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転生した主人公が次元神になる  作者: ヘルカイザー
第2部

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第35話 幼馴染と明日の約束



――安藤はち視点――


 アルカディアの通りには、今日もたくさんの人が行き交っていました。

「へぇ〜。本当に大きな街ね」


 隣を歩く咲が、興味深そうに周囲を見回しました。

 肩までの金髪が、顔を動かすたびにさらりと揺れています。


「魔法と科学が共存する世界って、こういう感じなのね」

「そうですねぇ。自分も最初は驚きましたよ」

「でしょうね。享司、こういうの好きだったものね」

「……まあ、否定はしませんけど」


 自分は苦笑しました。

 新里咲。金城享司として生きていた頃から、ずっと一緒にいた幼馴染です。

 その咲と、今こうして異世界の街を歩いている。


 つい先ほどまでは、そんなことが起きるなんて考えもしませんでした。


 それなのに、咲はもう当たり前のように隣にいるんですよねぇ。


「何?」

「わふっ?」

「さっきから、こっち見てるでしょ」

「……いえ。何でもないですよ」


 慌てて前へ向き直ります。

 咲は少し笑いましたが、それ以上は追及してきませんでした。


 咲はまた通りへ目を向けました。目に入るものを一つずつ確かめるように、少しだけ歩調を緩めています。

 その隣で、自分も足を緩めました。

 何気なく呼ばれた前世の名前が、まだ耳に残っています。今の生活では、安藤はち。その事情だけは、家に着く前に伝えておかなければなりません。


「……ねぇ、咲」

「何? 享司!」


 咲はすぐに足を止め、こちらへ身を屈めました。通りの話し声に紛れるよう、自分も声を落とします。


「お願いがあるんですけど……」

「お願い? 内容によるわ。言ってみて?」

「いろはさん達の前では、安藤はちで通しているんですよ。だから……皆さんの前では、安藤はちって呼んでほしいんです」


 自分の声が、思った以上に真剣になりました。

 咲には、先ほど事情を説明しています。ですが、それをほかの皆さんにどう伝えるかは、また別の話なのです。


「えっ? 別にいいけど?」

「…………」


 ……あれ?


「いいんですか?」

「うん」

「本当に?」

「だから、いいって言ってるじゃない」


 咲の返事には、ためらいがありませんでした。もう決まった話だというように頷かれ、自分もようやく肩の力を抜きます。


「咲! ありがとう!」


 思わず、笑顔になります。


 ところが。


「……くっ!!」

「……わふっ?」


 咲が、その場に膝をつきました。


 明るかった声が途切れました。咲は片手を膝に置き、顔を伏せています。自分が目の前へ回り込んでも、すぐには顔を上げませんでした。


「咲? 大丈夫?」


 慌てて近寄ってみます。

 返事はありませんでした。

 代わりに、肩がぷるぷると震えています。


 顔を覗こうと、もう少し屈みます。すると、咲の肩が先ほどより大きく震えました。


「……ルナのことが好きになった気持ちが……」

「わふっ?」

「分かった気がするわ……」


 ……。

 …………。


(待て。これ、具合が悪いわけじゃないぞ)


 咲がゆっくり顔を上げました。眉は苦しそうに寄っているのに、こちらを見た目元は、どうにも嬉しそうです。

 自分は伸ばしかけた手を止めました。


(抱き付きフラグじゃないか!?)


 自分は、そろりと一歩下がりました。

 咲の視線が、その動きについてきます。さっきまで笑顔で見上げていた距離が、急に近すぎる気がしました。


 ガシッ。


「何処に行くの?」

「わふっ!?」


 腕を掴まれていました。

 咲はもう立ち上がっています。こちらが後ろへ引いた分だけ、何事もなかったように距離を詰めていました。


「……さ、咲」

「何かしら?♪」


 見上げた先には、実に楽しそうな笑顔。

 咲は手を離す気配もなく、返事を待って首を傾けています。こちらが黙るほど、その笑みが深くなっていきました。


「……お願い……放して……」


 駄目元で頼んでみました。

 しかし、咲は自分をじっと見つめると、一瞬だけ息を詰めました。


「享司……それでは逆効果よ!!」

「わふっ!?」


 ひょいっ。

 足が、地面から離れました。


「ちょっ――」


 ぎゅうっ。


「わふぅぅっ!?」


 視界の高さが変わり、咲の顔がすぐ目の前に来ました。掴まれていた腕を引くより早く、しっかり抱きかかえられてしまいます。


「咲!! お願いだから放して!!」

「無理よ♪」


 即答でした。咲は笑ったまま、こちらを抱える腕を直します。


 じたばたしてみても、咲はびくともしません。こちらを抱きかかえたまま、楽しそうに顔を覗き込んできます。


「本当に享司は女の子になったわねぇ♪」

「……わふっ」

「昔とは全然違うじゃない。……可愛いわよ♪」

「嬉しくな〜い!!」


 抗議すると、咲の肩が小さく揺れました。以前の享司と今の姿を見比べているのか、顔を近づけたり、少し離したりしています。


「ふふっ♪」


 咲は、こちらの抗議まで楽しんでいる様子でした。

 頬を、指でぷにぷにと突いてきます。


「ほら、頬も柔らかい♪」

「ちょっ、咲!?」

「それに、こんなに小さくなっちゃって。昔の享司からは想像できないわねぇ」

「だから、嬉しくないって言ってるじゃないですか!!」


 頬から指が離れた隙に、身体を捻ります。咲は落とさないよう抱え直し、その指を今度はお腹へ向けました。


「……あら? ここはどうかしら?」


 つんっ。


「わふぅっ!?」


 思い切り、肩が跳ねました。

 咲の目が丸くなります。


「さ、咲!! お願いだからお腹触らないで!!」


 言い終わる前に、咲と目が合いました。

 一度止まった指先が、そっと戻ってきます。咲の口元は、ゆっくり持ち上がっていました。


「……ふふっ。享司の弱点、見っけ♪」

「…………」


 終わった。

 俺の不用意な発言で、完全に終わった。


「……咲」

「な〜に?♪」

「お願いですから……」

「可愛がってあげるわ♪」


 咲は楽しそうに声を弾ませ、抱え直してきました。自分の両足が、行き場をなくして宙で揺れます。


「や〜〜め〜〜て〜〜〜!!」

「ふふっ♪ こちょこちょ〜♪」

「わふっ!? ひゃっ!? ちょっ!!」


 咲の指から逃げようと身を捩るたび、笑い声がこぼれました。言い返そうとしても息が続かず、咲を呼ぶ声まで途切れてしまいます。


「咲ぃぃぃ!!」

「もう、そんなに暴れたら危ないわよ♪」

「だったら放してくださいよぉぉぉ!!」

「無理♪」


 咲の返事は、最後まで変わりませんでした。笑いながらこちらを支え、自分が落ち着くのを待つように覗き込んできます。


「あーーーっ!!」


     ◇


 ――はち、幼馴染による抱っことくすぐりの刑、執行中――


     ◇


「うーん……すっきりした♪」

「……しくしく」


 地面へ下ろされると、足裏にようやく道の感触が戻りました。自分は肩を落として息を整えます。

 その隣で、咲はすっきりした顔をしていました。こちらが恨めしげに見上げても、微笑みは崩れません。


「それにしても、享司は肌触りも良くなってるし、くすぐったがりだし、言うことないわね♪」

「……しくしく」


 咲は満足そうに頷きます。こちらは抗議する気力もなく、俯くばかりでした。


「……もうお婿行けない……」

「享司は女の子じゃない♪」

「…………」


 つい漏れた呟きまで、きっちり拾われました。


(そこは聞き流してくれよ……)


 昔から、こういうところは敵いません。

 ため息をつきながら、乱れた髪を整えます。咲はその様子まで楽しそうに見ていました。


 髪を整え終えると、咲も歩き出しました。自分が隣に並ぶまで、今度はちゃんと待ってくれています。

 小さく息を吐き、ようやく家への道に戻りました。


     ◇


「……ここが享司の今住んでいる家ね」


 ようやく到着すると、咲は建物を見上げました。

 興味深そうに眺めるその横で、自分も足を止めます。


「まあね。正確には、いろはさん達の家ですけどね」

「……ふーん。いい家ね」

「そうですねぇ」


 自然と、声が柔らかくなりました。

 帰ってきたと思える場所があるのは、ありがたいことです。

 いろはさん達と家族になってから、ここで迎えてもらうことにも少しずつ慣れてきました。


 それでも、咲と並んでこの家を見上げるのは、何だか不思議な感じがします。

 今の暮らしと、以前の暮らし。その両方を知っている人が、ここにいるのですから。


 さて。まずは皆さんに咲を紹介しないといけませんね。

 そう考えたところで、聞き慣れた声がしました。


「あれ? はちちゃん、もう帰ったの?」

「わふっ? あっ、いろはさん! お帰りなさい♪」

「ただいま、はちちゃん♪」


 ちょうど帰ってきたばかりのいろはさんが、いつものように微笑みます。

 そして、自分の隣へ目を向けました。


「……あれ? お客さんかな?」


 紹介しようと口を開きかけると、咲が一歩前へ出ました。


「貴女が天城いろはさんですか?」

「え?」

「初めまして。私は新里咲と言います」


 丁寧に頭を下げる咲。

 いろはさんも笑顔で応じました。


「初めまして♪ 天城いろはです。よろしくね」


 顔を上げた咲の声は、先ほどまでより少し落ち着いていました。いろはさんに向き直る姿勢もきちんとしていて、自分が口を挟む間もなく挨拶が進んでいきます。


「咲さんは、はちちゃんの知り合いなの?」


 いろはさんの質問に、自分は少しだけ背筋を伸ばしました。咲がこちらを一瞬見て、それからいろはさんへ視線を戻します。


「はい♪ はちとは、以前いた世界で幼馴染だったんです」

「……えっ? そうなの?」

「はい。私もいつの間にかこちらの世界へ来ていて、偶然はちと再会したんです」


 咲は、自然な調子で答えました。

 前世の名前も、転生の話も出しません。


(……助かった)


 小さく息を吐いた自分を、いろはさんが見ました。

 その視線が、咲と自分の間を一度行き来します。


「……そっか。良かったね、はちちゃん♪」

「……はい♪」


 自分が笑顔で頷くと、隣で咲も微笑みました。いろはさんは二人の顔を見てから、家の方へ身体を向けます。


「それじゃ、咲さんも中へどうぞ♪」

「ありがとうございます」


 いろはさんに促され、咲が家へ入っていきます。


     ◇


「ただいま」

「ただいま〜♪」


 しばらくして、レイさんとヴィリノちゃんも帰ってきました。


「わふっ! お帰りなさい♪」

「はちお姉ちゃん!」


 ヴィリノちゃんが、ぱっと顔を輝かせます。自分へ向けていた視線が、すぐ隣の咲まで移りました。レイさんもそれにつられるように顔を向けます。


「……あれ? お客さん?」

「はい♪ 自分の幼馴染の咲です」

「初めまして。新里咲と言います」

「私はレイ・シルビア。よろしくね」


 咲は、レイさんにも丁寧に挨拶していました。

 その横で、ヴィリノちゃんも咲を見上げています。


 そんなこんなで、夕食の時間になりました。

 皆さんと同じ食卓を囲み、その中に咲も加わっています。

 聞き慣れた声の間から幼馴染の声が聞こえるたびに、自分はつい顔を上げてしまいました。


「へぇ〜。咲は、はちの幼馴染なんだ」

「そうなんです♪」

「それじゃ、はちの昔のことも知ってるんだね?」

「ええ。小さい頃からずっと一緒でしたから」


 レイさんの問いに、咲が笑顔で答えます。


(おい。何だか、話がまずい方へ向かってないか?)


 食事の手が、少し止まりました。

 そんな自分の心配をよそに、今度はいろはさんが身を乗り出します。


「ねえ、咲。はちちゃんって、前の世界ではどんな子だったの?」

「……わふっ?」


 自分は、食事の手を止めたまま、そっと咲へ視線を向けました。


 咲も、こちらをちらりと見ています。

 その口元には、微かな笑み。


(頼むぞ。余計なことは言わないでくれよ?)


「そうですねぇ……」


 わざわざ考えるような間を置くものですから、余計に落ち着きません。


 やがて、咲は静かに言いました。


「今と変わらないですよ。はちは、昔から誰にでも優しすぎますから……」

「…………」


 ……え?


「「あ〜、納得!」」


 いろはさんとレイさんの声が、見事に重なりました。


「わふっ!?」


 いろはさんもレイさんも、咲へ頷いていました。驚いたままの自分を挟んで、話だけがすっかりまとまっています。


「やっぱりそうなんだね。はちちゃん、誰かが困っていると放っておけないもんね」

「そうそう。自分のことより、先に相手の心配をしちゃうところがあるよね」

「……えっと」


 いろはさんとレイさんが、顔を見合わせて頷きます。咲は二人の言葉を聞きながら、静かにこちらへ目を向けました。


「ふふっ。やっぱり、今も変わらないのね」


 咲の口調が、少し柔らかくなりました。からかうときの笑顔とは違う目で、食卓の向こうから自分を見ています。


「はちお姉ちゃん、やさしいもん!」

「……わふっ」


 ヴィリノちゃんは、皆さんの顔を見回してから、もう一度こちらへ笑いかけました。自分は返事に困って、少しだけ目を逸らします。


「……皆さん、そんなに褒めても何も出ませんよ?」


 ようやく言えたのは、それだけでした。

 皆さんが楽しそうに笑います。

 こちらの照れ隠しまで、全部見抜かれているような気がしました。


     ◇


「……主」

「わふっ?」


 聞き慣れた呼び掛けに、顔を上げます。


「少し、聞きたいことがあるのだが……」

「バティオス?」


 そこには、一枚の書類を持ったバティオスが立っていました。今は機体の姿ではなく、人間の姿をしたアンドロイドモードです。

 日常生活を送れるよう、自分が改良した姿でした。元になった作品の人物を基準にしていますが、落ち着いた口調も、こちらを主と呼ぶところも変わりません。


 バティオスは書類を持ち直しました。声は普段どおりなのに、すぐには内容を切り出しません。目立つ行動を嫌う彼が、何か困っているようでした。


「どうしました?」

「主に、確認していただきたいものがある」


 差し出しかけた書類へ手を伸ばすと、今度は別の声が聞こえました。


「はちさーん♪」

「……わふっ?」


 白瀬ましろさんです。

 こちらも一枚の書類を持って、やってきました。


 ましろさんは、次元震によって自分の研究所へ流れ着いた、次元漂流者です。

 元の世界で美里優さんを探していたところ、こちらへ迷い込んでしまったそうで。

 元の世界へ戻れるようになるまでは、自分たちのところで過ごしてもらっています。


 かつて最強のアンドロイドとして活動していた、あのメイドさん。初めて会ったときには、以前見た作品の記憶と目の前の姿が重なって、驚いたものです。

 今はバティオスの隣で足を止め、こちらの話が終わるのを待ってくれています。


「どうしたのですか? ましろさんにバティオス」


 尋ねると、ましろさんは隣へ目を向けました。


「あっ、リューガ……ではありませんでした。バティオスも来ていたのですか?」

「ああ。主に相談したいことがあってな」

「そうだったんですね」


 ましろさんが、にっこりと微笑みます。

 二人とも書類を持っていますが、別々の相談なのでしょうか。


「では、バティオスからどうぞ」

「ああ。これだ」


 今度こそ、書類を受け取りました。

 内容に目を通そうとして、まず表題で止まります。


『街中のイケメンは誰! 実演希望書類』


「…………」


 自分は顔を上げ、笑顔で頷きました。


「……うん! ボツ!」

「主なら、そう言うと信じていた」


 バティオスが、大きく息を吐きました。


 バティオスの肩が、目に見えて下がりました。街中の企画への出演、それもテレビとなれば、目立つことが苦手な彼には気の進まない話です。


「バティオス」

「何だ、主?」

「こういう書類は、今後も自分へ回してくださいね」

「……助かる」


 短い返事の後、バティオスはもう一度頷きました。書類の方へ戻っていた視線が離れ、ようやくいつもの落ち着いた顔になります。


「それで、ましろさんは?」

「はい。私も、実は同じような書類なのですが……」

「……わふっ?」


 ましろさんは、先ほどの書類へちらりと目を向けました。それから、自分の持っていた一枚を差し出します。

 受け取って表題を確かめると、そこにはこうありました。


『街中の美少女は誰! 実演希望書類』


「…………」


 また、この形式ですか。


「ボツ!!」

「はちさん、助かりました……」


 ましろさんも、ほっと息を吐きました。書類を差し出していた指先から力が抜け、いつもの柔らかな笑顔が戻ってきます。

 隣のバティオスが、その様子を見て小さく頷きました。二人とも、持ってきたときよりずっと楽な表情をしています。


「……大変ですねぇ、二人とも」

「ですが、はちさんに確認していただけて良かったです」

「同感だ」


 二人が頷くのを見て、自分も苦笑しました。


 これで、今度こそ落ち着けるでしょう。

 そう思っていたのですが。


     ◇


「……そういえば」


 咲の声に、顔を向けました。

 何か思い出したような表情で、自分の手元へ一度視線を落としています。


「私、こっちの世界に来てから、まだ能力の確認をしていなかったわね」


 咲は手元から目を上げました。再会してからは話すことが多く、転生の際に貰った能力については、まだ詳しく確かめていません。

 アカムを使って戦える。それ以上のことは、自分も聞けないままでした。


「ねえ、いろはさん」

「うん? どうしたの?」

「少し、お聞きしたいことがあるんですけど」

「……何かな?」


 咲は、いろはさんへ向き直りました。

 その横顔を眺めていると、なぜか胸の奥がざわつきます。


「この中で、一番強い人って誰ですか?」


 ……ん?


「せっかくなので、自分の能力を確認するために、模擬戦をしてみたいんです」

「模擬戦?」


 いろはさんが、少し考えるように目を動かしました。

 自分は、嫌な予感を覚えながら黙って見守ります。


 咲は答えを待っていました。いろはさんに向けた顔には、もう興味がはっきり表れています。


「うーん……そうだねぇ。やっぱり……」


 いろはさんの視線が、こちらへ向きました。

 続いて、レイさん。

 ましろさんも、バティオスも。

 さらには、ヴィリノちゃんまで。


 皆さんが、一斉に自分を見たのです。


「…………わふ?」


 いろはさんと目が合い、次にレイさんと目が合いました。どちらも迷った様子はありません。隣を見れば、ヴィリノちゃんまでにこにこしています。


 咲が目を丸くしました。

 皆さんの視線を追ってから、ゆっくりと自分へ顔を向けます。


「……はちが、一番強いの?」

「うん♪」

「そうだね」

「はちお姉ちゃん、すごく強いよ!」


 いろはさんも、レイさんも、ヴィリノちゃんも、迷いなく答えました。

 自分は、思わず口を開きます。


「……皆さん?」


 声を掛けても、誰の視線も動きませんでした。咲だけが、一度皆さんの顔を確かめるように見回しています。


 咲は、そんなこちらを見つめていました。

 そして、にっこりと微笑みます。


「……そう♪」


(あ。まずい)


 咲の目元が、楽しそうに緩みました。街中でこちらの腕を掴んだときと同じ笑顔に、自分の肩が少し強張ります。


「それなら、良い機会だわ♪」


 咲が、こちらへ身体を向けます。


「はち! 模擬戦しよう?」


 咲は真っ直ぐこちらを見ています。頼み方は軽やかでも、答えを待つ顔は真剣でした。

 再会したばかりの幼馴染から向けられる期待に、自分は一度だけ口を閉じます。


 自分は、にっこりと微笑みました。


「イ・ヤ・で・す♪」


 笑顔のまま答えると、咲は一度瞬きをしました。けれど、その口元から笑みは消えません。


「……ふふっ♪」

「……わふっ?」


 咲は少し首を傾けました。こちらの返事を聞き終えたところで、ゆっくり頷きます。


「そう。それなら、仕方ないわね」

「……え?」


 肩から力が抜けかけました。咲はそんなこちらを眺め、ことさらに明るい声で続けます。


「はちの小さい頃の秘密を、皆さんに話すまでね♪」


 ……。

 …………。


(おい。それは反則だろ!?)


 声に出すのは、どうにか堪えました。

 ですが、顔には出ていたかもしれません。

 咲の笑みが、ほんの少し深くなった気がします。


「……へぇ? はちの小さい頃の秘密?」

「えっ、何々? はちちゃん、どんな子だったの?」


 レイさんが興味を示し、いろはさんまで身を乗り出しました。

 いろはさんの声に、咲が笑顔で応じかけます。自分がそちらを向くと、咲もまたこちらを見ました。

 名前の約束は守ってくれていても、昔の話まで黙っていてくれるとは限りません。こちらが何か言うのを待つように、咲は言葉を止めています。


「……咲」

「な〜に?♪」

「本当に、やるんですか?」

「もちろん♪」


 迷いのない返事でした。

 ため息が、口からこぼれます。


 完全に、弱みを握られていますねぇ。


「……分かりました」

「……おっ?」


 咲の目が、嬉しそうに輝きました。

 先ほどまでの駆け引くような表情が、ぱっと明るくなります。自分が続けるのを待って、咲は少しだけ身を乗り出しました。


「それじゃ、一つ聞きますけど」

「何?」


 自分は、咲を真っ直ぐに見ました。


「ノーマルとハード、どちらがいいですか?」


 咲が、一瞬だけ黙りました。

 自分の言葉を聞き取って、その意味を確かめた程度の、本当に短い間です。


「ハード!」


 即答でした。


(……即答かよ)


 自分が言葉に詰まっている間も、咲はにこにこしています。選び直そうとする様子は、少しもありませんでした。


「……咲」

「何?」

「本当に、ハードでいいんですね?」

「もちろんよ♪」


 念押ししても、少しも揺らぎません。


 自分は、静かに息を吐きました。

 これ以上聞き返したところで、答えが変わることはなさそうです。


「……分かりました。ですが、今日はもう遅いですので……」


 一度、言葉を区切ります。

 咲は、じっとこちらを見ていました。


「明日、模擬戦をしましょう」

「分かったわ♪」


 ようやく、話がまとまりました。

 咲は満足そうに頷いています。


     ◇


「……楽しみだね、はちちゃん♪」

「……わふっ?」


 いろはさんは、咲とこちらを交互に見ています。隣のレイさんも、興味深そうに顔を上げていました。


「はちと咲の模擬戦かぁ。幼馴染同士なんだよね」

「……そうですねぇ」


 レイさんの言葉に頷くと、咲も同じように頷きました。模擬戦の話をするその横顔は、家に来たときよりずっと楽しそうです。


「はちお姉ちゃん、がんばって!」

「……わふっ♪」


 ヴィリノちゃんが、元気よく応援してくれました。

 ああ。ありがとうございます。


 向かいの咲は、相変わらず楽しそうです。

 明日のことを考えているのでしょう。こちらと目が合うと、また微笑みました。


 面白そうなことを思いつくと、昔からこんな顔をしていました。自分の返事を聞く前から、楽しみにしていることが分かる顔です。


 前世では、いつも隣にいた幼馴染。

 一緒に遊戯王をして、時には喧嘩して、何でもないことで笑い合っていた相手です。


 それが、二度と会えない相手になったと思っていました。

 自分は別の世界で、別の姿になって暮らしている。以前と同じように顔を合わせる機会など、もうないのだろうと。


 それなのに、咲は今、同じ食卓にいます。

 いろはさん達と言葉を交わし、自分をからかい、明日の予定まで決めてしまっている。


 まだ、ときどき確かめたくなります。

 声が聞こえると顔を上げて、そこに咲がいるのを見て、ようやく実感するのです。


(……本当に、また会えたんだな)


「……享……」

「……わふっ?」


 咲が、何か言い掛けました。

 自分の方を見て、すぐに小さく口を止めます。


「あっ。……はち♪」

「……はい?」


 呼び直された名前に、顔を上げました。

 ほんのわずかな言い直しでしたが、ちゃんと気をつけてくれているのが分かります。


「明日は、よろしくね♪」


 楽しそうな声でした。

 その顔を見ていると、自分まで少し笑ってしまいました。


「……こちらこそ、よろしくお願いします♪」


 咲が満足そうに笑いました。その笑顔にいろはさん達も顔をほころばせ、食卓にまた話し声が戻ってきます。


(……ノーマルじゃなくて、ハードか)


 咲はこちらの視線に気付くと、何か言いたげに眉を上げました。自分は小さく首を振ります。


 そして自分は、まだ咲の力を詳しく知りません。

 アカムによって、どんなことができるのか。

 転生した咲が、どれほどの力を手に入れたのか。

 それは、明日の模擬戦で確かめることになるのでしょう。


 隣で咲が話すと、いろはさん達が笑いました。ヴィリノちゃんも顔を上げて、その会話に耳を傾けています。

 自分の方を振り向いた咲が、また自然に今の名前を呼びました。聞き慣れたはずの声を、この食卓で聞く。そのことに、ようやく頬が緩みます。


「……ふぅ」


 自分は、もう一度だけ小さく息を吐きました。


 ……さて。

 明日は、どうなることやら。


――安藤はち視点・終了――

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