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転生した主人公が次元神になる  作者: ヘルカイザー
第1部

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第2話 科学と魔法の世界



頬に、柔らかなものが触れていた。


 ふわふわとした毛並み。それから、鼻先をくすぐる草と若葉の匂い。

 遠くで鳥が鳴いている。頭上から聞こえる木の葉の擦れる音が、風に合わせてゆっくり近づいたり遠ざかったりしていた。


「……ん」


 巨大な樹の根元で眠っていた享司は、わずかに身じろぎした。

 頬に触れているものが、また動く。今度は細いひげが肌をくすぐった。


「んん……」


 くすぐったさに耐えかね、ゆっくりと目を開いた。

 すると、すぐ目の前に小さな顔があった。


「……っ、わふっ!?」

「キュッ!?」


 享司が跳ね起きるのと、相手が飛び退くのはほとんど同時だった。

 落ち葉がかさりと音を立てる。小さな生き物は木の根をひょいと飛び越え、少し離れた幹の陰へ逃げ込んだ。


「……リス?」


 陰から覗くのは、丸い目と小さな耳。ふさふさの尻尾が、幹の向こうでぴくりと動いていた。


「ご、ごめん。驚かせちゃったね」


 享司が声をかけると、リスはじっとこちらを見つめた。逃げてしまわないところを見ると、ひどく怖がらせたわけではないらしい。

 ほっとしたところで、ようやく周囲へ目を向ける。


 空は明るかった。

 重なり合った葉の隙間から昼の光がこぼれ、地面に細かな模様を落としている。足元には湿った土と苔。見上げれば枝が幾重にも広がり、風に合わせて緑の天井が揺れていた。

 木漏れ日を受けた落ち葉と、深い木陰。その境目を目で追っていると、夢を見ているような気分が少しずつ薄れていく。鼻を抜ける土の匂いも、頬を撫でる風も、今ここにあるものだった。


「……ここ、どこでしょう?」


 見覚えのない森だった。

 宮古島で見慣れた道も、建物も、人の気配もない。代わりに、言葉にできないほど濃い緑の匂いが満ちている。


(そうだ。俺は……)


 白い空間。土下座していたアテナとフィナ。転生についての説明。そして、まばゆい光に包まれたこと。

 一つずつ思い出すうちに、胸の奥が静かに落ち着いていった。


「……本当に来たんですね」


 科学と魔法が共存する世界。

 あの二人が話していた場所へ、自分は確かにやってきたのだ。


 楽しみがないわけではない。知らないものに出会えるのは、昔から好きだった。

 ただ、ここがその世界のどこなのかは、まったく分からない。


「ここがあの世界のどこなのかは、全然分かりませんね」


 言いながら頭をかく。

 すると、木陰からリスが姿を現した。


「キュッ」


 少し先へ走って、振り返る。


「キュッ」


 もう一度鳴き、数歩進んではこちらを見る。


「ついて来いってことですか?」

「キュッ!」


 返事をしたように聞こえた。

 享司は思わず笑い、立ち上がる。


「分かりました。行ってみます」


     *


 リスは、享司が追いつくのを確かめてから次へ進んだ。

 木の根を越え、草の間を抜け、ときには倒木を駆け上がる。そのたびに少し離れたところで待っている。


「ちゃんと待ってくれるんですね」


 享司が声をかけると、リスは小さく鳴いた。

 森の中には、ところどころ陽の当たる場所がある。枝葉の下を抜けるたびに景色の色合いが変わり、見知らぬ世界を歩いていることを実感させた。


 やがてリスは、大きな木の根元でぴたりと立ち止まった。


「キュッ! キュッ!」

「何かあるんですか?」


 身をかがめる。

 根のくぼみに、落ち葉が少し積もっていた。リスがそのあたりを前脚で示すように動く。

 享司が葉を払うと、下から一つのケースが現れた。


「……!」


 慌てて拾い上げる。

 形も、手に触れた感触も、覚えている。

 指先でケースの縁を確かめる。何も分からない森の中で、知っているものが一つ見つかった。それだけで、胸に残っていた心細さが少し和らいだ。


「カードケース!」


 アテナから渡されたものだった。

 転生の光に包まれる直前まで、確かに持っていた。


「これを探してくれたんですか?」

「キュッ!」


「ありがとうございます。助かりました」


 リスへ頭を下げてから、ケースを開く。

 中にはカードがきちんと並んでいた。見慣れないものもあるが、神界でアテナが『精霊が宿っている』と説明してくれた、あのカードたちだ。


「……よかった」


 ただの紙切れではない。意思を持った精霊たちが、この中にいる。

 どんな精霊たちと出会えるのだろうか。

 そう考えていたとき、一通の手紙が目に留まった。


「手紙……?」


 ケースから取り出し、差出人を確認する。


「アテナさん……」


 見覚えのある名前だった。

 享司は少し姿勢を正し、手紙を広げる。

 そこには、カードケースについての説明が書かれていた。


 この手紙を読み終えた後、ケースは持ち運びやすい形へ変化すること。

 必要なカードを心の中に思い浮かべれば、いつでも取り出せること。


「……なるほど」


 こんな仕組みまで用意してくれていたのか。

 知らない世界に一人でやってきた今、その気遣いがありがたい。


 そして、最後まで読み終えた、そのときだった。


 ――ふわり。


 ケースが淡い光に包まれた。


「おっ?」


 手の中で輪郭がほどけるように変わり始める。箱だったものが小さく、細くなり、光の筋となって右手へ流れていく。

 光が静まると、右手の中指に一つの指輪が収まっていた。


「指輪型のカードケース……」


 享司は手をかざし、角度を変えてみる。

 持ち歩く荷物が減るだけでもありがたいのに、これなら失くしにくそうだ。


 試しにカードを一枚、心の中で思い浮かべた。


 ――すっ。


 指輪からカードが現れ、右手に収まった。見えているのはカードの裏面。


「おお……」


 指先で確かめる。紙の感触も、重さもある。

 もう一度収納することを意識すると、カードは淡い光に変わり、指輪へ戻った。


 取り出す。そして、収納する。

 数回試しても、きちんと同じように動く。


「これは便利ですね」


 享司は顔を上げた。

 神界で別れた女神の姿が、脳裏に浮かぶ。


「ありがとうございます、アテナさん」


     *


 強い風が森を抜けた。

 ざわりと枝葉が揺れ、享司は思わず顔を庇う。


「うわっ」


 葉の隙間が広がり、眩しいほどの昼の光が差し込んだ。

 顔を上げた享司は、その向こうの景色を見て動きを止めた。


「…………え?」


 一本の樹が、遠くにそびえていた。

 今、自分がいる森の木々も相当大きい。だが、それらと比べても桁が違う。

 距離があるはずなのに、幹は一本の巨大な柱のように見え、広がる枝葉は空の一部を覆っている。

 目の前の葉から、その向こうの枝へ。そして、さらに遠くの大樹へ。見比べるほど、大きさの感覚が頼りなくなった。


「……でか」


 思わず、素の声が出た。

 話に聞いたことはある。物語の中で、何度も目にした名だ。


「もしかして……世界樹?」


 答えが返ってくるはずもない。

 それでも傍らのリスが「キュッ」と鳴いたので、享司は少し笑った。


「これは想像以上ですね……」


 あの樹の向こうには、どんな街があるのだろう。

 魔法が使われているなら、そこで暮らす人々はどうやって生活しているのだろう。

 疑問が浮かぶほど、世界そのものへの興味が膨らんでいく。


「……すごいですね」


 しばらく見上げたあと、享司は右手の指輪へ視線を戻した。


(カードケースは、この森に落ちてた)


 ならば、ほかにも手元にあるはずのものが、どこかへ落ちているかもしれない。

 試しに周囲を探してみる。

 根の陰を覗き込み、落ち葉を払い、草の下まで確かめた。


 だが、探しているものは見つからない。


(カードケースはあったけど……)

(デバイスは、ないか)


 精霊カードがあっても、それを使うための装置がなければ、できることには限りがある。

 少し考えてから、享司は呟いた。


「……なら、作りますか」


 口に出してみると、不思議なほど気持ちが決まった。


     *


 作ると決めた瞬間、頭の中に膨大な情報が浮かび始めた。


 素材の性質。

 電子回路の仕組み。

 魔力を通す経路。

 カードを読み取る方式。

 本体を展開させる構造。


 それらが、必要に応じて次々とつながっていく。


「……なるほど」


 まるで、これまで知らなかったはずの教科書を、何冊も同時に開いているようだった。

 転生する前に願った『全世界の知識』。

 それが、初めてはっきりと役に立とうとしていた。

 必要なことを考えると、次に確かめるべきことが分かる。まだ何も作ってはいないのに、手順だけは頭の中でつながっていた。享司はその感覚を確かめながら、ゆっくりと息を吐いた。


 ただ、知識があっても、材料がなければ装置は作れない。

 享司は周囲を見回した。


「さて、どうしましょう……」


 すると、近くでリスが鳴いた。


「キュッ!」


 振り向くと、落ち葉の間に小さな金属部品が落ちていた。

 リスはその横に立ち、こちらを見ている。


「これ……?」


 拾い上げると、確かに加工に使えそうな部品だった。

 享司が顔を上げると、リスは少し先へ走り、また振り返る。


「また案内してくれるんですか?」

「キュッ!」


 後を追った先には、機械の残骸があった。


 壊れた機器。外れかけた基板。細い配線。金属片。そして、加工に使えそうな資材や工具。

 どうして森の中にこんなものがあるのかは分からない。今は考えても答えが出そうになかった。


「都合が良すぎる気もしますけど……今は助かりますね」


 享司はしゃがみ込み、使えそうなものを選び始めた。

 傷んだ箇所を避け、まだ動く部分を確かめ、必要な部品を一つずつ分ける。


 設計は、もう頭の中にある。


 まず、本体は腕時計ほどの大きさに収める。

 左腕に固定し、装着したまま操作できるようにする。

 召喚に使う円形の魔力ディスクは、腕時計そのものではなく、その外側に形成する。

 右手の指輪から取り出したカードを、そこへセットするのだ。


「……この方式なら」


 享司は小さな基板を手に取り、接続先を確かめた。

 カードが認識されたときに流れる魔力を制御し、召喚した存在を維持するあいだはディスクを展開し続ける。

 そのためには、出力だけでなく安定性も必要だった。


 落ち葉を避けた平らな場所に部品を並べる。

 金属を加工し、配線を接続し、制御用の基板を組み込む。

 工具の動く小さな音が、森の中に続いた。

 細い配線を一本ずつ目で追い、組み込んだ部分がずれていないか確かめる。頭の中の構造と、手の中の部品。二つを照らし合わせるたび、装置が少しずつ形になっていった。


「んー……ここ、少し違いますね」


 接続をやり直す。

 さっきまでなら理解できなかっただろう部分も、頭にある知識を順に確かめれば、どこを直すべきか分かった。


「キュッ!」


 気づくと、リスが小さな部品をくわえて近づいてきた。


「持ってきてくれたんですか?」


 差し出した手のひらに、部品がぽとりと置かれる。


「ありがとうございます。ちょうど使えます」

「キュッ!」


 リスはまた作業場の周りを動き、使えそうなものを探してくれた。

 一匹だけだったはずが、いつの間にか木陰から別のリスも様子を見ている。

 享司は思わず笑う。


「なんだか助手みたいですね」


 返事のように、リスが得意そうに鳴いた。

 見知らぬ世界で最初にできた仲間が、こんな小さな助手とは。

 少しだけ肩の力が抜けた。


 やがて、組み上げた装置から短い反応音が鳴った。


「おっ」


 期待して確かめるが、表示された反応は安定していない。

 享司は眉を寄せ、内部を調べ直した。


「……ここか」


 一本の配線を調整し、経路を整え、再び起動する。

 今度は、規則正しい反応が返ってきた。


「よし」


 外装を閉じ、固定用のベルトを整える。

 完成したのは、コンパクトな腕時計型の装置だった。


 享司はそれを左手首へ装着した。

 本体は左腕に固定されたまま。右手の動きを妨げるものはない。


「では……起動」


 装置が小さく振動した。

 左腕の外側に展開機構が開き、そのさらに外側に、青白い光が集まり始める。

 光の線が円を描き、透き通るような魔力の盤面を形作った。


「おお……!」


 腕を動かしても、本体と魔力ディスクの位置関係は崩れない。

 円盤そのものを手首へ取り付けたのではない。腕時計型の本体が、外側に魔力ディスクを作り出しているのだ。


「Spirit Intelligence Armament――」


 享司は完成した装置を見つめ、少しだけ胸を張った。


「SIA。通称、シア」


 木漏れ日の下で、青白い魔力ディスクが静かに輝いていた。

 自分の知識を使って、自分の手で作り上げた最初のデバイス。

 思わず口元が緩む。

 見下ろせば、さっきまでばらばらだった部品が左手首に収まっている。試しに指を動かしてから、もう一度、外側に浮かぶ光の円へ目を向けた。


「ちゃんと動いてくれてよかったです」


     *


 木の根の上から、いくつもの鳴き声が聞こえてきた。

 振り向くと、リスたちが集まっている。

 今まで部品を運んでくれたリスも、その仲間を見上げていた。


「手伝ってくれてありがとうございました」


 享司はしゃがんで微笑んだ。

 リスは少し名残惜しそうに、その場に残っている。


「自分もこれから移動しますから。大丈夫ですよ」


 言葉が通じたのだろうか。

 リスは一度享司を見つめてから、仲間の方へ駆けていった。

 木の幹を登り、枝の上で合流する。


 そのうちの一匹が、こちらを振り返った。


「また会えたらいいですね」


 享司が手を振ると、リスたちは枝の向こうへ姿を消した。

 しばらく木を見上げ、それから左腕のSIAへ視線を落とす。


「さて……次ですね」


 装置の起動は確認できた。

 今度は、精霊カードが使えるかどうかだ。


     *


 右手中指の指輪へ意識を向ける。

 思い浮かべるのは、一枚のカード。


 カードが裏面を向けた状態で、右手に現れた。


「最初は――セレスティア」


 享司は右手のカードを、その裏面が見える状態のまま左腕の外側へ運んだ。

 魔力ディスクの直前で表向きに返し、盤面へセットする。


 ――キィン。


 青白い光が円を描き、周囲の空気が震える。

 光はディスクの向こうへ広がり、森の中に巨大な輪郭を形作り始めた。


 鱗。翼。長い尾。


 白く輝く身体が、少しずつ輪郭をはっきりさせていく。

 地面を覆う影が大きくなり、享司は思わず顔を上げた。

 平たいカードの中で見ていた姿が、奥行きと重みを持って目の前に立つ。翼の輪郭を目で追ったまま、享司は息をのんだ。


「セレスティア……!」


 目の前に現れたのは、巨大な白竜だった。

 枝葉の間から降り注ぐ光が白い鱗に映り込み、その姿をさらに美しく見せる。


「おお……!」


 カードの中に宿っていた精霊が、本当に実体となって現れた。

 アテナが言っていたことは、間違いではなかったのだ。


「ちゃんと召喚できましたね」


 享司は嬉しそうに言った。

 セレスティアはその声に反応するように、静かにこちらを見下ろしていた。

 巨大な姿には圧倒されるが、怖いとは思わなかった。


 左腕の外側を見ると、SIAの魔力ディスクは展開したままだ。

 召喚を維持するための動作も、予定どおりらしい。


「なら、次」


 再び右手中指の指輪へ意識を向ける。

 新たに現れたカードも、裏面を向けた状態で手に収まった。


「アリア」


 魔力ディスクの直前でカードを表へ返し、セットする。

 再び光が広がった。


 今度はセレスティアの手前、少し高い位置に人の形をした輪郭が現れる。

 衣装の裾がふわりと揺れ、光の粒が一つずつ消えていった。


 そこに浮かんでいたのは、一人の魔導姫。


 明るい笑顔。親しげなウインク。

 そして、元気のよい声。


「初めまして、マスター♪」


 魔導姫アリアが、笑顔で挨拶をした。


     *


 ところが。

 両目を開いたアリアは、すぐに不思議そうな顔になった。


「……あれ?」


 右を見る。左を見る。

 空中でくるりと向きを変え、もう一度あたりを見回す。


「マスター、何処へ?」


 享司は下から声をかけた。


「こっちです!」


 アリアは声のした方へ顔を向ける。

 だが、まだ視線が合わない。


「ん?」

「こっちです!」


 享司は手を振った。

 アリアの目は、その少し上を通り過ぎてしまう。


「……おかしいですね。声は聞こえるのに……」


「ここです!」

「こっち!」


 享司は小さく跳ねる。

 それでも、アリアはきょろきょろしている。


「こっちですって!」


 もう一度跳ねて、両手を大きく振った。


「……え?」


 ようやくアリアの視線が下がった。

 そして、享司と目が合った。

 ようやく見つけてもらえた。享司が振っていた手を止める一方で、アリアの視線は、ぴたりと彼に留まった。


 アリアは一瞬、固まった。

 それから、ゆっくりと高度を下げてくる。


「あなたが……私のマスター?」

「はい」


 享司は頷いた。


「自分が金城享司です」


 アリアは名前を繰り返した。


「金城……享司……」


 じっと見つめられる。

 どうしたのだろう、と享司は首を傾げた。


「はい?」


 アリアの口元がわずかに震えた。

 両手がそっと頬へ上がり、瞳がきらきらと輝き始める。


「……可愛い」

「はい!?」


 聞き間違いだろうか。

 享司が目を瞬いた、その直後。


「もう無理ですっ!」

「え?」


 アリアが勢いよく飛びついてきた。


 ――ぎゅっ!


「わふっ!?」


 気づけば、享司はアリアの腕の中にいた。

 思わぬ抱擁に、手足をばたつかせる。


「か、可愛いです! 何ですかこれ!」

「何がですか!?」

「全部です!」

「答えになってません!」


 アリアは嬉しそうに頬を寄せ、さらに抱きしめる。


「可愛いです〜!」

「苦しいですって!」


 今度は頭まで撫でられた。

 丁寧に整えるような撫で方ではない。もう嬉しくて仕方がない、と全身で表現するような勢いだった。

 享司が何か言おうとするたび、目の前にはアリアの満面の笑みがある。呼び出すことには成功した。それは間違いないのだが、こんな反応までは予想していなかった。


「ちょっ……アリア! 落ち着いてください!」


 どうにか顔を動かし、セレスティアを見る。


「セレスティア?」


 白竜はこちらを見ていた。

 だが、助けに入る気配はない。

 それどころか、心なしか少し不機嫌そうにも見える。


(ええ……見てるだけですか……)


 享司はアリアの腕の中でもがいた。

 アリアはようやく我に返ったらしく、はっとして力を緩める。


「……申し訳ありません。少々取り乱しました」


 解放された享司は、大きく息をついた。


「少々……?」


 思わず聞き返す。

 あれを少々と言うなら、盛大に取り乱したらどうなるのだろう。


「でも、本当に可愛らしくて……」


 アリアはまだ名残惜しそうだ。

 享司は不思議そうに彼女を見た。


「そんなに可愛らしいですか?」

「それはもう♪」


 迷いのない返事だった。


「そうですか……」


 自分では、よく分からない。

 そもそも自分では判断がつかないし、何より、いきなり抱きしめられた驚きの方が大きい。

 享司は首を傾げたまま、アリアを見上げていた。


     *


「あ、それとアリア」

「はい、マスター!」


 元気な返事が返ってきた。

 享司は少しだけ言いにくそうに口を開く。


「その『マスター』っていう呼び方、やめてもらえますか?」


「……え?」


「自分は金城享司ですから。普通に名前で呼んでください」


 これから一緒に過ごすかもしれない相手なのだ。上下関係を強く感じる呼び方は、どうにも落ち着かない。


「マスターって呼ばれるの、あまり慣れていないので」


 アリアは少し考え込んだ。


「金城享司……」


 確かめるように、何度か小さく繰り返す。


「享司……」


 やがて、何かひらめいたようにぱっと顔を上げた。


「では――たかちゃんで♪」


 満面の笑顔だった。


「…………」


 享司の動きが止まった。

 その笑顔が、まともに直撃した。

 名前で呼んでほしいとは頼んだ。頼んだのだが、あまりにも親しげな響きと、ためらいのない笑顔が一緒に来るとは思っていなかった。


「ぐはっ……」


 がくり、と膝から崩れる。


「たかちゃん?」


 アリアが目を瞬く。

 享司がさらに身体を折ると、慌てて顔を覗き込んできた。


「たかちゃん!?」


 心配そうに呼びかけられ、享司はどうにか顔を上げる。


(……破壊力、高すぎませんか……)


 もちろん、口には出さなかった。


     *


 少しして、享司はようやく立ち直った。

 左腕の外側には、魔力ディスクが展開したままだ。

 傍らにはアリア。後ろにはセレスティア。

 つい先ほどまで一人で森にいたのに、急に賑やかになったものだ。


「そろそろ移動しましょうか」

「はい、たかちゃん♪」


 また、眩しい笑顔が向けられた。

 享司は一瞬動きを止めたものの、今度は踏みとどまる。


(二発目は耐えた)


 その時だった。


 ――ヒュンッ!


 何かが、すぐ脇を飛び抜けた。


「……っ!?」


 享司とアリアが同時に顔を向ける。

 直後、魔力の弾が背後の樹木へ命中した。


 ――ドンッ!


 幹が砕け、木片が飛び散った。

 さっきまでの和やかな空気が、一瞬で消えた。

 砕けた木片が地面へ落ちる。響いていた笑い声が途切れ、その小さな音まで耳に届いた。享司は、攻撃が飛んできた方から目を離さなかった。


「……何ですか、今の」


 享司は左腕をわずかに持ち上げる。

 視線の先、木々の間に一人の男が立っていた。

 手には杖。先端がこちらへ向けられている。


「そこにいる連中! 動くな!」


 男は険しい目で享司たちを睨んだ。


「今のは警告だ。次は当てる」


 警告にしては、随分と危険だ。

 木の幹があれほど砕けたのだから、当たればただでは済まないだろう。


 アリアの表情が引き締まった。


「たかちゃん」


 彼女の声に、先ほどまでの浮かれた調子はない。


「大丈夫です」


 享司は片手を上げて答えた。

 攻撃された以上、こちらも身を守る必要がある。

 だが、相手を必要以上に傷つけたいわけではない。


 右手中指の指輪へ意識を向ける。

 裏面を向けたカードが一枚、右手に現れた。


 享司はそのカードを裏面のまま左腕の魔力ディスクへ運ぶ。

 そして、ディスクの直前で表向きに返してセットした。


 青白い光の中にカードの表面が浮かぶ。


「フォースリフレクト、発動します」


 SIAから放たれた魔力が、享司たちの前へ広がった。

 半透明の大きな障壁が形作られ、享司とアリア、そしてセレスティアの前を覆う。

 左腕の外側では、カードを載せた魔力ディスクが輝いていた。享司はその盤面と、前方に広がる障壁を確かめ、再び男の杖へ視線を戻した。


「そんなもので!」


 男が杖を突き出した。

 先端へ赤い魔力が集まり、周囲の空気を震わせる。


 次の瞬間、二発目が放たれた。


 ――ゴォッ!


 赤い光が一直線に迫る。

 享司は逃げず、左腕を構えて攻撃を見据えた。


 魔力弾が障壁へ激突する。


 ――ドォンッ!!


 大きな音とともに、足元の土が跳ねた。

 衝撃が周囲の葉を巻き上げ、森の中に強い風が吹き抜ける。

 だが、障壁は破れなかった。

 舞い上がる葉の向こうにも、青白い光は残っている。享司は構えを崩さず、障壁に受け止められた攻撃を見据えた。


「なっ……!」


 男の目が見開かれる。

 何が起きたのか理解できないらしい。


 享司は障壁の向こうを見た。


「では――」


 左腕のSIAが輝き、外側の魔力ディスクへ光が走る。

 受け止められた攻撃の力が、障壁の内側で向きを変え始めた。


「お返しします」


 光が反転した。

 赤い魔力弾は、来た道を逆にたどるように撃ち返される。


「なっ、何ぃ!?」


 男が身を引こうとする。

 しかし、間に合わなかった。


 ――ドカァッ!!


 反射された攻撃が直撃し、閃光が広がった。

 男の身体は後方へ吹き飛び、地面に倒れた。


 やがて光が薄れ、森に静けさが戻ってくる。

 大きな障壁が消えていった。

 それでも、左腕の外側の魔力ディスクは展開されたままだ。

 セレスティアとアリアが、まだここにいるからだ。


 享司は倒れた男を見つめる。

 動かなくなった姿に、アリアが気遣わしげな視線を向けた。


「気絶してるだけですよ」


 享司はそう告げた。

 相手の攻撃を返しただけで、命を奪ったわけではない。

 とはいえ、また襲ってこないとも限らない。


 アリアは男の方を確かめ、それから享司へ顔を向ける。


「たかちゃん、ここから離れましょう」


「そうですね」


 享司は頷いた。

 初めての森で、いきなり戦うことになるとは思わなかった。

 だが、今は長居しない方がよさそうだ。


「では――」


 その場を離れようとした、まさにそのときだった。


「待ってください!」


 上空から、澄んだ声が響いた。


「わふっ!?」


 享司は驚いて顔を上げる。

 木々の向こうから、昼の光が降り注いでいた。

 その光を背に、一人の少女が空中に浮かんでいる。


 誰なのだろう。

 何を見て、ここへ来たのだろう。

 享司は左腕の魔力ディスクを展開したまま、相手を見上げた。


 ――第2話 END――


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