第96話『もうすぐ月末』
第96話『もうすぐ月末』
朝の教室に入ると、窓際では何人かの学生が寒そうに手を擦っていた。
遥斗も上着を脱ぎながら自分の席へ向かう。
陽華は机の上に道具を並べていて、その近くでミオが鞄を開けていた。
「おはようございます」
「おはよう、遥斗さん」
「おはようございます」
挨拶を返したミオが、何か言いたそうにこちらを見る。
「どうかしました?」
「昨日、絵が終わったんです」
「えっ、もう完成したんですか?」
「はい。夜に続きを描いて、そこで終わりにしました」
昨日の放課後には、まだ仕上げたいと言っていたはずだ。
遥斗は少し驚いたが、ミオが嬉しそうに笑っているのを見て、自分も笑顔になった。
「おめでとうございます。よかったですね」
「ありがとう、ミオちゃん! 見たいな、完成したの」
「まだ家にありますけど、今度見せますね」
「楽しみ!」
「でも、応募はこれからなんです」
「ああ、そこは俺と同じ……いや、俺は絵もまだでした」
遥斗が言うと、陽華が吹き出した。
「遥斗さん、そこは間違えないでよ」
「今、自分で気づきました」
「私はもう応募も終わったよ」
「陽華さんも、そこは分かってますから」
三人で笑っていると、授業の準備をする学生たちが次々に席へ戻ってきた。
遥斗も鞄から筆記用具を取り出し、目の前の机を空けた。
◇
午前の授業では、配られた写真をもとに画面の構成を考えていた。
写真の中から何を大きく見せるかを選び、いくつかの小さな枠に描き分ける課題だ。
遥斗は最初の枠に線を引いたが、途中で右側の余白が足りなくなった。
描き始めた位置が少し悪かったらしい。
ひとまず次の枠を使って描き直していると、前の席の学生が振り返った。
「榊原くん、そっちはもう二枚目?」
「一枚目、右が入りきらなくなったので」
「俺は左が余りすぎた」
「足して二で割りたいですね」
「ほんと、それ」
二人で笑い、またそれぞれの紙へ向き直る。
授業が進むと、途中まで気に入っていた配置も違って見えてきた。
遥斗は線を少し消し、残りの時間で描けるところまで描き直した。
作品の締め切りが近いからといって、今日の課題まで早く終わるわけではない。
先生の声がして時計を見れば、もう片づけを始める時間だった。
◇
昼休みの学生ホールは、いつもより席が埋まっていた。
遥斗が空いているところを探していると、先を歩いていた陽華が振り返る。
「あそこ、三人座れそうじゃない?」
「本当ですね。行きましょう」
「よかった。もう少しで別々に座るところでした」
ミオがほっとしたように言い、三人は席へ向かった。
食事を始めてしばらくすると、陽華が午前の課題の話を持ち出した。
「私、同じ写真なのに、二枚ともほとんど同じになっちゃった」
「陽華さん、それは描き分けたことになるんですか?」
「そこなんだよね……」
「遥斗さんはどうでした?」
「一枚目、端が切れました」
「二人とも、大変だったんですね」
「ミオちゃんは?」
「私は枠の中に入れたいものが多すぎて、最後に減らしました」
「みんな違うところで困ってるんだね」
陽華が笑い、遥斗も頷く。
朝にはミオが絵を完成させた話をしていたのに、昼には三人とも今日の課題に苦戦した話をしている。
それも別に不思議なことではなかった。
「そういえば遥斗さん、道の方はどうですか?」
食事の途中でミオが尋ねた。
「まだ奥が気になってます。昨日も見直したんですけど」
「もう少しなんですか?」
「そう言いたいところなんですけどね」
「遥斗さんなら、また直したいところ見つけそう」
「陽華さんに言われたくないです」
「え、私?」
「描き終わったあとも気になってたじゃないですか」
「それはそうだけど!」
陽華が笑うと、ミオもつられて笑った。
遥斗も笑いながら食事へ戻る。
二人はもう描き終えた。
そのことが朝より少しだけ気になったが、今ここで考え込むほどでもなかった。
午後の授業もあるし、今日の帰りには自分の絵をもう一度見られる。
◇
放課後、遥斗は学校に少し残って応募作を広げた。
道の手前から奥へ続く線は、最初の頃より落ち着いてきたと思う。
けれど奥に建物を描き足してから、道が途中で詰まっているように見える。
そのせいで、前より短く感じるのかもしれなかった。
遥斗は絵を机から少し離し、腕を組んだ。
(全部描き直す必要は、ないよな)
そうは思うものの、どこを触るのがいいのか迷っていた。
奥を広げようとして、さらに線を足せば同じことになりそうだ。
遥斗は別の紙を取り、道の奥だけを小さく描き写した。
左右に並ぶ建物の輪郭を、元の絵より少し減らしてみる。
道の先に重なっていた線も一本外して、二枚を見比べた。
小さな紙の方が、奥まで視線が抜ける気がする。
ただ、建物の形を減らした分、今度は少し寂しくも見えた。
「……難しいな」
思わず声が出た。
でも、何となく全部が気になる状態からは少し変わった。
今見直したいのは、道そのものの幅よりも、その先に重なっている建物の線かもしれない。
遥斗は試した紙を本番の絵の横へ置いた。
今日すぐに全部直すつもりはない。
まずは次に触るところを決めてから、もう一度見比べたかった。
窓の外は少しずつ暗くなっている。
周りでも片づけを始める音がして、遥斗は時計を確かめた。
一月が終わるまでは、もう何日もない。
ミオも陽華も自分の一枚を描き終えたけれど、だからといって二人と同じ速さで進められるものでもなかった。
かといって、まだいくらでも時間があるわけでもない。
遥斗は小さな試し描きを折れないようにしまい、応募作も片づけた。
次に紙を広げたら、まず奥の建物の線から見直そう。
そう決めて鞄を持つと、いつものように教室を出た。




