第5話 ライヴハウス
新社長のおかげで土曜出勤もなくなった。部署のみんながプライベートを謳歌し始めている。
課長と本木さんの交際が発覚した。暴いたのは菊永さんだ。山内さんと那珂川さんの同棲も部署内にバレた。こちらもやはり菊永さんの仕業である。すっぱ抜いた手口が傑作で、「同棲してて困る事って何?」と天然入りの那珂川さんに直接聞いたらしい。那珂川さんの答えが「ヤリたくなる周期が若干ズレてる事ですかねー」で、しばらくオフィスに笑い声が響いた。山内さんの顔は今でも目に浮かぶ。小野さんと秦さんはあの歓迎会以来ですっかり仲良くなって、二人でよく飲みに行っている。
俺はといえば、気づけば菊永さんの立派なキープ君になっていた。金曜の夜に呼び出されると断れない。気を遣わなくていい分、楽と言えば楽だ。
土曜の昼過ぎ、菊永さんのマンションで文庫本を読んでいると、バスタオルを巻いた菊永さんが浴室から出てきた。
「最近、みんな楽しそうよね」
「労働環境が改善したのが大きいですね」
「加藤君もよく笑うようになったし」
「そうですか?」
「仕事、楽しくなったんでしょ?」
「まぁ、そうですね。諒子さんとこういう関係になるとも思ってなかったですし」
「私も、加藤君がこんなに居心地の良いとは思わなかったわ」
「人を家みたいに言わないで下さい」
そう言いながら菊永さんが抱き付いてくる。
「そういえば、今日は怜子ちゃんのライヴに行くんじゃなかった?」
「それは夕方です。遠回しに早く帰れって言ってるんですか?」
「うふふ」
「何ですか、その笑みは……」
「『俺はキープ君にはならない』とか言ってた癖に、私の家に入り浸ってるなぁって」
「暇つぶしにはいいかなと思って」
「それはちょっとヒドくない?」
「キープ君呼ばわりしてるのもヒドいと思いますけど?」
「うふふ」
何とも奇妙な関係だ。お互いに深入りしたくない、気力も体力も使いたくない。ただそれだけで成り立っている。でも菊永さんはそれとも少し違う気がする。他人から何かを隠すことに快感を覚えているのだ。こんな関係になって2週間も経っていないが、それだけは分かった。
♪
夕方、ライヴハウスの前に着くと知った顔が並んでいた。小野さん、秦さん、山内さん、那珂川さん、菊永さん。村石が部署全員に声をかけていたらしい。
「加藤さん、遅いですよー!来てくれたんですね!」
村石が駆け寄ってきた。ゲストリストに名前を入れてもらい、中に入る。
ライブハウス特有の空気があった。入って右手後ろにバーカウンター、ラウンジを抜けると角を斜めに使ったステージがある。フロアにはそこそこ人が集まっていた。バンドをやっていたとはいえ、加藤のステージ経験は学校の文化祭レベルだ。本物のライブハウスは初めてだった。
菊永さんと柱の横に並んで立っていると、菊永さんがぽつりと言った。
「なんか、こっちが緊張するね」
「独特の緊張感ですね」
ふと、袖を引かれた。振り返ると村石が困った顔をしていた。
「加藤さん、お願いが……リードギターのジムが怪我して……代わりに出てくれませんか」
「待って、俺には無理だって!」
そのまま手を引かれ、スタッフ出入り口から控室に連れ込まれた。
「だいたい、急な怪我って何!?」
「ドアに指挟んで流血です!今、病院に連れていかれました!」
控室にはバンドメンバーが集まっていた。セカンドギターのルー——どこか日本人離れした顔の金髪の美青年——と、185cmの長身で不機嫌そうにドラムパッドを叩いているタケ。あの時加藤を睨んだのはこいつだ。
「代打連れてきたよ!」
「ちょっと待って、俺には無理だって!」
「アンタ、あん時の」
「加藤さん、ギター出来るって聞いたんですけど」
ルーが話しかけてくる。
「出来るって言っても昔学生バンドでやったくらいですよ」
「今日のリードは僕がやります。バッキングと、メインヴォーカルをお願い出来ますか?」
「レイ、簡単に言うな。コイツは素人だぞ」
タケが噛みついてくる。
「それを言ったら私たちもプロじゃないんだから。3曲はレイ一人に歌わせるには酷だよ」
「加藤さん、カートって呼んでもいいですか?これ、今日のセットリストです!カバー曲ばっかりだから大丈夫!」
有無を言わせず紙とギターを手渡された。白いフルアコースティックギター——ホワイトファルコンだ。
「世界一美しいギター……」
「僕がいつも使ってるやつ。今日はリードでレスポール使うから。ジャガーじゃなくてごめんね、カート」
「ニルヴァーナじゃないから大丈夫ですよ」
「伝わるのは嬉しいなぁ」
加藤とルーが思わず笑い合う。
「それよりちゃんと集中して下さい!」
村石に叱られた。タケは不服そうにパッドをスティックで叩き続けていた。




