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残業しか知らなかった社畜が、ピンチヒッターでライブに出たら人生が変わっていた話  作者: Soh.Su-K


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第8話 朝

 強烈な頭痛が加藤を叩き起こした。見知らぬ天井だった。


 慌てて周りを見渡す。カーテンを閉め切った暗い室内は散らかっていた。ワンルームの間取りに、ベッドとちゃぶ台、メタルラックと無骨なデスク。家具らしい家具はそれくらいでテレビもない。デスクの上にはタワータイプのデスクトップが鎮座し、メタルラックにはレコードとCDが再生できるマルチプレイヤー。周りには様々な時代のCDやレコードが散らかっていた。そして一番目を引いたのは、2本のベース。フェンダーのジャズベースとミュージックマン・スティングレイ、そして空のベーススタンドがもう1つ。


「村石……」


 この部屋の主が、隣で寝ていた。お互い一糸まとわぬ姿でベッドにいる時点でそういう事なのだろう。別の意味でも頭痛がしてきた。


 自分はこんなにも女にだらしない人間だったのか。


「あれ……、加藤さん……」


 村石が目を覚ました。寝起きでまだポワポワしている。


「村石さん……、これは……、そういう事なんだよね……?」


「加藤さん、やっぱりお酒弱いんですね」


 村石がクスクスと笑う。


「それに、昨日は怜子って呼んでくれたのに」


 加藤は再び頭を抱えた。


「なんでこうなったのか、全く覚えてないんだけど……」


「逆に、何処まで覚えてます?ルーにキスされたところは?」


「そこまでは何とか。てか、やっぱりアレは夢じゃなかったのね……」


「その後はメチャクチャでしたよー。私と菊永さんで加藤さんの取り合い、加藤さんはルーにビールを飲まされまくってゲロゲロ~」


 ケラケラと笑いながら説明する村石。


「俺、吐いたのか……」


「近くにあったどんぶりでキャッチしたので大丈夫です!」


「え、村石さんが介抱してくれたの?」


「だから私の家にいるんですよ?」


「……申し訳ない」


「謝らないでください、一番悪いのはルーですから」


 酔った女性を介抱したことは何度もあるが、自分が介抱される日が来るとは思っていなかった。その上、菊永との関係もある。加藤の頭に「転職」の二文字が過った。


「今、菊永さんの事考えたでしょ」


 思わず吹き出す加藤。勢い余って鼻水が出た。ティッシュで鼻をかみながら村石を見る。


「その感じだと、セフレ程度の関係ですか?」


「……まぁ」


「別にそこの事に対して、とやかく言うつもりはありません。ただ……」


「ただ……?」


「昨晩の約束通り、今日から加藤さんは私の物なので」


「……はぁ?」


「加藤さんは覚えてないでしょうけど、昨日の夜、加藤さんの彼女は私って事を約束してもらいましたので」


「……いつそんな約束したの……?」


「エッチの前ですよ?」


 眩暈がしてきた。


「菊永さんとの関係は加藤さんに任せます。ただ、私との約束を最優先にしてください。それだけです」


 村石がニカッと笑う。


「……ちょっとシャワー借りていい?」


「どうぞー」


「頭冷やす……」


「一緒に入ります?」


「……それじゃ頭冷やせないでしょ……」


 村石をそのままに、加藤は浴室に入った。


「可愛いなぁ、もう」


 村石が悪戯っぽく笑った。



 シャワーを借りた後、村石に連れられて加藤の自宅へ向かった。川崎から中央線に乗り換え、加藤の最寄り駅まで。村石は腕を絡めて離さない。傍から見たら立派なカップルだ。


「村石さん?」


「レイって呼んでくださいよー。もうウチのメンバーなんだし」


「……レイ、なんでベース持ってきてるの……?」


「なんでって、スタジオ行くからに決まってるじゃないですか!」


 昨日の今日でまた歌えと言うのか。二日酔いでふらつく頭を抱えた。


「てか、一回ウチに帰っていい?自分のギターを出したい」


「逃げるつもりですか?」


「逃げない。ギターが要るんだよ」


「じゃあ付いていきます。逃亡は許しません!」


 加藤の自宅に到着すると、村石がキョロキョロしながら中に入った。


「片付いてると言うより、物自体が少ないですね」


「帰って寝るだけだったからね。最近は料理する時間が出来たから、これでも増えた方だよ」


 勝手に冷蔵庫を開ける村石。作り置きのおかずが整然と並んでいる。


「加藤さんって几帳面なんですね」


「料理に関してだけだよ」


「あぁ、確かにだらしない部分はありますよね」


 ニヤニヤしながら言う村石を無視して、クローゼットの奥からギターケースを引っ張り出した。


「フェンダー?」


「フェンダー・ジャパンのテレキャスターだよ。学生時代に買った奴。高いのは買えなくて」


 経年によって少し黄ばんだ白いボディに、黒のピックガード。ペグも摘みもくすんでいる。


「また弾く事になるとは思ってなかったからね。かと言って、売りに行く気にもならなくて」


「加藤さんにも愛着ってあるんですね」


「どこまで俺の事を冷血漢だと思ってるのよ……」


「だって、『仕事に感情は要らない』って言ってたじゃないですかー」


「仕事は仕事」


「なんか都合いいなぁー」


 ギターを持って自宅を出た。村石も当然のように隣に並ぶ。二人でスタジオへ向かった。


 スタジオに着くと、ルーとタケがすでに準備を始めていた。ジムも包帯を巻いたまま来ていた。「指以外は元気だから」とのことらしい。ギターケースからテレキャスターを取り出すと、ルーが目ざとく見つけた。


「なんだよー、ジャガーじゃないのかよー」


「そのネタはもういいって、ルー」


「『カート』と言えば『ジャガー』でしょー」


 そう言いながらルーがあの曲のイントロを弾き始める。


「そうなると、俺はそろそろ死なないといけなくなる」


「そいつは困る!」


 ルーが困った顔で気を付けをした。


「てか、弦貼ってないんだね」


 ジムが中腰になってテレキャスターを覗き込む。


「弾きもしないで張りっぱなしにすると痛みそうで」


「分かるー!僕もしばらく弾かないギターは弦外すもん」


「だったら俺が弦張るついでにメンテナンスもやるよ。新宿の楽器屋でギターフロアやってるから」


 加藤、ルー、ジムの3人のギタリストが集まり、自然とギター談義に発展した。


 ジムにギターを預けて振り返ると、ご機嫌斜めの村石がいた。拗ねてしまったらしい。


「ルーとかジムとは笑って話すのに、私には笑ってくれないじゃないですかー」


「ゴメンゴメン」


「謝るんだったら歌えぇ!!」


 村石がいきなりベースを弾き始めた。昨日のライブの1曲目だ。すぐさまタケのドラムが入ってくる。ルーも乗ってきた。


「今日は頭から全力で歌ってください!!」


 しょうがない。歌うしかない。


 あのライブ以降、加藤の生活に音楽と村石が入り込んできた。週1〜2回のバンド練習、個人で始めた週1回のヴォイストレーニング、毎晩1時間以上ギターを触ってから寝る習慣。仕事以外の時間のほとんどを音楽に費やすようになっていた。


 二人が付き合い始めた事は、初ライブの次の週の月曜には部署内に広まっていた。菊永さんの仕業なのは火を見るよりも明らかだった。本木さんには「女の子に手ぇ出すの早すぎでしょ」と面と向かって言われたが、村石が「告ったのは私からなんですよね。ライブの加藤さんがかっこよすぎて」とフォローしてくれたので、本木さんは何も言えなくなった。


 菊永さんとの関係は打ち上げ以来自然と解消され、偶然二人きりになった時に一度嫌味を言われた。


「そんな歳じゃないとか言ってた割に、楽しそうじゃない」


「そうだと思ってたんですけどね、やっぱ好きなんですよ、音楽。これだけはどうしようもなかったですね」


「まぁ、そんな事に熱を上げるようなお子ちゃまは要らないわ。キープ君は他にもいるし」


「俺、ガキ臭いですかね」


「ええ、ガキ臭いわ」


「『Smells like teen spirit』か、笑える」


「何言ってんの?」


「俺はそろそろ死なないといけないかもですね」


「はぁ?」


 加藤は笑いながらその場を後にした。ルーにこの話をすると、案の定大いに笑ってくれた。

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