第99話『締め切りの近くで』
第99話『締め切りの近くで』
一月の終わりが近づき、教室では市のコンクールの話を耳にすることが増えた。
それでも午前の授業が終われば、教室ではいつもどおり昼休みの支度が始まる。
陽華も使った鉛筆をしまい、机の上の紙を重ねた。
少し離れた席では、二人の学生が鞄を片づけながら話している。
「コンクールの絵、もう出した?」
「昨日やっと。最後まで直そうか迷ったけどね」
「いいなあ。こっちはまだ終わらない」
「でも、出さないって言ってた子もいるよね」
「うん。今月は普通の課題だけで精いっぱいって」
笑い声が混じり、話題はすぐに次の授業のことへ変わった。
陽華は重ねた紙を鞄へ入れながら、その会話を聞いていた。
少し前なら「まだ終わらない」という言葉に、自分も頷いていたかもしれない。
今は応募も終わり、締め切りを確かめるために何度も案内を開くこともなくなった。
けれど、いつもの授業で描くものが減ったわけではない。
今日も思ったように線が引けず、何度か描き直していた。
「陽華さん、お昼行きませんか?」
顔を上げると、ミオが鞄を持って立っていた。
「うん、行こう。遥斗さんは?」
「もう少しで片づくそうです」
「じゃあ、待ってようか」
陽華が机の横へ鞄を寄せると、ちょうど遥斗がこちらを向いた。
「お待たせしました。行きましょうか」
「うん。今日こそ早く席が見つかるといいね」
「この前は結構探しましたからね」
「私、あの時もう別々でもいいかなって思ってました」
「ミオちゃん、諦めるの早くない?」
三人で笑いながら、教室を出た。
◇
昼休みの学生ホールには、食事をする学生たちの声が広がっていた。
どうにか三人で座れる席を見つけ、陽華はほっとして椅子を引く。
食事を始めてしばらくすると、ミオが思い出したように口を開いた。
「陽華さん、応募の前に確認すること、紙に書いてたって言ってましたよね」
「あ、うん。書かないと何か忘れそうで」
「私もそうしようかなと思って。絵はできたんですけど、そのあとがまだで」
「結構便利だったよ。終わったところに丸を付けていくの」
「じゃあ、帰ったらやってみます」
ミオが頷いたので、陽華はそこで話を切り上げた。
応募の準備について自分に言えることはあるけれど、ミオの代わりに確かめるわけにはいかない。
何より、ミオは自分で進めようとしている。
「遥斗さんも、確認すること増えますね」
「そうですね。まず絵の方を終わらせないといけませんけど」
「昨日の線のところ、どうするか決まった?」
「もう少し残してみます。消す方ばっかり考えてたんで、残したいところも見ながら」
「そっか。完成したら見せてね」
「はい。その時はぜひ」
遥斗が笑い、三人はまた食事へ戻った。
そのあとは午前の授業でうまく描けなかったところや、午後の課題の話になった。
同じ授業を受けていても、苦戦する場所は少しずつ違う。
陽華も午後の課題では、描き始める前にもう少し全体を見ようと思った。
◇
午後の教室へ向かう廊下で、陽華は前から歩いてくる玲奈を見つけた。
玲奈はB組の学生たちと話していて、何かがおかしかったのか、隣の子と一緒に笑っている。
目が合うと、玲奈もこちらに気づいて手を上げた。
「あ、陽華さん」
「玲奈ちゃん、こんにちは」
「次の授業?」
「うん。玲奈ちゃんも?」
「そう。そろそろ行かなきゃなんだけど」
玲奈の隣にいた学生が「じゃ、先行ってるね」と声を掛け、廊下の先へ歩いていった。
陽華はその姿を見送ってから、ふと思い出す。
「そういえば玲奈ちゃん、コンクールの絵はどう?」
「あ、描き終わったよ」
「えっ、ほんと? おめでとう!」
「ありがとう。まだ応募はこれからだけどね」
「そっか。私、この前出したんだ」
「そうなんだ。陽華さんもお疲れさま」
玲奈が笑う。
以前、玲奈から参加すると聞いた時は、まだ何を描くか探しているところだった。
あれから玲奈も、自分の一枚を描き終えたのだ。
「どんな絵になったか、ちょっと気になるな」
「人を描いたよ。前から描いてたものを、やっと一枚にできた感じ」
「玲奈ちゃんらしいね」
「そうかな。今度、機会があったら見てね」
「うん、ぜひ!」
その時、廊下の向こうから玲奈を呼ぶ声がした。
「あ、行かなきゃ。またね、陽華さん」
「うん。またね!」
玲奈は声のした方へ小走りに向かい、陽華も自分の教室へ歩き始めた。
短い立ち話だったけれど、玲奈が絵を完成させたと聞けたのが嬉しい。
何を描いたのかも、いつか見せてもらえたらいいと思った。
◇
午後の授業が始まり、陽華は新しい課題の紙に向き合った。
描き始めてみると、最初に置いた形が少し大きすぎたように思えた。
陽華は消しゴムを持ちかけ、先に紙から目を離した。
少し離して見てみると、気になるのは大きさだけでなく、置いた位置の方かもしれない。
それから線を薄くして、もう一度全体の位置を確かめていく。
窓の外では冬の日差しが少し傾いていた。
ミオは応募の準備を進めようとしている。
遥斗は道の奥をまだ描いている。
玲奈も、自分の一枚を描き終えた。
陽華はそんなことを思いながら、目の前の紙へ視線を戻した。
自分の応募が終わっても、今日は今日で描きたい線がある。
鉛筆を握り直し、陽華は続きを描き始めた。




