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転生した主人公が次元神になる  作者: ヘルカイザー
第2部

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第37話 謎のグッズと怒れる次元神



 咲との模擬戦が終わり、はちは皆の待つ場所へ戻ってきた。

 足を止めた途端、いくつもの視線が集まる。


「……わふっ?」


 いろはは、いつものように迎えてくれていた。

 だが、その周囲にいる面々の様子が少しおかしい。

 レイは言葉を探しているように口を開き、ユイナはまだ訓練フィールドとこちらを交互に見ている。セナも、簡単には感想を口にできない顔だった。


 高速の射撃に、装備の切り替え。最後には粒子化まで使った咲だったが、はちは次元の力でその攻撃を退けた。

 モニター越しに見届けていたはずの皆が、今もどこか信じきれない様子をしている。


「……はち」

「はい?」

「さっきの……あれが、次元神の力なの?」


 レイの問いに、はちが首を傾げた。

 ディメンションゲート。ディメンションウォール。

 思い当たるものを確かめるようにしてから、頷く。


「そうですけど……?」


 一拍、静かになった。

 次の瞬間、その静けさを幾つもの声が破った。


「「「えええっ!?」」」

「わふっ!?」


 驚いたはちの肩が跳ねる。

 ユイナが、両手を上げた。


「絶対に無理!! 勝てない!!」

「……反則だわ」


 セナは額へ手をやり、深く息を吐いた。

 どれほど速くても、どれほど良い位置を取っても、相手に届く直前で行き先を変えられる。最後の攻防まで見た後では、簡単な攻略法など浮かばなかった。


「ホンマ……はちちゃんが味方で良かったわ……」


 かえでが、心から安堵したように言った。

 その隣で、バティオスは静かに頷く。


「……流石、主だな」

「私も……はちさんには勝てないです……」


 ましろまで、しみじみと続けた。

 はちは皆の顔を順に見上げる。

 何か言おうとして、結局もう一度首を傾げた。


「……ふむ」


 まずは、戦闘の後始末だ。

 はちは内側へ呼び掛けた。


「ステラ」

『……うん』


 同調が解ける。

 銀紫色だった髪が元の灰黒色へ戻り、紫色の瞳も灰色へ変わっていった。

 光がほどけた先に、ステラが再び姿を現す。


 続いて、左腕の魔力ディスクが消えた。

 SIAは展開を解除し、いつもの腕時計型の姿へ戻る。


「ステラにシア、お疲れ様でした♪」

『はち様こそ、お疲れ様でした』

「……うん。はちも、お疲れ……」


 二人の返事に、はちが微笑んだ。

 さっきまで空間を操っていた少女は、もう普段どおりの顔をしている。

 皆の方は、まだその切り替わりについていけていなかった。

 レイは小さく息を吐き、もう一度はちの顔を確かめる。紫色だった瞳は、見慣れた灰色へ戻っていた。バティオスだけが、先ほどの頷きのまま落ち着いている。

 ユイナは何か言い掛けて、結局口を閉じた。画面越しに見た力と、目の前で相棒を労う姿。その両方が同じはちなのだと、改めて受け止めているようだった。


 そこへ、別の声が響いた。


「悔しい〜〜〜っ!!!」


 ダンッ。

 ダンッ。


 少し離れた場所で、咲が地面を踏みつけていた。

 装備を解いた後も、悔しさだけは解けなかったらしい。


「くぅぅっ!! あと少しだったのに!!」


 また、地面を踏む。

 最後に取った背後。振り下ろした剣。その一撃が届くと確信した瞬間まで、咲にははっきり残っているのだろう。

 ところが、決着のときに背後を取られていたのは、自分だった。


 はちは、その様子を眺めていた。

 声を掛けようかと少し迷い、それから小さく苦笑する。


(……あれは、しばらく収まりそうにないな)


 咲は、もう一度悔しそうに足を鳴らした。

 幼馴染の負けず嫌いは、異世界へ来ても相変わらずだった。


     ◇


 それから、数日が過ぎた。

 アルカディアの通りには、今日も多くの人が行き交っていた。

 店先から声が聞こえ、道の向こうでは誰かが知人へ手を振っている。いつもどおりの、穏やかな街並みだ。


 その中を歩きながら、はちは考え込んでいた。


「……うーん」


 最近、知らない人から声を掛けられることが増えている。

 道を尋ねられるのなら、まだ分かる。

 ちょっとした挨拶だって、不思議なことではない。


 だが、相手ははちの顔を見るなり、名前を呼ぶのだ。


『ああっ! はちちゃん!!』


 そう声を上げて、突然抱き付いてきた女性がいた。

 こちらは相手の顔に見覚えがない。驚いて離れようとするはちに、女性の方は旧知の相手へ会えたかのように喜んでいた。


 別の日には、見知らぬ男性から告白までされた。


『はちちゃん……好きです……!』


 息を弾ませながら近づいてくる姿に、はちは思わず距離を取った。

 どう見ても子供である自分へ、そんなふうに迫られても困る。

 何より、なぜ名前を知っているのかが分からない。


 つい先日には、さらに困った誘い方をする男性まで現れた。


『お嬢ちゃん……お菓子、あげるから……おじさんと遊ぼう……』


 もちろん、きっぱり断った。

 知らない人についていかない。それは、はちもよく知っている。

 けれど、その場を離れてからも、気味の悪さは残った。


「……何でだろう?」


 自分では、急に人目を集めるようなことをした覚えはなかった。

 それなのに、向こうだけがこちらを知っている。

 名前を呼ばれるたび、嬉しさよりも先に、どこで知ったのだろうという疑問が湧いていた。


 考えながら歩いていた足が、ふと止まる。


「……わふっ?」


 誰かに見られた気がした。

 はちは顔を上げ、視線を感じた方向へ向き直る。


 人々が通り過ぎていく。

 足を止めてこちらを見つめている人物は、見当たらない。

 少し待ってみても、誰かが声を掛けてくることはなかった。


「……変だなぁ」


 気のせいだったのだろうか。

 もう一度だけ周囲を確かめ、はちは歩き出した。


 そのとき、通信が入った。


《はちちゃん!》

「わふっ?」

《今すぐ、ガーディアン本部に来てほしいんだけど……》


 いろはの声だった。

 はちは通りの端へ寄り、通信へ答える。


「どうしたのですか? いろはさん」

《いやね? はちちゃんに確認してもらいたい物があるんだ》

「確認してもらいたい物?」

《うん。かえでちゃんも待ってるから》


 はちは、小さく眉を寄せた。

 かえでも一緒となると、ただの世間話ではなさそうだ。


「分かりました! 今すぐそちらへ向かいます」

《ありがとう、はちちゃん》


 通信が閉じる。

 はちは周囲を確認してから、ポータブルゲートを取り出した。


 開いた向こうへ、通りとは違う景色が繋がる。

 理由の分からない視線のことは、ひとまず後にした。

 はちはゲートをくぐり、いろはたちの待つ場所へ向かった。


     ◇


 ガーディアン本部、AEGISの執務室。


「……失礼します」


 扉を開けたはちは、中を見て瞬きをした。

 いろはとレイ、かえで。それにユイナとセナをはじめ、女性陣が集まっている。

 咲の姿もあった。


 大勢いる割に、声は少なかった。

 皆の視線が扉へ向き、はちが入ると机の前が少し空けられる。

 男性陣の姿は見当たらなかった。


「……どうしたのですか? 皆さんが、こんなに集まっているなんて……」


 かえでが、静かに口を開いた。


「はちちゃん。最近、何か変わったことは起きてへんか?」

「……わふっ?」


 少し考え、はちは先ほどまでの疑問を思い出した。

 街で声を掛けられることが増えた、その話だ。


「そうですね……最近、街を歩いていると、見知らぬ人に声を掛けられることが多くなったような……」

「「どんな風に?」」

「わふっ!?」


 いろはとレイが、同時に身を乗り出した。

 二人の顔は近かった。

 声を荒らげたわけではないのに、はちはつい背筋を伸ばしてしまう。


「えっと……何故か知らないんですけど……」


 はちは、起きたことを順に話した。

 知らない女性に名前を呼ばれ、突然抱き付かれたこと。

 見知らぬ男性から、距離を詰めるように告白されたこと。


 話すほど、いろはの笑顔が薄くなっていく。

 レイは口を閉じたまま、最後まで聞いていた。


「この前なんて……『お嬢ちゃん、お菓子あげるから、おじさんと遊ぼう』って、知らない人に声を掛けられました」


 室内が、静まり返った。

 はちは説明を終え、皆の顔を見回す。


 かえでが、眉間へ皺を寄せた。


「……なんや、そのロリコンは」

「……そうだね」


 いろはが、にっこりと笑った。

 目元だけが、少しも緩んでいない。


「私、ちょっとそのおじさんとお話したいかも……」

「うん。そうだね、いろは……」


 レイも頷いた。

 はちは、思わず一歩だけ姿勢を引く。

 二人の背後が、何だか暗く見えた。


「……わふっ。あの……どうして、そんなことを聞くのですか?」


 かえでが、はっと顔を上げる。


「あっ。ごめんな、はちちゃん。話が脱線してもうた」

「……いえ」

「実はな……最近、アルカディアでこんな物が出回ってるんや」


 かえでは、机の上を示した。

 そこには、写真を使った様々なグッズが並べられていた。


「……これは。グッズですか?」

「そうや」


 はちは一つを手に取った。

 写真の中に、いろはがいる。

 隣の品にはレイ。その向こうには、かえでや、ほかの皆の姿もあった。


 そして、はち自身の写真まで。


 見覚えのある顔が、見覚えのない商品に使われている。

 はちはしばらくそれを眺め、別の一つへ持ち替えた。

 撮られたことを覚えていない写真だった。

 はちは、品物の中の自分と、周りにいる皆の顔を見比べた。写真の人物は確かに自分たちなのに、誰もこの机の物を嬉しそうには見ていない。

 咲も腕を組んだまま、手元へ落ちるはちの視線を追っていた。街で声を掛けられた話を聞いた後では、単なる珍しい商品として片づけられるはずもなかった。


「……自分、こんな物の許可を出した覚えはないんですけど」


 誰も、こちらへ笑い返さなかった。

 それだけで、答えは分かった。

 いろはたちも、同じだったのだ。


 はちは、並べられた写真を一枚ずつ確かめていった。

 こちらを向いていないものが多い。それだけなら、何気ない一場面を撮った写真とも言える。

 だが、本人たちが撮影そのものを知らず、商品になることも知らなかったとなれば、話は違う。


 見られたくなかっただろうと思える場面まで、混ざっていた。

 はちは、その一枚を長く眺めず、そっと机へ戻した。


「……ほう」


 声が、静かになった。

 いろはの顔から、先ほどまでとは別の意味で笑みが消える。


 はちは、次の商品も確かめた。

 自分の写真が勝手に売られている。それも、もちろん気分のよいことではない。

 けれど、机の上には家族や仲間の姿まで並んでいた。


 本人の知らないところで撮られ、知らないところで品物にされ、不特定の人へ渡っている。

 街で名前を呼ばれる理由も、それなら説明がつく。

 だが、理由が分かったからといって、安心はできなかった。


 はちは、最後の商品を置いた。

 指先が離れた後も、その位置を見つめている。


「……はち?」


 レイが、恐る恐る呼び掛けた。

 はちは顔を上げる。


「はい?」

「……もしかして、怒ってる?」


 はちは、にっこりと微笑んだ。


「いいえ? 怒っていませんよ?」


 室内の誰かが、小さく息を呑んだ。

 声は柔らかい。表情も穏やかだ。

 それなのに、気軽に続きを尋ねられる空気ではなかった。


 いろはが、咲へ顔を寄せる。


「ねぇ、咲ちゃん……はちちゃん、どうしたの?」


 咲は、はちを一目見た。

 それから、何かを悟ったように目を伏せた。


「……あー。はちがキレました……」


 皆の視線が、咲へ集まる。


「……ああなったら、私でも無理です……」

「いやですねぇ、咲……」


 咲の肩が、びくりと揺れた。

 はちは咲へ向き直り、先ほどと同じ笑顔を向けている。


「自分は、キレてませんよ?」


 一瞬、返事が途切れた。


「「「「そ、そうですよね!!」」」」


 見事に揃った声が、執務室へ響いた。

 はちは満足そうに小さく頷き、また机へ目を戻す。

 咲は、それ以上何も言わなかった。

 幼馴染の顔を知らないわけではない。むしろ、よく知っているからこそ、軽い言葉を掛けるのをやめていた。

 模擬戦の後、自分が悔しがっていたときには、はちは苦笑していた。そのときと今とでは、同じ笑顔でも、見ているものが違う。咲は机に並ぶ皆の写真へ目を落とし、そっと息を吐いた。


     ◇


 まず、出所を調べなければならない。

 はちは、写真と商品の情報を確かめ始めた。


 誰が売っているのか。

 どこから入荷したのか。

 商品を辿った先で、写真を渡した者へ行き着けるのか。


 いきなり相手へ向かうことはできない。

 分かっている物を順に確かめ、販売元と流通経路を追っていく必要があった。


 机へ向かうはちの表情は、落ち着いていた。

 だが、写真に写った家族の顔を見るたび、視線が一度止まる。

 そこから先の作業へ戻るまでの間が、妙に静かだった。


 いろはたちの写真が、人の手へ渡り続けている。

 本人たちの嫌がる場面まで、見知らぬ誰かの商品にされている。

 そのことを思い返すたび、はちの笑顔から温度が消えていった。


(……犯人が見つかったら)


 はちは、手元の資料を揃えた。

 思い浮かんでいる精霊が、一人いる。

 こういうときに力を借りれば、相手も簡単には逃げられないだろう。


 だが、呼び出すのはまだ先だ。

 まずは、相手を確かめる。


 それから、数日。

 出所を辿り続けた先で、はちはようやく一人の人物へ行き着いた。


 その名は――。


     ◇


 男は、机の書類を睨みつけていた。

 AEGISを去ってから、数か月。

 時間が経っても、あのときの屈辱は薄れていない。


「……忌々しい」


 思い出すのは、自分の仕掛けた罠を暴かれたことだった。

 あの女が余計な真似をしなければ、計画は進んでいたはずだ。

 必要な力を、組織のために手に入れる。そのために行動しただけなのに。


 それを否定され、追放された。

 男は、机の上で拳を握り締めた。


「……ふざけるな!!」


 組織のために、どれほど尽くしてきたと思っている。

 人生の大半を捧げ、強くするために必要な手を打ってきた。

 それを理解しない者たちが、今もあの場所にいる。


 正義を分かっていないのは、向こうだ。

 男はそう考えていた。

 自分が傷つけようとした者のことも、罠に嵌めた相手のことも、その考えの中では後回しになっていた。


 いずれ、立て直さなければならない。

 間違った方向へ進んだ組織を、自分の手で。


「……資金だ」


 男は、別の書類を引き寄せた。

 計画を進めるには、金が必要になる。

 そのために役立ったのが、手元に残っていた資料だった。


 以前、安藤はちを捕らえようとしたときに集めた情報。

 天城いろは、レイ・シルビア、かえでをはじめ、彼女たちの記録もあった。

 その中には、部下が勝手に集めた、別の資料まで紛れ込んでいた。


 日常を収めた写真。

 本人たちの知らないところで残された、様々な場面。

 最初は、余計なものまで集めたと思っていた。


 だが、見方を変えれば、利用できた。


「……使えるではないか」


 写真を使い、グッズを作らせた。

 本人の許可は、取っていない。

 そもそも、そのつもりもなかった。


 商品は、予想以上に売れた。

 中でも、安藤はちの写真を使った物への反応がよかった。

 売上の記録を見ていると、口元が自然と緩んでいく。


「……あの小娘も、思わぬところで役に立つ」


 目標額までは、あと少しだった。

 この調子なら、必要な資金が揃う。

 男は数字を確かめ、椅子へ深く腰を下ろした。


 無断で写真を使っていることに、何も感じないわけではない。

 だが、その僅かなためらいさえ、男はすぐに押し退けた。


「……知ったことか」


 元犯罪者まで受け入れている、あの組織だ。

 罪を償ったかどうかなど、男にとっては関係がなかった。

 一度でも罪を犯した者なら、見下してよい。

 そういう判断で、目の前の行為を許してしまっていた。


 自分が今、その人々を傷つけていることには、目を向けない。

 資金が集まっている。その事実だけが、男の機嫌をよくしていた。

 記録の中にいるのは、彼にとって販売に使える名前と顔だった。写真に写っている者が何を思うかは、数字の横には書かれていない。

 自分のしたことを考えかけても、追放されたときの怒りが、すぐにその上を覆ってしまう。あいつらが悪い。その言葉へ戻れば、机の向こうで起きていることを見なくて済んだ。


「……待っていろよ」


 低い声が、部屋に落ちる。

 男は、売上の記録へ歪んだ笑みを向けた。


「このレクサス・クロフォードを裏切ったことを……」


 その名を口にすると、失った立場がまだ自分のものであるような気がした。

 悪いのは、理解しなかった者たちだ。

 だから、思い知らせてやる。


「AEGISの馬鹿どもに、後悔させてやる!!」


     ◇


 レクサス・クロフォード。


 はちは、資料に記された名前を見つめていた。

 懐かしいと言うには、あまりにも気分のよくない名前だ。


 次元神事件の引き金を引いた人物。

 かつて、はちを罠に嵌めた人物だった。

 いろはたちも、その一件に苦しめられている。


「……ふむ」


 はちは、次の資料へ目を通した。

 販売元から辿った情報が、同じ人物を示している。

 今回の商品と、以前から集められていた資料。その繋がりも見えていた。


 組織のためなら、人を傷つけてでも力を手に入れようとする。

 過去に罪を犯した人間なら、その後にどれだけやり直そうとしていても見下す。

 レクサスは、そういう考え方の持ち主だった。


 はちは、静かに息を吐いた。

 犯罪を肯定するつもりはない。

 だが、罪を償い、やり直そうとする者を、最初から価値のないものとして扱う考えにも賛成はできなかった。


 しかも、今度は本人が、無断の写真を売っている。

 いろはたちの気持ちは、そこでも顧みられていなかった。


 資料の端を揃える指が、止まった。

 犯人を確かめるまでの数日間も、販売は続いていた。

 まだやめるつもりがないらしい。


 はちの口元に、笑みが浮かぶ。


(……うん♪)


 その顔を見ていた咲が、黙って目を逸らした。

 机の上には、販売の記録が並んでいる。

 はちは、それを見ながら、これから呼ぶ相手の顔を思い浮かべた。


(この人、生き地獄ツアー決定ですねぇ♪)


 口には出さなかった。

 それでも、近くにいたレイは、はちの表情を何度も確かめていた。


 以前の件を、ただ蒸し返したいわけではない。

 だが、今回のことは、今も続いている。

 被害を止め、犯人には自分のしたことと向き合ってもらわなければならなかった。


「……はちちゃん」

「わふっ?」


 いろはの声に、はちが顔を上げる。

 いろはは、机の資料へ一度目を落とした。


「犯人が分かったなら……捕まえようよ?」

「そうだよ、はち。これ以上、被害が広がる前に」


 レイも、静かに続ける。

 かえでが、二人の隣で頷いた。


「私も、二人の意見に賛成や」


 三人とも、真剣な顔をしていた。

 今度は、はちの笑顔に遠慮しているだけではない。

 机に並ぶ写真も、街で起きたことも、これ以上放っておけないのだ。


「無論、捕まえるつもりですよ♪」

「……そっか」


 いろはが頷く。

 だが、はちはすぐに立ち上がらなかった。


「でも……その前に……」

「……え?」


 左腕のSIAを起動する。

 カシュッ、と本体が展開し、その外側へ魔力ディスクが形成された。

 はちは右手中指の指輪型カードケースへ手を伸ばす。


 取り出したのは、一枚のカードだった。

 咲が、その動きを目で追った。

 模擬戦でアリアを呼び出したときと同じ手順だが、はちの表情は、あのときと少し違っている。


 カードが、魔力ディスクへセットされた。


「来てください……ウォルフさん……」


 光が集まる。

 執務室へ広がった魔力の中に、大きな影が現れた。


 隆々とした筋肉。

 逞しい身体。

 そして、狼の顔。


 いろはの視線が、ゆっくり上へ動いた。

 レイも、その輪郭を確かめるように見上げている。

 光が薄れると、そこには存在感たっぷりの狼人間が立っていた。


 はちが、少しだけ顎を上げる。

 その顔を見つけたウォルフの表情が、ぱっと明るくなった。


「……あら? 珍しいわねぇ♪ はちちゃんが私を出してくれるなんて♪」


 逞しい外見とは対照的な、弾む声だった。

 ウォルフは嬉しそうに身を屈め、はちへ顔を近づける。


 心は、乙女。

 はちはそのことを、よく知っていた。

 ただ、久しぶりに見上げると、つい狼男という言葉が浮かびかける。


「……何ですって?」

「わふっ!?」


 ウォルフの目が細くなった。

 はちは背筋を伸ばし、慌てて首を振る。


「い、いえ! 何でもありません! 狼女です!」


 咲が、口元へ手をやった。

 いろはとレイは、二人のやり取りを交互に見ている。

 はちは咳払いをする代わりに、いつもの笑顔を作り直した。


「いやですねぇ、ウォルフさん♪ 今日は、ちょっとお願いしたい仕事があるんですよ」

「……あら? 良いわよ♪」

「ありがとうございます」


 返事は、実に気前がよかった。

 だが、ウォルフはそこで少しだけ身を乗り出す。


「……無論、男がらみよね?」


 はちが、小さく頷いた。


「はい♪」


 机から、一枚の写真を取り上げる。

 写っていたのは、レクサス・クロフォードだった。


「こちらの方なんですけど」


 ウォルフが、写真を覗き込んだ。

 大きな手でそっと受け取り、顔を近づける。


「……あら♪」


 目が、輝いた。

 はちが見上げている間に、ウォルフの口元が嬉しそうに緩んでいく。


「……いい男ねぇ♪」


 写真を見つめる姿は、すっかり上機嫌だった。

 はちは一度、いろはたちへ顔を向ける。

 三人とも、声を出さずにこちらを見ていた。


 今回、頼みたいのは、犯人を逃がさず捕まえるための協力だ。

 だが、ウォルフの逞しい身体と、写真へ向けられた熱意を見比べると、レクサスがどんな顔をするかは、容易に想像できた。


 はちの笑みが、少し深くなる。

 咲は、その表情を見て小さく肩を揺らした。


「うふふっ♪」


 ウォルフは、まだ写真を眺めていた。

 相手をよく覚えておこうというように、目を離さない。

 背後に立ついろはたちからは、何とも言えない沈黙だけが返ってくる。


「……ハ、ハチちゃん……?」

「はい?」

「……その……」


 いろははウォルフへ目を向け、それからはちを見る。

 言い掛けたまま、口を閉じた。


 レイも同じように視線を往復させていた。

 かえでは口元を引き結び、机の写真を見下ろしている。

 誰も、まだ作戦について詳しく尋ねていない。

 それでも、レクサスにとって気楽な対面にならないことだけは、皆に伝わっていた。


「……ふふっ♪」


 はちは、にっこり微笑んだ。

 捕まえた後には、もちろん罪を償ってもらう。

 まずは、今も続く販売を止めなければならない。


 机の上の無断グッズと、ウォルフの手の中にある写真。いろはは、その二つを順に見た。さっきまでは自分たちが、知らないところで写真を使われている側だった。今は、こちらが犯人の顔を確かめている。

 ウォルフは写真から目を離すと、はちへ嬉しそうに笑いかけた。はちも、実に穏やかな顔で頷き返す。二人の笑顔が揃うと、室内の沈黙が一段と深くなった。


 そのために会いに来る相手が、ウォルフだと知ったとき。

 レクサスは、どんな顔をするのだろう。


 いろはが、もう一度だけはちを見た。

 レイの肩が、僅かに揺れる。

 咲は最初に言ったとおり、今の幼馴染を止める言葉が見つからないようだった。


 そして、ウォルフは楽しそうに写真を掲げている。


「……うふふっ♪」


 機嫌のよい笑い声が、執務室へ響いた。

 はちは、自分で呼び出したその姿を、改めて見上げる。


(……何か黒いよ!? これ!!)


 もっとも、その中心にいるのは、ほかならぬはち自身だった。


 レクサス・クロフォードは、まだ知らない。

 順調だと思っていた売上の向こうで、出所はすでに辿られている。

 そして今、その顔写真が、一人の精霊の手に渡ったことを。


 かつてはちを罠に嵌めた男の前に、今度は、逃げ出したくなるような対面が迫ろうとしていた。

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