第68話『紙の上へ』
第68話『紙の上へ』
休み明けの朝、陽華が教室へ入ると、ミオはすでに自分の席に座っていた。
「おはよう、ミオちゃん」
「おはようございます」
鞄を置いていると、少しして遥斗も教室へ入ってくる。
「おはようございます」
「おはよう、遥斗さん」
「おはようございます、遥斗さん」
昨日まで一緒に街を歩いていたからといって、朝からコンクールの話になるわけではなかった。
授業のことを話し、昼になればいつものように三人で食事をした。
ただ陽華の鞄には、休日に撮った写真がたくさん入ったスマートフォンがある。
授業が終わる頃には、そのことが少し気になり始めていた。
◇
放課後。
陽華は机の上へスマートフォンと小さな紙を何枚か並べた。
遥斗も少し離れた席で同じように写真を開き、ミオはスケッチブックとスマートフォンを横に置いている。
「とりあえず描いてみようかな」
陽華は昨日何度も見返した写真を開いた。
店の前で誰かを待っている人。
その向こうから近づいてくる人。
二人が一緒になったところは撮れなかったけれど、その前の瞬間が残っている。
最初の紙に、大まかな建物と歩道を描く。
待っている人を少し大きめに置いてみた。
その横に、近づいてくる人を入れる。
少し離して見る。
「……なんか違う」
ミオが顔を上げる。
「何がですか?」
「人、大きすぎる気がする」
写真とラフを見比べる。
人物へ目が行きすぎて、周りの店や道が急に背景みたいになっていた。
「人描きたいわけじゃないんだよね」
「人物画じゃないってことですか?」
「うん、たぶん」
陽華は新しい紙を一枚取った。
今度は街を広く取り、人を小さくする。
店。
歩道。
街灯。
その中に待っている人を置く。
少し離れたところに、もう一人。
「今度は小さすぎる」
遥斗がこちらを見る。
「難しそうですね」
「難しいよ」
陽華は二枚を並べた。
「こっちは人しか見えない感じするし、こっちは人いなくても変わらない気がする」
「間くらいですか?」
「言うのは簡単なんだけどね」
遥斗が少し笑う。
陽華は三枚目の紙を取った。
人物の大きさを二枚の中間くらいにする。
店の入口を少し広く描き、歩道を奥へ伸ばした。
待っている人の視線の先に、もう一人を置いてみる。
(これなら、さっきよりいいかも)
まだ何か足りない。
それでも最初の二枚よりは、自分が見ていたものに近い気がした。
陽華は三枚目を残し、遥斗の机へ目を向けた。
「遥斗さん、何描いてる?」
近づいて見ると、小さな四角の中に似たような道がいくつも並んでいた。
「道」
「見れば分かるよ」
「ですよね」
一枚は道を正面から見ている。
別の一枚は少し右へ寄っている。
その隣は、手前の道路を広く取って奥を細くしていた。
「これ全部、昨日の同じところ?」
「同じです」
「こんな変わるんだ」
「撮った位置が少し違うので」
遥斗が写真を一枚開く。
「こっちから見ると奥まで抜けるんですけど、正面すぎると建物が重なるんですよ」
「じゃあこれ?」
陽華が一枚を指す。
「今はそれが一番近いです」
「決まり?」
「まだです」
遥斗は別のラフを見る。
「場所より、どう見えるかの方が気になってるのかもしれません」
「どう見えるか?」
「同じ道でも、立つ場所で全然違うので」
「ああ」
昨日、道路の反対側まで行きたがっていた理由が少し分かった気がした。
「やっぱり道好きなんだね」
「陽華さんも人ばっかり描いてるじゃないですか」
「……ほんとだ」
自分の机を見る。
小さな紙には、どれも人がいた。
陽華が笑うと、遥斗も少し笑った。
「ミオちゃんは?」
二人でミオの机へ行く。
スケッチブックには、これまで描いていた窓と光の絵が開かれている。
その隣には、休日に撮った写真が何枚も表示されていた。
青い空がガラスに映っているもの。
店の中の暖かい光が重なっているもの。
街灯がつき始めたもの。
「やっぱり青だ」
「青だけじゃないです」
ミオがすぐに言う。
「店の中は黄色です」
「そこは大事なんだ」
「大事です」
ミオは一枚の写真を開いた。
「これ、昨日撮った中では好きです」
「この窓?」
「はい」
今描いている絵より、空の青が少し濃い。
店内の灯りも強く見える。
「今の絵に入れるの?」
「全部は入れないです」
「全部じゃないんだ」
「入れると多い気がします」
ミオはスケッチブックを見る。
「この光は入れたいです」
「こっちは?」
「いらないです」
「即答だね」
「はい」
ミオは別の写真へ送る。
「青はこっちの時間の方が好きです」
「じゃあ写真二枚混ぜるの?」
「たぶん」
陽華はスケッチと二枚の写真を見比べる。
自分なら一枚の写真から描こうとしていた。
ミオはその中から使いたいものだけ拾っているように見えた。
「同じ場所じゃなくてもいいんだね」
「見たものなので」
ミオはそう言って、また紙へ視線を戻した。
陽華も自分の机へ戻る。
◇
しばらくすると、机の上に小さな紙が増えていた。
陽華は五枚。
遥斗は六枚。
ミオはラフというより、今のスケッチの横に色や光の位置を試した小さな描き込みが増えている。
陽華は自分の紙を三人の間へ持っていった。
「一回並べてみない?」
遥斗とミオも紙を持ってくる。
机の上へ並べると、違いが余計に目立った。
陽華の紙には店と歩道と人。
遥斗の紙には奥へ伸びる道。
ミオの紙には窓と光と青。
「全然違う」
陽華が言う。
「同じ街なんですけどね」
「同じところ歩いたのにね」
ミオが陽華のラフを見る。
「これが一番いいです」
「三枚目?」
「はい」
「私も今これかなって思ってる」
遥斗も見る。
「人の大きさですか?」
「それもあるけど、こっちの方が街の中にいる感じする」
「最初のは人が近いですね」
「でしょ」
今度は遥斗の紙を見る。
「遥斗さんは?」
「今ならこれです」
昨日とは少しずらした位置から描いたものだった。
「でもまだ写真見直したいです」
「決めないねえ」
「陽華さんも決めてないですよ」
「そうだった」
ミオも自分のスケッチを見る。
「私は、もう少し色を試したいです」
「じゃあ全員まだ途中だ」
「はい」
陽華は机の上に並んだ紙を見る。
人。
道。
光。
休日に一緒に歩いた街が、紙の上では三つの全然違うものになっていた。
まだどれも小さなラフで、作品と呼べるほどのものではない。
それでも、写真を眺めていただけの時より少し先へ進んだように見える。
「なんか、やっと描くものっぽくなってきたね」
遥斗が自分の紙を見る。
「まだラフですけどね」
「分かってるよ」
「でも前より分かります」
ミオが言った。
陽華も頷く。
自分の三枚目のラフを手元へ戻す。
待っている人。
そこへ近づいてくる人。
その二人がいる街。
陽華は少し考えてから、店の前へもう一本だけ線を足した。




