第6話 Con Fuoco
ステージに上がる直前、ルーに耳打ちされていた。「カバー曲ばかりだけど、オリジナルのヴォーカルがどれも特徴的だから一人だと厳しい。全力でお願い」と。
セットリストを事前に全部聴いた。圧倒された。特に1曲目は日本人のバンドながら、日本人離れしたヴォーカルだ。R&Bで使われるエッジヴォイスにデスヴォイスの要素も混ざるシャウト、アクセントに入れられる芯のあるファルセット。恐ろしいくらいテクニカルな歌声だ。自分に歌えるのか不安になった。
しかし、もう歌うしかない。
ステージに出ると、フロアから声が飛んできた。
「ホントに出てる!」
「加藤!がんばれ!」
中でも小野さんの声がひときわデカかった。村石がMCを始めた。
「こんばんは、Rickeyです!今日はリードギターのジムが怪我で、急遽ピンチヒッターをお願いしました」
「あ、ど、どうも、かt……、カートです」
「加藤が緊張してるとかレアだぞ!お前ら!目に焼き付けとけ!!」
小野さんの声でフロアが笑いに包まれる。
「いつもはジムがMCやってるんですけど、私はMC下手なんで曲に行きます」
村石が言い終わると同時にタケのドラムが始まった。スネア、フロアタム、バスドラムのシンプルにしてヘヴィなビートを刻む。そこに加藤のギターがブラッシングで軽快さを加える。村石のベースが加わり、ビートだけのグルーヴをメロディアスにシフトさせる。
最後にルーのギターがスライドバーを使った独特のメロディーラインでご機嫌なチューンへと彩った。各パートが順番に音を重ねていく古典的な演出だが、オーディエンスを引きずり込むには十分だった。ラウンジエリアからフロアへ人が集まり始める。
イントロが終わり、加藤はスタンドマイクの前で不安と緊張を一緒に吸い込んだ。
ステージ向かいの2階、PAブース。音響と照明を統括するエンジニア・サクが腕を組んで呟いた。
「歌は上手い。けど、パワーが足りない」
「あぁ、確かに。上手いけど楽器の音に埋もれてますね」
「この曲はガレージパンク系だ。自分たちのバンドに引き込めるかはヴォーカル次第だぞ」
その通りだった。緊張で喉が開かない。肩で呼吸してしまい、ブレスが続かない。楽器の音に声が埋もれていく。焦れば焦るほど喉に力が入り、余計に声が出なくなる。
——ダメだ。無理だ。今すぐここから逃げたい。
サビ直前、村石がスタンドマイクに顔を近づけて一緒に歌い始めた。加藤を見つめる。加藤が戸惑いながら見つめ返す。村石がニカッと笑った。
——真似しなくていい。加藤さんの歌を歌えばいい。
そう言われた気がした。自然と肩の力が抜けた。
「良くなってきたな。緊張が解れたか」
PAブースのサクの口元が少し緩んだ。しかし加藤にはまだ何かが足りない感覚があった。まだ全然気持ちよくない。あと二小節でサビが来る。村石が目で問いかける。二人で歌うかを問う目だ。加藤は前を向いた。
ホワイトアウトしそうなくらい眩しいピンライト。
そうか——ステージに上がる直前、ルーが言っていた。「楽しもう!」と。その言葉の意味がやっと分かった。そうだ、好きに歌おう。明日がどうなろうと知った事じゃない。今、この時間を最高のものにしたい。下手だと思われてもいい。裏返ってもいいじゃないか。間違えたっていい。昔はそうやって、なりふり構わず歌っていたじゃないか。俺は歌が好きだったんだ。いや、今でも大好きだ。だってそうだろ。こんなにもウズウズしてるんだから。歌いたくて仕方ないんだ。もっと強く。だったらまず喉を開かないと。今なら何でも出来る。
サビ前、加藤は大きく息を吸った。
「枷が外れたな」
サクは満面の笑みになった。
「サクさん!こいつスゲーじゃないですか!」
「いいヴォーカル連れてきやがったな、レイの奴。面白れぇバンドになるぞ」
加藤の声にフロアの全員が飲み込まれた。文字通り、全員だ。ラウンジエリアにいた人たちの動きも止まった。この時、ライブハウスの中にいた全員が加藤に圧倒され、息を飲んでいた。
最初に弾けたのは小野さんだった。
「うおおぉぉ!加藤ぉぉぉ!!」
ステージの目の前に詰める。それを皮切りに、フロアの全員が前に詰め始めた。ラウンジエリアの人たちもぞろぞろとフロアに移動してくる。
「これが、加藤君の本気……」
菊永さんも例外ではなかった。加藤の歌声は人々のうねりとなってフロアを支配していた。
その勢いのまま、2曲目に突入する。短いイントロの後、加藤が全力で歌う。その歌声に合わせて歓声が上がった。1965年にリリースされたこの曲を知っている人間は少ないだろう。しかし1曲目のガレージパンクからの流れで、オーディエンスはすんなりと受け入れ、熱狂していた。加藤には不思議な感覚だった。ライブハウスというより、ダンスホールの雰囲気になっている。こんな経験は初めてだった。
——ライブじゃない、パーティだ。
パーティと呼んだ方がしっくりくる。みんなが笑い、叫び、踊っている。なんて楽しい空間なんだ。加藤は夢中で歌っていた。グルーヴにメロディーがノり、バンドが、オーディエンスが、会場がうねる。
PAブースではサクがニヤニヤしていた。
「こんな古いナンバー、やる奴がまだいるとはな」
「サクさん、めっちゃ嬉しそうですね」
「そりゃ、さっきの曲からこの曲。選曲が面白れぇ」
「どういう事っすか?」
「さっきの曲のオリジナルバンドは、この曲を歌ってるバンドをリスペクトしてんだ。遡っていってんだよ」
「へぇ、なるほど。確かに踊りたくなるような曲っす!」
「1960年代の王道ロックだ。学生のダンスパーティに合う曲だな」
2曲目が終わってもフロアはまだまだ冷めない。加藤がバンドメンバーを見渡す。村石とルーが笑いかける。タケと目が合った。タケは片方の口角を吊り上げて笑い、髪を掻き上げた。認めてくれたようだった。
ハイハットのカウント。加藤が正面に振り返る。
3曲目、渾身のシャウトをぶつけた。会場が爆発した。
今まで忘れていた熱い衝動が、全部声になって出ていった。




