第63話『ミオらしくない』
第63話『ミオらしくない』
翌日の昼休み、ミオは陽華と遥斗と一緒にいつもの席に座っていた。
四つある椅子の一つは、今日も空いている。
陽華は昼食を食べながら、スマートフォンに入っている写真を見ていた。
少しすると遥斗も自分のスマートフォンを取り出す。
「やっぱりここもいいかな」
「駅前ですか?」
「ううん、その一個前」
陽華が画面を遥斗へ見せる。
「この交差点」
「ああ、人が結構いるところですね」
「そう」
「でもこっちも捨てがたいんだよね」
画面を送る。
二人はもう、コンクールへ出るかどうかの話をしていなかった。
どこを描くか。
何を描くか。
そちらを考えている。
遥斗もまだ道を描くとは決めていないらしい。
それでも昨日、参加することだけは決めた。
ミオは二人のやり取りを聞きながら昼食を食べる。
陽華がスマートフォンから顔を上げた。
「ミオちゃんは、まだ考え中?」
聞かれることは分かっていた。
それでも少しだけ答えるまでに間ができた。
「……はい」
「そっか」
陽華はそれだけ言って、また自分の写真を見る。
「まだ一月末まであるしね」
「そうですね」
遥斗もそれ以上は何も聞かなかった。
ミオは少しだけ肩の力を抜く。
出ないのかとも、せっかくだから出ればいいとも言われなかった。
ただ、まだ決めていないという答えをそのまま受け取ってくれた。
陽華がふとミオを見る。
「そういえば、ミオちゃんが撮ってたやつもう一回見せて」
「どれですか?」
「窓に光が映ってたやつ」
ミオはスマートフォンを取り出した。
写真を探して陽華へ見せる。
「これ?」
「そう、それ」
陽華が画面を覗き込む。
「やっぱりこれ好き」
「そうですか?」
「うん」
「外の白い光と、中の黄色っぽいのが一緒にあるのきれいだよね」
「空も少し青いです」
「それも好き」
陽華は写真を見たまま言う。
「これ、絵にしたら見てみたいな」
ミオは陽華を見る。
陽華はもう写真から顔を上げていた。
「……描くかはまだ分からないです」
「うん」
それだけだった。
描いた方がいいとも言わない。
コンクールに出せばいいとも言わない。
陽華は自分のスマートフォンへ戻る。
(見てみたい、か)
ミオはもう一度写真を見る。
外の白い光。
店の中の暖かい光。
その間に重なった夕方の青。
自分でも好きだった。
だから写真を撮った。
誰かに言われて見つけた色ではない。
◇
放課後、ミオは教室に残っていた。
陽華も少し離れた席で自分の写真を見ている。
遥斗はノートに何か書きながら、時々スマートフォンを確認していた。
三人ともコンクールの作品を描き始めているわけではない。
ミオもそのつもりではなかった。
ただ、昼に見せた写真が気になっていた。
スケッチブックを開く。
鉛筆を持つ。
窓の四角を薄く取って、その中に光の位置を置いていく。
写真と同じにするつもりはない。
外の白をもう少し広くしたい。
中の色は少しだけ濃くしたい。
その間にある青を残したい。
(ここ、もう少し暗い方がいいかも)
線を重ねる。
少し消す。
また描く。
気づけば、さっきまで聞こえていた教室の音があまり耳に入らなくなっていた。
「ミオちゃん」
顔を上げる。
陽華が近くに立っていた。
「それ、さっきの?」
「はい」
「もう描いてたんだ」
「ちょっとだけです」
陽華がスケッチブックを見る。
ミオは反射的に閉じようとはしなかった。
陽華なら見られても平気だった。
「写真とちょっと違うね」
「変えました」
「こっちの方が青が多い?」
「はい」
ミオは紙を見る。
「その方がいいかなって」
「いいね」
陽華は少しだけ屈んで見る。
「私、ここの色好き」
指を近づけるが、紙には触れない。
ミオが濃く残した青のところだった。
「……そこですか?」
「うん」
「なんか外と中の間みたいで」
陽華は少し考えてから笑った。
「うまく言えないけど」
その言い方に、ミオは昔のことを思い出した。
入学して間もない頃。
授業で一枚の絵を途中まで描いて、捨てた。
課題らしくないと思って、新しい紙で描き直した。
陽華は捨てた方を拾った。
そして言った。
「私、こっちの方が好きかも」
整えて描き直した方ではなかった。
線が残っていて、形も少し歪んでいた方だった。
あの時も陽華は、うまく説明できないと言っていた。
それでも好きだと言った。
ミオが誰にも見せるつもりのなかった絵を見て。
(陽華さんは、前の私を知らない)
昔どんな絵で賞を取ったのかも知らない。
何を描けば褒められていたのかも知らない。
比べるものを持っていない。
今そこにある絵だけを見ている。
だから学校では描けた。
描いてもいいと思えるようになった。
自分が気になったものを、自分の好きなように。
「もう少し描きます」
「うん」
陽華は自分の席へ戻っていった。
ミオも鉛筆を持ち直す。
青を少しだけ重ねる。
やっぱり、この色を描くのは好きだった。
◇
家へ帰ると、ミオは机の上にスマートフォンを置いた。
さっき描いたものを撮った写真と、街で撮った元の写真が並んでいる。
まだスケッチでしかない。
完成させるかも決めていない。
それでも、もう少し描いてみたいと思った。
その横には学校でもらったコンクールの募集要項があった。
ミオはしばらく見ないようにしていた。
けれど、結局手に取る。
來玲藍市の風景を使った作品。
締め切りは一月末。
参加は自由。
文字を追っているだけなのに、昔のことが浮かんできた。
最初に賞を取った時は嬉しかった。
自分の絵を見てもらえた。
褒めてもらえた。
次も描こうと思った。
また賞を取った。
また褒められた。
それを何度も繰り返した。
「次はもっと上を狙えるんじゃない?」
「ミオならできるよ」
言われるたびに、次の絵が少しずつ重くなっていった。
描けば見られる。
見られれば比べられる。
前の自分と。
周りが知っている飯村ミオと。
一度、自分が描きたいと思ったものをそのまま描いて出したことがあった。
描いている時は楽しかった。
自分では好きだった。
けれど、返ってきた言葉の中に一つだけ、今でも残っているものがある。
「ミオらしくないね」
その言葉が嫌いだった。
上手くないと言われるより嫌だった。
失敗だと言われるより嫌だった。
(私が描いたのに)
自分で見つけて。
自分で色を選んで。
自分で描いた。
それなのに、自分らしくないと言われる。
(じゃあ、私らしいって何)
答えは誰も教えてくれない。
ただ、前に評価されたものだけが残っていく。
次も同じようなものを求められている気がした。
違うものを描けば、また言われる。
ミオらしくない。
飯村ミオならもっと描ける。
そうしているうちに、何を描きたいのかより、何を描けばそう言われないのかを考えるようになった。
ミオは募集要項から目を離す。
スマートフォンには、今日描いた青が映っている。
陽華はそこを見て、好きだと言った。
昔の絵と比べずに。
飯村ミオという名前とも比べずに。
ただ、その色を見て。
(これ、描きたい)
その気持ちはあった。
はっきりあった。
だから余計に、募集要項を見るのが怖かった。
もし応募すれば、作品は学校の外へ出る。
そこには自分の名前がつく。
飯村ミオ。
昔からコンクールを知っている人なら、その名前を覚えているかもしれない。
久しぶりに出すと知れば、話になるかもしれない。
そして、その話は父にも届く。
届かない方がおかしい。
父も同じ世界にいる。
名前が出れば、いずれ耳に入る。
そうなれば、また始まるかもしれない。
こうした方がいい。
もっとできる。
飯村ミオなら。
自分が描きたいものの上に、また誰かの思う飯村ミオが重なってくる。
ミオは募集要項を机へ置いた。
スマートフォンの写真へ戻る。
白い光。
暖かい光。
その間にある青。
(描きたくないわけじゃない)
むしろ描きたい。
今の自分が見つけた色を、一枚にしてみたい。
怖いのは、その後だった。
完成した絵を、自分の名前と一緒に外へ出すこと。
その名前を見た人たちに、また昔の自分と比べられること。
ミオはスマートフォンを伏せず、そのまま画面を見ていた。
青い色だけは、まだ自分の好きな色のままだった。




