第61話『人のいる風景』
第61話『人のいる風景』
翌朝、陽華は教室の自分の席でスマートフォンを見ていた。
画面には、昨日三人で街を歩きながら撮った写真が並んでいる。
駅前の広場。
銀色の時計。
店先。
交差点。
少しずつ灯り始めたイルミネーション。
一枚ずつ見ているうちに、陽華の指が止まった。
横断歩道の前で信号を待っている人たちが写っている。
次の写真には、駅前を歩く人。
その次には、銀色の時計のそばで誰かを待っている人がいた。
「おはようございます」
声に顔を上げると、遥斗が鞄を持って立っていた。
「おはよう、遥斗さん」
「昨日の写真ですか?」
「うん、ちょっと見返してた」
遥斗は陽華のスマートフォンへ目を向ける。
以前ならそのまま近くまで来て覗いていた気がするけれど、今は少し離れたままだった。
陽華はそれに気づいたが、何も言わず画面へ戻る。
「結構撮ってましたよね」
「見返したら思ったより多かった」
「俺もです」
遥斗が自分の席へ鞄を置く。
「おはようございます」
今度はミオの声がした。
「おはよう、ミオちゃん」
「おはようございます、ミオさん」
ミオが自分の席へ向かう途中で、陽華のスマートフォンを見る。
「昨日の写真ですか?」
「うん」
陽華は一枚開く。
「見てたらさ、ちょっと気づいたことがあって」
ミオが足を止める。
「何ですか?」
「私、人が写ってる写真ばっかり撮ってる」
ミオは画面を見る。
「昨日も人を見てました」
「やっぱり?」
昨日も同じことを言われた。
その時は、そうかもしれないと思っただけだった。
改めて並べてみると、かなり分かりやすい。
陽華は同じ通りを撮った二枚を見比べる。
一枚には建物と道だけが写っている。
もう一枚には、その道を歩く人がいる。
景色としてはどちらも同じ場所だった。
それでも後の写真の方が気になった。
人物を中心に描きたいわけではない。
人の顔を細かく描きたいわけでもない。
ただ、誰もいない街より、そこに誰かがいる方がしっくりくる。
(人がいる方が、街っぽいのかな)
うまく説明はできなかった。
「何見てるんですか?」
遥斗が少し離れたところから聞く。
「同じ場所の写真」
「二枚あるんですか?」
「うん、こっちは人がいなくて、こっちは歩いてる人がいる」
陽華がスマートフォンを少し持ち上げる。
遥斗は一歩近づいてから、そこで止まった。
「やっぱり人がいる方を見るんですか?」
「なんかこっちの方が好きみたい」
「昨日もそうでしたね」
ミオも頷く。
「二人とも覚えてるんだ」
「結構分かりやすかったので」
遥斗が言う。
陽華は少し笑った。
「自分では全然気づいてなかった」
始業前の教室には少しずつ人が増えている。
陽華はスマートフォンを机へ置いた。
写真を見返しただけなのに、昨日より少しだけ自分が何を見ていたのか分かった気がした。
◇
昼休み。
三人はいつもの食堂にいた。
今日も四つある椅子の一つは空いている。
陽華は昼食を置いてから、朝見ていた写真をもう一度開いた。
「やっぱり人がいるの多い」
ミオは特に驚いた様子もなく頷く。
「陽華さんは人を見てました」
「朝も言われたね」
陽華は遥斗にも見えるようにスマートフォンを寄せる。
「ほら、これとか」
遥斗が画面を見ようとして、ほんの少しだけ体を引いた。
陽華はその動きを見逃さなかった。
「あ、また離れた」
「……すみません」
「もう謝らなくていいって」
「はい」
「返事だけは早いね」
「……そこも自覚あります」
陽華が笑う。
遥斗も少し困ったように笑ってから、今度はさっきより近い位置で画面を見る。
「信号待ちのところですね」
「うん」
「昨日も撮ってましたね」
「こういうのばっかりだった」
陽華は何枚か画面を送る。
「人だけを描きたいわけじゃないんだけど」
「風景の中に人がいる方がいいんですか?」
「たぶん」
自分でもまだ曖昧だった。
「誰もいないのより、こっちの方が好きなんだよね」
「陽華さんらしい気がします」
「そう?」
ミオは頷く。
「はい」
「どの辺が?」
「分からないです」
「分からないんだ」
陽華が笑うと、ミオも少し笑った。
「二人は昨日の写真見た?」
「見ました」
ミオが自分のスマートフォンを出す。
「私、光ばかりでした」
「ほんとだ」
窓に映った光。
店の明かり。
夕方の空。
銀色の時計に映り込んだ小さな色。
昨日一緒に歩いていたのに、陽華の写真とはほとんど違う。
「遥斗さんは?」
「俺は道が多かったです」
遥斗の画面には、通りの奥や建物の間から先へ続く道が並んでいる。
「本当に道ばっかりだ」
「見返して自分でも思いました」
「描くの決まった?」
「いや、逆に候補が増えました」
「私もです」
ミオが言う。
「私もまだ決まってないな」
陽華は自分の写真へ戻る。
その横に、鞄から出したコンクールの募集要項が見えた。
高校生の頃にも、似たような紙を見たことがある。
あの時は作品を出して、入選した。
選ばれたことが嬉しかった。
自分の絵にも何かあるのかもしれないと思えた。
今、その頃のことを思い出しても、最初に浮かぶのは賞のことではなかった。
どの風景を描こうか。
誰がいる景色を描こうか。
そんなことばかり考えている。
(前も、こんな感じだったっけ)
昔の自分が何を考えていたのか、もう細かくは思い出せない。
ただ、今は結果より先に描きたいものを探している。
陽華は募集要項を折らないように鞄へ戻した。
◇
放課後、三人は駅へ向かって歩いていた。
昨日ほど遠回りはせず、いつもの道を進む。
夕方の街には少しずつ明かりが増えていた。
駅前まで来ると、陽華は自然に歩く速度を落とした。
銀色の時計の周りには何人かが立っている。
誰かを待っているらしい人。
スマートフォンを見ている人。
駅から出てきた人を見つけて手を上げる人。
その間を、帰宅途中らしい人たちが通り抜けていく。
昨日も見た景色だった。
今日はそこにいる人の方へ目が向いた。
「また見てるんですか?」
遥斗が聞く。
「うん」
陽華は時計の方を見る。
「昨日の写真見てたら、もう一回見たくなって」
「ここにするんですか?」
「まだ分かんない」
陽華は少し考える。
「でも、人がいる景色描きたいかも」
口にすると、昨日より少し形になった気がした。
ミオが駅前を見る。
「ここじゃなくても?」
「うん、たぶん」
場所はまだ決まっていない。
銀時計でなくてもいい。
交差点でもいい。
店の前でもいい。
ただ、誰かがそこで歩いたり待ったりしている景色を描いてみたい。
陽華は鞄の中に入っている募集要項を思い出した。
高校の頃とは違う自分で描いたら、どんな一枚になるのだろう。
少しだけ見てみたくなった。
「私、このコンクール出してみる」
ミオと遥斗が陽華を見る。
「決めたんですか?」
「うん」
陽華は頷く。
「何描くかはまだ決まってないけどね」
「それでも出るんですね」
「出るって決めたら、もう少しちゃんと探すかなって」
遥斗が小さく笑う。
「陽華さんらしいですね」
「そうかな」
「たぶん」
「遥斗さんまで曖昧だね」
三人で少し笑う。
ミオはまだ何も言わず、駅前の光を見ていた。
遥斗も応募するとまでは言わなかった。
陽華も二人へ聞かなかった。
三人が同じ時に決める必要はない。
陽華はもう一度、駅前へ目を向ける。
描く場所も構図も、まだ決まっていない。
それでも昨日より、描きたいものは少しだけ見えていた。
人が歩いている。
誰かが誰かを待っている。
そんな街の中にある風景を、今の自分で一枚描いてみたかった。




