第62話『出せるものなら』
第62話『出せるものなら』
その日の夜、遥斗は自室の机にスマートフォンを置いていた。
画面には、ここ数日で撮った來玲藍市の写真が並んでいる。
陽華は人のいる風景を描きたいと言って、コンクールへ出ることを決めた。
自分はまだ何も決めていない。
写真を一枚ずつ送っていく。
建物の間を抜ける細い道。
駅へ向かって伸びる大通り。
少し曲がって先の見えなくなる道。
夕方の光が差し込んだ路地。
改めて見ると、本当に道ばかりだった。
(なんでこんなに撮ったんだろう)
撮った時には深く考えていなかった。
ただ、道の先へ視線が抜けていく構図が気になった。
建物の間に線が集まっていく感じも好きだった。
遥斗は一枚を大きく表示する。
駅へ続く道を少し斜めから撮った写真だった。
人も写っているが、陽華の写真のように人へ目が向くわけではない。
見ているのは、その向こうへ続いている道だった。
(奥行きがあるのが好きなのか)
それなら理由としては分かりやすい。
けれど、それだけで一枚描きたいと思えるかはまだ分からなかった。
机の端には、学校でもらったコンクールの募集要項が置いてある。
締め切りは一月末。
参加は自由。
紙の文字を見ながら、遥斗は父親との話を思い出した。
絵を続けるために与えられた二年間。
今回が最後だと言われている。
その間に、自分が何をできるのかを見せなければならない。
(こういうのも、出た方がいいよな)
市のコンクール一つで何かが決まるわけではない。
入賞したからといって、すべてが認められるとも思っていない。
逆に、結果が出なかったから終わりという話でもない。
それでも、自分から使える機会を減らす理由はなかった。
遥斗はもう一度、道の写真へ目を戻した。
出る理由はありそうなのに、描きたいものはまだはっきりしない。
そこだけが少し引っかかった。
◇
翌朝、遥斗が教室へ入ると、陽華はすでに自分の席にいた。
「おはようございます」
「おはよう、遥斗さん」
陽華はいつも通りに返す。
遥斗も自分の席へ鞄を置いた。
以前のように何も考えず話せるわけではない。
それでも、避けるつもりはもうなかった。
少ししてミオも教室へ入ってくる。
「おはようございます」
「おはよう、ミオちゃん」
「おはようございます、ミオさん」
三人はそのまま授業が始まるまで少し話した。
遥斗は昨夜見返した道の写真のことを言おうか迷ったが、結局その場では口にしなかった。
◇
昼休み。
遥斗が食堂へ行くと、陽華とミオがいつもの席にいた。
陽華が遥斗に気づく。
「遥斗さん、こっち」
遥斗は二人のところへ行き、空いている椅子へ座った。
四つ目の椅子は今日も空いたままだった。
昼食を広げていると、陽華が鞄から募集要項を出した。
「昨日、家でも見てた」
「もう結構やる気ですね」
「出るって決めたからね」
陽華が少し笑う。
「でも場所は全然決まってない」
「人がいるところなんですよね」
「うん、それはたぶん」
陽華はミオを見る。
「ミオちゃんは?」
「まだです」
「遥斗さんは?」
急に名前を呼ばれ、遥斗は顔を上げた。
「え?」
「コンクール」
「ああ」
一瞬だけ言葉に詰まる。
「陽華さんが出るなら、俺も――」
そこまで言って止まった。
陽華が首を傾げる。
「私が出るなら?」
「……いや」
遥斗は視線を募集要項へ落とす。
「まだ考えてます」
「そっか」
陽華はそれ以上聞かなかった。
その反応に少しだけ助けられる。
陽華が出ると決めたことが、自分の背中を押しているのは間違いなかった。
一緒に出られたらと思ったのも本当だった。
でも、それだけで決めるのは違う気がした。
遥斗は自分のスマートフォンを取り出す。
「昨日、写真見返したんですけど」
「うん」
「本当に道ばっかりでした」
「見せて」
陽華が身を寄せる。
遥斗は反射的に少しだけ姿勢を引きかけた。
途中で止める。
陽華が画面を見る。
「あ、今日は離れなかった」
「……努力してます」
「努力することなんだ」
「今はそうみたいです」
陽華が笑う。
遥斗も少し笑ってから画面を送る。
「これとか」
「ほんとに道だね」
「こっちもです」
「また道」
「まだあります」
「どれだけ撮ったの」
ミオも画面を見る。
「道ばかりですね」
「二人に同じこと言われました」
「でも、全部同じじゃないね」
陽華が一枚ずつ見ながら言う。
「真っ直ぐなのもあるし、曲がってるのもある」
「細い道もあります」
「そうなんですよね」
遥斗は自分の写真を見る。
「たぶん、奥に続いて見えるのが好きなのかもしれないです」
「奥?」
「こういう感じです」
指で画面の道をなぞる。
「手前から奥に向かって狭くなっていくところとか」
「ああ、なるほど」
「描くなら道ですか?」
ミオに聞かれ、遥斗は少し考えた。
「まだ分からないです」
「私と一緒だね」
ミオが言う。
「二人ともまだなんだ」
「陽華さんだけ先ですね」
「珍しく早かったかも」
陽華が笑う。
遥斗は募集要項を見る。
その隣には、自分が撮った道の写真がある。
出るかどうか。
何を描くか。
二つを同時に決めなくてもいいのかもしれないと思った。
◇
放課後、三人はいつもの道を駅へ向かって歩いていた。
昨日まで探すつもりで見ていたせいか、何気ない道にもつい目が向く。
前を歩く人。
並ぶ建物。
遠くに見える駅。
少し曲がった先で見えなくなる路地。
遥斗は足を止めずに辺りを見る。
「また道見てる?」
隣から陽華の声がする。
「……見てました」
「ほんとに好きなんだね」
「自分でも今日気づきました」
「じゃあ道にする?」
「それはまだ分かりません」
陽華が笑う。
「そこはまだなんだ」
「はい」
少し先をミオが歩いている。
遥斗は鞄の中に入っている募集要項を思い出す。
何を描くのかは決まっていない。
結果が出るかも分からない。
けれど、出せる場所があるのに、自分から何もしないまま終わる方が嫌だった。
二年間のうちに何ができるのか。
それを考えるなら、こういう機会も一つずつ使っていけばいい。
「陽華さん」
「ん?」
遥斗は一度だけ息を吐いた。
「俺も出そうと思います」
「コンクール?」
「はい」
陽華が少し目を見開いてから笑う。
「じゃあ二人だね」
「そうですね」
少し先を歩いていたミオが振り返る。
「決めたんですか?」
「出ることだけは」
「描くものは?」
「まだです」
「そこは私と同じですね」
「そうですね」
三人はまた歩き始める。
陽華は人のいる風景を描きたいと言った。
自分はまだ、道が気になるというところまでしか分かっていない。
それでも、参加するかどうかだけは決められた。
遥斗は前を見る。
駅へ続く道が、夕方の街の中を真っ直ぐ伸びていた。




