第18話 届かない願い
黒い閃光が、荒野を切り裂いた。
ダークアークレイから放たれた魔力弾が、天城いろはの展開した障壁へ激突する。
ドォンッ!
「くっ……!」
衝撃に押され、いろはの身体が宙を滑った。
受け止めたはずの一撃が、身体の位置まで押し動かしていく。いろはは障壁の向こうにある黒い光を見た。ここで留まり続ければ、次の動きが遅れる。構えを保つために込めていた力を、今度は、抜け出す動きへ繋げなければならなかった。
それでも障壁を破られる直前に身を翻し、爆風から逃れる。桃色の魔力光が尾を引き、はちとの距離を大きく広げた。
距離を広げても、相手がはちであることは変わらなかった。いろはは姿勢を整えながら、その姿へ顔を向ける。止まってほしいと呼びかけるには、遠ざかりすぎたくない。けれど、今はまず、一撃から逃れる必要があった。
はちはダークアークレイを構えたまま、その動きを冷静に追っていた。
桃色の光が引く先へ、はちの視線が動く。見覚えのある飛び方だった。けれど、それを眺めるための距離ではない。次にどこへ移るのかを、杖を向けたまま確かめている。その事実を、はちは目の前の動きへ意識を集めることで受け止めていた。
いろはと再会した。
ずっと会いたいと思っていた人。
本当なら、家族になるはずだった人。
けれど今、二人は互いにデバイスを向け合っている。
近づけば声が届く。それでも、互いの手元にはデバイスがある。再会する前に思い浮かべていた場面とは、違っていた。目の前にいる姿を確かめるほど、その違いもはっきりする。はちは、いろはの顔から、向けるべき照準へ目を戻した。
その背後では、W.レグナム《バティオス》が危険遺物の封印作業を続けていた。
封印が完了すれば、そのまま遺物を破壊する。
それまで、いろはを近づけるわけにはいかない。
背後の作業を終わらせるために、前へ出ている。今するべきことを、はちはそう整理していた。相手の声に答え、話を続ければ、その間にも判断が揺れるかもしれない。遺物を渡さないという目的へ、自分の考えを繋ぎ留めようとしていた。
「はちちゃん! お願い……止めて!」
いろはが苦しそうに呼びかける。
声を届かせようとするいろはの顔が、はちの視界に入った。距離を取っていても、その表情は分かる。聞こえなかったことには出来ない呼びかけだった。はちはその声を受け取りながら、今するべきことへ、意識を戻そうとしていた。
その顔にあるのは、敵へ向ける怒りではなかった。
今にも泣き出しそうな悲しみと、はちを傷つけたくないという迷い。
その顔を知らないわけではなかった。心配されて、名前を呼ばれた時間も覚えている。今の声を聞いても、相手が何を願っているかは分かる。分かるからこそ、それに応じないために、はちは手元のデバイスを構え続けた。
分かっている。
いろはは、本気で自分と戦いたいわけではない。
それでも――。
(無理だよ……いろはさん)
ガーディアンに危険遺物を渡すわけにはいかない。
渡した先で、今度は何のために使われるのか。はちには、その判断を他人へ預けることが出来なかった。自分を捕らえる理由さえ作られたのなら、目の前の遺物も、別の理由を与えられるかもしれない。そう考えると、杖を下ろす気にはなれなかった。
回収された遺物は調査される。利用価値があると判断されれば、いずれ改良され、新たな兵器へ変えられるかもしれない。
自分のSIAと精霊カードを奪おうとした人間が、実際にガーディアン上層部にいた。
一人が処分されたからといって、同じ考えを持つ者が二度と現れない保証などない。
はちが恐れているのは、目の前の一人だけではなかった。遺物がどこへ運ばれ、誰の判断で使われるのか。その先へ考えが伸びると、また、自分が狙われた時のことへ戻ってしまう。任せるという選択を取るには、その記憶があまりに近かった。
はちはダークアークレイを振り、黒い魔力弾を連続で放った。
バシュッ! バシュッ! バシュッ!
いろはは左右へ飛び、迫る弾を紙一重でかわしていく。
一発目を左へ。
二発目を急降下で。
三発目にはアークレイから迎撃弾を放ち、空中で相殺する。
弾の進む先で、桃色の光が位置を変える。回避した動きから、次の対処へ移るまでに迷いが少ない。はちはその一つ一つを目で追っていた。避けさせているだけでは、相手を遠ざけておくにも、同じ動きを繰り返すことになる。
「ちっ……ちょこまかと逃げ回って……厄介ですね」
(さすがだな……)
口では苛立ちを見せながらも、はちはいろはの技量を認めていた。
弾の来る位置を見て、次に動く場所を選ぶ。その早さを、はちは一つの攻撃を終えるたびに確かめていた。いろはは守られているだけの相手ではない。こちらの動きへ応じて、自分で切り抜ける。その手応えを無視することは出来なかった。
正面から撃つだけでは、簡単には当たらない。
ならば――どこから攻撃されるのか分からなくすればいい。
真正面の射線を外せる相手へ、同じ角度から撃ち続けても限りがある。はちは、いろはの位置と周囲の空間へ目を向けた。呼びかける声を聞きながらも、頭の中では、もう次に使う力のことを考えていた。
「お願い、話を聞いて!」
いろはは反撃せず、回避と防御を続けている。
撃ち返せる場面を探すより、避けて声を届けようとしている。それでも、弾が来るたびに話は途切れた。いろはははちを見失わないようにしながら、近づくための言葉を探す。戦いを続けたくないという思いだけは、途切れさせたくなかった。
「私は、はちちゃんと戦いたくない!」
「聞く耳は持ちません!」
はちは強く言い放ち、次の魔力弾を撃ち出した。
拒む言葉と、撃ち出す動きが重なった。いろはへ返す声を短くするほど、はちは自分の中で考えていることへ戻ろうとした。相手が何を言おうとしているのかを聞き続ければ、今の構えを保てなくなるかもしれなかった。
(俺は、全ての危険遺物と兵器を破壊する)
力になりそうなものを見つければ、人は争い、奪い合う。
そのためなら、関係のない者を傷つけ、偽りの罪を着せることさえ厭わない。
ならば、争いの元になるものを先に壊せばいい。
兵器も、危険遺物も、それを悪用する組織も。
全て破壊すれば、もう誰も傷つかない。
自分と同じ苦しみを味わう者も、いなくなるはずだ。
自分が受けた仕打ちを、次の誰かへ繰り返させない。その願いを、はちは壊すべきものの名前へ繋げていた。目の前の遺物も、その一つに見えている。手放した後で何が起きるかを恐れるより、今ここで終わらせたいという思いが強くなっていた。
「いろはさん」
はちは、ダークアークレイの先端をいろはへ向ける。
「本気で自分を倒すつもりで来なければ――あなたが墜ちますよ」
「……っ」
いろはの表情が歪んだ。
強い言葉へ返事をしようとしても、いろはの声はすぐには続かなかった。本気で倒すという言い方を、この相手から求められている。はちは遠くの敵ではなく、やっとまた顔を見られた相手だった。その思いが、構える手元にも残っていた。
アークレイを握る手が、かすかに震えている。
いろははデバイスを離さずにいた。守るために構える手と、名前を呼びたい気持ちが、同じ身体の中にある。はちはその小さな震えを見てしまった。相手の動きを確かめるために向けていた目が、表情の変化まで捉えていた。
その瞳に涙が滲んだ瞬間――。
ズキンッ。
「くっ……」
はちの胸に、鋭い痛みが走った。
(何だ……?)
攻撃を受けたわけではない。
魔力の使いすぎでもない。
それなのに、いろはの悲しそうな顔を見るたび、胸の奥を何かに締めつけられる。
理由を確かめようとしても、思い当たる攻撃はなかった。いろはは目の前で、こちらへ呼びかけている。その顔を見ると、また痛む。はちはデバイスを構えたまま、痛みと相手の姿が結びついてしまうことに戸惑っていた。
(どうしてだ……。あの人たちは、俺を裏切ったのに)
――家族になりたい。
いろはは、確かにそう言った。
今も、その言葉を嘘だとは思い切れない自分がいる。
あの時に抱き締められたことまで、嘘にしてしまえるわけではなかった。覚えている温かさと、その後に向けられた疑いが、どちらも残っている。片方を思い出すと、もう片方も浮かぶ。その間で、はちは一瞬、次の言葉を失った。
俺はまだ、いろはたちの家族になりたいと思っているのだろうか。
もう一度、あの家へ帰りたいのだろうか。
「…………」
無理だ。
信じることが怖い。
信じ直した先の暮らしを、まったく思い浮かべられないわけではなかった。だから、それをまた失う場面まで浮かぶ。目の前へ来てくれた相手を見ながら、はちは、その近さを望んでしまう自分ごと、押し留めようとしていた。
信じて、心を許し、その後でもう一度裏切られたら――。
その時こそ、自分は本当に全ての世界へ絶望してしまう。
平和にするのではなく、全世界を破壊したいと願ってしまうかもしれない。
そんな自分になることだけは、何よりも恐ろしかった。
また傷つくかもしれないという怖さは、会いたいと願った記憶と同じところにあった。近づきたいと思えば、それだけ失う時のことも考えてしまう。はちは目の前の相手へ向けかけた気持ちを押し留め、声を冷たく整えようとした。
「茶番は、そこまでです……」
はちは感情を押し殺し、ダークアークレイを横へ向けた。
照準の先に、いろははいない。
いろはから外れた先端を、いろは自身も目で追った。何を狙っているのかが分からない。けれど、はちの手は迷っていなかった。次の攻撃の向きを読み取ろうとする時間にも、二人の間の距離は縮まらないままだった。
「えっ?」
それでも、はちは引き金を引いた。
黒い魔力弾が、誰もいない空間へ飛んでいく。
着弾する直前、その進路へ漆黒の亀裂が開いた。
魔力弾は次元の裂け目へ吸い込まれ、姿を消す。
見えていた魔力弾が、空間の切れ目へ消えた。いろははその先を追おうとして、視線を止める。今までのように、飛んでいく弾の位置だけを見ていればよいわけではない。どこから来るかを確かめなければならなかった。
「どこへ……?」
いろはが周囲を見回した直後、その背後に新たな裂け目が開いた。
消えたはずの魔力弾が、至近距離から飛び出す。
「――っ!」
いろはは驚きながらも、咄嗟に身体をひねって回避した。
避けるために向きを変えた身体のすぐ近くを、黒い光が通った。いろはは動きを止めず、弾が抜ける先を確かめた。消えた場所からは見えなかった射線が、今は自分のそばにある。相手の力への理解が、危うくかわした感覚と一緒に残った。
黒い弾が肩口を掠め、遠くの地面へ突き刺さる。
背後から来た光をかわし、いろはは姿勢を立て直した。遠くへ突き刺さるところまで見て、ようやく、先ほど消えたものとの繋がりが分かる。避けるために見ているはずの方向が、安全な側を示してはくれなくなっていた。
「攻撃を……転送したの?」
「これだけではありませんよ」
はちはダークアークレイを下へ向け、意識を集中させる。
「ダークネス――アクセル」
黒い光が次々と生まれ、はちの周囲を取り囲んだ。
その数、十二。
十二個の魔力弾は円環を描くように浮遊し、それぞれがいろはへ狙いを定める。
黒い光が、はちの周囲で形を揃えた。いろははその配置を確かめ、動き始める瞬間を待つ。弾の数だけでなく、消えて別の場所から現れる力も、もう知っている。目に入るものの外側へまで、意識を向けておかなければならなかった。
「シューター!」
一斉に放たれた黒い弾が、異なる軌道からいろはへ殺到した。
「くっ!」
いろはは上空へ飛び、最初の数発を回避する。追尾する弾を急旋回で振り切り、さらにアークレイの障壁で二発を弾いた。
上へ抜けても、弾の軌道が追ってくる。いろはは身体の向きを変え、次に来る光を見た。避けるだけで済むものと、障壁で受けるものを、その短い間に選んでいく。はちへ呼びかけるための息まで、今は動きの中へ奪われていた。
だが、残る魔力弾が次々と次元の裂け目へ飛び込んでいく。
「まさか……!」
いろはの上下左右。
逃げ道を塞ぐように、小さな裂け目が一斉に開いた。
一つの射線を外した先にも、別の切れ目が見える。いろはは周囲へ目を走らせた。どちらへ抜けるべきかを決める前に、光の来る場所が増えていく。避け続けるための空間を、見つける時間が足りなかった。
そこから十二個の魔力弾が、時間差で再出現する。
「きゃっ!」
避け切れない。
いろはは身体の周囲へ障壁を展開した。
抜ける方向を選ぶより先に、周囲を守る必要があった。いろはは障壁を保つことへ力を向ける。光が来る位置は見えていても、その全てから身体を逃がす時間はない。構えたアークレイを通し、目の前の守りへ意識を集めた。
ドドドドドッ!
連続する爆発が、桃色の障壁を黒煙で覆う。
障壁へ届く衝撃が、間を置かずに重なった。いろははその内側で構えを保つ。煙が外の景色を隠し、次に何が来るかを目だけでは確かめられない。今はまず、受けている力へ耐え、視界の戻る瞬間を待つしかなかった。
やがて煙が晴れると、いろはは荒い息をつきながらも空中に留まっていた。
はちの姿が、再び目に入った。いろははその位置を確かめながら息を吸う。呼吸を整えたいところだったが、向こうの構えは、すでに変わり始めている。防げたという安堵に留まる余裕を、与えてはもらえなかった。
「今のも、防いだ……」
(本当に、反応が速い)
だが、はちはすでに次の攻撃へ移っていた。
ダークアークレイの先端へ、先ほどまでとは比べものにならない量の魔力が集まっている。
先端へ集まる黒い光が、先ほどの弾とは違う大きさを持ち始めた。いろはは照準の向きを見て、移る場所を探す。正面で受け止め続けるのは危険だった。放たれる瞬間を見落とさないよう、視線を離さずにいた。
「ダークネス・ディバイン――」
漆黒の光が、巨大な球体へ膨れ上がった。
「バスター!」
轟音とともに、黒い砲撃が放たれる。
「っ!」
いろはは即座に危険を察知し、射線の外へ飛び出した。
膨れ上がっていた光が放たれた瞬間、いろはは、その前から外れようと動いた。判断をためらえば間に合わない。はちへ向けていた視線を射線へ移し、身体を逃がす。砲撃の向こうを見続ける余裕は、その短い間にはなかった。
巨大な魔力砲は、直前までいろはがいた空間を突き抜ける。
自分がいた位置を、大きな光が通り抜けていく。いろははその射線の外へ出た感覚を確かめた。目の前に迫っていたものが遠ざかる。けれど、その一度の回避だけでは終わらないことを、次の瞬間に思い知らされることになった。
避けた。
そう思った瞬間、いろはのすぐ横で次元の裂け目が開いた。
遠ざかったはずの砲撃が、その裂け目から角度を変えて飛び出す。
「えっ――きゃあっ!」
完全には避け切れなかった。
黒い砲撃がいろはの肩を掠め、バリアジャケットの一部を焼き切る。
横から来た光へ、身体を逃がす動きが追いつかなかった。肩へ届く衝撃に、いろはは構えを崩しかける。避けたはずの砲撃が、違う方向から来た。そのことを理解するより先に、まず身体を支える必要があった。
衝撃に弾かれたいろはは、地面へ降り立ちながら負傷した肩を押さえた。
地面へ身体を支え直すと、負傷した場所がはっきりと痛んだ。いろはは肩へ手を当て、それから相手へ目を戻す。痛みを確かめるだけに意識を奪われてはいられなかった。まだ、はちはデバイスを持ったまま、目の前にいる。
「うっ……」
はちは追撃しなかった。
次の弾が来るのかと、いろはは顔を上げた。だが、はちのデバイスから、新たな光は放たれなかった。戦いが終わったのかどうかさえ、まだ分からない。肩を押さえたまま、いろはは、こちらを見ている相手へ視線を向け続けた。
もともと、いろはを倒すことが目的ではない。
その時、背後から低い声が響いた。
「主。任務は完了した」
バティオスの足元で、危険遺物が砕け散っていた。
先に封印を施したため、爆発も次元震も起きていない。光を失った破片だけが、静かに崩れていく。
封印の後に残ったものが、足元で崩れていく。いろはが回収しようとしていた遺物は、もう同じ姿ではなかった。はちはその報告を受け止め、ここで戦い続ける理由がなくなったことを確かめた。
「分かりました」
はちはダークアークレイを下ろし、いろはへ向き直った。
戦うために向けていた先端が下がった。それでも、いろはは近づかなかった。終わったなら、今度こそ話を聞いてもらえるだろうか。その期待を抱えたまま、こちらへ向き直るはちの顔を見ていた。
「いろはさん」
「ううっ……はちちゃん……」
いろはは肩を押さえたまま、悲しそうにはちを見つめている。
肩を押さえる手へ、はちの視線が留まりかけた。自分の攻撃で負傷した相手が、まだ名前を呼んでいる。その声へ、そのまま答えたくはなかった。応じれば、別の言葉まで出てきてしまいそうで、はちは表情を整えた。
その視線から逃れるように、はちは冷たい表情を作った。
「目的は達成しました。自分は、これで失礼します」
踵を返そうとした、その時だった。
いろはの目が大きく見開かれる。
「はちちゃん、危ない!」
破壊を免れていた一体の無人兵器が、岩陰から姿を現した。
いろはの目は、振り向こうとするはちの向こうを捉えていた。岩陰から出る輪郭と、そこに集まる光が見える。何が起きるのかを説明するより、危ないと告げる方が早かった。はちへ向けた声が、再び戦場へ響いた。
砲口には、すでに魔力が集まっている。
光線が、無防備なはちの背中へ放たれた。
だが――。
はちへ届く寸前、空間に小さな亀裂が走る。
光線は亀裂へ飲み込まれた。
次の瞬間、無人兵器のすぐ前に出口が開き、吸収された攻撃がそのまま送り返される。
光線が届くと思った場所で、空間が変わった。いろははその変化を、今度は外側から見ていた。はちが避ける動きをしなくても、攻撃は姿を消し、別の場所へ戻る。自分が見ている力を、すぐには言葉に出来なかった。
ガシャンッ!
自らの光線を受け、無人兵器は一撃で破壊された。
「えっ……」
いろはは驚いたまま、動けなかった。
壊れた兵器と、そこから離れたはちを見比べる。声をかけて知らせるだけでは、間に合わないと思っていた。その一撃が、今は攻撃した側へ返っている。いろはには、その短い時間に起きたことを確かめるので精いっぱいだった。
『はち、大丈夫?』
ステラの声が、はちの意識へ届く。
「ありがとう、ステラ。大丈夫です」
礼を告げてから、はちは再びいろはを見る。
普段の礼を言うような短い声だった。それを聞いても、いろはの驚きは収まらない。はちのそばには、自分が知らないやり取りがある。再会するまでに過ぎた時間を、今は、目の前に示された力からも感じていた。
「はちちゃん……その力は、一体……?」
いろはの顔には、隠し切れない驚きが浮かんでいた。
攻撃の次元転送。
無意識のうちに作動した、自動反射。
そして、危険遺物を封印して破壊したバティオス。
AEGISで過ごしていた頃のはちには、なかった力ばかりだった。
知っている声や顔は、そのまま目の前にある。けれど、何が出来るのか、どうしてその力を持っているのかは分からない。いろはは、離れていた間に起きたことを尋ねたかった。まだ、何も聞けていなかった。
「……お世話になったお礼に、一つだけ教えます」
はちはダークアークレイを空間の中へ戻した。
「この力は――次元神」
「次元……神……?」
「あとは、自分で調べてください」
それ以上、説明するつもりはなかった。
呼び名だけが、いろはの耳へ残った。その意味を尋ね返す前に、はちは話を区切ってしまう。知りたいことが増えたのに、二人の間を繋ぐ言葉は増えなかった。いろはは、その顔を見返したまま立っていた。
はちは、いろはを真っ直ぐに見つめる。
胸は、まだ痛んでいる。
本当は駆け寄りたい。
負傷した肩を治療し、もう大丈夫だと伝えたい。
けれど、その気持ちを認めれば、再び信じたくなってしまう。
手を伸ばせば、また近づいてしまう。傷を見れば、放っておけないと思ってしまう。その気持ちが残っていることを、はちは自分で知っていた。だから、足を向ける代わりに、いろはへ返す言葉を選ぼうとした。
だから、突き放すしかなかった。
「そして――」
はちは、自分自身へ言い聞かせるように告げた。
相手に届かせるためだけの言葉ではなかった。ここで立ち止まらないために、はちは自分へも、同じ言葉を向けようとしていた。いろはの顔を見て、そこに残っている願いを感じながらも、離れるという結論へ声を繋いだ。
「もう二度と、自分の前に現れないでください」
「…………!」
いろはの顔が、痛みに歪んだ。
肩の傷よりも、その言葉の方が深く突き刺さっている。
言い返すための声が、いろはにはすぐ出なかった。もう一度会いたいと願っていた相手から、会わないでほしいと告げられている。聞き間違いには出来ない距離で、その言葉を受け止めなければならなかった。
はちの周囲に、幾重もの次元紋様が展開した。
「待って、はちちゃん!」
いろはが手を伸ばす。
しかし、傷ついた肩に痛みが走り、その場から動くことができない。
前へ出ようとすると、肩の痛みが動きを止めた。目だけは、光の中にあるはちを追っている。待ってほしいと願っても、身体が思いどおりに続かない。いろはは、届くかどうかも分からないまま、声を重ねた。
「うっ……!」
次元紋様の光が、はちとバティオスを包み込む。
「はちちゃん! お願い、行かないで!」
最後に聞こえたのは、いろはの悲痛な声だった。
はちは振り返らない。
振り返れば、決意が揺らぐと分かっていたから。
後ろから届く声は、誰のものか確かめるまでもなかった。そのまま聞き続ければ、振り向きたくなる。はちは顔を前へ向けたままにした。近づきたい気持ちまで、消えてくれたわけではない。だからこそ、戻らないようにしていた。
光が収束する。
次の瞬間、はちとバティオスの姿は戦場から消えていた。
あとに残されたのは、破壊された無人兵器と危険遺物の残骸。
そして、誰もいない空間へ手を伸ばしたまま立ち尽くす、いろはだけだった。
伸ばした手の先には、もう誰もいなかった。残骸のある景色は見えているのに、そこからはちの姿だけが消えている。いろはは手を下ろすことも出来ず、先ほどまで相手が立っていた場所を、ただ見つめていた。
――第18話 END――




