第27話 見えない死神
巨大樹の根元で、安藤はちと天城いろはは向かい合っていた。
数か月前、二人が初めて出会った場所。
あの時のはちは、見知らぬ世界へ転生したばかりで、何も分からないままいろはの指示へ従った。
いろはは、そんなはちを保護しようと手を差し伸べた。
そこから始まった日々は、確かに温かかった。
けれど今は、二人の間に埋め難い距離がある。
視界の中にある根も、木漏れ日も、初めて会った日の記憶へつながっていた。けれど、同じ場所に立つだけでは、あの頃の声は戻ってこない。いろはは、目の前のはちを見つめた。懐かしい時間を思い出すことと、今そこにいる相手に向き合うことを、同じにしてはいけなかった。
そして、はちの半歩後ろには、もう一人の少女が立っていた。
人の姿となったユニゾンデバイス――ステラ。
ステラは次元神の力を得た時から、苦しみ続けるはちのそばにいた。今も、はちを守るように寄り添いながら、いろはへ静かな警戒を向けている。
はちは半歩後ろへ視線を向けた。
「ステラ」
「……うん」
これから始まる戦いを前に、言葉を重ねる必要はなかった。
ステラが、はちの隣へ並ぶ。
そして、そっと右手を差し出した。
はちは差し出された手を見つめた後、その手をしっかりと握る。
差し出された手を握ると、隣にいる存在の確かさが伝わってきた。ステラはここまで一緒に来てくれた。言葉にできないままの思いも、胸に残った迷いも、すぐそばで見ている。その手を取りながら、はちは正面へ向き直った。これから向き合う相手から、もう目を逸らせなかった。
二人の身体を、淡い星明かりが包み込んだ。
「「ユニゾン・イン」」
二人の声が重なる。
次の瞬間、ステラの身体が無数の光の粒子へと変わった。
星屑のように輝く粒子が、はちの周囲を旋回する。
銀紫色の光が幾重もの軌道を描きながら、はちの胸元へ吸い込まれていく。
ステラの姿が完全に消えた瞬間、はちの足元へ次元紋様が展開された。
光の柱が立ち上がる。
風圧に押され、いろはの長い髪とバリアジャケットが激しく揺れた。
「ハチちゃん……?」
いろはが驚きながら、光の中にいるはちを見つめる。
同調が完了すると、光の柱が無数の粒子となって弾けた。
その中心に立つはちの姿は、先ほどまでとは異なっていた。
腰まで届く灰黒色の髪は、星の光を宿したような淡い銀紫色へ変わっている。
灰色だった瞳も、澄み切った紫色に染まっていた。
服装は、白いフード付きジャケットと黒を基調としたインナー、黒いプリーツスカートによる次元神衣装へ再構成されている。
胸元のペンダントとジャケットの背面には、次元の神を象徴する意匠。
腰回りや肩、袖には、異世界的なストラップと小さなチャームが配置されていた。
左腕にはSIA。
右手中指には、指輪型の精霊カードケース。
どちらも同調前と変わらず、正しい位置に装着されている。
ステラ同調形態――次元神衣装。
『同調、完了……』
ステラの声が、はちの内側から響く。
「ありがとうございます、ステラ」
声の届く場所が、すぐ隣から内側へ変わった。白いジャケットの背後で、銀紫色の髪が揺れる。姿が変わっても、胸の奥にあるものまで消えたわけではない。はちは同調の完了を受け止めた。その先にいるいろはも、まだ同じ場所に立っている。
『はち……本当に戦うの?』
「…………」
はちは答えなかった。
ただ、目の前にいるいろはへ紫色の瞳を向ける。
いろはも、変化したはちを見つめていた。
けれど、その視線に警戒や恐怖はない。
そこにあるのは、深い悲しみと――はちを連れ帰りたいという強い願いだった。
風が吹き抜ける。
淡い銀紫色の長い髪が、白いジャケットの背後で静かに揺れた。
まず向き合わなければならないのは、目の前にいるはち自身だった。
どちらも相手から視線を逸らさないまま、長い沈黙だけが流れていた。
すぐに戦いが始まるわけでも、歩み寄れるわけでもなかった。いろははアークレイを持つ手を意識しながら、相手の表情を見続けた。言いたいことがある。それでも、はちが何を言おうとしているのかを、今度は聞きたかった。その沈黙を、焦りだけで埋めることはできなかった。
(さて……どうしますか)
はちは考える。
いろはが何のために来たのか。
自分を逮捕するためなのか。それとも、また家族になりたいと言うためなのか。
どちらにせよ、先に確かめなければならないことがある。
バティオスのことだ。
「二度と自分の前に現れないでくださいと、忠告したはずですが……」
はちは、あえて突き放すような口調で言った。
「ハチちゃん……」
いろはの表情が曇る。
泣き出しそうな目だった。
その顔を見ただけで、はちの胸が僅かに疼く。
突き放す言葉を口にすれば、距離を保てると思っていた。だが、その言葉を受け取った相手の顔まで見えなくなるわけではない。はちはいろはを見ていた。悲しませたことが分かるから、作ろうとしていた冷たさが、胸の内側から揺さぶられてしまう。
だが、感情を表へ出すわけにはいかない。
「バティオスを倒したのは、いろはさんですか?」
「……うん」
いろはは小さく頷いた。
「では、破壊したのですね?」
監視画面から、バティオスの魔力反応は消えていた。
最悪の結果を想像しながら問うと、いろはは慌てて首を横へ振る。
「違うよ! バティオスさんはAEGISで保護しています。今はノエルさんが応急修理をしています」
「……そうですか」
はちの肩から、無意識に力が抜けた。
「それを聞いて安心しました。ノエルさんなら、完全修復は難しくても損傷の進行を止められるかもしれません」
バティオスは生きている。
いろはは、倒した相手を見捨てなかった。
その事実に安堵した自分を、はちは否定できなかった。
返事がなかったことと、失われたことは同じではなかった。最悪の想像に張りつめていた力が、少し緩む。はちは、いろはの言葉を聞き終えても、すぐには次へ移れなかった。バティオスを倒した相手が、その後も助けようとしてくれている。その事実が、構えていた心へ静かに入り込んだ。
(なら……自分がここにいることも、バティオスから聞いたのでしょうね)
「ハチちゃん。やっぱり私は――」
「戦いたくない、ですか?」
先回りされた言葉に、いろはが目を見開く。
やがて悲しそうに眉を下げ、正直に頷いた。
「うん。私は、ハチちゃんとは戦いたくないよ」
ズキンッ。
はちの胸が、また痛んだ。
その言葉を待っていたはずなのに。
いろはから敵として見られていないことを、心のどこかで願っていたはずなのに。
戦いたくないと言ってほしいと思っていた。それなのに、本当にそう告げられると、どう応じればよいのか分からない。受け入れれば、自分が遠ざけようとしていた願いまで近づいてしまう。はちは、その声を聞いて揺れた自分を押さえつけるように、次の言葉を選んだ。
「いろはさんに戦う気がなくても、自分にはあります」
感情を押し殺し、はちは冷たい声を作る。
「気兼ねなく、自分を捕まえればいいではないですか」
一度、言葉を切った。
口にすれば、いろはを傷つけると分かっている。
それでも、はちは自分から退路を塞ぐように続けた。
「そう――あの時のように」
「……っ!」
いろはの顔が苦痛に歪み、視線が地面へ落ちる。
自分が信じなかったせいで、はちは次元の裂け目へ落ちた。
いろはにとって、決して消すことのできない後悔だった。
俯いた先の地面へ、視線が留まった。間違いだったと知った後も、あの時に言った言葉は取り消せない。いろはは、胸へ押し寄せる後悔を受け止めた。謝りたいと何度も考えてきた。それでも今は、謝罪を口にすればすぐにはちの痛みが消えるなどとは思えなかった。
ズキンッ。
「うっ……」
今度は、はちが胸元を押さえた。
いろはを傷つけた瞬間、自分の胸まで締めつけられる。
(まただ……)
まだ迷っているのか。
これから、いろはと戦うことを。
「ハチちゃん?」
いろはが心配そうに一歩踏み出す。
その反応さえ、以前と変わらない。
心配そうな声が、二人の間の距離を越えてきた。傷つける言葉を向けられた直後でも、いろはは胸を押さえた姿へ反応している。はちはその一歩を見た。かつて近くで受け取っていた優しさが、今も目の前にある。そのことが、拒み続ける心をいっそう苦しくさせた。
はちは悟られる前に顔を上げ、右手を制するように向けた。
「話は終わりです」
空間が黒く歪む。
はちはその中へ手を差し入れ、漆黒の砲撃デバイス――ダークアークレイを引き抜いた。
『はち……』
同調したステラの声が、はちの内側から案じるように響く。
「ステラは、手を出さないでください」
はちは、いろはから目を逸らさないまま告げた。
「これは、自分といろはさんの問題です」
ステラはすぐには答えなかった。
やがて、はちの意思を尊重する静かな意志が、ユニゾンを通じて伝わってきた。
「警告します。現在、アークレイを殺傷設定にしているのであれば、今すぐ非殺傷設定へ切り替えてください」
戦うための宣告。
同時に、いろはを殺したくないという、はちの隠し切れない本心でもあった。
戦うと告げるための声に、相手の命を守るための警告が混ざっていた。はちはそれ以上説明せず、ダークアークレイを構える。言葉を交わせば交わすほど、決めたはずの気持ちが揺れる。それでも、向けたデバイスの先に誰がいるのかだけは、見失っていなかった。
「ハチちゃん、待って!」
いろはの叫びを振り切るように、はちはダークアークレイを正面へ構えた。
足元に漆黒の次元紋様が広がり、淡い銀紫色の長い髪が吹き上がる。
「安藤はち――世界を統一するため、目標を駆逐します!」
ダークアークレイの先端に、黒紫色の魔力が収束した。
対するいろはも、アークレイの設定を非殺傷へ固定する。
『Non-lethal mode』
「自分は……ハチちゃんを倒すために来たんじゃない」
桃色の障壁を展開しながら、いろははまっすぐはちを見る。
「迎えに来たんだよ!」
構えられた漆黒の先端から、目を逸らさずに言う。ここへ来た理由を、いろは自身の声で届かせたかった。バティオスに託されたことも、レイに送り出されたことも、この相手へ辿り着くためだった。攻撃を前にしても、迎えたいという願いまで引っ込めることはできなかった。
黒い砲撃と桃色の障壁が激突した。
轟音が、すべての始まりの森を揺らす。
◇
その頃、少し離れた森では――。
金色と漆黒、二つの魔力光が木々の間を高速で駆け抜けていた。
レイ・シルビアは、いろはを先へ行かせた後も《W.レグナム ヴェイル》との戦闘を続けていた。
ブンッ!
大鎌型魔力刃が横薙ぎに振るわれる。
「くっ!」
レイは上体を反らし、刃を胸元すれすれで回避した。
遅れて届いた風圧が金色の髪を激しく揺らし、背後の大木を一撃で切断する。
幹が軋み、轟音とともに倒れ始めた。
レイは倒木を蹴って上空へ跳び、振り向きざまに六発の魔力弾を放つ。
正面に二発。
左右の退路へ一発ずつ。
残る二発は僅かに遅らせ、ヴェイルが回避した先を狙う。
「どうした、どうした! 逃げ回って撃つだけじゃ、俺には勝てないぜ!」
ヴェイルは大鎌を片手で回転させた。
漆黒の刃が円形の防壁となり、正面の二発を弾き飛ばす。
続けて長い柄を滑らせるように握り替え、左右から迫る二発を上下へ薙ぎ払った。
遅れて飛来した弾も、鎌の石突きと刃で正確に打ち落とす。
ドン! ドドンッ!
散った魔力弾が周囲の地面へ着弾し、土と木の葉を巻き上げた。
狙いをずらし、時間差をつけても、大鎌はそれぞれに応じて動いた。レイは着弾した光の向こうを見据える。武器の大きさに隙を期待してはいけない。振り終えたと思った刃の代わりに、柄や石突きが次の攻撃を止めている。相手の間合いで押し切る難しさが、はっきりと見えた。
「私の射撃を、全部……!」
大鎌の扱いは一流だった。
巨大な武器を振り回しているのではない。刃、柄、石突き、そのすべてを攻撃と防御に使い分けている。
「今度は、こっちから行くぜ!」
ヴェイルが翼を噴射した。
黒い残光を引きながら距離を詰め、大鎌を頭上から振り下ろす。
「はっ!」
レイは右へ鋭く加速した。
鎌の刃が空を切り、地面へ深々と食い込む。
その隙にレイはヴェイルの背後へ回り、装甲の継ぎ目を狙って魔力刃を振り抜いた。
「うおっ、速い!」
ヴェイルは大鎌の柄を背へ回し、辛うじて斬撃を受け止めた。
ギィンッ!
火花が散る。
レイは一撃に固執せず、即座に離脱した。
正面から攻めれば、長い間合いと大鎌の技量でヴェイルが上回る。
だが、純粋な加速力ならレイが勝っていた。
(正面で打ち合わず、速度で翻弄する)
レイは木の幹、枝、地面を立体的に蹴り、あらゆる角度から斬撃を仕掛けた。
右から一撃。
ヴェイルが鎌で受ければ、すぐに後退。
次は頭上から急降下し、肩を狙う。
防がれれば、その反動で真上へ跳ね、背後から魔力弾を撃つ。
攻撃しては離れ、別方向から再び踏み込む。
一撃離脱を繰り返すうち、ヴェイルの装甲へ浅い傷が増えていった。
刃を届かせた後に、その場へ留まらない。レイは次の踏み込みへ身体を運びながら、相手の反応を追った。一度で深く斬り込もうとすれば、大鎌の届く距離に捕らえられる。浅い傷でも、流れは変えられる。自分が勝る速さを使い続けることへ、意識を絞っていた。
「参ったな……」
大鎌でレイの刃を弾いたヴェイルが、後方へ大きく跳ぶ。
「これは使いたくなかったんだがな」
ヴェイルの胸部で、黒紫色の光が灯る。
「《ノクティス・システム》――隠密演算、起動」
黒い装甲の表面へ、闇色の波紋が走った。
バティオスが未来に近い戦闘結果を予測するために使ったものと同じ、ノクティス・システム。
ただし、その機能は各レグナムの特性に合わせて調整されている。
バティオスが戦況予測に特化しているのに対し、ヴェイルのシステムは光、音、熱、魔力反応を分析し、自身の存在を周囲の環境へ溶け込ませる隠密戦闘仕様だった。
次の瞬間――ヴェイルの姿が、空気へ溶けるように消えた。
「えっ……?」
姿だけではない。
魔力反応まで極端に小さくなり、レイの感知領域から消失する。
直前まで目で追っていた輪郭が、見当たらなくなった。魔力の気配を頼ろうとしても、先ほどまでと同じようには捉えられない。レイは足を止めなかった。相手がいなくなったのではない。こちらから見つけにくくなっただけだと、刃が迫る前に考え続けなければならなかった。
「どこ……?」
レイは動きを止めず、周囲へ意識を広げた。
木々の影。
頭上の枝。
背後。
どこにも姿はない。
ブンッ!
「――っ!」
背後で、風を切る音がした。
振り向いた時には、見えない大鎌が首元へ迫っている。
回避は間に合わない。
『Protection』
レイの意思より早く、デバイスが金色の障壁を展開した。
ガァンッ!
見えない刃が障壁へ激突し、円形の波紋が広がる。
衝撃でレイの身体が前方へ弾き飛ばされた。
「くっ……!」
空中で体勢を立て直し、着地する。
着地した足へ重みが戻り、弾かれた衝撃が身体に残った。デバイスの防御がなければ、今の一撃を受けていた。レイは振り向いた先を見た。そこに姿がないという事実は変わらない。助かったことへ息をつくより先に、次の攻撃をどこから受けるのかを警戒した。
「おいおい、そりゃないぜ。今ので決まったと思ったんだがな」
ヴェイルの声だけが、森の中を移動していく。
「どこですか……!」
レイは視線を巡らせる。
「こっちだよっと!」
今度は左上。
透明な刃が斜めに振り下ろされる。
レイは地面を蹴り、紙一重で横へ飛んだ。
鎌が肩の装甲を掠め、破片が宙へ散る。
「反射神経がいいな!」
声が遠ざかり、気配が再び消える。
肩から散った破片を追う余裕はなかった。声が遠ざかっても、本当にその方角へ離れたのかを確かめられない。目に映るものが減った分、木々の間の全てが警戒すべき場所になっていた。レイは呼吸を整えた。見えない相手の調子に合わせて動き続けるだけでは、先に追い詰められる。
レイは乱れた呼吸を整えながら考えた。
(以前戦った、幻影を操る敵とは違う)
偽物の姿を見せて惑わせているのではない。
ヴェイルは、自分自身の姿と魔力反応を隠している。
視覚による追跡を捨て、不可視の奇襲だけを極限まで高めた能力。
(でも――本体そのものが消滅したわけではない)
足場を蹴れば、地面が沈む。
動けば、空気が押し退けられる。
攻撃するには、必ず自分の間合いまで近づかなければならない。
目で見えないのなら、周囲の変化に姿を描かせればいい。
「周囲一帯へ、低出力の魔力弾を展開できますか?」
『可能です。ただし、一斉起爆すれば煙と魔力粒子でマスターの視界も失われます』
「大丈夫。私に考えがあります」
失敗すれば、次の奇襲を防げない。
だが、勝つには賭けるしかない。
見えるようになるまで待っていても、その瞬間が来るとは限らなかった。ならば、自分から状況を変える。相手が隠しているものへ直接届かなくても、その周囲には触れられる。レイはデバイスの注意を聞いたうえで決めた。自分の視界も失うことを含めて、選んだ手段だった。
「お願いします」
『Yes, Master』
レイの周囲へ、数十発の小型魔力弾が球状に展開された。
地表から頭上まで、逃げ場を作らない配置。
「ファイア!」
光弾が一斉に散開し、木々の間へ着弾した。
ドガガガガガッ!
連続する爆発が土と枯れ葉を吹き上げる。
濃い煙と金色の魔力粒子が混ざり合い、レイを中心に広い範囲を覆い尽くした。
視界は、完全に失われた。
木々の輪郭も、離れた地面も、煙と粒子の向こうへ消えた。これでは自分にも見えない。その不利を承知して作った状況の中で、レイは余計な動きを抑えた。探すのは、隠された身体そのものではない。そこに何かがあることで生まれる、周囲との違いだった。
レイは目を閉じる。
音を聞く。
煙の流れを感じる。
右前方――何もない。
背後――爆風が均等に広がっている。
左斜め上。
一か所だけ、煙が見えない何かへぶつかり、不自然な輪郭を作った。
広がる煙の中で、流れが途切れる場所がある。何もなければ、そのまま通るはずの空間だった。レイは変化を捉えた。確かめ続ける時間をかければ、また位置は変わる。今、そこにあると判断した一点へ、自分の速さを届かせるしかなかった。
「…………そこ!」
レイが地面を蹴る。
金色の閃光となって煙幕を貫き、不可視の輪郭へ魔力刃を振り抜いた。
ザンッ!
「うっ……嘘だろ……!」
衝撃とともにノクティス・システムの隠密演算が乱れ、ヴェイルの不可視化が解除された。
黒い人型レグナムが煙の中から姿を現す。
右肩の接続部から先が切断され、大鎌を握っていた右腕が地面へ落ちた。
機械の腕が土の上を転がり、数回火花を散らして止まる。
金属の腕が止まり、火花の向こうに黒い姿が現れていた。見えない相手を探し続けた時間が終わる。レイはすぐには踏み込まず、相手の状態を見た。大鎌を握っていた腕は地面にあり、ヴェイルは膝をついている。次の一撃を加えることよりも、その反応を確かめたかった。
「どうして……俺の位置が……」
ヴェイルは膝をつき、信じられないようにレイを見上げた。
「煙幕が教えてくれました」
レイは魔力刃を下ろし、荒い息を整える。
「あなたのノクティス・システムは、視覚と魔力感知に対しては完璧でした。ですが、本体まで消滅したわけではありません」
周囲では、まだ煙が渦を巻いている。
「空気も煙も、あなたの身体を避けて流れます。その歪みから位置を特定しました」
「そんな方法で……」
「これは賭けでした。もし、あなたが身体そのものを別空間へ移していたなら、倒れていたのは私です」
「なるほど……な」
ヴェイルは残った左手で右肩を押さえ、乾いた笑いを漏らした。
「ったく。主から、油断するなと言われてたのによ……」
主という言葉が、レイの耳に残った。はちがこの相手に何を頼み、何を望んでいたのか。戦いながら感じていた違和感が、今なら問いかける形になる。レイは刃を下ろしたまま、ヴェイルを見た。勝ったという結果だけで、この出会いを終わらせたくはなかった。
レイはヴェイルの様子を見つめ、戦闘中から感じていた違和感を口にした。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「何だよ?」
「どうして、最初から本気で戦わなかったのですか?」
ヴェイルは答えず、僅かに顔を背ける。
「何のことだ?」
「あなたが本気で私を殺すつもりなら、最初からノクティス・システムを起動して奇襲できたはずです」
出会った直後。
まだ互いの能力も間合いも分からない段階で不可視化を使われていれば、対応できなかったかもしれない。
それをせず、ヴェイルは正面から警告し、姿を見せたまま戦った。
「……主の頼みだよ」
観念したように、ヴェイルが答える。
「人を殺すなって言われた」
「ハチ……」
命を保証しないという言葉も、死神になるという宣言も、相手を退かせるための脅しだった。
はちは今も、人を殺すことを拒んでいる。
脅すような言葉の奥に、はちからの頼みがあった。レイはそのことを胸の中で繰り返した。自分たちへ怒りを向け、戦う道を選んでいても、人の命を奪いたいわけではない。知っているはちの姿と、今聞かされた言葉が重なる。それが、迎えに行きたいという思いを強くした。
「ヴェイル」
「行きなよ」
ヴェイルは大木へ背を預けた。
「この有り様じゃ、もう戦えない。俺の負けだ」
レイは、すぐに立ち去らなかった。
はちの大切な仲間を、損傷したまま置き去りにはできない。
通信回線を開き、AEGISへ救援を要請する。
「こちらレイ・シルビア。人型レグナム一体を保護しました。右腕を損傷しています。大型搬送班と技術班をお願いします」
通信を終えると、ヴェイルへ向き直った。
「間もなく増援が来ます。抵抗せず、彼女たちの保護を受けてください」
「敵の俺まで助けるのか?」
「あなたはハチの仲間です。見捨てることはできません」
戦った相手を助けることと、戦いをなかったことにすることは違う。傷ついた姿が目の前にあり、できることがある。レイは保護を頼んだ相手へ、自分の答えを伝えた。はちを大切に思っているのなら、その仲間をここへ残したまま、迎えに向かうことはできなかった。
「……サンキュー」
ヴェイルは大鎌を拾おうとせず、素直に背を預けたまま目を閉じる。
「お言葉に甘えるよ」
遠くから、搬送班の接近を知らせる飛行音が聞こえ始めた。
レイはヴェイルが保護されるのを確認すると、いろはが向かった方角へ身体を向ける。
保護を任せられるところまでを見届けて、レイはようやく先へ進む方角へ目を向けた。いろはを送り出してから、時間が過ぎている。向こうでどんな言葉が交わされているのか、ここからは分からない。それでも、今の自分にできるのは、二人がいる場所へ向かうことだった。
(ハチ……私も行くからね)
金色の翼を広げ、木々の間から空へ飛び上がる。
迎えに行くために。
――第27話 END――




