第84話『足を止めた先』
第84話『足を止めた先』
放課後、玲奈はB組の教室で鞄に道具をしまっていた。
周りでは帰り支度をする学生たちが、あちこちで話をしている。
片づけを終えた近くの席の学生が、玲奈の方を向いた。
「玲奈、もう帰る?」
「うん。ちょっと寄り道してから」
「こんな寒いのに?」
「少し歩くだけだよ」
「元気だなあ」
「帰る頃には後悔してるかも」
「あはは。じゃあ、また明日」
「うん、またね」
玲奈は鞄を肩に掛け、教室を出た。
廊下でも同じクラスの学生とすれ違い、軽く手を振り合う。
校舎を出ると、一月の冷たい風が頬に当たった。
思わず襟元へ顎を寄せる。
コンクールへ出すことは決めた。
陽華にも、そのことを話した。
けれど何を描くかとなると、まだはっきりしていない。
最近描いたものを思い返せば、人の姿ばかりが浮かんでくる。
ただ、その周りにあるものまで気になるようになったのは確かだった。
いつもの帰り道へ向かいかけて、玲奈は歩く速さを緩めた。
(今日は、少し違う道を歩いてみようかな)
玲奈は次の角を曲がった。
普段はあまり通らない通りには、小さな店がいくつか並んでいた。
買い物を終えたらしい人が歩き、向こうからは二人連れが話しながらやって来る。
玲奈の目は自然と、その人たちの方へ向いた。
並んで歩く二人の歩幅は少し違う。
一人が話しながら振り返ると、もう一人も顔を向けた。
そんな何でもない動きが、つい気になる。
少し歩いたところで、店先に立ち止まっている人が目に入った。
手には紙袋が二つ。
その人は片方の持ち手をもう片方へ移そうとして、少し体を傾けていた。
玲奈は思わず足を止める。
腕を伸ばした時の肩の上がり方が面白かった。
袋を落とさないようにしているせいか、膝も少し曲がっている。
(あ、今の動き、ちょっといいかも)
ところが、その人の横を通ろうとした別の人が歩幅を変えた。
袋を持った人も気づいたように、店の方へ半歩寄る。
それで二人はぶつからずにすれ違った。
玲奈は、その足元をもう一度見た。
店の入り口と、そこから歩道へ続く狭い場所。
さっきの半歩が、急に気になった。
少し先の、通行の邪魔にならない場所まで歩く。
玲奈は鞄から小さなクロッキー帳と鉛筆を取り出した。
まだ店先には、袋の持ち手を直している人がいる。
玲奈はその姿を見ながら、紙へ線を走らせた。
傾いた肩と、伸びた腕。
膝から足元へ線をつなぐ。
その人が動くたびに形は変わるから、細かいところまでは追えない。
それでも、さっき気になった姿勢は少し残せた。
玲奈は一度、鉛筆を止めた。
人物だけを描いた紙を見る。
体の傾きは分かる。
けれど、どうしてその人が半歩動いたのかは見えてこなかった。
(……人物だけだと、何か足りないな)
もう一度店先へ顔を上げる。
ガラスの扉の位置。
その前に空いた歩道と、通り抜ける人の流れ。
玲奈は紙へ目を戻した。
今度は自分から、人物の外へ鉛筆を伸ばす。
店の入り口の線を足し、その前に歩道の端を描いた。
ところが、途中で紙の端にぶつかってしまう。
(……入らない)
玲奈は小さく唇を結んだ。
人物をいつもの大きさで描くと、その周りが窮屈になる。
反対に人を小さくしたら、最初に気になった肩や腕の動きが分かりにくくなるかもしれない。
少し迷ってから、次のページにもう一つ小さく形を描いた。
今度は先に店の入り口と歩道を入れ、その中へ人物を置いてみる。
思ったより人が小さい。
でも、店先へ寄った位置はさっきより分かる。
どちらも、描いてみると気になるところがあった。
玲奈は二つの絵を見比べた。
(うーん、どっちも捨てがたいな)
その間に、紙袋を持った人は歩き出していた。
顔を上げた時には、もう通りの向こうへ離れていくところだった。
玲奈は追いかけずに、描いたページをもう一度見た。
誰かが荷物を持ち直していただけの、短い時間。
けれど、その人がどこに立っていたのかまで描くと、見え方が変わる。
今度は何を大きくして、何を残せばいいのだろう。
簡単には決められなかった。
ふと顔を上げると、今度は別の人が同じ店の前で足を止めた。
店の中を覗き込むように、扉の横から少し身を乗り出している。
さっきと同じ入り口なのに、そこに立つ人が変わるだけで目の向くところも変わった。
玲奈は鉛筆を持ったまま、その姿を眺めた。
(こういうのも、描いてみたいな)
コンクールに出す一枚が決まったわけではない。
今描いた二つの絵だって、どちらがいいか分からない。
それでも、さっきの人を見つけなければ、この場所で立ち止まることもなかったと思う。
玲奈はクロッキー帳を閉じ、鞄へしまった。
冷えた指先を軽く握ってから、また歩き出す。
店の前を通り過ぎても、すれ違う人の姿は気になった。
そして今は、その人が立つ場所や、周りを通る人の動きにも目が向いていた。
玲奈は少しだけ遠回りを続けた。




