第35話 幼馴染と明日の約束
――安藤はち視点――
アルカディアの通りには、今日もたくさんの人が行き交っていました。
「へぇ〜。本当に大きな街ね」
隣を歩く咲が、興味深そうに周囲を見回しました。
肩までの金髪が、顔を動かすたびにさらりと揺れています。
「魔法と科学が共存する世界って、こういう感じなのね」
「そうですねぇ。自分も最初は驚きましたよ」
「でしょうね。享司、こういうの好きだったものね」
「……まあ、否定はしませんけど」
自分は苦笑しました。
新里咲。金城享司として生きていた頃から、ずっと一緒にいた幼馴染です。
その咲と、今こうして異世界の街を歩いている。
つい先ほどまでは、そんなことが起きるなんて考えもしませんでした。
それなのに、咲はもう当たり前のように隣にいるんですよねぇ。
「何?」
「わふっ?」
「さっきから、こっち見てるでしょ」
「……いえ。何でもないですよ」
慌てて前へ向き直ります。
咲は少し笑いましたが、それ以上は追及してきませんでした。
咲はまた通りへ目を向けました。目に入るものを一つずつ確かめるように、少しだけ歩調を緩めています。
その隣で、自分も足を緩めました。
何気なく呼ばれた前世の名前が、まだ耳に残っています。今の生活では、安藤はち。その事情だけは、家に着く前に伝えておかなければなりません。
「……ねぇ、咲」
「何? 享司!」
咲はすぐに足を止め、こちらへ身を屈めました。通りの話し声に紛れるよう、自分も声を落とします。
「お願いがあるんですけど……」
「お願い? 内容によるわ。言ってみて?」
「いろはさん達の前では、安藤はちで通しているんですよ。だから……皆さんの前では、安藤はちって呼んでほしいんです」
自分の声が、思った以上に真剣になりました。
咲には、先ほど事情を説明しています。ですが、それをほかの皆さんにどう伝えるかは、また別の話なのです。
「えっ? 別にいいけど?」
「…………」
……あれ?
「いいんですか?」
「うん」
「本当に?」
「だから、いいって言ってるじゃない」
咲の返事には、ためらいがありませんでした。もう決まった話だというように頷かれ、自分もようやく肩の力を抜きます。
「咲! ありがとう!」
思わず、笑顔になります。
ところが。
「……くっ!!」
「……わふっ?」
咲が、その場に膝をつきました。
明るかった声が途切れました。咲は片手を膝に置き、顔を伏せています。自分が目の前へ回り込んでも、すぐには顔を上げませんでした。
「咲? 大丈夫?」
慌てて近寄ってみます。
返事はありませんでした。
代わりに、肩がぷるぷると震えています。
顔を覗こうと、もう少し屈みます。すると、咲の肩が先ほどより大きく震えました。
「……ルナのことが好きになった気持ちが……」
「わふっ?」
「分かった気がするわ……」
……。
…………。
(待て。これ、具合が悪いわけじゃないぞ)
咲がゆっくり顔を上げました。眉は苦しそうに寄っているのに、こちらを見た目元は、どうにも嬉しそうです。
自分は伸ばしかけた手を止めました。
(抱き付きフラグじゃないか!?)
自分は、そろりと一歩下がりました。
咲の視線が、その動きについてきます。さっきまで笑顔で見上げていた距離が、急に近すぎる気がしました。
ガシッ。
「何処に行くの?」
「わふっ!?」
腕を掴まれていました。
咲はもう立ち上がっています。こちらが後ろへ引いた分だけ、何事もなかったように距離を詰めていました。
「……さ、咲」
「何かしら?♪」
見上げた先には、実に楽しそうな笑顔。
咲は手を離す気配もなく、返事を待って首を傾けています。こちらが黙るほど、その笑みが深くなっていきました。
「……お願い……放して……」
駄目元で頼んでみました。
しかし、咲は自分をじっと見つめると、一瞬だけ息を詰めました。
「享司……それでは逆効果よ!!」
「わふっ!?」
ひょいっ。
足が、地面から離れました。
「ちょっ――」
ぎゅうっ。
「わふぅぅっ!?」
視界の高さが変わり、咲の顔がすぐ目の前に来ました。掴まれていた腕を引くより早く、しっかり抱きかかえられてしまいます。
「咲!! お願いだから放して!!」
「無理よ♪」
即答でした。咲は笑ったまま、こちらを抱える腕を直します。
じたばたしてみても、咲はびくともしません。こちらを抱きかかえたまま、楽しそうに顔を覗き込んできます。
「本当に享司は女の子になったわねぇ♪」
「……わふっ」
「昔とは全然違うじゃない。……可愛いわよ♪」
「嬉しくな〜い!!」
抗議すると、咲の肩が小さく揺れました。以前の享司と今の姿を見比べているのか、顔を近づけたり、少し離したりしています。
「ふふっ♪」
咲は、こちらの抗議まで楽しんでいる様子でした。
頬を、指でぷにぷにと突いてきます。
「ほら、頬も柔らかい♪」
「ちょっ、咲!?」
「それに、こんなに小さくなっちゃって。昔の享司からは想像できないわねぇ」
「だから、嬉しくないって言ってるじゃないですか!!」
頬から指が離れた隙に、身体を捻ります。咲は落とさないよう抱え直し、その指を今度はお腹へ向けました。
「……あら? ここはどうかしら?」
つんっ。
「わふぅっ!?」
思い切り、肩が跳ねました。
咲の目が丸くなります。
「さ、咲!! お願いだからお腹触らないで!!」
言い終わる前に、咲と目が合いました。
一度止まった指先が、そっと戻ってきます。咲の口元は、ゆっくり持ち上がっていました。
「……ふふっ。享司の弱点、見っけ♪」
「…………」
終わった。
俺の不用意な発言で、完全に終わった。
「……咲」
「な〜に?♪」
「お願いですから……」
「可愛がってあげるわ♪」
咲は楽しそうに声を弾ませ、抱え直してきました。自分の両足が、行き場をなくして宙で揺れます。
「や〜〜め〜〜て〜〜〜!!」
「ふふっ♪ こちょこちょ〜♪」
「わふっ!? ひゃっ!? ちょっ!!」
咲の指から逃げようと身を捩るたび、笑い声がこぼれました。言い返そうとしても息が続かず、咲を呼ぶ声まで途切れてしまいます。
「咲ぃぃぃ!!」
「もう、そんなに暴れたら危ないわよ♪」
「だったら放してくださいよぉぉぉ!!」
「無理♪」
咲の返事は、最後まで変わりませんでした。笑いながらこちらを支え、自分が落ち着くのを待つように覗き込んできます。
「あーーーっ!!」
◇
――はち、幼馴染による抱っことくすぐりの刑、執行中――
◇
「うーん……すっきりした♪」
「……しくしく」
地面へ下ろされると、足裏にようやく道の感触が戻りました。自分は肩を落として息を整えます。
その隣で、咲はすっきりした顔をしていました。こちらが恨めしげに見上げても、微笑みは崩れません。
「それにしても、享司は肌触りも良くなってるし、くすぐったがりだし、言うことないわね♪」
「……しくしく」
咲は満足そうに頷きます。こちらは抗議する気力もなく、俯くばかりでした。
「……もうお婿行けない……」
「享司は女の子じゃない♪」
「…………」
つい漏れた呟きまで、きっちり拾われました。
(そこは聞き流してくれよ……)
昔から、こういうところは敵いません。
ため息をつきながら、乱れた髪を整えます。咲はその様子まで楽しそうに見ていました。
髪を整え終えると、咲も歩き出しました。自分が隣に並ぶまで、今度はちゃんと待ってくれています。
小さく息を吐き、ようやく家への道に戻りました。
◇
「……ここが享司の今住んでいる家ね」
ようやく到着すると、咲は建物を見上げました。
興味深そうに眺めるその横で、自分も足を止めます。
「まあね。正確には、いろはさん達の家ですけどね」
「……ふーん。いい家ね」
「そうですねぇ」
自然と、声が柔らかくなりました。
帰ってきたと思える場所があるのは、ありがたいことです。
いろはさん達と家族になってから、ここで迎えてもらうことにも少しずつ慣れてきました。
それでも、咲と並んでこの家を見上げるのは、何だか不思議な感じがします。
今の暮らしと、以前の暮らし。その両方を知っている人が、ここにいるのですから。
さて。まずは皆さんに咲を紹介しないといけませんね。
そう考えたところで、聞き慣れた声がしました。
「あれ? はちちゃん、もう帰ったの?」
「わふっ? あっ、いろはさん! お帰りなさい♪」
「ただいま、はちちゃん♪」
ちょうど帰ってきたばかりのいろはさんが、いつものように微笑みます。
そして、自分の隣へ目を向けました。
「……あれ? お客さんかな?」
紹介しようと口を開きかけると、咲が一歩前へ出ました。
「貴女が天城いろはさんですか?」
「え?」
「初めまして。私は新里咲と言います」
丁寧に頭を下げる咲。
いろはさんも笑顔で応じました。
「初めまして♪ 天城いろはです。よろしくね」
顔を上げた咲の声は、先ほどまでより少し落ち着いていました。いろはさんに向き直る姿勢もきちんとしていて、自分が口を挟む間もなく挨拶が進んでいきます。
「咲さんは、はちちゃんの知り合いなの?」
いろはさんの質問に、自分は少しだけ背筋を伸ばしました。咲がこちらを一瞬見て、それからいろはさんへ視線を戻します。
「はい♪ はちとは、以前いた世界で幼馴染だったんです」
「……えっ? そうなの?」
「はい。私もいつの間にかこちらの世界へ来ていて、偶然はちと再会したんです」
咲は、自然な調子で答えました。
前世の名前も、転生の話も出しません。
(……助かった)
小さく息を吐いた自分を、いろはさんが見ました。
その視線が、咲と自分の間を一度行き来します。
「……そっか。良かったね、はちちゃん♪」
「……はい♪」
自分が笑顔で頷くと、隣で咲も微笑みました。いろはさんは二人の顔を見てから、家の方へ身体を向けます。
「それじゃ、咲さんも中へどうぞ♪」
「ありがとうございます」
いろはさんに促され、咲が家へ入っていきます。
◇
「ただいま」
「ただいま〜♪」
しばらくして、レイさんとヴィリノちゃんも帰ってきました。
「わふっ! お帰りなさい♪」
「はちお姉ちゃん!」
ヴィリノちゃんが、ぱっと顔を輝かせます。自分へ向けていた視線が、すぐ隣の咲まで移りました。レイさんもそれにつられるように顔を向けます。
「……あれ? お客さん?」
「はい♪ 自分の幼馴染の咲です」
「初めまして。新里咲と言います」
「私はレイ・シルビア。よろしくね」
咲は、レイさんにも丁寧に挨拶していました。
その横で、ヴィリノちゃんも咲を見上げています。
そんなこんなで、夕食の時間になりました。
皆さんと同じ食卓を囲み、その中に咲も加わっています。
聞き慣れた声の間から幼馴染の声が聞こえるたびに、自分はつい顔を上げてしまいました。
「へぇ〜。咲は、はちの幼馴染なんだ」
「そうなんです♪」
「それじゃ、はちの昔のことも知ってるんだね?」
「ええ。小さい頃からずっと一緒でしたから」
レイさんの問いに、咲が笑顔で答えます。
(おい。何だか、話がまずい方へ向かってないか?)
食事の手が、少し止まりました。
そんな自分の心配をよそに、今度はいろはさんが身を乗り出します。
「ねえ、咲。はちちゃんって、前の世界ではどんな子だったの?」
「……わふっ?」
自分は、食事の手を止めたまま、そっと咲へ視線を向けました。
咲も、こちらをちらりと見ています。
その口元には、微かな笑み。
(頼むぞ。余計なことは言わないでくれよ?)
「そうですねぇ……」
わざわざ考えるような間を置くものですから、余計に落ち着きません。
やがて、咲は静かに言いました。
「今と変わらないですよ。はちは、昔から誰にでも優しすぎますから……」
「…………」
……え?
「「あ〜、納得!」」
いろはさんとレイさんの声が、見事に重なりました。
「わふっ!?」
いろはさんもレイさんも、咲へ頷いていました。驚いたままの自分を挟んで、話だけがすっかりまとまっています。
「やっぱりそうなんだね。はちちゃん、誰かが困っていると放っておけないもんね」
「そうそう。自分のことより、先に相手の心配をしちゃうところがあるよね」
「……えっと」
いろはさんとレイさんが、顔を見合わせて頷きます。咲は二人の言葉を聞きながら、静かにこちらへ目を向けました。
「ふふっ。やっぱり、今も変わらないのね」
咲の口調が、少し柔らかくなりました。からかうときの笑顔とは違う目で、食卓の向こうから自分を見ています。
「はちお姉ちゃん、やさしいもん!」
「……わふっ」
ヴィリノちゃんは、皆さんの顔を見回してから、もう一度こちらへ笑いかけました。自分は返事に困って、少しだけ目を逸らします。
「……皆さん、そんなに褒めても何も出ませんよ?」
ようやく言えたのは、それだけでした。
皆さんが楽しそうに笑います。
こちらの照れ隠しまで、全部見抜かれているような気がしました。
◇
「……主」
「わふっ?」
聞き慣れた呼び掛けに、顔を上げます。
「少し、聞きたいことがあるのだが……」
「バティオス?」
そこには、一枚の書類を持ったバティオスが立っていました。今は機体の姿ではなく、人間の姿をしたアンドロイドモードです。
日常生活を送れるよう、自分が改良した姿でした。元になった作品の人物を基準にしていますが、落ち着いた口調も、こちらを主と呼ぶところも変わりません。
バティオスは書類を持ち直しました。声は普段どおりなのに、すぐには内容を切り出しません。目立つ行動を嫌う彼が、何か困っているようでした。
「どうしました?」
「主に、確認していただきたいものがある」
差し出しかけた書類へ手を伸ばすと、今度は別の声が聞こえました。
「はちさーん♪」
「……わふっ?」
白瀬ましろさんです。
こちらも一枚の書類を持って、やってきました。
ましろさんは、次元震によって自分の研究所へ流れ着いた、次元漂流者です。
元の世界で美里優さんを探していたところ、こちらへ迷い込んでしまったそうで。
元の世界へ戻れるようになるまでは、自分たちのところで過ごしてもらっています。
かつて最強のアンドロイドとして活動していた、あのメイドさん。初めて会ったときには、以前見た作品の記憶と目の前の姿が重なって、驚いたものです。
今はバティオスの隣で足を止め、こちらの話が終わるのを待ってくれています。
「どうしたのですか? ましろさんにバティオス」
尋ねると、ましろさんは隣へ目を向けました。
「あっ、リューガ……ではありませんでした。バティオスも来ていたのですか?」
「ああ。主に相談したいことがあってな」
「そうだったんですね」
ましろさんが、にっこりと微笑みます。
二人とも書類を持っていますが、別々の相談なのでしょうか。
「では、バティオスからどうぞ」
「ああ。これだ」
今度こそ、書類を受け取りました。
内容に目を通そうとして、まず表題で止まります。
『街中のイケメンは誰! 実演希望書類』
「…………」
自分は顔を上げ、笑顔で頷きました。
「……うん! ボツ!」
「主なら、そう言うと信じていた」
バティオスが、大きく息を吐きました。
バティオスの肩が、目に見えて下がりました。街中の企画への出演、それもテレビとなれば、目立つことが苦手な彼には気の進まない話です。
「バティオス」
「何だ、主?」
「こういう書類は、今後も自分へ回してくださいね」
「……助かる」
短い返事の後、バティオスはもう一度頷きました。書類の方へ戻っていた視線が離れ、ようやくいつもの落ち着いた顔になります。
「それで、ましろさんは?」
「はい。私も、実は同じような書類なのですが……」
「……わふっ?」
ましろさんは、先ほどの書類へちらりと目を向けました。それから、自分の持っていた一枚を差し出します。
受け取って表題を確かめると、そこにはこうありました。
『街中の美少女は誰! 実演希望書類』
「…………」
また、この形式ですか。
「ボツ!!」
「はちさん、助かりました……」
ましろさんも、ほっと息を吐きました。書類を差し出していた指先から力が抜け、いつもの柔らかな笑顔が戻ってきます。
隣のバティオスが、その様子を見て小さく頷きました。二人とも、持ってきたときよりずっと楽な表情をしています。
「……大変ですねぇ、二人とも」
「ですが、はちさんに確認していただけて良かったです」
「同感だ」
二人が頷くのを見て、自分も苦笑しました。
これで、今度こそ落ち着けるでしょう。
そう思っていたのですが。
◇
「……そういえば」
咲の声に、顔を向けました。
何か思い出したような表情で、自分の手元へ一度視線を落としています。
「私、こっちの世界に来てから、まだ能力の確認をしていなかったわね」
咲は手元から目を上げました。再会してからは話すことが多く、転生の際に貰った能力については、まだ詳しく確かめていません。
アカムを使って戦える。それ以上のことは、自分も聞けないままでした。
「ねえ、いろはさん」
「うん? どうしたの?」
「少し、お聞きしたいことがあるんですけど」
「……何かな?」
咲は、いろはさんへ向き直りました。
その横顔を眺めていると、なぜか胸の奥がざわつきます。
「この中で、一番強い人って誰ですか?」
……ん?
「せっかくなので、自分の能力を確認するために、模擬戦をしてみたいんです」
「模擬戦?」
いろはさんが、少し考えるように目を動かしました。
自分は、嫌な予感を覚えながら黙って見守ります。
咲は答えを待っていました。いろはさんに向けた顔には、もう興味がはっきり表れています。
「うーん……そうだねぇ。やっぱり……」
いろはさんの視線が、こちらへ向きました。
続いて、レイさん。
ましろさんも、バティオスも。
さらには、ヴィリノちゃんまで。
皆さんが、一斉に自分を見たのです。
「…………わふ?」
いろはさんと目が合い、次にレイさんと目が合いました。どちらも迷った様子はありません。隣を見れば、ヴィリノちゃんまでにこにこしています。
咲が目を丸くしました。
皆さんの視線を追ってから、ゆっくりと自分へ顔を向けます。
「……はちが、一番強いの?」
「うん♪」
「そうだね」
「はちお姉ちゃん、すごく強いよ!」
いろはさんも、レイさんも、ヴィリノちゃんも、迷いなく答えました。
自分は、思わず口を開きます。
「……皆さん?」
声を掛けても、誰の視線も動きませんでした。咲だけが、一度皆さんの顔を確かめるように見回しています。
咲は、そんなこちらを見つめていました。
そして、にっこりと微笑みます。
「……そう♪」
(あ。まずい)
咲の目元が、楽しそうに緩みました。街中でこちらの腕を掴んだときと同じ笑顔に、自分の肩が少し強張ります。
「それなら、良い機会だわ♪」
咲が、こちらへ身体を向けます。
「はち! 模擬戦しよう?」
咲は真っ直ぐこちらを見ています。頼み方は軽やかでも、答えを待つ顔は真剣でした。
再会したばかりの幼馴染から向けられる期待に、自分は一度だけ口を閉じます。
自分は、にっこりと微笑みました。
「イ・ヤ・で・す♪」
笑顔のまま答えると、咲は一度瞬きをしました。けれど、その口元から笑みは消えません。
「……ふふっ♪」
「……わふっ?」
咲は少し首を傾けました。こちらの返事を聞き終えたところで、ゆっくり頷きます。
「そう。それなら、仕方ないわね」
「……え?」
肩から力が抜けかけました。咲はそんなこちらを眺め、ことさらに明るい声で続けます。
「はちの小さい頃の秘密を、皆さんに話すまでね♪」
……。
…………。
(おい。それは反則だろ!?)
声に出すのは、どうにか堪えました。
ですが、顔には出ていたかもしれません。
咲の笑みが、ほんの少し深くなった気がします。
「……へぇ? はちの小さい頃の秘密?」
「えっ、何々? はちちゃん、どんな子だったの?」
レイさんが興味を示し、いろはさんまで身を乗り出しました。
いろはさんの声に、咲が笑顔で応じかけます。自分がそちらを向くと、咲もまたこちらを見ました。
名前の約束は守ってくれていても、昔の話まで黙っていてくれるとは限りません。こちらが何か言うのを待つように、咲は言葉を止めています。
「……咲」
「な〜に?♪」
「本当に、やるんですか?」
「もちろん♪」
迷いのない返事でした。
ため息が、口からこぼれます。
完全に、弱みを握られていますねぇ。
「……分かりました」
「……おっ?」
咲の目が、嬉しそうに輝きました。
先ほどまでの駆け引くような表情が、ぱっと明るくなります。自分が続けるのを待って、咲は少しだけ身を乗り出しました。
「それじゃ、一つ聞きますけど」
「何?」
自分は、咲を真っ直ぐに見ました。
「ノーマルとハード、どちらがいいですか?」
咲が、一瞬だけ黙りました。
自分の言葉を聞き取って、その意味を確かめた程度の、本当に短い間です。
「ハード!」
即答でした。
(……即答かよ)
自分が言葉に詰まっている間も、咲はにこにこしています。選び直そうとする様子は、少しもありませんでした。
「……咲」
「何?」
「本当に、ハードでいいんですね?」
「もちろんよ♪」
念押ししても、少しも揺らぎません。
自分は、静かに息を吐きました。
これ以上聞き返したところで、答えが変わることはなさそうです。
「……分かりました。ですが、今日はもう遅いですので……」
一度、言葉を区切ります。
咲は、じっとこちらを見ていました。
「明日、模擬戦をしましょう」
「分かったわ♪」
ようやく、話がまとまりました。
咲は満足そうに頷いています。
◇
「……楽しみだね、はちちゃん♪」
「……わふっ?」
いろはさんは、咲とこちらを交互に見ています。隣のレイさんも、興味深そうに顔を上げていました。
「はちと咲の模擬戦かぁ。幼馴染同士なんだよね」
「……そうですねぇ」
レイさんの言葉に頷くと、咲も同じように頷きました。模擬戦の話をするその横顔は、家に来たときよりずっと楽しそうです。
「はちお姉ちゃん、がんばって!」
「……わふっ♪」
ヴィリノちゃんが、元気よく応援してくれました。
ああ。ありがとうございます。
向かいの咲は、相変わらず楽しそうです。
明日のことを考えているのでしょう。こちらと目が合うと、また微笑みました。
面白そうなことを思いつくと、昔からこんな顔をしていました。自分の返事を聞く前から、楽しみにしていることが分かる顔です。
前世では、いつも隣にいた幼馴染。
一緒に遊戯王をして、時には喧嘩して、何でもないことで笑い合っていた相手です。
それが、二度と会えない相手になったと思っていました。
自分は別の世界で、別の姿になって暮らしている。以前と同じように顔を合わせる機会など、もうないのだろうと。
それなのに、咲は今、同じ食卓にいます。
いろはさん達と言葉を交わし、自分をからかい、明日の予定まで決めてしまっている。
まだ、ときどき確かめたくなります。
声が聞こえると顔を上げて、そこに咲がいるのを見て、ようやく実感するのです。
(……本当に、また会えたんだな)
「……享……」
「……わふっ?」
咲が、何か言い掛けました。
自分の方を見て、すぐに小さく口を止めます。
「あっ。……はち♪」
「……はい?」
呼び直された名前に、顔を上げました。
ほんのわずかな言い直しでしたが、ちゃんと気をつけてくれているのが分かります。
「明日は、よろしくね♪」
楽しそうな声でした。
その顔を見ていると、自分まで少し笑ってしまいました。
「……こちらこそ、よろしくお願いします♪」
咲が満足そうに笑いました。その笑顔にいろはさん達も顔をほころばせ、食卓にまた話し声が戻ってきます。
(……ノーマルじゃなくて、ハードか)
咲はこちらの視線に気付くと、何か言いたげに眉を上げました。自分は小さく首を振ります。
そして自分は、まだ咲の力を詳しく知りません。
アカムによって、どんなことができるのか。
転生した咲が、どれほどの力を手に入れたのか。
それは、明日の模擬戦で確かめることになるのでしょう。
隣で咲が話すと、いろはさん達が笑いました。ヴィリノちゃんも顔を上げて、その会話に耳を傾けています。
自分の方を振り向いた咲が、また自然に今の名前を呼びました。聞き慣れたはずの声を、この食卓で聞く。そのことに、ようやく頬が緩みます。
「……ふぅ」
自分は、もう一度だけ小さく息を吐きました。
……さて。
明日は、どうなることやら。
――安藤はち視点・終了――




