第98話『そっちはどう?』
第98話『そっちはどう?』
授業の終わった教室で、陽華は課題に使った道具を片づけていた。
紙の端を揃えたところで、隣のミオが鞄から取り出したものに目が留まる。
何枚かの紙に挟まれたその一枚から、見覚えのある青が覗いていた。
「ミオちゃん、それって……」
「はい。完成した絵、持ってきたんです」
「えっ、本当? 見てもいい?」
「もちろんです。この前、見たいって言ってくれたので」
「覚えててくれたんだ。ちょっと待ってね!」
陽華は机の上の道具を端へ寄せ、消しゴムのかけらを払った。
ミオがそっと作品を広げると、そこには暗くなりきる前の青い空と、窓の向こうに灯る暖かな光があった。
青は窓の奥まで広がっていて、その端には周りの景色を受けた小さな反射が残っている。
前に見せてもらった二枚の試し描きとは、また違う印象だった。
陽華は少し身を乗り出し、窓の辺りを眺めた。
「あ、反射も残したんだね」
「はい。小さくしてみたら、青もちゃんと見える気がして」
「うん。最初は青の方に目が行くんだけど、見てるとこっちの光にも気づく」
「そこ、そう見えてくれたら嬉しいです」
「すごく好きだな、この青」
そう口にすると、ミオは少し照れたように笑った。
陽華はもう一度、絵の全体を見る。
前に見せてもらった小さな紙では、反射を入れると光の方が強く見えた。
けれど今は、窓の向こうに残る青も、内側からこぼれる明かりも、どちらも自然に目に入ってくる。
描き終えたというミオの言葉が、ようやく目の前の一枚とつながった気がした。
「そういえば、応募の準備はどう?」
「まだ途中です。絵ができたら少し安心しちゃって」
「あ、それ分かる。私もそうだったよ」
「でも、いざ出すとなると、やっぱりちょっと緊張しますね」
「うん」
陽華はそれ以上、急いだ方がいいとも、大丈夫だとも言わなかった。
自分が応募を終えたからといって、ミオまで同じ気持ちになるわけではない。
それに今、ミオが自分で選んだ青を目の前で見られたことが、ただ嬉しかった。
「ミオさん、それ、完成した方ですか?」
声のした方を見ると、遥斗が道具をしまった鞄を手に立っていた。
ミオが頷くと、遥斗も机へ近づいてくる。
「見せてもらってもいいですか?」
「はい、どうぞ」
「おお……前に見せてもらったのと、印象が違いますね」
「反射を少し変えたんです」
「そうなんですね。窓の向こうまで見える感じがします」
「ありがとうございます」
ミオが嬉しそうに笑う。
その顔を見てから、陽華は遥斗へ向き直った。
「ねえ、遥斗さんの道の絵は? あれからどうなった?」
「まだ描いてますよ。ちょっと試したことはあるんですけど」
「試したこと?」
「奥の建物の線です。今、持ってきますね」
遥斗は自分の席から二枚の紙を持ってきた。
一枚は見覚えのある道の絵で、もう一枚には、その奥の部分だけが小さく描かれている。
陽華は二枚を並べて見比べた。
元の絵では道の先に建物の線が重なり、遠くの方が少し窮屈に見える。
小さな紙では線が減っていて、道がその先まで続いているように感じられた。
ただ、建物の形が少なくなった分、元の絵にあった街らしさも薄くなった気がする。
「こっちの小さい方、遠くまで見えるね」
「そうなんです。でも、ちょっと寂しくなっちゃって」
「うん。私は元の絵の、この辺りの建物も好きだな」
「俺もそこは残したいんですよね」
遥斗が道の左側を指さした。
そこには奥へ向かって少しずつ小さくなる建物が描かれている。
陽華は指の先を追いながら、もう一度二枚を見比べた。
「全部なくさなくても、重なってる線だけで変わるのかな」
「それを今、試そうと思ってます」
遥斗は少し考えてから、元の絵に消しゴムを当てた。
道の先で重なっていた輪郭の一本を、慎重に薄くしていく。
それから紙を離し、二人にも見えるように置き直した。
「あ、さっきより奥が見やすいかも」
「ほんとですね。建物が消えた感じもしません」
「うん。でも、もう少し見てから決めたいです」
遥斗は消しゴムを置き、絵を眺め続けた。
ほんの一本の違いだったけれど、陽華にも少し変わったことが分かる。
だからといって、これで完成というわけでもなさそうだった。
「遥斗さん、まだ直したいところありそうだね」
「ありますね。見つけたくないくらいです」
「それ、私も描いてる時に思った!」
「陽華さんはもう出したから言えるんですよ」
「そうだけど、出す前は本当にそうだったんだから」
ミオが小さく笑い、遥斗もつられて笑った。
机の上には、描き終えた青い絵と、まだ手を入れている道の絵が並んでいる。
同じ街の風景を描いていても、二人が気にしているものはずいぶん違う。
陽華はその両方を、もう一度ゆっくり眺めた。
「私、二人の絵を見るの、やっぱり楽しいな」
「まだ完成してないのに、ですか?」
「うん。どこを直したいのか聞くのも面白いよ」
「じゃあ、完成したらまた見せますね」
「もちろん。楽しみにしてる!」
ミオは作品を傷めないようにしまい始め、遥斗も二枚の紙を重ねた。
陽華は片づけかけていた自分の鞄に手を伸ばす。
少し前までは、帰ってから自分の絵のどこを直すか、そればかり考えていた。
今はミオの窓に残った青と、遥斗の道の奥が頭に浮かんでいる。
自分の一枚は、もう応募を終えた。
それでも、二人が絵をしまい終えるまで、陽華は何度もその紙へ目を向けていた。




