第69話『三人なんだ』
第69話『三人なんだ』
放課後、玲奈はデッサン室から普通教室へ戻る廊下を歩いていた。
手には使い終わったクロッキー帳を抱えている。
文化祭が終わってからしばらく経ち、学校の中もすっかりいつもの空気に戻っていた。
少し前までなら、廊下を歩く時にも無意識に人の姿を探していた気がする。
会いたくない人がいないか。
見つけてしまわないか。
最近は、そこまで考えなくなっていた。
曲がり角を抜けたところで、向こうから一人で歩いてくる陽華が見えた。
玲奈は足を止めなかった。
陽華もこちらに気づく。
少しだけ距離が縮まってから、玲奈は口を開いた。
「陽華さん」
「玲奈ちゃん、お疲れ」
陽華はいつもと変わらない顔で笑った。
「今帰り?」
「ううん、教室戻るところ」
「そっか」
「陽華さんは?」
「私も。ちょっと先生のところ行ってた」
前なら、このあと何を話せばいいのか考えていた。
今は少し間ができても、それほど苦しくない。
玲奈は陽華が抱えているクリアファイルを見る。
中から、小さな紙が何枚か覗いていた。
「それ、何?」
「これ?」
陽華がクリアファイルを少し持ち上げる。
「ラフ」
「何の?」
「コンクールの絵」
玲奈は陽華を見る。
「コンクール?」
「市のやつ。來玲藍市の風景を描くやつ」
「ああ、あれ」
教室で案内を見た覚えはあった。
ただ、自分が出るつもりはなかったから、そのまま忘れていた。
「陽華さん出るんだ」
「うん。出してみようかなって」
「へえ」
玲奈はもう一度、クリアファイルから覗いている紙を見る。
「何描くの?」
「まだ決まってないんだけどね」
陽華は一枚取り出した。
小さな紙に、店と歩道、それから二人の人が描かれている。
一人は立ち止まり、もう一人は少し離れたところから近づいている。
「人?」
「人っていうか……街かな」
「どっち?」
「それが私もまだよく分かってない」
陽華が困ったように笑う。
「人だけ描きたいわけじゃないんだけど、人がいないと違うんだよね」
「ふうん」
玲奈はラフを見る。
人物そのものを見せたい絵ではない。
その人たちがそこにいることで、ただの街ではなくなっている。
「これ、陽華さんっぽいね」
「そう?」
「なんとなく」
「なんとなくかあ」
陽華が笑った。
玲奈も少し笑う。
陽華がラフをクリアファイルへ戻した。
「遥斗さんも出るよ」
「え?」
思っていたより早く名前が出て、玲奈は一瞬だけ返事が遅れた。
「遥斗さんも?」
「うん。ミオちゃんも」
「……そっか」
「三人ともまだ何描くかちゃんとは決まってないけどね」
玲奈は手にしていたクロッキー帳を少し持ち直した。
(三人なんだ)
胸の奥に、小さく何かが引っかかった。
遥斗がいるからではない。
それだけでもない気がした。
文化祭のあと、自分が三人から離れた。
誰かに外されたわけではない。
自分で離れたことくらい分かっている。
それでも、自分がいなかった時間にも三人は一緒にいて、街を歩いて、絵の話をしていた。
(当たり前なんだけど)
少しだけ寂しい。
そう思った自分に、玲奈は少し驚いた。
離れていたかったはずなのに。
陽華が首を傾げる。
「玲奈ちゃんは出ないの?」
「私?」
「うん」
陽華の声には、それ以上の意味はなさそうだった。
三人で出るから誘うわけでもない。
四人に戻したいと言っているわけでもない。
ただ、玲奈も絵を描くから聞いただけなのだろう。
「私は……どうしようかな」
「まだ考えてない?」
「全然」
「そっか」
陽華はそれ以上言わなかった。
一緒に出ようとも、出た方がいいとも言わない。
そのまま少しだけ授業の話をして、廊下の途中で立ち止まる。
「じゃあ私、教室こっちだから」
「うん」
「またね、玲奈ちゃん」
「またね、陽華さん」
陽華が歩いていく。
玲奈はその背中を少しだけ見てから、自分の教室へ向かった。
◇
教室には、まだ何人か残っていた。
玲奈は自分の席へ座り、クロッキー帳を机の上へ置く。
何となく開くと、人を描いた小さなスケッチが何枚も続いている。
授業中に描いたもの。
休み時間に描いたもの。
気になった人を、ほんの数分で描いたもの。
ページをめくっていくと、何も描いていない白い紙が出てきた。
(コンクールか……)
陽華。
遥斗。
ミオ。
三人が同じコンクールへ出る。
そこへ自分が加わるところは、まだ想像できなかった。
遥斗と以前みたいに話せるのかも分からない。
四人でいた頃に戻りたいのかも、まだ分からない。
それでも、少し前なら三人が一緒にいると聞いただけで、そこから離れようとしていた気がする。
今は違った。
玲奈は白いページを眺める。
(私も、何か描くなら――)
そこまで考えて、玲奈は鉛筆に伸ばしかけた手を止めた。
まだ何を描くかも、出るかどうかも決めていない。
玲奈は白いページを一度だけ指でなぞり、クロッキー帳を閉じた。




