第100話『応募を終えた、その先』
第100話『応募を終えた、その先』
一月の終わりが近づくにつれ、教室で聞こえていたコンクールの話も少しずつ変わっていった。
まだ描いているという声より、応募を終えたという声を耳にすることが増えている。
陽華がミオから報告を聞いたのも、そんな日の昼休みだった。
「陽華さん、私も応募できました」
「本当? おめでとう、ミオちゃん!」
「ありがとうございます。あのあと、確認することを紙に書いてみたんです」
「役に立った?」
「はい。丸を付けてたら、残ってることが分かりやすくて」
ミオはそう言って笑ったが、すぐに少しだけ目を伏せた。
「出せたのは嬉しいんですけど、やっぱり誰かに見てもらうって思うと緊張しますね」
「そっか。うん、そうだよね」
「でも、出してよかったとは思ってます」
「うん。私もミオちゃんの絵、好きだよ」
「ふふ、ありがとうございます」
陽華の頭には、あの日教室で見せてもらった青が浮かんだ。
窓の向こうに残っていた夕方の色と、暖かい明かり。
あの絵がどこかで誰かの目に留まることを考えると、陽華まで少し楽しみになった。
◇
それから何日かして、遥斗も応募を終えた。
最後まで迷っていた道の奥の線は、残すところと薄くするところを自分で決めたらしい。
その日の授業が終わる頃、遥斗は陽華とミオに、少し照れたように話した。
「俺の方も、昨日出しました」
「えっ、遥斗さんも? よかった!」
「間に合いましたね」
「本当に。もう一か所くらい直したくなったんですけど、そこでやめました」
「遥斗さんでも、やめるの大変なんだね」
「大変ですよ。見てるとまた気になるんで」
「それは分かります」
ミオが頷くと、遥斗も笑った。
陽華は、以前見せてもらった二枚の道を思い出した。
線を減らすだけでは、遥斗の残したかった街が少し寂しく見えた。
そのことを何度も考えていた遥斗が、今度は自分で描き終えるところを決めたのだ。
完成した絵をまた見せてもらうのが楽しみだった。
別の日、廊下で玲奈と会った時にも、陽華は応募のことを尋ねてみた。
玲奈はB組の教室へ戻るところで、手には授業で使った紙を何枚か持っていた。
「玲奈ちゃん、あの絵はもう出せた?」
「うん。私も無事に出したよ」
「よかった! お疲れさま」
「陽華さんもね。ちょっと肩の荷が下りた感じ」
「分かる。私もそうだった」
玲奈は紙を持ち直し、廊下の先へ目を向けた。
「じゃあ、またね。次の授業行ってくる」
「うん、またね!」
陽華が手を振ると、玲奈も軽く手を上げて歩いていった。
玲奈の一枚をまだ見たことはない。
けれど、描き終えた時の話を聞いていたから、無事に応募できたことが嬉しかった。
その話は、玲奈と陽華の間だけに残った。
◇
一月最後の授業を終える頃には、教室でもコンクールの話題が落ち着いてきた。
課題の紙をしまいながら、陽華は隣で鞄を閉じるミオの声を聞く。
「今日の課題、思ったより時間かかりました」
「私も。最初の形、何回も直しちゃった」
「陽華さんもですか?」
「うん。でも、最後はちょっとよくなったかな」
遥斗が二人の方へやってきた。
「帰ります? 俺、今日は寄るところがあるんですけど」
「あ、じゃあ途中まで一緒に行こうか」
「はい。ミオさんは?」
「私も途中までなら」
三人はいつものように教室を出た。
少し前まで誰かの絵が完成したか、応募できたかと話していたのに、今は帰り道の話をしている。
陽華はそれが何だかおかしくて、二人の後ろで小さく笑った。
◇
遥斗とミオに別れを告げたあと、陽華は一人で歩いていた。
空気は冷たかったけれど、夕方の光は建物の間を斜めに抜け、道の端を明るくしている。
角を曲がったところで、陽華はふと足を止めた。
壁際に止められた一台の自転車。
その車輪と細いスポークの影が、白っぽい壁に長く伸びていた。
まっすぐな壁の継ぎ目を横切るところで、丸いはずの影が少しずれて見える。
(……面白い形)
陽華はしばらく眺めてから、鞄に入れていた小さなスケッチ帳を取り出した。
今日の授業の課題でもなければ、誰かに見せる約束があるわけでもない。
ただ、今のうちに描いてみたかった。
邪魔にならない壁際へ寄り、鉛筆で車輪の影を描き始める。
丸く描こうとしてみると、思っていたよりずっと難しい。
自転車そのものの車輪は丸いのに、壁に伸びた影は横へつぶれ、スポークの線も途中で細く消えている。
陽華は目を上げて形を確かめ、最初に描いた線を薄くした。
それから影の端をもう一度追いかける。
壁の継ぎ目を一本足すと、車輪の影がどこでずれているのか少し分かりやすくなった。
自転車のハンドルも描きかけて、そこで手を止める。
今気になっているのは、自転車全部ではなく壁に映った線だった。
陽華はハンドルを描き込まず、影の方へ鉛筆を戻した。
しばらく夢中になっていると、指先が冷えてきた。
陽華は鉛筆を持ち替え、スケッチ帳を少し離して眺める。
線はまだ曲がっているし、スポークの本数も実際とは違う。
もう少し直せそうなところもある。
それでも、最初に足を止めた時の面白さは、ちゃんと紙の上に残っていた。
(……うん、好きかも)
陽華は小さく笑って、スケッチ帳を閉じた。
歩き出す前にもう一度壁を見ると、さっきより影が長くなっているように見えた。
同じものでも、少し時間が経つだけで形が変わる。
そんなことを考えながら、陽華は鞄を肩に掛け直す。
応募した絵はもう手元を離れたけれど、描きたいものまでなくなったわけではない。
次の角では何が目に留まるだろう。
陽華は冷えた指をコートのポケットに入れ、いつもの帰り道を歩き始めた。




