第86話『形にしていく』
第86話『形にしていく』
一月も後半に入り、コンクールの締め切りが少しずつ近づいていた。
学校では相変わらず授業があり、陽華たちも課題をこなしながら、それぞれの絵を進めている。
放課後に三人で残れる日ばかりではなかった。
遥斗がアルバイトへ向かう日もあれば、ミオが授業の課題を優先する日もある。
陽華も、帰ってからほとんど紙を開けなかった日があった。
それでも何日か前に比べれば、机へ持ってくる紙の様子は変わってきていた。
その日の放課後、陽華は一枚の紙を机に広げた。
待っている人と、そこへ近づいていく人。
二人の距離は、以前選んだラフを基準にしたままだった。
今はその周りにある街を描き足している。
建物の輪郭を入れると、二人だけを描いていた時には気づかなかった空間が見えてくる。
けれど線を増やしすぎると、今度は人の方が目に入りにくくなる気がした。
陽華は鉛筆を止め、少し離れて紙を見る。
(ここは、もう少し控えめでもいいかな)
人の位置は動かさず、背景の線を一本だけ薄くした。
前は何枚も並べて、どの距離がいいのか迷っていた。
今はその一枚の中で、どこを描きたいか考えている。
隣から紙の動く音がして、陽華は顔を上げた。
遥斗が一枚のラフを横に置き、描きかけの道を見比べている。
「遥斗さん、そっちはどう?」
「手前のところは、前より落ち着いた気がします」
「見せてもらってもいい?」
「どうぞ」
陽華は遥斗の紙を覗いた。
少しずれた位置から奥へ伸びる道は、前に見た時よりも手前の広がりが抑えられていた。
その分、道の奥へ目が行く。
「あ、前より奥が見える」
「そう見えます?」
「うん。こっちから入っていけそう」
「よかった。手前ばっかり気になってたんですけど、今は奥をもう少し描きたいんですよね」
「結局、気になるところは出てくるんだね」
「まあ、なくならないですね」
遥斗は笑って、紙を自分の前へ戻した。
見る位置は変えないまま、その先に見せたいものを探している。
陽華も自分の一枚へ視線を戻した。
向かいではミオが、小さな紙に青と暖かな色を何度か置いていた。
ミオはスマートフォンの画面を切り替え、前から選んでいた二枚の写真を交互に見ている。
「ミオちゃん、今日は色を試してるんだね」
「はい。青はこのくらいにしたいんですけど、光が思ったより強く見えて」
「明るい方が目立つんだ」
「そうなんです。もう少し抑えたらどうなるか見てます」
ミオは別の小さな紙にも色を置き、二つを横に並べた。
どちらがいいかと尋ねることはなく、自分で少し距離を取って眺めている。
陽華もつい見比べたが、ミオが何か言うまでは口を挟まなかった。
しばらくしてミオが小さく頷く。
「こっちなら、青も残ります」
「ほんとだ。さっきと見え方が違うね」
「でも、まだ決めきらないです。反射も試したいので」
「うん、いいと思う」
ミオは選んだ試しを近くへ残し、また自分の紙へ向かった。
三人で同じ場所にいても、手を動かしているところはまるで違う。
陽華は建物の線を足し、遥斗は道の奥を見直し、ミオは青と光の間を探している。
やがて陽華が消しゴムを置いたところで、遥斗が時計を見た。
「一月、もう後半なんですよね」
「うん。なんか急に早くなった気がする」
「十二月からずっと言ってません?」
「言ってるかも」
陽華が笑うと、ミオも顔を上げた。
「でも、今度は本当に今月の終わりです」
「そうだよね」
「残りの日で、できるところは進めないとですね」
陽華は紙の端に残る白い部分を見た。
まだ手を入れていない場所もあるし、描いたところにも気になる線がある。
今日ここまでやろうと思っていたところも、全部は終わらなかった。
それでも、また別の案を最初から描こうとは思わない。
(ちゃんと、ここから続けられる)
陽華は鉛筆を持ち直し、人物の足元から続く街の線を少しだけ描き足した。
隣では遥斗も紙へ顔を戻し、ミオも試した色を見ながら手を動かしている。
放課後の教室には、まだ何人かの学生が残っていた。
誰かが片づけを始める音を聞いて、陽華もそろそろ帰る時間だと思った。
描きかけの紙を一度眺めてから、折れないようにしまう。
完成までは、まだやることがある。
けれど次にこの紙を広げた時、どこから描き始めるかは分かっていた。




