第34話 幼馴染との再会
――咲視点――
眩しい光の中から、私は目を開けた。
すぐには、何もはっきりと見えなかった。明るさに慣れるまで目を細め、ゆっくりと顔を動かす。白い空間にいたはずなのに、今は、視界の中にいくつもの色があった。
「ここは何処よ?」
周りには、たくさんの木が生えていた。
幹と、その向こうにある幹。上を見れば、枝の間に葉が重なっている。
ということは、森なのかしら。
私は、辺りを見回した。
享司のいる世界へ行きたい。そう願って、転生を選んだ。その後に目を開けた場所なのだから、ここが、その世界なのだろう。
けれど、それを聞いて知っていることと、実際に知らない場所へ立つことは違った。
どちらへ進めばよいのか、まだ分からない。木々の間を眺めていても、目的地の名前まで浮かんでくるわけではなかった。
「さて……まずは、アルカディアから探さないと」
享司には、好きな作品のことを、散々熱く語って聞かされていた。
聞いていた時には、また始まったと思うことだってあった。けれど、頭に残っていることはある。あいつを探すために向かう街の見当も、そこからつけられた。
ただ、名前を知っているだけでは、今いる場所からの道までは分からない。
とにかく手がかりを探そう。
そう思いかけてから、私は、先に頼るべき相手がいることを思い出した。
「起きなさい。アカム……」
『呼んだか? マスター』
呼びかけに答える声が返ってきた。
知らない森の中でも、こちらの声へ返事をする相手がいる。それだけで、ただ辺りを見回していた時とは違う気持ちになった。
「今からアルカディアに行こうとしているのだけど、場所を検索できないかな?」
『少し待て……』
アカムがそう言ったので、私は待った。
何も分からないまま適当な方向へ歩き出すより、ずっといい。進む先が決まれば、その後のことも考えられる。
返事は、すぐに来た。
『マスター、検索できたぞ。ここから南の方の先に約二キロで着くぞ』
「そう……ありがとう……」
南へ、約二キロ。
遠く離れたどこかを、見当もなく探し回る必要はないらしい。
私は、教えられた方向へ顔を向けた。
まずは街へ行こう。人のいる場所へ着いてから、享司をどう探すのか考えればいい。
足を向ける先が決まっただけで、さっきまで周囲を囲んでいた木々の見え方も変わった。
どちらを見ても同じように見えていた景色の中に、進む方向ができたのだ。
アカムに答えてもらわなければ、まだ、どこから探せばよいのかと立ち尽くしていたかもしれない。
頼れる相棒がいることを、改めて確かめた。
この先では、自分で知らないことを確かめていかなければならない。
享司が話していたことを覚えていても、それだけで、目の前の道が全部分かるわけではなかった。
聞けることは聞き、調べられることは調べる。
そうして、一つずつ近づけばいい。
本人がどこにいるかという、一番大きな疑問は残っている。
それでも、街への距離まで分かった今は、その手前で迷っていた時とは違っていた。
その一歩を踏み出そうとした、その時だった。
――ドンッ!
いきなり、攻撃された。
攻撃は外れた。けれど、当たらなかったからといって、何もなかったことにはできない。
私は足を止め、飛んできた攻撃と、その先へ注意を向けた。
「貴様……誰に断って、この領域にいる……」
声のする方へ顔を向けると、魔導師がいた。
初対面の相手へ、いきなり攻撃。その上で、この言い草だ。
言葉遣いからして、犯罪者といったところね。
私は相手を見ながら、問い返した。
「あら? いつから、ここはあなたの領域になったの?」
「今からだ」
はい。犯罪者決定ね。
答えを聞いて、かえって話が分かりやすくなった。少なくとも、この場所の正当な管理者が、事情を確かめようとしているわけではないらしい。
「ここを立ち去りたければ、金目の物を置いていきな!」
盗賊ね。
なら、遠慮はしないわ。
私は、相手の言葉を聞きながら身構えた。
こちらが何かをしたからではない。相手は、自分の都合で攻撃し、物を渡せと言っている。それに従って、素直に見逃してもらえると考える理由もなかった。
「金目の物がなければ、お前の身体でもいいぜ?」
盗賊は、にやにやしながら続けた。
最低。
吐き気がする。
道を聞くどころか、転生した先で、いきなりこんな相手に会うとは思わなかった。
でも、相手の方から仕掛けてきたのだ。こちらが黙って困っている必要はない。
「アカム、やるわよ!」
『心得た!』
私は、セットアップした。
◇ ◇ ◇
この際だから、アカムの能力の一つを説明するわね。
武装具現化。
様々な武装を、バリアジャケットとして具現化できる能力だ。
目の前に巨大な機体を呼び出して、その中へ乗り込むのではない。私自身が装甲と武装を身につけ、戦うための姿を整える。
今回、私が展開したのも、レグナム系のバリアジャケットだった。
顔はそのまま。
自分の身体へ重なるように、装甲が形を取っていく。武装を具現化するという言葉が、説明の中にあった時とは違う形で、今、目の前に現れていた。
知らない世界で、知らない相手から攻撃された。
その状況へ、自分の意志で応じられる。転生する前に望んだ力を、今は、実際に使っていた。
えっ? どうして、こういう装甲の姿を知っているかですって?
しょうがないじゃない。
享司に勧められて、いろいろと見せられたんだから。
その時には、まさか自分が、それをもとにした装備で戦うことになるなんて思わなかった。
あいつが熱く語っていた時のことを、こんな場所で思い出すことになるなんて。
……でも、今は、それを考えている場合ではない。
「貴様も、魔導師か!」
盗賊は、驚いていた。
先ほどまで、好き勝手なことを言っていた相手が、武装を展開したのだ。こちらを見ている顔が、変わった。
けれど、相手は、それで引き下がろうとはしなかった。
すぐに、また攻撃を仕掛けてくる。
もう、遅いわ。
私は、向けられた攻撃へ意識を合わせた。
具現化した装甲の反射機構を作動させる。
身体を覆う装甲が、光を帯びた。
盗賊の放った魔力弾が、その装甲へ届く。
攻撃は、こちらを倒さなかった。
反射された魔力弾が、今度は盗賊へ向かっていった。
相手は、自分が放ったものを見ていたはずだった。
攻撃すれば、こちらが倒れる。少なくとも、そうなるつもりで撃ったのだろう。
でも、起きたことは違った。
こちらへ向けられた力が、そのまま相手へ戻っていく。
先ほど、いきなり攻撃された時には、私は、何が起きたのかを確かめる側だった。
今度は、盗賊の方が、予想していなかった結果を前にしている。
私の身体を覆う装甲は、ただ見た目を変えるためのものではない。
使うために具現化し、狙った役割を果たした。
その確かな反応を感じながら、私は相手から目を離さなかった。
――ドカーンッ!
「ぐわぁっ!」
盗賊が、落ちた。
こちらが何をしたのか理解するより先に、自分の攻撃が返ってきたのだろう。
勢いのよかった声が、悲鳴へ変わった。
私は、倒れた相手の様子を確かめた。
まだ、意識はあるみたい。
そうね……。
「貴方のような人は、女の敵だから……」
私はツインバスターライフルを具現化し、盗賊へ向けた。
さっきまで、自分の領域だと言っていた相手が、こちらを見ている。
金目の物を置いていけと言った声も、今は同じ調子では出てこないようだった。
「二度と悪さができないようにしてあげる♪」
もちろん、殺さないわよ。
お仕置き程度だからね。
「ギャァーーーーーーーーッ!」
◇
――咲、盗賊にお仕置き中。
本人にとっては、お仕置きなどという軽い言葉では済まない時間だったのかもしれない。
少なくとも、先ほどまでのような言葉は、もう出てこなくなった。
◇
「ふぅ……」
すっきりした♪
これで、少しは懲りるでしょう。
「悪いことは駄目だ……悪いことは駄目だ……悪いことは駄目だ……」
盗賊は、何やら、がたがたと震えながら繰り返している。
さっきの威勢は、どこへ行ったのかしら。
まあ、気にしない。
ただ、お仕置きして、そのまま放っておくつもりはなかった。
罪は、きちんと償ってもらわなければならない。
私は盗賊を連れ、アルカディアへ向かうことにした。
もちろん、引きずりながら。
◇ ◇ ◇
街へ向かう道のりが、最初に考えていたものとは違ってしまった。
アカムに道を教えてもらった時には、まず街へ着いて、享司を探すことを考えていた。
それが今は、捕まえた盗賊の引き渡し先まで探さなければならない。
本当に、余計なことをしてくれたものだ。
私へ声をかけずにいれば、相手もこんなことにはならなかったのに。
もっとも、そうして逃れていたら、今度は別の誰かへ同じことをしたのかもしれない。
なら、ここで捕まったことを、きちんと次へつなげてもらおう。
私は、そのまま街へ向かった。
やがて、目の前に広がった景色に、足を止める。
「……なんか、すごいわね……」
かなり大きな街だった。
森の中から歩いてきた目には、建物の並ぶ景色が、なおさら大きく映る。
人がいる。
ここで暮らしている人たちがいる。
白い空間で聞いた、新しい世界という言葉が、急に身近になった。
享司も、この世界で生きているのだ。
どこにいるのかまでは、まだ分からない。
けれど、まずは街へ来ることができた。
「姉御、もう離してください……」
盗賊が、ぐったりしたまま言ってきた。
せっかく街を見ていたのに。
私は、相手へ視線を落とした。
「離さないわよ。っていうか、誰が姉御よ!」
――ドゴッ!
「ぐぇっ!」
蹴りを受けた盗賊が、また、ぐったりした。
「まったく……」
勝手に領域を決めるのも、私の呼び方を決めるのも、随分と自分本位な相手だ。
先に、この盗賊を引き渡してしまおう。
取りあえず、交番に届けないと。
私は、道を聞けそうな相手へ顔を向けた。
「ええと……あっ、すみませーん!」
声をかけた先に、小さな少女がいた。
その姿を見た時、どこかで覚えのある印象を受けた。
享司が好きだと話していたキャラクターに、似ている気がする。
どうして、こんなところに。
驚きが浮かぶ一方で、別の考えも頭をよぎった。
まさか……。
「わふっ? なんでしょう……か……」
少女の言葉が、途中で止まった。
こちらを見て、固まっている。
呼びかけられて驚いた、というだけにも見えなかった。
私の顔を見た後で、反応が変わった。
その小さな違いが、気になった。
この反応……怪しいわね。
聞いてみようか。
でも、その前に、今、頼まなければならないことがあった。
「あの……犯罪者を捕まえたのですが、交番はどちらに行けばよろしいですか?」
私は、まず道を尋ねた。
少女は、慌てたように返事をする。
「わふっ! は、はい。この世界に交番はありませんので、ガーディアンの施設に引き渡すのがよろしいかと」
丁寧に教えてくれる。
さっき固まったことなど、なかったように。
こちらが今、何を求めているのかは、きちんと理解しているようだった。
どこへ連れていけばよいのかという質問に、必要なことを答えてくれる。
ただ、それで、先ほどの反応への疑問まで消えたわけではなかった。
私は返事を聞きながらも、少女の様子を見ていた。
結局、道を教えてもらうだけでなく、そのまま案内してもらうことになった。
◇ ◇ ◇
少女について歩きながら、私は、もう一度、その姿を確かめた。
享司が好きだと語っていた相手に似ている。
けれど、それだけで何かが決まるわけではない。
気になるのは、こちらを見た時の反応だった。
知らない相手のはずなのに、どこか、こちらを知っているように見えた。
しかも、最初の声。
「わふっ」と、自然に出てきたあの反応。
私は、すぐには、その先を口にしなかった。
思いついたことを全部ぶつければ、まだ何も確かめないうちに、話を終わらせられてしまうかもしれない。
少女は、ちゃんと案内をしてくれていた。
今は、その親切へ素直に従うことにした。
確かめたいと思うほど、急ぎたくなる。
でも、何も分からない相手へ名前だけをぶつけても、否定されたら、それ以上の話に進めないかもしれない。
私は、少女の返事を聞いていた。
道を尋ねた相手を、丁寧に案内する声。
その中に、どこか聞き慣れた調子がある気がする。
似ていると思い始めると、何でも似ているように見えてしまう。
だから、その気持ちだけを答えにはできなかった。
それでも、最初に固まった顔が忘れられなかった。
私が声をかけた後で、こちらを見て、言葉が止まった。
あの反応には、まだ、説明を聞いていない。
案内してくれる背中を追いながら、私は、聞くべきことを考えていた。
やがて、施設へ着いた。
AEGISという施設らしい。
私は、捕まえた盗賊を引き渡した。
ようやく、街へ来る途中に増えた用事が片づいた。
「ありがとう。助かったわ」
少女へ、お礼を言う。
「いえいえ、気にしないでください。では、自分はこれで」
そう言って、この場から離れようとした。
私は、その背中を見逃さなかった。
まだ、一番聞きたいことを聞いていない。
相手が去ってしまえば、街へ来た目的の方が遠のいてしまう。
盗賊を引き渡せたことには、お礼を言いたかった。その親切をなかったことにして、別の話だけを進めたいわけではない。
けれど、そのためのやり取りが済んだからこそ、今度は、目の前の相手について聞く番だった。
少女は、ここまで、何も不自然な説明をしていない。
道を聞かれれば、道を教えてくれた。
礼を言えば、気にしないでと返してくれた。
その一つひとつは自然なのに、合わせて見ていると、こちらを避けようとしているようにも感じた。
それが私の考えすぎなのか、確かめるためにも、名前を聞きたかった。
「待って!」
声をかけると、少女の動きが止まる。
「貴女に尋ねたいことがあるわ。貴女、名前は?」
ここからが、本題だった。
「わふっ? 自分は安藤はちと言いますけど」
安藤はち。
聞いた名前を、頭の中で繰り返す。
まあ、名前は変えようと思えば変えられる。
それだけで、今考えている可能性を捨てるつもりはなかった。
「安藤はちね。私は、新里咲というの。よろしくね」
私が名乗った時だった。
はちは、一瞬、驚いた表情で私を見た。
なるほど。
そういうことね。
ただの道案内の相手に名前を聞かれて、答えただけなら、そこまで驚く理由があるだろうか。
私は、その反応を見ていた。
「咲さんですか〜。よろしくお願いします」
はちは、深々と頭を下げて、お辞儀をした。
丁寧な挨拶だ。
初めて会った相手へするのなら、何もおかしくない。
でも、私が気にしているのは、その直前の顔だった。
きちんと礼儀正しく振る舞っても、見てしまった反応まで消えるわけではない。
なかなか、ぼろを出さないわね。
「では、はち。単刀直入に言うわね?」
私は、少女を見た。
「貴女……金城享司?」
はちは、さらに驚いた。
その顔を見れば、やはり、と考えたくなる。
それでも、すぐに肯定の返事が来たわけではなかった。
「咲さんは、おかしな人ですね。安藤はちと名乗っているのに、自分が、その享司さんですか?」
否定した。
私は、その言い方を聞いた。
名前を名乗っているのだから別人だと、そう言いたいらしい。
でも、私は、自分がどうやってこの世界へ来たのかを知っている。
転生者なら、姿が変わることもある。
目の前の姿だけで、絶対に違うと決めつける必要はなかった。
……仕方ない。
顔も名前も違うのなら、見た目ではないところを確かめればいい。
私と享司の間にあった、あの調子。
考えて返すより先に、つい口から出てしまうような言葉なら。
「冒険に必要なのは?」
「勇気と、おやつ!」
返ってきた。
今までの、慎重に言葉を選ぶような返事とは違っていた。
口に出した言葉の先へ、ぴたりと返事が重なる。
その間を聞いた時、胸の中で、何かが動いた。
こんな調子だった。
前の世界では、私が合図を出すと、享司が決まった言葉を返してきた。
何度も繰り返しているうちに、考えるより先に続きが出てくるようになっていた。
私は、その返事を知っている。
そして、あいつも知っている。
目の前にいるのは、小さな少女だ。
けれど、その顔だけを見ている時には分からなかったものが、声のやり取りの中にはあった。
私は、もう一度、続けた。
「強敵が現れたら?」
「作戦会議! できれば退避!」
ノリノリで乗ってくる。
さっきまで、別人だと言っていたのは誰だったのかしら。
呼びかける側も、返す側も、いつもの調子だった。
知らない場所で、違う姿をしていても、言葉の間が合う。
そのことが嬉しくて、もう少し聞いていたい気持ちになった。
けれど、最後の一つは、きちんと確かめるために口にした。
「最後に頼れるのは?」
「幼馴染の無茶ぶり!」
はい。本人、見つけた。
私は目の前の相手を見た。
姿は、知っている享司とは違う。
けれど、言葉の返し方も、つい乗ってしまうところも、ひどく懐かしかった。
その懐かしさへ、先に飛びつきたくなる気持ちを抑えた。
あと一つ。本人の口から聞きたかった。
「享司……あんた、まだ覚えてたのね」
「そりゃ、咲に何度も言わされたから……って、しまった!」
見事に、引っかかった。
さっきまでの否定の仕方を、自分の言葉で崩してしまったのだ。
私は、その顔を見つめた。
「さて……何か言い訳があるなら、聞くけど?」
そう言うと、享司は――。
「わふっ!」
いきなり、逃げ出した。
一瞬、私は、その動きを目で追った。
次には、もう、自分も足を動かしていた。
この……往生が悪い!
「逃がさないわよ!」
私は、享司を追いかけた。
◇ ◇ ◇
――はち視点――
自分は、今、逃げています!
いや、本当に。
さっきまで、犯罪者を引き渡すための道案内をしていただけだったのに、どうして、こんなことになっているのでしょうか。
というか――。
(なんで、咲がいるんだよ!)
見間違いだと思いたかった。
最初に声をかけられた時には、その可能性へ、少しだけ期待していた。
でも、向こうが名乗った。
新里咲だと、はっきり言った。
その上で、あの掛け合いである。
見事に引っかかっておいて、今さら人違いだと押し通せる気はしなかった。
(なんで、全部返しちゃったんだよ、俺……!)
相手が何を確かめているのか、途中で気づけたはずだった。
いや、最初から怪しまれていたことくらい、分かっていたはずだ。
それなのに、言葉が来ると、続きが口へ出てしまう。
考えてから答えるより先に、知っている返事を、知っている調子で返してしまった。
懐かしかった。
それは、本当だった。
この世界へ来てからの生活の中では、こういうふうに言葉を返す機会などなかった。
前の世界の、自分が金城享司として過ごしていた時間へ、急に手が届いたようだった。
だからといって、その直後に本人だと認めるようなことまで言う必要はなかったのだけど。
そこまで含めて、咲の思ったとおりに動いてしまったのだろう。
「待ちなさい!」
咲が、ものすごい勢いで追いかけてくる。
「嫌だ! 咲から黒いオーラが出ているもん!」
「そんなことないわよ!」
嘘だ!
少なくとも、追いかけられているこちらには、そう見えるのである。
振り返るたび、距離が縮まっている気がした。
この身体になってから、知っている相手と再会することまで、今の今まで考えられていなかった。
どう説明すればいいのかも、何から話せばいいのかも分からない。
しかも、その相手が咲だ。
丁寧に別人のふりをしても、怪しいと思えば、あそこまで確かめてくる。
名前を変えた程度で、ごまかせる相手ではなかった。
取りあえず、逃げなければ。
そう思った、その時だった。
「わふっ!」
転んだ。
勢いのついた身体が、思っていたように前へ進まなくなる。
視界の中で、地面が近づいた。
……下が芝生でよかった。
怪我はなかったけれど、逃げるための足は止まってしまった。
今、その違いは、大きすぎる。
「追い詰めた……」
咲が、こちらへ来た。
あれだけ追いかけてきたのに、息を切らしていない。
(どんな体力してんの?)
こちらは転んでいる。
相手は、普通に近づいてくる。
状況だけを確かめると、何一つ、こちらに有利なことがなかった。
「わふっ……」
自分は、必死に這いつくばりながら逃げようとした。
立ち上がるより先に、とにかく少しでも離れようとしていた。
でも、そのくらいで逃げ切れる相手ではなかった。
――がしっ。
捕まった。
「逃がさないと言ったでしょう?」
……詰んだ〜。
声を聞いて、最後の望みまでなくなった気がした。
今さら、どこから説明を始めれば、うまく切り抜けられるのだろう。
いや、無理か。
自分で咲に何度も言わされたから、と言ってしまった時点で、もう全部終わっている。
自分は覚悟を決め、目を閉じた。
ところが――。
もう一度、身体を包まれた。
「わふっ?」
えっ。
何が起きているの?
咲が、抱きついてきたんだけど。
怒られると思っていた。
何をしているのかと、もう一度問い詰められると思っていた。
だから、自分は、すぐには動けなかった。
捕まった時とは違う力で、咲の腕が身体を包んでいる。
「本当によかった……享司が、生きていて……」
声が、聞こえた。
自分は目を開け、咲の顔を見た。
涙をためて、必死にこらえていた。
さっきまで追いかけてきた時とは違う顔だった。
言い訳を聞くと言っていた時の調子も、もう残っていなかった。
……そうか。
自分にとっては、転生してからも、自分の時間は続いていた。
知らない世界へ来て、いろいろなことがあって、今は、ここにいる。
でも、咲にとっては、そうではなかったのだ。
自分がいなくなった、その後の時間があった。
さっきまで、どうしているのかと考えていたことへ、別の意味が重なった。
なんでここにいるのか。
それを聞く前に、聞いていた声があった。
生きていてよかった。
咲は、そう言っていた。
変わらんな……咲は。
涙をこらえている顔を見たら、逃げるための言葉は、もう出てこなかった。
こちらを捕まえたかった理由を、今、腕の中で聞いてしまったのだから。
「ごめんね……咲……」
さっきまでの言い訳とは違う言葉が、口から出た。
何について、どこから謝ればよいのか、きれいに整理できたわけではない。
それでも、今、言いたかった。
目の前で涙をこらえている幼馴染へ、まず、その言葉を返したかった。
「いいわよ……こうして、また会えたのだから……」
咲は、そう答えた。
姿が変わっていても、名前が変わっていても、咲は、自分を見つけた。
見つけて、追いかけて、捕まえて、こうして抱きついている。
逃げようとしていた時には、それを全部、問い詰められる前触れのように思っていた。
でも、今、聞こえている声は違った。
会えたことを、喜んでいた。
そのことが、胸へ、ゆっくりと届いた。
もう一度、咲を見た。
言葉にしようとしたことが、途中で、うまく出てこなくなる。
ついさっきまで、どう説明して逃げ切るかばかりを考えていた。
でも、咲は、今ここにいる。
自分の知らない時間を過ごして、ここまで来ている。
そのことを、自分の驚きだけで済ませたくはなかった。
こちらが謝った時、咲は、また会えたのだからと言ってくれた。
その短い言葉の中にあるものを、全部知ったつもりにはなれない。
でも、会えたことを一緒に確かめるために、今は、ここにいてよかった。
目を閉じて、叱られるのを待つ必要は、もうなかった。
自分を見つけた幼馴染の顔を、ちゃんと見ていたかった。
◇ ◇ ◇
こうして、自分は咲と再会した。
捕まった後は、今度こそ、きちんと話すことになった。
どうして自分が転生したのか。
どうして、この世界にいるのか。
そして、咲の話も聞いた。
咲も、転生者だったのだ。
街で偶然出会った、似ているだけの相手ではなかった。
自分の知っている咲が、同じように、別の世界からやって来ていた。
顔を見て、声を聞く。
さっきまで逃げるために振り返っていた相手を、今は、ちゃんと前から見ていた。
ちなみに、咲の髪は、肩までの長さの金髪だ。
リボンはつけていない。
その顔立ちを見ながら、聞き慣れた声へ耳を傾けると、今まで別々だった時間が、少しずつ同じ場所へ戻ってくるように感じた。
姿を見ただけで、全部が分かるわけではない。
こちらにとっても、向こうにとっても、知らない時間がある。
だから、話をした。
あの掛け合いで本人だとばれた時とは違う言葉で、お互いに、ここへ来るまでのことを伝え合った。
それにしても、フィナさん……。
また、貴女ですか……。




