第65話『私はこっち』
第65話『私はこっち』
翌朝、ミオが教室へ入ると、陽華と遥斗はすでに来ていた。
「おはようございます」
「おはよう、ミオちゃん」
「おはようございます、ミオさん」
いつも通りの挨拶をして、ミオは自分の席へ向かう。
鞄の中には、昨日のスケッチブックが入っている。
あの青は消していない。
父に言われたことも、まだ頭に残っていた。
授業が始まるまで三人で少し話したが、ミオは絵のことには触れなかった。
◇
放課後、ミオは昨日まで描いていたスケッチを机の上に置いた。
外の白い光。
店の中の暖かい光。
その間に広げた青。
昨日、消しゴムを近づけた場所もそのまま残っている。
ミオはしばらく眺めてから、スケッチブックの新しいページを開いた。
父の声を思い出す。
「ここまで青を使うなら、こっちの明るさをもう少し落としてもいい」
言っていることは分かっていた。
だから、元の絵を消すのではなく、別に試してみることにした。
同じ写真をスマートフォンに表示する。
大まかな位置を取り、昨日までの絵と同じように線を置いていく。
今度は青の隣にある明るい部分を少し抑える。
父に言われたところを意識しながら、境目も前よりはっきりさせた。
少し描いては離して見る。
また描く。
やがて二枚を並べた。
(……確かに)
青は新しく描いた方が目に入る。
明るさを落とした分だけ、青との違いがはっきりしていた。
全体も少しまとまって見える。
父が言っていたことは間違っていなかった。
ミオは右の絵を見る。
次に左を見る。
また右を見る。
「二枚になってる」
声に顔を上げると、陽華が立っていた。
「はい」
「同じやつ?」
「同じ写真です」
「結構違うね」
陽華は二枚を交互に見る。
「こっちは青が目立つ」
「明るいところを少し暗くしました」
「あ、本当だ」
陽華が顔を近づける。
「こっちの方がくっきりして見えるね」
「はい」
ミオも新しい方を見る。
自分でもそう思う。
「なんで二枚描いたの?」
「少し変えたらどうなるか、試してみたくて」
「なるほど」
陽華はまた二枚を見る。
ミオは少し迷ってから口を開いた。
「陽華さん」
「ん?」
「どっちがいいですか?」
陽華がミオを見る。
「いいって?」
「どっちの方が上手いですか?」
「え、上手い方?」
陽華は困った顔で二枚を見る。
「それは私には分かんないな」
「分からないですか?」
「うん」
かなり真剣に見ているのに、陽華は首を傾げた。
「こっちは青がすごく目に入るし、こっちは……なんか柔らかい感じするし」
「はい」
「どっちが上手いって言われると分かんない」
少しして、陽華が最初の絵を指した。
「でも私はこっちが好き」
「最初の方?」
「うん」
「どうしてですか?」
「どうしてだろう」
陽華はまた考える。
「こっちの方が、ずっと見てたい感じがする」
「ずっと?」
「うん」
陽華は笑う。
「また上手く言えないけど」
「そうですか」
「ごめんね」
「謝らなくていいです」
ミオが答えると、陽華は少し笑った。
「じゃあ私も戻るね」
「はい」
陽華が自分の席へ戻っていく。
ミオは二枚の絵へ視線を戻した。
陽華は最初の方が好きだと言った。
それなら、最初の方にすればいい。
そう考えかけて、ミオは止まった。
(……違う)
昨日は父に言われたから変えようとした。
今日は陽華が好きだと言ったから戻そうとしている。
相手が変わっただけだった。
ミオは二枚を少し離して置く。
父は新しい方をどう見るだろう。
陽華は最初の方が好きだと言った。
もしコンクールへ出したら、見る人はどちらを選ぶだろう。
考え始めれば、いくらでも浮かんでくる。
ミオは一度目を閉じた。
(私は?)
もう一度、新しく描いた方を見る。
嫌いではない。
青が強く見えるところは好きだった。
まとまっているのも分かる。
父に言われなければ気づかなかった見せ方だった。
次に最初の絵を見る。
白い光と暖かい光の間に、青が残っている。
境目は新しい方ほどはっきりしていない。
少し曖昧だった。
それでも、そちらへ目が戻る。
街で写真を撮った時に気になった色。
描き始めてから、自分でもっと広げたいと思った色。
(私は、こっちが好き)
陽華が選んだからではなかった。
二枚並べて、自分で見てもそう思った。
ミオは最初の絵を手元へ引き寄せる。
けれど、新しく描いた方もしまわずに横へ置いた。
青の見え方を比べる。
父に言われた方にも、使いたいと思うところはあった。
ミオは最初の絵へ鉛筆を置く。
青の周りへ少し線を足した。
新しい方で気づいた部分だけ、こちらにも取り入れてみる。
父に言われた通りではない。
昨日までのままでもない。
少し描いて、離して見る。
もう一度鉛筆を動かす。
「ミオさん、まだ描いてたんですか?」
遥斗の声がした。
「はい」
「二枚あるんですね」
「試してました」
遥斗が少し離れたところから二枚を見る。
「同じところですか?」
「はい」
「結構違いますね」
ミオは頷く。
「どっちにするんですか?」
ミオは二枚を見る。
今度はすぐに答えられた。
「こっちです」
最初から描いていた方へ手を置く。
「決めたんですね」
「はい」
遥斗はそれ以上聞かず、自分の荷物をまとめ始めた。
ミオは紙へ目を戻す。
昨日は消そうとしていた青が、少しだけ増えている。
父の意見を聞かなかったわけではない。
陽華が好きだと言ったから、そのまま残したわけでもない。
一度試して。
二枚を見て。
自分で選んだ。
◇
帰る前、ミオは新しく描いた方もスケッチブックへ挟んだ。
試したから分かったことがある。
父の言ったことにも、いいと思える部分があった。
だから全部いらないとは思わない。
でも、全部その通りにする必要もなかった。
最後に元の絵を開く。
昨日より少しだけ青が増えている。
(これでいい)
そう思ってから、ミオは少しだけ首を振った。
(……これがいい)
コンクールへ出すかどうかは、まだ決めていない。
外へ出すことが怖くなくなったわけでもない。
それでも今日は、誰かに決めてもらわずに一つだけ選べた。
ミオはスケッチブックを閉じ、鞄の中へしまった。




