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転生した主人公が次元神になる  作者: ヘルカイザー
第1部

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第15話 明かされた冤罪と、届かない謝罪



 AEGISの解散直後、うちはガーディアン上層部から一つの任務を受けた。


 解散という区切りを迎えても、ガーディアンの仕事まで終わるわけではない。それは分かっていた。けれど、次に受ける任務が、あの子へ向かうものになるとは思わへんかった。聞き慣れた名前を前に、うちは命令の続きを確かめた。


 安藤はちの捜索、及び逮捕。


 命令を聞いた時から、胸の奥には妙な引っ掛かりがあった。


 任務の名前として聞けば、短い言葉で済んでしまう。けれど、そこに入っているのは、昨日も顔を合わせた子の名前や。何を知り、何を知らんまま動くことになるのか。その引っ掛かりを、うちは簡単には飲み込めへんかった。


 正直、気は進まへんかった。


 はちが、理由もなくガーディアン局員を襲うような子には思えない。

 けれど、上層部からは事件の証拠だという記録映像まで提示されている。


 そこには、局員を襲うはちの姿がはっきりと映っていた。


 見覚えのある顔を、何度も確かめた。こちらへ笑いかけた時の顔も、カードを手にしていた時の様子も覚えている。その子が、こんなところで局員へ手を出している。映像を見直しても、胸にある違和感は薄まらへんかった。


 うちらもガーディアンに所属する人間や。

 正式な逮捕状が発行され、任務として命令された以上、従わなあかん。


 任務として動くことと、心の中で納得することは、同じ早さでは進まへんかった。こちらが迷っていても、命令は正式な形で届いている。その形を確かめるたび、うちはまた、はちの顔を思い浮かべてしまった。


「しかし……はちが、そんなことするとはな……」


 端末に表示した記録映像を見ながら、思わずつぶやく。


 疑ってかかるつもりで見ても、そこに映った姿は変わらない。目を離した後も、同じ顔が頭に残る。何か一つでも説明のつくところが欲しかった。うちは端末を前に、知っているはちの姿と、記録の中の少女を見比べ続けていた。


 何度見直しても、映っている少女ははちにしか見えない。


 その時、傍らで同じ映像を眺めていたフレイヤが、不思議そうに首を傾げた。


 腕の外側に展開した円形ディスクは、フレイヤの姿を支える光を保っている。傍らで映像を見ていたその顔が変わったことに、うちは気づいた。驚くというより、知っていることと食い違っているような、不思議そうな顔やった。


「あれ? はちさん、この場所へ行っていましたっけ?」


「……何やって?」


 うちは勢いよく顔を上げた。


 今、何と言った。もう一度聞き返す前に、身体がそちらへ向いていた。顔が同じかどうかばかり見ていたところへ、別の確かめ方が差し込んできた。うちはフレイヤを見つめ、続く言葉を待った。


「フレイヤ! 今の話、本当なんか?」


 映像に表示されている日時を、もう一度確認する。


 日時の表示を、今度は流さずに読む。その時間に何が起きたことになっているのかを、フレイヤの言葉と並べ直した。映像は何度も見ていた。それでも、この見方では、まだ確かめていなかったのだと気づいた。


 もしフレイヤの言葉が本当なら、上層部が提示した証拠そのものが偽物ということになる。


 映像の中に何があるかだけではない。その時、本人がどこにいたかを確かめられる。はちが別の場所にいたのなら、この記録をそのまま理由にして動くわけにはいかへん。日時を示す表示へ、うちはもう一度目を戻した。


「はい……。この日時、はちさんはこんな場所へ行っていませんよ」


 フレイヤは記録映像を見つめ、はっきりと言った。


「むしろ、その日はずっと技術室にいました」


「何やって……」


 息を呑む。


 技術室にいた。その一言を、頭の中で繰り返す。はちがいつも作業をしていた場所や。目の前にある記録と、フレイヤの覚えている時間は、同じ本人の行動としては繋がらない。うちは言葉を失いかけ、それから、ほかにも確かめるべきことを考え始めた。


 映像が本物なら、事件を起こしたのははちではない。


 いや――違う。


 そもそも、ガーディアン局員が襲撃されたという事件自体、今回の逮捕命令で初めて聞いた。


 そんな重大事件が本当に発生していたなら、AEGISの指揮を預かっていたうちの耳にも入っているはずや。


 隊員たちの動きや、仕事に関わる報告を聞いてきた。その中に、本当にそんな事件が抜け落ちていたのか。うちはこれまで受けた話を思い返した。映像へ向けていた疑問が、その外側にあるはずの情報へと広がっていく。


 事件の報告もない。

 負傷した局員の情報もない。

 それなのに、はちを犯人と断定する映像と逮捕状だけが、解散の日を狙ったように用意されている。


 何かが起きたから捕まえるという話のはずや。それなのに、捕まえるためのものばかりが先に揃っている。その並びを考えると、任務を受けた時から胸にあった引っ掛かりが、もう、ただの気分では済まなくなっていた。


「まさか……罠?」


 一体、誰が何のために。


 そこまで考えた時、最悪の可能性へ行き着いた。


 解散した直後という時期まで、急に意味を持って見えてきた。はちを守っていた場所へ区切りがついたところで、正式な命令が出ている。うちらが任務として従うことも含めて、誰かの都合になっているのではないか。考えるほど、嫌な筋道が繋がっていった。


「はちの能力が……上層部に知られたんか?」


 AEGISから提供された、いくつもの高度な技術。

 ノエルが開発者として報告していたが、実際にははちが作ったものも含まれている。


 誰かがその事実へたどり着き、はちを手に入れるために罪をでっち上げたのだとしたら。


 はちが話す前に、誰かがその力へ気づいていた。そう考えれば、守ってきた秘密と、今日出された命令が、ひどい形で繋がってしまう。こちらに仕事を命じる言葉の裏へ、その子を手に入れたいという都合が隠れていたのかもしれん。


「汚すぎるな……」


 腹の底から、怒りが込み上げてくる。


 こちらは、正式な命令だからと考えていた。その命令自体が、はちを追い詰めるために用意されたものやとしたら。うちは端末へ向けていた手に力を入れた。従うべき形をしているからこそ、見落としてはいけないことがあった。


 はちは、外見も心もまだ十歳の子供や。


 どれだけ人手が足りないとしても、どれほどはちの能力が欲しいとしても、子供一人を罠に陥れていい理由にはならない。


 はちは、いろはちゃんとレイちゃんを信じていた。

 明日から家族になれることを、心から楽しみにしていた。


 昨日、小箱を差し出した時の声は明るかった。皆のこれからを祝いたいと、そう言ってくれた。自分にも家族が出来ると楽しみにしていた子を、その翌日に追うことになる。うちは、自分たちがどこへ立たされているのかを、改めて考えた。


 その信頼を利用するような形で追い詰められたのなら、心にどれほど大きな傷を負ったか分からない。


 うちらのところへ来てくれた時から、あの子は何度も周りへ気を遣っていた。昨日の贈り物にも、その気持ちが詰まっている。そんな相手を、仲間の手で追いかけさせているかもしれない。考えているだけでは、もう済まされへんかった。


 うちは通信回線を開いた。


「捜索に参加している全部隊へ通達! 安藤はちの捜索及び逮捕任務は、直ちに中止や!」


 言い終えるまで、声を緩めるつもりはなかった。間違いかもしれないと思いながら、そのまま捜索を続けさせるわけにはいかない。まず、止める。はちへ向けられた任務を、これ以上進めさせてはあかんかった。


 命令を伝えた直後、別の通信が割り込んだ。


『かえで部隊長! 次元震の発生を確認しました!』


「くっ、こんな時に……! 場所は!?」


 通信を送ってきたノエルへ、発生地点を尋ねる。


『それが……はちさんたちのいる森林区域です!』


 聞こえた場所を、すぐには別の言葉へ置き換えられへんかった。はちがいる。いろはちゃんたちも向かっている。その場所で、次元震が起きた。通信の向こうにいる人たちの顔が、一度に頭へ浮かんだ。


「何やって!?」


 まずい。


 はちだけでなく、捜索へ向かったいろはちゃんとレイちゃんも危険や。


「現地の状況を確認! 救援部隊を――」


『待ってください!』


 ノエルが声を上げる。


『次元震、収束しました……』


 収束したという声を、うちは聞き逃さないようにした。発生が続いているのか、終わったのか。その違いが今は大きかった。まず危険が収まったのなら、現地を確かめ、みんなの無事を聞けるかもしれない。そう考えたかった。


「そうか……良かった……」


 うちは大きく息を吐いた。


 返ってくるはずの無事の知らせを、うちは待とうとしていた。次元震が収まったのなら、まだ出来ることがある。そう思った分だけ、次に通信が入った時には、急いでこちらの話を伝えたい気持ちも強くなっていた。


 短時間で収まったのなら、最悪の事態は避けられたかもしれない。


 そう思った直後だった。


『かえでちゃん……』


 通信端末から、いろはちゃんの声が聞こえた。


「どうしたん、いろはちゃん?」


 映像を開くと、いろはちゃんの顔が映し出される。


 けれど、その表情は暗く、唇が震えていた。


 顔が見えたことに、安心しかけていた。けれど、その表情を見れば、無事だったと喜んで話を進めてよいわけではないと分かる。唇が動き、言葉になるまで間がある。うちは自分から話そうとしていた内容を、一瞬だけ止めた。


「聞いてのとおりや。はちの捜索は中止――」


『はちちゃんが……』


 いろはちゃんの目から、涙があふれた。


 名前の後に、続くはずの言葉が来ない。その声の途切れ方が、何より不安を強くした。捜索を止めたと伝えれば済むと思っていたところへ、まだ知らないことがある。うちは画面の中の顔から、目を離せなくなっていた。


『はちちゃんが……!』


「何があったん!?」


『はちが、次元の裂け目に吸い込まれました……』


 画面の向こうで、レイちゃんが言葉を続けていた。その顔を見ても、すぐに問い返せなかった。吸い込まれたという一言の先に、今ここから追いかけられる道があるのか。うちは、そのことへ考えを繋げようとした。


 レイちゃんが、声を絞り出すように続けた。


『アリアさんとセレスティア、それから、はちが呼んだ竜も……はちを助けようとして、裂け目へ入りました』


 うちは、画面へ身を寄せた。


「皆、はちを追って入ったんか?」


『はい。その後、裂け目が閉じて……誰も戻ってきていません』


 レイちゃんの傍らで、いろはちゃんは俯いていた。何かを言おうとして、唇が動く。けれど、声にはならへんかった。


 はちだけやない。あの子を守ろうとした精霊たちまで、こちらから見えへん場所へ消えてしまった。向こうでどうなっているかは、誰にも分からない。


 言葉は、はっきり聞こえた。それなのに、すぐには受け止められない。今から捜して、事情を伝えなければならない相手が、裂け目へ消えた。ついさっきまで考えていた順番が、頭の中で急に行き場を失った。


「そん……な……」


 一瞬、頭の中が真っ白になった。


「ノエル! はちの位置は特定できるか!?」


 探さなければならない。


 見つけ出して、この事件が罠だったと伝えなければ。

 そして、何より先に謝らなければならない。


 間違っていたと分かったことを、本人が知らないままにしておけへん。疑われて、追われて、そのまま消えてしまったのなら、こちらの声は何一つ届いていない。もう一度会える場所を示してほしい。うちは通信へ、そう願うように耳を傾けた。


『今、追跡しています!』


 ノエルが端末を操作する音が聞こえる。


「精霊たちの反応も確かめてくれ! 何か一つでも追えるものが残ってへんか!」


『確認します!』


『次元座標を逆算……残留反応を検索……くっ!』


 端末を操作する音の間に、ノエルの声が重なる。こちらから出来ることを探しながらも、その返答を待つ時間ばかりが長く感じられた。まだ追えるなら、どこかへ繋がるものが残っているなら。うちは言葉を挟まず、続きを待った。


 やがて、悔しそうな声が届いた。


『目標、ロストしました……。転移先を特定できません』


 返ってきた答えを、聞き違いには出来へんかった。行き先を示す場所がない。目の前に道を出してもらえると思いたかった気持ちが、そこで止まる。うちは画面を見つめたまま、すぐには次の言葉を見つけられなかった。


「あかんか……」


 うちは拳を強く握った。


 悔しさをどこへ向けても、はちが戻るわけではない。まず、今ここにいる人へ真相を伝えなければならなかった。何も知らずに追い続ける時間を終わらせることと、すでに起きたことを受け止めること。その両方から、目を逸らすわけにはいかへん。


 今は、いろはちゃんたちにも伝えなければならないことがある。


「いろはちゃん、レイちゃん……一度戻ってきてくれへんか。話したいことがあるんよ」


『……了解』


『分かりました……』


 力のない二人の返事が重なった。


 返ってきた声には、いつもの力がなかった。はちがどんなふうに二人と顔を合わせたのか、まだ全てを聞けていない。それでも、今日の命令と映像が何を招いたのかを、こちらも話さなければならない。通信を終えるまで、うちは二人の顔を見ていた。


     ◇


 AEGIS本部へ戻ったいろはとレイへ、かえでは全てを話した。


 戻ってきた二人を前に、かえでは判明したことを一つずつ伝えた。言葉を選んでも、伝えなければならない内容は変わらない。いろはとレイは、その声を遮らずに聞いていた。


 フレイヤの証言。

 映像に記録された日時、はちが技術室にいたこと。

 局員襲撃事件そのものに正式な記録が存在しないこと。


 映像の日時を、二人も改めて聞いた。その時に別の場所にいたという証言と、事件そのものを裏づける記録の欠如。かえでが示す事柄は、森で本人へぶつけた問いの前提を、一つずつ崩していった。


 そして、はちを捕らえるために上層部の誰かが仕掛けた罠である可能性が高いこと。


 聞かされる話が増えるほど、森での出来事の見え方も変わっていく。映像を見せられた時には分からなかったことが、今は言葉として揃っている。けれど、その真相を一番に聞いてほしい相手は、この部屋にいなかった。


     ◇


 かえでちゃんから話を聞き、私は自分がどれほどひどいことをしてしまったのか思い知らされた。


 私は、はちちゃんに何と言った?


 自分の口から出た声を、もう一度聞くようだった。あの時、言葉にする前に、何を確かめただろう。本人を見つけて話を聞くと決めたところから、いつの間に、したことの理由を聞く方へ進んでしまったのだろう。


『どうして、こんなことをしたの?』


 本人の言葉を聞くと決めていたはずなのに。


 証拠映像を見た途端、そこに映っている偽物を真実だと思い込み、はちちゃんを最初から犯人として問い詰めてしまった。


 はちちゃんが何か言おうとしていたことを、覚えている。それなのに、私は先に問いを重ねた。映像の中の出来事を、あの子がしたこととして置いてしまえば、そこから返せる言葉がどれほど少なくなるか。今になって、その重さが分かった。


 あの時、はちちゃんは泣いていた。


 その後に伸ばされたアリアさんの手を、私は覚えている。


 セレスティアの翼も、あの大きな竜が攻撃をやめた瞬間も。


 私へ向けられるはずだった力が収められ、竜ははちちゃんへ向き直った。裂け目へ吸い込まれていく小さな身体を追って、迷わず爪を伸ばした。


 あの子は、助けてと命じてはいなかった。


 それでも、皆が動いた。


 私は、その背中を見ていた。会ったらまず話を聞こうと思っていた私が、はちちゃんを問い詰めている間も、あの人たちは、あの子のそばにいたのだ。


 私たちを信じ、自分から姿を現した。

 誤解を解こうとしていた。


 それなのに、私はその言葉を遮った。


 私を見て、言葉を探していた顔が浮かんだ。聞こえなかったのではない。聞き終える前に、こちらの答えを求めてしまったのだ。もう一度あの場へ戻れたならと思っても、その時に私がしたことは、変わってくれなかった。


『信じていたのに……』


 涙を流しながら告げた、はちちゃんの声が耳から離れない。


 怒っていた声より、泣きながらこぼれたその一言の方が、胸から離れなかった。どれほど期待して、会いに来てくれたのだろう。逃げることも出来たのに、私たちの前へ姿を見せた理由を、私は、その時には受け止められなかった。


 はちちゃんは、私とレイを家族として信じてくれていた。


 明日から一緒に暮らすことを、楽しみにしてくれていたはずなのに。


 私たちは、その信頼を裏切ってしまった。


 裂け目が開いた時、私も手を伸ばした。

 レイも、はちちゃんを助けようとしていた。


 けれど、その前に私が何をしたのかまで、変わるわけではない。


 最後に助けようとしたのだからと、自分を許すことはできなかった。はちちゃんには、私の手がどう見えたのだろう。もう一度捕まえようとしていると思わせてしまったかもしれない。確かめたい言葉が増えても、答えてくれるあの子はここにいなかった。


 家族になろうと言ったのは、私たちの方だった。ここにいてほしいと伝え、その返事を受け取った。そのすぐ後で、あの子が自分の言葉を聞いてもらえないと思うような向き合い方をした。そのことから、もう目を逸らせなかった。


「謝りたい……」


 今すぐ、はちちゃんに会いたい。


 抱き締めて、何度でも謝りたい。


 ごめんねと伝えたい。信じたかったはずの私が、どうしてあんな言葉を向けたのか、自分でも上手く説明出来ない。それでも、傷つけたことだけは確かだった。今はただ、目の前にいてくれたならと思ってしまう。


 けれど、はちちゃんは次元の裂け目へ消えてしまった。


 どこの世界へ飛ばされたのかも分からない。


 追っていった皆も、戻ってこなかった。


 今も誰かが、はちちゃんの手を握っていてくれたら。アリアさんが声を掛け、セレスティアがそばにいてくれたら。


 そう願った。けれど、無事だと分かっているわけではない。皆が一緒なら大丈夫だと、自分を安心させるために決めつけることも、もうしたくなかった。


 捜しに行く場所さえ分からない。その言葉が、謝りたいと思うたびに戻ってきた。声をかければ届くところに、もう、はちちゃんはいない。昨日まで当たり前だった距離を、取り戻す方法が見つからなかった。


「あと……これは、はちから預かっていたものや」


 かえでちゃんが、机の上へいくつかの小箱を置いた。


 それぞれ、受け取る人の名前が書かれたリボンで結ばれている。


 いくつもの小箱が、机の上へ並んだ。名前が書かれていることに気づくと、私は思わず自分のものを探した。誰へ渡すかを決め、ひとつずつ用意した人がいる。その人の手元にあったものが、今ここへ届いていた。


「かえで、これは……?」


 レイが、自分の名前の書かれた箱を見つめながら尋ねる。


 レイの目も、箱の上へ留まっていた。問いかける声は聞こえるのに、私はすぐにはそちらを向けない。私たち二人へ、それぞれ残されたものがある。そう分かるだけで、名前の書かれた箱が、手を伸ばすには重いものに見えた。


「開けたら分かる。それを見れば、フレイヤが何者なのかも、うちが上層部の罠に気づけた理由も分かるはずや」


 私は震える指で、自分の名前が書かれた小箱を手に取った。


 小さな箱を持つための動きなのに、指先がなかなか落ち着かなかった。名前を確かめ、箱の端へ手を添える。何が入っているのか、まだ知らない。それでも、はちちゃんが私へ渡そうとしたものだということだけで、胸が苦しくなった。


 リボンを解き、ゆっくりとふたを開ける。


 リボンがほどけていくのを、目で追った。結ぶ時には、どんな顔をしていたのだろう。開けるところを見たかったかもしれない。そんな考えが浮かぶたび、今ここにあの子がいないことを、改めて思い知らされた。


「これは……」


 中に入っていたのは、一枚のカードに対応した腕時計型の小型召喚端末。


 そして、一枚の精霊カード。


 さらに、私へ宛てたメッセージが書かれた紙が添えられていた。


 端末とカードだけでなく、私へ伝えたい言葉まで入っていた。紙が添えられているところを見たまま、私はしばらく手を止めた。はちちゃんのいない部屋で、その言葉を読むことになるとは、思ってもいなかった。


「かえでちゃん、これは……」


「小型召喚端末や。はちが皆をびっくりさせたい言うて、うちに預けてくれたんよ」


 びっくりさせたかった。その気持ちを聞くと、渡すところを思い浮かべているはちちゃんの顔が、自然に浮かんだ。受け取って喜ぶところを、きっと期待してくれていた。私は、その時に返すはずだった言葉を探して、何も言えなくなった。


 私はカードを手に取った。


 描かれているのは、星明かりをまとった美しい竜――星護竜アステリオン。


 その姿を見つめているだけで、不思議と胸が締めつけられた。


 カードの中の竜は、静かにそこへ描かれていた。名前を目で確かめ、それから、もう一度その姿を見る。これを私へ贈ろうと決めたはちちゃんがいる。そう思うだけで、持っている一枚を、簡単には動かせなくなった。


 私は、はちちゃんからのメッセージを開いた。


 紙へ目を落とし、書かれた言葉を最初から追った。読み飛ばしてはいけないと思った。私へ向けて残してくれたものを、今度こそ最後まで受け取らなければならない。私はカードをそばに持ったまま、一行ずつ読み進めた。


『今日まで、AEGISでの任務お疲れさまです。


 突然の記念品が届いて、びっくりしましたか?


 AEGISが解散した後、皆さんはそれぞれ別の道を歩んでいくと思います。


 これから先、楽しいこと、嬉しいこと、苦しいこと、つらいこと――いろいろあるかもしれません。


 それでも負けずに、皆さんらしく楽しい人生を歩んでください。


 いろはさんには、精霊カードの一枚――星護竜アステリオンを贈ります。


 いろはさんは、誰かを助けるためなら、自分を犠牲にしてしまう人だと思います。


 でも、自分はいろはさんにも元気でいてもらいたいです。


 アステリオンの力の一つ《アストラル・サンクチュアリ》は、自らを犠牲にして仲間を守る力です。


 アステリオンも、いろはさんのことを気に入っていました。


 自分もそれに同意して、アステリオンを贈ることにしました。


 きっとアステリオンも、いろはさんたちを守りたいと思っています。


 どうか、このカードを大切にしてあげてください。


 その方が、アステリオンも喜びます。


 安藤はちより』


 ぽたっ。


 紙の上へ、涙が落ちた。


 落ちたところへ視線を止め、私は紙を持つ指に力を入れた。まだ読み終えた言葉が、胸の中で動いている。泣いていても、そこへ書かれた願いを、なかったことには出来ない。私は滲む文字を、もう一度見つめた。


 続けて、何滴もこぼれていく。


 文字がぼやけるたび、目を凝らして読み直した。今日までの仕事を労い、この先の人生を案じてくれている。そこには、私が森で向けたような疑いは、どこにもなかった。最後にある名前を見ると、また涙がこぼれてしまった。


 はちちゃんが、ここまで私たちのことを思ってくれていたなんて。


 自分の大切な精霊カードを、私たちへ託そうとしてくれていたなんて。


 自分のもとに残しておきたいものだったはずだ。それを、私たちがこれからも元気でいられるようにと贈ってくれた。受け取った端末とカードを見比べても、そこへ込められた思いは、一度では受け止め切れなかった。


 自らを犠牲にして仲間を守る力。


 手紙に書かれたその言葉を見つめると、裂け目へ向かった翼が浮かんだ。


 はちちゃんは私が元気でいられるように、この竜を託してくれた。そのはちちゃんを守ろうと、別の竜が、攻撃をやめて闇へ飛び込んでいった。


 私は、どちらの思いも、その場で受け止められなかった。


 それほど私たちを信じていたのに。


 家族になりたいと願ってくれていたのに。


 私は、はちちゃんを裏切ってしまった。


 手紙を読んで初めて知った願いがある。でも、一緒にいたいと思ってくれていたことは、昨日、直接聞いていた。知らなかったからでは済まない。知っていた思いさえ、あの場では、きちんと守れなかった。


「はち……ちゃん……」


 カードと手紙を胸元へ抱き締める。


 胸へ寄せても、差し出してくれた手に触れられるわけではなかった。ここにあるのは、あの子が用意してくれた贈り物だけだ。大切に持っていようと思う気持ちと、本人へ返したい言葉が、胸の中で行き場を探し続けていた。


 私は、あの子に何と謝ればいいのだろう。


 答えは見つからなかった。


 何と言えば、あの時に失わせたものへ届くのだろう。謝る言葉を考えても、その先に、今はいないはちちゃんの顔が浮かぶばかりだった。会いたいという願いまで、自分の都合なのではないかと思うと、声を出すのも苦しかった。


 ただ、はちちゃんへ届くはずのない謝罪だけが、涙とともにこぼれ落ちた。


「ごめんね……はちちゃん……」


――第15話 END――

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