるとも。その後で空間を開き、自分から去っていった。

 いろはが退けた、と簡単に言える終わり方ではなかった。相手がどこまで戦うつもりだったのかも、何をもって区切りとしたのかも分からない。

 かえでへその点を伝えたとき、いろはは言葉を慎重に選んだ。帰ったのだから、ひとまず目の前の攻防は終わった。けれど、もう来ないという約束はしていない。むしろ、また会おうと告げていたのだ。

 その声を思い返すと、青空だけが残った場所が、もう一度浮かぶ。姿が消えたことと、危険がなくなったことを、同じにはできなかった。


 次元神は、一人しかいないはず。

 いろはは、そう認識していた。

 かえでの信じられないという声も、その認識と繋がっている。


 だが、画面の中には、確かにヘルカイザーがいた。

 誰かの伝聞でも、曖昧な噂でもない。

 アークレイが記録した、自分の目の前で起きたことだった。


 レイが、かえでの方を一度見た。かえでも視線を返したが、すぐには何も言わない。

 言葉にすれば、分からないことが増える気がした。別の次元神がいるのか。それとも、同じように見える何かを使っただけなのか。本人が名乗った力の名前を、どこまでそのまま受け取ってよいのか。

 いろはは、そのどれにも答えを持っていなかった。ヘルカイザーが説明したのは、自分の目的や肩書きであって、力の仕組みではない。

 今ここで断定してしまえば、知っていることよりも、想像したことの方が大きくなってしまう。いろはは、画面の中へ視線を留めた。分からないままでも、この現象が起きたことだけは、二人へ伝わっていた。


「いろは!」


 隣から声を掛けられ、顔を向ける。

 レイが、真剣な目でこちらを見ていた。


「ヘルカイザーは、確かにガーディアンを制圧すると言ったんだよね?」


 能力の謎だけに、気を取られてはいられない。

 レイが確かめているのは、その相手の目的だった。


 砲撃を消された直後には、ハブに拘束された。驚いて相手から意識を外したところへ、次の手が来た。そのことも、いろははすでに伝えていた。

 自分が恐怖で声を上げたところを説明するのは、少し気恥ずかしかった。だが、その隙を使われたことまで省けば、相手がどう攻防を進めたのかが抜け落ちてしまう。

 レイはそれをからかわなかった。かえでも、ただ相手の手段として聞いていた。いろはは二人の反応に支えられながら、恐ろしいと思ったことと、実際に身動きが取れなかったことを分けて話した。

 彼がハブを消すまで、こちらから自由になることはできなかった。その事実は、同じ力に驚いたという話とは別に、相手へ主導権を握られた理由として残っていた。


 かえでも顔を上げた。驚くべき力を見せられた直後だからこそ、その力を持つ相手が何をしようとしているのかを、見失うわけにはいかなかった。

 いろはは、レイの目を見返した。怖がらせたいのではない。だが、聞いた言葉を曖昧に伝えて、実際より軽い話にしてしまうこともできない。

 小さな竜が、にこにこと笑いながら話したこと。その言い方だけなら、深刻に聞こえなかったかもしれない。しかし、彼は実際に武器を取り出し、地上へ銃口を向けていた。

 声の明るさに引っ張られず、何を告げられたのかを答える。いろはは一度だけ呼吸を整え、それから頷いた。


 いろはは、小さく頷いた。


「うん……」


 はっきりと、覚えている。

 アルカディアで間違いないかと尋ねられ、そうだと答えた。

 すると、これで仕事に取り掛かれると、彼は笑ったのだ。


「迷い込んだだけ、という感じではなかった?」

 レイが、慎重に尋ねた。

「最初は、私もそうかもしれないと思った。でも、場所を確かめた後で、そう言ったの」

 いろはは、やり取りの順を辿った。どこにいるのか分からず、助けを求められたわけではない。自分がアルカディアだと答えると、彼は納得し、仕事の話を始めた。

 同じ質問でも、その後に続いた言葉で意味が変わってしまう。彼にとって必要だったのは、保護ではなく、仕事先の確認だったように見えた。

 かえでは黙って聞いていた。いろはは、相手の内心まで断言しないようにしながら、それでも自分が感じた違いを伝えた。


『この世界を制圧しに来ました♪』


 あの明るい声。

 楽しみな予定を聞かれたような、満面の笑顔。


 その顔を見ていた瞬間、いろはは返事に詰まった。制圧という言葉と、明るい表情が、すぐには繋がらなかったからだ。

 怒りや憎しみを向けられたのなら、相手が何に反応しているのかを探ろうとしたかもしれない。だが、ヘルカイザーは、こちらを責めるよりも先に、自分の予定を告げていた。

 その場へ来たばかりのいろは個人へ、何かを恨んでいたようには見えない。それでも、彼の目的を止めようとすれば、戦う相手になる。

 レイは眉を寄せ、かえでも口元を引き結んでいた。記録に残る声を聞けば、どれほど気軽な調子だったのかは分かる。だからこそ、いろはが言葉を選ぶ理由も、二人へ少しずつ伝わっていった。


 こちらが警告し、杖を向けても、答えは変わらなかった。


『我が社のために、ガーディアンを制圧します』


 その言葉の後で、二丁のライフルが現れた。

 景色を綺麗だと言って見渡し、次には破壊しようと言った。

 口だけの宣言だと思える要素は、どこにもなかった。


「ライフルは……最初から持ってたん?」

 かえでの問いに、いろはは首を振った。

「ううん。何もないところから出てきた。二丁あって、それを組み合わせたの」

 小さな身体から取り出したようには見えなかった。会話しているときにはなかった武器が、次の瞬間には左右の前脚へ収まっていた。

 いろはは、その後に銃口が向いた先を思い出す。自分へではなく、下に広がる大地へ向けられた。だから、止めるために魔力弾を放った。

 レイの視線が、記録へ戻った。かえでも同じ場所を見る。彼が持つ力の全ては分からないが、目的を口にした直後に、実行へ移る動きを見せた。その事実は、言葉とは別に画面へ残っていた。


 いろはは、もう一度画面へ目を戻した。

 アークレイの記録には、彼の姿が残っている。

 丁寧な話し方も、にこにことした顔も、今見る限りでは穏やかにさえ見えた。


 いろはは、自分の受けた印象を、どこまで説明するべきか迷った。彼の声を聞くだけなら、柔らかく、相手に気を配る人のようにも聞こえる。

 けれど、質問に答える丁寧さと、こちらの制止を聞き入れるかどうかは別だった。名乗れば名乗り返す。問い掛ければ返事をする。それなのに、止めてほしいことが何かを伝えても、彼の予定は変わらなかった。

「話は……できるんだね」

 レイの声は、単純な安堵ではなかった。

「うん。でも、話していることが、同じ意味で伝わってるのか分からなくなるの」

 いろはは、ようやくその違和感の一部を言葉にした。会話ができることだけを、安心の理由にはできなかった。


 だが、相手を安心させる顔と、していることが一致しない。

 男が命乞いをしていても、やめようとしなかった。

 いろはが制圧を止めると言っても、あっさり実行すると答えた。


 男への行為を咎めたときも、同じだった。向こうが攻撃したから返しただけだと、彼は答えた。死んだらどうするのかと尋ねれば、死なないようにしていると説明された。

 いろはが訴えたかったのは、死ななければよいという話ではなかった。男が抵抗できず、やめてほしいと頼んでいる。その状態で続けるべきではないということだった。

 だが、ヘルカイザーの説明では、そこが問題になっていないように聞こえた。自分が何をしたのかは隠さない。むしろ、ちゃんと対処してあるとでも言うように教えてくる。

 いろはは、二人の顔を見た。かえでもレイも、すぐに気の利いた言葉を返せる様子ではなかった。


 人を傷つけることへの躊躇いは、見えなかった。


 そう報告するとき、いろはの声は少し重くなった。自分が見たものの中で、間違って伝えてはいけない部分だった。

 彼が何を考え、どんな事情を抱えているかは知らない。だが、男が苦しむ姿を見て、楽しそうにしていたことは覚えている。止めに入った自分を、邪魔する者だと言ったことも。

 レイは、いろはの顔を確かめるように見ていた。かえでは画面へ目を落とし、そこに残っている表情を見つめている。

 誰も、姿が可愛いから危険ではないとは言わなかった。いろはも、そう言って安心したかったわけではない。その姿に気を取られた分まで、現場で見えた行為を正確に伝えたかった。


 それなのに。


(……何だろう?)


 いろはの中に、小さな引っ掛かりが残っていた。

 怖かったから、だけではない。

 突然、次元神という言葉を聞いたから、というだけでもなかった。


 報告しておくべきことは、言葉にできている。いつ、どこで出会ったか。何をしていたか。何者と名乗り、何を目的に来たのか。どんな力で砲撃を消したか。

 それらを順に辿っても、心に残ったものが全部説明された感じはしなかった。話す必要がないほど小さな印象なのか、それとも、まだ言葉が見つかっていないのか。

 いろはは口を閉じ、画面を見た。かえでたちの前で何かを取り繕うつもりはない。だが、ただの印象を事実のように混ぜてしまうのも違う。

 いろは自身、どうして気になっているのかを知りたかった。目の前の白い姿へ視線を留めながら、現地で向き合ったときの顔を、静かに思い返した。


 ふと、記憶の中の顔が浮かぶ。

 こちらを見上げた、ヘルカイザーの笑顔。

 穏やかな声と、楽しそうな口元。


 その奥にある、瞳。


 いろはへ顔を上げたとき、彼の目が見えた。こちらの声を聞いて振り向き、不満そうに見返してきた目。名乗った後に微笑んだときも、制圧のことを尋ねたときも、こちらを見ていた。

 いろはは、どの一瞬にそう感じたのかを探った。恐ろしいことを平気で語る相手へ、別の感情を読み込もうとしているのだろうか。自分の方が、何かを見間違えただけなのかもしれない。

 だが、思い返すたびに、その瞳が残る。笑った口元ほどはっきりしたものではない。声のように記録を聞き直せば確かめられるものでもない。それでも、目が合ったときの、ごく短い印象を忘れられなかった。


(……あの人の瞳)


 いろはは、画面を見つめたまま動かなかった。

 ただ映像を確かめているのとは、少し違う時間だった。

 目の前にいたとき、自分は何を感じたのだろう。


 かえでが、いろはの方を見た。報告の続きを急かすような目ではなかった。いろはは一度視線を返し、また記録へ戻した。

 口にすれば、誤解されるかもしれない。彼に危険がないと言いたいわけでも、制圧の宣言を軽く扱いたいわけでもないからだ。

 男の頼みを聞かなかったことも、銃口を大地へ向けたことも、忘れてはいない。自分の砲撃を飲み込み、身体の自由を奪った相手だ。今も、その力への警戒は消えていなかった。

 それなのに、顔を思い浮かべると、警戒する理由とは別の何かがついてくる。いろははその違いを、心の中でそっと確かめ続けた。


 言葉にしようとすると、うまくまとまらない。

 あれほど楽しそうにしていた相手へ、こんな感想を抱く理由も分からない。


(……なんだか、悲しそうだった……)


 そんなふうに、見えた気がした。


 気のせいかもしれない。そう思っても、すぐには打ち消せなかった。

 悲しそうなことを言われたわけではない。辛いのだと訴えられたのでもない。ヘルカイザーは終始楽しそうで、帰るときまで丁寧に頭を下げていた。

 だから、この印象を彼の事情だと決めつけることはできなかった。まして、悲しみがあるからあんなことをしたのだと、勝手に繋げることもできない。

 いろはが知っているのは、ほんの短い出会いだけだ。その短い時間の中で、なぜ自分にはあの瞳がそんなふうに見えたのか。その問いだけが、説明できないまま残っていた。


 だからといって、彼の行動が変わるわけではない。

 制圧の宣言も、男へ向けた仕打ちも、いろはが止めなければならなかったことも、すべて確かに起きている。


 悲しそうに見えたのは、自分の思い違いかもしれない。

 何か事情があるのかも、今は分からなかった。


 レイの問いへ返した頷きを、いろはは思い返す。彼は確かに制圧すると言った。そこは曖昧にしていない。皆に伝えるべき危険を、伝えなかったわけでもない。

 そのうえで、まだ分からないことがある。目的を知っても、名前を聞いても、使う力を見ても、本人のすべてが分かったわけではなかった。

 いろはは、画面へ向けていた顔を少しだけ下げた。知っている事実と、抱いてしまった印象。その両方を持ち帰ってきたのだと、ようやく自分でも分かる。

 答えを今ここで出すことはできない。かえでたちが見つめる記録の中で、白い竜はまだ同じ笑顔をしていた。いろははその笑顔を見上げ、もう一度、瞳へ視線を戻した。


 ただ、その瞳だけが、なぜか心に引っ掛かっていた。

 いろはは答えのない疑問を抱えたまま、画面の中の、小さな白い竜を見つめ続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。