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転生した主人公が次元神になる  作者: ヘルカイザー
第1部

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第20話 未来を勝ち取れ



 AEGISが再建されてから、一か月が過ぎた。


 かつてと全く同じ部隊ではない。


 所属も、権限も、与えられた任務も変わっている。


 それでも、天城いろはたちにとって、そこは安藤はちが帰ってこられるもう一つの家だった。


 再建されたという事実だけで、失った時間が戻るわけではない。ここに帰ってきてほしい相手は、今も自分たちから離れた場所にいる。それでも、戻れる場所を形にできたことには意味があると、いろはは思いたかった。はちの席を心の中に残して待つだけの日々から、一歩は進めたはずだった。


 いろはは毎日のように考えている。


 どうすれば、はちへ自分の気持ちを伝えられるのか。


 謝りたい。


 もう裏切らないと伝えたい。


 何よりも、今でも家族になりたいと思っていることを、もう一度きちんと話したい。


 伝えたいことは、考えるたびに増えていく。けれど、口にしたい言葉の数が、そのまま信じてもらえる理由になるわけではなかった。最後に会った時も、いろはは必死だった。必死に願うだけでは届かなかったことを覚えているから、次の言葉を簡単には選べなかった。


 だが、はちはガーディアンの人間を信用していない。


 再会できたとしても、話を聞いてくれる保証はなかった。


「アステリオン……」


 いろはは、はちから託された精霊カードを手に取った。


 星護竜アステリオン。


 言葉を交わすことはできない。


 それでも、はちの手紙には、アステリオン自身がいろはの力になりたいと望んだことが記されていた。


 カードへ落とした視線が、しばらく動かなかった。はちの言葉を思い返す時には、どうしても拒絶された瞬間が先に浮かぶ。けれど、この一枚を贈ってくれたのも、あの子自身だった。自分の未来を願ってくれた気持ちまで見失わないよう、いろははそっとカードを持ち直した。


「あなたの言葉は分からないけど……」


 いろはは小型召喚端末を腕へ装着した。


 カードを表向きにセットする。


「一度、ちゃんと会ってみたい」


 端末から星のような光があふれた。


 室内の空間が淡く揺らぎ、白銀の光をまとった竜が静かに姿を現す。


 淡い輝きが、カードだけを見つめていた視界へ広がっていく。現れた白銀の姿を前にして、いろはは一瞬、呼吸を忘れた。助けてほしいと願った相手が、今、目の前にいる。どんな言葉から始めればいいのか分からないまま、自然と、その名が唇に上った。


「アステリオン……」


 いろはが名を呼ぶと、アステリオンは大きな頭をゆっくり下げた。


 そして――。


 すり……。


 鼻先を、いろはの頬へ優しく寄せる。


 近づいてくる大きな頭を、いろはは身じろぎもせず見上げていた。頬に触れた感触は、その姿の大きさから想像するよりずっと優しかった。自分を怖がらせないようにしてくれているのだろうか。言葉で確かめられない思いやりが、張りつめた頬へゆっくりと伝わってくる。


「えっ……?」


 もう一度、すりすりと頬を撫でられ、いろはの強張っていた表情が僅かに緩んだ。


「慰めてくれているの……?」


 問いかけに応えるように、アステリオンは小さく喉を鳴らす。


 次の瞬間、温かな舌がいろはの頬をぺろりと舐めた。


「わっ……ふふっ」


 いろはは驚きながらも、アステリオンの鼻先へ両手を添えた。


 添えた手のひらの先に、確かな存在があった。頬を舐められた驚きの後に、思いがけず笑いがこぼれている。笑った自分に気づいて、いろはは少し目を細めた。はちのことを考える時間の中に、こんなふうに息を緩められる瞬間が残っているとは思わなかった。


「ありがとう、アステリオン……」


 はちから託された精霊が、今も自分を拒絶せずに寄り添ってくれている。


 それだけで、僅かな希望が生まれた。


 この温もりを受け取ったからといって、はちへ届く方法が分かったわけではない。アステリオンが自分に寄り添ってくれることと、あの子が自分を受け入れてくれることは、別に考えなければならなかった。それでも、何も届かないと思い詰めていた胸に、もう一度向き合う力が少し戻ってきた。


 まずは、はちに会う。


 戦うためではない。


 自分の本当の気持ちを伝えるために。


 そう決意した瞬間――基地内へ鋭い警報音が鳴り響いた。


『緊急警報。所属不明の人型戦力を確認』


 直後、ノエルから通信が入る。


『いろはさん! 以前確認された人型レグナムが現れました!』


 温かな時間を断ち切る音に、いろはの身体が先に反応した。通信の向こうの切迫した声へ意識を集中させる。その名を聞かなくても、以前確認されたという言葉が、あの日の戦場の姿を呼び戻していた。はちのそばにいた存在が、再び現れたのだ。


「……!」


 はちが造った存在。


 ならば、はちの居場所を知っている可能性が高い。


「了解! 直ちに現場へ向かいます!」


 いろははアステリオンのカードを端末へ戻し、アークレイを手に取った。


 今度こそ、手掛かりを失うわけにはいかない。


 胸に生まれた希望と、警報が告げる危険を、どちらも抱えて動き出す。現場で何が起きているのかを、先に確かめなければならない。いろははアークレイを握り直した。はちへ近づきたい気持ちが強いからこそ、目の前で助けを必要としている人を見落とすわけにはいかなかった。


     ◇


 現場へ到着したいろはは、上空で息を呑んだ。


「これは……」


 地面には、複数のガーディアン局員が倒れている。


 破損したデバイス。


 抉られた地面。


 岩壁には、鋭い魔力刃で斬りつけられたような跡が残っていた。


 だが、倒れている局員たちの魔力反応は安定している。


 誰も命を奪われていない。


(手加減している……?)


 安堵するより先に、傷ついた地面と倒れた人々との間にある差へ目が向いた。これだけの破壊を起こしながら、命は奪っていない。その理由はまだ分からない。相手の力も意図も決めつけられないまま、いろはは眼下に残された戦いの痕跡を見渡した。


 戦場の中央に、一体の人型レグナムが立っていた。


 赤黒い装甲。


 背中に広がる、悪魔を思わせる翼。


 左腕には鞭状の武装を備えた盾。


 右手には、周囲の空気を震わせる巨大な魔力刃。


 W.レグナム《バティオス》。


 以前、はちとともに危険遺物を破壊した存在だった。


 はちの傍らに立っていた時の姿が、目の前の赤黒い装甲と重なる。危険遺物を前にした動きも、無人兵器を相手にした力も見ている。その相手へ近づくということが何を意味するのか、いろはは分かっていた。それでも、はちにつながるこの出会いから退くことはできなかった。


 いろはは倒れた局員たちとは異なる場所へ降り立ち、アークレイを構える。


 互いの距離は、およそ三十メートル。


「ガーディアン局員、天城いろはです」


 声を張りながらも、照準は僅かに外している。


 すぐに撃つ意思がないことを示すためだった。


 三十メートルの隔たりの先で、巨大な刃が視界に入っている。照準を外しても、身を守る備えまで解くことはできなかった。声を届かせるための距離と、攻撃へ対応するための距離。その両方を意識しながら、いろはは相手の反応を待った。


「無駄な抵抗はやめてください」


「来たか……」


 バティオスは魔力刃をゆっくり下ろし、いろはへ身体を向けた。


 武器を収めたわけではない。


 切っ先は地面のすぐ上にあり、いつでも振り上げられる位置で止まっている。


 刃が下がったことで、すぐに襲いかかってくる気配は薄れた。だが、向き直った姿から油断はできない。いろはは、相手が話すつもりでいることだけを受け止めた。今なら問いを投げかけられる。武器の存在を忘れずに、まずは目の前の出来事から尋ねた。


「どうして、この人たちを襲ったのですか?」


 いろはは倒れた局員たちへ一瞬だけ視線を向け、すぐにバティオスへ戻した。


「理由があるのなら、話してください」


「平和のためだ」


「……平和?」


 その答えは、目の前の光景とあまりにもかけ離れている。


 倒れた局員たちがいる。その横で、平和という言葉が告げられる。聞き間違いではないと分かっても、いろはにはすぐに意味が結びつかなかった。はちも同じように考えているのだろうか。その疑問が胸へ浮かび、次の言葉を待つ間の沈黙が、ひどく長く感じられた。


「意味が分かりません」


「すまない。言葉が足りなかったようだ」


 バティオスは少し考えるように首を傾けた。


「いろはか。私の名はバティオス」


 赤い双眼が、真っ直ぐにいろはを捉える。


「知ってのとおり、安藤はちによって造られた人型レグナムだ」


 敵対しているにもかかわらず、その名乗り方は驚くほど礼儀正しかった。


 問いかけに応じ、自らの名を示す。その落ち着いた振る舞いは、目の前の惨状と並べるほど、いろはを戸惑わせた。対話ができない相手ではないのだ。そう思う一方で、だからこそ、これから告げられる言葉を曖昧なものとして聞き流すことはできなかった。


 いろはは警戒を解かず、問いかけを続ける。


「では、バティオスさん。先ほどの『平和のため』とは、どういう意味ですか?」


「我が主が望んでいることだ」


 バティオスの声が低くなる。


 魔力刃の周囲で、赤黒い光が揺れた。


「世界を平和にする。そのためには――ガーディアンを潰すしかない」


「……!」


 はちが、本気でガーディアンを滅ぼそうとしている。


 危険遺物を破壊した時から予想していたことだった。それでも、はちの仲間からはっきり告げられると、胸が苦しくなる。


 はちの怒りを知らないわけではない。自分たちがしたことも、その怒りが向けられる理由も分かっている。それでも、組織を潰すという言葉の先には、今ここで倒れている人たちと同じような誰かがいる。あの子の痛みを受け止めることが、このまま黙って見送ることにはならなかった。


「そんなことは間違っています!」


 いろはは一歩前へ出た。


「はちちゃんは、どこにいるんですか? 会って話をさせてください!」


「居場所を聞いて、どうする?」


 バティオスが魔力刃を僅かに持ち上げる。


「主を捕らえるのか? 以前、お前たちがしようとしたように」


 持ち上がった刃よりも、その問いの方がいろはの足を止めた。会わせてほしいと願う自分が、相手にはどう映っているのか。ここにいるのはガーディアンの局員であり、かつてはちを捕らえようとした本人だ。その事実を、一言の否定で遠ざけることはできなかった。


「どうして、それを……」


「主から聞いた」


 いろはの胸に、あの日の記憶が蘇る。


 偽りの証拠を信じ、はちの言葉を遮ってしまった自分。


 泣きながら「信じていたのに」と告げたはち。


 あの日、自分は確かめるべき言葉を聞かなかった。はちが何を訴えているのかより、目の前へ示された証拠を信じた。バティオスはその場にいなかった。それでも、はちから聞いたことを、自分自身の怒りとして向けている。いろははその声から、かつて背を向けてしまった悲しみを聞いた。


 バティオスの声には、明確な怒りが込められていた。


「勘違いするな。これは主から命じられた感情ではない」


「えっ……?」


「主は、私たちへ何も強制していない。命令に従うだけの道具ではなく、自ら考え、選ぶ自由を与えてくれた」


 バティオスは胸へ拳を当てる。


「ゆえに、これは私自身の意思でもある」


 はちのために怒り、はちのために戦っている。


 造られた兵器ではなく、一人の仲間として。


 造った者の意向を繰り返しているだけではない。バティオスは、自分の考えとして言葉を選んでいた。そのことが、いろはには重く響いた。はちのそばにいる相手が、はちを大切に思っている。その安堵さえ、今は自分の願いを遮る強い意思と、切り離して受け止められなかった。


「では……はちちゃんの居場所は、教えてくれないのですね」


「そうだ」


 迷いのない即答だった。


「だが、主が何をしようとしているのかは教えてやれる」


「どういうことですか?」


 いろはは眉を寄せる。


「居場所を隠すのに、目的は話すのですか?」


 居場所だけは明かさないという姿勢に、変化は見えない。それなのに、目的なら話せるという。情報を引き出せるかもしれない期待と、そう言い切れる理由への警戒が同時に生まれた。いろははその場を動かず、肩へ担がれた刃の先と、バティオスの顔を視界に収め続けた。


「簡単なことだ」


 バティオスは魔力刃を肩へ担いだ。


「知られたところで、お前たちガーディアンに主を倒すことはできない」


「…………」


 悔しいが、否定できなかった。


 次元へ攻撃を逃がし、任意の位置から撃ち返す能力。


 いろは一人では、触れることさえできなかった。


 反論しようとしても、先の戦いが浮かんでしまう。狙いが届かず、思いもよらない場所から攻撃が返ってきた時の感覚は、今も身体が覚えていた。だが、勝てないかもしれないという恐怖と、何もしなくてよいという判断はつながらない。いろはは一度、短く息を吸った。


「それでも、放ってはおけません」


 いろははアークレイを強く握る。


「次元神の力は、暴走すれば全世界を滅ぼすかもしれない。私は、はちちゃんを止めたいんじゃありません」


 バティオスから視線を逸らさず、はっきりと告げる。


「はちちゃんを助けたいんです」


 力の危険を口にすれば、はちを危険な存在として扱っているように聞こえるかもしれない。それでも、その先であの子自身が傷つく可能性を、いろはは無視できなかった。会いたい理由を、もう一度言葉にする。捕らえるために来たのではないと、正面の相手へ伝わることを願った。


「ならば、なおさら教えることはできん」


 バティオスの翼が僅かに開いた。


 周囲の砂埃が、吹き始めた風に巻き上げられる。


「お前たちは一度、主を裏切った。理由が何であれ、その事実は変わらない」


「それでも!」


「『それでも』ではない!」


 バティオスの声と同時に、翼から魔力が噴き上がった。


 空気が震え、いろはの髪が激しくなびく。


 激しい風に、いろはは目を細めた。発しかけた言葉の続きを、飲み込む。理由を話せば分かってもらえるという願いが、バティオスの怒りの前で止められていた。事情がどうであれ、傷ついたはちがいる。そのことをまず受け止めろと、声だけでなく、目の前の姿全体が訴えているようだった。


「主はお前たちを許している。だが、私は許していない」


 魔力刃が持ち上がり、その切っ先がいろはへ向けられた。


「仲間たちも同じ気持ちだ」


 許しているという言葉に、胸が揺れた。はちが自分たちをどう思っているのか、会えなくなってから何度も考えた。その一端を知ることができても、今すぐ喜ぶことはできない。許された側の自分が、その言葉を理由に、目の前の怒りまで消そうとしてはいけないと思った。


「どうしても……話し合いでは無理なのですか?」


 できることなら、はちを大切に思う者同士で争いたくない。


 だが、バティオスは首を横へ振った。


「無理だ。私は、主を守るために生まれた存在」


 一度言葉を切り、静かに付け加える。


「もっとも、それを強制されたことはないがな」


 守るために生まれたと語る声に、ためらいはなかった。そして、その道を自分で選んでいることも、続く一言には込められている。いろはは、説得すべき相手を改めて見つめた。ここを越えたいなら、バティオス自身が抱いている思いと向き合わなければならなかった。


 そしてバティオスは、翼を大きく広げた。


「一つ、教えておこう。ここにいる私以外の仲間も、別の場所でガーディアン局員と戦っている」


「……何ですって!?」


 胸の中で、別の場所という言葉が重く広がった。目の前に倒れた局員たちの姿がある。同じような戦いが、今もどこかで続いているのかもしれない。はちの居場所を尋ねることへ向けていた意識が、助けを待っているかもしれない仲間たちへ一気に引き戻された。


 いろはは反射的に通信を開こうとした。


 同時に、救援へ向かうため地面を蹴る。


 次の瞬間――バティオスの姿が視界から消えた。


 シュンッ!


「っ!?」


 翼の推進光が赤い線を描き、バティオスがいろはの進路上へ回り込む。


 巨体からは想像できない加速。


 着地と同時に地面が砕け、衝撃がいろはの足元まで走った。


 進もうとしていた先を、赤黒い装甲が塞いでいた。跳び出す直前まで確かに正面にいた相手が、もうそこにいる。いろはは足元へ走った衝撃に姿勢を整え、視線を上げた。速さを知識として警戒しているだけでは、今の動きに追いつけなかった。


「行かせると思うか?」


 バティオスが魔力刃を横へ振る。


 直接当てるためではない。


 刃から放たれた斬撃波が地面を抉り、いろはの前へ深い亀裂を刻んだ。


 土と細かな石が跳ね、進路に刻まれた線が露わになった。刃は身体を狙わずとも、通さないという意思を十分に伝えている。迂回しようと動けば、また先を取られるかもしれない。いろはは目の前の亀裂を見たまま、相手が次にどう動くのかを探った。


「バティオスさん、退いてください!」


 いろははアークレイを構えながらも、攻撃へは移らない。


「私は、はちちゃんの仲間であるあなたたちと戦いたくありません!」


「甘いことを」


 バティオスは左腕の盾を前へ出した。


 鞭状の武装が解放され、金属音を響かせながら地面を這う。


 金属の擦れる音に、いろはの意識が左腕へ向く。右手の魔力刃だけを追っていればよい相手ではなかった。地面を這う武装と、その向こうに構える巨体。話を続けている間にも、進める方向は狭められていく。いろはは足を止めたまま、アークレイを握る手へ力を込めた。


「ならば選べ」


 魔力刃と鞭。


 二つの武器に挟まれるように、いろはは立っていた。


「お前の仲間の命か――私の命か」


「そんな……ずるいです」


「戦場で、敵へ都合のいい選択肢が与えられると思うな」


 提示されたどちらかを、そのまま望むことなどできなかった。仲間を救いたい。はちの仲間であるこの相手も傷つけたくない。けれど、望みを並べるだけで道が開く状況ではないことも分かっていた。バティオスは、いろはが答えを出すまで、退いてはくれない。


 バティオスの魔力が、さらに高まる。


「どうしても、戦わなければ駄目ですか……?」


 いろはは、ゆっくりとアークレイを両手で構えた。


 銃口を向ける先は、はちが造った大切な仲間。


 それでも、ここで立ち止まれば、別の場所にいる局員たちを助けられない。


 戦いたくないという気持ちは、構えを取っても変わらなかった。それでも、構えないままここへ留まり続けることが、誰かを助けることにはならない。いろははアークレイの向きを定めた。望んでいた再会への道が、この対決の先にあるのなら、自分で進むほかなかった。


「そうだ」


 バティオスは腰を落とし、魔力刃を身体の横へ引いた。


 前へ踏み込むための構え。


「お前の未来は、自分の力で勝ち取れ!」


 張りつめた空気の中で、その言葉だけが強く耳に残った。突きつけられたのは命の選択だったはずなのに、今、相手は未来と言った。はちともう一度会い、伝えたいことを伝える。そのために自分がどうするのかを、いろはは真正面から問われている気がした。


(バティオスさん……)


 その言葉に、いろはは僅かな違和感を覚えた。


 本当に自分を排除するだけなら、未来を勝ち取れなどとは言わない。


 もしかするとバティオスは、自分の覚悟を試しているのかもしれない。


 はちを想う気持ちが、本物なのかどうかを。


 そうであってほしいという、自分の願いが混じっているのかもしれない。バティオスの真意を確かめたわけではなかった。それでも、戦いを前にして退けば、ここから先へは進めない。いろははその一点を見つめた。相手が何を考えているにせよ、決めなければならないのは自分だった。


「分かりました」


 迷いを振り切り、いろはの瞳に光が戻る。


「行くよ、アークレイ!」


『Yes, Master』


 アークレイの装飾部が展開した。


 花弁を思わせる部品が左右へ開き、中央の魔力収束部へ桃色の光が集まっていく。


 見慣れた形が開き、収束する光が手元を照らした。いろはは両手に伝わる感覚へ意識を寄せる。ここまで交わしてきた言葉を胸から消すことはできない。ならば、抱えたまま動くしかなかった。相手の刃も翼も、これからは一瞬の見落としが許されなくなる。


 バティオスは魔力刃を正眼に構えた。


「天城いろは――いざ尋常に、勝負!」


 次の瞬間、両者が同時に地面を蹴った。


 バティオスの翼が爆発的な推力を生み、赤黒い巨体が一直線に加速する。


 対するいろはは、正面から突っ込まない。


 桃色の魔力を足元で弾けさせ、斜め上空へ飛びながら射線を確保する。


 一直線に迫る勢いを、正面で受け続けるわけにはいかない。いろはは上昇しながら、アークレイの先をバティオスへ合わせた。高低差が生まれ、地面を背にした赤黒い姿の位置を捉える。考えを巡らせる余裕よりも早く間合いが縮まる中、最初の射撃へ移った。


「はあっ!」


 アークレイから、三発の魔力弾が連続で放たれた。


 一発目は正面。


 二発目はバティオスの左。


 三発目は回避先を塞ぐ右上。


 狙う場所を分け、進路へ圧力をかける。正面の一発だけで止められるとは思っていなかった。左右にも弾を置くことで、動きを狭めたい。三つの軌道が相手へ伸びていくのを視界に捉えながら、いろはは、盾と翼がどう動くかへ意識を集中させた。


 だが、バティオスは止まらない。


「ぬうっ!」


 左腕の盾で一発目を弾き、翼を畳んで二発目の下へ潜り込む。


 三発目が迫る直前、魔力刃を下から振り上げた。


 ギィンッ!


 桃色の弾丸が真っ二つに切り裂かれ、左右で爆発する。


 弾かれ、潜られ、最後の一発まで断たれた。三つの攻撃に対応する動きは、加速を止めるほどの隙を生まなかった。左右に広がった桃色の爆発の間を、赤黒い姿が通る。いろはが見ていた射線は、バティオスが自分へ迫るための道へと変わっていた。


 爆炎を突き抜け、バティオスが一気に間合いを詰めた。


「速いっ!」


 巨大な魔力刃が、いろはへ振り下ろされる。


 いろははアークレイを横へ構え、瞬時に円形障壁を展開した。


 回避先を選び直すより先に、振り下ろされる刃が視界を覆った。いろははアークレイを支える手を固め、正面へ防御を間に合わせる。刃の大きさも、そこへ乗る巨体の勢いも、もう離れた場所から眺めるものではなかった。直後に来る衝撃へ、全身を備えた。


 ガァンッ!!


 赤黒い刃と桃色の障壁が激突する。


 衝撃波が地面の砂を吹き飛ばし、周囲の岩へ放射状の亀裂を走らせた。


「くぅっ……!」


「その程度か、天城いろは!」


 バティオスが刃へ力を込める。


 障壁の表面へ、細かな亀裂が広がり始めた。


 細い亀裂が、視界の中で増えていく。支える両手へ力を込めても、押しつけられる圧力は緩まなかった。砕ける前に持ちこたえなければならない。いろはは刃の向こうのバティオスを見た。ここまで来て、会いたいという願いを手放すつもりはなかった。


 いろはは歯を食いしばりながら、真正面からバティオスを見据える。


「まだ……始まったばかりです!」


 桃色の魔力が、一気に膨れ上がった。


 迫る刃を前に、いろはは魔力を注ぎ続けた。言葉で訴えるだけでは開かなかった道の、その最初の一歩を今踏み出している。はちへ伝えたい思いも、救援へ向かわなければならない理由も、まだ胸にある。桃色の光の中で、いろはは目の前の相手から視線を逸らさなかった。


 はちへ辿り着くための戦いが――今、始まった。


――第20話 END――

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