第9話『今日はいいです』
第9話『今日はいいです』
昼休みになっても、陽華はすぐには席を立たなかった。
昨日は遥斗とミオの三人で昼を食べた。
今日もそうするのか。
それとも昨日だけだったのか。
誰かと約束したわけではないから、まだよく分からない。
(毎日誘うのも変かな)
鞄から財布を出しながら、陽華は少し離れたところにいるミオを見る。
ミオもまだ席にいた。
何かを片づけているけれど、教室を出ていく様子はない。
その時、遥斗が近くまで来た。
「松澤さん、今日どうします?」
「お昼?」
「はい」
「まだ決めてない」
「俺もです」
昨日とほとんど同じ会話だった。
陽華はもう一度ミオを見る。
声をかけようか迷ってから口を開いた。
「飯村さん、今日――」
「今日も一緒に食べますか」
言葉が重なった。
陽華は一瞬止まった。
「え?」
「お昼です」
ミオは普通の顔で陽華を見ている。
「昨日一緒に食べたので」
それ以上の意味はなさそうだった。
「あ、うん。食べよう」
思ったよりすぐ返事が出た。
遥斗も二人を見る。
「じゃあ今日も行きますか」
「うん」
「はい」
三人で教室を出る。
昨日と同じ学生ホールへ向かいながら、陽華は少しだけ口元が緩むのを感じた。
(昨日だけじゃなかったんだ)
◇
昨日と同じ場所が空いていたわけではない。
今日は窓から少し離れたテーブルに座った。
それでも三人で同じ卓を囲むこと自体は、昨日ほど変な感じがしなかった。
陽華が買ってきたパンの袋を開ける。
遥斗は今日もサンドイッチだった。
ミオは小さな弁当箱を持ってきていた。
「今日はお弁当なんだ」
陽華が言う。
「はい」
「自分で作ったの?」
「母です」
「そっか」
遥斗が弁当箱を見る。
「いいですね」
「榊原さん、今日もサンドイッチですね」
「よく覚えてましたね」
「昨日もそうだったので」
「飯村さん、意外と見てますね」
「目の前にあったので」
遥斗が少し笑う。
「そうですよね」
陽華も笑った。
昨日なら会話が止まるたびに、次に何を言えばいいか少し考えていた気がする。
今日は黙って食べている時間があっても、それほど気にならない。
ミオも普通に食べている。
遥斗も特に話題を探しているようには見えない。
しばらくしてミオが弁当箱を閉じた。
「午後、教室違いますよね」
「そうなの?」
陽華が聞く。
遥斗も顔を上げる。
「違うんですか」
「PC実習室だったと思います」
「あ」
陽華は時間割を思い出そうとする。
「ほんとだ。危なかった」
「榊原さんは絶対そのまま教室にいそうですね」
「何で俺だけですか」
「昨日も時間割覚えてなかったから」
「松澤さんもでしたよね」
「私は飯村さんに聞けば大丈夫」
「ずるくないですか」
「飯村さん、頼りにしてます」
「私も間違えることありますよ」
「その時は三人で間違えよう」
「それは嫌です」
ミオがすぐに返した。
陽華は笑う。
遥斗も笑っていた。
昨日より少しだけ、言葉が続くのが早かった。
◇
午後の授業前。
三人はPC実習室へ移動していた。
ずらりと並んだパソコンの前で、それぞれ空いている席を探す。
陽華が座ると、遥斗が一つ空けた隣へ座った。
少し遅れてミオも近くの席に来る。
先生が来るまでの間、遥斗がパソコンを眺めながら言った。
「こういうの、得意ですか」
陽華は首を振る。
「全然」
「俺もです」
「飯村さんは?」
ミオは電源を入れながら答える。
「普通だと思います」
「普通って一番信用できないやつだ」
「何でですか」
「飯村さんの普通、できる側の普通な気がする」
「そんなことないです」
先生が入ってきて、会話はそこで終わった。
授業が始まる。
少しして陽華が操作につまずいていると、遥斗が画面を覗いた。
「そこじゃないですか」
「どこ?」
「その上」
「これ?」
「多分」
クリックすると違う画面が開いた。
「違うじゃん」
「すみません」
「榊原さん、分からないなら言わないでよ」
少し離れたところからミオがこちらを見る。
「そこじゃなくて、その右です」
「右?」
陽華が言われたところを押す。
今度は目的の画面が開いた。
「あ、できた」
「飯村さんありがとうございます」
「はい」
「俺の立場ないですね」
「最初からなかったよ」
「ひどい」
陽華が笑う。
ミオも画面を見たまま少し笑っていた。
◇
休憩時間になると、陽華は飲み物を買いに教室を出た。
戻ってくると、遥斗とミオが話していた。
陽華が近づく前に、遥斗が自分の画面を指している。
「これって保存できてます?」
「多分」
「また多分」
「ここに名前出てるので、大丈夫だと思います」
「あ、本当だ」
遥斗が頷く。
ミオはそのまま自分の席へ戻った。
陽華は少し離れたところから二人を見ていた。
(普通に話してる)
昨日のデッサンでもそうだった。
昼にもそうだった。
自分が話の間に入らなくても、二人だけで短いやり取りをするようになっている。
陽華は自分の席へ戻った。
「何話してたの?」
「保存の仕方です」
「榊原さん、また分かんなくなってたの?」
「またって言わないでください」
ミオが小さく笑った。
◇
放課後。
授業が終わり、教室へ戻って荷物をまとめる。
陽華は鞄へノートを入れながら、今日一日のことをぼんやり考えていた。
昼はミオの方から声をかけてくれた。
授業中も三人で普通に話した。
休憩時間には遥斗とミオだけで話していた。
昨日よりも、三人でいる時間が増えている。
そのせいか、少し気が大きくなっていたのかもしれない。
ミオが鞄を持ったところで、陽華は声をかけた。
「飯村さん」
「はい」
「今日帰りに画材屋寄らない?」
口にしてから、少しだけ緊張した。
学校の帰りに誰かを誘うなんて、いつぶりだろう。
ミオはほんの少し考えた。
「今日はいいです」
あっさり返ってきた。
「そ、そっか」
陽華は笑ったつもりだった。
ミオはそのまま鞄を肩へ掛ける。
「お疲れさまです」
「うん。お疲れさま」
ミオはいつも通り教室を出ていった。
陽華は閉まった扉を見る。
(あー……)
急に顔が少し熱くなる。
(調子乗ったかも)
昨日一緒に絵を描いて。
今日も一緒に昼を食べて。
それだけで、もう放課後まで誘っていいような気になっていた。
別に何か言われたわけではない。
ただ普通に断られただけだ。
それでもちょっと恥ずかしい。
隣で鞄を閉じていた遥斗が立ち上がった。
「じゃあ俺も帰ります」
「うん」
「お疲れさまです」
「お疲れさま」
遥斗は特に何も言わなかった。
それが少しありがたかった。
◇
翌日の昼休み。
陽華は机の上を片づけながら、昨日のことを思い出していた。
(今日はどうしよう)
自分からミオへ声をかけるのは、少しだけ気まずい。
昨日断られたくらいで気にするのも変だと思う。
でも気になるものは気になる。
財布を出しながら迷っていると、机の横に人が立った。
顔を上げる。
ミオだった。
「松澤さん」
「ん?」
「お昼行きますか」
昨日と変わらない声だった。
陽華は少しだけミオを見る。
嫌そうでもない。
気まずそうでもない。
本当にいつも通りだった。
(……あれ)
画材屋を断られたことと、今日一緒に昼を食べることは、ミオの中では別のことなのかもしれない。
陽華は少しだけ肩の力が抜けた。
「うん、行こう」
そこへ遥斗もやってくる。
「今日も行きます?」
「うん」
「はい」
三人で教室を出る。
昨日と同じように。
でも陽華には、昨日より少しだけ気楽だった。
(断られても、普通なんだ)
そんな当たり前のことを、今さら一つ覚えた気がした。




