第30話 これからも、家族として
これにて第1部は終了です
意識を失ってから、どれほどの時間が過ぎたのだろう。
「んっ……」
重い瞼を、ゆっくりと開く。
最初に目へ入ったのは、白い天井だった。
(……また、知らない天井ですね)
身体を動かさないまま、周囲へ視線を巡らせる。
白い壁。
規則的な電子音を鳴らす計測装置。
ベッドの脇に並べられた医療器具。
以前にも見たことのある、AEGISの医務室だった。
見慣れない天井だと思った景色に、少しずつ覚えが戻ってきた。装置の音は規則正しく、すぐ近くで誰かが戦っている気配もない。はちはベッドの上にいた。眠る前にいた森とは違う静けさの中で、自分がここへ運ばれてきたのだと、ようやく理解し始めた。
「ここは……」
はちは僅かに身体を起こした。
「自分は、確か……」
途切れていた記憶が、少しずつ戻ってくる。
巨大樹の根元で、いろはと戦った。
拒絶しても、攻撃しても、いろはは足を止めなかった。
そして最後には――。
温かな腕で、抱き締めてくれた。
最後に覚えていたのは、刃や砲口ではなかった。自分を包んでくれた腕だった。はちは身体を起こしたまま、その記憶へ意識を向けた。もう逃げなくてよいと思えた瞬間を、眠っていた時間の向こうから、ゆっくりと取り戻していた。
『もう我慢しなくていいよ』
いろはの優しい声が、耳の奥に蘇る。
安心した瞬間、全身から力が抜け、そのまま眠ってしまったのだ。
そこまで思い出すと、抱かれていた時の温かさまで蘇った。力を抜いてもよいと思えた。声を上げて泣いても、離されなかった。あの時間は確かにあったのだ。はちはシーツの上へ視線を落とした。安心して眠った自分と、今ここで考え始めている自分が、胸の内で重なった。
「いろはさん……」
名前を口にした途端――。
ズキンッ。
「うっ……!」
胸の奥に、鋭い痛みが走った。
身体の傷ではない。
いろはへ向けた黒い魔力弾。
傷ついた彼女の姿。
それでも自分を迎えに来てくれた、優しい笑顔。
すべてが胸の中で混ざり合い、重い罪悪感となって、はちの心を締めつけていた。
思い出したかった温もりのそばに、傷つけた時の記憶もあった。砲撃を向けた先で、いろはが痛みに耐えていた。近づかないでほしいと願う一方で、来てほしいと思っていた。その矛盾を抱えて放った攻撃のことを、眠っていた間に消してしまうことはできなかった。
(俺は……いろはさんを傷つけた)
いろはだけではない。
レイも、かえでも、AEGISのみんなも疑った。
上層部に陥れられたとはいえ、いろはたちが自分を大切に思ってくれていたことは、本当は分かっていた。
大切にしてくれた時間まで嘘だったとは、思えなかった。その記憶があったから、信じられなくなった時の痛みも大きかった。はちは俯いた。恐怖に押されて選んだ言葉が、相手へどれほどの痛みを返したのか、今は目を逸らせずに考えていた。
それでも、裏切られるのが怖かった。
自分から手を振り払い、ガーディアンそのものを潰そうとした。
(そんな俺が……)
再び、家族になってもいいのだろうか。
いろはたちの隣で笑ってもいいのだろうか。
幸せになりたいと願う資格が、自分に残されているのだろうか。
森では、家族になろうと言ってもらえた。その声を疑いたいわけではない。けれど、受け取ってよいのかを考えれば、したことの記憶が先に浮かんでしまう。はちは答えの出ない問いを繰り返した。願いが叶いかけている今も、自分だけがそこへ進んではいけない気がした。
「……ないよな」
はちは膝の上で、シーツを強く握った。
自分には、家族になる資格などない。
そう思った時だった。
プシュー――。
医務室の扉が開いた。
「……っ」
はちは反射的に横になり、目を閉じた。
顔を合わせる準備ができていなかった。どんな声で呼び、最初に何を言えばよいのかも分からない。身体を横たえた後で、はちはその動きを悔やんだ。それでも、今さら目を開けることはできなかった。近づく足音を聞きながら、眠っているように呼吸を整えようとした。
足音が近づいてくる。
「ハチちゃん、起きてる?」
いろはの声だった。
返事はできない。
「……まだ寝てるみたいだね」
(いろはさん……)
寝たふりをしたまま、はちは息を潜めた。
呼ばれた名前へ、すぐに答えたかった。その気持ちを抑えている間にも、足音の主は近くにいる。起きていると知られれば、顔を合わせることになる。はちは瞼を閉じたまま、胸の中だけで何度も返事をした。届かない返事だと、自分でも分かっていた。
いろはがいなくなったら、ここから立ち去ろう。
どこへ行くかは決めていない。
それでも、自分がそばにいれば、またいろはたちを傷つけてしまうかもしれない。
ならば、何も告げずに姿を消した方がいい。
そう考えているはずなのに――不思議と以前のような警戒心は湧かなかった。
いろはが近くにいる。
ただそれだけで、張りつめていた心が緩んでいく。
去ろうと考えている相手の気配に、安心している。そのことを、はちは否定できなかった。ここにいてほしいという願いが、立ち去るべきだという考えのそばに残っている。閉じた目の奥で、森で見上げたいろはの顔が浮かんだ。拒まなかった腕の温かさも、まだ覚えていた。
「ハチちゃん……」
ふわりと、頭に温かな感触が触れた。
撫で、撫で……。
「……!」
いろはの手が、はちの灰黒色の髪を優しく撫でていた。
はちは目を細く開き、いろはの顔を盗み見る。
「ごめんね……」
いろはは、はちが眠っていると思ったまま語りかける。
「ずっと、苦しい思いをさせちゃったね」
髪を撫でる手は、どこまでも優しかった。
よく見ると、いろはの目には涙が浮かんでいる。
眠っていると思っている相手へも、いろはは謝っていた。返事を求めず、髪を撫でながら話している。その声を聞くほど、はちは胸の内で言葉を返したくなった。謝らなくていいと言いたい。けれど、その一言を口にすれば、起きていたことも、逃げようとしていたことも隠せなくなる。
(違うよ……)
謝らなければならないのは、自分の方だ。
いろはは悪くない。
それなのに、何度も傷つけた。
謝る声を聞きたくなくて、けれど、優しく呼びかける声から離れたくもなかった。はちは動けずにいる。目を開けるだけのことが、ひどく難しい。自分のしたことへ向き合おうとするほど、今、受け取っている優しさが胸へ沁みていた。
「でもね……」
いろはが、涙を浮かべたまま微笑んだ。
「こんなことを言ったら、不謹慎かもしれないけど……私、嬉しいの」
はちは寝たふりを続けながら、その言葉へ耳を傾ける。
「だって、ハチちゃんをもう一度――家族として迎えられるかもしれないから」
「……っ」
胸の奥が、大きく揺れた。
迎えられるかもしれないという声に、嬉しさがあった。責められると思っていたわけではない。それでも、傷つけた自分の帰還を喜んでもらえることが、うまく飲み込めなかった。はちは動かずに耳を澄ませた。自分がここにいることを、いろははこんなふうに受け止めているのだ。
「ハチちゃんは、自分には家族になる資格がないって言ってたよね」
いろはの手が止まる。
「でも、それを言うなら……私にだって、ハチちゃんの家族になる資格なんてないよ」
(いろはさん……?)
「私はハチちゃんを信じられなかった。偽物の証拠を信じて、ハチちゃんの言葉を聞こうとしなかった」
一粒の涙が、いろはの頬を伝った。
「家族になろうって言ったのに、ハチちゃんの心に深い傷をつけた。だから、資格がないのは私も同じなんだよ」
(違う……)
いろはたちは、ガーディアンの命令に従っただけだ。
本当に悪いのは、自分を陥れた上層部の人間だ。
自分を責める時には、揺るがない答えのように思えた。だが、いろはが同じように資格はないと言うのを聞くと、違うとしか思えなかった。家族になってはいけない人だなどと思ったことはない。はちは目を閉じたまま、相手へ向ける思いと、自分へ向ける判断の違いに触れていた。
「それでも――」
いろはは震える声で続ける。
「これは、私のわがままなのかもしれない。それでも私は、ハチちゃんの家族になりたい」
いろはの涙が、次々とシーツへ落ちる。
眠っていると思われているからこそ、今の自分に返事を求めていないことが分かった。家族になりたいという声は、それでも続いている。はちはシーツへ落ちる涙を思った。いろはもまた、自分と過ごす未来を、これほど強く願ってくれていた。
「可愛くて、優しくて、思いやりがあって……何でも一生懸命で、時々無茶をして、心配ばかりかけるけど」
涙で声を詰まらせながらも、いろはは笑った。
「そんなところも全部含めて――私は、ハチちゃんが大好きだから」
並べられた言葉の中には、心配をかけたことまで入っていた。それでも、全部含めて好きだと言ってくれる。はちは、いろはの声を聞き続けた。失敗しない自分や、役に立つ自分だけを迎えようとしているのではない。そのことが、こらえていた涙を押し上げてきた。
もう、耐えられなかった。
「私だけじゃないよ。レイも、かえでも……AEGISのみんなも、ハチちゃんのことが大好きだよ」
「うっ……ひっく……」
閉じた瞼から、涙があふれ出す。
閉じていれば隠せると思っていた目から、涙が流れていく。息を潜めることも、もううまくできなかった。聞いているだけで済ませようとしていた言葉へ、自分の声で答えたかった。呼びたかった名前が、震える息と一緒に唇から零れた。
「ハチちゃん?」
「ひっく……いろはさん……」
「ハチちゃん!? 起きてたの?」
いろはが驚いて身を乗り出す。
はちは泣きながら身体を起こした。
「はい……すみません……」
涙を拭おうとしても、次から次へと流れてくる。
「いろはさんがいなくなったら、ここから立ち去ろうと思っていました……」
「どうして……」
「自分には、いろはさんたちの家族になる資格がないと思ったからです」
寝たふりをした理由を告げるのは、怖かった。せっかく迎えてくれた相手へ、また黙って離れようとしていたのだ。それでも、ここで隠したままでは同じことを繰り返してしまう。はちは涙を拭いながら話した。いろはの顔を見て、本当に伝えたかったことへ言葉を続けた。
はちは、真っ直ぐにいろはを見た。
「でも……自分も、いろはさんが大好きです」
声が震える。
「レイさんも、かえでさんも、AEGISのみなさんも……みんな、大好きです」
大好きだという言葉は、離れていた間にも消えていなかった。憎もうとした時も、拒もうとした時も、その気持ちがあるから苦しかった。今は、それを冷たい言葉へ言い換えなくてよい。はちは自分が大切に思う人たちの名を、いろはの前でひとつずつ口にした。
「ハチちゃん!」
いろはは泣きながら、はちを抱き締めた。
「ごめんね! ハチちゃんに、つらい思いをさせて……一人で苦しませて、本当にごめんね!」
「自分こそ……ごめんなさい……!」
はちも、いろはの背中へ両腕を回す。
抱き締められた腕の中で、今度ははちからも手を伸ばした。謝りたい気持ちも、離れたくない気持ちも、うまく言葉だけにはできない。その背中へ腕を回しながら、何度も同じ言葉を繰り返した。いろはも泣いている。その涙を近くで感じながら、もう顔を隠しているふりはしなかった。
「いろはさんに、ひどいことをたくさん言いました……いっぱい傷つけました……ごめんなさい……!」
「うん……」
「ごめんなさい……!」
「もういいんだよ。帰ってきてくれて、ありがとう……!」
ありがとうと返されて、はちは抱きついたまま泣いた。謝れば離れていくのではない。帰ってきたことを、喜んでくれる。自分がここにいるというだけで、相手へ返せるものがある。そのことを、温かな腕の中で、言葉より先に受け取っていた。
◇
ただいま――いろはとはち、号泣中。
◇
しばらくして、二人はようやく泣き止んだ。
それでも、いろははベッドの縁へ腰を下ろしたまま、はちの手を握っている。
泣き止んでも、握られた手は離れなかった。はちはその感触を確かめた。気持ちを伝え合えた後にも、少しの不安が残っている。さっき聞いた答えを、もう一度聞きたくなってしまう。それを口にする前から、いろははそばに座り、手を握り続けてくれていた。
「いろはさん……」
「何、ハチちゃん?」
はちは不安そうに俯いた。
「本当に、自分はいろはさんたちの家族になってもいいのでしょうか?」
「…………」
「やはり自分には、その資格が――」
「ハチちゃん?」
いろはが静かに呼びかけた。
「はい?」
はちが顔を上げた、その瞬間――。
バチコーン!
「わふっ!?」
いろはの指が、はちの鼻先を弾いた。
はちは鼻を両手で押さえ、涙目でいろはを見る。
「な、何するんですか……!」
「ハチちゃん。まだそんなことを言ってるの?」
いろはは頬を膨らませていた。
思いがけない指の一撃に、考えていた言葉が飛んでしまった。はちは鼻先を押さえたまま、いろはを見た。さっきまで涙で濡れていたその顔が、今は頬を膨らませている。恐れていた拒絶とはあまりにも違う反応に、戸惑いながら、次の言葉を聞いた。
「そんなことばかり言っていると、今度こそ本気で怒るよ?」
「で、でも……」
「でも、ではありません」
いろはは、はちの目を真っ直ぐに見つめる。
「それともハチちゃんは、本当は私たちの家族になりたくないの?」
「そんなことありません!」
はちは即座に否定した。
「自分は本当に、いろはさんたちの家族になりたいです!」
なりたくないのかと聞かれた途端、答えは迷わず出ていた。望んでいる。どうしても、この人たちと家族になりたい。その気持ちまで遠慮して曖昧にすることはできなかった。はちは言い切った後で、目の前の表情が変わるのを見た。
いろはの表情が、一瞬で笑顔に変わる。
「なら、いいじゃない♪」
「なっ……」
はちは固まった。
(もしかして……はめられた?)
不安を確かめようとしていたはずが、本当に望むことを自分の口で言わされてしまった。はちは戸惑ったまま、笑顔になったいろはを見る。頬を膨らませていた顔を思い返すと、胸を塞いでいた考えのそばへ、少しだけ別の気持ちが入り込んできた。
「家族になりたいと願うことは、罪じゃないよ」
いろはは、もう一度はちの頭を優しく撫でる。
「それにね、誰にだって幸せになる資格はあるんだよ」
撫でる手が、また髪へ触れた。さっきまで張りつめていた問いに、少しだけ違う答えが見えてくる。幸せになりたいと思うたびに、自分でそれを取り上げなくてもよいのかもしれない。はちはその言葉を、まだ慣れない温かさのように、胸の内で受け止めていた。
プシュー――。
「そのとおりだよ、ハチ」
医務室の扉が開き、レイが入ってきた。
「レイさん……」
レイはベッドのそばまで歩み寄ると、穏やかに微笑んだ。
「ハチには、幸せになる資格がある」
そして、その表情を僅かに引き締める。
「もし、ハチの幸せを奪おうとする人が現れたら――今度は私が絶対に許さない」
レイの声は穏やかで、その中にある決意は強かった。森へ向かった二人が、今はベッドのそばにいる。はちは両方の顔を見た。どちらも同じように、自分が幸せになることを願ってくれている。そのことを、一人で考えていた時の答えだけで退けることはできなかった。
「いろはさん……レイさん……」
二人の気持ちが、胸の中へ染み込んでくる。
もらった言葉を、すぐに上手く受け止められなくても、二人はここにいてくれる。はちは声を聞き、顔を見た。自分が幸せになってよいと認めることは、その二人の願いも受け取ることなのかもしれない。そう思うと、頑なに閉じていた胸が少し緩んだ。
「ハチちゃんは、ハチちゃんのしたいことをすればいいんだよ」
いろはが、はちの手を包み込んだ。
「もし道を間違えそうになったら、私たちが止める。一人で迷った時は、一緒に考える」
レイも、反対側からはちの手へ触れる。
「家族としてね」
間違えないように一人で考え続ける必要はない。迷えば、一緒に考えると言ってくれる。左右から触れる手の温かさを、はちは感じていた。家族になるということは、守ってもらうだけではない。自分の弱さも迷いも、隠さずに話せる相手がいるということなのだと思えた。
もう、迷う必要はなかった。
「ありがとうございます……」
はちは目に涙を浮かべながら、それでも笑顔を見せる。
「いろはさん、レイさん……お世話になります」
「ハチちゃん、違うよ?」
「わふっ?」
いろはが、楽しそうに笑う。
「『お世話になります』じゃなくて――『これからも』だよ」
これからも。その短い言葉の中に、ともに過ごした日々があった。全部を失って、何もないところから入り直すのではない。離れていた時間も、苦しかったことも抱えたまま、続けてよいのだ。はちはいろはを見て、それからレイへ目を向けた。
「あ……」
はちは小さく笑った。
「はい」
今度は、二人の顔をしっかりと見つめる。
今度は俯かずに言いたかった。どちらか一人へではなく、二人へ伝えるために顔を上げる。握られている手が、答えを急かすことなくそばにあった。はちは小さく息を整えた。これから続く時間を、自分も望んでいるのだと伝えようとした。
「いろはさん、レイさん……これからも、よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ、よろしくね」
「これからもよろしく、ハチ」
「はい!」
はちは、心からの笑顔で答えた。
返ってきた二人の声を聞いて、ようやく挨拶が胸へ落ち着いた。お願いするばかりの言葉ではなく、同じ方へ進むための言葉を交わせた。そのことが嬉しかった。はちは涙の残る目を細めた。笑っている自分を、今度は引き止めなくてもよいと思えた。
◇
後に、この一連の事件は――《DG事件》。
正式名称、《ディメンション・ゴッド事件》と呼ばれることになった。
略称として《DD事件》の名が使われることもある。
事件の発端がガーディアン上層部の一部による不正行為だったこと、そして、はちが戦闘中も人命を奪わないよう配慮していたことが認められ、処分については慎重な協議が行われた。
調査を担当したレイの兄にあたる監査官は、はちだけに責任を負わせることを明確に否定。
上層部側の重大な過失と不正を指摘した。
結果として、ガーディアンは、はちの行動を不問とする決定を下した。
責任をはち一人へ集めてしまえば、何が始まりだったのかを見失う。協議では、上層部の不正と、はちが実際に取った行動の両方が扱われた。不問という結果は、起きたことを忘れるという意味ではない。そこへ至った経緯を確かめたうえで、ガーディアンが下した決定だった。
後日、上層部の代表者たちがAEGISを訪れ、はちへ正式に謝罪した。
しかし、はちも自分の行動について謝罪したため――。
「本当に、申し訳ありませんでした」
「いえ、自分も多大なご迷惑をおかけしましたので……」
「しかし、我々の不正が原因で――」
「ですが、自分もみなさんを襲撃してしまいましたし……」
謝罪しては謝罪を返される、終わりの見えないやり取りが続くことになった。
見守っていたいろはたちは、そろって苦笑するしかなかった。
どちらかが頭を上げようとすれば、もう一方がまた謝る。終わりを探しているはずなのに、言葉を返すたびに続いてしまう。その様子を見ながら、いろはたちは苦笑した。深刻な出来事の後に、こんなやり取りを見守れること自体が、少し不思議でもあった。
◇
それでも、はち自身は、何もなかったことにして終わらせるつもりはなかった。
自分が恐れたガーディアンの在り方。
組織の中に存在する、不正と悪意。
それらを外側から破壊するのではなく、今度は内側から変える。
組織へ戻れば、怖かったことの全てが消えるわけではない。それでも、外から壊すという道以外を考えられるようになっていた。はちは、守ってくれた人たちのことを知っている。その人たちとともにできることを探すために、今度は自分の望みとして所属を求めたかった。
そのために、はちは自身の持つ能力の一部を正式に明かし、AEGISへの所属を希望した。
危険な知識と力を、誰かへ利用させるためではない。
同じように傷つく人を、二度と生み出さないために。
明かすのは能力の一部だった。自分が持つものをどう使うか、その選択まで誰かへ渡したいわけではない。傷ついた経験を、次に誰かを守るための行動へ変えたい。はちはそう願った。ここから先の道を、自分だけで決めて進む必要は、もうなかった。
すべての手続きが終わった、その日の夕方。
はちは、いろはとレイの間に立っていた。
いろはが右手を握り、レイが左手を握る。
その手は、どちらも温かかった。
右と左、それぞれに確かな感触があった。手を伸ばせば届くところに、二人がいる。はちはその間に立ち、握られた自分の手へ目を落とした。どちらも振り払わなくてよかった。受け取ってよいと何度も告げられた温もりが、今は言葉の代わりに伝わっていた。
(俺は、もう一人じゃない)
失ったと思っていた家族。
もう二度と手に入らないと思っていた温もり。
それが今、確かにここにある。
失うことを怖がった気持ちまで、今日だけでなくなるとは思わない。それでも、今ここにある温かさは本物だった。はちは両側の二人を感じていた。遠い未来を恐れるばかりで、この手をもう一度振り払いたくはない。その思いが、静かに胸へ残った。
「帰ろう、ハチちゃん」
「私たちの家へ帰ろう、ハチ」
「はい!」
はちは二人の手を握り返す。
帰ると答えた声が、二人の間に響いた。はちは手を握り返した。ここからどこかへ一人で消えようと考えていた自分が、今は同じ家へ帰ると言っている。その変化を、歩き出す前の小さな力に込めた。つながれた手を、自分からも離したくなかった。
こうして安藤はちは――いろはとレイの家族になった。
恐怖も、迷いも、過去の傷も、すぐに消えるわけではない。
それでも、これからは一人で抱え込まなくていい。
間違えた時には手を取り合い、傷つけた時には謝り、何度でも歩き直せばいい。
怖いと思う日があれば、そのことを話せばいい。迷った時には、差し伸べられた手を思い出せばいい。今日だけで全てに答えが出たわけではない。それでも、はちの隣には、これからもと言ってくれた人たちがいる。その事実を抱いて、次の日へ進むことができる。
その先に結ばれたものは、もう誰にも壊せない。
信じ合う心によって生まれた――絶対に壊れない絆だった。
――第一部・完――
ここまで読んで頂きありがとうございます
ここからは書き上げた小説は少しづつあげたいと思います




