第22話 拳の先に守るもの
最初に走ったのは、水城セナの魔力弾だった。
一発は魔星の胸へ。
一発は右へ。
続く一発は、少し遅れて左側へ回る。
神楽坂ユイナは、そのどれにも続かなかった。
踏み込める位置に留まり、魔星の足を見る。
前へ出ないと決めただけで、脚がひどく重く感じられた。隙が見えたら飛び込む。それが身体に染みついている。けれど、その速さにセナを合わせさせた結果が、まだ腹の奥に痛みとして残っていた。
ユイナは踵を浮かせたまま、待った。動かずにいることと、動けずにいることは違う。今度は自分の一歩を、セナが選んだ瞬間に使う。
右へ動けば、左から拳を入れる。
左へ避ければ、正面を塞ぐ。
射撃の命中を狙うために、自分がいる。
魔星の足が滑った。
正面の弾を身体の捻りでかわし、残る射線の間へ入ろうとする。
セナは照準の端に、ユイナの肩を捉えていた。射線を空けてくれるのを待つ必要はない。こちらが狙う場所を見て、彼女が進路を選んでくれる。
指先に余分な力が入った。初めて組む相手ではないのに、合図を省くことがこれほど怖い。セナは息を細く吐き、最後の弾を急がせなかった。
「そこ!」
ユイナが地面を蹴った。
右の拳を突き出す。
魔星は腕で受ける。だが、その腕を押し返す間に、左からの魔力弾が届いた。
ドンッ!
赤黒い肩の上で、光が弾けた。
魔星が一歩退く。
掌へ伝わった抵抗が、ふっと軽くなる。ユイナは反射的に踏み足を出しかけた。相手が退いた時こそ追う。訓練なら何度もそうしていた。
だが、魔星の前へ出た手はまだ開いている。追った腕を絡め取る余裕がある。その向こうで、セナの射撃部が次の角度へ動くのが見えた。ユイナは足を戻し、開いた距離を残した。
当たった。
ユイナは拳を引いた。
追わない。
踏み込みたい衝動を抑え、セナの次の射撃を待つ。
「もう一度!」
セナは配置を変えた。
正面から押す弾と、横へ回る弾。その順番を入れ替える。
ユイナは、空いた一方を塞ぐように踏み込んだ。
今度は、先に横へ回る光が見えた。魔星がそこを警戒して身体を寄せれば、正面の射撃が通る。逆へ抜けるなら、自分の拳が待っている。
ユイナは大きく腕を振らなかった。倒すための勢いを抑え、踏み込める幅を残す。魔星が止まった瞬間、後ろから放たれた一発と、自分の拳が同じ場所へ届くように。
魔星が肘で拳を受けた。
返ってくる掌をかわし、ユイナは短い蹴りを放つ。
その足を受け止めるため、魔星の腰が沈む。
セナの射撃が、胸部へ命中した。
ドォンッ!
「っ……よし!」
ユイナはすぐに距離を取り直した。
衝撃の中から、魔星が姿を現す。
肩と胸の装甲には、浅い傷が刻まれていた。
セナは光の消えた胸元を確かめた。命中した場所を見失わなかったのは、ユイナがすぐ横へ抜けてくれたからだ。次を撃てる。前で戦う彼女の呼吸を待ってから判断する必要もなかった。
小さく息を吸う。手元の震えが、さっきより静まっていた。二人の間に空いている距離が、離れていることを意味しなくなっていた。
倒せてはいない。
だが、通じている。
「良い」
魔星が言った。
「一人の動きへ、もう一人を継ぎ足すのではない。二人で、ひとつの間合いを作ったか」
「まだ、終わってないよ!」
「無論だ」
赤黒い拳が握られる。
肩の傷へ触れることも、胸を庇うこともしない。魔星は、二人の立ち位置を見比べた。右足の爪先が、ほんの僅かに正面へ戻る。
ユイナはその変化を見た。構えが低くなるわけではない。それなのに、さっきまでこちらの動きを待っていた掌が、今は自分へ届く場所を測っている。背中の汗が冷えた。
「ゆえに、こちらも変える」
◇
魔星が、一歩前へ出た。
速い突進ではなかった。
セナには、そう見えた。
だが、射撃を放った瞬間、その一歩が持つ意味が変わった。
狙いは同じ胸元だった。外してはいない。ところが、着弾するはずの場所がこちらへ近づいてくる。魔星は弾を見てから逃げる足を探していなかった。受ける腕と、次に置く足を、もう決めている。
セナは二発目の角度を変えた。それでも一発目の光は取り消せない。その白い明滅の陰に、魔星の足が隠れた。
ユイナが横へ動く。
避ける場所を塞ぐために。
魔星は、避けなかった。
「ぬん!」
両腕の前へ魔力が集まり、正面の弾を防いだ。
爆発の光へ、赤黒い身体が踏み込む。
ユイナが塞ぐつもりでいた横の道を使わず、まっすぐ間合いを詰めてきた。
「ユイナ、戻って!」
セナは射撃を止めた。
魔星の接近先に、ユイナがいる。
この角度で撃てば、味方まで巻き込む。
止めた指が硬くなる。ユイナが避ける先へ弾を置けば、彼女の退路まで奪う。いま必要なのは手数ではなかった。
セナは左へ一歩動いた。撃てる角度を探すためだ。だが、魔星も同じ側へ身体を寄せる。ユイナの肩と赤黒い腕が重なり、開きかけた射線がまた閉じる。狙わせてもらえないという感覚が、初めて背筋へ届いた。
魔星の拳が伸びた。
ユイナは両腕を交差させる。
ガァンッ!
防御が鳴った。
一撃を受けた腕の下から、もう一方の掌が入ってくる。
「っ、させない!」
ユイナは肘を落とした。
受ける。
だが、魔星はそこで押し込まなかった。
腕へ触れたまま斜めへ踏み出し、ユイナの身体を回した。
視界の向きが変わる。
足元が追いつかない。
押さえられた腕を引こうとすると、肩がさらに回される。ユイナは歯を食いしばり、力を込めるのをやめた。相手の手を振りほどくことだけ考えたら、脚まで追いつかなくなる。
踏み直そうとした靴底が、小石を弾いた。正面にいたはずの魔星が、もう自分の斜め横にいる。引くより先に、身体ごとそこから離れるしかなかった。
魔星の肩が、正面へ迫った。
「くっ!」
ユイナは衝突の直前に脚部を噴射した。
自分から後ろへ飛び、押し出される勢いを逃がす。
着地は乱れた。それでも倒れず、両足で地面を掴む。
セナがすぐに射撃を再開した。
魔星は腕で一発を防ぎ、次をかわした。
ユイナの位置が戻ったことで、再び正面へ進めなくなる。
着地した足首へ鈍い痛みが走った。ユイナは膝を曲げて堪え、前へ倒れかけた上体を起こす。目だけでセナを探すと、こちらを見ずに射撃を続けていた。
今、駆け寄られたら二人とも間合いへ入れられていた。飛んでくる光が魔星を一度止める。その一呼吸を使って、ユイナはようやく両腕を構え直した。
「……危なかった」
ユイナが息を吐いた。
セナは返事をする代わりに、相手の足を見る。
避けさせるつもりだった。
けれど、魔星には受けて進む選択がある。
回避先を塞ぐだけでは、前進を止められない。
「あの人、こっちが何をさせたいのかまで見てる」
ユイナが呟いた。
「はい。ですが、全部を無傷で受けているわけでもありません」
浅い傷は残っている。
魔星が十分に耐えられると判断した攻撃だから、踏み込めたのだ。
セナは傷の位置と、さっき進んできた足の幅を重ねた。魔星は射撃を無視したのではない。どこへ受ければ前へ出られるかを選び、必要な分だけ腕で防いだ。
同じ弾を増やせば、また同じ場所を通られる。照準を細かく直すだけでは足りない。受け止めるために構えを保たせる。その間に、ユイナが離れられるだけの余裕も要る。
ならば、受けて進むことにも代償を伴う一撃を通す。
それには、準備する時間が必要だった。
「ユイナ。もう一度、前をお願いできますか」
ユイナは口元を拭い、頷いた。
「任せて」
「今度は、私があなたを待ちます」
「……うん」
勢いのよい返事をしなかったのは、疲れだけではない。
その言葉に託されたものが分かったからだった。
さっきまでなら、任せてと言った勢いのまま走れた。今は、脚の震えも息の浅さも分かっている。長くは持たない。それを隠して時間を約束すれば、セナの判断まで誤らせる。
「長くは、無理だよ」
「はい。一度で合わせます」
ユイナはその返事を聞いてから、前を向いた。何度もやり直せる作戦ではない。だからこそ、まだ動くこの脚を、どこで使うか決められた。
◇
ユイナは拳を構えたまま、魔星へ近づいた。
全速ではない。
自分から飛び込めば、そこを使われる。
踏み込みを途中で止められる速さで、距離を縮めていく。
距離が縮まるほど、魔星の姿が視界を占める。肩の傷より、開いた指先へ目が行きそうになる。ユイナは相手の胸元へ視線を戻した。腕だけ見れば、足の踏み替えを見落とす。
後ろでセナが構え直す気配がした。振り返らない。前を任せたと言われたのだ。いま自分が見なければならないのは、目の前の一歩だった。
「お主は、なぜ退かぬ」
魔星が問うた。
「勝てぬ相手を前に、退くのも戦いだ」
「……分かってる」
ユイナは答えた。
「でも、ここを任されたから」
「組織に、か」
「後ろにいた人たちに」
魔星の視線が、僅かに動く。
背後の足音は、先ほどより遠くなっていた。傷ついた局員を支え、声を掛けながら退いていった人たち。その姿を、ユイナは肩越しにしか見ていない。
自分たちがここで止めると言った。その言葉で背を向けてくれた人がいる。魔星が追わなかったことには助けられた。それでも、自分で引き受けた言葉まで、なかったことにはできなかった。
「はちちゃんとも、話したい。あなたが守りたいのは分かった。でも、あたしたちにも会わせてほしい」
「主を捕らえるためではないと、言い切れるか?」
ユイナは拳を握り直した。
任務と、自分の願い。
その全てを同じものとして、言い切ることはできなかった。
会えたら何と言うのか、まだ決められていない。どうして、と問い詰めたい気持ちもある。無事だったと知って、ほっとした気持ちもある。そんな顔を、あの小さな少女に一度に向けてしまうかもしれない。
でも、こちらが聞きたいことを並べれば、それで話を聞いたことになるのだろうか。魔星に問われて初めて、自分の願いの曖昧さが喉へ引っかかった。
「……分からないことまで、約束はしない」
魔星の拳が、静かに上がる。
「でも、話を聞く前に、敵だって決めたくない」
はちが何をしたのか。
自分たちが何をしてしまったのか。
聞かなければ分からないことがある。
「だから、ここで黙って引き返したくないんだ」
「そうか」
魔星が頷いた。
「その答えは、覚えておこう」
肯定されたわけではなかった。道を譲ってもらえるわけでもない。それでも、ユイナは息を吸い直せた。約束できないことを誤魔化さずに答え、そのまま受け取ってもらえた。
魔星の掌がわずかに伏せられる。話が終わる。ユイナは足裏へ重さを戻した。相手の言葉を聞くことと、次の一撃を防ぐこと。その両方を、今は手放せなかった。
次の瞬間、拳が来た。
ユイナは右へ流す。
足を入れ替え、左を返す。
防がれた腕を引き、脚を振り抜いた。
ガンッ!
接触した装甲から火花が散る。
魔星の肘が迫り、ユイナは身を沈める。
頭上を抜ける風を感じながら、そのまま拳を短く突き上げた。
胸部へ命中。
だが、浅い。
拳を通した右肩へ、硬い感触が返った。魔星は退いていない。打たれた胸を僅かに斜めへ向け、こちらの腕が最も伸びる場所を外している。
もう半歩入れば強く打てたかもしれない。だが、その足を出せば、すぐ脇にある掌に捕まる。ユイナは欲を切り、踵を地面から離した。ここで倒すことが、いま引き受けた役目ではなかった。
魔星の左手が、伸びた腕を押さえに来る。
ユイナは肘を曲げ、すぐに抜いた。
掴まれる直前だった。
「ぬう……!」
魔星が前へ出る。
ユイナは下がった。
下がりながら、防ぐ。
拳を受ける腕が痺れ、息が切れる。
右、左と受けるうちに、両腕の高さが揃わなくなる。魔星の拳は同じ場所へ来なかった。額の前へ上げた防御の下を掌が通り、脇を締めれば肩口へ短い一撃が来る。
ユイナは歯を噛み、脚部の出力を細かく切り替えた。大きく跳べば楽になれる。けれど、ここで間を空ければ魔星はセナへ進める。靴底一枚の距離を稼ぐように、足を刻んだ。
それでも、視線は相手の胸へ戻し続けた。
魔星の爪先が外へ開く。ユイナは先に腰を落とした。横へ伸びた蹴りが腕を擦り、身体が傾く。倒れそうになった勢いを使って斜めへ抜け、短く拳を返す。魔星の掌がそれを受けた。
押し合えば負ける。ユイナはすぐに肘を引いた。両者の間へ砂が落ちる。ほんの一瞬の空白の間に息を継ぎ、もう一度だけ、足を踏み直した。
セナは撃たない。
射撃部へ魔力を収束させ、構えを崩さずにいる。
ユイナを助けるために、今すぐ撃ちたかった。
だが、半端な一発を放てば、作ってもらった時間を失う。
収束する光が手元を白く染めていく。十分な魔力を集めても、撃つ場所がなければ意味がない。ユイナが動くたび、セナは銃口を僅かにずらした。
見えているのは、その背中だけではなかった。受けた後に沈む膝、地面を擦る踵。あと何度防げるのかを数えたくなる。セナは唇を結び、ユイナの肩が射線から外れる瞬間を見続けた。
待つ。
ユイナが、自分を信じて前にいる。
後ろへ声を掛ける余裕は、もうないのかもしれない。だからこそ、名前を呼ばれるまで待つだけでは遅かった。
セナは照準を、魔星の今の位置から僅かにずらした。ユイナが右足を置ける場所が一つ残っている。そこへ踏み込めたら、相手の上体はどちらへ向くのか。二人の足の間にある細い隙間へ、光を送る準備を整えた。
魔星の拳が、ユイナの右腕を押し下げた。
続く掌が胸元へ向かう。
ユイナは逃げなかった。
「ここだあっ!」
左の前腕で掌を受け、右足を相手の外側へ置いた。
押し込まれる力を、斜めへ逃がす。
踏ん張った両脚のギアが唸った。
崩す。
一瞬でいい。
セナの一撃が届く、その瞬間だけ。
受けた左腕が軋む。正面からなら、絶対に押し切られる。ユイナは腰を引かず、置いた右足を支えに身体の向きだけを変えた。掌を押し返そうとするのではなく、その先から胸を外す。
魔星の足が地面を捉え直す。止めておけるのは、そこまでだ。ユイナは残った力を脚へ流した。自分が立ち続けるための魔力も、いまはその一歩へ注ぎ込んだ。
魔星の肩が、射線へ開いた。
「セナ!」
呼ぶより先に、ユイナは横へ跳んでいた。
「撃ちます!」
収束した光が、ルミナス・エッジから放たれる。
正面へ向き直る魔星を、光の塊が捉えた。
撃った瞬間、支えていた腕が後ろへ押された。セナは膝を曲げ、照準を保つ。光の手前を、ユイナの髪が横切って消えた。
間に合った。そこまで確かめてから、肩に入っていた力が抜けかける。けれど視線は外せない。直前に魔星の両腕が動いた。防御を間に合わせたかどうかを、白い光の中では見届けられなかった。
ドォォンッ!
乾いた地面が揺れた。
砂と砕けた小石が舞い、赤黒い輪郭を隠す。
ユイナは着地した。
片膝をつきながら、正面を見た。
セナも射撃を終え、息を詰めて煙の奥を見つめる。
ユイナの掌に、小石が食い込んだ。痛みは遅れて来た。それより先に、脚へ回す魔力がうまく集まらないことが分かった。
立て、と胸の内で急かす。煙が晴れるより先に動かなければならない。だが、腕を伸ばすたび腹の奥が引きつり、吸い込んだ息が止まる。最後に踏み込む力まで使ったことを、身体が今になって訴えていた。
その向こうから、一歩。
重い足音が響いた。
「……見事」
魔星が現れた。
胸部に受けた攻撃の痕があった。
両腕を前へ揃え、防いだ姿勢が、ゆっくりと解かれる。
止まってはいない。
胸の傷は、先ほどの二発より深い。受け止めた前腕にも光の痕が残っている。何も起こらなかったわけではない。それなのに、魔星の足運びは崩れていなかった。
セナはもう一度、射撃部を上げようとした。指先が震える。次の一発に必要な魔力を集める間に、赤黒い足が砂を踏む。待たせておけるユイナの一歩は、もう残っていなかった。
ユイナは立とうとした。
踏み込んだ瞬間、膝が震えた。
気づけば、魔星がもう前にいる。
拳が伸びる。
ユイナは両腕を上げた。
だが、魔星はその手首を押し上げ、足を一歩深く入れた。
防ごうとした形を、そのまま上へ持っていかれる。ユイナは肘を下げようとしたが、踏み込まれた足が近すぎた。腰を引けば倒れる。横へ抜けるために蹴る地面も、足の下からずれていた。
見えているのに、追いつかない。最後まで魔星の胸を見据えたまま、ユイナは腹部の防御へ残る魔力を回した。
「終いだ」
開いた掌が、腹部の防御を捉えた。
指を広げたまま密着し、踏み込んだ足から腰、肩へと力が通る。
逃げる間もなく、掌の一点へ集まった魔力が、短い衝撃となって弾けた。
「っ……!」
ユイナの脚から力が抜けた。
倒れ込む身体を、魔星の腕が受け止める。
地面へぶつかるはずの頭が、落ちなかった。支えた腕の硬さを、頬の横で感じる。ユイナは息を吐こうとしたが、声にならない空気だけが漏れた。
まだ終わっていない。セナがいる。そう伝えたいのに、指さえ思うように動かせない。魔星の腕から逃れようとする力もなく、ただ後ろへ目を向けた。
「ユイナ!」
セナは照準を向け直した。
撃てない。
ユイナが近すぎる。
魔星はユイナを地面へ横たえた。
その動きの途中から、もうセナへ顔を向けていた。
セナは後ろへ跳ぶ。
射撃部を分け、接近する相手の足元と肩を狙う。
光が走った。
魔星は一発を防ぎ、残る射線へ斜めに入った。
セナはさらに下がる。
だが、先ほどの一撃へ注いだ魔力と、長く続いた戦闘が、身体の動きを鈍らせていた。
足元へ置いた弾は、魔星を止める直前に掠められた。肩を狙った一発の外へ上体が傾く。そのまま歩幅が変わり、次に狙った場所にはもう身体がない。
前へ出るユイナがいた時には、そこを好きには通れなかった。セナは空いた横手を狙い直す。だが、自分の後退より、相手が斜めへ進む距離の方が大きかった。
射撃部を支える腕へ、掌が触れる。
銃口が上へ逸れた。
「……っ!」
目の前へ拳が迫る。
セナは防御へ魔力を回した。
衝撃が胸元で弾け、身体が後ろへ倒れる。
地面に背をついた時、呼吸が途切れた。
痛い。
けれど、意識はある。
視界の上を、明るい空が占めた。地面へ置いた手に力が入らない。セナは開いた口で一度、二度と息を探し、ようやく細い呼吸を取り戻した。
銃口は魔星から外れていた。向け直すための腕が上がらない。相手はそこへ手を伸ばすことさえせず、セナの目を見て、静かに拳を引いた。
魔星は、それ以上打たなかった。
◇
ユイナが、ゆっくりと顔を動かした。
「……セナ」
「います」
近くから声が返る。
それを聞いて、ユイナは大きく息を吐いた。
どちらかがすぐに立てるわけではなかった。それでも、返事があった。途切れずに言葉を返せる。それだけで、ユイナの肩から力が抜けた。
遠くで誰かを呼ぶ声がする。別の場所でも戦いが続いているのだろう。助けに行きたいと思った途端、自分の掌がまだ地面を押せていないことに気づいた。
二人の間に、魔星が立っていた。
拳は下ろされている。
「まだ続けるか」
ユイナは、起き上がろうと腕へ力を込めた。
震えて、止まる。
「……悔しいなあ」
今の一撃は、届いた。
セナと二人で作った攻撃は、確かに魔星を捉えた。
それでも、勝てなかった。
一度も触れられなかったのなら、力の差だけを悔しがれたかもしれない。けれど、二人で考えて変えたことは通じた。あの瞬間、魔星の肩は確かに開いた。
届いたからこそ、分かることがあった。その先にもう一度動く余裕を残せなかった。成功した攻撃の後まで戦いは続くのだと、今は地面の硬さと一緒に思い知らされていた。
セナが、息を整えて口を開く。
「これ以上は……戦えません」
自分だけではない。
隣のユイナも、もう限界だった。
それを認めて、次に何をすべきかを考えることも、自分の役目だ。
続けたいかと聞かれれば、頷いてしまいそうだった。まだ銃口を向けたい。その気持ちが、セナにも残っている。
だが、いま無理に立っても、ユイナのそばへ戻れるとは限らない。自分が倒れ直せば、状況を伝える声も失う。セナは射撃部へ送っていた魔力を止めた。空いた分を防御の維持へ回し、通信を確かめた。
「負傷者の搬送を要請します。妨害は……」
「せぬ」
魔星は即答した。
セナは通信を開き、場所と二人の状態を伝えた。
応答を聞き終え、ゆっくりと腕を下ろす。
伝える言葉を短く区切った。応答の向こうへ息切れまで届いている。それでも、二人とも意識があること、戦闘を続けられないことは、はっきり言えた。
通信を終えて顔を上げると、魔星は二人から少し距離を取っていた。進路を塞ぐ位置は変えていない。救援が来ても、奥へ進まなければ戦うつもりはないのだと、セナはその足元を見て思った。
「主から、人の命を奪うなと頼まれている」
魔星が言った。
ユイナはその顔を見上げた。
「……やっぱり、はちちゃんだ」
その名を口にすると、別の悔しさも胸へ浮かんだ。
会いたいと思いながら、会うところへさえ辿り着けなかった。
あの時、もっと話しておけばよかった。訓練場で顔を合わせた短い時間の中に、今なら聞きたいことがいくつもある。
だからといって、はちの考えを分かったとは言えなかった。優しかったから、全部違うはずだと決めつけることもできない。それでも、命を奪わないでほしいと頼んだ声なら、知っている少女の声で思い浮かべられた。
「魔星」
「何だ」
「はちちゃんを……お願いね」
相手に何を頼んでいるのだろうと、自分でも思った。
それでも、ユイナは続けた。
「あたしたちの話、聞いてほしいって思ってる。でも、今あの子のそばにいるのは、あなただから」
魔星は黙っていた。
ユイナの目にも、セナの目にも、勝てなかった相手への悔しさが残っている。
その上で、主を案じていた。
魔星は、答えを急がなかった。主を守るために塞いだ道の手前で、その主を頼むと言われている。二人を倒したことと、その願いを受け取ることの間には、まだ硬い拳ひとつ分の距離があった。
ユイナは目を逸らさない。セナも止めなかった。いまこの場を通せと要求する声ではない。それを確かめ、魔星は胸の前で握っていた手を下ろした。
「……引き受けよう」
赤黒いレグナムは、静かに答えた。
「お主らが、話を聞くために会いたいと言ったこともな」
ユイナは口元を緩めた。
「次は……もっと強くなるから」
「その時は、立ち合おう」
ユイナは笑おうとして、途中で顔をしかめた。腹が痛む。それでも、言葉を取り消す気にはならなかった。
セナは隣で小さく息を吐いた。次がいつになるか、同じ場所に立てるかも分からない。今はただ、ユイナが次を口にできたことが嬉しかった。負けたまま閉じてしまいそうだった時間が、その一言で少し先へ伸びた。
魔星が背を向ける。
少し離れた場所で足を止め、周囲を見渡した。
まだ役目が終わったわけではない。
だが、そこを通さぬために倒した相手へ、再び拳を向ける必要もなかった。
セナは空を見上げた。
今は、搬送を待つしかない。
いろはたちは、どこまで進んだのだろう。
セナは横へ目を向けた。ユイナの呼吸は少しずつ落ち着いている。手を伸ばせば届きそうな距離なのに、その僅かな動きにも胸が痛んだ。
今は無理に近づかず、声を掛けよう。最初の射撃を任せてくれたこと。最後まで前にいてくれたこと。伝えたい言葉を探しているうちに、いちばん確かな一つが残った。
「ユイナ」
「……ん?」
「最後の連携。合っていました」
ユイナは一度、目を閉じた。
それから小さく頷く。
「うん。次は、もっと合わせる」
ユイナの指が、砂の上を僅かに動いた。セナも手を伸ばす。互いの手にはまだ届かなかったが、その動きは見えた。
遠くから、搬送に向かう者の声が届く。二人は進路の奥ではなく、その声の方へ顔を向けた。ここで果たせなかった役目を、今の自分たちにできることへ渡すために。セナはもう一度、こちらですと声を上げた。
少し離れた場所で、その声を聞いた魔星は、握っていた拳を静かにほどいた。
――第22話 END――




