第17話 再会は戦いの始まり
AEGISが解散してから、数か月が過ぎた。
かつて同じ場所で過ごした仲間たちは、それぞれ新しい道を歩み始めている。
新たな部隊へ移った者。
訓練を続けながら、次の目標へ進む者。
技術者として研究を重ねる者。
みんなが少しずつ前へ進んでいく中で――天城いろはの時間だけは、あの日から止まったままだった。
周囲の予定が変わり、次に向かう場所の話が増えていく。そのどれを聞いていても、いろはの中には、まだ終わっていない一日があった。明日から家族になるはずだった。そこから先を考えようとすると、いつも、森で途切れた時間へ戻ってしまう。
安藤はちを罠にはめた人物については、すでに調査が終わっている。
ガーディアン上層部にいた一人の人間が独断で計画を進め、はちのSIAと精霊カードの実体化技術を兵器へ転用しようとしていた。
偽の襲撃映像を作り、逮捕状を発行させ、AEGISの解散に合わせてはちを確保する。
その事実が明らかになった後、計画を主導した人物は全責任を問われ、ガーディアンから追放された。
誰が何をしたのかが分かり、責任を問うところまで進んだ。その知らせを受けても、いろはには、これで終わったと思うことが出来なかった。間違いだったと伝えたい相手だけが、その話を聞ける場所にいない。
けれど、それで何かが元へ戻るわけではない。
処分が下ったからといって、はちの受けた傷が消えるわけではない。
次元の裂け目に飲み込まれたはちは、今も見つかっていなかった。
無事でいてほしいと願うことにも、謝りたいと思うことにも、向かう先が見つからなかった。何かが分かればと思い続けていても、今日も、その顔を見られるわけではない。いろはは、同じ名前を胸の中で何度も呼んでいた。
◇
「はちちゃん……」
静かな部屋で、いろはは四人掛けのテーブルを見つめていた。
誰かが帰ってくるのを待っている時のように、いろはは顔を上げかけた。けれど、部屋の静けさは変わらない。言葉に出した名前の先へ、返事が来ることを期待してしまった自分に気づき、またテーブルへ目を戻した。
そこには、いろはとレイ、そしてヴィリノの席がある。
もう一つ。
本当なら、はちが座るはずだった席。
席は、そこにあった。誰かが座る姿まで思い浮かべられるのに、実際に顔を上げても、その相手はいない。四人で囲むはずだったテーブルの形が、今は、埋まらない一人分をはっきり示しているように見えた。
明るく笑いながら料理を並べたり、ヴィリノにカードの遊び方を教えたり、照れた声で「わふっ」と鳴いたりする。
そんな日常が始まるはずだった。
可愛くて、優しくて、思いやりがあって。
どれほど自分が苦しい時でも、誰かのことを先に考えられる子だった。
事故で両親を失い、元の世界へ帰る方法も分からないはちを、自分たちの家族として迎える。
あの日、確かに交わした約束だった。
一緒にいたいという返事を、確かに聞いた。言い終える前に抱き締めたことも覚えている。その時に迎えた相手へ、自分は翌日、何と言ったのか。思い出したい声と、忘れられない声が、いつも同じところでぶつかっていた。
「ごめんね……」
何度口にしても、その言葉は本人へ届かない。
会いたい。
もう一度、あの小さな身体を抱き締めたい。
自分が間違っていたと伝えたい。
偽りの証拠を信じ、はちの言葉を聞くより先に疑ってしまったことを、心から謝りたい。
どうしてと問い詰める前に、何があったのかと聞けばよかった。何度考え直しても、その順番は変えられない。いろははテーブルから目を離せずにいた。用意している謝罪の言葉を渡すための相手が、ここにはいなかった。
けれど、それはもうできない。
はちは、どの世界にもいないのだから。
少なくとも――いろはは、そう思っていた。
◇
それから、さらにしばらく後。
いろはは、かえでとレイの三人で次元震の調査任務へ出ていた。
仕事へ向かえば、確かめるべきことがあり、返さなければならない報告もある。いろははその一つ一つへ意識を向けようとしていた。今、周囲で何が起きているのかを見落とさないよう、二人とともに調査へ入った。
現場は、アルカディアから離れた無人地域だった。
先ほどまで小規模な次元震が観測されていたものの、現在は収まっている。周囲には不自然に倒れた木も、空間の歪みも見当たらない。
目に見える大きな異常がないからこそ、確認を省くことは出来なかった。いろはは岩場と地面へ順に目を向ける。先ほどまでここで観測されていたものと、今見えている景色。その間を埋める手掛かりを探していた。
いろははアークレイを手に、低空を飛びながら周辺を確認した。
「この辺りは異常なし……」
レイとかえでは、それぞれ別方向を調べている。
もう一度、探査結果を確認しようとした時だった。
異常なしと確かめた範囲を、もう一度辿ろうとしていた。まだ見ていないところへ目を向け、手元の結果と見える景色を照らし合わせる。仕事をしている間は、その順序を一つずつ追うことへ、意識を集めようとしていた。
岩場の奥に、淡い光が見えた。
見直しかけた探査結果から、視線が外れた。岩の陰にある明るさは、周囲の景色の中で、そこだけ違って見える。いろはは光の位置を確かめ、何があるのかを見失わないようにしながら、そちらへ向き直った。
「あれは……?」
地面へ降り、慎重に近づく。
そこにあったのは、複雑な紋様が刻まれた小型の遺物だった。周囲の空間には、わずかな揺らぎが残っている。
複雑な紋様を、遠くから見ただけで判断することは出来なかった。残っている揺らぎへも目を向け、いろはは足を止める。正体が分からないまま近づきすぎず、まず二人へ、この場所にあるものを伝えようとした。
今回の次元震と関係する危険遺物かもしれない。
いろはは通信を開いた。
「こちら、いろは。危険遺物と思われる物体を発見しました。これより安全を確認し、回収します」
『了解。無理に触らず、反応があったらすぐに離れて』
レイの声に頷き、遺物へ近づこうとする。
通信の返事が届くと、いろはは物体の位置をもう一度確認した。何か反応があれば離れる。そのつもりで、周囲にも意識を残していた。けれど、次に飛び込んできたものは、目の前の遺物から出た光ではなかった。
その瞬間――。
ブゥンッ!
「っ!?」
横合いから光線が飛来した。
いろはは反射的に身体をひねり、間一髪で回避する。光線は背後の岩を砕き、破片を周囲へ散らした。
砕けた岩の音が、身をかわした後から届いた。いろはは着いた先で姿勢を立て直し、光線が来た方へ目を向ける。今の一撃だけを避けて済むのか。そう確かめるより先に、周囲の景色の中へ、別の輪郭が増え始めた。
「今のは……!」
周囲の地面から、次々と機械兵器が姿を現す。
一体、二体ではない。
十数体もの無人兵器がいろはを取り囲み、一斉に砲口を向けていた。
一つへ目を向けても、その隣に別の砲口が見える。いろはは位置を確かめながら、遺物と自分の間にある距離も見直した。動ける場所が、先ほどまでより狭い。どちらへ移るにしても、相手の動きを見落とせなくなっていた。
「遺物を守っていたの……?」
アークレイを構え、魔力障壁を展開する。
障壁の向こうへ砲口を捉えたまま、いろははアークレイを構え直した。一方向だけを見続ければ、別の攻撃を見落とすかもしれない。遺物へ近づこうとしていた時とは違う緊張が、周囲を確かめる目の動きにも表れていた。
だが、敵の数が多すぎる。単独で正面から相手をしながら、危険遺物まで守るのは難しい。
遺物が何なのかも、まだ確かめられていない。ここで大きく周囲を巻き込めば、別の危険を招くかもしれなかった。いろはは障壁を保ち、味方へ知らせるために声を出す。自分一人で判断しきろうとする状況ではなかった。
「レイ、かえでちゃん! こちらで多数の無人兵器を確認――」
通信を終えるより早く、機械兵器が一斉に動いた。
前方から光線。
左右からは、小型の誘導弾。
いろはは大きく後方へ飛び、いったん距離を取ろうとする。
しかし、無人兵器たちは逃がすつもりがない。横一列に広がり、包囲を狭めながら迫ってくる。
後ろへ下がっても、砲口は追ってくる。距離を取る動きに合わせ、横へ広がる相手の列が目に入った。いろははアークレイを握り直す。次に何をするかを決める時間まで、急かされているようだった。
「くっ……!」
アークレイへ魔力を集める。
その時だった。
シュン――。
戦場を、黒紅の閃光が横切った。
次の瞬間。
横一列に並んでいた無人兵器が、まるで同時に切り裂かれたように停止した。
遅れて装甲が崩れ、次々と地面へ落下する。
さっきまで動いていたものが、列ごと止まっている。いろはは構えを解けないまま、崩れる装甲を見た。どこから来たのか、何が通り過ぎたのか。衝撃を待っていた意識が、追いつけなかった変化を確かめようとしていた。
「えっ……?」
何が起きたのか、目で追うことすらできなかった。
いろはが危険遺物の方へ視線を向ける。
そこには、一体の人型レグナムが立っていた。
W.レグナム《バティオス》。
赤黒い装甲に包まれた巨体。その背には、悪魔を思わせる大きな翼が広がっている。
その輪郭は、いろはの視界の中で大きな場所を占めていた。止まった無人兵器の向こうで、赤黒い装甲が見える。守るように遺物の前へ立つ姿を、いろはは見つめた。助けられたのかどうかを決めるにも、まだ相手が分からなかった。
左腕には鞭状の武装を備えた盾。
右手には、巨大な魔力刃。
先ほどの一閃は、その刃によるものだった。
バティオスは残った敵がいないことを確認すると、危険遺物を守るように立つ。
遺物の前へ立った姿は、すぐにこちらへ攻撃を向けてはこなかった。いろはは次の動きを待ちながら、誰の指示で動いているのかを考える。無人兵器が止まったことも、この巨体が現れたことも、まだ一つの説明には繋がっていなかった。
そして――聞き覚えのある声が響いた。
機械の姿を確かめていた意識が、その声だけで引き戻された。聞き覚えがあるという言葉では足りない。ずっと、もう一度聞きたいと願っていた声だった。いろはは、次の音を聞き逃さないよう、息を止めかけた。
「ご苦労様です、バティオス」
いろはの心臓が、大きく跳ねた。
忘れるはずがない。
何度も夢の中で呼びかけ、何度も謝ろうとした相手の声。
恐る恐る、声のした方へ振り向く。
木々の間から、一人の少女が歩いてきた。
歩いてくる姿を、目が追った。見つけたと思った途端に消えてしまいそうで、視線を逸らせなかった。髪も、顔も、知っている。けれど、すぐに名前を呼ぶには、その姿がここにあるということ自体が、あまりに思いがけなかった。
腰まで伸びる灰黒色の髪。
小さな身体と、見慣れた顔。
けれど、その灰色の瞳だけは、いろはの知っているものとは違っていた。
見慣れた顔へ辿り着いた目が、その瞳のところで止まった。知っている相手なのに、今までと同じように呼びかけられるのか、一瞬迷う。けれど、その迷いより先に、捜し続けていた名前が、いろはの中へ戻ってきた。
「お久しぶりですね……いろはさん」
「……はちちゃん?」
あり得ない。
どれほど捜しても見つからなかった。
次元の裂け目に飲み込まれ、もう会えないと思っていた。
捜しても見つからなかった時間が、一度に戻ってきた。届かないと分かりながら謝っていた部屋も、空いた席も、思い出した。その相手が今、自分へ声をかけている。いろはは返事をしようとして、もう一度、同じ名前を確かめてしまった。
それでも、目の前にいる少女は、くすくすと笑った。
「おかしな人ですね。本人ですよ♪」
「本当に……本当に、はちちゃんなの……?」
「ええ。そうですよ」
はちは、穏やかな笑顔で答えた。
その笑い方を見間違えるはずがない。
本物だ。
はちが、生きていた。
その事実だけで、言いたいことが胸から押し寄せた。どこにいたのか、無事だったのか、そして、あの時は間違っていたと伝えたい。用意し続けていた言葉の順番まで、会えた喜びの中で、いったんほどけてしまった。
胸に押し込めていた感情が、一気にあふれ出す。
「はちちゃ――」
いろはが駆け寄ろうとした瞬間。
「近寄らないでください」
冷たい声が、二人の間を切り裂いた。
声が届いたところで、いろはの足が止まった。近づけば、やっと手が届くと思っていた。その短い距離へ、目には見えない線が引かれる。聞こえた言葉を受け止めながら、いろはは、はちの表情を見直した。
「……え?」
はちの笑顔が消えている。
その瞳には、何の光もなかった。
喜びも、悲しみも、怒りさえも凍りついたような目。
「また、裏切られるかもしれませんからね」
また、という言葉が胸へ残った。はちにとって、自分は、一度裏切った相手なのだ。会えた喜びのあまり飛び越えようとしていたものが、そこには残っている。いろはは止まった足をそのままに、相手の声を聞いた。
「はちちゃん……」
生きていてくれた。
けれど、はちの心はあの日に取り残されたままだった。
いろはは拳を握り、震える声で言葉を絞り出した。
謝りたかった相手が、今は、声の届くところにいる。けれど、用意していた言葉を口にするにも、思っていた以上の力が要った。会えば抱き締められると思っていた身体をその場へ留め、いろはは、まず自分の過ちを認めた。
「あの時のことは……私が間違ってた」
はちの瞳から逃げず、正面から向き合う。
視線を逸らせば、自分が話したいことばかりを並べてしまいそうだった。いろはは、こちらを見ている瞳を受け止める。今度は、思っていた通りの返事が来るとは限らない。その相手へ向けて、謝る言葉を口にした。
「偽物の証拠を信じて、はちちゃんの話を聞こうとしなかった。本当にごめんなさい」
喉が詰まり、声が掠れた。
「でも、はちちゃんと家族になりたいと思ったことは、本当だよ」
はちの表情が、ほんのわずかに揺れた。
動いた表情を見つけると、いろはの中に小さな期待が生まれた。家族になりたかったという言葉だけでも、届いたのかもしれない。けれど、その変化が何を意味するのかまでは、まだ分からなかった。いろはは続きを伝えようとした。
いろはは、その小さな変化を見逃さなかった。
「もう一度、やり直そう。今度こそ、ちゃんとはちちゃんの言葉を聞くから」
けれど――。
「信用できませんね」
返ってきたのは、短く冷たい拒絶だった。
短い返事の後に、言い添える声はなかった。いろはは、その間に何かを探してしまう。謝れば、もう一度顔を上げてもらえるかもしれない。そう願っていた気持ちが、返ってきた拒絶の前で、行き先を失っていた。
「そんな……」
「どうすれば、許してもらえるの?」
涙がこぼれそうになるのを堪え、いろはは問いかける。
「どうすれば、もう一度信用してもらえるの? 教えてよ……。今の私には、謝ることしかできないから……」
はちは少しだけ俯いた。
問いかけたあと、いろはは相手の口元を見ていた。何か出来ることがあるのなら、聞きたかった。はちはすぐには答えず、わずかに顔を下げる。その沈黙の中へ、自分の言葉を重ねてよいのか分からず、いろはは待った。
「あの時のことなら、もう許していますよ」
「えっ……?」
思いがけない答えに、いろはは顔を上げる。
許している。その答えだけを聞くと、先ほどまで閉ざされていた道が、少し開いたように感じられた。いろはは顔を上げ、はちの続きを聞く。けれど、こちらへ向けられている距離が縮まったわけではなかった。
「いろはさんは、ガーディアンの局員として自分を捕まえに来ただけですから。上から命令され、証拠を見せられた。なら、あの行動を選んだのも仕方がなかったのでしょう」
「だったら――」
「でも」
はちが言葉を遮った。
「許すことと、もう一度信じることは別です」
許されたと聞いて動きかけた気持ちが、その一言で止まった。はちは言い争うために声を高くしたわけでもない。自分がどこまで相手にしてもらえるのかを、静かに示されたようだった。いろはは続く言葉へ耳を向けた。
静かな声だった。
だからこそ、その言葉は深く胸へ突き刺さった。
あの時のことを責め続けるのと、今ここで頼ってくれるのは、同じことではなかった。許されたなら戻れるのではないかと、思いかけていた自分に気づく。いろはは、はちが言い終えた言葉を、すぐには押し返せなかった。
「自分と精霊カードたち以外は、もう信用しません。どうせ信じても、最後には裏切られますから」
「そんなことない!」
いろはは思わず声を上げた。
「私は、もうはちちゃんを裏切らない! だから……やり直そう」
もう一度、家族になりたい。
失った時間を、少しずつ取り戻したい。
その気持ちだけは嘘ではない。
それを分かってもらえたらと、いろはは願っていた。空いた時間を、一度になくせるわけではない。それでも、これからを一緒に過ごしたい気持ちは残っている。その願いを伝えることと、信じてもらうことの間には、まだ大きな隔たりがあった。
だが、はちは強く首を振った。
「無理です!」
初めて、その声に感情が滲んだ。
静かに返されていた声が、そこで強くなった。いろはは思わず息を呑み、次の言葉を聞いた。何も感じていないように見えた瞳の奥にも、触れれば痛むものが残っていたのだと思い知らされる。
「自分は、いろはさんたちを含めたガーディアンの人間を信用できません!」
「はちちゃん……」
これほど深く傷つけてしまった。
謝るだけでは届かないほどに。
いろはは何も言えず、黙り込んだ。
言葉を返せないまま、はちの姿を見ていた。近くにいる。声も聞こえる。それなのに、届かない。捜していた間とは違う形で、距離の遠さを感じていた。謝ることしか出来ないと口にした自分の声まで、胸の中へ戻ってきた。
何をすればいい。
どうすれば、はちの止まった時間を再び動かせるのか。
答えを探すいろはへ、はちが背を向けた。
向き合っていた顔が、視界から外れていく。いろはは何か言おうとしたが、すぐには言葉が続かなかった。答えを探している間にも、はちは別の目的へ向かって動き出す。その背中を、ただ見送って済む状況でもなかった。
「……話は終わりです」
そして、危険遺物の前に立つ人型レグナムへ命じる。
「バティオス。そこの遺物を封印した後、破壊してください」
「了解した」
低い声で答え、バティオスが巨大な魔力刃を構える。
命令を受けた巨体が動くと、いろはの意識も遺物の方へ向いた。話を終えようとするはちの背と、構えられる刃が、同じ視界の中にある。まだ調べ終えていないものへ何が起こるかを考え、いろはは声を上げた。
「待って、はちちゃん!」
次元震を起こした可能性がある遺物を、その場で破壊するのは危険すぎる。
どんな反応が起きるのか分からない。
いろははバティオスを止めるため、前へ飛び出そうとした。
その進路を、はちが塞ぐ。
止めようとした先へ、はちが入ってきた。目の前の相手を避けずには、バティオスへ届かない。いろははその位置を見て、動きかけた身体を止めた。話を続けるための距離が、今は、進路を塞ぐ距離へ変わっていた。
「その間は――自分が相手をします」
「はちちゃん……何を……」
はちは右手を、何もない空間へ差し入れた。
水面のような波紋が広がり、黒い空間から一本の杖が引き出される。
黒を基調とした外装。
いろはのアークレイとよく似た形状を持ちながら、禍々しい暗色の魔力光を宿した砲撃デバイス。
似た形を知っているからこそ、目がそこへ留まった。自分の手元にあるものと、目の前へ現れたもの。その違いを見比べようとしても、はちは説明するために取り出したわけではない。先端がこちらへ向くところまで、いろはは見ていた。
「ダーク……アークレイ……?」
なぜ、はちがそれを持っているのか。
いつ、これほどの技術と力を手に入れたのか。
疑問に答えることなく、はちはダークアークレイの先端をいろはへ向けた。
「警告します」
周囲へ、黒い魔力が集まり始める。
集まってくる魔力の色を、いろはは視界に捉えた。再会した相手が、自分へデバイスを向けている。聞かなければならないと思っていた話の先に、この構えがある。いろははアークレイを手にしたまま、警告の続きを聞いた。
「そちらが殺傷設定なら、死にたくなければ今すぐ非殺傷設定へ切り替えてください」
「どういう意味……?」
「自分は、人を殺めたくありません」
それは脅しではなかった。
相手を殺さないために告げられた、本気の警告。
その事実が、いろはの胸をさらに締めつける。
人を殺したくないという言葉は、以前のはちからも遠くない。それなのに、今は、向けられたデバイスの先から告げられている。守りたいと思っていた気持ちと、戦いを止めたい思いが重なり、いろははもう一度呼びかけた。
「やめて、はちちゃん!」
名前を呼んだ声が、向けられた杖の前へ届いた。はちはそこにいる。顔を知っている相手へ、こんなふうに止まってほしいと訴えることになるとは、思っていなかった。いろはは相手の返事を待ちながら、手元のアークレイを離せずにいた。
戦いたくない。
やっと再会できたのに。
抱き締めることも、謝ることもできないまま、傷つけ合いたくなどない。
やっと名前を呼べた。姿を見て、生きていたと分かった。その先に望んでいたのは、こうして武器を挟んで向かい合うことではなかった。けれど、手を伸ばすことも、近づくことも拒まれている。声だけで止まってほしいと、いろはは願った。
「行きます……」
「待って!」
いろはの願いは届かなかった。
ダークアークレイの先端で、漆黒の光が弾ける。
ドンッ!
放たれた黒い魔力弾が、一直線にいろはへ迫った。
光が放たれたことで、もう待つだけではいられなくなった。まっすぐ向かってくる一撃を、いろはは見た。話しかけるために開きかけた口から、別の息が漏れる。今は、その攻撃を受け止めるために、動かなければならなかった。
「くっ……!」
いろはは咄嗟にアークレイを構え、障壁を展開する。
止めたいと思う気持ちだけでは、迫る一撃を防げない。いろはは目の前へ障壁を置き、その向こうから来る光を見据えた。再会した相手を傷つけたくないという願いを抱えたまま、自分を守るための構えを取っていた。
黒い閃光が障壁へ激突し、轟音と衝撃が辺り一帯を揺らした。
目の前で光がぶつかり、音が辺りへ広がった。いろははアークレイを握ったまま、その向こうのはちを見失わないようにした。会えたと確かめた顔が、今は、障壁を隔てた場所にある。二人の間へ、戦いの衝撃が押し寄せていた。
こうして――。
待ち続けたはちとの再会は、互いの心を結び直すものではなく。
戦いの始まりを告げる、引き金となった。
――第17話 END――




